更新記録と日記

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2006/6/27

 「Piano de Virtuoso」へリンク追加。加藤さんは私の大学の後輩でもあります。敬愛する大ピアニストの解説や録音聴き比べなどがあります。

 本日午後7時30分よりNHK−FMでアムランのアルベニス「イベリア」全曲の放送があります。録音は去年9月に東京で行われた演奏会のものです。やや雑な印象も受けましたが難所に「突っ込んで」くるアムランの演奏が聴けます。最近電波状態が悪いので綺麗に録音できるか心配ですが…。

2006/6/22

 映画はまだ見ていないのでですが三島由紀夫の「春の雪」をアップ。booksfilmsかどちらに入れようかというような文章ですが映画を見ていないので一応booksの方へ。久しぶりの更新です(^^;

 実は先日携帯電話を落として難儀していたのですが親切な方が警察に届けて下さっていたため手元にもどってきました。しかし拾われたのは雨の日!予想通りずぶ濡れの状態で還って来ました。大抵のデータはどーでもいいものなのですがアドレス帳だけはどうしようもないので諦めていたのですが機種交換に行くとアドレス帳が救済できました。これには携帯屋の兄ちゃんも驚いていました。大概水没の場合は一切のデータがダメになるそうです。危うく二度と連絡のとれなくなる人が出るところでした(相手から連絡してもらえればいい訳ですが)。

2006/6/19

 カザルスでのライブは終了しました。武満徹の「うた」を弾いたのですが結構受けていたようです。

 「You Tube」にカペルのドキュメンタリー「William Kapell Remembered」がアップされていました。殆んどが静止画像なのですがショパンの夜想曲を弾く映像が見られます。動いているカペルを見れるとは思ってもいず感動しました。

2006/6/14

 ジョルジ・リゲティ、岩城宏之両氏がお亡くなりになりました。20世紀の音楽を一線でリードして来た方だけに残念です。謹んでご冥福をお祈りします。

 アムランの「いらいらワルツ」を聴く。さすがアムラン余裕で聴衆の笑いを誘っています。演奏とはこういうことを指すのでしょう。今年は秋の演奏の予定も既に決まりつつあります。余裕を持って挑みたいものです。

2006/6/12

 今回は映画の話を。 
 私が高校生の頃大阪読売テレビ製作の「Cinema大好き」で年に一度自主制作映画のコンテストを行っていました。その後「ぴあ」と共同となってしまったようですが私は以前のローカル色豊かな方が好きでした。そこで見て未だに強烈な印象を残している作品があります。竹下心也の「ゴジラ対水戸黄門」という作品です。竹下氏が全ての登場人物を演じ、巧みな映像テクニックでドラマを作り上げているのに驚いたものです。ビデオに撮っておいたのですが何しろ10年以上前のものなのでどこに行ったかも判らなかったのですが最近、貴重な映像が多量にアップされ無法状態と化しつつある「You Yube」でこの作品が掲載されているのを見つけました。今見てもなかなか笑えます。
 動画はこちらから「ゴジラ対水戸黄門 前編」「ゴジラ対水戸黄門 後編」「秘芸! 水戸黄門

2006/6/10

 「今一番ほしいものは」と聴かれれば迷わず「時間」と応えるほど時間がありません。いやあるのですがやらなくてはいけない事が多すぎてHPの更新や読書の時間がとれません。読書に至ってはこの半年間で読んだ本は激減。マンガすら読んでいない状態です。

 とか言いながらレコードが色々到着。特に印象深かったものはタチアナ・ニコライエワの弾くメトネル「ピアノ協奏曲1番」、リュビモフの「現代ピアノ作品選」、グールド「レニングラードライブ」あたりでしょうか。ニコライエワは少々テンポは遅めですが難曲を堂々と雄大に演奏しているのはさすがです。バックがスヴェトラーノフというのもすごいですが。リュビモフは音の純度というか美しさは絶品。シェーンベルグの「6つのピアノ曲」、ウェーベルン「変奏曲」などは恐るべき美しさです。アイブズのソナタなども収録されていますがソヴィエト時代にこういうものを演奏してよかったのでしょうか?グールドのライブはCBSからCDも出ましたがメロディア盤LPは不思議な雰囲気を持っています。特にバッハの協奏曲1番は素晴らしい。

 最近度肝を抜かれた映像。リゲティの「poeme symphonique pour 100 metronomes」。題名の通り100台のメトロノームのための作品です。ヤマハ協力かなんかで日本初演しないものでしょうか。そう言えば一柳慧にも「電子メトロノームのための音楽」という作品があって演奏(?)してみたい作品の一つなのですが…。

2006/6/7

 5月27日は加古川ピアノの会演奏会とツィメルマンの演奏会、自分の演奏会や仕事に追われ更新が滞っていました。

 さてツィメルマンの演奏会ですが様々な事を考えさせられる演奏会でした。ツィメルマンの今回のツアーの批評を読むと揃って感動した、素晴らしいという賛辞が目にはいるのですが私の印象は複雑なものです。プログラムはモーツァルト「ソナタ10番」、ラヴェル「高雅で感傷的なワルツ」、ショパン「バラード4番」「マズルカ作品24」「ソナタ2番」。モーツアルトは端正な中に繰り返し部分では装飾音をかえるなどの工夫を凝らした演奏。なんといっても間のとり方が上手く、チャーミングなモーツァルト演奏でした。続くラヴェルは音響構成の絶妙なコントロールで終曲は息を飲むような美しさ。続くショパンに否応なく期待があがるのですが、結果から言うと普通にうまい演奏といったところでした。勿論音楽的処理や技巧がどうこうやツィメルマンが手を抜いたと言うのではありませんが「本気度」が低いように感じられる演奏でした。しかし問題はツィメルマンクラスの演奏家になると「本気度」が低くても並みのピアニストの水準を超える演奏になってしまうことです。この印象はホールとの相性(ツィメルマンにとってははじめてのホール)の問題、アンコールがなかった事もそれを裏付けているような気もします。しかし東京での演奏会ではラヴェル、バツェヴィッチが特によくショパンは普通に上手かったというような情報も入っています。そういう事を聴くと「ショパンを入れてくれ」という日本側からの要求があったのではないかと勘ぐってしまうのは私だけでしょうか。
 我々は演奏会場にいくのはCDではなく生の演奏家のその時にしか聴けない芸術家のオウラに触れるために行きます。演奏会場でCDと同じ演奏を聴くのなら家で聞いた方がましです。裏をかえせば、つまるところピアノを弾く仕事していて究極的な問題は「何故演奏するのか」というところに行きつくと思います。その一面が一回限りのライブに完全燃焼したフリードリヒ・グルダであり演奏の一回性を突き詰めたすえ演奏会を放棄しレコーディングだけに専念したグレン・グールドというまったく対極にあるようでいながら意外に近しい存在であった2人の事を思い浮かべます。ベンヤミンによれば複製技術時代において芸術はアウラ(オウラ)を失ったといいます。このことはツィメルマン自身も「私はiPodの技術を高く評価しているが、それが自分の職業の、大切な何かを壊す可能性があることにも気付いている」という言葉に現れています。今月の「ミーツ」(関西地区の情報誌)においてやはりおがわひろし氏が興味深い発言をされています。 「(クラシックの)
ライブ会場に来た人にCDと同じと思わせるようでは、クラシック音楽はBGMとして生き残って行くという道しかなくなってしまう」。演奏会とは極端に言えば聴きに来る人が家を出て会場に入り音が出るまでを演出するようなものでなければならず、演奏者は高度に発達した録音技術を越えて芸術家のオウラを取り戻さなければならない場なのではないでしょうか。

 とは言え6月中に2本7月に1本の演奏会は私にはかなり大変です。8、9月は充電期間に当てますか(^^;

2006/5/27

 兵庫芸術文化センター管弦楽団名曲コンサートを聴く。曲目は武満徹「3つの映画音楽」、チャイコフスキー「ピアノ協奏曲1番」、ストラヴィンスキー「ペトルーシュカ」。指揮は篠崎靖男、ピアノはデニス・マツーエフ。さすがマツーエフやってくれます。怒涛のオクターブ連打、聴衆は驚嘆。つまるところマツーエフは聴かせどころをよく心得ています。ゆったり歌うところは心行くまでゆったりと歌い、見せ場であるオクターブ連打は気合を入れてやってくれます。この辺りのメリハリは「演奏家」としての面目躍如たるところ。アンコールはギンズブルグ編「ロッシーニ、セビリヤ」でバキバキいくのは会場あっけにとられていました。マツーエフの演奏は2004年の来日で聴いているのですが印象は殆んど変わりません。いい意味で前回以上に聴衆の期待に応えてくれています。なかなか目の離せないピアニストです。
 武満の「3つの映画音楽」は実によい曲です。少なくとも「現代音楽」入門としてはいい曲なのではないかと思います。同伴していた母も3曲目の「他人の顔のワルツ」はいい曲だと言っていました。私は聴きながらこれらをクラシック作品として許容出来なかった日本の音楽業界の狭さを感じました。これは今でも武満の映画音楽の業績を「片手間」という人が存在する事にも繋がります。音楽の素晴らしさは何処にあるかは判りません。それはコンサートホールで聴く音楽にあるかもしれないし、歌謡曲であるかもしれないし、ドラマの劇伴、映画音楽であるかもしれないし、道行く人の口笛、鼻唄にあるかもしれません。「価値あるもの」を決め付ける姿勢は危険な姿勢です。「価値あるもの」は容易に「真理」「正義」になります。これはデリダへはありませんが同一性へと繋がります。

