更新記録と日記

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2005/6/30

 掲示板で「海岸通りのえせカメラマン」さんからミュージカルバトンがまわってきたので書いてみたいと思います。ミュージカルバトンについてはこちら

Total volume of music files on my computer (コンピュータに入ってる音楽ファイルの容量)

 2GBくらいです。「タモリの4カ国麻雀」など音楽以外のもの入っているので純粋に「音楽」はもうすこし少ないでしょうか。

Song playing right now (今聞いている曲)

 Alexander Ghohrの「単一楽章のソナタ」、演奏はジョン・オグドン。昨日届いたLPです。

The last CD I bought (最後に買ったCD)

 クズミンの「リスト作品集 インフェルノ」。これも中古屋で購入。

Five songs(tunes) I listen to a lot, or that mean a lot to me (よく聞く、または特別な思い入れのある5曲)

 こういうところで変なものを挙げないといけない訳ではないでしょうが…。

 バッハ「マタイ受難曲」、「パルティータ」、ベルグ「ソナタ」、ウェーベルン「パッサカリア」、「ピアノのための変奏曲」。普通でスイマセン。

Five people to whom I'm passing the baton (バトンを渡す5人)

 今晩送りますのでよろしくお願いします(^^;

 こういう質問に答えるのは面白もんですね。果たして本人が楽しんでいる程面白いものであるという保証はないわけでありますが…。

2005/6/29

 何が忙しいのだかわからないほど忙しいです。更新もほぼ2週間ぶりです。

 先日拙宅で飲み会をしたのですが相変わらずの泥酔…。どうもご迷惑をかけました(^^;ところで、普段まったく聴かないLPをこういう時にかけるのですが今回聴いて改めて驚いたのがシフラ編曲によるワーグナー(リスト編)「タンホイザー序曲」、フンガルトンの方でなくEMI盤です。友人も思わず爆笑、「すげぇー」と呆れかえるような編曲です。シフラの編曲は彼自身の「手癖」のきつい力技でねじ伏せるようなものが多いのですがこれも凄いですね。シフラ編曲の「2人でお茶を」もジャズじゃないです(^^;
 さて飲み会の様子を少し。恥かしいのですぐ消します(^^;

2005/6/17

 極めて個性的な女流作家倉橋由美子さんがお亡くなりになられました。享年69歳、近々新訳「星の王子様」が刊行されるのを楽しみにしていただけに驚きました。抽象的、風刺的、寓話的な作風の倉橋さんの小説はきわどい内容を描いていてもドライな感じで好きな作家の1人でした。初期の「パルタイ」あたりはなんとなくまだ硬さが感じられますが「アマノン国往還記」「大人のための残酷童話」等は自由闊達な筆致で大いに楽しんで読むことの出来る「小説」であったと思います。「悪い夏に溶けていく軟体動物のやうな」と自身評された「聖少女」も強烈な印象に残っています。
 謹んでご冥福をお祈りします。

2005/6/13

 久しぶりに新刊書店に入ると、「バカ」がブームのようです。勿論これは養老孟司氏の「バカの壁」からの流行ですが、養老氏は以前にも空前の死体ブームを起しているだけに効果は絶大のようです。誰でもバカよりは少しでも頭がよくなりたいと思うのは当たり前ですが…。そんな中で少し気になった本があって手にとって見ました。「論理的に話す方法」について書かれた本です。以前友人と飲んでいる際「人間の対話はどれぐらい論理的に出来るのか」というような話(バカ話ですね)になったのですが、この問題は考えれば不思議です。有名なヴィトゲンシュタインの「論理哲学論考」は言語による完全な論理的な体系を目指したものです。ヴィトゲンシュタインにしてみればこれまでの「真理とは」「神とは」といった答えのない問題はそもそも問題の立て方が間違っていたと言うのです。そのため哲学書とは思えないような集合論などが使われていますが、後にヴィトゲンシュタインはこの考えを否定し、「言語ゲーム」へと考え方を変えていきます。ヴィトゲンシュタインの思考はなかなか難解のなのですが、ある体系の中のルールに従って物事が進んでいくというイメージはある程度理解できるのではないでしょうか。論理の典型と思われている数学もこの体系の中で行われている訳です。そう思うと私たちが考えている「論理的」な思考、対話はひょっとすると先入観、思い込みの一側面でしかないのではないかと疑いたくなります。
 さて上記の「論理的に話す方法」ですが、「人の話しを聴く」「人の話を論破することは論理的ではない」等など「当たり前」のことが書かれてあります。まぁ当たり前の事が一番難しいことであるのは世の常であるのですが…。結局この本買わなかったので書名、著者名も覚えていないので、紹介すらできないのですが書名だけでなかなか考えさせられる本でした。
 家族や愛する人、ペットが事故で死んでしまった時、人は「何故死んでしまったのか」と思うことは珍しいことではないと思います。その時に「事故による内臓破裂、失血によって死にました」という論理的事実に納得する人はあまりいないと思います。「何故」は論理的事実だけを求めているのではないようです。ヴィトゲンシュタインは「論理哲学論考」の最後を「語りえないことについては、沈黙しなければならない」という有名な言葉で締めくくっています。人間にはこの「沈黙」が思っている以上に巨大なものではないでしょうか。

2005/6/12

 久しぶりにPianistにシフラを追加。少々突っ込み不足の感もないでもないですが…。

2005/6/5

 久しぶりに映画の更新。成瀬巳喜男の「女が階段を上がる時」を追加。

 大阪のレコード屋を覗きに行って叩き売りコーナを物色。シモン・バレールの30年代の2枚組み、スクリャービンの問題作「ピアノ、オルガン、合唱、光の鍵盤楽器を有する大交響楽のためのオープニング・スペクタクル」(指揮コンドラシン、ピアノはA.リュビモフ)等を購入。この作品はネムティン補筆による「神聖劇序夜」の第1部です。後にアシュケナージ指揮によってネムティンによる第3部までの録音もなされています。しかしここまで来るとスクリャービンの世界もイってますなぁ。

