更新記録と日記

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2005/12/22

 今年書こうと思っていたことに指の機能訓練という話題がありました。スポーツのランニング、筋トレ、ストレッチのように楽曲、ピアノから離れて指の機能をあげる方法です(何故こんなことを考えたのかというと私が短時間で楽してピアノがうまくなれないものかという邪まな考えがあるからなのですが)。ただ私が考える方法というものが科学的にどれだけ通用するものなのかよく判らないのと指のような繊細な筋肉、神経を扱うものだけに軽率にHPに書いて、過度の練習で指を痛める可能性がないとも言えないので躊躇して書かず終いになっています。そこで私が主に参考にした文献の紹介をしておきます。
 「ピアノのためのフィンガートレーニング」 藤本雅美著
 私がこのアイデアを得た一冊。コルトーの「基本原理」を基に徹底的な指の機能を開発する練習が掲載されています。脱力に関してもオクターヴ演奏において弾かない指の練習等参考にするところが多い本です。ただし全ての練習をこなすのは困難。自分なりに工夫が必要でしょう。ネウガウス、ブゾーニの特殊練習についても言及されています。
 「正しいピアノ奏法」 御木本澄子著
 賛否両論ある「トレーニングボード」の御木本メソッドの解説です。前著のような体系的練習法の形をとっていないものの示唆に富んだ本です。「トレーニングボード」はなかなか悪くないと思うのですが如何でしょうか?
 上記以外にもランゲンハーンのユニークな練習法等がありますが上記2冊をアレンジすれば楽曲から離れた練習によって短期間での指の機能開発は可能であるかと思います。ただし何事もやり過ぎには注意しましょう。如何に優れた練習でもやり過ぎは百害あって一利なしです(私のようにやらな過ぎも問題ですが・・・)。

 随分前に書いた暗譜に関する記事をこちらに纏めてみました。時間がないので殆んど修正加筆しておりません。

 「ハンマークラヴィア」といえば長大な難曲ですが実際に弾いてみるとホントに難しい。これですからなぁ(^^;

2005/12/19

 2006年1月15日午後3時から神戸元町アマデウスでコンサートを行います。曲目は
 J.S.バッハ イタリア風アリアと変奏BWV989
 L.v.ベートーヴェン ピアノソナタ「テンペスト」 作品31−2
 F.ショパン 夜想曲 作品37−2
 F.リスト
 パガニーニ大練習曲より第3番 「ラ・カンパネラ」S.141−3
 愛の夢第3番S.541−3
 メフィストワルツS.514

となっております。私にしては珍しい曲が並んでおります(^^;バッハの「イタリア風アリアと変奏」は私の好きな作品ですが人前で弾くのは初めてです。入場料2000円、問い合わせは078−371−0605(喫茶アマデウス)まで。
 ちなみに「カンパネラ」は初版でも幻想曲でもありません。

 クリスマスシーズン、神戸の友人のもとでピアノ(電子ピアノですが)を弾きます。バッハの編曲やマデリン・ドリングの「色彩組曲」等を弾く予定。

 デ・ラングの「グールドの名によるフーガ」の音源、楽譜を入手。予想の通りテーマは以下のよう。
 これが2ページの小品ながらBACHのテーマも絡んで来る楽しい対位法的処理、それでいてバロック以前の音楽を想わせる慎ましい雰囲気を持っている魅力的な作品です。他にもカルバージョ、ディ・マリーノ、リャトシャンスキーの作品などの楽譜が届いておりますがまだ詳しく見ておりません。リャトシャンスキーは見た感じいわゆる現代曲風ですが、どうなんでしょうか。あとババジャニアンの無伴奏の合唱曲、曲調が後期のポピュラー風ですごく変です(私は好きですが)。

2005/12/14

 金澤攝氏の演奏会、「19世紀のレーガー」最終回へ。仕事で残念ながら演奏は聴くことは出来なかったのですがその後の打ち上げに参加。オタッキーさんにピアニスト青井彰氏とメンバーも濃密なら内容も濃密。この日私の手帳2ページに書き込まれた情報を消化するには数ヶ月を要するでしょう。更に金澤攝氏から氏の演奏する「ヒンデミットピアノ曲全集」のLPを譲っていただきました。これは感謝感激です。氏の録音は廃盤になっているものも多いのですが中古屋で見かけることもそこそこあります。しかしこのLPは500限定ということもあってか、私は中古市場で見かけたことはありません。貴重なセットといえるでしょう。
 金澤攝氏は演奏には色々な評価がありましょうが、私は今年親しくしていただいて感じたのは、ピアニスト、作曲家である以上に音楽家としてその才能の豊かさです。氏の話は非常に面白い。しかも本質的な深い部分を突いています。金澤攝氏を単なる珍曲マニアと思っている人(かつては私もそうでしたが)はその認識はまったく間違いであると認識しなくてはならないでしょう。

 神戸元町の喫茶アマデウスで1月15日ライヴを行います。詳細は数日後にアップできると思います。

2005/12/10

 Booksに吉田兼好「徒然草」をアップ。いろんな本を読んで好きなことを書き散らしてきましたが今回は古典です。

2005/12/1

 今年も余すところ1ヶ月となりました。公私共に色々な事のあった1年ですが、残る1ヶ月で今年書きかけの雑文を出来る限りアップしていきたいと思います。

 会津若松の調律師佐藤さんのHP「PIANISM 310」へリンク追加。お若いながらしっかりした考えをお持ちで私のような人間は襟を正される思いがします。

 先日兵庫県某市の友人宅へ有名ピアノを弾かせて頂きに行きました。メンバーは調律師のM君とオタッキーさんというなかなか濃い面々。夜遅くまでお邪魔してしまいました。やはり良いピアノは良い音がします。その分管理調整も大変なのでしょうが。しかしオタッキーさんのリクエストで弾いたカツァリスの「サクラ・ユニヴァサリス」はド恥かしい曲です(^^;
 その後Mさんと2人で神戸三宮で飲み会。

 26日中田聖子さんのチェンバロリサイタルへ。ヘンデルの組曲とバッハの組曲(フランス組曲、パルティータ)を組み合わせた意欲的なもの。私は殆んどオリジナル楽器での演奏を聴く事はないのですが、やはりある時代の人がその時代の楽器からどのような音を聴いて作品を作り上げていったのかという事は、知識としてだけでも触れておくべきであると痛感。会場で中村孝義氏と会い久しぶりにお話しもでき、楽しいひと時でした。

 28日青井彰氏のピアノリサイタルへ。バッハ・ブゾーニ編曲「シャコンヌ(ブゾーニ編曲の初稿バージョン)」、カプスチン「前奏曲とフーガ」抜粋、バッハ「ゴルドベルグ変奏曲」という大変なプログラム。先生のピアノへの情熱が伺われます。シャコンヌは初稿バージョンの演奏は青井彰氏の他は金澤攝氏が演奏されたという事意外私は知りません。現行のバージョンとは違うシャコンヌは実に不可思議な響きでこれから初稿での演奏も増えるのではないでしょうか?
 「ゴルドベルグ変奏曲」は青井氏渾身の演奏。全て繰り返しを行う力の入れよう。最後「アリア」が戻ってきた瞬間まさにバッハの巧緻な円環、「音楽による世界の模倣をめぐった旅の終り(高久暁氏解説)」を見たような気がしました。個人的には全ての繰り返しは疑問ではあります(これは青井氏の演奏だけに限ったことではありません)。

