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◆ カナヤマ日本の歴史ハンドブック。

     KANAYAMA’S JAPANESE HISTORY 

  HANDBOOK

 

 

 カナヤマ 日本歴史辞典 

 日本語版 

 見出し語 『 み 』

 No.2176。

 

 

#jpmenu     

メ ニュー (目次)。

 ■ 次の項目を選び、クリックして下さい。    

 

 □ 日本史 辞典 (総合)

 

□    ≪ 源 頼朝 ≫。

 

 □ 源 頼朝 関連年代順

    出来事

 □ 源 頼朝 年表 

 

          ● 事柄順。

 

 □ 見出し語 みな1

 

 

 みな  源 頼朝

               (みなもとの よりとも)。 《人名》。

              (生没年:

           1147年ー1199年)。

              (将軍在任:

           1192年ー1199年)。

           ■ 源頼朝の詳細な内容

          に関しては、

          □ 源頼朝ガイドブック

          □ 源頼朝 関連年代順 

             出来事ブック。     

          を参照してください。 

           ■ 源頼朝の鎌倉時代

          の詳細な内容に関しては、

           □ 鎌倉幕府ガイドブック。 

            □ 鎌倉幕府 関連年代順

                       出来事ブック

          を参照してください。 

          ○ 源 頼朝は、日本で

          最初に朝廷から独立した

          武家政権を創立した武士

          である。

          ○ 源 頼朝は、

           源氏政権の創始者であり

           鎌倉幕府の創立者、初代

           将軍である。

          ○ 源 頼朝は、 

          1185年の、守護・地頭

          の設置で、朝廷から政治

          の実権を奪う。

          ○ 源 頼朝は、 

           源義朝(よしとも)の三男 で

           ある。

          ○ 源 頼朝は、 

                 源義経の異母兄である。 

                   (⇒ 鎌倉幕府源氏政権)。

                   (⇒ 河内源氏清和源氏

           源氏)。

                   (⇒ 平清盛平氏政権)。

                       ■ 源 頼朝 (みなもとの よりと

               も、生没年:1147年ー1199

               年)は、 日本で最初に朝廷か

              ら独立した武家政権を創立した

              武士であり、 源氏政権(1185

              年頃ー1219年頃)の創始者で

              あり、 鎌倉幕府(1185年また

              は1192年ー1333年)の創立

              者、初代将軍である。

              ● 一方、平氏政権は、朝廷と融

              合した武家政権である。

                       ■ 源 頼朝は、 源義朝(みなも

              とのよしとも)の三男であり、 

              源義経( みなもとのよしつね)の

              異母兄である。

                       ■ 源 頼朝は、1185年の、守護・

               地頭の設置で、 朝廷から政治の

               実権を奪う。

                       ■ 源 頼朝は、 朝廷に組み込ま

              れないように、京(きょう、京都)か

              ら離れた鎌倉で、 朝廷から独立し

              て、 朝廷から政治の実権を奪い、

              新しい武家政権の源氏政権をつく

              る。

                一方、平清盛 (たいらのきよも

              り)は、 朝廷のある京(きょう、京

              都)で、 武士が貴族となり朝廷と

              同化することで、 朝廷から政治の

              実権を奪い、武家政権の平氏政権

              をつくる。

              ■ 源頼朝の直系子孫は、

               子6人・孫5人であり、 病死や

               政争の殺害死などで亡くなり、 

                              断絶する。

              ● 源頼朝の子たち は、 

               次の6人であり、源頼家以外は

               実子はいなかった。

              (1) 千鶴丸 (男子、せんつる

                  まる、

                  生年不詳ー1175年、

                  数え年3歳頃、殺害溺死)

              (2) 大姫  (女子、おおひめ、

                  1178年頃ー1197年、

                  数え年20歳、病死

              (3) 源頼家 (男子、みなもと

                  のよりいえ、

                  1182年ー1204年、

                  数え年23歳、暗殺死)

              (4) 貞暁  (男子、じょうぎょう、

                  1186年−1231年、

                  数え年46歳、病死)

              (5) 三幡   (女子、さんまん、

                  1186年ー1199年、

                   数え年14歳、病死

                 (6)  源実朝 (男子、みなもと

                  のさねとも、

                  1192年ー1219年、

                  数え年28歳、暗殺死)。

              ● 源 頼朝の孫たちには、

                源頼家の実子の5人がいる。

              (1) 一幡  (男子、いちまん、

                  1198年ー1203年、

                  数え年6歳、殺害死)。

              (2) 公暁  (男子、 こうぎょう、

                       くぎょう、

                  1200年ー1219年、

                  数え年20歳、殺害死)。 

              (3) 栄実  (男子、えいじつ、

                  1201年ー1214年、

                  数え年14歳、自害死)。

              (4) 禅暁  (男子、ぜんぎょう、

                  生年不詳 ー1220年、

                  数え年17〜19歳頃、

                  殺害死)。

              (5) 竹御所 (女子、たけのご

                                    しょ、

                  1202年ー1234年、

                                   数え年33歳、出産死)。

 