2005/6/2

 急な東京行き、ハードなスケジュールでしたが大変充実した時間を過ごせませた。Tさん、H君ありがとうございます。そして会う予想していかった友人と顔をあわせたり、2年近く連絡していなかった人にばったり会ったり楽しいはハプニングも。いたこの場借りてお礼申し上げます。

 さて皆様ご懸念のレコードの方ですが、シャンドスの「ジャッド」リスト、ソナタを含むLP、小林倫子女史による「ショピニーナ」カルクブレンナー、シューマン、カゼッラ、ミハロフスキ、バラキレフ等のショパンの編曲がおさめられています。曲はマニアックです(解説はポーランド語よくわからない)、メルジャーノフのパガニーニ変奏曲集、リスト2版、もう一つはブラームス。ニコライ・ペトロフのシューベルト「最後のソナタ」。ロバート・ヘルプスの「新しいピアノ曲」こんなものでしょうか。
 またH君から妙なものをピアノロールによる名曲集、何々エネスコ編「ツゴイレルワイゼン」(?)妙なものばかり入ってまなぁ。ありがとうございます。
 まだ東京都の時差(なんせ毎日飲んでましたから)が抜けません。詳細はまたいずれ。

2005/5/24

 第16回加古川ピアノ同好会の演奏会が行われます。プログラムはこちら。誰が何を演奏するのかは当日のお楽しみということで。

2005/5/22

 18日、21日とルーク・ギレスピー氏の演奏会へ。先日がギレスピー氏のピアノの先生(私の先生でもあるのですが)佐藤价子さんとのデュオ、本日はサックスのトム・ウォルシュ氏とのデュオの演奏会でした。終演後神戸の中華料理屋でギレスピー、ウォルシュ両氏と佐藤价子さんを囲んで楽しいひと時を。ギレスピー氏は幼少の頃日本で過ごされていたため日本語がお上手でピアノの話しから色々な話題で盛り上がりました。ギレスピー氏もカプスチンはお気に入りのご様子です。
 今日、ギレスピー氏の演奏を間近で見ていたのですが手の平行移動の速さが目を引きました。アルペジオは勿論、急激な和音交代(ジャズでよくある両手が平行してコードを鍵盤上をいったり来たりする)など軽がると演奏されていました。手首を動かさず(固定するのではないです)腕の平行移動の重要性を改めて感じました。

 レコードプレーヤー、故障かと思いましたが触っているうちに正常になりました。原因はよくわからないのですがとりあえず修理出さずにすみました。そこでカプスチンの「8つの演奏会練習曲」「ソナタ1番」のLPを改めて聴きなおしました。確かに音質は余りよくないのですが、CDより自然な感じかな?

2005/5/11

 今日は大韓民国からレコードが到着。何を注文したのかなぁと思いながら(おいおい)あけてみると、カプスチンの「8つの演奏会練習曲」「ソナタ1番」のLP。早速かけてみましたが、「24の前奏曲」ではCDとLPの音の感じはまるっきり違うのに比べこちらはあまり大きな差がないように感じました。と感じている間もなくスピーカーから音が途切れ始め…。こ1時間配線やスピーカー、アンプをいじったものの改善されず、最後まで聴けませんでした。アンプを通している他の機器(CD、DVD、ヴィデオ)は問題なく再生できるのでプレーヤーに問題があるのかもしれません。先日もパソコンのDVDドライブが故障して、なれない手つきでパソコン本体のカバーを取って交換しました。作業自体はそんなに大変なものでもないですが大変疲れました。機械ものはどうも苦手です。

 「青春のナルシズム」というものはなんとも魅力的です。若いときしか陶酔できませんから。自意識の強烈な意識は「病気」であると書いたのはドストエフスキーですが、ナルシズムの強烈な意識というのはどんなものでしょうか。最近吉本隆明の定本詩集を読んでいて思いました。

 きみの喪失の感覚は
 全世界的なものだ

 「分裂病者」(「転移のための十篇」のうちの一篇)と題された詩の中にある言葉ですが、いいじゃないですか。

2005/5/6

 HDD&DVDレコーダーを購入。といっても家のビデオが壊れたため私の出費ではないのですが(^^;
 しかし便利です。予約も簡単、DVDへの録画も簡単、重宝します。来月から始まるCS「チャンネルNECO」鈴木清順日活40作品も楽しみな限りです。

 タチアナ・ニコラーエヴァのリャードフ作品集を聴く。実に美しい演奏。「ポーランドの主題による変奏曲」の高音部の豊かな歌いまわしなど、えもいわれぬ美音です。リャードフの作品はシンプルな書法ゆえマニアからもあまり注目されないようですが、楽譜の出版も殆んどなされた現在見直されるべき作品であります。

2005/5/5

 久しぶりにMy favourite disksにニコライ・ペトロフWorks on Themes of Paganiniを追加。

 なんだかんだでLPが海外から届くもの、中古屋の特価(これ重要)で買うもので月に10〜20枚増えています。CDも買いますが圧倒的にLPが多い。私は高いLPは買いませんからその方が数買えるだけなんですが。最近特に聴き惚れたのがブロウニング、セルのバーバー「ピアノコンチェルト」。第2楽章の美しさは絶品です。ラヴェルのピアノコンチェルトの2楽章を分析すればおしゃれな作品が書けそうですが、バーバーのコンチェルトの2楽章を分析すれば素晴らしいイージーリスニングが書けそうです。久しぶりにバーバーの「ためらいのタンゴ」を弾いてみました。いい仕事してますなぁ。

 友人から吉本隆明氏の本を中心に本を譲っていただきました。読むものが山積みですが嬉しい悲鳴を(^^感謝。

2005/4/29

 私のピアノの先生、佐藤价子さんとルーク・ギレスピー氏のコンサートが大阪「ザ・フェニックスホール」で行われます。本格的なジャズとクラシックの演奏会です。

 キリアコウのアルベニス、ラローチャほどではないにせよ、なかなか聴かせる演奏です。楽譜を見ながら聴くと危ない箇所もなくもないのですが、私は結構気に入りました。アルベニス等スペインものを弾く際のある種の民族性が感じられないからでしょうか。「無機的、しかし美しい!」これはグールドの言葉でしたっけ?

