TKKI カナヤマ オフィシャル ホームページ。

   TKKI KANAYAMA’S OFFICIAL HOMEPAGE.

◆ カナヤマ日本の歴史ハンドブック。

     KANAYAMA’S JAPANESE HISTORY 

  HANDBOOK

◆ カナヤマ西郷 隆盛ガイドブック。

     KANAYAMA’S SAIGO  TAKAMORI 

  GUIDEBOOK

 

 

   (Kjhh)31442

 カナヤマ 西郷隆盛

 ガイドブック 

 西郷隆盛 年表

 No.10

 

 

#jpmenu 

メ ニュー (目次)。

 ■ 次の項目から選んで、クイックして下さい。

 

 

 □ 西郷 隆盛 年表

 

 

西郷隆盛 ガイドブックの内容

 

■ 上位のWEBサイト。 

□ (KOH) カナヤマ オフィシャル   >

         ホームページ

□ (Cse)  国際理解総合サイト    

        われら地球市民。    

□ (Ke)   百科事典。          >

□ (Khh)  歴史学 ハンドブック   > 

□ (Kjhh) 日本史 ハンドブック。   > 

□ (Kjhh)  西郷 隆盛 ガイドブック。 > 

□ (Kjhh)  この日本語ページ。

 

■ カナヤマ 主要 公式ホームページ 略語

  一覧表。         

 KOH  CSE   UCF   KHAS (KASH)  CCF  

 KBIH   KPH    HCF  KANH  QGN  KWDB  

 TTFW  TTWH  AWM  KGJ   KJHH  KH H 

 KCB  KCTS  I MB  KHIB  RH  KIOS  KE  

 LKOH  GIMEH  ETCSS  GIMJH JTCSS EP      

 

□ 主要サイト の略語・説明表 。          

 

□ メニュー (目次) の先頭へ戻る

□ 西郷 隆盛 ガイドブックの先頭ページへ

□ 日本史辞典の先頭ページへ。  

□ 日本の歴史ハンドブック の先頭ページへ

 

      ようこそ TKK カナヤマ のホームページへ !      WELCOME TO TKK KANAYAMA’S HOMEPAGE !

 

 

#jpcontentsofthisbook

 

◆ 坂本 龍馬 ガイドブックの内容 :

■ 西郷 隆盛 ガイドブック。

■ 初心者用 オンライン 西郷 隆盛 ガイドブック 。

■ 西郷 隆盛の入門 ガイドブック。

■ 西郷 隆盛 (さいごう たかもり) 関連 初学者・

   初心者向 インターネット用 オンライン書籍

  (ブック)。

■ この本1冊で (当電子書籍1冊で)、 西郷 隆盛

     のこと(概略) が、一通り、わかります。

■ 西郷 隆盛は、 幕末の政治改革者です。 政治家、

     武人であり、 日本を近代化へ導いた人物です。 

          江戸時代(1603〜1868年)の末期(幕末)の、

   薩摩藩 (現・鹿児島県の相当地域)の下級武士出

  身で、 近世日本の革命家でした。

■ パソコン、 携帯用パソコン、 タブレット端末(PC)

  (iPad、他)、 スマートフォン(iPhone、他)、 ウエ

  アラブル端末、 ネット接続カーナビ、 スマートテレ

    ビ用 インターネット向 電子書籍。

■ TKKI カナヤマ著 西郷 隆盛ガイドブック。

 

□ メニュー (目次) の先頭へ戻る

□ 西郷 隆盛 ガイドブックの先頭ページへ。  

□ 日本史辞典の先頭ページへ。  

□ 日本の歴史ハンドブック の先頭ページへ

 

 

◆ (Kjhh) 西郷 隆盛

   ガイドブック。

 

#jpsaigotakamorichronology

 

  西郷 隆盛 年表。

     (さいごう たかもり ねんぴょう)

 

◆ 西郷 隆盛 年表。

 

□ 西郷 隆盛 年表 1820年ー1858年

□ 西郷 隆盛 年表 1858年ー1864年

□ 西郷 隆盛 年表 1864年ー1867年

□ 西郷 隆盛 年表 1867年ー1871年

□ 西郷 隆盛 年表 1871年ー1873年

□ 西郷 隆盛 年表 1873年ー1878年

 

