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KANAYAMA’S JAPANESE HISTORY HANDBOOK.
カナヤマ 日本歴史 辞典
日本語版
見出し語 『 と 』
NO.0822。
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□ 日本史 辞典 (総合)。
□ と ≪徳川本家(宗家)≫
≪ 徳川将軍家 ≫
≪ 徳川政権 ≫
● 事柄順。
〇 とく 徳川幕府。
(とくがわばくふ)。
(= 江戸幕府)。
(1603年〜1867年)。
(⇒ 江戸幕府)。
〇 とく 徳川政権。
(とくがわせいけん) 。
(= 徳川氏政権)。
(1600年頃〜1868年頃)。
(⇒ 日本の政権・政府)。
〇 とく 徳川本家。
(とくがわ ほんけ)。
(= 徳川宗家)。
(1566年〜1871年)。
○ 徳川本家とは、武家の
徳川氏本家(宗家)である。
〇 とく 徳川将軍家。
(徳川氏)。 《武家》。
(1603年ー1867年)。
(⇒ 江戸城)。
(⇒ 徳川氏)。
(⇒ 江戸幕府)。
○ 徳川将軍家とは、
江戸幕府の将軍 職に就任
した、江戸時代の徳川氏
本家(宗家)である。
■ 徳川将軍家 (とくがわしょうぐ
んけ)とは、 江戸幕府(= 徳川幕
府)の将軍 職に就任した、江戸時
代の徳川氏本家(宗家)である。
■ 徳川将軍家 (とくがわしょうぐ
んけ、1603年ー1867年) とは、
長く江戸幕府(= 徳川幕府)の将軍
職に就任した武家であり、 江戸幕
府の将軍を出す徳川氏本家(宗家)
である。
■ 江戸幕府(= 徳川幕府)の、
徳川将軍家の、将軍15代は、順に、
● 初代・徳川家康 (いえやす)、
● 2 代・徳川秀忠 (ひでただ)、
● 3 代・徳川家光 ( いえみつ)、
● 4 代・徳川家綱 (いえつな)、
● 5 代・徳川綱吉 (つなよし)、
● 6 代・徳川家宣 (いえのぶ)、
● 7 代・徳川家継 (いえつぐ)、
● 8 代・徳川吉宗 (よしむね)、
● 9 代・ 徳川家重 (いえしげ)、
● 10代・徳川家治 (いえはる)、
● 11代・徳川家斉 (いえなり)、
● 12代・徳川家慶 (いえよし)、
● 13代・徳川家定 (いえさだ)、
● 14代・徳川家茂 (いえもち)、
● 15代・徳川慶喜 (よしのぶ)、
である。
〇 とく 徳川将軍家の大奥
(とくがわしょうぐんけのおおおく)。
(⇒ 大奥 おお おく)。
〇 とく 徳川将軍家の宝塔・
(とくがわけしょうぐんけのほうとう・
ぼだいじ)。
〇 とく 徳川将軍家・墓地改葬
(とくがわしょう ぐんけぼちかいそう) 。
○ 東京・増上寺の徳川家の
墓地改葬、1958〜60年。
〇 とく 江戸幕府・将軍。
〇 とく 徳川 家康。
〇 とく 徳川政権。
〇 とく 徳川氏(家)。
〇 とく 徳川本家(宗家)。
〇 とく 徳川将軍家。
〇 とく 徳川将軍家 ・当主。
〇 とく 徳川本家(宗家)の
〇 とく 徳川分家の人々。
の 先頭ページへ 。
■ 『 現在は、過去の成果であり、
未来は、現在の成果である。 』
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◆ 日本史辞典
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■ 徳川政権
(とくがわせいけん)
(= 徳川氏政権)。
■ 徳川政権。
■ 時期 : 1600年頃〜1868年頃。
■ 名称 : 徳川政権 ( とくがわせいけん)。
● 別名 : 徳川 氏政権 (とくがわしせいけん)。
● 徳川政権、徳川氏政権の英名 : the
Tokugawa Regime、 the Tokugawa
Government。
戦いに勝ち、徳川(氏)政権を樹立し、 さらに、
1603年に、江戸幕府を開き、 1867年に、
大政奉還 (たいせいほうかん)して、江戸幕府が
終わり、 1868年に、徳川慶喜(よしのぶ)が江
戸城無血開城(むけつかいじょう)して徳川(氏)
政権は、消滅した。
■ 徳川(氏)政権 (とくがわ(し)せいけん)は、16
00年頃から1868年頃までで、1600年に、徳川
政権を樹立し、 さらに、1603年に、江戸幕府を
開き、 1867年に、大政奉還(たいせいほうかん)
して、江戸幕府が終わり、 1868年に、徳川慶喜