 ドイツの詩人パウル・ツェランに殆んど盲目的に魅了されています。魅了というよりも引き込まれている感じでしょうか。元来詩音痴とでもいうような私ですが、殊更海外の詩人を耽読することなどまったく初めての経験といっていいほどです。私がツェランを知ったのはごく最近のことです。ハイデガー関連の本を読んでいる時、木田元氏の本で初めて読んだに等しいです。しかし、20世紀の人間、ナチスとソヴィエトのマルクス=レーニン主義を経験した人間はツェランの言葉の重さを人事ではなく感じるのではないでしょうか。ツェランの詩は感傷ではありません。

夜明けの黒いミルクぼくらはそれを晩にのむ
ぼくらはそれを昼にのむ朝にのむぼくらはそれを夜にのむ
ぼくらはのむそしてのむ
ぼくらは宙に墓をほるそこなら寝るのにせまくない

 以上に始まる「死のフーガ」の残酷さは現代人が背負うべきものではないでしょうか。

2005/4/27

 普段私が使っている電車ではありませんが、比較的近所で起きたJR福知山線の脱線事故の惨状に大変ショックを受けました。この突然の事故の被害者の方々、その家族の方々の悲しみ苦しみの前には言うべき言葉も見つかりません。
 怪我された方のお見舞いと、亡くなられた皆様のご冥福をお祈りいたします。

 あまり他の事を書く気になれないのですが…。以前より気になっていたギリシャのピアニスト、レナ・キリアコウの「イベリア」(「アスレーホス」「ラ・ベーガ」を併録)のLPを購入。怪しい所もあるにはあるのですが思っていたよりも弾けています。他にも色々LPが届いたりしているのですが後日。

2005/4/19

 ポロンさんの「ヨーロッパ音楽講習会情報」へリンク。主にドイツの音楽講習会の情報が紹介されています。

 My favourite pianistにグレン・グールドを追加。グールドについては沢山の人が様々なことを書いているので今更という気もしますが、ライヴのグールドについて少し。

2005/4/13

 昨日に続いてCD購入。キャッシー・バーベリアンの怪作「ビートルズアルバム」。昔フォンタナから出ていた録音の復刻です。ライブのボーナストラックもついていますがお客さんが大爆笑の演奏です。バーベリアンの余裕のある不思議な歌声は、人間の声の魅力を改めて認識させられます。
 他にも書きたい事があるのですが今日は猛烈に眠いので次回。

2005/4/12

 タワーレコードでサムイル・フェインベルグの「平均律」の復刻CDが並んでいたので購入。何回かCD化されているフェインベルグの平均律ですが廃盤につぐ廃盤で入手不可能な状態が続いていました。LPでも時折カタログに載っているのを目にしましたがあまりに高いので入手できないままでした。
 私が初めてフェインベルグの演奏を聴いたのはメロディア盤LPでした。A面がバッハ(平均律2巻から18番、4番、トッカータハ短調)B面がスクリャービン(マズルカOp.25から4曲、4つの小品OP.51、ソナタ4番)という選曲でしたが聴いてみてあまりの素晴らしさに息を呑みました。特にバッハにおける美しい音色の立体的な演奏はこれまで聴いていたピアノによるバッハ演奏にはない自然さがあり驚きました。今回念願かない平均律全曲を通して聴いてみたのですが本当に感動しました。細部は凝りに凝った演奏でありながら、過剰さを感じさせない自然な演奏になっています。テンポの設定や音楽的な設計は非常にロマンティックで感情的な部分もあるのですが、それが過剰に前面に押し出されることはなく極めて抑制のとれた演奏です。聴き流してしまうようなところでも(逆にそのような部分であるからこそ)緻密な演奏となっており、それが驚くほど自然な流れになっているのです。この音楽の流れの自然さは驚異的なものであると思います。

2003/4/8

 昨日はオタッキーさんと久しぶりに差し向かいで飲んでなかなか熱い話しで盛り上がりました。まぁ音楽関係の話しが中心なんですが映画、文学、芸術と縦横無尽奇想天外支離滅裂に話しは広がり収集不能に…。

 最近本を読んでいて特に興味をひくのは文体です。我々は日本語を同じように使っていると思いがちですが、様々な文体があり、それを使い分けているものです。清水義範氏の小説を読んで思わず笑ってしまうのはその文体の差異に気付かされるからでしょう。例えば氏の「永遠のジャック アンド ベティ」とか「騙し絵 日本国憲法」の21もの異なる文体による憲法前文とか「取扱説明書」(小説の題名です念の為)とか数多い作品のどれもが日本語の文体の多様さ不思議さを露にしています。ハイデガーの本なんかを読んでいるととてつもなく変な日本語が出てくる。勿論哲学書であり翻訳であるから生じる事なのですが、それがハイデガー独特の緊張感のある文体を生み出し、魅力となっているのです(もっとも原書を読んでないのであくまで日本語の話しですが、ハイデガー研究者によるとやはりドイツ語の原文も独特の魅力があるそうです)。内容は大事だといいますが、文学の最大の魅力はこの文体にあるのではないかと私は思っています。星新一氏はエッセイの中で「内容があるからといってお役所の文章を読む気になれない」とさえ書いています。これほど多様な文体を持つ日本語を「正しく」使いこなすのは、今流行の「正しい」日本語(これは語の正しい意味、用法を問うもの)を遥かに越える難しさのような気がします。