■ 西郷 隆盛の詳細な内容に関しては、「西郷 隆盛 

   ガイドブック 」を参照してください。

■ 当年表は、 西郷 隆盛(1827年ー1877年)が

  生きた時代を中心に述べった年表でです。

■ 江戸時代については、近世日本歴史詳細年表

  を、 明治時代については、 『近代日本歴史詳細 年

  』 を参照して下さい。

● TKKI カナヤマ著 日本史ハンドブック。

■ より理解を深めるために、当年表と近い時期の日

  本史辞典の年表の、 『 西郷隆盛 年表、 篤姫 

  年表、 明治維新 年表、 幕末 年表 坂本龍馬 

  年表、 大奥 年表 』 も参照して ください。

 当年表は、 西暦を先に、 その後ろの( )内に

  和暦を記載している。

■ 当年表の日付は、 1872年(明治5年)以前は旧

  暦(太陰太陽暦)を、 1873年(明治6年)以後は新

  暦(太陽暦) を記載している。

● 当年表の日付(年月日)は、一般的な歴史書籍で

  使用されているのと同じように、 1872年(明治5

  年)12月2日までは、 旧暦(太陰太陽暦)を用い、

  1873年(明治6年)1月1日以後は、 新暦(現在

  太陽暦、グレゴリオ暦)を用いている。

 

□ 西郷隆盛 年表の先頭へ戻る

□ メニュー (目次) の先頭へ戻る

□ 西郷 隆盛 ガイドブックの先頭ページへ。  

□ 日本史辞典の先頭ページへ。  

□ 日本の歴史ハンドブック の先頭ページへ

 

 

◆ 西郷 隆盛 年表。

● では、西郷 隆盛に関係する出来事を、年代順に、

  見てみましょう。

 

#jpsaigotakamorichronology-1820

 

■ 1827年   ● 1827年、西郷 隆盛(1827年ー1877

 (文政10年)    年)が、薩摩藩 (現 ・鹿児島県の相当地

             域)の下級武士の子として、生まれ る。

 

■ 1830年   ● 天保改元。    

 (天保 元年)   1830年12月10日に、和暦の「文政」(ぶ

             んせい) が、 「 天保」(てんぽう、天保元

            年・1830年・12月10日〜天保15年・ 18

            44年・12月2日) に改元される。 

 

■ 1835年   ● 1835年11月、坂本龍馬が、土佐国(と

 (天保 6年)   さのくに、高知県(高知市上町))で、生まれ

            る。

 

■ 1844年   ● 弘化改元。    

 (弘化 元年)     1844年12月2日に、和暦の「天保」(て

             んぽう) が、 「 弘化」 (こうか、弘化元年・

             1844年・12月2日〜弘化5年・ 1848年・

             2月28日) に改元される。 

            ● TKKI カナヤマ著 西郷 隆盛ガイド

            ブック

 

■ 1846年   ● 1846年 6月坂本龍馬の母、坂本幸(さ

 (弘化 3年)    ち)が、死去する。

 

■ 1848年   ● 嘉永改元。    

 (嘉永 元年)      1848年2月28日に、和暦の「弘化」(こ

             うか)が、 「嘉永」(かえい、嘉永元年・18

             48年・2月28日〜嘉永7年・1854年・11

             月27日) に改元される。 

 

■ 1853年   ● 坂本龍馬は、剣術修行のため、江戸(東

 (嘉永 6年)   京)に出て、北辰一刀流剣術の千葉定吉の

            桶町(おけまち)千葉道場 (通称:小千葉

            道場)(東京都千代田区)に入門する。 

 

■ 1853年   ● 徳川 家定 (いえさだ、将軍在任1853 

 (嘉永 6年)   〜58、家慶の四男) が、江戸幕府・第13

            代将軍となる。 

           ● これ以後、 家定は体が弱かったため、 

            次期14代将軍継嗣(けいし)問題が起こり、

            日本各地で、 雄藩連合政治を望み次期14

            代将軍に一橋慶喜(ひとつばし よしのぶ、水

            戸藩出身一橋家当主)を擁(よう)する、一橋

            派 と、 徳川独裁政治を望み次期14代将軍

            に徳川 慶福(よしとみ、紀伊藩藩主)を擁す

            る、紀州派(南紀派) とが、対立する (18

            53年〜1859年頃)。

            ● TKKI カナヤマ著 西郷 隆盛ガイド

            ブック

 

■ 1853年   ● 1853年6月、アメリカのペリー艦隊が日本

 (嘉永 6年)   来航。 開国を要求。

 

