国境なきサラリーマン の ![]() |
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2012年 | 2012年12月05日 人生31回目の日本脱出は、片道切符の旅になった 転勤により、中華人民共和国 江蘇省 常州市に移住 外国人用のアパートを借り上げてもらい、海外生活をスタート 西に徒歩15分で勤務先会社 南に徒歩15分で大型スーパーマーケット 東に徒歩15分くらいで、日本料理店・居酒屋・日本食材店が立ち並ぶ街区 北に徒歩15分ほど歩けば、リビング用品店等があるようだが、とりあえずは南のスーパーマーケットで事足りる 海外赴任手当は、けして悪くはないが、節約のため、、、と、言うよりは、この国にドップリ浸る為、原則自炊を決行 強い意志の元ではないので、適度に外食 自炊買い出しも外食も、少し歩けば、どこかに行きつくロケーション |
12月 | ||||||||||||||||||||||||||||
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2015年 | 1月 | 2月 | 3月 | 4月 | 5月 | 2015年5月25日 駐在完了 5月26日帰国移動 |
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かくして、人生で唯一の経験となるであろう海外駐在は2年と6ヶ月で、無事に後任に仕事を引き継ぎ、日本に戻る事となった。 フタコトで言えば、良い仕事ができたし、生活する上で中国は楽しかった。 少し言葉を覚えてしまえば、それなりに不自由はあるが大きな困難は無く、買い物や移動も自由にできる。 購買意欲を掻き立てる物品は多くない。 食材を含め多くの物は、同品質であれば日本より少し安い程度だし、電化製品や耐久消費財は日本よりも割高感が有る。(駐在初期の13円/元の時ですらそうなので、現在の19円/元では言うに及ばず。 よって私は、必要になった衣類や靴、電化製品などは基本的に、日本への一時帰国時に補充した。 観光資源は半端なく豊富な国である。 駐在中に私は、
などなどを国内旅行したが、各々に、そこだけを見るために海外から中国を訪れても惜しくはない魅力が有り、地球の歩き方ではスルーされている赴任地の常州ですら、春秋淹城など見どころは少なくない。 2015年時点での中国は、(一部例外はあるものの)ホスピタリティー面では立ち遅れており、そのおかげで(?)日本も欧米文化圏などからの海外観光客誘致には互角に戦ってはいるが、 中国が欧米人にとって旅行がしやすい国になったら、東アジア文化圏に関心のある旅行客の多くが、中国に流れてしまうのではないかと懸念するほどである。 国民性も日本で評されるほど酷くはない。 私の行動半径が日本を軸に動いていたからでもあるが、反日感情を持つ人には殆ど出会わなかったし、日本に対して憧れを抱いているような気配を感じる場面も少なくはない。 公共マナーは悪いが、日本とて外部の評価ほど大したレベルではないし、南アジアのように物乞いが目立つ訳でも無く、多くの場所では治安上の不安も無い。(個人的にはヨーロッパの方が恐いくらいだ) 仕事上の信頼関係や友情を築く上でも致命的な弊害は無く、多くの共通する文化基盤を持っている事は大きなアドバンテージである。 面白いことに日本の新人類世代(現在の40〜50代)と、中国の九十后[ジュウリンホウ](現在の20代半ばまで)は、センスが似ていると感じた。 ともに大きく自国の経済が成長し、自分の親と時代背景が隔絶した豊かな消費文明の第一世代として成長期を過ごしているためかもしれない。 ともあれ、食文化が近い影響も多大であるが、日本人が海外で生活する上で、中国はもっとも馴染みやすい国の一つではないだろうか。 2015年 6月 5日(移住からちょうど二年半) |
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