 パステルナーク、ゲディゲの作品を一通り弾いてみましたがどれも面白い。ゲディゲの「バラード」は特に盛り上がります。マジメに練習しようかな、と思わす作品です。

2005/4/3

 再々書いているジャック・タチですが先日まったく偶然公開当時の「プレイタイム」のパンフレットを入手することができたので「プレイタイム」「トラフィック」「僕の叔父さん」を見返してみました。「プレイタイム」の解説にも書いたのですが私はタチの作品には毒々しい現代風刺はないと思っています。そしてタチの笑いはバスター・キートンのようにビジュアル的なもので、そのあたりがストーリーの崩壊をなし、当時の観衆に完全には受け入れられなかったのではないかと睨んでいます。同じ格好をしたサラリーマンが同じ格好で並んで歩いてくる、このなんとなもない奇妙な面白さは映画の映画たる面白さです。その意味での面白さではキートン、タチ、ヒッチコックが最も「映っている」だけで面白い映像を作り上げた人ではないでしょうか。3人とも無声映画の出であるのも偶然ではないでしょう(チャップリンも同じく初期は文字通り無声映画的でしたが後にストーリー性を重視していきます)。ヒッチコックは「科白は少なければ少ないほどよい」と言ったそうですが晩年の「トパーズ」のようなストーリーの複雑なスパイ映画でさえそれを実行しているほどです(もっとも「トパーズ」はヒッチコックの中でも駄作とされていますが、私は結構好きです)。ところで無声映画的なビジュアルに拘っていたタチとヒッチコックが音楽(タチの場合は特に効果音)に異常に神経を使っていたことは面白いことです。ヒッチコックとバーナード・ハーマンの関係は有名ですが遺作「ファミリー・プロット」とのジョン・ウィリアムズも素晴らしい出来です。「引き裂かれたカーテン」でのハーマンとの決裂、「フレンジー」でのマンシーニとの降板などヒッチコックの音楽の重要視は彼の映画を語る上で無視できません。
 キートンの面白さはストーリーではなくビジュアルです。有名な壁が倒れるシーンにしても、ただ壁が倒れてきて窓のところに人が立っているというだけの一発芸のようなものです。逃げたり驚いたりといったストーリー性はまったく排除されています。タチも基本的にはこの線のギャグであり(キートンほど過激ではないですが)、ストーリーを放棄しています。その点ヒッチコックはアメリカで活動していてまず聴衆に受けることを第一にしていたのでストーリー性がしっかりしており「サイコ」の蛇足的な精神科医の解説を入れるようなことをしています。
 いずれにせよ共通項を持ちながらそれぞれ微妙に違うキートン、タチ、ヒッチコックですが、その映像の新鮮さは今なお色あせる事がないのは驚くべきことです。

2005/4/1

 阪神百貨店で恒例の「中古&廃盤レコード・CDセール」開催のお知らせのハガキが来ていたので覗きに行く。初日とあって人も多く詳細にチェックしたわけではありませんがバシキーロフによるモーツアルトの協奏曲17番、ラベルのピアノ協奏曲、フェルツマンによるカバレフスキーの協奏曲3番を購入。いずれも旧ソヴィエトメロディアのLP。シチェドリンの自演協奏曲1、3番は悩んだ末購入せず。CDで持っているのとオリジナルのジャケットでなかったのが主な理由。

 昨日の更新で書いた「Cinema大好き」鈴木清順特集、見てみると本編もさることながら当時のCMも結構楽しめました。ちょうど「レナードの朝」が公開された頃で映画のCMが入っていたり(1991年に録画したんですね)、尾崎豊氏のライヴのCMがあったり。しかも今回テープを見て録ったことさえ忘れていた今はなき「Exテレビ」も録画されていました。森口博子さん、三宅裕二氏、舛添要一氏(こんな組み合わせ今じゃ見れないです)による「夏のホラー映画特集」。「死の接吻」が新作として紹介されているので1991年の夏の放送分でしょう。高校生の頃を思い出しましたが当時からあまり精神年齢は変わっていないような気もして、ちょっと複雑な心境(^^;

2005/3/31

 「ドクトル・ジバゴ」のボリス・パステルナークの「ソナタ」「前奏曲」の楽譜を入手。パステルナークに作曲家としていくつかの作品があることを知っていたのですが楽譜を見るのは初めて。果たして作品は出来はいかに、と興味深いところです。「ドクトル・ジバゴ」は映画しか見ていないのですが、原作も楽譜を入手して気になっています。

 中古レコード屋で物色。メシアンの「神の現存の三つの小典礼」「我等が主イエス・キリストの変容」が300円の叩き売り。フラメンコのピアニスト、ホセ・ロメロのアルバム、アール・ワイルドの「ハンマークラヴィア」、低音爆裂のニレジハージのリストアルバム。アヴシャロモフの「ピアノ協奏曲」は「中国の主題に基づく」という副題のとおりの曲想。何故か音源を持っていなかった武満の雅楽作品「秋庭歌」、CD化もされたもすぐ廃盤になった「現代ピアノ音楽の諸相1973」など久しぶりにまとめ買い。CDで持っていてもLPで見つけると買ってしまうのは悪い癖です。勿論高価なLPは買いませんが。

 ビデオの整理中高校生の頃に録画した鈴木清順の映画を発見。これは読売テレビの「Cinema大好き」という深夜枠の不定期の映画特集番組でテーマに沿ったマニアックな映画の選定の番組でした(今やっているのかは不明)。鈴木清順特集は当時公開された「夢二」を記念して企画されたものらしいです。さて放送作品は「ツィゴイネルワイゼン」「素っ裸の年齢」「悪太郎」「関東無宿」春婦傳」「悲愁物語」「殺しの烙印」「陽炎座」とかなり濃いもの。これが毎晩深夜といえ放送された(しかも関西ローカル)のですから恐るべきことです。全てビデオに録ったわけではないのですが、半分は見ました(この時予約録画に失敗して「殺しの烙印」は見ていません)。清順監督のインタビューも収録されており相変わらず無責任な事を仰っています(^^;今から思えば全て録画しておけばよかったと思います。それにしても「ツィゴイネルワイゼン」は高校生の私には印象が強すぎました。始めてみた清順映画だったのですがすっかり夢中になってレンタルビデオを探して歩いたものです。