■ 1853年   ● 江戸幕府の老中首座・阿部正弘が、 挙国

 (嘉永 6年)   的な対策を立てようと、 開国について、諸大

            名や色々な人物に、意見を求めたため、 こ

            れ以後、日本各地で、 外国勢力を武力で追

            い払うことを主張する、尊皇(王)攘夷派(じょ

            ういは) と、 開国し外国勢力と協力して、先

            進の西洋文化を採り入れて国を発展させるこ

            とを主張する、開国派(かいこくは) とが対立

            する (1853年〜1867年頃)。

 

■ 1853年   ● 1853年12月、坂本龍馬は、佐久間象山

 (嘉永 6年)   (さくましょうざん)の私塾にも通うようになる。

 

■ 1854年   ● 1854年3月、日本開国。 日米和親条約

 (嘉永 7年)   締結。 幕府・老中首座・阿部正弘は、 18

            54〜55年に、欧米列強の米英露蘭と和親条

            約を締結する。

 

■ 1854年   ● 坂本龍馬 は、土佐に帰郷する。

 (嘉永 7年)

 

■ 1854年   ● 1854年3月、日米和親条約締結。 

 (嘉永 7年)   日本開国。

            ● 1854〜55年に、幕府・老中首座・阿部正

             弘は、 欧米列強の米英露蘭と和親条約を

             締結する。

 

■ 1854年   ● 1854年4月、西郷隆盛は、 島津藩主・島

 (嘉永 7年)    津斉彬(なりあきら)の庭方役となる。 

 

■ 1854年   ● 西郷隆盛が、 島津斉彬に抜擢されて江戸

 (嘉永 7年)   に赴(おもむ)き、篤姫(あつひめ、島津篤子、

            近衛敬子)の、 輿入れの支度係 (1854〜

            1856年)、 篤姫(島津篤子、近衛敬子)との

            連絡係(1854〜1859年) となる。  

 

■ 1854年   ● 安政改元。  

 (安政 元年)      1854年11月27日に、和暦の「嘉永」(か

            えい)が、 「安政」  (あせんい、安政元年・18

            54年・11月27日〜安政7年・1860年・3月

            18日) に改元される。 

            ● TKKI カナヤマ著 西郷 隆盛ガイド

            ブック

 

■ 1855年   ● 坂本龍馬の父、坂本八平が、死去する。

 (安政 2年)

 

■ 1856年   ● 坂本龍馬は、剣術修行のため、再び、江

 (安政 3年)   戸の小千葉道場に遊学する。

 

■ 1857年   ● 1857年6月、老中・阿部 正弘 (まさひろ、

 (安政 4年)   一橋派の中心人物) が急死する。

 

□ 西郷隆盛 年表の先頭へ戻る

□ メニュー (目次) の先頭へ戻る

□ 西郷 隆盛 ガイドブックの先頭ページへ。  

□ 日本史辞典の先頭ページへ。  

□ 日本の歴史ハンドブック の先頭ページへ

 

 

#jpsaigotakamorichronology-1858

 

 

■ 1858年   ● 坂本龍馬は、剣術修行を終えて、土佐に

 (安政 5年)   帰郷する。北辰一刀流免許皆伝。

 

■ 1858年   ● 1858年4月、井伊 直弼 (いい なおす

 (安政 5年)   け、南紀派) が幕府・大老に就任。  

            ● TKKI カナヤマ著 西郷 隆盛ガイド

            ブック

 

■ 1858年   ● 1858年 5月、次期14代将軍が、紀州

 (安政 5年)   藩主・徳川 慶福 (よしとみ、後の徳川 家

            茂(いえもち))に決定する。 

 

■ 1858年   ● 1858年6月、日米修好通商条約締結。 

 (安政 5年)  ●  安政の5カ国条約締結。 1858年6月

            〜9月に、幕府・大老・井伊直弼(なおす

            け)は、勅許を得ず、欧米列強の米蘭露英

            仏と不平等な「安政の5カ国条約」(修好通

            商条約)を締結する。 

 

■ 1858年   ● 1858年7月、幕府13代将軍・徳川家定

 (安政 5年)   (いえさだ)が、急死する。

 

■ 1858年   ● 1858年9月、安政の大獄(1858〜59、

 (安政 5年)    反井伊勢力や一橋派の一掃)が始まる。

 