(よしのぶ)が江戸城無血開城(むけつかいじょう)
して徳川(氏)政権は、 消滅した。
■ 江戸幕府・将軍 (初代〜15代)。
■ 徳川 家康 (とくがわ いえやす)。
(将軍在任、1603〜1605年)。
(生没年:1542〜1616年)。
○ 江戸幕府・ 初代将軍。
○ 三河国岡崎城主・松平広忠の
子。
○ 徳川宗家当主、1566〜16
05年。
■ 徳川 秀忠 (とくがわ ひでただ)。
(将軍在任、1605〜1623年)。
(生没年:1579〜1632年)。
○ 江戸幕府・ 第2代将軍。
○ 初代将軍・家康(いえ やす)の子。
■ 徳川 家光 (とくがわ いえみつ)。
(将軍在任、1623〜1651年)。
(生没年:1604〜1651年)。
○ 江戸幕府・ 第3代将軍。
○ 2代将軍・秀忠( ひでただ)の子。
■ 徳川 家綱 (とくがわ いえつな)。
(将軍在任、1651〜1680年)。
(生没年:1641〜1680年)。
○ 江戸幕府・ 第4代将軍。
○ 3代将軍・家光(いえみつ)の子。
■ 徳川 綱吉 (とくがわ つなよし)。
(将軍在任、1680〜1709年)。
(生没年:1646〜1709年)。
○ 江戸幕府・ 第5代将軍。
○ 3代将軍・家光(いえみつ)の 子。
■ 徳川 家宣 (とくがわ いえのぶ)。
(将軍在任、1709〜1712年)。
(生没年:1662〜1712年)。
○ 江戸幕府・ 第6代将軍。
○ 3代将軍・家光(いえみつ)の孫。
■ 徳川 家継 (とくがわ いえつぐ)。
(将軍在任、1713〜1716年)。
(生没年:1709〜1716年)。
○ 江戸幕府・ 第7代将軍。
○ 6代将軍・家宣(いえのぶ)の子。
■ 徳川 吉宗 (とくがわ よしむね)。
(将軍在任、1716〜1745年)。
(生没年:1684〜1751年)。
○ 江戸幕府・ 第8代将軍。
○ 紀伊徳川氏の一族で、初代将
軍・家康(いえ やす)の曾孫(ひまご)。
■ 徳川 家重 (とくがわ いえしげ)。
(将軍在任、1745〜1760年)。
(生没年:1711〜1761年)。
○ 江戸幕府・ 第9代将軍。
○ 8代将軍・吉宗(よしむね)の子。
■ 徳川 家治 (とくがわ いえはる)。
(将軍在任、1760〜1786年)。
(生没年:1737〜1786年)。
○ 江戸幕府・第10代将軍。
○ 9代将軍・家重(いえしげ)の子。
■ 徳川 家斉 (とくがわ いえなり)。
(将軍在任、1787〜1837年)。
(生没年:1773〜1841年)。
○ 江戸幕府・第11代将軍。
○ 一橋家の一族で、8代将軍・
吉宗の曾孫(ひまご)。
■ 徳川 家慶 (とくがわ いえよし)。
(将軍在任、1837〜1853年)。
(生没年:1793〜1853年)。
○ 江戸幕府・第12代将軍。
○ 11代将軍・家斉(いえなり)の子。
■ 徳川 家定 (とくがわ いえさだ) 。
(将軍在任、1853〜1858年)。
(生没年:1824〜1858年)。
○ 江戸幕府・第13代将軍。
○ 12代将軍・家慶(いえよし)の子。
■ 徳川 家茂 (とくがわ いえもち)
(将軍在任、1858〜1866年)。
(生没年:1846〜1866年)。
○ 江戸幕府・第14代将軍。
○ 紀伊徳川氏の一族 で、11代将
軍・家斉(いえなり)の孫。
■ 徳川 慶喜 (とくがわ よしのぶ)。
(= 一橋(ひとつばし)慶喜)。
(将軍在任、1866〜1867年)。
(生没年:1837〜1913年)。
○ 江戸幕府・第15代将軍。
○ 水戸徳川氏の一族で、水戸藩
主・徳川斉昭(なりあき)の子。
○ 徳川宗家当主、1866〜18
68年。
■ 江戸幕府・将軍 (初代〜15代)。
■ 江戸幕府 歴代将軍。
■ 江戸幕府 初代将軍・徳川 家康(いえやす)
(将軍在任1603〜 1605年)。
■ 江戸幕府 第2代将軍・徳川 秀忠(ひでただ)
(将軍在任1605〜 1623年)。
■ 江戸幕府 第3代将軍・徳川 家光(いえみつ)
(将軍在任1623〜 1651年)。
■ 江戸幕府 第4代将軍・徳川 家綱(いえつな)
(将軍在任1651〜 1680年)。
■ 江戸幕府 第5代将軍・徳川 綱吉(つなよし)
(将軍在任1680〜1709年)。
■ 江戸幕府 第6代将軍・徳川 家宣(いえのぶ)
(将軍在任1709〜 1712年)。
■ 江戸幕府 第7代将軍・徳川 家継(いえつぐ)
(将軍在任1713〜 1716年)。
■ 江戸幕府 第8代将軍・徳川 吉宗(よしむね)