#mina1

 

〇 みな   源頼朝 関連年代順 

         出来事ブック(詳細)。

               (みなもとのよりとも かんれん

                ねんだいじゅんできごとぶっく)。

              《人物関連出来事》。

 

〇 みな   源 頼朝 年表 

              (みなもとの よりとも ねんぴょう)。

              《人物関連年表》。

           (⇒ 日本史年表) 。

 

 

  □ 日本史 辞典の 「み」 基本見出し語

     の先頭ページへ。  

 

 

 ◆  『 現在は、過去の成果であり、

    未来は、現在の成果である。 

 

 

 

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#jpdictionary(general)

 

◆ 日本史辞典

 

● 見出し語はグリーンでマークされています

 

□ 源頼朝のメニュー (目次) の先頭ページへ。 

□ 源頼朝(総合)ページへ

□ 日本史 辞典の「み」基本見出し語

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#mi

 

#minamotonoyoritomo

 

◆ 源 頼朝。  

    (みなもとのよりとも)。

 

■ 源 頼朝。 

 

■ 名称 : 源 頼朝 (みなもとの よりとも)。

 

■ 生没年    : 1147年ー1199年。 

 

■ 将軍在任 : 1192年ー1199年。

 

■ 源 頼朝は、

   日本の歴史を変えた政治家である。

 

■ 源 頼朝は、 朝廷から政治の実権を奪い、

   朝廷から独立した武家政権の鎌倉幕府を

   開く。

 

■ 源 頼朝は、

   鎌倉幕府の創立者、源氏政権の創始者 で

   ある。

 

■ 源 頼朝は、

   鎌倉幕府の初代将軍(在任 :1192〜99  

   年)であり、 河内源氏(かわちげんじ)の

   将軍である。

 

■ 源 頼朝は、 

   1185年(文治元年)の、守護・地頭の設

   置で、朝廷から政治の実権を奪い、自分

   の任命した武士を、全国に配置できるよ

   うになる。

 

■ 源 頼朝は、

   平清盛の樹立した平氏政権を倒す。

● TKKI カナヤマ著 日本史辞典 41438。

 

 

 □ 源頼朝ガイドブック

 

   ■ 源頼朝 (概要・ テーマ別

      各事柄)。

 

   □ 源頼朝の活動

      (流人生活、

      東国の平定、

      平氏政権と敵対し打倒、

      諸国に守護、地頭の設置、

      鎌倉幕府の創立、基礎作り、

      など)。

   □ 平安時代後期、鎌倉時代

            前期の政治・政権実権者

      の一覧表。

   □ 源頼朝の一族。

 

 □ 源頼朝 関連年代順 

    出来事ブック(詳細)。

 

 □ 源 頼朝 (概要・総合)

 

 

 ■ 源頼朝と同時代近くの関係資料。

 

  □ 鎌倉幕府ガイドブック

   □ 鎌倉幕府 関連年代順

      出来事ブック

 

  □ 源 頼朝 簡略年表

 

 

 

#minamotonoyoritomo/summary

 

 

◆ 源 頼朝(概要・総合)。

 

 

 ■ 源頼朝。

 

  ■ 源頼朝 (みなもとのよりとも、生没年:

    1147年ー1199年)は、

    鎌倉幕府を創立し、

    鎌倉幕府の初代将軍(将軍在任:1 192年

    〜1199年)となり、

    鎌倉幕府の基礎を築き、

    日本本土を支配する。

  ● TKKI カナヤマ著 源頼朝ガイドブック。 

 

 ■ 源頼朝。

 

  ■ 源頼朝 (みなもとのよりとも、生没年:

    1147年ー1199年)は、

    平安時代末期、鎌倉時代初期に活躍した、

    名門の河内源氏出身の武将であり、 

    朝廷と融合した武家政権の平氏政権を倒し、 

    朝廷から独立した武家政権の鎌倉幕府を創

    立し、

    鎌倉幕府の初代将軍となり、

    鎌倉幕府の基礎を築き、

    日本本土を支配する。

  ● TKKI カナヤマ著 源頼朝ガイドブック。 

 

 

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#minamotonoyoritomo-thebriefchronology

 

◆ 源 頼朝 簡略年表。 

     (みなもとのよりとも かんりゃく

     ねんぴょう)。

 