2006/5/21

 川上昌裕さんのカプスチン演奏会へ行く。あれだけの量の作品を短時間に暗譜演奏までもっていかれる力量に驚かされる。終演後川上さんとお話をしていて、準備に使うエネルギーの大変さについて仰っていらっしゃいました。準備の大変さと練習量の問題がこの作曲家を広くピアニストのレパートリーになる事を妨げる一因であると再確認。会場で楽譜がバカ売れしてましたがピアノの前で固まってしまう人が続出するのではないでしょうか。
 川上昌裕さんのHPへリンクを追加。

2006/5/19

 武満徹の映画音楽遺作である篠田正浩監督作品「写楽」をみる。前に見た映画なのですがまったくといい程印象に残っていませんでした。冒頭の「とんぼ」(写楽)の足を怪我するシーンぐらいでしょうか(このシーンはかなり痛い)。しかし改めて武満映画音楽の到達点を見るような気がしました。初期の武満が映像を埋めるために音楽を書いたというのはよく知られたことですが後期の武満はむしろ「どれだけ音を抜くか」という境地に至っています。私は常々武満は映画音楽に真髄があると思ってきましたが、如何なものでしょうか。

 ジャック・デリダのインタビュー「言葉にのって―哲学的スナップショット」を読む。
 デリダの著作同様非常に難解でインタビュー形式にも拘らずさっぱりわからないのですが印象的な本です。まず我々日本人には理解しがたいヨーロッパにおけるユダヤ性。これは日本人である限り理解し得ない問題でしょうか。そして徹底したロゴス中心主義への批判。ロゴス中心主義というとなにやら難解ですがヨーロッパ的な意味での真理、くだけて言えば「正解」のことです。例えばある小説があるとすると作者の真意というものがあると我々は思ってしまう。それがデリダによればロゴス中心主義、即ち作者の真意を読み取ることであるという訳です。これは「〜は〜である」という同一性であります。この同一性の極限的な形はナチズムと旧ソビエトに於けるマルクス−レーニン主義に結びつきます。この同一性への批判はデリダに限らず現代思想の通奏低音であるのですがユダヤ系であるデリダには極めて強い意味が込められています。勿論私にはデリダの書く(言う)事が全て理解出来るわけではありませんがこの強烈な批判は伝わってきます。これはロラン・バルトやドードリヤールを読む時とはまったく違った印象です。
 我々が普通に思っている理性的、科学的ということは西欧世界の偏見でしかないという事を露わにしたのは構造主義、ポスト構造主義の思想です。確かに我々は数学や科学を信頼していますがそれはあくまでヨーロッパという「地方」に於ける偏見、信仰でしかないのです。科学という思想に我々が浸かっている、毒されているとでも言いましょうか。
 だからどうこうということではないのですが、少なくともヨーロッパの音楽を学んでいる者としてはこの批判を少なからずとも考えるべきであると私は思います。

2006/5/17

 6月16日大阪「カザルス」でライブを行います。詳細はscheduleを。

 本日(16日)放送のNHK−BS「クラシック倶楽部」「ザ・タロー・シンガーズ ア・カペラの世界」は実に楽しく鑑賞しました。武満徹の「合唱のためのうた」を中心にメンデルスゾーンの「詩篇」を組み合わせたプログラムでしたが私は武満の「うた」が大好きです。アンプの自作でも必ず試聴の際はかけています。東京混声合唱団のLPが特に好きで1曲目の「小さな空」での「口笛」にはしびれます。石川セリのCDも愛聴盤でボサノバ調の「死んだ男の残したものは」、ジャズの匂い濃厚な「見えない子供」などいい雰囲気です。武満の「うた」の集大成的な内容のドミニク・ヴィス盤は私がカウンターテナーをそんなに好きでないのもあってあまり聴きません。伴奏が自由なジャズピアノというのも独特の武満和声が薄まっていて魅力に欠けるような気がします。石川セリ盤もかなり自由な編曲になっているのですが様々なアレンジャーが手がけおり、武満自身の監修も入ったためかあまり気になりません。なおこのアルバム製作の際、武満はコシミハルを「あの人は天才だね」と褒めていたそうです。

2006/5/16

 アムランの新譜デュカ「ソナタ」デュコー「月の光」を聴く。相変わらずこういった渋い作品をじっくりと緻密に弾きあげる手腕には感嘆させられる。レーガーの「バッハ変奏曲」の録音も素晴らしかったがやはりアムランにとってスタジオ録音はその完璧さゆえに評価が辛くなってしまうというなんとも奇妙な現象が起こってしまいます。レーガーの生演奏は聴きましたがこれは名演、晦渋なあの作品をじっくり情感豊かに弾けるのはアムランならでわです。しかし、スタジオ録音ではまずアムランの音が捉えきれていないのと、やはりライブでみせるユーモアや情感は薄まってしまいます。今回のデュカのソナタもしかり。私はライブ盤を持っていますがそちらの方があの長大なソナタの熱気が感じられます。デュコーの「月の光」でみせる鋭い切れ味などはいかにもアムランなのですが。

 ローズマリー・ブラウンLP「ローズマリーの霊感」を入手。「リストの霊」にピアノの手ほどき受けショパン、ドビュッシー等の「お筆先」で曲を書いたおばちゃまです。曲はなんとも微妙な作品なのですが彼女の音楽的知識は殆んどないに等しいらしいのですが、それなりにそれぞれの作曲家らしく書いているのはちょっと不思議です(正確にはブラウン女史に作曲家が教えたものを彼女が書き写している構図です)。特にシューベルト、リストの「お筆先」はそれぞれこんな曲があってもおかしくない感じがします(その点ショパンは曲想、テクニックが単純すぎてあまりよくない)。このアルバムを聴いていて思いだして引っ張り出して聴いたのが昔大ヒットしたフランソワ・グロリューの「ビートルズ」アルバム2枚と「日本の歌」。グロリューがビートルズナンバーや日本の歌を様々な作曲風にアレンジ(殆んどが即興演奏らしい)しているものです。「オブラディ・オブラダ」のモーツアルト風や「キャント・バイ・ミー・ラブ」プロコフィエフ風(「悪魔的暗示」風!)などはよくできていると思います。リスト風「悲しみをぶっ飛ばせ」での派手なカデンツは爆笑必須。「城ヶ島の雨」のプロコフィエフ風(「3つのオレンジの恋」の行進曲風)もよくやったなぁと感心します。ブラウン女史も表の顔(単旋律さえ聴音出来ない)は実は見せ掛けなのではと勘ぐってしまいます。ただ、彼女は「バッハは私の知性が足りないせいで理解し難い」とも発言している。なんとも微妙な発言です。
 ところでブラウン女史もグロリュー氏も今何をしているのでしょうか?グロリュー氏はこんなアルバムが出てたりしますが…。

 自作プリアンプ結局セレクタを付けました。配線が結構大変な事になっているのですが何とか間違いなく配線完了。高域を出すためにメインアンプのコンデンサを一部はずしたり容量の大きなコンデンサを付けたりまだ色々いじってます。どうも切りがないのですが手を入れるたびに音が変わるは楽しいです。特に弦楽器の質感は顕著に現れます。

2006/5/7

 アンプにプリアンプを作って色々なCD、LPを視聴していて思う事があります。CDは音はいいです。LPもいいです。問題はLP(SP)を復刻したCDです。LPから音をCDへ編集する訳で、製品ですからスタジオで製音されます。この作業によって原盤LPの音質を大きく損なう噴飯もののCDが意外にも多いのに驚かされます。これならLPを直接カセットかデジタル出力でパソコンに取り込んだ無編集の方がよっぽどいいと思うものが多々あります。例えばカプスチン。私はメロディア原盤の3枚を入手するまでカプスチンはタッチのきついどちらかというと「弾きっぱなし」といった印象が強かったのですが、LPの音(これも既に編集が入っている訳ですが)を聴くと全然印象が違う。特に「24の前奏曲集」なんかはCDとは別の演奏のようです。勿論CDの方が好きな音のタイプの人もいるとは思います。しかしこれだけ違うと「CD復刻」の難しさを痛感させられます。大手が復刻した「ヒビキ・ハナ・マ」なんかはとんでもない噴飯ものではないかと思いますが…。原盤LPがレア盤で高価だったり入手困難だったりするのでCDでの復刻はありがたいのですがこの辺りはもう少し神経を使ってもらいたいものです。
 さてプリアンプをかますと音にかなり様々な「色」が加わります。この辺りは前回書いたように趣味の問題が大きいですが、私の作った酒井智巳設計のものは割合素直な音の出方でなかなかいい感じです。初めの計画では3系列のセレクタを付けるつもりだったのですが配線がめんどくさく結局1系列に。写真の上の黒いのがプリアンプですが、ケースに取り付け穴が開いたままになっています(^^;
 一通りパワーアンプ、プリアンプと作ったので今度はスピーカーを作ってみたいのですが、長岡鉄男氏設計のものは木製で「組み立てしまえば後はスピーカーユニットを付けるだけ」と簡単そうに書かれていますがそうなかなか簡単にはいかないと思います。氏の有名なスーパースワン等は大変魅力的なのですがどちらかというと半田ごてでちまちま電子工作する方が性に向いているのかスピーカー作りはどこか日曜大工の匂いが払拭出来ません。そこでコストもかからず、作成も簡単、作成後の変更も比較的楽そうな塩ビ管スピーカーに目を付けてみました。「筒ッぽい音がする」などという批判もありますが製品として存在するのでいきあたりばったりで作ってみますか(^^;