 NHK、BSで放送されたアムランのリサイタルを聴く。曲目はアルベニス「イベリア」からの抜粋。9月に東京で全曲演奏された中からの抜粋ですが、やはり出来が良くない。東京で聴いているのですがライヴでは目を瞑ってあげられる処も録音、映像で見るとかなり雑な印象を受けます。アムランも体調が優れないと言っていましたがこうして冷静に聴き返すとテンポのとり方も暴走気味というかヤケクソというか…。アムランの清潔な音が私好みなだけに残念ですがこれはこれでライヴの面白さと肯定的にとるべきでしょう。野球選手が全てホームランを打つわけではありません。その時それぞれのコンディションの演奏家の人間性を聴くことも演奏の面白さです。勿論これは聴く側の話で、演奏者は今日の演奏を絶えず反省しよりよい方向へ努力しなければならないのは言うまでもありませんが。

2005/11/25

 玉水教会のライヴ無事終了しました。結局演奏曲目は

 モーツアルト ソナタ K333
 セルバンテス 6つのキューバ舞曲
 チョリュリーニョス 楽興の時
 クラーメル オスカー・ピーターソンに捧ぐ
 チャイコフスキー 「四季」から2曲
 リチャード・ロドニー・ベネット 夜はやさし
 エルガー 愛の挨拶
 ロンドンデリーの歌(グレンジャー編)

 吉松隆 プレイアデス舞曲集から
 ファジル・サイ パガニーニ変奏曲

 でした(赤字が追加曲)。アンコールはファロッシの「Fantasia su white christmas di Berlin」、ローゼンブラットの「アトム」でした。妙な組み合わせごった煮演奏会でしたが好評だったようです。ご来場いただきました皆様ありがとうございます。
 終演後調律師のM君と飲んでいるとオタッキーさんも参戦、ピアノ談義は深夜にまで及びました。今日は昼から用事があったのですがさすがにしんどかったです。そろそろ年を考えなくてはいけないか?

 明日は日本福音ルーテル大阪協会で行われる中田聖子さんの演奏会へ行く予定。

2005/11/24

 本日の玉水教会でのライヴは色々プログラムにない曲も演奏の予定です。その都度解説を入れていきますが、演奏曲の解説を喋るのは何回やってもうまくならないものです。詳細はライヴ終了後に。

2005/11/21

 大岡サロンでの演奏会終了しました。アンコールはショパン遺作の「夜想曲」。「戦場のピアニスト」のあれです。ご来場いただきました皆様ありがとうございます。

 先日BSで放送された「グレン・グールド ロシアへの旅」はなかなか興味深い内容でした。グールドのロシア演奏旅行のドキュメンタリー番組ですがアシュケナージやロストロポーヴィチをはじめとする人たちのインタビューが面白い。アシュケナージを含め「彼は宇宙人だと思う」「あの完璧性は人間ではない」というコメントが多いのは実際にグールドの生演奏を聴いたものにしか沸かない感想でしょう。演奏以外の面から語られることも多いグールドですが演奏家としての類稀な天才性に触れたロシアの人たちの驚嘆が40年たった今でも生々しく語られるのは感動的ですらあります。その後ロシアではグールドの再訪の声が高かったのですがグールドのコンサート終始、更にフルシチョフの政策によって果たせませんでした。

2005/11/13

 無常といふこと、日本思想史をひもとけば必ず引っ掛るキィワードですが、もののあはれ、と並ぶこの用語本来の意味は随分薄れているようです。梵語anityaの訳語ということは知識として知っていても生滅流転、永遠のものはなし、という意味は意外に知られていないようです。「諸行無常」「行ク川ノ流レハ絶エズシテ」の無常であります。
 トラ吉へのお悔やみメールありがとうございます。トラ吉も喜んでいると思うのは人間の考えかもしれませんが、ネットを通じて冥福を祈ってくれる方がいらっしゃるのはありがたいかぎりです。

2005/11/11

 先程10日午後10時55分愛猫トラ吉が息を引き取りました。19年と8ヶ月、猫としては異例の長命、人間では100歳近い高齢です。5日からものを食べなくなり急に弱ってきたのでここ1、2日だろうと覚悟していたのですが心臓が強いのか飲まず食わずで5日間寝たままでした。殆んど意識朦朧としていたようですが、様子を見に行くと首を上げて時折「ニャン」と一声鳴いたりしていました。昨日からは耳をピクンと動かすだけでもう体力も残っていないようになり今日の昼に様子を見たときは目もはっきり開けないようになっていました。午後10時30分ごろ父が様子を見に行くとまったくの昏睡状態で声にならない声をあげており母、祖母、私が囲んで手を取られ背中を撫ぜられながら安らかに息を引き取りました。
 天地開闢以来の賢猫、とまではいかなくても頭のいい猫でした(これは猫を飼っている人は皆思っていることですが)。去勢の時期が少し早かったせいもあり年の割りに幼く見え、いつまでも子供という感じがしていましたが、命あるものはやはり死んでしまいます。長命であり大病も患わず安らかに息を引き取った訳ですから十分なほどですが、やはり喪失感が大きいです。悲しくもあるのですが二度と暖かいトラ吉と冬に一緒にゴロゴロ出来ないというさみしさ、喪失感が強いです。佐藤春夫の絶筆「愛猫知美の死」では極楽で愛猫チビが子虎の様に立派になってじゃれかかってきますが、トラ吉は小さい子のままでいいです。
 さよなら、トラちゃん。

2005/11/10

 最近モンポウの作品をレパートリーに入れるべく譜読みしています。先日のアンコールで「前奏曲5番」を弾いて感じたのですが、モンポウの作品はその独特なピアノの響きにあります。ドビュッシーともプーランクとも違う静謐で素朴な響きはモンポウならではのものです。ショパン、ドビュッシーのラインの延長線上でもないのですがピアノという楽器の可能性を極端に切り詰めたかたちで体現した作曲家といっていいのではないでしょうか。反面ソラブジのような「複雑系」の作品を創作した作曲家がいる訳ですが、これはピアノという楽器の可能性の深さを感じさせられます。
 モンポウの作品については「楽譜の風景」で不破さんが優れた解説を書いておられます。

