更新記録と日記

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2008/7/5

 アメリカのピアニスト、レナード・ペナリオ氏が亡くなられました。享年83歳。私はそう多くの録音を持っている訳ではありませんがラヴェルの「ラ・ヴァルス」やシュルツ・エヴラーの「青きドナウ」の編曲、ペナリオ自身の編曲による「皇帝円舞曲」「シェルブールの雨傘」などを聴くといかにもアメリカらしい華麗流麗な演奏であると思います。反面「技巧だけの無内容」「低俗」という批判もあったようです。確かにセミ・クラシックというかライト・クラシックといった感じを受ける面もありますが、その確かな技巧と音楽性は決して安っぽいものではありません。「エンターテイメント」は「芸術性」がない、と云う風潮は音楽だけ出なく文学、映画あらゆる分野に共通する偏見のように私は思います。久しぶりにペナリオの弾く「ラ・ヴァルス」、「シェルブールの雨傘」を聴きましたが眉間に皺を寄せ深刻に顔を歪める演奏家が多い現在、このような大らかに余裕を持った演奏をする「大時代」の「大ピアニスト」の時代は確実に終焉にさしかかっているといえるでしょう。
 謹んでご冥福をお祈りします。

 ところでペナリオにはオリジナル作品(映画音楽)を含む編曲などが残されています。手元にあるものは「皇帝円舞曲」楽譜のみですがまさに暴風雨吹き荒れる「シェルブールの雨傘」や「真夜中の断崖」などが残されています。そのスジでは有名なマニルディ氏が「真夜中の断崖」を録音しています(楽譜はあるということですね……)。「シェルブールの雨傘」の採譜は出ないものでしょうか…。

 7月3日、大阪のB級グルメツアーと題して串かつ、駄菓子や、レトロ雑貨屋、韓国料理これらの雑多なものが大阪の中心部梅田から天満駅までの一駅間に密集しておいります。同行頂いたO女史、Mくんもご満足頂けた様でよかったです。韓国料理屋でヴァイオリニストのSさん、オタッキーさま、声楽家のKさんと最終的には濃いメンツが集まりました。
 みなさま私の至らぬ企画でしたがお楽しみ頂けましたでしょうか。
 次回は「大阪のヴェニス イタリアンツアー」「大阪の沖縄 大正界隈」「天満屋台バーめぐり ワインからお好み焼きバーまで」などなどど〜でもいいような企画はどんどん出てきます。よろしければまたお付き合いくださいませ。

2008/7/1

 「万里の長城杯コンクール」受賞者披露演奏会、無事終了しました。演奏の方は好評だったようでよかったと思います。ピアノの状態がかなり悪いというように聞いていたのですが、少々扱い難かったものの特別悪いという訳でもありませんでした。そりよりも待ち時間が長い!3時間以上待ちました(^^;緊張感が持続出来ないです。反面、舞台に立つ直前に急に不安になったりします。こう云う時、私は「自動的に指は動く」と考えるようにしています。そうでも考えないと不安でしょうがないです(^^;
 このような制限時間が設けられている演奏会ではやはり時間を守らなければいけません。これは常識です。

 終演後ヴァイオリニストのSさん、聴きに来て頂いたOさん、Nさんとインド料理店へ。本格的なインド料理(いや、パキスタン料理だったか…)を食べるのは何年ぶりでしょうか。食後飲みに行って12時ごろ帰宅。私には珍しく健康的な打ち上げでした。

 気がつくとカウンターが130000を突破。このような独り言のようなHPに来ていただきありがとうございます。キリバン取られた方はご連絡頂ければ粗品を進呈致しますm(_ _)m

2008/6/14

 本日(13日)は所用で西宮へ。阪神西宮の商店街に戎座人形芝居館が明日開館するそうです。なかなか面白い企画があるそうなので一度足を運んでみたいと思います。

 久しぶりにYou Tubeで見つけたナニ、です。コンフリーの自演などを聴いていたのですがたまたま某メーリングリストで色々な映像を教えていただき堪能させていただきました(^^中でもT氏からご教授いただいたRosario Mastroserioの演奏。「リベルタンゴ」「黒いオルフェ〜エル・チョクロ(おそらくベサ・メ・ムーチョの間違い)」などが聴く事が出来ます。高度のピアノ技法と書法(即興ぽいですが)が結びついた演奏です。私は「リベルタンゴ」もですが「黒いオルフェ」の楽譜があるものなら見てみたいです。この人は他にも編曲もしてそうです。「ひまわり」とか「ロシュフォールの恋人たち」なんか編曲してくれると嬉しいのですが。
 チェルカスキーの弾くホフマン「カレードスコープ」。相変わらずというか、上手いです。チェルカスキーの死をもって大ピアニストの時代は終わったも言われるのも頷かれる貫禄です。
 Anderson & Roe Piano Duoによる「リベルタンゴ」。連弾ですがなかなかトリッキーな演奏で引き込まれます。このデュオは他にもサン−サーンス「白鳥」や「スター・ウォーズ幻想曲」などの演奏を聴く事が出来ます。いやぁ映画って本当にいいもんですねぇ。

 水野晴郎氏が逝去されました。在りし日の氏の姿はこちら。私が子供の頃はテレビの映画番組が「映画を見る」ことでもありました。それぞれ個性的な映画解説者がそろっており、今思うと大変贅沢であったと思います。3月には声優の広川太一郎さんも逝去されなんともさみしい感じがします。広川氏の天才的吹き替えはこちらを見ていただけばご理解いただけるでしょう。ムーミンのエンディグも歌っておられます。歌詞どおりに微妙に歌っていないのがすごいです。

2008/6/10

 7月18日の喫茶アマデウスでの演奏会はベートーヴェンからラグタイムまでビールかワイン片手に気軽に聴いて頂きたいと思っています。「悲愴」やリストの「ソナタ」をビール片手に気軽にというのもなんですが、あまり構えなくてもよいと思っています。音楽にはその場その場の楽しみ方があります。ホールで一瞬の間の緊張感に戦慄するのも、ビール片手に楽しく聴くのもどちらが悪いと云う訳ではありません。聴衆が気楽に聴いているからといって演奏者が気楽と云う訳でもありません。かといって演奏者が構えすぎるとやはり聴衆も構えてしまいます。この辺はまさに「場の空気」の問題でバランスは難しいところです。

