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筑紫倭国伝

帰路(2)



住吉神社(姪浜)

住吉神社(姪浜)

 神功皇后は三韓より帰国し、当地の付近に上陸し濡れた袙(あこめ=古代の肌着と上衣の間に着る衣の総称)を干して乾かしたので「袙ヶ浜(あこめがはま)」と言ったが、後に「姪浜(めいのはま)」になった。
 福岡県福岡市西区姪浜


帆柱石

帆柱石

 神功皇后の御座船の帆柱が石になったものといわれている。博多湾に流れ込む多々良川河口にあって、干潮の時に姿を現す。昭和9年に国の天然記念物に指定された珪化木である。
 福岡県福岡市東区名島


 


住吉神社

住吉神社

祭神、底筒男命 中筒男命 表筒男命
 全国2129社ある住吉神社の本社であり、筑前一の宮。神功皇后は三韓への渡航に際し、住吉大神の荒魂は水軍を導き、和魂は胎中の応神天皇を守り、刃を用いずに帰還できたのは住吉三神の神徳のおかげとし、住吉神社を創建した。
 福岡県福岡市博多区住吉


波折神社

波折神社

 神功皇后が三韓遠征から凱旋し、河原ヶ崎に祠を建てて祭りを行った。祭祀が終わり、皇后が杖を砂丘にさして休んだことから、この地を「杖さし」といったが後に「津屋崎」となった。
 福岡県福津市津屋崎


 


宇美八幡宮

宇美八幡宮

祭神、神功皇后 応神天皇 玉依姫命
 神宮皇后は新羅より帰国後、応神天皇をこの地で出産した。地名「宇美」の由来は「古事記」の記述がある。境内には三十余本の大樟があり、なかでも「衣掛の森」という大樟は目通り20mを超え、天然記念物になっている。
 福岡県糟屋郡宇美町炭焼


鎮懐石八幡宮

鎮懐石八幡宮

 「記紀」に記された鎮懐石を奉る神社。仲哀天皇崩御の時、懐妊していた神功皇后は、朝鮮半島渡航前に産まれそうになったので石を腰に巻いて渡航し、帰国後に応神天皇を生む。この石を奉る神社である。726年、筑前国守に命じられた山上憶良が詠んだ歌を刻んだ九州最古(安政六年建立)の万葉歌碑がある。
 福岡県糸島郡二丈町深江


ショウケ越

ショウケ越

 宇美で出産を済ませた神功皇后は、生まれたばかりの応神天皇をショウケに乗せて、この峠を越え、大分(だいぶ)に至ったことから、ここを「ショウケ越」と云うようになったというが「ショウケ」は「宗家(そうけ)」のこと。宇美八幡宮から大分八幡宮へ至るには、ここが最短距離である。
 福岡県飯塚市内住


うぐいす塚

うぐいす塚

 ショウケ越で大分に着いた神功皇后は、ここで軍勢を解散し、それぞれの故郷に帰らせた。これが「大分かれ」で大分の地名になったとするが、大分は「太傅」のことであり、筑紫王朝の「太傅府」が置かれた場所である。大分八幡宮の北東約1kmの所にある。
 福岡県飯塚市大分