   ■ より理解を深めるために、当年表と近い

        時期 の日本史辞典の、

     『  鎌倉幕府 関連年代順出来事

       平清盛年表、 源義経 年、  

              平安時代末期年表。 』 

     も参照して下さい。

 

 ■ 記載参照史料。

 

   ■ 源頼朝関連の記載に関しては、

     当書は、 史実(歴史の事実)を記載してい

     るため、 一次史料(同時期記録史料)で信

     頼できる公家、武家、僧侶の日記などの史料

     を中心に記載している。

 

   ● 当書は、 北条得宗家・鎌倉時代後期編集

     の『吾妻鏡』(あずまかがみ)では、鎌倉北条

     氏に偏る部分については、記載では参考に

     していない。

 

   ● 当書は、 フィクションの『平治物語』、『平家

     物語』、『源平盛衰記』、『義経記』などの物

     語は、記載では参考にしていない。

 

 

 

◆ 源 頼朝 簡略年表。

 

 ■ 1147年   ● 1147年(久安3年)4月8日に、 

  (久安3年)     源 頼朝(みなもとのよりとも)が、 

              河内源氏の義 朝(みなもとの

               よしとも)の子(三男)として、誕生

              する。

                 頼朝の生母は、由良御前

              (ゆらごぜん)である。

 

 ■ 1159年   ● 1159年2月、統子内親王(むね

  (保元 4年)     こないしんのう、鳥羽上皇の次女、

              1126−89年)が、上西門院と

              女院号宣下(にょいん ごうせんげ)

              され、 源 頼朝は、上西門院(統子

              内親王)の蔵人(くろうど)に任命さ

              れる。

             ● 1159年3月、源 頼朝 (みなも

              とのよりとも)の生母・由良御前(ゆ

              らごぜん)が、死去する。

 

 ■ 1159年   ● 1159年(平治元年)12月に、

  (平治元年)      源 頼朝は、平治の乱(へいじのら

               ん、1159年12月9日〜27日)

                            では父・源義朝と共に、藤原信頼

              (ふじわらののぶより)方で参戦す

              る。 

                 しかし、藤原信頼方は、敗戦

              する。

 

 ■ 1160年   ● 1160年(永暦元年)に、

  永暦元年)    源 頼朝は、落ちのびる途中で捕え

              られ、京(都)の六波羅(ろくはら)

              へ送られる。 

              ● 1160年(永暦元年)3月に、

                 源 頼朝は、伊豆国本土(いずの

              くに・ほんど、静岡県東部・伊豆

              半島)に流される。

              ● 流人 (流刑者)の源 頼朝の監視

              役は、1160年から1175年まで

              の約15年間は、伊東祐親であり、

              1175年から1180年までの 約5

              年間は、北条時政である。

              

 ■ 1177年頃  ● 1177年頃、 源 頼朝が、

              自由恋愛で、北条 政子と婚儀を

              結び、正室夫人に迎える。

 

 ■ 1180年   ● 1180年8月、源 頼朝が、挙兵

              する。 

              石橋山(いしばしやま)の戦いで

              敗北する。  房総半島に逃れ、

              再軍備を図る。

             ● 1180年10月、源 頼朝が、鎌倉

              入りする。 鎌倉の大蔵御所

              を政治の拠点とする。

             ● 1180年10月、  富士川の戦い

              で、平氏軍は兵力差を知り撤退し、

              武田信義が率いる甲斐源氏軍と

              源 頼朝が率いる南坂東武士軍が、

              平氏軍に対し富士川の戦いで勝利

              を得る。 

                 以後、源 頼朝は、西上(せい

              じょう)せず、東国の安定確保に

              専念する。

            ● 1180年10月、 源 頼朝が、黄瀬

               川の陣(静岡県清水町)で、異母弟

              の源義経と会う (涙の対面を果た

              す)。

             ● 1180年11月、源 頼朝は、職制

             として、鎌倉に、 侍所(さむらいどこ

             ろ)を 設置する。

 

 ■ 1181年   ● 1181年(治承5年)2月 に、

  (治承5年)     平清盛が、死去する。

              平清盛は、 熱病で苦しみ、貿易

              立国の夢の実現を惜しみ、また、

              伊勢平氏の行く末の安泰(あん

              たい)を願い、死去する。

 

 ■ 1183年   ● 1183年7月に、平氏は都落ちし、

              義仲が入京する(義仲軍の略奪

              多発)。

             ● 1183年10月 に、後白河法皇

              (ごしらかわほうおう)が、義仲討伐

              を源頼朝に要請する。 見返りに

              寿永二年十月宣旨(せんじ)を出し、

              源頼朝の東国支配権を容認する。

             ● 1183年11月、源義経が、源頼

              朝の代官として、西上を開始する。

 

