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仲哀天皇の熊襲親征に従った神功皇后は波静かな内海の洞海湾を進んだ。随行の武内宿祢が漁夫に命じ海底を調べさせると、神々しく光り輝く玉の石を抱き上げてきた。この石こそ海神が皇后の旅を守られるしるしの霊石であるとして、この地に奉られた。当神社のご神体である。
北九州市若松区浜町
初代神武天皇が筑紫から大和への東征に先立ち、ここに一年間留まったと「古事記」は記している。十四代仲哀天皇の妃である神功皇后は熊手出岬(皇后崎)に到るとき、ここを参拝したとする。古来よりここは海陸路の要所であり、洞海湾から遠賀川に通じる水路が当時はまだ残っていた。
北九州市八幡西区岡田町
祭神、大倉主命 莵夫羅媛命
仲哀天皇と神功皇后は海路で筑紫に入ろうとするが、山鹿岬より船が進まなくなる。岡の県主熊鰐の勧めで、大倉主命・莵夫羅媛命の二神に挨拶をすると船は進むようになった。二神は水神で神功皇后渡海の折も、神助があったので、皇后摂政二年五月午の日に勅を下して、ここに社を建て祭りをされた。
福岡県遠賀郡岡垣町高倉
祭神、神功皇后 仲哀天皇 武内宿禰
白山嶺からこの地に入った神功皇后は、松の枝に笠をかけて、その下で休んだとする伝説の地である。
福岡県宮若市下有木
祭神、応神天皇 神功皇后 武内宿禰
神功皇后は、この地で休憩したのち、見坂峠に至り、遥かに海原を眺められた。社殿は延喜二年(902年)の建立で、奥宗像郷の産神である。
福岡県宮若市山口
祭神、伊邪那美命 饒速日命 他三柱
神武天皇が東征のおり、山上の石に腰掛け四方を展望した「御腰掛石」が残っている。神功皇后は、神武天皇の故事に倣い、この地が勝れた霊山であるので祭祀の御座に藁筵を敷き熊野大神を招請して、戦勝を祈念された。
福岡県古賀市大字筵内
祭神、仲哀天皇 神功皇后
熊襲を戦って従わせるより、神を祀れば金銀宝石の多くある新羅の国を授けるとする神の神託を疑った仲哀天皇は、この地で急死する。神功皇后が自ら祠を建て、仲哀天皇の神霊を奉ったのが起源とされる。延喜式では他の神社と区別し「香椎廟」とある。
福岡県福岡市東区香椎