 コンフリーの曲を演奏するにあたって色々な演奏を聴いたのですがやはりコンフリー自身の演奏が一番面白いです。「Kitten On The Keys」ではピアノロールはおそらく色々と手を入れてまさにロールそのものが「作品」といった感じがあります。SP盤の演奏はなんとも言えない楽しさです。こういったリズム感やノリはなかなか難しいのですがじっくり楽譜をみて考えています。コンフリーの作品は90数曲、電話帳のような楽譜に纏められ、中には子供用の作品や歌曲も収められています。「Kitten On The Keys」は当時大ヒットしたので歌のバージョンもあり当時の流行を伺う事ができます。コンフリーの作品は書法がしっかりしているのが特徴の一つでしょう(本人の演奏は完全にラグピアニストのものですが)。そして何より楽しい作品ばかりです。また「演奏会用練習曲」や「幻想曲」といったクラシックを意識したものやチャイコフスキーの交響曲の編曲なんかもあり、なかなか不思議な音楽家であります。アントン・ルビンステインの「へ調のメロディ」の編曲では彼好みの3+3+2のリズムで編曲されています。これが難しいのですが結構なテンポで弾くとかなりノリのいい曲でしょう。

 明日は仕事先の人とビアガーデンへ。練習もしなくてはいけないんですが…(^^;

2008/6/3

 忙しさに感けてご無沙汰の更新ですが今月は頑張っていきたいと思います。

 まず7月18日午後18時30分からの神戸元町喫茶アマデウスの演奏会情報。プログラムは
L.v.ベートーヴェン
   ソナタ 作品13「悲愴」
Z.コンフリー
   Humorestless
   Dizzy Fingers
   Romanza
   Kitten On The Keys
F.リスト
   ラ・カンパネラ S141-3
愛の夢 第3番 S541-3
   ソナタ S178

 ベートーヴェンからラグタイムまで気軽に聴ける内容です。入場料2500円でケーキとお茶がついてきます。

 先日加古川ピアノ会の発表会がありOさんとドヴォルザークの「新世界」交響曲の連弾版の4楽章を弾いてきました。この編曲は作曲家本人によってなされており非常に良く出来た編曲になっています。無理の無い編曲でピアノ曲として自然に聴こえます。テンポ上の問題としてゆっくりな部分と速い部分の設定がありますがこれはオーケストラ作品の編曲であればついて廻る問題です。この問題の解決案の糸口を探るのはなかなか難しいところですが今回の演奏では比較的納得いく演奏が出来たのではないかと思います。これは編曲の良さもあるのですが…。

 レコード半額市へ。予算3,000円で物色しましたがヒンデミットの室内協奏曲集3枚、ヴァンガード盤のP.D.Q. バッハ2枚、デシャーブルのショパン練習曲などを購入。3,000円を少し出てしまいました。P.D.Q. バッハの解説はこの手のレコードではお馴染みの和田則彦氏。内容は冗談音楽には違いないのですがやや「出来が良すぎる」といった感じもしないではありません。もっと馬鹿馬鹿しい遊びがあってもいいかもしれません。
 さて余談ですが和田則彦氏には少なからず自作作品があってこれがどれも話を聴く限りとんでもないものばかりです。ベートーヴェンのソナタの冒頭部分のみを集めて構成された「目次録ソナタ」、ピアノとオケによるハチャメチャ協奏曲「ウェーバーの主題による交狂的変容」、そして5000発ものおならをサンプリングしたという「ワンダープーランド」…。どれも聴いてみたいです。しかし驚くべきはこの「ワンダープーランド」東芝EMIからレコードが出ていたんです。私は見たことないんですが。是非手元においておきたい1枚です。

2008/5/16

 先日金澤に在住の友人Mさんを囲んで飲み会をしました。なかなかの文人であるMさんのお話は興味深くまた示唆ある所で楽しい飲み会でした。加えて金澤という土地にますます興味を覚えました。是非訪れてみたいところです。

2008/5/3

 久しぶりに「暗譜に関するひとこと」に加筆。

 来る7月18日午後6時30分より神戸元町喫茶アマデウスで演奏することになりました。曲目は
ベートーヴェン ピアノソナタ作品13「悲愴」
リスト 「愛の夢3番」「ソナタ」
 の予定です。詳細は決まり次第アップしていきます。

 世間は連休ですが私は毎日が仕事のようです。実際仕事なんですが(^^;

2008/4/19

 関東の友人から久しぶりの電話。話題がLPの話になり、最近CDよりLPの方をよく買っているとの由。私もおそらく年間を通じてみれば購入するのはLPの方が多いと思います。理由はCDより値段が安い、CDになっていないものがある、そしてLPが好きということがあげられます。勿論現行の新譜、アムランの新譜はLPで出る事はないでしょうからCDを買いますが昔の録音などはCDで持っていても中古屋でLPを見かけると気にいった演奏であれば買ってしまいます(勿論値段が許せばですが)。LPの方がCDより音がいいとか周波数がどうとか色々論議されていますがそんな事は私は別にどうでもよく結論から言えば「LPが好き」という一言に尽きます。傷つきやすい盤面、手間のかかる針圧調整など手間のかかる事の多いLPですが音楽を聴くと云うことはその手間が必要な気がします。演奏会に行くのであればチケットを買い席を確保し雨が降っても会場に赴き演奏を聴く訳です。CDを片手で放り込んでボタン一つで聴くのと手間が違います。人間とはいい加減と云うか現金なもので手間がかかればその分しっかり鑑賞するものです。私はCDは当然持っていますががMDは持っていません。アイポッドとかいうものもあれば便利なのでしょうが別に欲しくも無いですし必要も無いと思っています。時代遅れで頭が硬いのかもしれませんが「音楽を聴く」ということは少々の「手間」があってこそじっくり聴く事が出来るのではないかと思う今日この頃です。

 両親に自作の真空管アンプと塩ビ管スピーカーを聴いてもらいました。反応は「凄い」とのこと。特にスピーカーの能力に吃驚していました。フルレンジ(一つのスピーカーユニットで全音域をカバーする)ユニットで出る音とは思えないようでした。スピーカーの設計上の課題は色々ありますが一つにはその共鳴する箱の容積があります。その容積を確保するために様々な工夫がされているいる訳ですが長岡鉄男氏の「スワン」のような凝った作りのものはメーカー製のスピーカーにはありません。そして塩ビ管スピーカーのようなものも無い訳です(バズーカやYoshii9とかはありますが)。私の自作のスピーカーもおそらく容積は普通のスピーカーよりはあるでしょう。音の良さはまぁ別にして、その臨場感はなかなかのもがあると思います。そして私の両親いわく「上品な音」ということです。自作オーディオ派にとって嬉しい一言です(^^。
 私のシステムは真空管アンプ(制作費2万円ほど)と塩ビ管スピーカー(制作費1万円ほど)、ケーブルBelden8412(制作費500円ほど)とチャチなものですが鑑賞には十分耐えうるものです。低価格オーディオオカルトですな(^^;