 ■ 1184年   ● 1184年1月に、源 頼朝が京(都)

              方面へ派遣した弟の源範頼(のりよ

              り)と源義経(よしつね)が、 源義仲

              (よしなか、木曽義仲)を討伐する。

             ● 1184年1月に、後白河法皇(ごし

              らかわほうおう)が、平氏討伐を源

              頼朝に要請する。 見返りに平家没

              官領(もっかんりょう)支配権を、源

              頼朝に与える。

            ● 1184年2月に、摂津(せっつ)

             の一の谷(いちのたに)の合戦が

             源平間で起こる。 源義経が活  

             躍し、源氏軍が勝利する。

            ● 1184年8月に、後白河法皇が、

             源頼朝(鎌倉殿)の推挙なしに、

             源義経を叙任する。 義経は、

             左衛門尉・検非違使に任官する。

             以後、源頼朝と源義経が対立する。

            ● 1184年10月に、源頼朝が、

             職制として、鎌倉に、公 文所(くも

             んじょ、後の政所)、問注所(もん

            ちゅうじょ)を設置する。

 

 ■ 1185年   ● 1185年2月に、讃岐(さぬき、四

             国の香川県)で、屋島(やしま)の

             合戦が源平間で起こる。  

             源義経が活躍し、源氏軍が勝利

             する。

             ● 1185年3月に、壇ノ浦(だんの

             うら)の戦いが源平間で起こり、

             源義経が活躍し、源氏軍が勝利

             し、伊勢平氏が滅亡する。

            ● 1185年10月に、後白河法皇が、

             源義経に源頼朝追討の院宣(いん

             ぜん)を発給する。 後に取り消す。

                 1185年10月に、義経は、

             後白河法皇に源頼朝追討の院宣

             (いんぜん)を要請し、源頼朝追討

             の宣旨(せんじ)が下る。 

                しかし、 義経の元に兵が集ま

             らず、挙兵に失敗する。 

                その後、義経は奥州・平泉

             (おうしゅう・ひらいずみ)へ逃亡す

             る。

            ● 1185年11月に、義経は、京(都)

              を落ちる。 その後、解官される。 

            ● 1185年11月に、源頼朝が、後白河

              法皇に、源義経追討の院宣(いんぜ

                        ん)を要求し、認められる。

              ● 1185年12月に、源頼朝が、後白

              河法皇に守護・地頭(しゅご・じとう)

              の設置の許可を要求 し、認められる。 

                頼朝は、1185年以後、職制とし

              て、地方各地に、守護や地頭をおく。

              ● 源頼朝が、1185年に従二位叙任

              される。

            ● 源頼朝は、1185年に、職制として、

             京都守護と鎮西奉行(ちんぜいぶぎ

             ょう)をおく。

 

 ■ 1189年   ● 1189年(うるう)4月に、源頼

               朝は、奥州藤原氏の藤原泰衡(ふ

              じわらのやすひら)に源義経追討

              を要求する。

            ● 1189年(うるう)4月に、 藤原

              泰衡は、衣川(こ ろもがわ)の戦

                     いで、源義経を自害に追い込む。

             ● 1189年7月、源頼朝は、後白河

              法皇に奥州藤原氏追討の院宣を

              要求する。 認められず。

             ● 1189年9月、源頼朝は、奥州を

              平定し、奥州 藤原氏が滅亡する。

             ● 1189年に、源頼朝は、職制とし

              て、奥州総奉行(おうしゅうそうぶぎ

              ょう)をおく。

 

 ■ 1190年   ● 1190年11月に、

              後白河法皇は、源頼朝を権大納

              言・右近衛大将(ごんのだいなご

              ん・うこのえたいしょう)に叙任する。 

              後に両官を辞任する。

 

 ■ 1191年   ● 1191年1月に、源頼朝は、職制

               として、鎌倉に、公文所に代わり、

              政所(まんどころ 、前右大将家政

              所)を開設する。

 

 ■ 1192年   ● 1192年(建久3年)3月に、

  建久3年)     後白河法皇が、崩御(ほうぎょ、死

              去)する。

 

            ● 1192年(建久3年)7月に、 

              鎌倉幕府(かまくらばくふ)が、

              名実ともに、成立する。

            ● 1192年(建久3年)7月に、

              源頼朝が、征夷大将軍となる。

 

 ■ 1198年    ● 1198年12月27日に、源 頼朝

              は容体が悪くなる。 

 

 ■ 1199年   ● 源 頼朝が、容体が回復せず、

  (建久10年)    1199年(建久10年)1月12日に、

  (正治 元年)    死去する。

 

 

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 『 あなたのハートには 

   何が残りましたか? 』。

 

 

 

以  上。