■ 1858年   ● 1858年12月、徳川家茂(いえもち、慶

 (安政 5年)    福) が、幕府14代将軍 となる。

 

■ 1858年   ● 1858年12月、島津藩の実権を持つ、島

 (安政 5年)    津斉興(なりおき)は、幕府の目を逃れるた

             め、一橋派の活動家、西郷隆盛を、死んだ

             ことにし、 潜居(潜伏生活)させることとした。 

             西郷は、鹿児島を出帆する。

            ● TKKI カナヤマ著 西郷 隆盛ガイド

            ブック

 

■ 1859年   ● 1859年1月、西郷は、死んだこととされ、

 (安政 6年)   奄美大島に潜居する(潜伏生活をする) 

            (1859年1月〜1862年1月)。

 

■ 1859年   ● 1859年2月、15代土佐藩主の山内容

 (安政 6年)   堂(やまのうちようどう、豊信) が、土佐藩

            主を辞任し、 隠居する。

 

■ 1860年   ● 万延改元。    

 (万延 元年)     1860年3月18日に、和暦の「安政」

            (あんせい)が、 「万延」(まんえん、万延

            元年・1860年・3月18日〜万延2年・18

            61年・2月19日) に改元される。 

 

■ 1860年   ● 1860年3月、桜田門外の変。 

 (万延 元年)   大老・井伊直弼が、暗殺される。  

            ● これ以後、日本各地で、 江戸幕府は公

            武合体政策をすすめ、 尊皇(王)攘夷派・

            急進派 と 公武合体派・佐幕派 とが対立

            する (1960年〜1864年頃)。

 

■ 1861年   ● 文久改元。    

 (文久 元年)     1861年2月19日に、和暦の「万延」

             (まんえん)が、 「文久」  (ぶんきゅう、文

             久元年・1861年・2月19日〜文久4年・

             1864年・2月20日) に改元される。 

 

■ 1861年   ● 1861年3月、土佐で、井口村刃傷(じん

 (文久 元年)    しょう)事件が起こり、土佐藩士の、「上士」

             (じょうし)と坂本龍馬の属する「下士」(かし)

             との間で対立が深まる。

 

■ 1861年   ● 1861年9月、下士は、武市半平太(たけ

 (文久 元年)    ちはんぺいた、武市瑞山)をリーダーに、

             「土佐勤王党」を結成する。 坂本龍馬は、

             9番目で参加する。

 

■ 1861年   ● 1861年10月、坂本龍馬は、武市半平

 (文久 元年)   太の密使として、長州(ちょうしゅう)へ向か

            う。

 

■ 1862年   ● 1862年1月、坂本龍馬は、長州の萩

 (文久 2年)    (はぎ)で、久坂玄瑞と面談する。 2月末

             に土佐に帰国する。

 

■ 1862年   ● 1862年2月、西郷は、 潜伏していた、

 (文久 2年)   奄美大島から船で着き、 鹿児島に戻り、 

            薩摩藩の任務に就(つ)く。

 

■ 1862年   ● 1862年2月、江戸幕府将軍・徳川家茂 

 (文久 2年)   と 孝明天皇の妹・皇女・和宮の婚儀が為

            される (公武合体の政策のため)。

 

■ 1862年   ● 1862年 3月、坂本龍馬は、土佐藩を

 (文久 2年)    脱藩する。  その直後、「土佐勤王党」によ

            る吉田東洋(よしだとうよう)の暗殺事件が起

            こる。 当初は、坂本竜馬が実行犯として疑

            われた。 坂本龍馬は、九州などを放浪した後、

            江戸へ入り、千葉道場に身を寄せる。 その後、

            千葉重太郎の紹介で、幕府政事総裁職の松平

            慶永(よしなが、春嶽(しゅんがく))に面会する。 

            ● 1862年、 龍馬が土佐藩脱藩時、龍馬と青

             少年期を共に過ごした龍馬の初恋の女性の平

             井 加尾 (ひらい かお)は、 龍馬より駆け落

             ちの誘いを受けたが断り、 それ以後、龍馬と

             の交流を断つ。

            ● TKKI カナヤマ著 西郷 隆盛ガイド

            ブック

 

■ 1862年   ● 1862年4月、武市半平太(瑞山)が、 山内

 (文久 2年)    容堂の側近の吉田東洋(よしだとうよう)を暗殺

             する。 その後、半平太(瑞山)は、門閥家老と

             結び、藩政を掌握する。

 