2005/3/29

 大阪のCDショップに立ち寄ると特価コーナにかねてから気になっていたデニス・マツーエフの「Tribure to Horowitz」(右写真)があったので内田光子のショパン(こちらも600円ほど)と併せて購入。マツーエフは実演で大いに興奮させられたクチなのですがのCDを演奏を聴いていてみるとホロヴィッツ編「カルメン変奏曲」のような、その筋ではやや手垢のついてしまったような曲でも自家薬籠中の物で自由闊達、完全にマツーエフのものになっています。ホロヴィッツ本人以外の演奏でこの作品をこれほど手中におさめた演奏はスルタノフによる演奏(左写真)を思い出しました。改めて聴いてみるとライヴということもあってスルタノフもかなりやってくれてます。スルタノフの演奏は1957年版によるもので一般に広く知られている「カルメン変奏曲」とは違います。マツーエフの演奏も随分手を入れているのですが、楽譜の相違などとは違い完全にホロヴィッツの呪縛から解き放された演奏となっています。これはあらゆる意味で凄いことです。ホロヴィッツ自身の極めて燃焼度の高い演奏が存在(しかも数種類)にも拘らず、まねごとで終わっていないのはさすがです。これは単にテクニックが凄いとかというだけの問題ではないです。いずれにしてもこれらのCDが時期を合わせたように割合ひっそりと出たのはなんとも奇異なことです。
 マツーエフのCDではギンズブルグが面白いほどの指捌きが満喫できます。

2005/3/25

 ベートーヴェンのソナタを研究しているとその参考とする楽譜は大きく2つに分かれるのではないでしょうか。一つは学問的な、あくまでベートーヴェンの「書いたもの」に焦点をあわせたもの、そしてもう一つは実際に「演奏する」ためのものです。これはベートーヴェンに限った事ではないのでしょうが観念的な美に走りがちなベートーヴェンではこの二分化が顕著なような気がします。例えば定評あるヘンレ版は前者にあたります。しかし実際ヘンレ版だけで演奏をするのは極めて危険な部分もあります。後者の代表はシュナーベル版でしょうか。各声部に付された強弱記号、時として煩わしいほどのメトロノーム指示、これらは演奏家シュナーベルの楽器の扱い方を示しており実際に演奏する際参考になるものです。しかしこの版だけを使うのも問題が多いでしょう。要は楽譜の「読み方」が問題であるのですが、この楽譜の読み込みほど難しいものはありません。本を読む際よく「行間を読め」と言いますが楽譜を読む際にも「音符の間」を読む事が必要なようです。ここで注意して頂きたいのは感情的な探り方が「音符の間」を読むことではない事です。あくまでオリジナルの楽譜をもって、優れた演奏家の「読み解き」(解釈)を参考に解きほぐしていく事が重要であると私は思います。それが非常に難しいのですが。

 部屋に積んであるビデオを少し整理。録ったきり見てないものと見たものとを分けていくうち、「あれ、こんなの録画したっけ」というものが多数出てきました。ブニュエルの「アンダルシアの犬」と「黄金時代」。NHK-BSまだ「夜更かしシネマ缶」の頃ですから何年前でしょうか?「アンダルシア」は以前民放で放送したものを見ていますが「黄金時代」は未見。増村保造、パゾリーニの未見の作品も発掘。ロマンポルノ路線変更直前の日活「一度は行きたい女風呂」、題名からしてヤケクソというか脱力感を感じる作品。あまりの下らない題名につられてつい見てしまいましたが、やっぱり下らない。浜田光夫主演のサイケデリック時代の青春コメディでした。主題歌が「女風呂の唄」というのも凄い。ロマンポルノへ変わる直前の日活は変わったというか異様な作品が多く、鈴木清順の「殺しの烙印」は勿論、「ハレンチ学園」の実写版や小林旭主演の「女の警察」シリーズなどどこまで本気か判らない様な作品があります。「ハレンチ学園」もビデオがあるのですが出演者が凄い。ヒゲゴジラを藤村俊二が演じ、うつみみどり、なべおさみ、左卜全、小松方正、小松政夫、大泉滉、由利徹、雷門ケン坊と名前を挙げていくだけでもバカバカしくなってきます。そういえば一時、大泉滉の出演映画を見て廻った事があるのですが溝口健二の格調高い作品に出ているかと思えば石井輝男「怪奇奇形人間」「明治大正昭和 猟奇女犯罪史」等題名を見ただけでかなりキテる作品にもよく出ている(由利徹とコンビを組むことも多い)怪優です。雷門ケン坊と「ダメ親父」をやっていましたがこのサントラがまた壮絶。「非合理ゆえに我信ず」ではありませんが実に下らないのに目が離せません(^^;

2005/3/24

 「dumm-dummer-tenorの あっそうなん?」へリンク追加。声楽家にしてなかなかマニアックなピアノ好き、dumm-dummer-tenorさんのHPです。

 更新が滞ってます。色々書きたい事があるのですがそのために本を読んだり、ビデオを見たり、CD、LPを聴いたり忙しくて。いつピアノの練習をしているんでしょうか(^^;
 デュシャンについて書くためヴァルター・ベンヤミン「複製技術の時代における芸術作品」を読み返す、というよりベンヤミンはこの小論が含まれた岩波文庫しか持っていないのですが。なかなか面白く読める作品ですが、ベンヤミンの主書「パサージュ論」はどうにも私には読めそうにもありません。読書の限界のようなものを感じる今日この頃です。私の頭の出来はともかく、ベンヤミンの「複製技術の時代における芸術作品」は示唆にとんだ作品です。詭弁を弄してデュシャンと結びつけるつもりはないのですが、やはり影響を受けてしまいます。

 先日飲み会で酔っ払い長広舌、半分ほどしか覚えてないという有様。なんとも情けない限りです。「沈黙というのはたいへんな才能」と言ったのはドストエフスキー「悪霊」のピョートルですが、彼ほどビーズを撒き散らすが如く喋る事ができればよいのですが。

2005/3/12

 アレクサンドル・ゲディゲの作品を入手。「ソナタ」「バラード」「タレンテラ」など数作品。中でも5曲からなる「オクターヴ・エチュード」はほんとにオクターヴ連続の見るからに大変そうな作品。2楽章からなる「ソナタ」はなかなか聴き栄えしそうな作品です。ゲディゲはヴィクトル・メルジャーノフの先生だそうです。