2005/11/9

 先日お知らせした玉水教会でのライブ開演時間が若干変更です。6時30分からとなります。

 以前に三島由紀夫の自作自演の超問題作「憂国」がDVDになって「決定版三島由紀夫全集」の補巻に収められることを書きましたが、この補巻、三島十代の頃の未発表作に加え真偽が問題とされていた「愛の処刑」が収録されるそうです。この作品は会員制の同性愛雑誌に掲載されたもので教師が愛する生徒の前で切腹するというトンデモナイもの(この雑誌、編集に中井英夫が関わっていたらしい。「虚無への供物」も初め会員制同性愛誌に掲載。)。この度中井英夫の遺品の中から自筆原稿が見つかり三島の作品であると断定されたそうです。勿論私は未読です。この作品はなんと映画化もされているそうです(野上正義監督、昭58、ENKプロモーション)。こちらは私は存在さえ知りませんでした。調べた限りでは同性愛のポルノ映画のようなのですが…詳細は不明。製作はあの「薔薇族」編集長伊藤文学氏だそうです。
 そういえば中井英夫の「虚無への供物」中にボディビルジムの会員「藤間百合夫」という人物が出てくるのですがこれは三島がモデルらしい。三島は中井英夫に「物語と関係なく(藤間百合夫の話を)100枚ぐらい書いてよ」といったそうです。中井英夫は中井英夫で自宅の薔薇園「流薔園」での薔薇を愛でる会(澁澤龍彦、武満徹等も参加)を「薔薇族の会になっちゃった」なんてインタビューで言ってますし。本当にアブナイ人たちです(^^;
 どちらにせよ「決定版 三島由紀夫全集」補巻は買っておかないと後悔するかもしれません。すぐ絶版、もしくは本当に出版できるのかという気すらする内容です。

2005/11/5

 今月のライブの予定を。

 11月19日午後6時30分から阪神武庫川大岡サロンでサロンコンサートに出演します。曲目は
 J.S. バッハ イタリア協奏曲BWV971
 レオポルド・ゴドウスキー(原曲 F.ショパン) 別れの曲
 ヨゼフ・ホフマン 夜想曲
 C.ドビッシー 前奏曲1集から「亜麻色の髪の乙女」「帆」
 「とだえたセレナード」「ミンストレル」
  L.V .ベートーベン ソナタ「テンペスト」作品32-2
 ファジル.サイ パガニーニ変奏曲
 となっております。詳細は大岡サロンまで

 11月24日午後6時30分から大阪肥後橋の玉水教会にてライヴを行います。曲目は
 モーツアルト ソナタ K333
 セルバンテス 6つのキューバ舞曲
 チョリュリーニョス 楽興の時
 リチャード・ロドニー・ベネット 夜はやさし
 吉松隆 プレイアデス舞曲集から
 となっております。

 秋深し、無常を感ずる今日この頃です。
 先のフェニックスホールでの演奏会で解説を自分で書いたのですが、字数制限というのは大変難しいです。かといって字数無制限だからいいのかというとそういう訳でもないのですが。自分なりの切り込み方をしたつもりですが出来のほどは如何でしたでしょうか?

2005/10/28

 フェニックスホールでの演奏会無事終了しました。アンコールはドビュッシー「亜麻色の髪のおとめ」、ファジル・サイ「パガニーニ変奏曲」、シチェドリン「フモレスケ」、モンポウ「前奏曲5番」、ローゼンブラット「アトムによる幻想曲」の5曲。よく弾いたもんです(^^;
 聴きにきてくださった皆様にあつくお礼申し上げます。

2005/10/20

 フェニックスホールでの演奏会1週間前となりました。いつの間にかフェニックスホールのHPでも紹介されていました。少々照れくさいです。

 カプスチンの「異なる音程による5つの練習曲」の楽譜が到着。第1曲、これって弾けるの?と思いましたが指使いを考えれば可能のようです。しかしアムランの様にはとても弾けないでしょう。アムランの切れのいい演奏は本当に驚異です。

 水上勉「雁の寺」を読む。川島雄三の傑作「雁の寺」を見て原作も読んで見たいなぁと思い手にとって見ました。原作と映画は随分違います。似通っているのは全編に重くのしかかる様な雰囲気でしょうか。映画は川島雄三独特のシニカルな部分が強く、登場人物の描き方もはっきりと性格分けができています。山茶花究や小沢昭一といったキャラクターを使うことでその重圧感を際立たせるのもいかにも川島雄三らしい手法です。一方原作の方は映画では明確でなかったところがはっきりと描かれているところもあるのですが、それ以上に作者自ら分析を行っていない部分、その闇の部分が色濃く印象に残ります。これは小説という手段であるから可能であるのでしょう。私はどちらの「雁の寺」も好きですが、映画の終盤での若尾文子と雁の襖絵のシーンの緊張感は「いやぁ、映画って本当にいいものですね」と思う名シーンであります(右写真)。

2005/10/19

 映画「女経」を見る。いやぁ面白い。増村保造、市川崑、吉村公三郎の辣腕監督と若尾文子、山本富士子、京マチ子等によるオムニバス作品ですが、さすがにこれだけそろうと面白いです。中でも第2話「物を高く売りつける女」は前半のシュールな映像と後半のギャップの凄さに受けました。この作品は是非解説を書いてみたいと思います。

 クラシック音楽に限らず私はどうもアングラ系が好きで映画でも本でもソッチ関係のものには目がありません。なんせ今までの人生の中で定期購読していたマンガ雑誌は「ガロ」と「ジュネ」というその筋では有名な世間的にイケナイ雑誌でした(高校生の頃の話です)。いまでは熱も醒めて冷静に見られるのですが、同時は若気の至りと申しましょうか、ジャンプやサンデーなんかは殆んど読んだことないのにアッチ関係の雑誌は夢中で読みました。「夢想」「銀星倶楽部」を出していたペヨトル工房の本なんかもよく買いましたなぁ。当時大阪旭屋本店の確か5階にキテル本棚がありまして国書刊行会の「クラテール叢書」や工作社、リブロポートの本、また澁澤龍彦、種村季弘、南方熊楠の本を羨望のまなざしで見ていたものです。その頃はその手の本は最低でも3,000円はしていまして高校生の小遣いでは手が出ないものも多かったものです。リブロポートの「フローラの神殿」「黄金の鳥たち」の復刻版は3万円以上したのではないのでしょうか。あの美しい本はぜひとも私のささやかな書架に加えたいものだと思っていましたが残念ながら出版社が潰れその願いも叶えられそうにありません。古書市場でも結構な値段になっていますから。
 さて最近非常に興味深い本を数冊読みました。書名はちょっと控えさせていただきますが(^^;いわゆる「やおい」関連の本です。「やおい」とは「やまなし」「おちなし」「いみなし」の頭をとって言われる言葉ですが、平たく言えば少女漫画で男同士の恋愛、同性愛を扱ったものです。古くは寺山修治が「ゴチック・ロマン」と絶賛した竹宮恵子の「風と木の詩」が有名です。今回読んだ作品は画風、内容共に非常に感心する内容のものでありました。かつて60年代後半に現れた夭折の天才つりたくにこの「目のきらきらしない少女漫画」を髣髴とさせる画風で内容も非常に自然体。どちらかというと過剰な耽美に浸るこの手の作品も時代と共に変わったものだと思いました。何故この本を手に取ったのかはまぁ色々付き合いもありまして…(^^;
 それはともかくどうも私はマンガに関してはアングラ作品にしか食指が動かないようです。つげ義春のガロ増刊号を2冊とも所有しているのが自慢の一つなんですが、普通は自慢にも何にもならんでしょうなぁ…。今回の日記は軽く流してください、あまり深く追求なさらぬよう(^^;

2005/10/14

 リストへの挑戦へリンク。リストの作品紹介やリストの作品における鋭い洞察をみせる解説があります。サール番号も一挙に見れます。

 これが「春の雪」の表紙だ!!