2008/4/9

  自作の8B8シングルアンプですが程良くエージングされてますます良くなってきています。というのは自作ならではの依怙贔屓ですが、真空管アンプと云うものはその見た目のノスタルジックな感じからは想像も出来ないほどクリアで張りのある音であります。未だに熱烈な真空管ファンがいるというのも頷かれることです。性能の面だけを見れば絶対に半導体アンプには勝てない筈ですが聴き疲れしない音の感じ、演奏の空気までも伝えてくれるような再現性には驚かされます。尤もこれは私が、しかも自作のアンプを聴いて感じていることですから多分に私情が挟まっており当てにならないものです。半導体アンプの音がどうしようもない悪い音なのかというとそんな事はありません。
 ちなみにケーブルはBelden8412、1万円近くするケーブルで…というのはウソで私がケーブルとRCAプラグを買って作ったものでせいぜい500円くらいで作ったものです。更にはLANケーブルをばらいて中の単線(二本がよじってある)を使ったケーブルも使ってあります。「シールドなしRCAケーブル」な訳ですが場所によってはノイズを拾うの使えません。しかしそのストレートな音はBelden8412(といってもこちらも自作ですが)とは違う魅力があります。科学的にはケーブルによって音質が変わる事は証明されていないそうです。しかし私の駄耳には変化して聴こえます。これは実際にやってみないとわからないものです。やってみて「変わらない」と思う人もいるでしょうし「変わった」と思う人もいるでしょう。そのケーブルにどれだけ重きを置くかは個人の問題です。私は数万円もするケーブルを買う気はしません(というか手が出ないだけです)が、自分で作って聴いてみるくらいの事はします。100円ショップのRCAケーブルが聴くに耐えない音なのかというとこれもそういう訳ではないと思いますが。

 さて前置きはこれくらいで最近試聴したCDから。
 アルヒーフのリヒターのバッハ「音楽の捧げもの」「フルートソナタ集」。やはりアンプの規模からしてこのような室内楽が最もよくあっているように思います。活き活きとした各楽器の動きやその典雅な演奏スタイルは改めてリヒターと云う音楽家の偉大さを認識させられます。
 グールド「未完のイタリアアルバム」。グールドの未発表録音を含むバッハ、C.E.バッハ、スカルラッティなどが収録されています。バッハでも「マルチェロオーボエ協奏曲」のバッハによる鍵盤楽器編や「イタリア風アリアと変奏」「幻想曲ハ短調」と珍しいものも含まれています。マイクが近いせいもありグールドの録音もはっきりとした音がします。和音のアルペジオなど思わずハッとするような表現もあり改めて感心しています。はっきりとペダルの踏んでいる箇所と踏んでいない箇所がわかるのも色々と勉強になります。グールドの歌声も生々しく再現されています(^^
 アムラン「カレードスコープ」。私が最も好きなアムランのアルバムの一つです。このマニアックで思い入れの強そうな曲目、演奏共にアムランの魅力が存分に出たアルバムであると思います。音像はグールドに比べるとやや遠いですがそのクリアで上品且つユーモラスなアムランのピアノを堪能できます。特にホフマンの「夜想曲」のような平易な曲でのアムランの細やかな心配りはピアニストとして大変学ぶところがあります。
 映画「カジノロワイヤル」のサントラ。最近製作されたものではなく勿論1967年版です。私にとって「カジノロワイヤル」はこの映画しかないといってもいいです(^^;バート・バカラックによるビッグバンド、ハーブ・アルパートのトランペットとゴージャスなサウンドの筈なのですが録音のかげんかその響きは室内楽のようでなかなかいい感じで聴く事が出来ます。ダスティ・スプリングフィールドによる「愛の面影」も生々しい歌声です。ヴォーカル(特にジャズヴォーカル)の再生に関しては真空管アンプマニアの間では侃々諤々、この程度で「生々しい」などと書くと怒られそうですが…。
 ホロヴィッツ「アンコール」。聴いていて驚いたのがモノラル録音の力強さ、生々しさです。再生は勿論ステレオでモノラル音源を再生している訳ですが、モノラル再生マニアがいるのも少しわかるような気がしました。ステレオ再生に於ける楽器は言ってみれば二本のスピーカーの間に生まれる「幻影」です。しかしモノラル再生に於いては一つのスピーカーから出てくるまさに「実体」を持ったものです。大阪のバー「カザルス」で蓄音機を聴いた時に実に感動したのですが、これは78回転による情報量に加え、その蓄音機と云う木製の箱によって絶縁された一つの個体から音が出てくるということが大きいようです。「蓄音機と云う楽器」などと言いますがこれは強ち間違いではないようです。

 自作の真空管アンプで音楽を聴くのは楽しいものです。しかし内部では280Vもの高電圧がかかっています。電流量は少ないので死ぬ事はないかもしれませんが高圧部に触れれば激しく感電しますし、電源をつけっぱなしで放っておくと火が出るという自体は十分考えられます。メーカー製品ならそんな事はないでしょうが、自作では安全管理も自己責任でしなければなりません。アンプを作り出して電源を切る(機械個体だけでなく)のが習慣になったのはいい事ではあると思います。ただ飲みながら音楽を聴いてそのまま寝てしまうという堕落的な快楽を手放さなくてはいけないのはちょっと寂しいですね(^^;

2008/4/5

 6月28日尼崎のピッコロシアター大ホールにて「万里の長城杯コンクール」受賞者披露演奏会に出演する事になりました。ドビュッシーの前奏曲集第2集から「カノープ」「交代する三度」「花火」ともう一曲弾く予定です。

 Booksに芥川龍之介「邪宗門」を追加。

 真空管プリアンプの構成が大体決まりました。と、偉そうに書いていますが丸々作成例のコピーです。ただトランスやコンデンサなどは指定の物が入手困難だったりと幾つか変更しています。このような融通がきくようになったのは少し進歩したのでしょうか(^^プリアンプはノイズに非常に敏感なので不安もありますがものは試しに作ってみたいと思います。尤も完成はいつになるかはわかりませんが…。