(将軍在任1716〜 1745年)。
■ 江戸幕府 第9代将軍・徳川 家重(いえしげ)
(将軍在任1745〜 1760年)。
■ 江戸幕府 第10代将軍・徳川 家治(いえはる)
(将軍在任1760〜 1786年)。
■ 江戸幕府 第11代将軍・徳川 家斉(いえなり)
(将軍在任1787〜1837年)。
■ 江戸幕府 第12代将軍・徳川 家慶(いえよし)
(将軍在任1837〜 1853年)。
■ 江戸幕府 第13代将軍・徳川 家定(いえさだ)
(将軍在任1853〜 1858年)。
■ 江戸幕府 第14代将軍・徳川 家茂(いえもち)
(将軍在任1858〜 1866年)。
■ 江戸幕府 第15代将軍・徳川 慶喜(よしのぶ)
(将軍在任1866〜 1867年)。
● TKKI カナヤマ 著 日本史 辞典。
□ 日本史 辞典 の先頭ページへ 。
■ 徳川将軍家
(とくげわしょうぐんけ)。
■ 江戸幕府の徳川将軍家。
■ 徳川将軍家とは、 徳川宗家 (徳川本家) で
ある。
■ 江戸幕府では、15代の徳川家将軍が、擁立(よ
うりつ)され、 江戸幕府は、1603年より、186
7年まで 265年間存続し、 日本を支配する。
■ 江戸幕府の将軍 は、 江戸時代(1603〜18
68)、日本の政治の実権をもつ、最高権力者 で
あった。 将軍は、徳川家の世襲制である。
■ 徳川家 は、 徳川家の本家(徳川宗家)と分家
があり、 徳川家の本家即ち徳川宗家 が、 徳川
将軍家であり、 徳川家の分家は 御三家(ごさん
■ 三河国(みかわのくに、愛知県東部)の 徳川家
(松平家) は、 清和源氏の 新田氏の子孫
(実際には虚偽、家系図の偽造) ということで、
徳川家康 が、 源氏が継ぐ征夷大将軍となり、
江戸幕府を開き、 それ以後、 家康を含み、15
代の江戸幕府の将軍 が、 擁立された。
■ 1867年(慶応3年)に、 徳川 慶喜 (よしの
ぶ、15代将軍在任1866〜1867年) が、
江戸幕府の第15代将軍 をやめ、 徳川将軍
家 は、消滅し、 400万石の大名となる。
■ 1868年(慶応4年)に、 明治新政府(近代日
本政府)により、 400万石の大名の、徳川宗
家当主の徳川 慶喜は、 当主の座を、 徳川
家達(いえさと)に譲り、隠居し、 徳川家達は、
減封され、駿河の一大名となる。
■ 1871年(明治4年)に、 明治新政府(近代日
本政府)の廃藩置県により、 徳川宗家当主の
徳川家達は、 駿河の大名の地位を降りる。 こ
こに、 武家の徳川家は、 消滅した。
■ 徳川宗家 (徳川将軍家) の菩提寺(ぼだいじ)
は、 芝・増上寺(しば・ぞうじょうじ) と 上野・寛
永寺 (うえの・かんえいじ) で、 江戸幕府の将
軍をはじめ徳川宗家に連なる人々 の墓がある。
初代将軍・徳川家康、 3代将軍・徳川家光、
15代将軍・徳川慶喜 の3人の墓所や菩提寺は、
別の場所にある。
■ 徳川将軍家・簡易年表。
■ 1603年 徳川 家康 (いえやす、将軍在任1603〜05)
が、 江戸幕府・初代将軍となる。
■ 1605年 徳川 秀忠 (ひでただ、将軍在任1605〜23)
が、 江戸幕府・第2代将軍となる。
■ 1623年 徳川 家光 (いえみつ、将軍在任1623〜51)
が、 江戸幕府・第3代将軍となる。
■ 1651年 徳川 家綱 (いえつな、将軍在任1651〜80)
が、 江戸幕府・第4代将軍となる。
■ 1680年 徳川 綱吉 (つなよし、将軍在任1680〜1709)
が、 江戸幕府・第5代将軍となる。
■ 1709年 徳川 家宣 (いえのぶ、将軍在任1709〜12)
が、 江戸幕府・第6代将軍となる。
■ 1713年 徳川 家継 (いえつぐ、将軍在任1713〜16)
が、 江戸幕府・第7代将軍となる。
■ 1716年 徳川 吉宗 (よしむね、将軍在任1716〜45)
が、 江戸幕府・第8代将軍となる。
● TKKI カナヤマ 著 日本史 辞典。
■ 1745年 徳川 家重 (いえしげ、将軍在任1745〜60)
が、 江戸幕府・第9代将軍となる。
■ 1760年 徳川 家治 (いえはる、将軍在任1760〜86)
が、 江戸幕府・第10代将軍となる。
■ 1787年 徳川 家斉 (いえなり、将軍在任1787〜1837)
が、 江戸幕府・第11代将軍となる。
■ 1837年 徳川 家慶 (いえよし、将軍在任1837〜53)
が、 江戸幕府 第12代将軍となる。
■ 1853年 徳川 家定 (いえさだ、将軍在任1853〜58)