2005/3/11

 体調不良のためしばらく更新が滞っておりました。

 8日NHK、FMで放送されたニコライ・トカレフピアノリサイタル。なかなか面白い演奏、というより曲目が面白い。シューマン「謝肉祭」「トッカータ」に始まりホロヴィッツ版「ハンガリー狂詩曲2番」、クルサノフ編「シェエラザード幻想曲」と内容はてんこ盛りなんですが、どうにも演奏の軽さは否めません。彼の年齢を考えるとしょうがないことなのかもしれませんが、もう少し捻りを加えてもらいところです。エンターテイメント性を前面に出した演奏はそれで価値はあります。彼ほどのテクニックを持った若いピアニストはそう沢山いないでしょう。ただ同じエンターテイメントに徹した演奏でもマツーエフのようなピアニストはもっと巧緻なところがあります。トカレフの演奏は素直すぎるのです。しかしクルサノフ編「シェエラザード幻想曲」はなかなか楽しめる作品でした。

 三島由紀夫最後の長編「豊饒の海」の1巻「春の雪」が映画化されるそうです。出演は妻夫木聡、竹内結子、監督は行定勲。原作が好きな人からすると「どうもなぁー」という感じですが普通の恋愛映画になるのであればこんなものでしょう。まさか続編「奔馬」(私は「豊饒の海」の中ではこれがいちばん好き)が作られることはないでしょうから(^^;

2005/3/1

 バー「Casals」でのライヴ無事終了しました。ちなみにアンコールはデイヴ・ブルーベック「ラスト・ワルツ」でした。ご来場いただきました皆様にお礼申し上げます。

 終了後はオタッキーさんをはじめ濃い面々に囲まれての楽しいひと時、演奏家冥利に尽きます。殆んどが人前で演奏する初めてのレパートリーだったので内心不安だったのですが幸い好評だったようですのでほっとしています。

 今日は息抜きに今月読む(つもりの)本を買いに紀伊国屋、古本屋を物色。5,6冊買いました。ハイデガー関連でナチスとの関わりを論じたデリダの本を手に取るも結局買いませんでした。解説本だけで解った気になるのは悪い癖なのですが如何せん私の頭の方がついていかないもので(^^;

2005/2/21

先日直腸のレントゲン撮影のため前日に検査食として流動食を食べたのですが、栄養価、エネルギーは問題なく摂取されているにも拘らずなんとも「口寂しい」思いをしました。これは純粋な栄養価の摂取とは無縁の「咀嚼し飲み込む」という行為が欠けていたからであると思います。
 さて、そんな事があって19日の朝日新聞日曜版「be on saturday」に面白い記事が出ていました。読書についてのアンケートです。中でも私の興味をひいたのは携帯電話やパソコンで読む小説に関心が高いということでした。私は本、少なくとも小説であるとかエッセイであるとかは「紙の本」で読みたいと思っている人間です。これは人それぞれの感覚の違いであるかもしれませんが、私には人間のフェティッシュな面が多いに絡んでいると思います。愛煙家の故丸山圭三郎氏が「煙の出ない煙草」について「煙」という極めてフェティッシュな部分について考察されていましたが、私も「紙のない本」という問題は「咀嚼し飲み込む」事と並ぶなかなか大きな問題ではないかと思います。
 私はLPやSPが好きなのですが、それらは懐古趣味、音の良さなどを抜いて、音楽を聴く「手間」が魅力であると思っています。ベンヤミンは複製技術の進歩により芸術のアウラ(オーラ)が失われたと指摘しましたが、それでもLPやSPは聴くために「手間」が必要でそれが「一回性」につながるところがあるように思います。ライヴではなく「演奏」の一回性に賭けたグールドの戦略は録音によって彼の演奏を普遍のものにしたと言えるのではないのでしょうか(もっともそれが最上の方法であったかは疑問ですが)。
 記録された内容は一緒でも人間にはその媒体についての「関わり方」があるのではないでしょうか。以前に日夏耿之介の「予には悪癖があって咽から手が出る程欲しい読みたいも本でも、装丁が非道いとどうしても買う気持ちにならず、友人に借りてすますのを常とするのである」という文章を紹介しましたが、この言葉に私は強く共感を覚えます。
 以前に友人に「そんなに酔っ払いたかったら酒を飲まずに、酒を直腸に直接注入すればすぐ泥酔できる」と叱責されましたが、これは酒飲みの美学に反しますなぁ(^^;

2005/2/15

 かねてから書きたかったマルセル・デュシャンについて書いてみました。もちろん美術の専門でもない私が好き勝手に書くこと、浅学を承知での雑文です。「デュシャン雑感」以後何回かに分けて書いていきたいと思います。

2005/2/13

 今日はピアノアソシエーションカンサイの例会へ。いつもは終了後飲み会に突入なんですが風邪気味なので早退。

 ブークルシュリエフの「群島4」の楽譜が到着。楽譜が到着するたびにその包装用段ボール紙のごみが出るのですが、今回届いたのは今までで最も大きいものでした。開けてみて解ったのですが更に4つ折の楽譜が。大きすぎるぞ、おい、とツッコミを入れてしまいました。楽譜を紹介しようと思っていたのですが大きすぎるので断念。一緒に入っていたアミの作品は普通のサイズだったのですが。

2005/2/10

 Disksに「The World of Japanese Cinema Music」を追加。まだまだ突っ込みたい映画音楽もありますがそれはまたの機会に。この稿を書くのに「火垂るの墓」を久しぶりに見直しましたが最後のシーンだけでも涙がこぼれます。映像と音楽の力を痛感しました。ナチスの宣伝省ゲッペルズが映画制作に熱心だったのは有名な話しです。このような力を秘めたものは使い方一つで感動的な芸術作品にも洗脳に使われる情報操作、さらには暴力的なものにもなる危険性があるのでしょうか。

 ところで身を入れて見ていなかったのですがサッカーワールドカップの対北朝鮮戦でふと聞き覚えのあるメロディーが。怪作ピアノ協奏曲「祖国は一つ」のテーマではないですか!おそらく(というか絶対)北朝鮮のサポータによるブラス演奏でした。私は不勉強で知らないのですがあちらでは有名な旋律なのでしょうか?ご存知の方がいらっしゃったらご教授お願いします。