2006/5/6

 最近俳優や芸能人の表情を「読ん」でテレビを見ています。私自信がチラシ作成でポートレートを撮ってもらう事が増えその度に自然な表情の難しく感じるからです。バラエティ番組の普通に喋っているような時でも芸能人は自分の表情を管理しています。おそらく職業柄無意識に行っていることと思いますが実に自然です。自分がどのように人に映っているか、という事を意識することは非常に難しいことです。俳優やモデルは表情の管理が全てと言っても過言ではないでしょう。美人でなくても美しい人や美男でなくてもかっこいい人がいるのもうなずけます。またテレビ映りはいいのに写真映りは今ひとつの人やその逆もあるのは興味深いことです。
 ところでテレビは20世紀最大の発明の一つでしょう。人間がこれだけ不特定多数に映されることはありませんから。そういえばフランスの思想家ジャック・デリダもテレビから目が離せないと書いていたはずです。ちなみにデリダは長らく自らの写真を公表しない人でした(他にも作曲家シェルシもポートレートを公表していません)。なかなか意味深なエピソードではないでしょうか。

 プリアンプを一気に組み立てる。先程音を出したところですがなかなかいい感じです。アンプに直結よりも柔らかな感じになったと思います。反面ダイレクトなガリガリした感じが薄れたかも。間にものを挟めば挟むほど音は劣化するという人もいます。それは事実だと思います。しかしプリアンプによって録音の持つ魅力をあげることも可能でしょう。そうでなければ製品としてのプリアンプは存在し得ません。このあたりは「プリアンプが音を作る」というところの微妙な問題でしょうか。
 ちなみに今回プリアンプ作成でモデルにしたのは酒井智巳著「はじめてつくるプリアンプ」です。このシリーズは「パワーアンプ」「ヘッドフォンアンプ」とあるのですが、読んだのは「パワーアンプ」と「プリアンプ」だけです。この本アマゾンの評価でも書かれていますがはじめて作るにはかなり難しいです。プリアンプは基盤の上に組み立てていくのではじめてでも出来なくはないと思います(それでも私は電源を入れてもウンともスンと言わず配線をチェックし直しました^^;)が、パワーアンプはいわゆる「空中配線」というものでかなりなれた人でないと難しいと思います。少なくとも私は作る気がしません。しかし基本的な配線の仕方などが初心者用に書かれてあるので参考にはなります。
 折角作ったので試聴をかねて飲み会でも催しますか(^^;

2006/5/4

 schedule玉水教会ライブを追加。多分日本初を含むプログラム。玉水教会のライブはロビーでの無料コンサートでスタッフの方々も親切で私のおかしな選曲にも寛容なので感謝しています。

 DVD-Rを買いに大阪日本橋に行ったついでにパーツ屋を覗く。先日コンデンサを交換したところなのですがどうも音が軽くなりすぎたような気がするので自作派の間で名高いBlackGateというコンデンサを物色。電源用のコンデンサと思って探してみると値段も高い、2,000円を越してます。電源用は諦めて他の部分に使うコンデンサ、プリアンプを組むための部品いくつかとハンダ吸い取り線を購入。ハンダ吸い取り線は部品の交換やハンダ付けの失敗の多い私には手放せないものです。
 さて噂のBlackGateに交換した感想は、バランスがずっとよくなりました。ピアノのニュアンスもぐっと上がった気が。オーケストラの強奏もそれなりに鳴ってくれます。音楽信号をダイレクトに流す部分に使う部品(コンデンサや抵抗)を交換すると音の変化がはっきりして面白いです。しかし、既に私もボードリヤールの分析ではありませんが幻想の音を求め始めているのかもしれません。欲望にはキリがありませんから…(^^;

2006/4/30

 自作アンプの抵抗と電解コンデンサを交換。抵抗は自作業界では有名なDALEの抵抗を使ったのですが、効果はてき面、弦楽器のガリガリ感や声楽の生々しさは格段にアップしました。一方オーケストラやピアノの底鳴りするような感じは薄まってしまいました。これは電解コンデンサの交換からきているようです。そのかわり小編成の室内楽などではその生き生きとした楽器の動きに改めて感動しています。カール・リヒター盤、パイヤール盤のバッハ「音楽の捧げもの」、グールド、バースタインコンビによるベートーヴェン「協奏曲3番」、スィングル・シンガーズなどを試聴しましたがピアノの音がいまいち伸びません。電解コンデンサをいじって見るか…と物色中。

 ところで、試聴でかなりの頻度でスィングル・シンガーズをかけているのですがこのヴォーカルグループの事を少しネットで調べて見たのですが纏った資料が出てきません。LP,CDの解説に書かれていることによるとリーダーのウォード・スィングルはアメリカ人、単身パリに留学しワルター・ギーゼキングにも師事した事があるそうです。そんな彼が1963年紆余曲折して発表したのが「Jazz Sebastien Bach」これはフランス語表記の「Jean Sebastian」にかけた題名になっいます。このアルバムが大ヒット。その後バロック名曲集「Going Baroque」、モーツアルトに挑んだ「Swinging Mozart」、スィングル・シンガーズのディスコグラフィ中最もマニアックな曲集「Swinging Telemann」(私はその殆んどの原曲を知らない)、MJQ(モダン・ジャズ・カルテット)とくんだ最も有名なアルバム「Place Vendome」、ロマン派作品に挑んだ「Les Romantiques」、スペインを題材にした「Sounds of Spain」、クリスマスソング集(まともだなぁ)「Noels sans Passport」、バッハ原点に返り「Jazz Sebastien Bach II」、日本クラウンの委嘱によるヴィヴァルディ「四季」の「春」を含む「Les Quatre Saisons」、現代作品として有名なルチアーノ・ベリオの「シンフォニア」(ベリオは新生スィングルにも曲を提供している)、アメリカフォークを歌った「American Look」、そして最後のアルバム「Bitter Ending」を最後に解散してしまう。レコーディング期間は僅かに10年間でした。私の手元には公式ページに入っていない「サンピエトロ大作戦」のサウンドトラック盤があります。最後の「Bitter Ending」以外入手は出来たのですが(さすがにLPだけではしんどい)このラストアルバム今まで一度も中古屋のカタログでもみたことすらありません。レコード会社も今までのフィリップスからエピックという事もあり入手は困難なのでしょうか。
 スィングル・シンガーズ魅力はクラシックの作品をダブルベースとパーカッションに乗せて原曲どおりに「ダバダバ」歌うところにあります。第1作「ジャズ・セバスチャン・バッハ」の1曲目が「フーガの技巧 コントラクプトゥス\」というのがいかにもマニアックなところをついてきています。ベースとパーカッション以外は調性を変えたりという工夫はあるもののすべて原曲をなぞっています。つまり即興的な部分がまったくありません。これをジャズの側から見ると「つまらない」ととる向きもおられるようですが、私は格声部が生き生き対法的に絡み合うのはこのグループ独特の魅力で「ハモリ」だけでない横の線の魅力が大きいと感じています(「サンピエトロ大作戦」だけは異色作。バッハ「小フーガト短調を元に自在な即興フレーズに溢れる快演)。そしてリード・ヴォーカルを担当するクリスチャンヌ・ルグラン(ミシェル・ルグランの実姉)の魅力的な歌声。彼女のためにベリオが曲を書いてもいます。また映画主題歌(中古LP屋で探した出した感動ひとしおの「LE DEPART」)の気だるい歌声も印象深い。
 本国フランスではそのオリジナルアルバムがこのままの形で復刻されたようですが、やはり是非ラストアルバムを聴いて見たいものです。控えめに情報求む…(^^:

2006/4/26

 以前に書きかけたボードリヤールについて。如何せん私の斜め読みの解説ですので細かな点はご容赦を…(^^;