が、 江戸幕府・第13代将軍となる。
■ 1858年 徳川 家茂 (いえもち、将軍在任1858〜66)
が、 江戸幕府 第14代将軍となる。
■ 1866年 徳川 慶喜 (よしのぶ、将軍在任1866〜67)
が、 江戸幕府 第15代将軍となる。
■ 1867年 徳川 慶喜 (よしのぶ、将軍在任1866〜67)
が、 江戸幕府 第15代将軍 をやめ、
徳川将軍家は、消滅する。
● TKKI カナヤマ 著 日本史 辞典。
■ 江戸幕府・将軍 (初代〜15代)。
■ 徳川 家康 (とくがわ いえやす)。
(将軍在任、1603〜1605年)。
(生没年:1542〜1616年)。
○ 江戸幕府・ 初代将軍。
○ 三河国岡崎城主・松平広忠の
子。
○ 徳川宗家当主、1566〜16
05年。
■ 徳川 秀忠 (とくがわ ひでただ)。
(将軍在任、1605〜1623年)。
(生没年:1579〜1632年)。
○ 江戸幕府・ 第2代将軍。
○ 初代将軍・家康(いえ やす)の子。
■ 徳川 家光 (とくがわ いえみつ)。
(将軍在任、1623〜1651年)。
(生没年:1604〜1651年)。
○ 江戸幕府・ 第3代将軍。
○ 2代将軍・秀忠( ひでただ)の子。
■ 徳川 家綱 (とくがわ いえつな)。
(将軍在任、1651〜1680年)。
(生没年:1641〜1680年)。
○ 江戸幕府・ 第4代将軍。
○ 3代将軍・家光(いえみつ)の子。
■ 徳川 綱吉 (とくがわ つなよし)。
(将軍在任、1680〜1709年)。
(生没年:1646〜1709年)。
○ 江戸幕府・ 第5代将軍。
○ 3代将軍・家光(いえみつ)の 子。
■ 徳川 家宣 (とくがわ いえのぶ)。
(将軍在任、1709〜1712年)。
(生没年:1662〜1712年)。
○ 江戸幕府・ 第6代将軍。
○ 3代将軍・家光(いえみつ)の孫。
■ 徳川 家継 (とくがわ いえつぐ)。
(将軍在任、1713〜1716年)。
(生没年:1709〜1716年)。
○ 江戸幕府・ 第7代将軍。
○ 6代将軍・家宣(いえのぶ)の子。
■ 徳川 吉宗 (とくがわ よしむね)。
(将軍在任、1716〜1745年)。
(生没年:1684〜1751年)。
○ 江戸幕府・ 第8代将軍。
○ 紀伊徳川氏の一族で、初代将
軍・家康(いえ やす)の曾孫(ひまご)。
■ 徳川 家重 (とくがわ いえしげ)。
(将軍在任、1745〜1760年)。
(生没年:1711〜1761年)。
○ 江戸幕府・ 第9代将軍。
○ 8代将軍・吉宗(よしむね)の子。
■ 徳川 家治 (とくがわ いえはる)。
(将軍在任、1760〜1786年)。
(生没年:1737〜1786年)。
○ 江戸幕府・第10代将軍。
○ 9代将軍・家重(いえしげ)の子。
■ 徳川 家斉 (とくがわ いえなり)。
(将軍在任、1787〜1837年)。
(生没年:1773〜1841年)。
○ 江戸幕府・第11代将軍。
○ 一橋家の一族で、8代将軍・
吉宗の曾孫(ひまご)。
■ 徳川 家慶 (とくがわ いえよし)。
(将軍在任、1837〜1853年)。
(生没年:1793〜1853年)。
○ 江戸幕府・第12代将軍。
○ 11代将軍・家斉(いえなり)の子。
■ 徳川 家定 (とくがわ いえさだ) 。
(将軍在任、1853〜1858年)。
(生没年:1824〜1858年)。
○ 江戸幕府・第13代将軍。
○ 12代将軍・家慶(いえよし)の子。
■ 徳川 家茂 (とくがわ いえもち)
(将軍在任、1858〜1866年)。
(生没年:1846〜1866年)。
○ 江戸幕府・第14代将軍。
○ 紀伊徳川氏の一族 で、11代将
軍・家斉(いえなり)の孫。
■ 徳川 慶喜 (とくがわ よしのぶ)。
(= 一橋(ひとつばし)慶喜)。
(将軍在任、1866〜1867年)。
(生没年:1837〜1913年)。
○ 江戸幕府・第15代将軍。
○ 水戸徳川氏の一族で、水戸藩
主・徳川斉昭(なりあき)の子。
○ 徳川宗家当主、1866〜18
68年。
■ 江戸幕府・将軍 (初代〜15代)。
■ 江戸幕府 歴代将軍。
■ 江戸幕府 初代将軍・徳川 家康(いえやす)
(将軍在任1603〜 1605年)。
■ 江戸幕府 第2代将軍・徳川 秀忠(ひでただ)
(将軍在任1605〜 1623年)。
■ 江戸幕府 第3代将軍・徳川 家光(いえみつ)
(将軍在任1623〜 1651年)。
■ 江戸幕府 第4代将軍・徳川 家綱(いえつな)
