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 カナヤマ 日本歴史 辞典 

 日本語版 

 見出し語 『 い 』

 NO.4737。

 

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□ 日本史 辞典 (総合)

□         ● 事柄順。

〇 いん  院 (いん)。

          (= 元天皇、上皇、法皇)。

          ○ 狭義では、上皇のみだが、

           広義では、上皇と女院。

          ○ 法皇は、仏門にはいった

          上皇である。

                     (⇒ 上皇女院)。

〇 いん  院政 (いんせい)

          ○ 上皇が朝廷の政治の実権

          を単に握ること

〇 いん  院政政権 (いんせいせいけん) 。

          (= 上皇政権)。

          (11〜 12世紀)。

                    (⇒ 日本の政権・政府)。

〇 いん  院政政治 (いんせい せいじ)。

          (= 上皇政治)。

          (11〜12世紀)。

          ○ 上皇が朝廷の政治の実権を

           握り、 更に日本の政治の実権を

           握り日本を支配する政治形態。

          (⇒ 日本の政治形態)。

〇 いん  院宣 (いんぜん)。 

                     (= 上皇の命令、上皇(= 院)の

          命令を下達する(伝える)ときに

           出す文書)。

          ○ 奉書(ほうしょ)の1つ 。

        (⇒ 奉書御教書(みぎょう

        しょ、みきょうじょ))。

        (⇒ 院庁院政院政 政

        院政 政上 皇

               皇政権)。

〇 いん  院司 (いんし)。

           (= 院庁の職員)。

               (⇒ 院庁)。

〇 いん  院近臣 (いんのきんしん)。

          (= 上皇(= 院)の重臣)。

               (⇒ 院庁院政院政政

        院政政権上 皇

                皇政権)。

〇 いん   院庁 (いんのちょう)。

                    ○ 上皇(じょうこう、引退した天皇)

                   の事 務機関で、院政時は、政務

          機関。

〇 いん  院庁下文 (いんのちょうくだしぶみ)。

             ○ 院庁(いんのちょう)から出される

          公文書。

                (⇒ 院庁院政院政政

        院政政権上 皇

        皇政権)。

 

 

□ 日本史 辞典 の 「い」 基本見出し語 の

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■  『 現在は、過去の成果であり、

    未来は、現在の成果である。 

 

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◆ 日本史辞典

 

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#i

 

#thebureauoftheretiredemperor

 

■ 院庁 

  (いんのちょう)

 

 院庁

■ 名称 : 院庁 (いんのちょう)。

● 英名: the bureau of the retired emperor。

■ 上皇 (じょうこう、引退した天皇) の事務機関で、

  政時は、政務機関となる。

■ 上皇 (じょうこう、引退した天皇)は、 院庁を使って、

  院政院政政治を行った。

■ 上皇 は、 院宣(いんぜん)、 院庁下文(いんのちょ

 うくだしぶみ) などによって、通達を出した。

 

 

■ 院庁の職員が、 院司(いんし)である。 院庁に

 おいて、上皇の事務、政務を行った官人である。

 別当(べっとう)、年預(ねんよ)、判官代、主典代、

 北面の武士などがある。

 

■ 院庁(いんのちょう)の政所(まんどころ)の長官を、

 別当(べっとう) と呼んだ。 

   院庁の別当(べっとう)は、院司(いんし)を代表し、

 院務(院庁の事務、政務)を統括する長官である。

 

■ 院宣 と 院庁下文。

● 院宣 (いんぜん)は、 上皇(= 院)の命令を下達

 する文書 である。 院司(いんし)が、上皇の仰せを

 奉(ほう)じて出す奉書(ほうしょ)の形式をとる。

   院庁下文 (いんのちょうくだしぶみ) は、院庁

 (いんのちょう)から出される公文書 で、 院宣(い

 んぜん)よりも公的で、 詔勅(しょうちょく)、官符と

 同等の効力を有し、 重要な意味をもった。

 

■ 院庁 (いんのちょう)は、 宇多(うだ)上皇の時に

 設置されたのが始まりで、 円融(えんゆう)上皇の

 頃に整備された。 院政時は、上皇の政務機関となり、 

 重要度を増した。

 

■ 院庁 (いんのちょう) は、上皇 (じょうこう、引退

 した天皇) の事務機関 である。

 英名は、 the bureau of the retired emperor

 である。

      院庁は、 上皇 (じょうこう、引退した天皇) の事務

 機関、 院政時は、政務機関となる。

   上皇 (じょうこう、引退した天皇)は、 院庁を使って、

  院政院政政治を行った。

 

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#courtcontrollingbyretiredemperors

 

■ 院政  

     (いんせい)。

 

■ 院政。 

■ 名称 : 院政 (いんせい)。

● 英名 : The Imperial Court Controlling 

 by a retired Emperor.