■ 1862年   ● 1862年6月、島津藩の実権を持つ、島津

 (文久 2年)    久光は、西郷が自分の命に背(そむ)いたため、 

             西郷を遠島処分とした。  西郷は、鹿児島を

             出帆する。

 

■ 1862年   ● 1862年7月、西郷は、遠島となり、徳之島

 (文久 2年)    や沖永良部島で、生活をする (1862年7月

             〜1864年2月)。

 

■ 1862年   ● 1862年12月、坂本龍馬は、勝海舟の

  (文久 2年)   弟子となる。   松平慶永の紹介状を携

             (たずさ)えて、勝海舟(かつかいしゅう)

             に面会し、 海舟の弟子となる。

 

■ 1863年   ● 海軍塾が開設される (大阪で約半年、

  (文久 3年)   その後、神戸で約1年)。

              坂本龍馬は、神戸では塾頭をつとめる。

 

■ 1863年   ● 龍馬は、土佐藩の実権を持つ山内容堂

 (文久 3年)   (やまのうちようどう、山内豊信(とよしげ))

            から、脱藩の罪を許される。

 

■ 1863年   ● 1863年3月、幕府将軍・徳川家茂(いえ

 (文久 3年)   もち)上洛 (将軍上洛230年ぶり)。

 

■ 1863年   ● 1863年8月、八月十八日の政変。  

 (文久 3年)   京(都)から尊攘派(そんじょうは、尊王攘

            夷派) が駆逐(くちく)され、 土佐勤王党

            も壊滅状態となる。 

              土佐藩の弾圧は江戸にいる龍馬にも

            及ぶ。 龍馬は、再脱藩する。

 

■ 1863年   ● 土佐藩の実権を持つ山内容堂(やまの

 (文久 3年)   うちようどう) が、側近の吉田東洋(よし

            だとうよう)を暗殺した、「土佐勤王党」の

            弾圧に乗り出し、党員を片っ端から捕縛・

            投獄した。 「土佐勤王党」は、 壊滅させ

            られた。

 

□ 西郷隆盛 年表の先頭へ戻る

□ メニュー (目次) の先頭へ戻る

□ 西郷 隆盛 ガイドブックの先頭ページへ。  

□ 日本史辞典の先頭ページへ。  

□ 日本の歴史ハンドブック の先頭ページへ

 

 

#jpsaigotakamorichronology-1864

 

 

■ 1864年   ● 元治改元。    

 (元治 元年)      1864年2月20日に、和暦の「文久」

            (ぶんきゅう)が、 「元治」  (げんじ、元治

            元年・1864年・2月20日〜元治2年・1

            865年・4月7日) に改元される。 

 

■ 1864年   ● 1864年2月、島津藩の実権を持つ、島

 (元治 元年)   津久光が、西郷隆盛を赦免召還し、遠島 

            を解く。 

           ● 西郷隆盛は、沖永良部島を出帆し、鹿児

            島へ戻り、 薩摩藩の任務に就(つ)く。

            ● TKKI カナヤマ著 西郷 隆盛ガイド

            ブック

 

■ 1864年   ● 神戸海軍操練所(こうべかいぐんそうれ

 (元治 元年)   んじょ、約1年間)が設立される。

 

■ 1864年   ● 1864年6月、池田屋事件が起こる。 

 (元治 元年)   京(都)の尊王攘夷派(そんのうじょうい

            は) は、大打撃を受ける。

 

■ 1864年   ● 1864年7月、禁門(きんもん)の変 

 (元治 元年)    (蛤御門(はまぐりごもん)の変)が、

             起こる。                

            ● 池田屋事件に憤慨(ふんがい)し、勢力

            回復をねらい、長州藩が京(都)へ攻めの

            ぼり、禁門(きんもん)の変 (蛤御門(はま

            ぐりごもん)の変)が起こる。 

               幕府・薩摩勢力により、上洛した長州藩

            は、敗退する。 長州藩兵を率いていた久

            坂玄随が自刃(じじん、自害)する。

 

■ 1864年   ● 1864年8月、幕府、第1次長州征討 

 (元治  元年)   (1864年8月〜12月) 開始。

 

■ 1864年   ● 1864年11月、長州藩は、幕府に屈服

 (元治 元年)   し、幕府に対し恭順(きょうじゅん)の態度を

            とった。 1864年12月に、幕府軍は、 引き

            揚げる。

 