2008/3/30

 真空管アンプですがかなり注意深く作ったので動作も安定して私の作ったアンプとしてはよく出来たものだと思います。ただやはり2段構成のシングルアンプなので増幅率が低いのが気になります。以前から使っているオペアンプを使ったプリアンプをいれると問題は解決しますが、ここは真空管プリアンプが欲しくなるのが人情です。またプリアンプを通さない真空管だけの増幅の方が音の感じはいいです。これはかなり微妙な問題でどちらの音が良いかというのは愚問で趣味の問題でしょう。真空管アンプの方が半導体アンプより音がいいという訳でもないでしょうし、その逆もしかりです。以前は私もいわゆるブラインドテストはどんどん行うべきであると考えていました。勿論今でも自分の耳を信じるべきであると思いますが、ブラインドテストには大きな落とし穴があると思います。最終的には音の良い、悪いは個人の趣味、好みへと収斂されてしまうからです。ブラインドテストでどちらが高級オーディオ、安物(言葉は悪いですね)か中てさせるような記事を見かけますが、これもあまり問題として成立っていないように思います。「どちらの音が好きか」という個人的な問いは意味があると思いますが「どちらの音が良いか」という問いは意味があるのかどうか判りません。「良い音」といっても「厭味の無い良い音」とか「味付けされたゴージャスな良い音」とかひょっとすると「嫌いだが良い音」なんて感想もあるかも知れません。嫌いだが良い音のオーディオは私は使わないでしょう(^^;

 そしてオーディオ製品の値段というのは内容と比例はしていないということも考えなくてはなりません。例えばルイ・ヴィトンのかばんは非常に高価です。勿論材質、アフターケアや製品の頑健さなど価格に反映される部分もありますが、その価値は「他ならぬルイ・ヴィトンである」という事によって大きくなります。「かばん」という機能だけがその製品の価値を決定しているわけではありません。このことは洋服やオーディオ製品などにも当てはまります。ボードリヤールが分析したように私達は価値の体系を消費しているのであって物々交換のような世界では生きているわけではないのです。ボードリヤールは「(先進国に於いて)生産は終わった」と書いています。これはかなり極端であると私は感じますが、やはり現代の私達の消費のある側面を描いているとは思います。
 オーディオに於いても「他ならぬ〜製品」は高くなって当然なのです。またその機構内容を換算して価格が高すぎると言うのもおかしな問題です。私は出来るのなら自作しますがそれに満足するかメーカー製の良いケースに収まった美しい製品に満足するかは個人の趣味の問題です。

 さてとり憑かれたように聴きまくっているのですがやはりオーケストラはプリアンプが無いと少々物足りないですが室内楽、ピアノソロなどはプリアンプなしでも十分に楽しめます。特に弦楽四重奏などは今まで聴いてきた半導体アンプに比べクリアさと聴き疲れしない音で大変美しいです。はっとするような部分もありやはりオーディオは奥深いものであると思いました。別に何十万もかけなくとも「自分の好きな音」を見つける努力、それは色々な製品を試聴していく事や自作して行くなどの方法を通して探していくと云うのが「高音質」への道であるのではないでしょうか。

2008/3/27

 念願であった真空管アンプが完成しました。この2、3日かけて一気に作りました。やはり一番の難物はケースの加工。結構大きなミスをした事に気付いた時は本当に諦めようかと思うくらい大変な作業でした。しかしそこは素人工作の強み、強引に修正して何とか完成にこぎつけました。音出しも一発OK。懸念していたハムノイズも拾わずちゃんとなってくれています。今までのキット、オペアンプ工作の経験のおかげでしょうか。とは言え電源部のチェック時やはり電圧280Vを測る時は緊張しました。幾ら小電流とはいえ一歩間違えば大変危険ですし、生死とまでいかなくても強烈に感電します。幸い感電することなく完成する事が出来ました。細かな測定は明日にまわし今はただ出て来る音を楽しんでます。

 思えば2年ほど前サンスイのアンプの不調から始まった自作オーディオでしたが当初の予定は真空管アンプでした。しかしケースの加工に挫折しもっと楽に作製できるデジタルアンプのキットやオペアンプによるプリアンプを作っていましたがやはり自分の手で真空管アンプを作ってみたいという思いはずっとありました。今日やっとその真空管アンプ、といっても僅か出力2Wほどの初心者向けのものですが、を完成し音が出ているのは感慨深いものがあります。
 作例は有名な真空管6BM8によるシングルアンプ。ネットでも沢山の作例が見る事が出来ますし入門用のキットもあります。
 実際に私のアンプにささっている真空管は8B8です。厳密にはヒーター電圧を変えなくてはいけないのですが2V弱の差であり東京の真空管専門店のおじさんも「6BM8と差し替えても大丈夫」といっていたのでよしとしました。そもそもこの8B8を買ったのがレジに6BM8を持っていくとそのおじさんが「8B8の方が低ノイズでいいよ、絶対。リピーターも多いよ」と勧められたので買ったものです。私は真空管の個々の癖などは良く判りませんし第一6BM8の音を聴いた事がないのでなんとも言えませんが、まあそう仰るのですからそうなのでしょう。ちなみに6BM8と8B8は同じ値段でしたから特別「売りつけた」という不信感もありません(8B8は人気の無い真空管なので在庫一掃したかったのかもしれませんが)。

 さて音の方ですがはっきりいってビックリしました。真空管が独特な音を出すというのは聞き知っていましたし、またオーディオ店で試聴もしたもないわけではないのですが今まで聴いていたオーディオICによる音とはまったく違います。私の駄耳で聴く限り真空管アンプの方が自然です。自然という点では随分部品を交換したトライパスの「TA2041」も生々しい音を聴かせてくれました。しかし真空管アンプの音はなにか聴き疲れしないと言うか、耳に優しい響きをします。だからといってぼけた様な音なのかといえばそうではありません(尤もこれはベテランのアンプビルダーが聴くとボケきっているのかもしれませんが)。少なくとも私の聴感上ではしまりのある発音の良い音です。これは真空管以外の抵抗やコンデンサにもよるかもしれません。この真空管、出力トランスのレベルに比べ随分贅沢な部品を使っています。といっても勿論通常より安価で買う事が出来たからです。Daleの抵抗などは半導体アンプの部品交換でその能力を知っていますので是非とも使ってみたかった部品でした。

 なおオーディアIC、オペアンプの名誉のために書いておくと私が専らこれらの機材を起動していたのはスイッチング電源、ACアダプターでした。電源部をもっとしっかりとしたトランスで構成すれば音の感じはまた変わるものであると思います。実はこれらのトランスも手元に揃えてあるのですがなかなか組み組む事が出来ません。自作オーディオで尤も金のかかる部分、それはトランスをはじめとする電源部ですがそれと同じかそれ以上にかかるのがケースなのです。

 真空管アンプはアナログデバイスならではのいい加減な部分があります。今回の私のアンプにしても本来電圧8Vをヒータートランスをかけねば本来の特性を出さないはずですが6BM8用に設計された6.3V で動いています。聴感上はまったく問題ありません。
 しかし本当に良い音です。大オーケストラの大音響は少々きついかと思いますがそれもで夜小音量で聴く際には十分の音質であると思います。まぁ、自分で作ったアンプはミスから歪んだ音が出ていても「味」のある音であると満足すほどなのですが…。