(将軍在任1651〜 1680年)。
■ 江戸幕府 第5代将軍・徳川 綱吉(つなよし)
(将軍在任1680〜1709年)。
■ 江戸幕府 第6代将軍・徳川 家宣(いえのぶ)
(将軍在任1709〜 1712年)。
■ 江戸幕府 第7代将軍・徳川 家継(いえつぐ)
(将軍在任1713〜 1716年)。
■ 江戸幕府 第8代将軍・徳川 吉宗(よしむね)
(将軍在任1716〜 1745年)。
■ 江戸幕府 第9代将軍・徳川 家重(いえしげ)
(将軍在任1745〜 1760年)。
■ 江戸幕府 第10代将軍・徳川 家治(いえはる)
(将軍在任1760〜 1786年)。
■ 江戸幕府 第11代将軍・徳川 家斉(いえなり)
(将軍在任1787〜1837年)。
■ 江戸幕府 第12代将軍・徳川 家慶(いえよし)
(将軍在任1837〜 1853年)。
■ 江戸幕府 第13代将軍・徳川 家定(いえさだ)
(将軍在任1853〜 1858年)。
■ 江戸幕府 第14代将軍・徳川 家茂(いえもち)
(将軍在任1858〜 1866年)。
■ 江戸幕府 第15代将軍・徳川 慶喜(よしのぶ)
(将軍在任1866〜 1867年)。
● TKKI カナヤマ 著 日本史 辞典。
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■ 徳川将軍家の大奥
(とくがわしょうぐんけの おおおく)。
■ 徳川将軍家の大奥。
■ 徳川将軍家の大奥については、 日本史辞典の
『 大奥 (おおおく) 』 を参照して下さい。
□ 日本史 辞典 の先頭ページへ 。
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■ 徳川将軍家の宝塔・
菩提寺
(とくがわしょうぐんけのほうとう・ぼだいじ)。
■ 徳川将軍家の宝塔・菩提寺。
◆ 江戸幕府の初代将軍から15代将軍
までの15人の墓所や菩提寺。
代将軍・徳川慶喜の3人の墓所や菩提寺。
江戸幕府・初代将軍の徳川家康(いえやす)
は、 日光東照宮 (にっこうとうしょうぐう) に、
江戸幕府・3代将軍の徳川家光(いえみつ) は、
日光山輪王寺(にっこうざんりんのうじ)に、 江戸
幕府・15代将軍の徳川慶喜(よしのぶ)は、 谷
中霊園 (やなかれいえん、東京都台東区)に、そ
れぞれ、葬(ほうむ)られ、お墓が建てられた。
● TKKI カナヤマ著 日本史辞典。
所や菩提寺。
江戸(東京)の上野・寛永寺(うえの・かんえ
いじ)には、 4代将軍・徳川家綱(いえつな)、5
代将軍・徳川綱吉(つなよし)、 8代将軍・徳川
吉宗(よしむね)、 10代将軍・徳川家治(いえは
る)、 11代将軍・徳川家斉(いえなり)、 13代
将軍・徳川家定(いえさだ) の6人の将軍が、そ
れぞれ、葬(ほうむ)られ、 お墓が建てられた。
● TKKI カナヤマ著 日本史辞典。
菩提寺。
江戸(東京)の芝・増上寺(しば・ぞうじょうじ)
には、 2代将軍・徳川秀忠(ひでただ)、 6代将
軍・徳川家宣(いえのぶ)、 7代将軍・徳川家継
(いえつぐ)、 9代将軍・徳川家重(いえしげ)、
12代将軍・徳川家慶(いえよし)、 14代将軍・徳
川家茂(いえもち) の6人の将軍が、 それぞれ、
葬(ほうむ)られ、 お墓が建てられた。
● TKKI カナヤマ著 日本史辞典。
◆ 徳川宗家(徳川将軍家)の2つの菩提
寺。
■ 徳川宗家(徳川将軍家)の菩提寺は、 芝・増上
寺 (しば・ぞうじょうじ) と 上野・寛永寺 (うえ
の・かんえいじ) で、 江戸幕府の将軍をはじめ
徳川宗家に連なる人々の墓がある。
江戸(東京)にある、芝・増上寺 と 上野・寛
永寺 の2つの菩提寺に、 江戸幕府の将軍をは
じめ徳川宗家に連なる人々の墓が、 分けられて、
建てられた。
● TKKI カナヤマ著 日本史辞典。
◆ 芝・増上寺の墓所に葬られている人々。
■ 芝・増上寺 (しば・ぞうじょうじ)には、 徳川幕府
将軍15人(15代)のうち、 6人の将軍の、秀忠
(ひでただ)、 家宣(いえのぶ)、 家継(いえつぐ)、
家重(いえしげ)、 家慶(いえよし)、 家茂(いえも
ち)とそれらの将軍に関係の深い人々 や その他
に徳川将軍家に関係の深い人々が、 墓所に葬(ほ
うむ)られている (火葬または土葬されて)。
■ 徳川将軍家(徳川宗家)と関係が深い人々、およそ
51名が、 芝・増上寺の徳川家墓所に葬られている。
その中で、 日本の歴史によく登場する主な人