■ 院政 とは、 上皇 (じょうこう、元天皇) が、朝廷

 の政務の実権を握る政治形態。

■ (例) 白河上皇鳥羽上皇後白河上皇後鳥羽

 上皇後水尾上皇 の院政など。

● TKKI カナヤマ 著 日本史 辞典。

■ 院政 とは、上皇が、 天皇を後見(こうけん)しなが

 ら朝廷の政務の実権をにぎる政治形態 である。

■ 上皇 (じょうこう) とは、 譲位した(退位した)天皇

 (元天皇)で、 法皇(ほうおう)とは、 仏門に入った上

 皇 である。

■ 上皇 (じょうこう、引退した天皇)は、 院庁を使って、

  院政院政政治を行った。

■ 上皇 は、 院宣(いんぜん)、 院庁下文(いんのち

 ょうくだしぶみ) などによって、通達を出した。

 

 

■ 院政は、上皇(退位した天皇)が天皇に代わって

 朝廷の政務を行うことである。

   天皇が、上皇の子、または上皇の孫などの場合、

 院政を行うことができる。

● TKKI カナヤマ 著 日本史 辞典。

■ 伝統的な天皇という地位は、様々な約束事がつい

 て回り、 新しい時代の流れに対応しにくい様々なこ

 とが起こる。 そこで、天皇は、退位して、上皇という

 自由な立場に立ち、世の中の動きに即応する政治を

 行おうとした。

 

■ 上皇 (じょうこう、引退した天皇)は、 院庁を使って、

  院政院政政治を行った。

    院庁とは、上皇 (じょうこう、引退した天皇)の事

  務機関で、 院政時は、政務機関となる。

    院庁の職員が、 院司(いんし)である。 院庁に

 おいて、上皇の事務、政務を行った官人である。

 別当(べっとう)、年預(ねんよ)、判官代、主典代、

 北面の武士 などがある。

 

■ 院宣 と 院庁下文。

● 院宣 (いんぜん)は、 上皇(= 院)の命令を下達

 する文書 である。 院司(いんし)が、上皇の仰せを

 奉(ほう)じて出す奉書(ほうしょ)の形式をとる。

   院庁下文 (いんのちょうくだしぶみ) は、院庁

 (いんのちょう)から出される公文書 で、 院宣(い

 んぜん)よりも公的で、 詔勅(しょうちょく)、官符と

 同等の効力を有し、 重要な意味をもった。

 

 

■ 現代でも、過去においても、子供は、親の言うことに

 従うが、成人(大人)になると、親の言うことに従わなく

 なることが多い。

■ 上皇が、 朝廷の政務の実権を握りたい場合、親の

 言うことに従う、幼少の天皇を擁立して、朝廷の政務

 の実権を握り、 その天皇が成人になると退位させて

 (操縦できる天皇にすり替えて)、 別の幼少の天皇

 (上皇の別の子、上皇の孫など)を擁立して、上皇自

 身が、生きている間、 これを繰り返し、 朝廷の政務

 の実権を握り続ける計略をとることが多い。

   白河上皇、鳥羽上皇、後白河上皇、後鳥羽上皇

 などの院政では、一部(一時期)、上記のような政略

 も行って、上皇が朝廷の政務の実権を握り続けた。

 

 院政を行った上皇と成人の天皇と対立の例として

 は、 院政を行った白河上皇と成人の鳥羽上皇の対

 立(白河上皇が勝つ)、 院政を行っ鳥羽上皇と成人

 の崇徳天皇の対立(鳥羽上皇が勝つ) 院政を行っ

 後白河上皇と成人の二条天皇の対立(二条天皇が

 勝つ) などがある。

 

■ 院政 とは、 上皇 (じょうこう、元天皇) が、朝廷

 の政務の実権を握る政治形態 である。

● TKKI カナヤマ 著 日本史 辞典。

   

■ 院政 では、 上皇 が、院庁(いんのちょう)で政務を

 とり、 院宣(いんぜん)や院庁下文(いんのちょうくだし

 ぶみ)で下達した。 上皇の重臣は、 院近臣(いんのき

 んしん) と呼ばれた。

 

