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 カナヤマ 日本歴史 辞典 

 日本語版 

 見出し語 『 と 』。

 No.0824。

 

 

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■ 次の項目を選び、クリックして下さい。    

□ 日本史 辞典 (総合)  

□    ≪ 徳川本家(宗家)の

        当主以外の人々 ≫

       ● 事柄順。

         □ 徳川氏 画像アルバム 

            No.1

〇 とく   徳川 忠長

            (とくがわ ただなが)。 《人名》。

          (= 幼名:国松(くにまつ )、駿河大

         納言)。

         (江戸幕府・第2代将軍・徳川秀

         忠の三男)。 《人名》。

         《人名》。

                   ○ 徳川家光の弟。

         ○ 徳川秀忠と正室夫人・お江

         (おごう)との間の2男5女の1人。

         ○ 徳川秀忠・正室夫人のお江

         (おごう)が寵愛、偏愛した男子。

             ■ 江戸幕府・第2代将軍・徳川秀忠の実

             子の男子には、 @ 侍女 (秀忠側室夫

              人、名不詳)との間に、 長丸 (ちょうまる;

             長男、早世)、 A お江 (おごう、秀忠正

             室夫人)との間に二人の男子、 徳川家光

             (とくがわいえみつ、幼名:竹千代(たけち

             よ);次男) と 徳川忠長 (とくがわただ

             なが、幼名:国松(くにまつ);三男)、 B 

             お静 (おしず、お志津、浄光院;侍女、秀

             忠側室夫人)との間に、 保科正之 (ほし

             なまさゆき)幼名:幸松(こうまつ、ゆきま

             つ);四男) がいた。 

 

〇 とく   徳川 和子

            (とくがわ まさこ)。 《人名》。 

         (= 和子(まさこ、かずこ)、東福門院

         (とうふくもんいん ) )。

                   (生没年:1607年−1678年)

         ○ 入内(じゅだい 、天皇との婚儀)前、

            和子(かずこ)入内後和子(まさこ)

         ○ 後水尾(ごみずのお)天皇の正

         室夫人(妃、中宮(ちゅうぐう ))。

         ○ 徳川家康の孫娘。 徳川秀忠

         (ひでただ)五女、お江(おごう)と江戸

         幕府2代将軍・徳川秀忠との間の

         娘。

         ○ 明正(めいしょう)天皇(女帝)の

         生母

 

 

〇 とく  江戸幕府・将軍

〇 とく  徳川 家康

〇 とく  徳川政権

〇 とく  徳川氏(家)

〇 とく  徳川本家(宗家)

〇 とく  江戸時代の徳川本家

       (宗 家)

〇 とく  徳川将軍家

〇 とく  徳川将軍家 ・当主

〇 とく  徳川本家(宗家)の

       当主以外の人々

〇 とく  徳川分家の人々

 

 

□ 日本史 辞典 の 「と」 基本見出し語

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■  『 現在は、過去の成果であり、

    未来は、現在の成果である。 

 

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□ 日本史 辞典 の 「と」 基本見出し語

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#to

 

#tokugawamasako

 

■ 徳川 和子 

       (とくがわ まさこ)  

 

■ 徳川 和子

■ 名称 : 徳川 和子 (とくがわ まさこ)。

■ 別名 : 徳川 和子 (とくがわ かずこ)、

        源 和子(みなもとの まさこ)。

● 1627年より東福門院(とうふくもんいん)と称した。 

○ 入内(じゅだい)前、和子(かずこ)、入内後、和子

  (まさこ)。

■ 生没年 : 1607年−1678年

 

□ 徳川 氏 画像アルバム No.1

 

 

■ 徳川 和子 (とくがわ まさこ)は、 後水尾(ごみず

  のお)天皇に嫁ぐ。

■ 後水尾(ごみずのお)天皇の中宮(ちゅうぐう、夫人)。

 江戸幕府2代将軍・徳川秀忠の五女。 

 江戸幕府3代将軍・徳川 家光の妹。 

■ お江(おごう)と幕府2代将軍・徳川秀忠(ひでただ)

  との間の娘。

■ 後水尾(ごみずのお)天皇の間に、二男五女をもう

  ける。

     二男とも早世。 五女の1人の興子内親王(おき

  こないしんのう)が、 後水尾天皇の跡を継ぐ明正(め

  いしょう)天皇(女帝) となる。

 

 

■ 1607年(慶長12年)に誕生した、江( おごう)の

  女子である、和子(まさこ、かずこ、秀忠五女、1607

  −78年) は、 1620年(元和(げんな)6年)に、 

  後水尾(ごみずのお)天皇の元へ嫁ぐ (入内(じゅだ

  い)する)。 

    女御(にょうご)とし入内し、後に中宮(ちゅうぐう)と

  なる。 1627年より東福門院(とうふくもんいん)と呼

  ばれた。 

● 和子は、 後に、明正(めいしょう)天皇(在位1629

  〜43年、女帝の 生母となる。

 