々は、 徳川幕府の6人の将軍の、 2代将軍・徳川
14代将軍・徳川家茂(いえもち)、 と 2代将軍・徳
川秀忠(ひでただ)の正室夫人・お江 (おごう、お江
与(おえよ)、崇源院(すうげんいん))、 5代将軍・
徳川綱吉(つなよし)の生母・桂昌院 (けいしょうい
ん、お玉(おたま))、 6代将軍・徳川家宣(いえの
ぶ)の正室夫人・天英院 (てんえいいん、近衛熙子
(このえひろこ))、 6代将軍・徳川家宣(いえのぶ)
の側室夫人の月光院 (げこっういん、お喜世(おき
よ))、 14代将軍・徳川家茂(いえもち)の正室夫
人・和宮 (かずのみや、静寛院宮 (せいかんいん
のみや)) である。
● TKKI カナヤマ 著 日本史 辞典。
◆ 芝・増上寺の徳川家霊廟の宝塔のガイド。
■ 入口の門より向かって右側の宝塔(墓)。
■ 秀忠夫妻墓(崇源院宝塔)。
● 入口の門より向かって右最奥部の、石塔。
○ 江戸幕府・2代将軍・秀忠夫妻 : 秀忠(台徳院)、
お江与(崇源院)。
台徳院宝塔は、戦災で焼失したため、崇源院
宝塔(石塔)に秀忠が合祀されている。
■ 家継墓(有章院宝塔)。
● 入口の門より向かって右・秀忠夫妻墓の手前の、石塔。
○ 江戸幕府・7代将軍・家継(有章院)。
■ 家重墓(惇徳院宝塔)。
● 入口の門より向かって右・家継墓の手前の、石塔。
○ 江戸幕府・9代将軍・家重(惇徳院)。
■ 家慶墓(慎徳院宝塔)。
● 入口の門より向かって右・最前部の、石塔。
○ 江戸幕府・12代将軍・家慶(慎徳院)。
● TKKI カナヤマ著 日本史辞典。
■ 入口の門より向かって左側の宝塔(墓)。
■ 家宣夫妻墓(文昭院・天英院宝塔)。
● 入口の門より向かって左最奥部の、青銅製の墓。
○ 江戸幕府・6代将軍・家宣夫妻 : 家宣(文昭院)、
熙子(天英院)。
■ 家茂墓(昭徳院宝塔)。
● 入口の門より向かって左・家宣夫妻墓の手前の、石塔。
○ 江戸幕府・14代将軍・家茂(昭徳院)。
■ 和宮墓(静寛院宝塔)。
● 入口の門より向かって左・家茂墓の手前の、青銅製の墓。
○ 江戸幕府・14代将軍・家茂夫人・和宮(静寛院)。
■ 合祀塔。
● 入口の門より向かって左・最前部の、石塔。
合祀以前は、それぞれ宝塔・墓が独立していた。
この合祀墓は、もと「月光院(お喜世)」の墓であった。
○ 江戸幕府・6代将軍家宣の父・綱重(清揚院)、
江戸幕府・5代将軍綱吉の生母・桂昌院(お玉)、
江戸幕府・11代将軍家斉の正室夫人・広大院、
江戸幕府・6代将軍家宣の側室夫人の月光院(お喜世)、
その他38名の徳川将軍家ゆかりの人々が、合祀
されている。
● TKKI カナヤマ著 日本史辞典。
□ 日本史 辞典 の先頭ページへ 。
■ 徳川将軍家 墓地改葬
(とくがわしょうぐんけ ぼちかいそう)
(= 増上寺の徳川家墓所改葬)。
■ 徳川将軍家 墓地改葬。
■ 徳川将軍家墓地改葬 (1958〜60年)。
■ 戦後、 増上寺の、徳川家墓所の地区が、 西武
鉄道に売却された。 その時、将軍家の墓地の改
葬が行われた。
● 増上寺は、 東京都港区芝にあり、 徳川将軍家
(徳川宗家)の菩提寺の1つ であった。
■ 徳川将軍家墓地改葬時学術発掘調査
(1958〜60年)。
● 増上寺の徳川家墓所は、 現在の東京プリンス
ホテルの場所にあったが、 1950年代に同地が
国土計画興業に売却されたため、 歴代将軍及
びその正室・側室夫人等の墓所と遺骸も発掘・改
葬された。
その際の調査結果をまとめた 『 増上寺徳川
将軍墓とその遺品・遺体 』という学術発掘調査の
記録がある。
● TKKI カナヤマ著 日本史辞典。
● 徳川将軍家(徳川宗家)の墓地がある、増上寺で、
徳川将軍家の人々の墓地が、1958年(昭和33
年)から1960年(昭和35年)までの間に、 改葬
された。 そのとき、墓に埋葬されていた人々の調
査が行われた。
そのときの貴重な写真、資料が、残されていて、
日本の、徳川宗家、江戸幕府、江戸時代 を知る貴
重な研究資料 となっている。
■ 徳川将軍家(徳川宗家)と関係が深い人々、およそ
51名が、 芝・増上寺の徳川家墓所に葬られている。
その中で、 日本の歴史によく登場する主な人
々は、 徳川幕府の6人の将軍の、 2代将軍・ 徳川
秀忠(ひでただ)、 6代将軍・ 徳川家宣(いえのぶ)、
7代将軍・ 徳川家継(いえつぐ)、 9代将軍・徳川家
重(いえしげ)、 12代将軍・ 徳川家慶(いえよし)、