 しかしこうなると次ぎは真空管プリアンプが欲しくなります。私は普段レコードを聴くことも多く、また自他ともに認めるプリアンプ好きなのでぜひとも作ってみたいです。また1年計画で作ってみますか(^^;

2008/3/25

 ペルレの前川さんのご厚意でファッツィオーリの最大モデルF308を試弾させていただきました。日本に2台しかないというピアノで以前ファッツィオーリの展示会では弾くことができなかったので非常に楽しみにしていました。調律師のM君と前川さんとお知り合いの方の4人で楽器店へ。
 さてF308ですが長さが3メートル8センチもあるので大きいです。弾いてみると実にストレートな艶やかな音がします。ラフマニノフやリストのソナタなどを弾いてみましたが低音の響きの豊かさや中音域の発音の良さ、高音域の煌びやかな音色など実の能力の高い楽器であると思いました。強音でもまだ余裕があり実に安心できる響きです。前川さんが「コントロールが難しいと仰る人もいるのですけど」と言われていましたがコントロールが難しいのでは無くコントロール出来ていないというのが本当の所であると思います。
 このピアノには「第4ペダル」がついています。これがまた非常に興味深いものでこのペダルを踏むとハンマーが少しあがります。つまりハンマーと弦の間が短くなる訳です。これによって音色が変わりますが、ソフトペダルと違い3本の弦を打弦するので音の艶は変わらないという不思議な効果が出ます。実験的にリストのソナタの331小節からを「ソフトペダルだけ」「第4ペダルだけ」「ソフトペダルと第4ペダル」の3種類弾いてみました。私の感じでは「第4ペダルだけ」が音色を変えながらも音雄の抜けが良くいいように思いましたが「ソフトペダルと第4ペダル」の併用も良いかもしれません。尤もこの時は右足はダンパーペダル、左足は第4ペダルとソフトペダルを一緒に踏まなければならないので少し足が大変です。
 ドビュッシーの前奏曲でもダイナミクスの差も各声部の分離も非常に明快です。最後は少し練習しているロイブケのソナタのコーダを弾いてみましたがこういう低音オクターブの連続するような曲ではこのピアノはその能力を特に発揮するようです。低音部の鳴りも素晴らしいですがそれに埋もれてしまわない中音域や高音域の音も素晴らしいです。
 是非ともこのピアノを使って演奏会が出来ればいいな思いました。

 帰りに前川さんが「F308を日本で弾いたピアニストはチッコリーニとアンジェラ・ヒューイットと鈴木謙一郎さんと八木さんの4人ですよ」と仰ってましたが私をこの中に並べるのは如何なものかと…恐れ多いです(^^;

 4月18日20日東京オペラシティコンサートホールで行われるアンジェラ・ヒューイットによるバッハ平均律全曲演奏会でこのF308を使用されます。興味のある方は是非聴きにいかれる事をお勧めします。

2008/3/17

 中国音楽理事会主催の「万里の長城杯」コンクールというのを受けてきました。結果は望外の部門第1位。私が一番驚きました。ちなみにリンク先は去年の上位入賞者の皆様です。6月28日にピッコロシアター大ホールで表彰式と演奏会があります。今の所ドビュッシーか、リストを考えていますがどちらでないかもしれません。詳細は決まり次第報告させていただきます。

 リストの作品繋がりで調べていてフランスのジャン・ギユーによる「アド・ノス」の映像を発見。これはカッコいいです。中盤に即興演奏(これがまたスゴイ)、後半にはプロコフィエフの「トッカッタ」をオルガンで弾いています。2回あるクライマックス部分での足の動きは必見。オルガンと云う楽器は私が考えている以上に奥深いものです。ギユー自作の「Hyperion」も聴き応え十分。ギユーという人の風貌もなかなか雰囲気のある方で孤高のオルガニストといった感じでカッコいいです。
 「アド・ノス」のピアノ版は確か昔ちょっと弾いてみてコリャ無理だと投げ出したものですがもう一度見てみようかと思いました。

2008/3/9

 真空管アンプのケース加工に手間取っています(^^;
 アンプを作っていて思うのは何故自分が結構な時間と労力をかけてわざわざ作っているかということです。確かに製品は高額なものが多いです。しかし製品には安定性と優れた実装技術、そしてケース外観の美しさもあります。値段も10万円の製品を2万円で作れるほど甘くはありません。下手すると製品よりコストが掛かる可能性すらあります。にも拘らず苦労して作ろうとするのは一つには「物を作るのが好き」という事があります。そして「自分にとっての高音質」を求める事にあるような気がします。
 「高音質」とは一体なんなのでしょうか。美しい音な訳ですが誰もが聴いて納得する「高音質、美しい音」が存在すのでしょうか。私は部品の交換を結構するのが楽しいのですが廉価の部品で良い音が出たりちょっと奮発した部品がそれほど効果がなかったりと色々音質は変わります。問題は部品の素性ではなくその部品が自分にとって好みの音であるのかそうでないのかと言うところに収斂されるでしょう。
 私が良く読んでいる「情熱の真空管」のHPに非常に良い事が書いてあります。どの記事も明快で良いのですが「良い音のアンプやオーディオシステムを実現するには」は特に読み応えがあります。私は部品のブランド志向によるオーディオオカルトも理論的に考えるタイプも同じくオーディオオカルトであると思っています。「信じられている」という点の於いて両者は同じ土俵で反対の方向を向いているようなものです。ですから議論は噛み合わず取り組み事態が出来ません。「技術思考・論理思考の危うさ」という部分で筆者は幾つかの例を出して説明されています。特に「今ここで申し上げたいのは、論理の積み上げはとっても危うく脆いものであるということ」という件は本質を突いた部分であると思います。
 現実安物のセットコンポで満足している方もいれば数千万円かけた物凄いセットに満足していない方もいるわけです。「自分が求める好きな音は何か」つまり「自分にとっての高音質」をいう根本的な問題を考えない限り良い音は生まれないのでしょう。

2008/2/29

 追悼市川崑第2弾は私が見た市川映画の中で最高傑作ではないかと考えている「」。とにかく妖しい映画です。そしてエロティックです。昔の映画ですから裸はほとんど出てきません。しかし異常な人間関係による複雑な心理により強烈な印象を与える映画です。私は中学生の頃NHKのお昼にこの映画を見たのですが今から思えばよく放送したものです
 解説の中には書いていないのですが中村鴈治郎さんが家族の前であんまの先生にこてんぱんに施療されるシーンはかなり笑えます。この作品は根本はブラックユーモアなんでしょうが川島雄三のブラックな笑いに比べるともっと複雑で性的欲望が絡んでいて淫靡です。そして京マチ子さん眉毛も必見です。