■ 徳川 和子の氏名。

● 通常は、 和子 (まさこ、かずこ)、 東福門院 

  (とうふくもんいん) と称した。 

● 最初の名(幼名) は、 松、松姫(まつひめ)

   または和、和姫(まさひめ・かずひめ)。

● 成人時、和子(かずこ・まさこ)。

○ 入内(じゅだい)前、和子(かずこ)、入内後、和子

  (まさこ)。

■ 和子 (まさこ、かずこ、生没年 1607年−1678年) 

 は、 1627年より東福門院(とうふくもんいん)と呼ばれ

 る。  正式名は、徳川和子 (とくがわ まさこ)、 源和

 子 (みなもとのまさこ)である。

● 和子の最初の名 (幼名)は、 松姫(まつひめ)または

 和姫 である。

● 和子の成人時、 和子(まさこ 、かずこ) と称す。

● 和子 は、 通常は、 和子 ( まさこ、かずこ)、 東福

 門院 (とうふくもんいん) と称した。 

● 和子の正式名は、  徳川 和子 (とくがわ まさこ)、 

 源 和子(みなもとの まさこ) である。

(注意) 前近代日本の人名

○ 前近代日本では、改名自由。上層者は、複数自己名所持。

○ 前近代日本では、父系一族名中心。

○  前近代日本では、女性は、通常、個人名のみで自他呼称。

○ 前近代日本では、夫婦別姓

 

■ 和子は、 後水尾(ごみずのお)天皇の中宮(ちゅうぐう、

 夫人)である。

 

■ 和子は、 徳川秀忠の五女で、 お江(おごう)と幕府2

 代将軍・徳川秀忠(ひでただ)との間の娘 である。

■ 和子は、 江戸幕府3代将軍・徳川 家光の妹 である。

 

■ 和子は、 後水尾(ごみずのお)天皇の間に、二男五女

  をもうける。

     和子の二男とも早世し、 五女の1人の興子内親王 

  (おきこないしんのう)が、 後水尾天皇の跡を継ぐ明正

  (めいしょう)天皇(女帝)となる。

 

■ 江戸幕府第2代将軍・徳川秀忠の子。

    徳川秀忠の実子は、  長丸(ちょうまる、長男、

  早世)、 徳川家光(とくがわいえみつ、次男)、 

  徳川忠長(とくがわただなが、三男)、 保科正之

  (ほしなまさゆき、四男)、 千姫(せんひめ、長女)、 

  珠姫(たまひめ、次女)、 勝姫(かつひめ、三女)、 

  初姫(はつひめ、四女)、 和子(まさこ、かずこ、

  徳川和子五女) である。

 

 

#-appearingscenes

 

♪♪ 徳川 和子が登場する興味深い、

    ドキュメンタリー、ドラマ、映画。

 

 徳川 和子が登場する興味深い、ド

   キュメンタリー。

 

■ 高島礼子・日本の古都 

   ▼女の生き様SP(スペシャル)

   『 天皇家に嫁いだ将軍家の

    姫 徳川和子(まさこ) 

   〜波乱の生涯と知られざる

    禁中の生活とは〜 』。 

    (TBSテレビ・2018年1月26日・

    本放送・歴史ドキュメンタリー番組)。

● 徳川和子(まさこ)を詳細に述べる。

 

 

★ 徳川 和子が登場する、興味深い関

   連ドラマ、映画。 

 

● (注意) ドラマ、映画は、 フィクションです。 

  歴史のドラマ、映画 は、史実(歴史上の事実) 

  と 架空の出来事が 混じって描かれています。 

  また、 現代風にアレンジしてあります。

 

■ 『 天下騒乱〜徳川三代の陰謀 

    (てんかそうらん〜 とくがわさんだいのい

    んぼう) 』 。 

    (テレビ東京・2006年制作テレビドラマ)。 

● 和子を演じた女優 : 高橋 愛 (モーニング娘)。 

 

■ 『 江(ごう)〜姫たちの戦国〜 』 。 

    (NHKテレビ・2011年 大河ドラマ) 

● 和(まさ、和子)を演じた女優 : 上白石 萌音。

 

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#tokugawatadanaga

 

■ 徳川 忠長 

      (とくがわ ただなが) (国松)

 

■ 徳川 忠長。

■ 生没年 : 1606年(慶長11年)〜1633年(寛永

 10年)。

■ 名称 : 徳川 忠長 (とくがわ ただなが) 