 などと、ついはりきってみましたがこの単行本、古書業界ではあまり珍しくもなく三島本の中では一番入手しやすいものです(なんせ遺作ですから)。しかし文庫本では味わえない風格と言うか格調があります。おまけに旧字旧かな。新潮社の「決定版三島由紀夫全集」が新字新かなに物足りない人も多いのでは?などと思ってしまいます(旧版全集は旧字旧かなでした)。黄眠道人こと日夏耿之介は自宅に送られてくる新字体の本を裏手の川にうち捨て「新字新かなが流れていく」と呵呵大笑したそうです。中井英夫ではないですが江戸川乱歩の「虫」の有名な部分「蟲」の字が並ぶところは旧字体で読むのと新字体で読むのとでは全然印象が違います。そういえば三島も「文章読本」の中で印刷された文字の並びに対する印象を書いていたはずです。内容を伝達するだけでいいのなら「小説」など無用です。そして小説を読んでストーリーを追うのだけなら字体は不要です(極端には朗読でいい訳です)。書かれた文字、字体、改行、空白などを含め演出した作家は少なからずいたはずでしょう(極端な例は筒井康隆)。現在「常用漢字でない」という理由で使われない文字があります。推理小説という名称は探偵小説の「偵」の字が常用漢字でないという理由からきているという事を先の中井英夫は「愚かしい」と嘆いています。
 旧字旧かなも読めるようになりましょう(^^

2005/10/13

 谷崎潤一郎の「乱菊物語」を読む。実に面白い。こんなに面白い小説を読んだのは久しぶりです。しかし盛り上がったところで未完という本作、読後の感想は複雑です。内容は大映スペクタクル時代劇なのですが、その後どのように展開したのか往生した際は是非谷崎に聞いてみたいです。興味深く読んだのは佐伯彰一氏の解説中の晩年の谷崎の口述筆記を行った伊吹和子女史のエピソード。谷崎から「乱菊物語」の後篇、「武州公秘話」の続篇、「雨月物語」の口語訳の準備をしておくように言われていたのですが、いざ口述筆記を開始してみると始まったのは「瘋癲老人日記」だったということです。準備してあった3作品が読めないのは残念ですが「瘋癲老人日記」が書かれなかったとしても、非常に残念だったかも(結果論ですが)…。
 それにしても芥川龍之介の「邪宗門」も未完ですし半村良の「妖星伝」も完結したもののちょっとはぐらかされた様な感じですし伝奇小説は小説家にとって難物なんでしょうか?

2005/10/12

 玉水教会でのライヴ無事終了しました。聴きに来て頂いた皆様に感謝申しあげます。
 玉水教会にわざわざピアニストの青井彰氏が聴きに来て頂き恐縮の限り。終演後はご一緒に新梅田食堂街で音楽談義。青井先生と知り合いになって早4、5年ですが思えば2人っきりで飲むのは今回が初めて。なにやら異様な盛り上がりでカプスチンの楽譜、ホルショフスキーのライヴ映像、ホロヴィッツの映像、チェルカスキーの思い出、アムランの音色、ウィーンの憂愁等々非常に密度の濃い内容でした。またご同行したいです。

 明けて某日「藝術集団鳳組」の大和さん御夫妻等を拙宅に招いての飲み会。相も変わらず拙いホストぶりでご迷惑をおかけしました。
 さてさすがは大和さん目の付け所が違います。私の乏しいレコードライブラリーからモギレフスキーのリスト、ブゾーニ編の「アド・ノス幻想曲」。この大曲を演奏された事があるという(これは驚くべきことです)だけあり、フーガ部分では対旋律を歌うあげるほど作品を把握されていたのには私の勉強不足を再認識。翌日早速楽譜を見直しました。グンナー・ヨハンセンの「アド・ノス」は時間切れで聴けず、デミジェンコの「ドン・ファン幻想曲」はLPが見つからず申し訳ありませんでした(^^;

 さて次はザ・フェニックス・ホールの大舞台です。体調に気をつけて…深酒しております(^^;

2005/10/6

 「グチンスキー部屋」へリンク。私の友人で現在フランスに留学中の山口さんのプログです。ホロヴィッツの採譜や音源など色々交換したりしているかなりコアな方です。以前拙宅に遊びに来られた時、オタッキーさんを交えて随分盛り上がったものです。

 久しぶりにカプスチンネタを。現在アムランの「カプスチンアルバム」の解説を書いているのですが、たまたま中古LPでカプスチンのメロディア録音「ジャズ小品集」を入手しました。収録曲は「古典組曲」「変奏曲」等全てCD化されたものです。これでカプスチンのメロディア録音3枚は全てそろいました(どうやらこれ以外にも録音はあるようですが)。ところで「24の前奏曲」と同じく原盤の音の感じは随分CDとは違います。これはLPの音がいいというレコードファンの口癖だけではなく、CD化されるときの音質の調整などの影響によるところが大きいようです。ニコライ・ペトロフの演奏なんかもあの肉厚なピアノの音はCDからはイメージしにくいのですがLPで聴くと生々しく感じるような気がします。単なる懐古趣味と言われればそれまでなのですが…。

 三島由紀夫原作の映画「春の雪」ですが、思えばこの作品、中学の時私が初めて読んだ三島作品です。それから断続的に三島は読んできましたが「仮面の告白」や「金閣寺」といった作品はもっと後になって読みました。「豊饒の海」4部作の中ではこの「春の雪」と「奔馬」が特に好きでなのですが、「奔馬」は映画化は無理でしょうなぁ。
 三島関連でもう一つ。新潮社のHPを見ていてビックリ、三島由紀夫全集の補完として三島監督・主演による超問題作「憂国」がDVD化される。増村保造監督作品「からっ風野郎」で主演をこなした三島由紀夫ですが、是非見てみたいものです。

2005/9/22

 アムランの演奏について。私が特に興味深く聴いたのは二日目のベートーヴェンのソナタとアイヴスの「コンコードソナタ」。彼の深い音楽性を感じると同時に何か物足りなさを覚えるベートーヴェンでありました。勿論アムランの演奏は私が楽譜から読み落としていたような細部まで気を配った演奏でそれ自体が驚異的なことなのですが、反面楽譜の背後にある突き抜けるような陶酔感が薄く感じられます。これはレコーディングで顕著でよく「アムランのCDは面白くない」等と書かれますが、それはアムランが明晰な演奏を心掛けているからでピアノを弾いている人が聴くと驚異的な演奏ですがピアノを触らない人には物足りない演奏なのかもしれません。しかし例えばホロヴィッツのような人はピアノ弾かない人が聴いても「すごい」と思わせる(勿論ピアノを弾く人も)演奏をする訳でなかなか難しい問題です。ただ、アムランのその「面白くなさ」は音楽性の欠如や音色の平坦さから来るものではなく、彼のあまりにストレートな表現に起因するものです。誤解を恐れずにいえば「常識的」なのです。
 しかし逆にアムランのこの演奏スタイルが武器となる曲もあります。例えばソラブジやゴドウスキー等といった音の多い難曲です。これらの幾分非常識な楽譜を常識的に演奏するアムランの演奏は見通しのよい、この手の難曲の演奏にありがちな妙な神秘性がなく、曲の真の魅力を伝えてくれます。今回の演奏会でも後半の「コンコードソナタ」は素晴らしい出来栄えでした。どちらにせよ目の離せないピアニストの1人であることには違いありません。