 ボードリヤールは1929年生まれのフランスの思想家、経済学者です。その主書「消費社会の神話と構造「象徴交換と死」「生産の鏡」等は非常に難解なのですがある面納得させられるものがあります。例えば携帯電話というものは本来電話としての機能が目的なのですがすぐれたデザイン性のものだったり、カメラがついたり、テレビが見れたり「携帯電話」という本来の目的から遊離しています。そこには電話という機能ではなく「こういう携帯を持っていると先端をいってる」というイメージによって我々は新しい携帯電話に目を奪われていく訳です。ボードリヤールはそれを我々は携帯を消費しているのではなくて、与えられた社会的イメージを消費していると分析し「生産は終わった」と「生産の鏡」の中で書いています。これは言語学者ソシュールから発する記号論的分析なのですが、「意味するもの」と「意味されるもの」の分離が我々の社会では進んでいるという訳です。
 私が今自作オーディオでメーカー品と同じ音質、機能を備えたものを作り出したとします。しかし有名メーカーと決定的に違う点あります。それは「他ならぬ有名メーカーである」というイメージです。有名メーカーは丈夫であったりアフターサービスが良かったりということもあるのですがこの「他ならぬ有名メーカーである」というイメージ、つまり記号化されることによって価値を持ち我々はその記号を消費していると考える訳です。この事をロラン・バルトは「神話作用」といった。
 ボードリヤールの出した例で興味深いのは映画「キングコング」でしょう。1933年のキングコングが上ったのはエンパイヤステードビルでしたがリメイク版(1976)では今はなき世界貿易センタービル(この指摘も暗示的)に上ります。この両者の間にイメージが実体なくやり取りされていく現代の消費社会をみる訳です。言い換えればイメージが実体を失い、記号化されることによって「もの」は「商品」になる。電話以外の機能満載の携帯が現れてくる訳です。これは回帰的に流行するもの例えば70年代ファッションやミッドセンチュリー家具、真空管オーディオなども本来の意味していたことはなくなってしまいひとつの記号として消費されていく。
 ボードリヤールに言わせると現代社会はショーウィンドウに囲まれているようなものだそうです。我々は次々と新しい商品、イメージを目の前に繰り出されている。そこで見えないものは自らの顔であり、交換不可能なものは「死」であるといいます。随分と悲観的な社会分析ではあります。
 勿論ボードリヤールのヨーロッパ世界、先進国の憂鬱のようなもので極端な理論ではあります。しかし、30年以上前に書かれた本であるにも拘らず予言的内容(最近のボードリヤールは「予言」しなくなったそうですが)は今読むと非常に新鮮な印象を受けます。こう考えると音楽、芸術も記号を消費していると分析出来ます。
 以上の解説は私の斜め読み解説なので是非原書の方をお読みください。「消費社会の神話と構造「象徴交換と死」「生産の鏡

2006/4/22

 宝塚逆瀬川パンネルのライヴ終了しました。今回は時間いっぱいで間で休憩をとれず聴きに来て頂いた方に長時間息抜きなしになってしまいました。長時間お付き合いいただきありがとうございました。

 アンプのコンデンサを入れ替える。「MUSE」というオーディオ用電解コンデンサを入れてみたのですが低音のズドンという感じは薄まったのですが高音が伸び、まろやかさが加わったように感じます。特に武満徹の合唱曲の女性パートなどは美しく伸びるようになりました。自作アンプをいじっていてこんな小さな部品一つでこんなに音が変わるものかと驚きの連続です。配線のコードでも音は変わるぐらいですから当然のことかもしれませんが。

2006/4/19

 すっかりオーディオの部品交換などに腐心しておりましたが結局のところ理想は理想、部屋の大きさや土台なども含めて考えなくてはいけなくなる訳で最終的に「ほどほど」に落ち着きます。しかしニチコンの「MUSE」(電解コンデンサー)やDALEの抵抗が届くのを心待ちにしております(^^;これを期にオペアンプを使ったプリアンプも作ってみたくなり完全に真空管アンプは手付かずに。シャーシ(ケース)加工が大変なもんで…。
 さて、毎日少しづつ試聴しているのですが試聴前のレコード磨き、これで音質が驚くほど変わります。盤質にもよりますが、LP最終期に発売された比較的新しい状態の良いものですと殆んどCDを聴いている錯覚に陥ります。以前に本当のところLPとCDの音質の違いはよくわからん、などと書きましたが今は完全にLPに軍配を上げます。勿論パチパチノイズなどCDではありえないノイズは混入します。しかし音そのもののリアルさというか「鳴っている」という感じはLPの方が上であると思います。同じ録音(グールドのベートーヴェン協奏曲1番)をCD,LP聴き比べてみましたがCDの方が全体のクリアさとバランス見通しはいいものの、いかにも調整されたといった印象を受けます。LPの方が弦楽器のガリガリ感などが感じられます。これをどちらが「音がいい」と判断するかはもう個人の趣味の問題でしょう。しかし聴き終わった後の充実感はLPの方があります。
 ちなみに音は深夜の方が良くなります。原因は周囲の電気の使用量が減るため電圧が安定するからだとか。詳しい事はよくわかりませんが午前2時をすぎた頃から急に音の抜けが良くなり音楽の見通しが良くなります。防音室でないため大音量で聴けないのが残念。どちらにせよ睡眠不足に拍車がかかります(^^;
 レコード磨きはこれまた低コストのいかにも貧乏オーディオ道一直線。100円ショップのメラミンフォームでリンス溶剤(リンスを溶かしただけのもの)で磨いてハイテククロスでふき取り磨くだけ。これだけでも音質は格段にあがります。あんまりゴシゴシ磨くと盤面にキズがつきますのでご注意を(それでも音質には影響しないようです)。

 さて、音楽を鳴らしながら21日のトークの内容を考えてメモしています。よく演奏家と話をしていると「少々難しい話をしてしまった」という方がいらっしゃいますが私は言葉を慎重に使えばかなり踏み込んだ内容を伝える事は可能であると思っています。もしそれが「難しい」といわれるならそれは私の言葉遣いが悪かった結果です。「私は聴衆の知性を信じています」、これはかのホロヴィッツの言葉です。安易な発想で聴衆に迎合するのは演奏家が聴衆を軽んじていることであると私は考えます。難しい深い内容を簡単な言葉で説明するのが一番難しい事なのですが。

2006/4/10

 リゲティのピアノのための練習曲集第2巻は「耳で聴くだまし絵」といった作品が含まれます。永遠に下降していくような錯覚に陥る「眩暈」やブランクーシの「無限柱」に想を得た絶えず上昇していくような音響をピアノ音楽として作り出しています。生で聴くと(大井浩明氏の全曲初演)本当に下降し続けるような錯覚に陥ったので驚いた事があります。
 9日の朝日新聞「Be」連載中の「目の冒険」で上記リゲティには触れられていませんが「無限音階」の紹介が出ていました。興味深かったのがエド・タネンバウムというメディア作家がエッシャーの「無限階段」をボールが下降しながら「無限音階」を鳴らす作品。確かに「無限音階」という感じがしますが、だまされたな、と思う瞬間があるのは私だけでしょうか?
 そういえば松武秀樹のアルバム「デジタル・ムーン」に「謎の無限音階」が併録されています。1978年の作品です。リゲティよりもはやいですね。

2006/4/6

 桜の季節になりました。花見に行く時間は取れそうにもありませんが道に咲いている桜を見るのが楽しみです。先日の朝日新聞に吉野の桜の写真が出ていましたがまさに満開の桜の下とはああいうことを言うのでしょう。「方丈記」の鴨長明も詠んでいます。

 吉野山あさせしらなみ岩こえてをとせぬ水はさくら也けり

 一度行って見たいものです。

2006/4/5

 例によってトライパスのTA2041に手を入れる。電源部にコンデンサを入れてみました。そして試聴。低音がよくなったように思います。音の感じも落ち着いたようです。で、試聴したのがミケランジェリのラヴェル「ピアノ協奏曲」(EMI、LP)。今まで聴き流していたような部分にもミケランジェリの繊細な音を感じる事ができます。右手のパッセージはこんなに軽く繊細に弾かれていて、左手の締めるところはズシンと弾いています。2楽章は特に美しい。しかし再生装置のレヴェルがあがると(?)録音状態の善し悪しが気になってきます。オーディオファンが優良録音を聴きたがるのもわかるような気が。MJQ(モダン・ジャズ・ァルテット)の「ラスト・コンサート」ベース、ドラムがズンズンきます。今日は毛並みをかえて先日お亡くなりになった宮川泰氏の作品、ザ・ピーナッツ「恋のバカンス」「ウナセラディ東京」「恋のフーガ」(これはすぎやまこういち作曲宮川編曲)、ミルバが日本語で歌う「ウナセラディ東京」(これは説得力のある力演、自編曲も秀逸)、和田弘とマヒナスターズによる「ウナセラディ東京」、あと一緒に出てきたトリオ・ロス・パンチョスの「ベッサメ・ムーチョ」を聴き比べる。ヴォーカルの感じが「近い」ものの伸びがもう一つか。この辺りはスピーカーの性能の問題もある訳で一概にアンプの部品を交換したら良いという訳には行かないのでしょうがやはり気になります。
 しかしこのアンプ製作期間わずか3,4時間ですが異常に盛り上がっています。オーディオなど聴かないうちの母も「すごい低音」と言わしめたTA2041恐るべし。さてこう考えてくると私のでっち上げアンプとメーカー品の高級機器との差が気になります。何も高級機器を凌駕する音になっているとは思いませんが、それでも同じ部品を組み込んであるところもあり、実に微妙な関係です。ただ、その値段は物理的部品代等とは別次元で決められている事に注意なければなりません。製品の工作過程と我々消費者の関係はもはや普通ではないのです。さて、話が哲学めいてきたので今日はこの辺で切り上げましょう。宿題としてジャン・ボードリヤールの「象徴交換と死」「消費社会の神話と構造」あたりを読めばその構造はなんとなくイメージ出来ると思いますがなんともかんとも難解で…。続きは次回(だいぶ空くかも^^;;