■ 院政時の天皇。

   院政時期は、上皇が、朝廷の政務の実権を握(にぎ)

 っているため、 院政時期の天皇は、 閑職で、 政務の

 重要事項は決定できず、 天皇や天皇の臣下は、院政

 の上皇の意向に従い、政治上、何もできない、何も決め

 られなかった。

● TKKI カナヤマ 著 日本史 辞典。

● 実例

○ 平安時代後期の白河上皇院政時、鳥羽上皇院政

  時の、崇徳(すとく)天皇とその臣下。

○ 江戸時代前期の後水尾上皇院政時の、明正(めい

  しょう)天皇とその臣下。

 

 

◆ 上皇が院政を行い、さらに、日本の政治の実権を持

 ち、日本の政治を支配した時期(1086年頃〜1156

 年頃)があった。

■ 白河上皇が、1086年に、院政を創始し、さらに、院

 政政権(上皇政権、1086年頃〜1156年頃)を樹立

 する。 

■ 院政政治(上皇政治) とは、 上皇(じょうこう、元天 

 皇)が、朝廷の実権を握り、さらに、日本の政治の実権 

 を持ち、日本を支配する政治形態 である。 白河上皇・

 鳥羽上皇の院政政治 である。

● TKKI カナヤマ 著 日本史 辞典。

■ 院政政権(上皇政権) とは、 上皇(じょうこう、元天 

 皇)が、朝廷の実権を握り、さらに、日本の政治の実権を

 持ち、 日本を支配した政権 である。

● 院政政権(上皇政権、1086年頃〜1156年頃)は、

 白河上皇(院政 政治期1086年〜1129年)や鳥羽上

 (院政 政治期1129年〜1156年) が、朝廷の実権

 を握り、さらに、日本の政治の実権を持ち、日本を実質

 的に支配した政権 である。

● TKKI カナヤマ 著 日本史 辞典。

 

 

◆ 院政の例。

■ 白河上皇は、1086年より、 堀河(ほりかわ)天皇、

 鳥羽(とば)天皇、崇徳(すとく)天皇の3代にわたり、約

 43年間、院政(1086年〜1129年)を行い、更に、

 日本の政治の実権を全面的に握る。

 

■ 鳥羽上皇は、 白河上皇しらかわじょうこう)の死後、

 崇徳(すとく)天皇、近衛(このえ)天皇、後白河(ごしら

 かわ)天皇の3代にわたり、約27年間、院政(1129〜

 56年)を行い、更に、日本の政治の実権を全面的に

 握る。

 

■ 後白河上皇は、 1158年より、二条(にじょう)天皇、

 六条(ろくじょう)天皇、高倉(たかくら)天皇、安徳(あ

 んとく)天皇、後鳥羽(ごろば)天皇の5朝にわたり、院

 政(1158〜1192年)を行う。 院政は行ったが、

 本の政治の実権は、全面的に握(にぎ)れなかった。 

   二条天皇時は、二条天皇が天皇親政政治を行い、 

 六条(ろくじょう)天皇、高倉(たかくら)天皇、安徳(あん

 とく)天皇、後鳥羽(ごとば)天皇時は、 後白河上皇は、 

 二条天皇の親政政権、伊勢平氏の平氏政権、河内源氏

 の源氏政権に阻(はば)まれて、 日本の政治の実権 を

 分的には握れたが、全面的に握れなかった。

 

■ 天皇の皇位継承順 は、 白河(しらかわ)天皇 ⇒

 堀河(ほりかわ)天皇 ⇒ 鳥羽(とば)天皇 ⇒ 崇徳

 (すとく)天皇 ⇒ 近衛(このえ)天皇 ⇒ 後白河(ご

 しらかわ)天皇 ⇒ 二条(にじょう)天皇 ⇒ 六条(ろ

 くじょう)天皇 ⇒ 高倉(たかくら)天皇 ⇒ 安徳(あん

 とく)天皇 ⇒ 後鳥羽(ごとば)天皇 の順である。

 

■ 後水尾上皇は、 1629年より、明正(めいしょう)天

 皇から霊元天皇までの4代にわたり、 院政(1629年〜

 1680年)を行う。

 

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#japanrulingbyretiredemperors

 

■ 院政政治  

     (いんせいせいじ)。

 