■ 1864年   ● 1864年12月、長州藩で、高杉晋作(た

 (元治 元年)   かすぎしんさく)が、奇兵隊を率いて、幕府 

            に恭順した保守派を退(しりぞ)け、長州藩

            藩論を、討幕へ転換させた。

           ● これ以後、日本各地で、 尊皇(王)討幕派 

            と 公武合体派・佐幕派 とが対立する (18

            64年〜1866年頃)。

 

■ 1865年   ● 慶応改元。  

 (慶応 元年)    1865年4月7日に、和暦の「元治」(げん

            じ)が、「慶応」  (けいおう、慶応元年・1865

            年・4月7日〜慶応4年・1868年・ 9月8日)

            に改元される。 

 

■ 1865年   ● 池田屋事件や禁門(きんもん)の変に参加

 (慶応 元年)   した志士がいた海軍塾・神戸海軍操練所は、  

            幕府から 追及され、閉鎖される。  

              龍馬ら20数名は、勝海舟の紹介で西郷隆

            盛を頼って、 大阪の薩摩藩邸に保護される。

 

■ 1865年   ● 1865年5月、薩摩藩の援助により、 土佐

 (慶応 元年)   脱藩の仲間らと共に、長崎で亀山社中(後の

            海援隊)を組織し、物産・武器の貿易を行う。

 

■ 1865年   ● 1865年9月、幕府将軍の家茂、長州藩再

 (慶応 元年)   征(第2次長州征討)の勅許を受ける。

 

■ 1865年   ● 1865年10月、幕府、安政の諸条約の勅

 (慶応 元年)   許を得る。

 

■ 1866年   ● 1866年1月、薩長同盟成立。 薩長の

 (慶応 2年)   反幕府政治・軍事同盟の密約。 

            ● 坂本龍馬らの斡旋で、京(都)で、長州

            の桂小五郎(木戸孝允(きどたかよし))と

            薩摩の西郷吉之助(隆盛)が会見し、薩長

            同盟が結ばれる。

            ● これ以後、日本各地で、 尊皇(王)討

             幕派 と 公議政体派・佐幕派 とが対立

             する (1866〜1867年頃)。

            ● TKKI カナヤマ著 西郷 隆盛ガイド

            ブック

 

■ 1866年   ● 1866年1月、寺田屋事件が起こる。 

 (慶応 2年)   坂本龍馬は、寺田屋で幕吏に襲撃され、 

            妻のお龍(おりょう)の助けで、龍馬は、幕

            吏の手から逃(のが)れる。

             その傷を癒(いや)すため、 お龍と共に

            鹿児島を旅行する。

 

■ 1866年   ● 1866年6月、幕府は、長州に対し、第

 (慶応 2年)   2次長州征討(1866年6〜7月)を開始。

            ● 第2次長州征討で、龍馬は、長州藩海

            軍を支援する。

 

■ 1866年   ● 1866年7月、幕府将軍・徳川家茂死去

 (慶応 2年)   (病死)。 第2次長州征討、中止となる。 

            ● TKKI カナヤマ著 西郷 隆盛ガイド

            ブック

 

 ■ 1866年   ● 1866年(慶応2年)12月5日に、徳川

 (慶応 2年)   慶喜(よしのぶ)が、幕府15代将軍 (在

            任、1866.12.5〜1867.12.9) と

            なる。 

 

■ 1866年   ● 1866年12月25日に、 倒幕を好まず、

 (慶応 2年)   公武合体論の立場をとる、孝明(こうめい)

            天皇 が、 急死する。 

 

□ 西郷隆盛 年表の先頭へ戻る

□ メニュー (目次) の先頭へ戻る

□ 西郷 隆盛 ガイドブックの先頭ページへ。  

□ 日本史辞典の先頭ページへ。  

□ 日本の歴史ハンドブック の先頭ページへ

 

 

#jpsaigotakamorichronology-1867

 

 

■ 1867年   ● 1867年1月9日に、 睦仁(むつひと)

 (慶応 3年)   天皇 (= 明治天皇) が、践祚(せんそ)の

            儀を行う (事実上、即位する)。  

 

■ 1867年   ●  1867年4月、龍馬 は、脱藩の罪を

 (慶応 3年)   許され、土佐藩との関係を修復する。 

            ● 亀山社中は、土佐藩に付属する外郭機

            関として、「海援隊」と改称される。 

           ● その後、海援隊は、中岡慎太郎の作っ

            た陸援隊と共に、行動した。 

              また、岩崎弥太郎(いわさきやたろう)が、

            藩命により海援隊の会計係となる (経理を

            担当する)。 

 