2006/4/4

 手塚治虫の製作した実験アニメーションを見る。この作品集は随分前にビデオで見たのですが今回CS日本映画専門チャンネルで放送されたので録画して見直しました。さてこの作品集の評価は大変高いです。確かに斬新な映像美やアニメでしか出来ない奇抜な発想による作品がありアニメ史上重要作である事は私も再確認したのですが、映画としては正直退屈な作品であることも事実であると思います。特に「ある街角の物語」「展覧会の絵」「森の伝説」といった30分近い作品は「長すぎる」という印象を拭い去れませんでした。これは全ての実験作にいえることで「実験映画(作)は短ければ短いほど良い」というのはある意味当たっています。ルイス・ブニュエルの「アンダルシアの犬」などはギリギリ長い部類でしょうし、つげ義春の実験漫画「ねじ式」もあれ以上長い作品である事は難しいと思います。手塚治虫の実験アニメもそういう点では「長すぎる」のが瑕瑾であるかと言えます。「ジャンピング」「おんぼろフィルム」はわずか6分の作品ですがそれでも私は長いと思います。これはこれらの作品が一つのアイデア、「ジャンピング」では終始「飛ぶ主体」の見た映像、「おんぼろフィルム」の痛んだフィルムをネタにしたギャグといったものが、視聴者にとって僅かな時間で「ネタばれ」してしまうから起こることであるかと思われます。最後に収録されている1988年製作の僅か13秒の小品「自画像」では顔が縦にスロットのように回転し数回の間違いの末に手塚の自画像となって口からコインを吐き出すといったものですが私はこの作品が最も作品としてのまとまりが良いと思いました。アニメーションならではの実験的手法、アイデアだけで作品を成り立たせる事の難しさ、これは全ての創造的行為にいえることである事を痛感する作品群であると思われます。
 とはいえ随所に散りばめられた手塚治虫独特のギャグや色彩美などは今見ても斬新で必見の作である事は間違いないことでしょう。「ジャンピング」ではスロー再生でもしない限り気付かないであろうギャグなどはやはり捨てがたい魅力のあるものです。

2006/4/3

 ハンダ付けで熱ダメージを受けた電子部品は徐々に回復して来るそうです。これは測定器でも判定できないことだそうですが、聴いていくうちに音が確かに落ち着いてきました。自作スピーカーなどでは最低半年程鳴らしてみてその出来を判定するそうです。
 さてアンプを自作するとスピーカーも自作したくなってきましたが故長岡鉄男氏の設計したスーパースワンやD-55などは作ってみたい反面、素人にはなかなか大変そうです。第一レコードと本のあふれかえった私の部屋には置くスペースがない(^^;そこで注目したのが塩ビ管スピーカーです。これなら狭い私の部屋にも置けそうです。

 今日は高橋悠治の弾くバッハアルバムを聴く。収録されている高橋悠治氏編曲のバッハ作品「小フーガト短調」「主を哀れみたまえ」を弾いてみたくなり楽譜を引っ張り出して弾いて見ました。「主を哀れみたまえ」は聴いている以上に難しいです。「小フーガ」は以前はシンプルな編曲ぐらいに思っていたのですが、細部に色々な仕掛けが施されており効果的な編曲です。ただペダルの処理が難しいといえます。ところでこの楽譜全音ピースなのですがかわったページ構成になっております。興味のある方は是非ご覧下さい。

2006/4/1

 トライパスのTA2041をケースに組み込む。電源スイッチ、パイロットランプは配線を引き回すので省略。左右ボリューム、入力、出力だけのシンプルなものにしました。勿論サンスイのアンプの上のシルバーのものです。そこで早速試聴。
 プーランク「悲しみの聖母」(EMI)オーケストラの低音がきいてます。合唱は録音のせいか若干遠く感じられます。ソプラノソロが美しい。
 スィングルシンガーズとMJQ「ヴァンドーム」。これは聴き応え十分。MJQとスィングルシンガーズの絡みが実に楽しい。ジョン・ルイスのピアノも美しい。
 で、MJQの「ラスト・コンサート」。「朝日のようにさわやかに」冒頭で引用されるバッハ「音楽の捧げもの」から上質な室内楽を聴くようです。勿論スウィング感も抜群(とはいえ、ジャズにはそれほど詳しくないのですが)。
 ヴェルディ「レクイエム」(SONY・バーンスタイン指揮)。「怒りの日」のティンパニがいい音だしてます。
 バッハ「平均律」(メロディア・ニコライエワ、SONY・グールド)。ニコライエワは左手の動きがあたかもオルガンの通奏低音のようにしっかりと弾かれていくのが感じられます。一方グールドは全体的に軽めながらやはり左手の流暢さは特筆に価します(今更ですが)。
 以上LP。以下CD。
 ラフマニノフ「ピアノ協奏曲2番」(RCA・ルービンスタイン)。ルービンスタインってこんなに上手かったのか、と怒られそうな事を感じました。どちらかと言えば「弾きっぱなし」というイメージの強いルービンスタインですが、なかなかニュアンスが出ていていいです。録音も優秀(65年録音)。
 同じくラフマニノフの同曲。ピアノはグレムザー。ルービンスタインに比べるとハードな印象。テクニックでバキバキいってます。むしろ併録の協奏曲3番の方が面白い。
 ベートーヴェン「テンペスト」。演奏は私。去年のリサイタルの演奏。ホールのマイクで録音したのですがピアノがすごく遠くに聴こえる。演奏のキズもご愛嬌(^^;
 しばらくエージング(器械の「馴らし」のようなもの)してからコンデンサを少しいじってみたいと思います。製作費用1万3千円程でこれほど楽しめるとは思いませんでした。しかもシンプルな構造ゆえ気軽に使えしばらくメインに使うつもりです。
 しかしテスターでチェックしながらとはいえ初めて電源を入れる時は緊張しました。+−を間違えるとICは一発で破壊されてしまいます。スピーカーも直流漏れをチェックしましたが一応安物のスピーカーで試しに出してからヤマハNS-200Mにつなぎました。万が一スピーカーが破壊されると代わりがないもので…(^^;

2006/3/30

 買ったままほったらかしにしていたトライパスのTA2041を一気に組み立ててみました。ケース加工は後回しにしてとりあえず電源、スピーカー端子、RCAコネクタ、ボリュームを付けて音を出してみましたが思った以上にいい音です。電源もACアダプタ、部品もキットのままなのですが十分満足できるものです。まだ色々さわりがいがあるようですがこのままケースに組み込んでも十分かなと思いました。このケース加工が結構曲者なのですが…。
 しかし、このTA2041、1万円ほどなのですがそれ以上の音がします。興味のある方は是非造ってみて下さい。

2006/3/27

 風邪をひいてしばらくダウンしていました。寝ながら本を読んでいたのですが肩がこるのと目が疲れるのであまりよくないようです。7月の演奏会の撮影が入ったりしていたのですが病み上がりのためキャンセルしました。パガニーニのようにコーヒー一杯だけで過ごし幽鬼の如し顔を演出するのも方法ですが・・・。

 とりあえず決まっている演奏会情報をscheduleアップ。演奏会にもいろいろな種類があるのだと最近思っています。

2006/3/17

 自作オーディオの続き。私のコンセプトは「安く、ほどほどの音、深いりはしない(ひょっとしてメーカー品と張り合えるか?!)」というオーディオ道を基本にしているので製作も全然進行しない。やっと真空管アンプの安い部品が一通り揃ったところだろうか。ケースが今日明日にも届くらしいからこれからしばらくケースの加工に四苦八苦することになるのでしょう。残る大物のトランス類は来月まとめて買おうかと考える。こういった部品集めの段階で10万クラスの器械でも部品別に価格帯分割が出来るのも自作オーディオのありがたいところ。これまで1万ちょっとの出費ですがトランス類は一そろい3万弱します。トランス類も別けて買いますか(^^;
 真空管はまだ手元にありません。配線が完了してから購入予定。特に難しいモデル出ないので(とはいえども既に四苦八苦)真空管もおいおい集めて行きたいと思います。
 こちらはデジタル。何かと話題のトライパスのキットTA2041を購入。デジタルアンプで高音質らしいです。しかし電源部を作らないといけないのでACアダプタを使うことになるかも。どちらにせよ音が鳴るのはまだ先の事のようです(^^;