 ところでアムランのアンコールはこれまた彼らしいものでした。パンチョ(パンコ)・ウラディゲロフ「ソナチナ・コンチェルタンテ」Op.28第1楽章、アンタイル「ジャズ・ソナタ」、ショパン=リスト(=ローゼンタール)「私の愛しい人」。中でもウラディゲロフの作品は彼がこれから取り組むような話しもあがっていて楽しみのです。ギレリスのメロディア初期録音と浅川豊夫氏によるピアノ協奏曲3番のLPしか聴いたことはありませんがなかなか面白そうな作曲家です。

 10月7日午後5時30分から大阪肥後橋の玉水教会にてライヴを行います。曲目は
 ベートーヴェン ソナタ 作品31−2「テンペスト」
 ヨーク・ボゥエン 24の前奏曲から6番、8番、16番、24番
 ブラームス 2つのラプソディ 作品79
 ショパン 「別れの曲」
 ヨゼフ・ホフマン 夜想曲
 ファジル・サイ パガニーニ変奏曲
 となっております。入場無料ですのでお時間のある方は聴きに来てください。

2005/9/14

 アムランの演奏会に行ってまいりました。曲目はアルベニスの「イベリア」全曲、ベートーヴェン「ソナタ」30、31番、アイブズ「コンコードソナタ」というまさにアムランにしか出来ないような内容。しかも今回は全て暗譜演奏という気合の入れよう。「コンコードソナタ」はアムランの実演を聴いてこんなに感動的な音楽なのだと思いました。「イベリア」は少々ミスも目立ちましたが元々異常なテクニックを駆使した作品。それをあくまで音楽的な表現に重点を置いて演奏出来るのはやはりアムランならではです。

 時間があまり取れなかったのでレコード屋は1日しか廻れなかったのですがチェルカーソフの弾くバランチヴァーゼ「ピアノ協奏曲4番」等そこそこ面白いものをゲット。家に帰るとクロード・エルフェのプロコフィエフ「ソナタ2番」「トッカータ」、スロボジャニクのシューマン「謝肉祭」ストラヴィンスキー「ペトリューシュカ」のLPが届いていました。しばらく聴くものに困りません。

2005/8/29

 全音から発売されたカプスチンの作品集を購入。「ソナチネ」あたりはレパートリーに出来るかなと思いました。近々カプスチンの別の楽譜が到着予定、楽しみです。

 中村登の「古都」を見る。「極妻」になる遥か前の岩下志麻さんの凛とした美しさが際立っています。また町並みの撮影、描写も美しく武満徹の音楽とよくマッチしています。中村登、吉村公三郎といったいわゆる「女性映画」の監督の作品は映画史に残る大傑作といった感じはしないのですが、それぞれに味わいがあり魅力的ではあります。それにしても武満のサントラ、畏るべし。

2005/8/21

 10月の演奏会の曲もあるのですが次の演奏会で弾く予定の曲をそろそろ譜読み。ちょっと弾いてみて「こんなに難しかったっけ?」と思いました。まぁ難しさにも色々あるわけですが…。つい最近「やっぱり暗譜演奏しないといけないなぁ」と思い知ったこともあり気合を入れていかなくてはいけません。
 私は暗譜は必要だが暗譜演奏には拘らない、という人間だったのですが、先日友人と話しをしていてその考えが少し変わりました。こうあっさり宗旨替えをするのも情けないのですが、音楽で生きていこうと思う以上やっぱり暗譜演奏を前提として考えなくてはいけません(理由は色々あるのですが、雑多になるので省略(^^;)。現代曲だから暗譜演奏しなくていいと言うのは逃げ口上、詭弁でしかありません。100回弾いて出来ないなら1000回弾かなきゃいかんのでしょう。遊びで弾くのは別ですけどね。
 しかし暗譜できるのだろうか…。

 成瀬巳喜男「女の中にいる他人」を見る。後期成瀬作品中の異色作ですがその光と影のコントラストと登場人物の心理描写の巧緻さに一気に見てしまいました。中でも新珠三千代さんが素晴らしい。スタンダード画面の緊張感に満ちた見事な構図の中で微妙な心理の動きを繊細にとらえた傑作です。林光の音楽も美しい。

 最近CS「衛星劇場」で中村登の作品を順次放送していることを知り早速加入。数年前中村登の回顧上映で「紀ノ川」「斑女」「河口」等を見て感心したもののビデオもDVDも出ていない(出ていてもトリミングされている)ので困っていましたがこれでゆっくり再見できるかもしれないと期待。

2005/8/19

 暑い日が続きます。大阪もうだる様な暑さで毎晩寝苦しい日が続いています。という訳で今回は怪談について少し。
 私は元々怖がりなのですが、怖い話しや映画は大好きです。最近のJホラーとかはあまり興味を持てないのですが新東宝の中川信夫や大映の「怪談火喰鳥」などは今でもたまに見る映画です。幼少の頃公開されたジョージ・ロメロの「ゾンビ」はTVコマーシャルでエレヴェーターの扉から数人のゾンビが飛び込んでくるシーンが使われており震え上がったものです。これは結構トラウマになり長じて「ゾンビ」をちゃんと見るまでエレヴェーターの扉の開くのに何かしらの畏怖感があったくらいです。またホラー映画ではありませんが「悪霊島」のCMでもビートルズの「レット・イット・ビー」が使用されており、島の遠景をバックに「鵺の泣く夜は恐ろしい」のキャッチフレーズと共に脳裏に焼きついており未だに「レット・イット・ビー」を聴くと不吉な気がするのは、角川映画の功罪でしょう(現在は版権の問題からビートルズの原曲は使われておりません)。そんな「闇」の多い少年時代に強烈なトラウマを植えつけた本があります。講談社版「世界の名作怪奇館」第5巻日本編です。このシリーズは世界の名作怪談を集めた全8巻からなる本で怪談からSF、実話まで広く取り扱われています。中でも都筑道夫編集の第6巻は古書店でも高値のつく本です。このシリーズは子供向けに作られたもので挿絵も多いのですが、その挿絵が滅茶苦茶怖い。そして収録作品も子供向けとは思われないほどの充実振りです。
 まぼろしの雪女 小泉八雲/原作、山藤章二/画
 ものをいうふとん 小泉八雲/原作、片山健/画
 めくらの琵琶法師 小泉八雲/原作、山藤章二/画
 石河岸の妖婆 芥川龍之介/原作、佐伯俊男/画
 生首にかわったすいか 岡本綺堂/原作、山藤章二/画
 へび女ののろい 上田秋成/原作、佐伯俊男/画
 かがみ地獄 江戸川乱歩/原作、片山健/画
 手元に今本がないのでネットで調べてコピーしものですがこのラインナップは相当なレヴェルではないでしょうか。特に印象に残っているのが岡本綺堂「すいか」、江戸川乱歩「鏡地獄」です。思えば乱歩の作品はこれが初めて読んだものです。また綺堂の「すいか」も夏のじっとりとした雰囲気、最後まで因果のわからぬ怪異譚(一応たたりらしい)が子供心に強烈な印象を残しています。そして挿絵の強烈な怖さ。「鏡地獄」の挿絵は今でも強烈に脳裏に焼きついています。今から思えば佐伯俊男を子供向けの本に起用するか?と思いますが独特の震えたような挿絵が印象的でした。
 思えば幸か不幸か私にとってこの本が文学との出会いであり「このスジ」の文学にのめり込んでいくきっかけを作ったように思います。しかもこの挿絵のイラストレーターも私の行く末を決定付けたような…。子供に読ませる本は注意しましょう(^^;
 現在私の手元にこの本の元本はありません。出来ればもう一度きちんと読み直して少年時代のトラウマを克服したいものなのですが…。