■ 1867年   ● 1867年4月、いろは丸沈没事件が起こ

 (慶応 3年)   り、龍馬は、紀州藩に損害を賠償させる。

 

■ 1867年   ● 1867年5月、薩摩藩主導で、四侯会議が

 (慶応 3年)    設置されたが、短期間で崩壊した。

           ● 大久保利道 (おおくぼとしみつ)は、

             討幕を決意する。

 

■ 1867年   ● 1867年5月に、「薩土討幕同盟」が結ば

  (慶応 3年)       れる。                                

           ● 京(都)で、中岡慎太郎の仲介で、薩摩の

             西郷吉之助(隆盛)と土佐の討幕派の乾

             (いぬい、板垣)退助との間 で、「薩土(さ

             つど)討幕同盟」(武力討幕の薩土密約)

             が、結ばれる。

            ● TKKI カナヤマ著 西郷 隆盛ガイド

            ブック

 

■ 1867年   ● 1867年6月、坂本龍馬は、洋上で、土佐

 (慶応 3年)   藩船の夕顔丸の船上で、「船中八策」(せん

            ちゅうはっさく) を策定し、それを後藤象二郎

            に提示する。 

 

■ 1867年   ● 1867年6月に、 武力倒幕を見送る「薩土

 (慶応 3年)   (さつど)盟約」が結ば れる。

           ● 大政奉還の行方がわかるまでは、武力倒幕

            は見送るという「薩土 (さつど)盟約」が、土佐

            藩と薩摩藩との間で、結ばれた。

              坂本龍馬は、既にある、薩摩の西郷隆盛と

            土佐の討幕派の乾(いぬ い、板垣)退助との

            間で1867年5月に交わされた 「薩土討幕同

             盟」(武力討幕の薩土(さつど)密約)を思いと

            どまらせるため、1867年6月22日に、京(都)

            の三本木の料亭で、 坂本龍馬・中岡慎太 郎

             の仲介により、 土佐の後藤象二郎 と 薩摩

            の西郷隆盛、小松帯刀、大久保利通 が、会

            談した。

 

■ 1867年7月  ● 1867年7月、イカルス号事件(イギリス

 (慶応 3年)    人水夫殺害事件)が起こり、 龍馬ら海援

             隊士が、疑われるが、無事、嫌疑は晴れる。

 

■ 1867年   ● 1867年10月、幕府は、大政奉還 

 (慶応 3年)    (政権を朝廷へ返上)を行う。  

           ● 坂本龍馬「船中八策」の第1策の大政

            奉還をもとに、後藤象二郎が、土佐藩前藩

            主・山内容堂を説いて、土佐藩の進言によ

            る大政奉還(たいせいほうかん)を実現させ

            る。

 

■ 1867年   ● 1867年11月、坂本龍馬は、「新政府綱

 (慶応 3年)   領ハ策」を作成する。 

 

■ 1867年   ● 1867年11月、坂本龍馬が暗殺される。  

 (慶応 3年)   坂本龍馬は、1867年11月15日に、 京

            都の近江屋(おうみや)で、何者か(幕府の

            見廻組(みまわりぐみ)?)に急襲され、殺害

            される。 同席していた中岡慎太郎も殺害さ

            れる。

 

■ 1867年   ● 1867年12月、王政復古のクーデター 

 (慶応 3年)   と 新政府の樹立。 

             ● 1867年12月9日、  王政復古の大号

            令と小御所会議 により、幕府排除の王政

            復古 と近代日本政府 (明治新政府、天皇 

            親政政府) 樹立 となる。

            ● TKKI カナヤマ著 西郷 隆盛ガイド

            ブック

 

■ 1868年   ● 1868年(慶応4年)1月3日、鳥羽伏見の

 (慶応 4年)   戦い(1868.1.3〜1.8)が起こる。 戊辰

            戦争((ぼしんせんそう、1868.1.3〜18

            69.5.18) が 始まる。  西郷隆盛が、戊

            辰戦争で、明治新政府軍を主導する。

 

■ 1868年   ● 1868年4月、江戸幕府の本拠地の江戸城、

 (慶応 4年)   無血開城。 討幕軍、江戸入場。

 