2006/3/13

 アンプ自作のため大阪日本橋の電気屋街へ行く。殆んどの部品はネット通販で購入したのですがどうしても現物を見てみたかったの物を物色に行きました。その部品は本体ケース、いわゆるシャーシというものです。はじめは業者へ頼もうかとも思ったのですがそれなりに値段が張ります。しかし、アルミ製とはいえドリルで穴を開け自分で加工する手間も大変なものでしょう。どちらを取るか実は今も悩んでいます。しかし、業者に頼んだとしてもキットのように全て上手くはまるとは限らず幾分かの修正は必要となる事を考えると、どうせ自宅での使用なので見栄えは悪くても安上がりな自作の方がいいのかもしれません。
 しかし、日本橋に電子部品を見に行くのは何年振りでしょうか。それこそ小学生の頃電気工作に凝って共立電子さん等で部品を集めラジオやうそ発見器などを作ったものですが、昨今のロボット、電子技術、オーディオブームを受け共立さんもHP、店舗も大きくなっていて驚きました。そして安い。細かな部品を集めるに骨が折れると見越してネット通販で買える物は買いましたが一日つぶしても結構楽しかったのではと少し後悔しました(^^;これは本や楽譜にも言える事ですがネットの便利さは例えようもありませんがその反面捨ててしまった部分もあります。その捨ててしまった部分というのは不必要なものではなくとても重要な部分ではないのかと改めて実感した一日でした。

 帰りにヤマハ心斎橋店に。気になる楽譜もありましたが結局何も買わず。タワーレコードで「ゴルドベルグ変奏曲」以来注目しているマルティン・シュタットフェルトの新譜バッハとシューマンのアルバムを試聴。シューマン「トッカータ」が極力ペダルを抑えた抑制の聴いた演奏で面白い。グールドの再来と言われる彼ですが(レーベルもソニークラシカル)私はフェルツマンの影響濃厚と見るが見当違いかな?先日の来日公演は聴けませんでしたが実演を聴いてみたいピアニストの一人です。ちなみに「真にユニークなバッハ演奏はドイツから生まれる」とグレン・グールドが書いております。

2006/3/8

 先日高橋悠治氏の話題で盛り上がったので、所有している氏のピアノ作品を引っ張り出して見てみましたがどれも個性的なものばかりです。五線譜表記でないもの多くあります。「メアンデル」では貝を擦りあわせ、いにしえの発声法で朗読(?)もしなければなりません。氏は最初期の演奏不可能のような超絶技巧作品を現在拒否されているような感じではありますがそれはそれで面白い作品であると思います。自分では弾く気にはなかなかなりませんが。

 久しぶりに友人と深夜のファミレスで音楽談義。こうして話をしていて感じたのはインターネットで収集できる情報というのは便利で有用な反面、そればかりが世界の情報を多い尽くしているような錯覚に陥ってしまう危険性を孕んでいることです。それこそネットで検索をかけても絶対あがって来ないような情報も沢山あり自分の見えている「世界」とは、錯覚の一つではないかと疑われてきます。たまたま玄侑宗久氏の本を読んでいるのと重なり考えてみたりしました。

 去年から愛用のアンプ、サンスイのAU-D607Fがどうも調子が良くなくそろそろ修理に出さなくてはいけないようです。私は家では必要がないかぎりCDは聴かないので専らLP、FM、DVD、ビデオ鑑賞用に酷使してきたので、数年前中古で5000円くらいで買った事を考えれば実によく働いてくれたものです。その分愛着もあり処分するには忍びないので何とか修理してやりたいのですが…。
 とは言いつつ代わりのアンプを物色していたのですが、色々あって何故か今自作オーディオ道にはまりつつあります。スピーカーは今ヤマハのNS-200Mを使っています。私はこれで十分満足しているのですが長岡鉄男氏の本を読むとどうもD−55やスーパースワン等気になります。オーディオは「ほどほどが一番」というのが私の考えですが、しばらく自作に懲りそうです。

2006/3/6

 玉水教会のライブ無事終了しました。聴きに来てくださった皆様に感謝申し上げます。アンコールはグラチィオーリ=フリードマン「アダージョ」、オルンスタイン「6つの水彩画」第1曲でした。
 終演後の飲み会では私の演奏をはじめて聴いて頂いた方にも参加いただき盛会でした。高橋悠治、アキ兄妹ファンが身近にいて私も嬉しい限りでした。

 日曜はPAK(ピアノ・アソシエーション・カンサイ)例会へ。なかなか豪華なメンバーの揃った会合でしたが体調がすぐれず早めに帰宅。今後の予定も決定済みのものあるのですが体調を見て順次掲載して行きたいと思います。

2006/2/11

 コンスタンチン・リフシッツの演奏会へ行く。舞台へ独特の歩き方で紋付の羽織を着込んで登場、場内ざわめくも本人そ知らぬ顔で、一礼しピアノに向かいチャイコフスキーの「四季」を弾き始める。演奏は非常に面白く全曲聴きとおすのが少々つらい「四季」を最後まで飽きずに聴きました。後半プロコフィエフとムソルグスキー「展覧会」でしたが、「展覧会」では色々な仕掛けがあって本当に面白い演奏(内部奏法まで登場)。一昨年オタッキーさんから「リフシッツの「ハンマークラヴィア」は面白い」と聴いていただけに非常に満足な演奏会でした。どうもこういった方向性のはっきりしたタイプのピアニストには甘い評価をしてしまいます。

 ポール・モーリアの「リズム・アンド・ブルース」のレコードが到着。ジャケットデザインは横尾忠則。いわゆるジャケ買いです。CD復刻は不可能ではないしろLPの大きさでなければ表現できない奇怪なジャケットデザインは今見ても新鮮です。

2006/2/9

 クセナキス「6つのギリシャ民謡」、マニャール「散歩」の楽譜が到着。クセナキスの作品は難度低めの初期作品。しかし既に無理な多声的な処理もチラホラと。近年再評価高まるマニャールはいかにもフランスな雰囲気の作品。ドワイヤンの録音で有名な作品です。

 最近レコードを整理していて東芝EMIの好企画「フランスのエスプリシリーズ」に聴きほれる。シリーズ全て持っている訳ではありませんがピエルネ、セヴラック、プーランク、ミョーのピアノ曲やアムランがアンコールで弾いたマスネの「狂ったワルツ」もこのシリーズで聴く事ができます。ミョーの名作2台ピアノ作品「マルティニック島の舞踏会」などドビュッシー、ラヴェル以外のフランス秘曲の宝庫でもあります。その殆んどはCD化されているはずですので興味のある方は聴いてみて下さい。
 このシリーズではありませんが最近ソーゲのピアノ協奏曲のLPを買ったものの1楽章で盤面に傷がありエンドレス状態に…。なかなかきれいな曲だけに残念です(300円ほどで買ったので文句も言えないのですが…)。

2006/2/2

 訂正です。カザルスのライブは2月3日とありましたが正しくは2月4日土曜日午後8時半頃です。
 さて、曲目ですが有名曲からちょっとマニアックなものと何でもありのプログラムとなっています。

2006/1/31

 楽譜にレコード、レコード収納用段ボール箱など色々到着。部屋の容量を確実に超えつつあるレコード群、スペース的にもうレコードラックを置けないのでレコード収納用の段ボール箱を購入しました。整理はとても大変なので目に付いたところを現代曲、協奏曲、ピアノソロ、その他と5箱に収納、少しは纏った感じになりました。しかしあふれ返った本の収納はどうするか悩みの種です…。
 レコードは松平頼則「ピアノと管弦楽の為の主題と変奏曲」、水野修孝「Jazz Orchestra’75」「Jazz Orchestra’73」が到着。松平氏のこの録音はCDになってますが(ナクソス盤とは別)どうしてもLPがほしかったので購入しました。越天楽を主題としたこの作品カラヤンが唯一振った邦人作品としても知られています。B面の「催馬楽によるメタモルフォーズ」が結構好きな作品です。井上二葉さんの録音「美しい日本」も存在するらしいのですが私は今まで現物もカタログでも見たことはありません。水野氏の作品はフリージャズの即興がよくわからないなりに楽しい作品。現代音楽がアツい時代があったのだと感じられるレコードです。
 楽譜はとりあえずカスタルディのとんでも作品「Elisa」が思わず爆笑。皆様お馴染みの曲ですが…。

2006/1/26

 今年からはスケジュールをコーナにーに設けることにしました。スカスカな予定ですがこれから埋まっていく予定(?)ですのでよろしくお願いします。
 とりあえず今のところ日程の決定している3月上旬までのスケジュールをアップしておきました。お時間のあれば聴きに来ていただければ幸いです。

2006/1/23

 ニコライ・ペトロフのバッハ「フランス風序曲」モーツァルト「ソナタ18番ヘ長調」が届く。この人はほんとにこういう微妙にマイナーな曲を弾かせると上手いです。ミスは皆無に等しいですし、音もきれいです。ところで以前にペトロフ死亡説が流布しましたがご健在だということです。ニコライ・ペトロフという名前はロシアでは「山田太郎」のような典型的ロシア系の名前ですので情報が錯綜したのかもしれません。

 以前に買ってそのままになっていたカトリーヌ・コラールのメシアンコンクール後のドビュッシーとメシアンのアルバムを聴く。裏ジャケットにコラールの写真が出ていますが考えてみればこの人の顔初めて見るような気がします。そういえばレコードやCDは持っていても顔を見たことない作曲家、演奏家は意外と多いような気が…。