2008/2/27 

 アムランが恐るべきテクニックで弾きあげるアンタイルのジャズソナタ。そのマンガチックな雰囲気が実に彼の真面目で洒落っ気のある人柄にマッチしていて是非楽譜を見てみたいと思っていました。という訳で入手してみました。こんな感じです。

 難しいです。とても難しいです。暗譜であの速さで弾ききるのはまさに驚異的。楽譜を見ながら聴いていると細部に至るまで細かな神経を配っているのがわかります。さすがアムランです。ハイペリオンからは彼のカプスチン第2ソナタ、ワイゼンベルグのソナタなどを弾いた「ジャズアルバム」も発売されるようで楽しみです。

 去る2月13日映画監督市川崑氏が亡くなられました。享年92歳。リメイクもされた「犬神家の一族」をはじめとする金田一もので有名ですが私は主として初期の東宝時代から大映時代にかけての映画が好きです。この頃の市川崑の映画は異常な程の傑作ぞろいです。という訳で市川崑追悼で私のお気に入りの映画を何本か紹介してみたいと思います。勿論紹介した以外にも素晴らしい作品はあります。第1回は「ぼんち」。

 いよいよというか、やっとというか真空管アンプの製作にとりかかりました。たかだか6BM8によるシングルアンプにどれだけ時間をかけているのかとアンプビルダーからは呆れられる話ですが、いざ作るとなると色々と考える事が多いのです。今回特に頭を悩ましたのがケースの問題です。今回使うトランス類はケースに入っていないタイプのものです。つまり実装すると100V端子が向き出しになるわけです。そこはチューブでカバーするなりして安全を確保するわけですが見た目が良くありません。かといってトランス類をケース内蔵にするとケースは大きくなり実装も変わってきます。悩んだ結果オーソドックスにトランスむき出しでいくことにしました。こんなことなら何も悩む必要はなかったわけですがこういうことを悩むのも自作オーディオの楽しみと言ってもいいかもしれません。

2008/2/12

 ピアノを教える仕事をしていると生徒さんを怒る時があると思います。練習をしてこない時、うまく弾けない時、音を間違えた時など厳しい先生によっては時には怒鳴ったりする事もあります。幸い私は怒鳴るような先生に習った事はないのですが私自身教える立場になってまず生徒さんを怒る事はありません。そもそも怒ると云うことはどういうことなのでしょうか。勿論愛情表現の一つなのでしょうが怒鳴られて上手くなるなら私が怒鳴り散らしてもらいたいです。生徒さんが上手く弾けないのには必ず原因があります。練習不足、指使いの問題、力みすぎなど生徒さんそれぞれに異なったものであります。それを先生は矯正したり練習方法を提案したりするべきではないかと私は考えています。「音楽を教える」などと云うのは私自身おこがましい事で精々楽に弾きやすくしてあげる事によって生徒さんの個性を出せるようにしてあげることです。また感情表現についても「悲しそうに聴こえるような弾き方」はある程度示唆する事は出来ますが根本的に「悲しみ」を教えることは先生には出来ないことではないでしょうか。
 先生が怒ると云う場面は往々にして先生と生徒さんとの間のコミュニケーションが上手く行っていない時に起こるように思います。試験や受験、オーディションなど目下の目標がある時は勿論厳しく指導する事もあると思いますが厳しいのと怒るのとは違うのではないでしょうか。
 私は甘いと言われても生徒さんを怒ることはまずありません。理由は上記のように怒って上手くなる訳ではないからです。なぜ弾けないか、と云う事を生徒さんと一緒に考える事が最も大切で、そしてそれは自分の演奏にも見直す点があることを気づかされることさえあります。

 先日オタッキーさんと飲んでいる際「火事になった時持ち出すオーディオ機器は?」という話が出た時私もオタッキーさんも「そりゃぁプリアンプだろう」と意気投合しました。パワーアンプやスピーカーは後からどうにかなるのですがプリアンプはまさに「音を作る」部分で、ある意味で心臓部ともいえる部分です。勿論諸説あり音声信号を余計な電気回路を通すことは良くないとしてプリアンプは電源を用いないボリュームのみという人もおられます。どちらにせよプリアンプを通すことによって音の変化があり、人それぞれその好きな音に調整できるという点でプリアンプは欠かすことの出来ない部分であるかと思います。私はメーカー製の良いプリアンプは持っていませんが自作のささやかなプリアンプを使っています。回路そのものはオペアンプを使った単純極まりないものですがそのシンプルさ故か結構気に入っています。
 もともと私はプリアンプなんて何のためにあるのかと思っていました。プリアンプだけでは音が出ないにも関わらず何十万円もするプリアンプがあります。そういう製品を見てこんなものは必要ないと思っていました。しかし実際私が作ったチャチなプリアンプでも一度使いはじめるとなくてはならない機材になりました。オーディオ工作の本を選ぶ時もパワーアンプの作製例の他にプリアンプの作製例の出ているものを選んで買ってしまいます。それほどプリアンプには「音を作る」部分に関する魅力があるような気がします。

2008/2/6

 先週末東京に行き友人の山口雅敏さんのリサイタルを聴いてきました。大阪でのリサイタルは聴きに行けなかったので遊びを兼ねての上京でした。とはいえ2日間の滞在でしたのであっという間の東京でした。両日とも藝術集団鳳組の大和さんにお付き合い頂き山口さんをはじめ夜おそく(朝早く?)まで楽しいお話が出来ました。また秋葉原の真空管専門店にも立ち寄る事が出来て非常に充実した旅行でした。
 今回久しぶりに吉祥寺のディスクユニオンに行きました。此処は一階でオーディオ機器を扱っているのですが見ているとマッキントッシュMC275(左写真)がありました。レプリカということでしたが実に美しい。マランツ♯7(右写真)と共にファン垂涎の名機です。その外観の美しさは最近のオーディオ機器にはないものです。昔はこのマッキントッシュ型の自作用ケースが販売されていたそうですが今は入手困難。残念です。

 ところであのNAXOSからカプスチンのアルバムが出るということです。微妙な曲目ですが気になるところです。

2008/1/2

 Booksにドストエフスキー「地下室の手記」を追加。本稿を書くにあたり読み直しましたが正直私がドストエフスキーについて書くのはテーマが重すぎます。ただドストエフスキーの作品は重い、難しいだけではありません。その作品は面白く一級のエンターテイメントであると思います。文学とエンターテイメントとは切り離され両立は出来ないように思われがちですが私はそうは思いません。面白くない小説など好きこのんで読む人はいないでしょう。文学に難解な思想があるのは事実ですが、同時に作者の芸術作品としても一級品であるものが名作として残ったのだと私は思います。