■ 1868年   ● 1868年4月、海援隊 は、土佐藩の藩命に

 (慶応 4年)   より、解散する。

 

■ 1868年   ● 明治改元。   

 (明治 元年)    1868年9月8日に、 和暦の「慶応」(けい

            おう)が、「明治」  (めいじ、明治元年・1868

            年・9月8日〜明治45年・1912年・7月30日) 

            に改元される。 

 

■ 1869年   ● 1869年(明治2年)5月18日、戊辰(ぼ

 (明治 2年)   しん)戦争が(1868〜69) が終わる。

 

■ 1869年   ● 1869年6月西郷は、明治新政府の職

 (明治 2年)   (軍)を辞し、鹿児島へ戻る。

 

■ 1869年   ● 1869年6月、明治新政府が、版籍奉還

 (明治 2年)   (はんせきほうかん)を実施する。

 

□ 西郷隆盛 年表の先頭へ戻る

□ メニュー (目次) の先頭へ戻る

□ 西郷 隆盛 ガイドブックの先頭ページへ。  

□ 日本史辞典の先頭ページへ。  

□ 日本の歴史ハンドブック の先頭ページへ

 

 

#jpsaigotakamorichronology-1871

 

 

■ 1871年   ● 龍馬の兄の坂本権平が死去し、坂本家は、

 (明治 4年)   龍馬の甥の坂本直寛(なおひろ、5代目当主)

            が継ぐ。

 

■ 1871年   ● 1871年2月、明治新政府が、薩長土3藩

 (明治 4年)   より、親兵を徴集する。 

            ● TKKI カナヤマ著 西郷 隆盛ガイド

            ブック

 

■ 1871年   ● 1871年6月、西郷が、鹿児島より東京へ

 (明治 4年)   出て、参議として、明治新政府に復職。

 

■ 1871年   ● 1871年7月、明治新政府が、廃藩置県

 (明治 4年)   を実施する。

 

■ 1871年   ● 1871年8月、坂本龍馬の姉・千鶴(ちづ

 (明治 4年)   る)の長男・高松太郎(たかまつたろう) が、

            坂本直(なお)として、坂本龍馬の養嗣子とな

            る(名跡(跡目)を相続する)。

 

■ 1871年   ● 1871年12月、大久保、木戸ら岩倉使節

 (明治 4年)   団(1871〜73年)が、外遊のため、日本を

            出発する。

 

■ 1871年   ● 1871年12月、西郷が、 大久保、木戸ら

 (明治 4年)   岩倉使節団外遊中の留守政府(1871年12

            月〜1873年9月)を指導する。

 

■ 1872年   ● 1872年12月、太陽暦の採用(太陽暦

 (明治 5年)   へ の切り替え)。 旧暦(太陰太陽暦)の明

            治5年(1872年)12月3日を、 新暦(太陽

            )の明治6年(1873 年)1月1日とする。

 

□ 西郷隆盛 年表の先頭へ戻る

□ メニュー (目次) の先頭へ戻る

□ 西郷 隆盛 ガイドブックの先頭ページへ。  

□ 日本史辞典の先頭ページへ。  

□ 日本の歴史ハンドブック の先頭ページへ

 

 

#jpsaigotakamorichronology-1873

 

 

■ 1873年   ● 1873年9月、大久保、木戸ら岩倉使節 

 (明治 6年)   団が 外遊から戻る。

 

■ 1873年   ● 1873年10月、「明治6年の政変」が起

 (明治 6年)   こる。 西郷が、下野する (政府の役職を

            辞職する)。 

            ● TKKI カナヤマ著 西郷 隆盛ガイド

            ブック

 

■ 1877年   ● 1877年2月、西南戦争(1877年2〜

 (明治10年)   9月)が、起こる。 

 

■ 1877年   ● 1877年9月、西郷隆盛が、享年51歳で、

 (明治10年)   西南戦争で、死去(敗死、自害)する。

 

■ 1878年   ● 大久保利道が、東京で、暗殺される。

 (明治11年)   

 

□ 西郷隆盛 年表の先頭へ戻る

□ メニュー (目次) の先頭へ戻る

□ 西郷 隆盛 ガイドブックの先頭ページへ。  

□ 日本史辞典の先頭ページへ。  

□ 日本の歴史ハンドブック の先頭ページへ

 

 

『 あなたのハートには 何が残りましたか? 』

 

 

以  上。