2006/1/18

 喫茶アマデウスの演奏会なんとか無事終了しました。アンコールはモンポウ「前奏曲5番」、バッハ「G線上のアリア(シロティ編)」でした。ご来場くださいました方々に感謝申し上げます。

 カプスチンの「ヴァイオリンソナタ」と大作「24の前奏曲とフーガ」の楽譜をゲット。相変わらず出版譜のように美しい楽譜です。これでカプスチンの録音された作品はほとんど見る事ができるようになりました。「24の前奏曲とフーガ」の公開全曲演奏はしばらく行われる気配はないようですが確かに相当難しい作品です。

 衛星劇場で放送されたMike Mizunoこと水野晴郎氏製作監督による「シベリア超特急」シリーズ一挙放送を見ましたが大変疲れました。色々な映画のオマージュに彩られているのですが如何せん俳優陣、とりわけ水野晴郎氏の演技には唖然とさせられます。かつてテレビでの解説の名調子は何処にもなく科白棒読みといった状態、やはり演技とは難しいものなのだなぁと思いました。映画放送前に水野氏の解説が入るのですが、そちらは水野氏の面目躍如たる所、かつての名調子で自作を解説されています。ここだけ見るとどんなに面白い映画かと期待してしまうのですが…。

2006/1/5

 ネットランナーを読んでると変な校歌の紹介記事が。有名なのでご存知の方も多いかと思いますが青森県立青森南高等学校の校歌。冒頭の「おーややや」の掛け声が奇怪な感じですが作曲はなんと間宮芳生氏。聴いてみたいなぁ、と思って学校のHPをみるとなんと視聴可能です。
 いやぁ、感動しました
 聴けたことじゃなくて純粋に曲にです。「太陽の王子ホルスの大冒険」を髣髴とさせる曲調(勿論長調ですけど)、歌詞から受けるアヤシイ印象が強ければ強いほど曲に感動するのではないのでしょうか。正直うらやましいですよ、ここの高校。楽譜が見てみたいです。間宮芳生氏は他にも校歌や社歌を作曲されていたはずです。聴いてみたいものです。
 哲学者の宗右近作詞、三善晃作曲による福島県立清陵情報高等学校「宇宙の奥の宇宙まで」もよくわからんがスゴイ。

2006/1/4

 年末病院帰りフラフラの身体で阪神百貨店で開催されているレコード市へ。何も買わないつもりだったのにオグドンのニールセンピアノ作品集などを購入。3枚880円コーナーを物色していると昔何千円で買ったレコードがあったりします。こういうことは慣れっこですがやはり悔しいので買ってしまいます。悪循環です。
 で、明けて正月。最近の中古レコード屋は2日から営業というところも珍しくなく祖父の近所のレコード屋を物色。スィングル・シンガーズの前身、ドゥブル・シス・ドゥ・パリのレコードを見かけるが店頭で30分ほど悩んで結局購入せず。やっぱり買っといた方が良かったかと今でも悩んでます(^^;

 年末にCS「クラシカジャパン」で放送されたバーンスタインの「ヤング・ピープルズ・コンサート」を録画したのを見ていますが、初めの方はなかなか快調に見れるのですが段々とレニーの語り口、身振りが鼻についてきて結構しんどくなってきます。こんなこと書くと怒られそうですが、良き教師、解説者であるのと同時に「私はその時代の知性である」という雰囲気が伝わってくるのです。グールドの喋り方も英語圏の人には「気どった」喋り方に聴こえるそうですが、どうなんでしょうか。バーンスタインの弟子は大体この「ヤング・ピープルズ・コンサート」をやり(たがり)ますが、師との個性、人間性の違いが出て面白いです。
 15日のコンサートは解説つきでやるかな?

2006/1/2

 新年明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願いします。

 といったものの年の瀬から健康面でのトラブルがあり、あまりおめでたい気がしません。禁酒をしていますのである面健康的ではありますが(^^;
 15日にはアマデウスのライヴがありこれから演奏会も増えてきそうな感じです。健康管理も仕事のうちと改めて思いました。
 という訳で本来なら去年のうちに書いておきたかったこともありますが、ご容赦。

 大晦日に「たけしのTVタックル」の裏(紅白の裏という方がいいでしょうか)放送していたK−1、格闘技はまったく興味のない私ですがボビー・オロゴンと曙の対戦見たさに見てみました。普段格闘技を見ることなどない私には試合を傍観するばかりでしたが、リングの下の選手の言動がなかなか興味深い。相手への心理戦もあるのでしょうか、坂口安吾の棋士の心理戦を思い出させました。中でも印象深かったのは山本“KID”徳郁氏と対戦した須藤元気氏。挑発的な言動の兄弟に代表されるような格闘技のイメージとはまったく違う謙虚な態度。他の選手も謙虚でしたが殆んど選手らしからぬ感じでした。
 ドストエフスキーは「謙虚さは恐ろしい力である」と書きましたが、どうでしょうか?

2005/12/22

 今年書こうと思っていたことに指の機能訓練という話題がありました。スポーツのランニング、筋トレ、ストレッチのように楽曲、ピアノから離れて指の機能をあげる方法です(何故こんなことを考えたのかというと私が短時間で楽してピアノがうまくなれないものかという邪まな考えがあるからなのですが)。ただ私が考える方法というものが科学的にどれだけ通用するものなのかよく判らないのと指のような繊細な筋肉、神経を扱うものだけに軽率にHPに書いて、過度の練習で指を痛める可能性がないとも言えないので躊躇して書かず終いになっています。そこで私が主に参考にした文献の紹介をしておきます。
 「ピアノのためのフィンガートレーニング」 藤本雅美著
 私がこのアイデアを得た一冊。コルトーの「基本原理」を基に徹底的な指の機能を開発する練習が掲載されています。脱力に関してもオクターヴ演奏において弾かない指の練習等参考にするところが多い本です。ただし全ての練習をこなすのは困難。自分なりに工夫が必要でしょう。ネウガウス、ブゾーニの特殊練習についても言及されています。
 「正しいピアノ奏法」 御木本澄子著
 賛否両論ある「トレーニングボード」の御木本メソッドの解説です。前著のような体系的練習法の形をとっていないものの示唆に富んだ本です。「トレーニングボード」はなかなか悪くないと思うのですが如何でしょうか?
 上記以外にもランゲンハーンのユニークな練習法等がありますが上記2冊をアレンジすれば楽曲から離れた練習によって短期間での指の機能開発は可能であるかと思います。ただし何事もやり過ぎには注意しましょう。如何に優れた練習でもやり過ぎは百害あって一利なしです(私のようにやらな過ぎも問題ですが・・・)。

 随分前に書いた暗譜に関する記事をこちらに纏めてみました。時間がないので殆んど修正加筆しておりません。

 「ハンマークラヴィア」といえば長大な難曲ですが実際に弾いてみるとホントに難しい。これですからなぁ(^^;

2005/12/19

 2006年1月15日午後3時から神戸元町アマデウスでコンサートを行います。曲目は
 J.S.バッハ イタリア風アリアと変奏BWV989
 L.v.ベートーヴェン ピアノソナタ「テンペスト」 作品31−2
 F.ショパン 夜想曲 作品37−2
 F.リスト
 パガニーニ大練習曲より第3番 「ラ・カンパネラ」S.141−3
 愛の夢第3番S.541−3
 メフィストワルツS.514

となっております。私にしては珍しい曲が並んでおります(^^;バッハの「イタリア風アリアと変奏」は私の好きな作品ですが人前で弾くのは初めてです。入場料2000円、問い合わせは078−371−0605(喫茶アマデウス)まで。
 ちなみに「カンパネラ」は初版でも幻想曲でもありません。

 クリスマスシーズン、神戸の友人のもとでピアノ(電子ピアノですが)を弾きます。バッハの編曲やマデリン・ドリングの「色彩組曲」等を弾く予定。

 デ・ラングの「グールドの名によるフーガ」の音源、楽譜を入手。予想の通りテーマは以下のよう。
 これが2ページの小品ながらBACHのテーマも絡んで来る楽しい対位法的処理、それでいてバロック以前の音楽を想わせる慎ましい雰囲気を持っている魅力的な作品です。他にもカルバージョ、ディ・マリーノ、リャトシャンスキーの作品などの楽譜が届いておりますがまだ詳しく見ておりません。リャトシャンスキーは見た感じいわゆる現代曲風ですが、どうなんでしょうか。あとババジャニアンの無伴奏の合唱曲、曲調が後期のポピュラー風ですごく変です(私は好きですが)。

2005/12/14

 金澤攝氏の演奏会、「19世紀のレーガー」最終回へ。仕事で残念ながら演奏は聴くことは出来なかったのですがその後の打ち上げに参加。オタッキーさんにピアニスト青井彰氏とメンバーも濃密なら内容も濃密。この日私の手帳2ページに書き込まれた情報を消化するには数ヶ月を要するでしょう。更に金澤攝氏から氏の演奏する「ヒンデミットピアノ曲全集」のLPを譲っていただきました。これは感謝感激です。氏の録音は廃盤になっているものも多いのですが中古屋で見かけることもそこそこあります。しかしこのLPは500限定ということもあってか、私は中古市場で見かけたことはありません。貴重なセットといえるでしょう。
 金澤攝氏は演奏には色々な評価がありましょうが、私は今年親しくしていただいて感じたのは、ピアニスト、作曲家である以上に音楽家としてその才能の豊かさです。氏の話は非常に面白い。しかも本質的な深い部分を突いています。金澤攝氏を単なる珍曲マニアと思っている人(かつては私もそうでしたが)はその認識はまったく間違いであると認識しなくてはならないでしょう。