14代将軍・ 徳川家茂(いえもち)、 と 2代将軍・徳
川秀忠(ひでただ)の正室夫人・お江 (おごう、お江
与(おえよ)、崇源院(すうげんいん))、 5代将軍・
徳川綱吉(つなよし)の生母・桂昌院 (けいしょうい
ん、お玉(おたま))、 6代将軍・徳川家宣(いえの
ぶ)の正室夫人・天英院 (てんえいいん、近衛熙子
(このえひろこ))、 6代将軍・徳川家宣(いえのぶ)
の側室夫人の月光院 (げこっういん、お喜世(おき
よ))、 14代将軍・徳川家茂(いえもち)の正室夫
人・和宮 (かずのみや、静寛院宮 (せいかんいんの
みや)) である。
● TKKI カナヤマ 著 日本史 辞典。
■ 墓地や遺体・遺骨の調査。
■ 歴史上有名な人物の墓とその人物の遺体と遺骨
の調査では、次のような問題がある。
■ 墓守がいないと、墓が荒らされている場合が多い。
■ 本人の個人土葬墓には、別人の遺体が入ってい
る場合もある。
● 手違い(改葬時)やすり替え等により、本人の個
人土葬墓に、別人の遺体が入っている場合もあ
る。
■ 歴史上有名な人物の墓と遺体・遺骨を特定する
のは、大変難しい作業である。
● 有名な人物には、 複数の墓があることが多く、
ニセ墓も多く、 その人物本人の本当の墓、 と
その中の本人の本当の遺骨や遺体を特定する こ
とは、 容易なことではない。
□ 日本史 辞典 の先頭ページへ 。
■ 徳川本家(宗家)
(とくがわしほんけ(そうけ)。
■ 徳川本家(宗家)。
■ 期間 : 武家の徳川氏 1566年(永禄 9年)〜
1871年(明治4年)。
■ 名称 : 徳川本家 (とくがわほんけ)。
● 別名 : 徳川宗家 (とくがわそうけ)。
■ 大名家 (1566〜1603年、1867〜1871年)、
将軍家 (1603年〜1867年)。
■ 1566年(永禄9年) 以前の名称は、三河・松平家
(みかわ・まつだいらけ)。
■ 1566年(永禄9年) 以後の名称は、徳川家
(とくがわけ)。
● TKKI カナヤマ著 日本史辞典。
■ 1566年 (永禄 9年)に、 徳川家康 (松平家康) は、
三河国 (みかわのくに、現在の愛知県東部)を統一した。
■ 1566年 (永禄 9年)に、 徳川家康 (松平家康) は、
三河守(みかわのかみ)となり、 徳川(とくがわ)に改姓し
た。 松平より、 徳川へ改姓した。
■ 徳川家 は、 徳川家の本家(徳川宗家)と分家があり、
徳川家の本家 即ち 徳川宗家 が、 徳川将軍家で
あり、 徳川家の分家は 御三家(ごさんけ) と 御三卿
(ごさんきょう) である。
◆ 戦国時代末期から、明治初期までの、徳川
宗家(徳川本家)の当主。
■ 徳川宗家 初代当主 徳川 家康(いえやす)
中部地方の大名 (1566〜90年)、後に移封して、
関東地方の大名 (1590〜1603年)。
● 江戸幕府 初代将軍 (将軍在任1603〜05年)。
● 武家当主 1566年〜1605年。
■ 徳川宗家 2代当主 徳川 秀忠(ひでただ)
● 江戸幕府 第2代将軍 (将軍在任1605〜23年)。
■ 徳川宗家 3代当主 徳川 家光(いえみつ)
● 江戸幕府 第3代将軍 (将軍在任1623〜51年)。
● TKKI カナヤマ 著 日本史 辞典。
■ 徳川宗家 4代当主 徳川 家綱(いえつな)
● 江戸幕府 第4代将軍 (将軍在任1651〜80年)。
■ 徳川宗家 5代当主 徳川 綱吉(つなよし)
● 江戸幕府 第5代将軍 (将軍在任1680〜1709年)。
■ 徳川宗家 6代当主 徳川 家宣(いえのぶ)
● 江戸幕府 第6代将軍 (将軍在任1709〜12年)。
■ 徳川宗家 7代当主 徳川 家継(いえつぐ)
● 江戸幕府 第7代将軍 (将軍在任1713〜16)。
■ 徳川宗家 8代当主 徳川 吉宗(よしむね)
● 江戸幕府 第8代将軍 (将軍在任1716〜45)。
■ 徳川宗家 9代当主 徳川 家重(いえしげ)
● 江戸幕府 第9代将軍 (将軍在任1745〜60)。
■ 徳川宗家10代当主 徳川 家治(いえはる)
● 江戸幕府 第10代将軍 (将軍在任1760〜86)。
■ 徳川宗家11代当主 徳川 家斉(いえなり)
● 江戸幕府 第11代将軍 (将軍在任1787〜1837)。
■ 徳川宗家12代当主 徳川 家慶(いえよし)
● 江戸幕府 第12代将軍 (将軍在任1837〜53)。
■ 徳川宗家13代当主 徳川 家定(いえさだ)
● 江戸幕府 第13代将軍 (将軍在任1853〜58)。
