更新 

筑紫倭国伝

新羅出兵(2)



警固神社

警固神社

祭神、八十枉津日神 神直日神 大直日神
 神功皇后が朝鮮半島出兵の際に警固三神が現れ、軍集を守護し勝利に導いたと言われ、その報恩に神功皇后は、福崎山(現、鴻臚館跡)に警固三神を祀った。これが警固神社の創建とされる。のち黒田藩福岡城築城の為に現在地に移された。
 福岡県福岡市中央区天神


能古島

能古島

 能古島(のこのしま)は、神功皇后が住吉大明神の神霊を残して戦勝を祈願された島というので「残(のこ)の島」と呼ばれ、それが後に「能古島」に変わったのだとする。写真は「生の松原」の壱岐神社まえの海岸から見た能古島である。
 福岡県福岡市西区能古島


壱岐神社

壱岐神社

 この神社のある「生(いき)の松原」は、神功皇后が松の枝を逆にさして戦勝を占ったとき、その枝が生きて栄えたことから名付けられたとしている。この壱岐神社は反乱の罪を着せられた武内宿称の身代わりとなって死んだ壱岐直真根子を祭神としている。
 福岡県福岡市西区下山門


とにかく岩

とにかく岩

 鏡山山頂にある鏡山神社由緒によると、神功皇后韓半島出兵のおり、この山に登り「とにかく岩」に寳鏡幣帛を立て、天神地祇を祭り、戦勝を祈願したとある。
 佐賀県唐津市鏡


 


神集島

神集島

 唐津市西部の湊港から約1kmの沖合いにある島で、周囲は約8km。島の東北、宮崎の砂州に神功皇后が、神を集めて戦勝を祈願したと伝えられる住吉神社がある。
 佐賀県唐津市神集島


 


住吉神社(壱岐)

住吉神社(壱岐)

 この宮は神功皇后新羅出兵の時、三韓鎮護の為、軍越神事を定めて御親祭を執り行ったことに始る。境内の神池小祠(竹生島神社)下に、神功皇后三韓出兵の陣鐘があり、そこから鏡を掘り出すと降雨するという言い伝えがある。
 長崎県壱岐市住吉東触


 


爾自(にじ)神社

爾自(にじ)神社

 古号「東風大明神」と云われ、境内に径3m程の大岩があって、東風(こち)石と云われる。神功皇后が三韓出兵の折り、勝本浦に寄航するが、追い風が吹かないため、この石に順風祈願をすると、石は二つに割れてさわやかな東風が吹き出し、出船できたというものである。
 長崎県壱岐市有安触


厳原八幡宮

厳原八幡宮

祭神、神功皇后 姫大神 他三柱
 神功皇后が三韓出兵の時に対馬に着船し、上県郡和珥の津より三韓に渡り、三韓を平げて凱還の時、清水山に行幸し、此の山は神霊の止まるべき山とし、神鏡と幣帛を岩上に置き天神地祇を祭り神籬磐境(ひもろぎいわさか)を定めた所という。
 長崎県対馬市厳原町中村字清水山