 アムランがアンコールで弾き話題になったブルガリアの作曲家ヴラディゲロフですが彼の作品「変奏曲 作品3」がなかなか良い曲です。ブルガリアの戦慄に基づく変奏曲ですがブルガリア演歌とでもいいましょうか、泣きのはいった旋律が重厚なピアノ書法で書かれています。演奏は結構大変ですがレパートリーに入れたいものです。

 自作フォノイコライザですが最初やや低音が物足りないとも思いましたが聴きこんでいくうちにいい感じになってきました。何より驚くのはその低ノイズ。オペアンプの音は彫りがないと言われますが普通に聴くには十分な音質です。勿論これは私が高級器や真空管の音を聴いていないから言えるのかもしれませんが。現在電源は無理やりACアダプターからとっていますがトランスで電源部を作っています。これによって音質も幾ら変わると思います。時間があまりとれないのと不慣れな作業なので遅々として進まないのですが…。

2008/1/19

 Filmsに「しとやかな獣」を追加。川島、若尾コンビによる最後の作品です。多様な人物入り交えての欲望のぶつかり合い。テンポの良い科白と編集。音楽、「川島的」としかいいようのない構図とカメラワーク。どこをとっても傑作です。

 更新を頻繁にしていますが月に4、5回は映画、本、音楽について書いていくのを今年の目標にしたいと思っています。いつまで持つかはわからないのですが…(^^;

2008/1/18

 Films女は二度生まれる」を追加。川島、若尾コンビによる第1作で他2作品に比べ地味な印象ですが私の大好きな作品です。

 ホームページのコンテンツの更新が恐ろしく滞っていたので今年は頑張って更新をしていきたいと思います。軽く書き飛ばした感のあるものも増えるかもしれませんがご容赦の程を。

2008/1/17

 実に1年数ヶ月ぶりのfilms更新。川島雄三、若尾文子コンビによる「雁の寺」を追加。

 新年早々色々なところで私の書く駄文を結構楽しんでいるという方に出会いました。本当に有難いことです。今年はあまり重く考えず軽く映画、本、音楽のコンテンツを更新して行きたいと思います。こういう場合やはりブログが便利で簡単なのですが旧弊に手打ちhtmlでいってみたいと思います。

 オペアンプによるフォノイコライザを作りました。二つのオペアンプを使った二段構成のフォノイコライザです。製作はなかなか思うように音が出てくれませんでしたがなんとか試作品が出来ました。二つのオペアンプを使うので10個のオペアンプがあれば組み合わせは100通りにもなる訳ですが勿論そんなに聴き比べは出来ません。とりあえずLM6172、LM4562を挿して試聴。癖もなく実に澄み切った音質です。やや色がないといえばそうですが驚くほどクリアな音です。聴いているとLPを聴いていることを忘れるほどです。
 これから既に使っているプリアンプとトランス電源部(現在はACアダプターを使用)をケースに組み込んでプリアンプにしたいと思います。ハンダ付けは結構楽しいのですがケースの加工が難物です…(^^;

2008/1/8

 新年早々風邪をひいてしまいました。1日寝てなんとか直りましたが不養生のしすぎでしょうか。

 今年の演奏会の予定を立てる。と言うか既にたっているのですが細かな部分を詰めています。なかなかテーマに沿った演奏会や主旨を持ったプログラムを組む事は難しい事です。ロラン・バルトは辞書のABC順を「なんという無規則な規則性」と書きましたが確かにABC順(アイウエオ順)は規則的でありますが隣り合う言葉に意味上の規則性はありません。「Bの夕べ」ブクステフーデ、バッハ、ベートーヴェン、ブラームス、ベリオ、ブーレーズの作品による演奏会とか「ドイツ三大R」レーガー、ライネッケ、ラフによる演奏会などもやれば面白いかもしれません。現実問題としてレパートリーの拡大は「好きな曲を弾く」という次元から始まりますが結構難しいものです。
 私は常々プログラミングが一番大変な作業であると思っています。特に過去に書かれた作品を対象とするクラシックの演奏家はそのプログラムがその演奏家の哲学ですらあると思っています。まぁ反対に「営業用」というプログラムもあるのですが、自主公演であるのであればそのプログラムは少なくとも自分の中で意味を持っていなければならないと思っています。
 今年はプログラムがきちんと纏るでしょうか…。

 フォノイコライザを作るべくパーツ屋さんの開店と同時にオーダーを出しました。大阪に住んでいると日本橋の電気屋街にパーツ屋さんがあるのですが私の家からだと交通費を考えると通販の方が安くなります。大阪は地下鉄が結構するのです。折のある時一日乗車券を使って行くことはありますが10円の抵抗を買いに500円程の電車賃を使うのは如何なものかと。私が良く利用している通販では部品によっては郵便で送ってもらえるのでかえって安くなります。
 去年上京した際は秋葉原に立ち寄りました。昔の電気屋街、ジャンク屋といった風情はかなり薄くなりまさにオタクの聖地といった趣でした。それでも真空管アンプ用のトランス類やオーディオ用ボリュームを買って帰りました。勿論お店の方と通販の可否を聞いて連絡先も控えさせていただきました。大きなお店だとHPで販売もされていますが小さなお店だと直接電話かFAXになります。その方が仕様など色々相談できるメリットもありますが、やはりネット上での買い物の方が気楽な感じがしないでもありません。
 最近LM3875によるステレオパワーアンプが気になっています。今回フォノイコライザ付きプリアンプとLM3875によるアンプを持って一応半導体によるアンプはお終いにして今年は真空管アンプに取り組んでみたいと思います。

2008/1/2

 明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願いします。

 このHPなんだかんだと今年の9月で9年目です。はじめた当初はこんなに長く続くとは思っていませんでしたし、音楽の話以外を書くつもりもなかったのですが最近は音楽の話より違う事が多いです…(^^;今年も馬鹿馬鹿しいお話にお付き合い頂ければ幸いです。

2007/12/30

 さて今年も余すところ二日となってしまいましたが皆様如何お過ごしでしょうか。私は14日の演奏会以来まったく気の抜けた状態で碌にピアノも弾かずに専ら読書と飲酒にふけっておりました。このままではイカンと、そろそろ2008年に向けて練習も新たに開始しました。

 今年は新たにレパートリーとした作品にプロコフィエフ「トッカータ」、バッハ「フランス風序曲」「イタリア風アリアと変奏」「ヴァイオリンとクラヴィアのソナタ第4番」、ドビュッシー「前奏曲第2集」、トゥール「ソナタ」、ブラームス「2台のピアノのためのソナタ」、林光、ブリュルの作品などがありますが来年はどのような作品とめぐり合う事が出来るでしょうか?今年取り上げる事の出来なかった悔いの残る作品は没後150年を迎えるカルル・ツェルニー「トッカータ」でした。弾く機会はこれからは皆無でしょう…(^^;

 今年読んだ本は自作オーディオ関連のものが多かったのですがそれに絡んで物理、数学読みものも幾つか読みました。その反動でこの10日間ほどは「新古今和歌集」「大鏡」を飛ばし読みしておりました。基本的に私は古典文学の方が好きなのかもしれません。来年も楽しい本、映画に出合えるでしょうか。

 自作オーディではTDA1552Qを使ったパワーアンプを作ったくらいです(こちらを参照)。年末になってフォノイコライザを作ろうと色々資料や部品を集めていたのですが部品が集まりきらず来年に持越しです。来年は真空管アンプに挑戦か?