● 幼名は、国松(くにまつ)、国千代、門松丸。 1620年

 に元服(成人)して忠長 と称す また、「 駿河大納言」 

 と呼ばれる。

■ 徳川秀忠の三男で、 徳川家光の弟。

■ お江(おごう)の寵愛(ちょうあい)、偏愛(へんあい)す

 る男子。

■ 駿河、遠江、甲斐を合わせた55万石の大名。 後に、

 改易(かいえき)される。

■ 父 は、 徳川秀忠

■ 母 は、 お江(おごう、小督、お江与、崇源院)。

■ 兄弟姉妹 は、 同父母兄弟姉妹が、 徳川家光(とくが

 わいえみつ)、 千姫(せんひめ)、 珠姫(たまひめ)、 勝

 姫(かつひめ)、 初姫(はつひめ)、  和子(かずこ、まさ

 こ)、 異母兄弟が、 長丸、 保科正之(ほしなまさゆき)、

 異父姉妹 が、 完子(さだこ)。

■ 実子 はいなかった。

 

□ 徳川 氏 画像アルバム No.1

 

 

■ 徳川 忠長 (とくがわ ただなが) は、 1606年(慶長11年)に誕

 生した、江(ごう)の男子である。 幼名は、 国松(くにまつ)、 国千

 代、門松丸 である。

 

■ 徳川忠長 (とくがわただなが、秀忠三男、1606−33年) は、

 1624年に、駿府城主となり、 駿河、遠江、甲斐合せて55万石の

 大名となる。 

● その後、 徳川忠長は、 1631年(寛永8年)に、秀忠より、甲州

 (甲斐国)・甲府への蟄居(ちっきょ)を命じられ、 1632年(寛永9

 年)に、父の秀忠没後、上州(上野国)・高崎へ移され幽閉され、 改 

 易(かいえき)となる。 そして、 1633年(寛永10年)に、幕府の命

 (めい)で、自刃(自害)させられる。

● 徳川忠長の改易や自害という処分の理由は不明であるが、 江戸

 の家光方と駿府の忠長方との対立、 幕府の権力強化の改易 (大

 名廃絶)政策、 幕府に対する忠長の不遜な言動が関係していたと

 いう説がある。

 

■ 徳川 忠長 (とくがわ ただなが) は、 生没年 は、 1606年(慶

 長11年)〜1633年(寛永10年) である。

■ 徳川 忠長 (とくがわ ただなが) は、 幼名は、国松(くにまつ)

 で、 1620年に元服(成人)して忠長 と称す また、「 駿河大納

 言」と呼ばれる。

■ 徳川 忠長 は、 徳川秀忠の三男で、 徳川家光の弟  である。

■ 徳川 忠長 は、 お江(おごう)の寵愛、偏愛する男子 であった。

■ 徳川 忠長 は、 駿河、遠江、甲斐を合わせた55万石の大名

 で、 改易(かいえき)される。

■ 徳川 忠長の、父 は、 徳川秀忠 である

■ 徳川 忠長の、母 は、 お江 (おごう、小督、お江与、崇源院)

 である。

■ 徳川 忠長の、兄弟姉妹 は、 異父姉妹は、完子(さだこ)、 同

 父母兄弟姉妹 は、千姫(せんひめ)、 珠姫(たまひめ)、 勝姫(か

 つひめ)、 初姫(はつひめ)、 徳川家光(とくがわいえみつ)、 和

 子(かずこ、まさこ)、 異母兄弟は、 長丸、 保科正之(ほしなまさ

 ゆき) である。

■ 徳川 忠長 には、 実子はいなかった。

 

■ 徳川 忠長の墓所 は、 群馬県高崎市の願行山常巌院大信寺に

 ある。

 

■ 江戸幕府第2代将軍・徳川秀忠の子。

    徳川秀忠の実子は、  長丸(ちょうまる、長男、

  早世)、 徳川家光(とくがわいえみつ、次男)、 

  徳川忠長(とくがわただなが、三男)、 保科正之

  (ほしなまさゆき、四男)、 千姫(せんひめ、長女)、 

  珠姫(たまひめ、次女)、 勝姫(かつひめ、三女)、 

  初姫(はつひめ、四女)、 和子(まさこ、かずこ、

  徳川和子五女) である。

 

 

★ 徳川忠長 が登場する 、面白く、興味

 深い、ドラマ、映画。

● (注意) ドラマ、映画 は、フィクションであり、 

  史実(歴史上の事実) と 架空の出来事 が、 

   混じって、描かれています。

 

■ 『 江(ごう)〜姫たちの戦国〜 』 

 (日本の2011年 NHK大河ドラマ) 

● 幼少の徳川国松(くにまつ、徳川忠長)を演じた

 俳優名 : 松島 海斗 (まつしま かいと)。

● 成人の徳川忠長(ただなが)を演じた俳優名 :

  今川 知将。

 

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