2005/2/9

 ラザール・ベルマン氏が逝去されました。享年74歳。思えば私がはじめて買ったCDはビクターから出ていたリストの「超絶技巧練習曲」でした。リヒテルの「私とギレリスが2人でかかってもかなわない」という言葉が帯に書かれてあったのが印象に残っています。以後CD、LPと徐々に集まっていったのですが確実なテクニックと骨太な音楽性を併せ持った優れた音楽家であったといえます。最近でも「ペトリューシュカ」、ガーシュイン等のライヴ録音が発掘されたりとそれなりに話題に上がっていたのですが、演奏活動は制限されていたようです。中学の頃にテレビで見たベルマンの演奏は巨体を折り曲げるようにピアノに覆いかぶさり割合大人しく弾いていたので意外に思ったものでした。リストだけでなくラフマニノフやスクリャービンでも優れた演奏を残したベルマン、そのロシア時代、ライヴ録音等CD化して欲しいものです。

 今月号の「芸術新潮」がデュシャンの特集を組んでおります。なかなか面白い記事で楽しめました。既成の芸術をずらし、伝統になることを拒んだ男デュシャンの生涯とパラドクスが手堅くまとめられています。思い出して今はなき月刊「太陽」の滝口修造特集号を久しぶりに見てみましたがこれも非常に面白い。いずれとりあげて見たいと思います。それにしてもデュシャンも滝口も「ミニチュア」が好きだったようです。

2005/2/7

 大阪、阪急淡路のバー「Casals」で2月26日(土)ライヴを行うことになりました。蓄音機とアップライトピアノのあるバーで先日私も行きましたが、とても感じのいいお店です。その際蓄音機でホフマンの弾くリスト「ハンガリー狂詩曲2番」を聴かせていただきました。私は自宅では78回転のついているプレーヤーで聴いているのですがやはり蓄音機で聴くのは違います。さて、プログラムですがお店の雰囲気とアップライトピアノという事を考えてあまりシリアスな重い曲ではなくサロンピアノ小品を中心としたものとしました。プログラムはトップページのとおり最近の私には珍しい「秘曲」系で纏めております。今回しか弾かないかと思われる曲も入っていますので興味のある方はお越しください。詳しくは「Casals」まで。

2005/1/31

 普段の自堕落なせいか体調を崩していまして久しぶりの更新です。

 先日少し書いたババジャニアンの「ノクターン」、実にいい曲です。その恥かしげもないB級っぷりに思わず弾いていて赤面なのですが、これが思っている以上に難しかったりします。勿論超絶技巧というほどのものではないのですが、曲想に比べると難しいでしょう。ババジャニアンの作品は総じて難しい曲が多いのですが、初期の「カプリチオ」「英雄的バラード」等のアルメニアの民族色の強い性格小品、12音技法を利用した作品、「ノクターン」をはじめとする半端じゃないポピュラーな作品とその作風の広さ、節操のなさはロシアの作曲界でも随一のものではないかと思われます。

 さて、楽譜、レコードの紹介が多いのですが一つCDの紹介を。以前に書いた1969年製作の「一柳慧作曲 オペラ横尾忠則を歌う」の復刻CDが到着しました。CD4枚、ブックレット、横尾忠則ポストカードセット、そして若き一柳、横尾両氏のポートレート付きという実に行き届いた復刻となっています。盤面は勿論オリジナルの横尾氏によるものです。ただ元がLPサイズをもとにデザインされているので盤面中央の穴の大きさの違いのため一部削られているのはしかたありません。勿論オリジナルデザインはブックレットに収録されています。有名な銭湯での一柳と横尾両氏によるセッション「男の純情」、延々と続く内田裕也とフラワーズによるサイケロック(?)、なんだかよくわからないミュージックコンクレート「歌謡ミュージカル」、水城一狼、唐十郎作詞、八木正生編曲、高倉健による「横尾忠則賛歌」と聴き所満載です。更に豪華ブックレットには当時の寺山修二をはじめとする面々の文章から一柳、横尾両氏の2つの対談(69年当時のものとこのCDのためのもの)が収録されてます。しかし手に取り聴いてみた時に思ったのがまったくこの録音の全てが何者でもない「作品」であり伝説になることさえ拒んだ、M.デュシャン風に言えば「ずらされた」作品であることです。そういう意味では実際聴くということ以上のオブジェに近いオリジナルLPの意味をを完全に復刻しきれたものではないかもしれません。30センチピクチャーLPのそれ自体のインパクトは再現されていないでしょう。しかし、100点をつけてもいいような充実した内容のCD。とにかく現代美術、現代音楽、アングラ演劇、文学と最も刺激的だった時代の日本を焼き付けたような奇跡のレコード、興味のある方は是非聴いてみてください。これで9800円は安いです(Amazon等では何故か発売日が2月3日になってます)。

2005/1/17

 チュルリョーニスのピアノ作品集、アブラミアンの前奏曲集などの楽譜をゲット。チュルリョーニスはメロディアのLPで聴いて以来気になっていた作曲家です。小規模な作品がほとんどですが「変奏曲」がやや大きな作品のようです。チュルリョーニスは画家としても知られ日本で個展が開かれたこともあります。美術好きの方は名前をお聞きになった事があるかもしれません。

 タワーレコードでピアソラの自演CDが10枚セットで1500円ほどだったので購入。ピアソラの自演は実ははじめて。主に70年代の録音を集めたCDですが随分現在の「ピアソラ像」とはイメージが違うのでビックリ。リベルタンゴの74年録音(初録音か?)はドラムの16ビートに乗ってクラシカルな匂いのしない演奏。私は室内楽風のにぎやかな「Fuga y Mysterio」「Jeanne y paul」なんかが気に入りました。10年以上前にピアソラの楽譜を探していた時はTonosから「ソナタ」「組曲」などが出ていたピアソラですがその後の大ブームには完全に乗り遅れてしまいました。当時はピアソラのCDは「民俗音楽」のコーナにあったんですが今はジャズ、クラシックコーナーにおいてある事が多いようです。晩年の「3つの前奏曲」「タンゴラプソディ」などクラシック演奏家に演奏されることを前提とした作品を書き始めていたピアソラ、もう少し長命であったら更に大規模な作品が書かれたのかもしれません。