■ 徳川宗家14代当主 徳川 家茂(いえもち)
● 江戸幕府 第14代将軍 (将軍在任1858〜66)。
● TKKI カナヤマ 著 日本史 辞典。
■ 徳川宗家15代当主 徳川 慶喜(よしのぶ)
● 江戸幕府 第15代将軍 (将軍在任1866〜67)。
● 武家当主 1866年〜1868年。
■ 徳川宗家16代当主 徳川 家達(いえさと)
● 駿河70万石の大名(1868〜71)。
● 武家当主 1866年〜1871年。
■ 武家の徳川氏は、 1566年(永禄 9年)〜1701年
(明治4年)までの期間、存続した。
徳川宗家 (とくがわそうけ)は、 別名は、徳川本家
で、 1566〜1603年、1867〜1871年の間は、大名
家で、 1603年〜1867年の間は、将軍家であった。
1566年(永禄9年)以前の名称は、 三河・松平家
(みかわ・まつだいらけ) である。
1566年(永禄9年)以後の名称は、徳川家(とくが
わけ) である。
● TKKI カナヤマ 著 日本史 辞典。
■ 三河国(みかわのくに、愛知県東部)の 徳川
(実際には虚偽、家系図の偽造) ということで、
徳川家康が、 源氏が継ぐ征夷大将軍となり、
江戸幕府を開き、 それ以後、家康を含み、15
代の江戸幕府の将軍 が、 擁立された。
● TKKI カナヤマ 著 日本史 辞典。
■ 徳川 家康 (とくがわ いえやす、 生没年
1542〜1616年) は、三河国 (みかわのく
に、現在の愛知県東部) の武将、戦国大名で、
その後、日本全国を統一し、 江戸幕府を創立
する。
● TKKI カナヤマ 著 日本史 辞典。
■ 徳川 家康 は、 江戸幕府の初代将軍 で、
将軍の在任期間 は、1603年から1605年ま
で である 。
■ 徳川家康 は、 徳川家を、何百年と長期間存
続させるため、 本家の徳川宗家(徳川将軍家)
の他に、 分家の徳川御三家をつくって、 もし
徳川家の本家(徳川宗家)に跡継(あとつ)ぎの
当主・将軍がいなくなった場合、 徳川家の分家
より跡継ぎを、 本家へだすシステムを構築した。
(例) 紀州藩第5代藩主の徳川吉宗 が、徳川宗
家(徳川将軍家)の第8代当主・将軍・徳川吉宗
となる。
(例) 紀州藩第13藩主の徳川慶福(よしとみ)が、
徳川宗家(徳川将軍家)の第14代当主・将軍徳
川家茂(いえもち)となる。
■ 徳川家康 は、 徳川家康の三男の徳川 秀忠(ひ
でただ) に、 徳川本家の「徳川宗家(徳川将軍
家)」 を、継承させた。
徳川 秀忠(ひでただ、第2代将軍)は、徳川宗
家(徳川将軍家) を継承する。
■ 徳川家康 は、 徳川 家康の男子の次の3人に、徳川
分家の「徳川・御三家」を継承させた。
● 徳川 義直(よしなお、尾張藩祖)は、 尾張藩62万石
を継承する。
● 徳川 頼宣(よりのぶ、紀伊藩祖)は、 紀伊藩56万石
を継承する。
● 徳川 頼房(よりふさ、水戸藩祖)は、 水戸藩25万石
を継承する。
● TKKI カナヤマ 著 日本史 辞典。
■ 1867年(慶応3年)に、 徳川 慶喜(よしのぶ、
15代将軍在任1866〜1867年)が、 江戸幕
府の第15代将軍 をやめ、 徳川将軍家は、消
滅し、 400万石の大名となる。
■ 1868年(慶応4年)に、 明治新政府(近代日
本政府)により、 400万石の大名の、徳川宗
家当主の徳川 慶喜は、 当主の座を、 徳川
家達(いえさと)に譲り、隠居し、 徳川家達は、
減封され、駿河 70万石(駿府城主)の一大名と
なる。
● TKKI カナヤマ 著 日本史 辞典。
■ 1871年(明治4年)に、 明治新政府(近代日
本政府)の廃藩置県により、 徳川宗家当主の
徳川家達 (いえさと)は、 駿河の大名の地位を
降りる。 ここに、武家の徳川家は、 消滅した。
■ 徳川家達 (とくがわ いえさと)。
■ 徳川家達は、 生没年は、1863〜1 940年で、
武家当主は、1868〜1871年である。
■ 徳川家達は、 14代将軍・徳川家茂(いえもち)
が次期将軍にと望んでいた田安家の男子 であ
る。
■ 徳川家達は、 1868年に、徳川慶喜(よしのぶ)
に代りわ、徳川宗家(本家)の当主となり、駿河
70万石の大名(1868〜1871年)となる。
■ 徳川家達は、 近代日本(明治、大正、昭和戦前)
では、貴族院議員・議長となる。
● TKKI カナヤマ 著 日本史 辞典。
『 あなたのハートには 何が残りましたか? 』
以 上