 BSで放送されたエル=バシャのリサイタル、実によかったです。アルベニスの「トゥリアーナ」やストラヴィンスキー「ペトリューシュカ」のような難曲でも余裕を持った演奏でややクールな感じもしますが曲に負けていないのはさすがです。いたずらに難しい曲を弾くのは考え物ですがこのような演奏を聴くと弾く人が弾くといいものだなと思います。ラヴェルの「ソナチネ」「亡き王女のためのパヴァーヌ」も抑制の効いた演奏で過剰な情感に走らずに落ち着いた演奏でした。手の大きさもあるのでしょうが大きな音を「叩き出す」という感じが少しもせずダイナミクスのコントロールが非常にうまいと思いました。「ペトリューシュカ」の冒頭をはじめとする和音の連打も必要な音と抑える音の差がはっきりしており、それが全体として軽めな印象となり陥りがちな「暑苦しさ」「押し付けがましさ」を感じないのも私好みの演奏でした。

2005/8/17

 私の演奏会の手伝いをしてもらっている「海岸通りのえせカメラマン」さんの「海岸通り1丁目」へリンク追加。演奏会情報や管理人さんの撮った写真があります。

 先日BS2でヴラディミール・フェルツマンのリサイタルをやっていましたが、実に感銘を受けました。特に前半のバッハでの情と知のバランス感覚は素晴らしいものがありました。単一な音色、テンポで弾かれがちなバッハですがこのような自由度の高い演奏を聴くとバッハを無味乾燥に弾くことは実に愚かしいことのように思われます。かといって過度の情感は考え物なのですが…。明日はBS2でエル=バシャのリサイタルが放送されます。楽しみです。

 以前に関西ローカルで「CINEMA大好き」という番組について書いた事がありましたが、つい先日放送しているのをたまたま見ました。まだ続いていたのかと感慨深いものがありました。高校生の頃はCMは入るもののテーマに沿った映画をノーカット、ノートリミングで放送していたこの番組には随分お世話になりました。さてその時放送していたのが中平康の「危(ヤバ)いことなら銭になる」。はじめを少し見るとなかなか面白そうな映画でした。確か以前に録画したはずと探してみるとありました。早速見てみると滅茶苦茶面白い。さすがヌーヴェル・ヴァーグの父中平康。「やめてけれ」の左卜全 の偽札製作屋をめぐるアクション映画ですが宍戸錠、長門裕之、浅丘ルリ子等が実に伸び伸びと演じています。

2005/8/7

 最近忙しくて更新もままならないのですがいくつか興味深いレコード等が送られてきています。クロード・エルフェが弾くバラッケの「ソナタ」、ニコライ・ペトロフのショパン「バラード集」等。CDは移動中でも聴く事ができるのですがLPは不可能ですからたまっていく一方です。

 金澤攝氏の「19世紀のレーガー」第2夜を聴きに行く。目玉はシュトラウス「美しき青きドナウ」のレーガー編。シチェルバコフの録音もある曲ですがピアノという楽器の機能性を無視しきった極限的な難曲です。金澤氏は大掴みではありますがスピード感を持った演奏で場内を沸かせました。おそらく日本初演でしょう。

 NHKで放送された「思い出の名演奏」チェルカスキーですが録画したの確認していてビックリ。以前放送されたリサイタルとかぶっているのはルービンスタイン「へ調のメロディ」とリスト「ポロネーズ2番」のみ。シューマンの「ファンタジー」等初めて見る映像でした。しかし、それにしてもチェルカスキーの音はどうしてあんなにきれいなんでしょうか。思わず聴き惚れてしまいます。

2005/8/1

 この秋に行うことになりました演奏会のお知らせ。学生の頃から拙いながら演奏をはじめ十年たったので大阪ザ・フェニックスホールで演奏会を行うことになりました。ザ・フェニックスホールは1996年にホール提供演奏会(現エヴォリューションシリーズ)に出演させていただいた思い出のホールです。チラシはこちらです。
 プログラムは少々おとなしめか?アンコールにご期待下さい(^^;

2005/7/24

 NHK、ETV特集「オレを覚えていてほしい」を見る。私は寡聞にして奥山貴宏さんを存じ上げなかったのですが、興味深い内容でした。奥山氏は31歳で肺癌により余命2年を宣告されその闘病日記をHP上で公開されていました。しかしその内容は苦痛に耐えるものでもなく、お涙頂戴でもなく、普通の30歳の男の日常です。ただ、我々と違う点は死という脅威が目に見える形で絶えず意識せざるを得ない状況であったということだけです。今年奥山氏は32歳で一編の長編小説を残して逝去されました。
 今回の番組を見ていて思ったのは人間死というものを直視できないものなのだということです。例えば人間はいつか死ぬもの、ということは誰もが判っています。しかし31歳の私は少なくとも10年後に死んでいるとは実感できません。ひょっとすると突然の心臓発作で次の瞬間死ぬかも知れないということは可能性としては0ではないはずです。5分後、次の瞬間に死ぬという事を許容できないのです。ロシュフーコー伯は「死と太陽は直視できない」と書きましたが、確かにそうなのかもしれません。
 ドストエフスキー「白痴」の中に肺結核で死を宣告されたイッポリートという青年が登場します。彼は作品中、少々長すぎる「独白」を読み上げますが彼もまた死と直面した人間です。奥山氏の文章はイッポリートほど激烈、攻撃的ではありません。しかし、私には同じように重く感じられます。尤も奥山氏は生前このように感傷的にとられる事を嫌ったそうですが、そのダンディズムが多くの人の心をひきつけたのでしょう。
 奥山貴宏氏の日記はこちらで読めます。「32歳ガン漂流 エヴォリューション