2005/1/13

 Booksにその手の本好きにはおなじみ伝説の雑誌「血と薔薇」をアップ。

 最近仕事の合間時間があると大阪国際美術館に行っています。静かでそして何か心を震わせるような空間でコーヒーを飲むのが心地いいのです。自然とは極めて対極的な人工的な建築ですが芸術が自然の模倣であると云うのは一つの比喩でしょう。極めて人工的、作為的であるにも拘らず自然な作品(これは音楽でも絵画でも建築でも)が存在することは確かです。バッハやモーツアルトの例を見るまでもなく理解していただけるのではないでしょうか。

2005/1/10

 ババジャニアンの問題作「ノクターン」の楽譜をゲット。他にもピアノトリオ、ヴァイオリンソナタもあわせて入手しましたがやはり「ノクターン」でしょう。これは聴いてもらわないと解らないのですが一部ババジャニアンファンがいるほどの怪作であります。こちらで試聴出来ます。自演以外にLoris Tjeknavorianによる録音が存在するのですが、まさかスコアがあるとは思いませんでした。

2005/1/8

 久しぶりにFilmsを更新。お正月らしく明るく楽しいジャック・ドゥミ、ミシェル・ルグランコンビによる「ロシュフォールの恋人たち」とアップ。なんともノーテンキな映画ですがサントラの素晴らしさ、出演者の豪華さではなかなか面白いフランス製ミュージカルです。

2005/1/4

 新年明けましておめでとうございます。今年も音楽、文学、映画など私の独断と偏見で更新していきたいと思います。

 Musicの中にあるPlay Pianoを削除しました。この項、参考になるといって下さる方もいらっしゃるので、随分考えたのですが削除することにしました。理由は演奏を言語で説明する限界を感じたからです。言語によって演奏を説明することは不可能ではないと思います。しかし限界があります。ましてその(あくまで私のものですが)方法論が思ったとおりに読者に伝わるかという疑問もあります。音楽演奏に限らないのですがスポーツ、ゲームから哲学に至るまでそれは理解ではなく経験でなければどうしても越えられない壁があります。それを無理に言語を通して説明することは無駄なことではないと思いますが非常に危険な面があります。私は実技はまず表面的な部分が大事だと思います。例えば英語の最も重要な面を発音であると思っています。英語らしい発音法というのがあります。演奏であればメンタルな面よりもテクニック(この言葉も誤解を生むのですが単に指の動きだけでなく楽器の鳴らし方を含むものです)の方をまず考えます。勿論最終的にはメンタルな面がなければどうしようもないのですが、テクニックがあると云うことはメンタルなものを表出する道具を持っている状態であり、メンタルな部分があってもそれを引出すテクニックがなければメンタル面の表出は効果的には行われないからです。
 私のはじめ目論んだ事はこの表面的なテクニック、つまり効果的な演奏方法論をあくまでメンタルな面を抜きにして合理的に描き出すことでした。しかし、その考えは非常に浅薄で危険性を孕んでいることが解ってきました。まず、私が感じたことは個々の楽曲による解説を通しての解説とは別にメカニカルな面の問題が立ち上がる事でした。これは純粋な指のメカニックのことです。この説明はほとんど不可能に近いといえます。つまり身体運動を説明するには一つ一つのメカニックについてのある種のメソードを説明しなければなりません。これだけでも大変な作業です。事実ベートーヴェンに始まりツェルニー、リスト、コルトーといった巨匠のメカニックの「体系」はどれもが実技を基にしており、それらですら有益であるとはいえ万全なものではありえません。次に「体系化」の問題があります。体系化することは一種人間の野望の一つです。しかし体系は論理の積み重ねでありそれを演奏という方法論に適応させるのは私の能力ではあまりに大きな問題でした。そして次にこれが最も大きな理由なのですがはじめ書いたように言語で規定される内容が非常に狭義でありまた同時に広義でもあるという点です。打鍵のタッチ一つとっても一体どれほどの表現方法があるでしょうか。それらをある程度ステレオタイプとして類別化することは可能であると思います。また最初にはそのような方法から始めるのがよい場合もあります。しかし、それは私が最初に考えた効果的な演奏方法論を一つのパターンとしてしまう危険性があります。勿論完全な体系として一から積み重ねていくような書き方をすればいつかは完成するかもしれませんが、それではメカニック面に焦点がまず合わされます。これは私のはじめの目論見とはずれてしまっています。テクニックはあくまで演奏者の個性を解放させるものでなければならないものです。この部分が文章(勿論譜例も使うのですが)では、少なくとも私は表現を一定に規定してしまうか、誤解を生むかという危惧を孕んだものとなってしまいました。インターネット上はどのような方がご覧になっているか判りません。このようなところで結果としていい加減な演奏方法論を提示するのは如何なものかという結論に達した訳です。今から思えば私の最初の発想に自壊の要因が含まれていたといえます。カッコよく言うと経験を重視し言語を見捨てたのです。
 とは言え音楽における演奏方法論を含む雑感はこれからもotherのほうに書いていきます。

 さて久しぶりに祖父の家に行った帰りぶらりと立ち寄ったレコード屋でスロボジャニクの弾くリスト「ソナタ」見つけ早速購入。スロボジャニクは旧ソ連メロディアにレーガーの「バッハ変奏曲」やショパン「エチュード全曲」等の録音を残しています。私のチェックリストに入っているピアニストです。今年のレコード収集の先行きは明るいか?

 更に古本市にも顔を出し今までちょっと避けていたきらいのあるニーチェ、フロイト、科学関連のブルーバックス等を一束いくらのコーナで10冊ほど購入。経済的に余裕があれば美しい装丁の本が欲しいのですが質(装丁のね)より量の私は古本市の一山いくらのコーナーを物色することのほうが多いです。読むべき本がまだ積んであるのに懲りないですなぁ。

 今年も白水社クセジュ文庫ではありませんがQue sais-je?の精神で行きたいと思います。今年もよろしくお願いします。

 

 

 


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