 財団法人日本漢字能力検定協会による今年の漢字は「偽」だったそうな。まぁあらゆる業界で「偽」の多い年でした。演奏の方も「偽」でなかったか、厳しく自省したいと思います。また来年も新たな曲との出会い、名曲のレパートリー化、知られざる作曲家の発掘と頑張って行きたいと思います。よろしくお願いします。

 それでは良いお年をお過ごし下さい。

2007/12/22

 今日は忘年会、仕事に出て終電で帰ってきました。忘年会はバカバカしくも楽しいもので毎日忘年会でもいいものです。

 帰ってくるとアーンの「Le rossignol eperdu」の楽譜が届いていました。楽譜を少し見ましたがアーンはまさにベル・エポック、古きよき時代の音です。願わくば楽譜の入手がもう少し楽ならいいのですが。

 明日は加藤英雄さんの演奏会が世良美術館であります。楽しみです。

2007/12/16

 イグナツ・ブリュルの演奏会終了。アンコールは今年没後20年のチェイシンズ「24の前奏曲」から4曲。なかなかコアなピアノ好きの方々に集まっていただき熱気のある演奏会でした。オタッキーさん曰く「100分間オール・ブリュルなんて誰もしないで」、確かに誰もしないでしょう…(^^;でもこういうコンサートがあっても面白いと思います。来年も通常のコンサートと平行してこのような演奏会をやっていこうと思いました。聴きに来て頂いた方々に感謝申し上げます。

 ネット時代になり楽譜の流通が変わりスキャナでデータ化された楽譜がやり取りされるようになりました。それは別に法的な問題を除いては便利になったと思うのですが反面楽譜に対する奏者の思い入れが急激に薄れたような気もします。私も図書館で数百枚に及ぶ楽譜を学生時代からコピーして来ましたがその頃の楽譜は大事にしています。片やネット上ではクリック保存で一瞬です。中には持っていても一度も開いた事のない楽譜のファイルがあるかも知れません。今回ブリュルの演奏会を行うにあたっての楽譜の収集、整理は私自身楽譜に対する姿勢というものを考えさせられました。来年も良い作品と出会えるといいものです。

2007/12/8

 カールハインツ・シュトックハウゼン氏が死去されました。享年79歳。私が始めてシュトックハウゼンの音楽を聴いたのは中学の頃に買った「コンタクテ」のLPでした。Wergoの見本盤、真っ白なジャケットにシュトックハウゼンの名前と「コンタクテ」と殴り書きされた怪しいものでしたがパーカッションとピアノと電子音による「三重奏」に興奮したものです。「テレムジーク」やジェフスキによる「ピアノ曲]」など愛聴したものです。私はシュトックハウゼンの作品は「ピアノ曲\」しか弾いていないのですがその音使いはノーノともブーレーズとも違ういかにもドイツ系の作曲家らしさを感じました。個人的にはベートーヴェンに通ずるところがあります。近年のシュトックハウゼンの作品はあまり聴いていないし、またあまり好きでもないのですが初期の作品は素晴らしいものが多いと思います。
 謹んでご冥福をお祈りします。

2007/11/26

 世良美術館での演奏会終了。演奏はうまくいった方ではないかと思います。トゥールのソナタがなかなか評判がよかったのが意外でした。アンコールはドビュッシー「亜麻色の髪の乙女」、チェルカスキー「悲愴前奏曲」、ブリュル「9つの練習曲」から第1番、ファジル・サイ「アッラ・トルコ・ジャズ」。チェルカスキーが一番受けていました(^^;
 聴きに来て頂いた皆様に感謝申し上げます。

 さて12月のイグナツ・ブリュルに向けて明日から練習です。これも結構体力勝負です。

2007/11/19

 久しぶりにYou Tubeで見つけた驚きのナニです。今回はおかしなものを見慣れた私も久しぶりに度肝を抜かれた作品エルヴィン・シュルホフの「ソナタエロチカ」。シュルホフはダダイズムの下、先鋭的な実験作品を書いており「五つのピトレスケ」などを残していますが、中でもスキャンダラスな内容によって知られているのがこの「ソナタエロチカ」です。録音は存在していましたが実際の映像を見る事ができるとは驚きました。「ここまでやっていいのか」と賛否両論、毀誉褒貶の激しい問題作ですがシュルホフ本人は真面目に作ったのではないでしょうか。シュルホフは後にナチスによって強制収容所に送られそこで亡くなっています。ジャズ風の作品も知られており、演奏頻度はあがりつつあるようですがこの作品は日本ではさすがに上演される事はほぼないといえるでしょう。同じ作品ですがこちらはもう少し楽しそうな(?)雰囲気です。

2007/11/16

 先日新聞の広告欄でちくま学芸文庫からサルトルの「存在と無」が出るという記事を見ました。勿論初の文庫化です。かつて人文書院から出ていた訳とは違うようです。私がこの手の思想書を読みはじめた頃は既にポスト構造主義の流行も落ち着いた頃でした。しかし相変わらずサルトル(更にはヘーゲル)は「古い」という風潮でフーコーやデリダが人気の思想家でした。私の母の若い頃は「実存」大流行でサルトルやボーヴォワールは流行の書だったそうです。レヴィ=ストロースによって厳しく批判されたサルトルはその後急速に人気をなくしていくのですが私が特に印象的だったのは晩年のサルトルが毛沢東主義の学生運動に賛同し街頭でビラ配りをしている写真です。ノーベル文学賞に選ばれた(サルトル自身が辞退)ような世界的な思想家が信念によって社会的に活動する姿はかっこよくもありまた同時にどこか悲しい姿に感じました。そこまでサルトルを追い詰めた思想とそれを実行する行動力を改めて見直そうという風潮が最近あるようで今回の文庫化に繋がったのではないでしょうか。私は「実存主義とは何か」しか読んでいないのですが「存在と無」に挑戦してみようかとも思います。読みきれるかどうか怪しいものですが。


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