2005/7/17

 最近柄にもなくベートーヴェンのピアノのためのソナタを集中して聴いています。到底聴ききれるとは思えないほど大量に録音があるのですがいろんな人の演奏を聴いていると大きく分けて2つの方向に分かれるようです。あくまでベートーヴェンの楽譜に忠実、自己を前に出さないタイプと楽曲はあくまで自己の表現の手段であるというタイプです。勿論極端に分かれるわけではなく大体の演奏が折衷型なのですが、しかしどちらかへの傾向は聴く事ができます。しかし、このような演奏のされ方、聴かれ方をする作曲家もベートーヴェンをおいて他にいないのではないのでしょうか?ロマン派の作品はともかく、バッハなどのバロック、古典期の作品でもこのような「傾向」を重視することはあまりないのではないでしょうか。これは私が思うにベートーヴェンの作曲態度に原因があると思います。このことは繰り返し書いているのですが極論すればベートーヴェンにとってメロディーの創造などはまったく問題でなく、動機(単純であればあるほど良い)の発展と展開、構造に全てを賭けたような作曲態度、「このような態度で作曲した人は後にも先にもベートーヴェンしかいない(グールド)」。ベートーヴェンにメロディーがないとは言いませんが他の作曲家に比べると楽節よりも動機、細胞への執着がきついと思われます。この事が演奏家にとって根源的に「演奏」の意味を問われるのでしょう。「ワルトシュタイン」の冒頭なんか考えてみればかなり異様です。

 また一つ年をとってしまった…と気分が重いです(^^;

2005/7/10

 金澤攝氏のコンサート「19世紀のレーガー」第1回を聴きにいく。プログラムは「7つのワルツ 作品11」「ばらけた小品」バッハ「オルガンのための前奏曲とフーガ」ホ短調とニ長調の編曲といったもの。金澤氏の演奏は以前から録音を通じて知っていましたが生演奏を聴くのは初めて。レーガーの異常なほどの音の量と音楽密度の極めて高い作品(バッハの殆んど演奏不可能な編曲)をライヴで取り上げるのはまさに「ピアニストの悪夢(シチェルバコフ)」でしょう。金澤氏曰く若かりし日のレーガーの作品は書いているうちに次々と霊感が沸きそれを盛り込むため分裂的で一種異様な緊張感を持った作品になったのであると言われます。なるほど最初のピアノ曲である「ワルツ集」など優雅さとは無縁、クセの強い聴きようによってはグロテスクですらある作品です。興味深かったのは「ばらけた小品」。全14曲からなるこの曲集はどれも不思議な魅力にあふれています。中でも6曲目「前奏曲とフーガ」は後年のレーガーの複雑で長大な作品の原型を見るような作品でした。続く2つのバッハ編曲は演奏不可能と言うか滅茶苦茶というような恐るべき編曲。ピアノの機能をまったく無視した異常な技巧は後のレーガーの作品に色濃く残っています。終演後は金澤氏を囲んで実に楽しいひと時を過ごさせていただきました。ありがとうございます。

2005/7/7

 堺で行われたオクサナ・ヤブロンスカヤのコンサートへいく。スカルラッティのソナタ、ベートーヴェン「ワルトシュタイン」、シューベルト、リスト編歌曲、チャイコフスキー小品、リスト「ハンガリー狂詩曲10番」とヤブロンスカヤお得意のレパートリーだけあってどれも面白い演奏。特にチャイコフスキーはなかなか演歌のような歌いまわしで、弾く人が弾くと小品でもこんなに面白いのだと改めて納得しました。会場、客層を見てアンコールはないだろうなーと思っているとシチェドリンの「バッソ・オスティナート」が登場。思わず笑いがこみ上げました。中間部の跳躍も何のためらいもなくガンガン押しまくり、C音の連打と最後の強音と共に大拍手。殆んどの人が始めて聴く曲であるでしょうが異常に盛り上がりました。ヤブロンスカヤの音楽性、貫禄を目の当たりにした演奏会でした。

 なにやら妖しげなDVDが到着。どうもありがとうございます。色々妖しいものが入っていたのですがチェルカスキー最後の来日の映像がなかなか見ものでした。最晩年1995年来日時の映像ですが年齢を感じさせない瑞々しい音色は健在です。
 ところでNHKは独特の表記をします。「ルビンシュタイン」ではなく「ルビンシテイン」、「ポリーニ」ではなく「ポルリーニ」等原語の発音に近いように表記しているのでしょうがなにやら違和感があります。中井英夫がカタカナ表記された時点でそれはれっきとした日本語であって、我々が戦ったのは「ルーズベルト」であって間違っても「ローズベルト」等ではない、と書いていましたが人名、固有名詞であれ収まりのいい日本語に表記することは言葉の美的な感覚に敏感な人には必要なのでしょう。

 なお、チェルカスキーの演奏は7月31日にNHK教育で放送されるそうです。

2005/7/1

 さて2005年も半分終了。

 この半年の読書を振り返ってみたいと思います。
 この半年は一言で言えばドストエフスキー三昧であったといえます。ハイデガーを読んでキルケゴールを齧ったあたりから無性にドストエフスキーが気になり出したのです。「罪と罰」は高校の頃、「カラマーゾフの兄弟」は24歳の頃に読んでいるので、一般知識としてのドストエフスキーは卒業したつもりでしたが、これはあまりに大きな誤認でした。この半年に読んだドストエフスキーの作品は「地下室の手記」「罪と罰」「白痴」「悪霊」「未成年(現在下巻の頭)」それに加え江川卓氏の「謎解き」シリーズ(「罪と罰」「白痴」「カラマーゾフの兄弟」)、埴谷雄高氏「ドストエフスキー」、バフチン「ドストエフスキーの詩学(現在読書中)」と単純に読んだ活字数は私の人生の中でも未曾有の量であると言えます。ドストエフスキーの作品の中では特に「白痴」「地下室の手記」が好きな作品です。
 さてドストエフスキーの作品を読むと感じるのはその息苦しいほどの緊張感と強烈な近代人の自意識です。特に「地下室の手記」においてその緊張感と自意識は頂点を極めているのですが、この二点はその後の5大長編にしっかりと受け継がれています。「悪霊」はおそらく、今なお多くの問題を内包した作品で、「時代と共に成長する作家(埴谷雄高)」ドストエフスキーの頂点をなす作品でしょう。その分内容の密度の濃さ、難解さは格段で「カラマーゾフ」よりも読みにくい作品であるかもしれません。「悪霊」で考察された「組織の力学」は今なお根本的な問題としてありありと浮かび上がっています。しかし「白痴」のような全編死のエピソードに満ちた暗い作品において不思議な清澄さ、やさしさを描き出すことの出来る作家であるのはドストエフスキーの深さの一端を垣間見る気がします。
 勿論ドストエフスキーの作品は上記のような読み方が(むしろ)肝なのですが、それ以前に「小説」としての面白さ、寝食を忘れ夢中にさせてくれる「小説」であります。ドストエフスキーは難しい、と感じて敬遠されている方は是非読んでみてください。これを読まずに人生を終えるのはもったいないですよ。

 今日は次回の演奏会の写真撮り。正直疲れました。撮られているうち、顔の筋肉が普段どういう状態にあるのかが判らなくなってきます(^^;俳優やモデルって大変な職業なんですね。