 神戸元町の喫茶アマデウスで1月15日ライヴを行います。詳細は数日後にアップできると思います。

2005/12/10

 Booksに吉田兼好「徒然草」をアップ。いろんな本を読んで好きなことを書き散らしてきましたが今回は古典です。

2005/12/1

 今年も余すところ1ヶ月となりました。公私共に色々な事のあった1年ですが、残る1ヶ月で今年書きかけの雑文を出来る限りアップしていきたいと思います。

 会津若松の調律師佐藤さんのHP「PIANISM 310」へリンク追加。お若いながらしっかりした考えをお持ちで私のような人間は襟を正される思いがします。

 先日兵庫県某市の友人宅へ有名ピアノを弾かせて頂きに行きました。メンバーは調律師のM君とオタッキーさんというなかなか濃い面々。夜遅くまでお邪魔してしまいました。やはり良いピアノは良い音がします。その分管理調整も大変なのでしょうが。しかしオタッキーさんのリクエストで弾いたカツァリスの「サクラ・ユニヴァサリス」はド恥かしい曲です(^^;
 その後Mさんと2人で神戸三宮で飲み会。

 26日中田聖子さんのチェンバロリサイタルへ。ヘンデルの組曲とバッハの組曲(フランス組曲、パルティータ)を組み合わせた意欲的なもの。私は殆んどオリジナル楽器での演奏を聴く事はないのですが、やはりある時代の人がその時代の楽器からどのような音を聴いて作品を作り上げていったのかという事は、知識としてだけでも触れておくべきであると痛感。会場で中村孝義氏と会い久しぶりにお話しもでき、楽しいひと時でした。

 28日青井彰氏のピアノリサイタルへ。バッハ・ブゾーニ編曲「シャコンヌ(ブゾーニ編曲の初稿バージョン)」、カプスチン「前奏曲とフーガ」抜粋、バッハ「ゴルドベルグ変奏曲」という大変なプログラム。先生のピアノへの情熱が伺われます。シャコンヌは初稿バージョンの演奏は青井彰氏の他は金澤攝氏が演奏されたという事意外私は知りません。現行のバージョンとは違うシャコンヌは実に不可思議な響きでこれから初稿での演奏も増えるのではないでしょうか?
 「ゴルドベルグ変奏曲」は青井氏渾身の演奏。全て繰り返しを行う力の入れよう。最後「アリア」が戻ってきた瞬間まさにバッハの巧緻な円環、「音楽による世界の模倣をめぐった旅の終り(高久暁氏解説)」を見たような気がしました。個人的には全ての繰り返しは疑問ではあります(これは青井氏の演奏だけに限ったことではありません)。

 NHK、BSで放送されたアムランのリサイタルを聴く。曲目はアルベニス「イベリア」からの抜粋。9月に東京で全曲演奏された中からの抜粋ですが、やはり出来が良くない。東京で聴いているのですがライヴでは目を瞑ってあげられる処も録音、映像で見るとかなり雑な印象を受けます。アムランも体調が優れないと言っていましたがこうして冷静に聴き返すとテンポのとり方も暴走気味というかヤケクソというか…。アムランの清潔な音が私好みなだけに残念ですがこれはこれでライヴの面白さと肯定的にとるべきでしょう。野球選手が全てホームランを打つわけではありません。その時それぞれのコンディションの演奏家の人間性を聴くことも演奏の面白さです。勿論これは聴く側の話で、演奏者は今日の演奏を絶えず反省しよりよい方向へ努力しなければならないのは言うまでもありませんが。

2005/11/25

 玉水教会のライヴ無事終了しました。結局演奏曲目は

 モーツアルト ソナタ K333
 セルバンテス 6つのキューバ舞曲
 チョリュリーニョス 楽興の時
 クラーメル オスカー・ピーターソンに捧ぐ
 チャイコフスキー 「四季」から2曲
 リチャード・ロドニー・ベネット 夜はやさし
 エルガー 愛の挨拶
 ロンドンデリーの歌(グレンジャー編)

 吉松隆 プレイアデス舞曲集から
 ファジル・サイ パガニーニ変奏曲

 でした(赤字が追加曲)。アンコールはファロッシの「Fantasia su white christmas di Berlin」、ローゼンブラットの「アトム」でした。妙な組み合わせごった煮演奏会でしたが好評だったようです。ご来場いただきました皆様ありがとうございます。
 終演後調律師のM君と飲んでいるとオタッキーさんも参戦、ピアノ談義は深夜にまで及びました。今日は昼から用事があったのですがさすがにしんどかったです。そろそろ年を考えなくてはいけないか?

 明日は日本福音ルーテル大阪協会で行われる中田聖子さんの演奏会へ行く予定。

2005/11/24

 本日の玉水教会でのライヴは色々プログラムにない曲も演奏の予定です。その都度解説を入れていきますが、演奏曲の解説を喋るのは何回やってもうまくならないものです。詳細はライヴ終了後に。

2005/11/21

 大岡サロンでの演奏会終了しました。アンコールはショパン遺作の「夜想曲」。「戦場のピアニスト」のあれです。ご来場いただきました皆様ありがとうございます。

 先日BSで放送された「グレン・グールド ロシアへの旅」はなかなか興味深い内容でした。グールドのロシア演奏旅行のドキュメンタリー番組ですがアシュケナージやロストロポーヴィチをはじめとする人たちのインタビューが面白い。アシュケナージを含め「彼は宇宙人だと思う」「あの完璧性は人間ではない」というコメントが多いのは実際にグールドの生演奏を聴いたものにしか沸かない感想でしょう。演奏以外の面から語られることも多いグールドですが演奏家としての類稀な天才性に触れたロシアの人たちの驚嘆が40年たった今でも生々しく語られるのは感動的ですらあります。その後ロシアではグールドの再訪の声が高かったのですがグールドのコンサート終始、更にフルシチョフの政策によって果たせませんでした。

2005/11/13

 無常といふこと、日本思想史をひもとけば必ず引っ掛るキィワードですが、もののあはれ、と並ぶこの用語本来の意味は随分薄れているようです。梵語anityaの訳語ということは知識として知っていても生滅流転、永遠のものはなし、という意味は意外に知られていないようです。「諸行無常」「行ク川ノ流レハ絶エズシテ」の無常であります。
 トラ吉へのお悔やみメールありがとうございます。トラ吉も喜んでいると思うのは人間の考えかもしれませんが、ネットを通じて冥福を祈ってくれる方がいらっしゃるのはありがたいかぎりです。

2005/11/11

 先程10日午後10時55分愛猫トラ吉が息を引き取りました。19年と8ヶ月、猫としては異例の長命、人間では100歳近い高齢です。5日からものを食べなくなり急に弱ってきたのでここ1、2日だろうと覚悟していたのですが心臓が強いのか飲まず食わずで5日間寝たままでした。殆んど意識朦朧としていたようですが、様子を見に行くと首を上げて時折「ニャン」と一声鳴いたりしていました。昨日からは耳をピクンと動かすだけでもう体力も残っていないようになり今日の昼に様子を見たときは目もはっきり開けないようになっていました。午後10時30分ごろ父が様子を見に行くとまったくの昏睡状態で声にならない声をあげており母、祖母、私が囲んで手を取られ背中を撫ぜられながら安らかに息を引き取りました。
 天地開闢以来の賢猫、とまではいかなくても頭のいい猫でした(これは猫を飼っている人は皆思っていることですが)。去勢の時期が少し早かったせいもあり年の割りに幼く見え、いつまでも子供という感じがしていましたが、命あるものはやはり死んでしまいます。長命であり大病も患わず安らかに息を引き取った訳ですから十分なほどですが、やはり喪失感が大きいです。悲しくもあるのですが二度と暖かいトラ吉と冬に一緒にゴロゴロ出来ないというさみしさ、喪失感が強いです。佐藤春夫の絶筆「愛猫知美の死」では極楽で愛猫チビが子虎の様に立派になってじゃれかかってきますが、トラ吉は小さい子のままでいいです。
 さよなら、トラちゃん。

2005/11/10

 最近モンポウの作品をレパートリーに入れるべく譜読みしています。先日のアンコールで「前奏曲5番」を弾いて感じたのですが、モンポウの作品はその独特なピアノの響きにあります。ドビュッシーともプーランクとも違う静謐で素朴な響きはモンポウならではのものです。ショパン、ドビュッシーのラインの延長線上でもないのですがピアノという楽器の可能性を極端に切り詰めたかたちで体現した作曲家といっていいのではないでしょうか。反面ソラブジのような「複雑系」の作品を創作した作曲家がいる訳ですが、これはピアノという楽器の可能性の深さを感じさせられます。
 モンポウの作品については「楽譜の風景」で不破さんが優れた解説を書いておられます。


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