 ハンス・カン氏がお亡くなりになられました。享年78歳。謹んでご冥福をお祈りいたします。

2005/6/30

 掲示板で「海岸通りのえせカメラマン」さんからミュージカルバトンがまわってきたので書いてみたいと思います。ミュージカルバトンについてはこちら

Total volume of music files on my computer (コンピュータに入ってる音楽ファイルの容量)

 2GBくらいです。「タモリの4カ国麻雀」など音楽以外のもの入っているので純粋に「音楽」はもうすこし少ないでしょうか。

Song playing right now (今聞いている曲)

 Alexander Ghohrの「単一楽章のソナタ」、演奏はジョン・オグドン。昨日届いたLPです。

The last CD I bought (最後に買ったCD)

 クズミンの「リスト作品集 インフェルノ」。これも中古屋で購入。

Five songs(tunes) I listen to a lot, or that mean a lot to me (よく聞く、または特別な思い入れのある5曲)

 こういうところで変なものを挙げないといけない訳ではないでしょうが…。

 バッハ「マタイ受難曲」、「パルティータ」、ベルグ「ソナタ」、ウェーベルン「パッサカリア」、「ピアノのための変奏曲」。普通でスイマセン。

Five people to whom I'm passing the baton (バトンを渡す5人)

 今晩送りますのでよろしくお願いします(^^;

 こういう質問に答えるのは面白もんですね。果たして本人が楽しんでいる程面白いものであるという保証はないわけでありますが…。

2005/6/29

 何が忙しいのだかわからないほど忙しいです。更新もほぼ2週間ぶりです。

 先日拙宅で飲み会をしたのですが相変わらずの泥酔…。どうもご迷惑をかけました(^^;ところで、普段まったく聴かないLPをこういう時にかけるのですが今回聴いて改めて驚いたのがシフラ編曲によるワーグナー(リスト編)「タンホイザー序曲」、フンガルトンの方でなくEMI盤です。友人も思わず爆笑、「すげぇー」と呆れかえるような編曲です。シフラの編曲は彼自身の「手癖」のきつい力技でねじ伏せるようなものが多いのですがこれも凄いですね。シフラ編曲の「2人でお茶を」もジャズじゃないです(^^;

2005/6/17

 極めて個性的な女流作家倉橋由美子さんがお亡くなりになられました。享年69歳、近々新訳「星の王子様」が刊行されるのを楽しみにしていただけに驚きました。抽象的、風刺的、寓話的な作風の倉橋さんの小説はきわどい内容を描いていてもドライな感じで好きな作家の1人でした。初期の「パルタイ」あたりはなんとなくまだ硬さが感じられますが「アマノン国往還記」「大人のための残酷童話」等は自由闊達な筆致で大いに楽しんで読むことの出来る「小説」であったと思います。「悪い夏に溶けていく軟体動物のやうな」と自身評された「聖少女」も強烈な印象に残っています。
 謹んでご冥福をお祈りします。

2005/6/13

 久しぶりに新刊書店に入ると、「バカ」がブームのようです。勿論これは養老孟司氏の「バカの壁」からの流行ですが、養老氏は以前にも空前の死体ブームを起しているだけに効果は絶大のようです。誰でもバカよりは少しでも頭がよくなりたいと思うのは当たり前ですが…。そんな中で少し気になった本があって手にとって見ました。「論理的に話す方法」について書かれた本です。以前友人と飲んでいる際「人間の対話はどれぐらい論理的に出来るのか」というような話(バカ話ですね)になったのですが、この問題は考えれば不思議です。有名なヴィトゲンシュタインの「論理哲学論考」は言語による完全な論理的な体系を目指したものです。ヴィトゲンシュタインにしてみればこれまでの「真理とは」「神とは」といった答えのない問題はそもそも問題の立て方が間違っていたと言うのです。そのため哲学書とは思えないような集合論などが使われていますが、後にヴィトゲンシュタインはこの考えを否定し、「言語ゲーム」へと考え方を変えていきます。ヴィトゲンシュタインの思考はなかなか難解のなのですが、ある体系の中のルールに従って物事が進んでいくというイメージはある程度理解できるのではないでしょうか。論理の典型と思われている数学もこの体系の中で行われている訳です。そう思うと私たちが考えている「論理的」な思考、対話はひょっとすると先入観、思い込みの一側面でしかないのではないかと疑いたくなります。
 さて上記の「論理的に話す方法」ですが、「人の話しを聴く」「人の話を論破することは論理的ではない」等など「当たり前」のことが書かれてあります。まぁ当たり前の事が一番難しいことであるのは世の常であるのですが…。結局この本買わなかったので書名、著者名も覚えていないので、紹介すらできないのですが書名だけでなかなか考えさせられる本でした。
 家族や愛する人、ペットが事故で死んでしまった時、人は「何故死んでしまったのか」と思うことは珍しいことではないと思います。その時に「事故による内臓破裂、失血によって死にました」という論理的事実に納得する人はあまりいないと思います。「何故」は論理的事実だけを求めているのではないようです。ヴィトゲンシュタインは「論理哲学論考」の最後を「語りえないことについては、沈黙しなければならない」という有名な言葉で締めくくっています。人間にはこの「沈黙」が思っている以上に巨大なものではないでしょうか。

2005/6/12

 久しぶりにPianistにシフラを追加。少々突っ込み不足の感もないでもないですが…。

2005/6/5

 久しぶりに映画の更新。成瀬巳喜男の「女が階段を上がる時」を追加。

 大阪のレコード屋を覗きに行って叩き売りコーナを物色。シモン・バレールの30年代の2枚組み、スクリャービンの問題作「ピアノ、オルガン、合唱、光の鍵盤楽器を有する大交響楽のためのオープニング・スペクタクル」(指揮コンドラシン、ピアノはA.リュビモフ)等を購入。この作品はネムティン補筆による「神聖劇序夜」の第1部です。後にアシュケナージ指揮によってネムティンによる第3部までの録音もなされています。しかしここまで来るとスクリャービンの世界もイってますなぁ。

2005/6/2

 急な東京行き、ハードなスケジュールでしたが大変充実した時間を過ごせませた。Tさん、H君ありがとうございます。そして会う予想していかった友人と顔をあわせたり、2年近く連絡していなかった人にばったり会ったり楽しいはハプニングも。いたこの場借りてお礼申し上げます。

 さて皆様ご懸念のレコードの方ですが、シャンドスの「ジャッド」リスト、ソナタを含むLP、小林倫子女史による「ショピニーナ」カルクブレンナー、シューマン、カゼッラ、ミハロフスキ、バラキレフ等のショパンの編曲がおさめられています。曲はマニアックです(解説はポーランド語よくわからない)、メルジャーノフのパガニーニ変奏曲集、リスト2版、もう一つはブラームス。ニコライ・ペトロフのシューベルト「最後のソナタ」。ロバート・ヘルプスの「新しいピアノ曲」こんなものでしょうか。
 またH君から妙なものをピアノロールによる名曲集、何々エネスコ編「ツゴイレルワイゼン」(?)妙なものばかり入ってまなぁ。ありがとうございます。
 まだ東京都の時差(なんせ毎日飲んでましたから)が抜けません。詳細はまたいずれ。


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