■ 院政政治。 

■ 期間 : 平安時代後期の1086年頃〜1156年頃。 

■ 名称 : 院政政治 (いんせいせいじ)。

● 英名 : the Japan ruling by a retired 

 emperor。 

■ 上皇政治。

■ 院政 とは、 上皇 (じょうこう、元天皇) が、 朝廷

 の政務の実権を握る政治形態。

■ 院政政治 とは、上皇が朝廷の政務の実権を握り、更に、

 日本の政治を支配する政治形態で、 白河・鳥羽上皇の院

 政政治 である。

■ 上皇 (じょうこう、引退した天皇)は、 院庁を使って、

  院政院政政治を行った。

■ 上皇 は、 院宣(いんぜん)、 院庁下文(いんのち

 ょうくだしぶみ) などによって、通達を出した。

 

□ 平安時代末期の、政権(日本の政治の

  実権)の変遷

□ 平安時代末期の歴代天皇一覧

 

 

■ 院政政治 (いんせいせいじ) とは、上皇が朝廷

 の政務の実権を握り、更に、日本の政治を支配する

 政治形態で、 白河・鳥羽上皇の院政政治 である。

 

■ 院政政治(上皇政治) とは、 上皇(じょうこう、元天 

 皇)が、朝廷の政務の実権を握り、さらに、日本の政治

 の実権を全面的に持ち、 日本の政治を支配する政治

 形態。

 

■ 上皇 (じょうこう、引退した天皇)は、 院庁を使って、

  院政院政政治を行った。

    院庁とは、上皇 (じょうこう、引退した天皇)の事

  務機関で、 院政時は、政務機関となる。

    院庁の職員が、 院司(いんし)である。 院庁に

 おいて、上皇の事務、政務を行った官人である。

 別当(べっとう)、年預(ねんよ)、判官代、主典代、

 北面の武士 などがある。

 

■ 院宣 と 院庁下文。

● 院宣 (いんぜん)は、 上皇(= 院)の命令を下達

 する文書 である。 院司(いんし)が、上皇の仰せを

 奉(ほう)じて出す奉書(ほうしょ)の形式をとる。

   院庁下文 (いんのちょうくだしぶみ) は、院庁

 (いんのちょう)から出される公文書 で、 院宣(い

 んぜん)よりも公的で、 詔勅(しょうちょく)、官符と

 同等の効力を有し、 重要な意味をもった。

 

 

■ 院政政権(上皇政権) とは、 上皇(じょうこう、元天 

 皇)が、朝廷の政務の実権を握り、さらに日本の政治の

 実権を全面的に持ち、日本 の政治を支配した政権で

 ある。

● 院政政権(上皇政権、1086年頃〜1156年頃)は、

 白河上皇(院政1086年〜1129年)、  鳥羽上皇(院

 政1129年〜1156年) が、朝廷の政務の実権を握り、

 さらに日本の政治の実権を全面的に持ち、日本の政治

 を実質的に支配した政権 である。

● TKKI カナヤマ 著 日本史 辞典。

■ 白河上皇が、1086年に、院政を創始し、院政政権

 (上皇政権、1086年頃〜1156年頃)を樹立する。 

 

■ 藤原氏摂関家と外戚関係を持たない、後三条天皇や

 その皇子の白河天皇が、天皇親政政治を始め、朝廷 の

 政務の実権を握り、日本の政治を支配し、藤原氏の

 関政治は衰える。  その後、引き続き、 白河上皇(天

 皇)は、1086年頃より、  朝廷の政務の実権を握り、

 日本の政治を全面的に支配し、院政政治を始める。 

 白河上皇の死去後、鳥羽上皇が院政政治を引き続き

 行い、日本の政治を全面的に支配する。

   鳥羽上皇の死後、院政政治は、衰える。 日本の政

 治支配の実権をめぐ、 保元の乱(ほうげんのらん11

 56年)、平治の乱(へいじのらん、1159年)などの朝

 廷の内部抗争が起き、 武士の武力で解決したため、

 伊勢(いせ)平氏や河内(かわち)源氏の武士が台頭し、

 武士が、日本の政治の実権を握り、 武士政権を樹立

 したため。

   後白河上皇 (ごしらかわじょうこう、天皇在位11

 55〜58年、上皇1158年〜1192年)は、日本の政

 治を全面的に支配する院政政治を復活させようとした

 が、 二条天皇、伊勢平氏河内源氏に阻(はば) まれ

 て、成功しなかった。

 

◆ 平安時代後期の院政政治(1086年頃

 〜1156年頃)。

■ 日本では、 摂関政治 (10世紀後半〜11世紀後

 半)が、衰えて、 院政政治 (11世紀後半〜12世紀

 後半) が、 始まる。

■ 1086年より、院政政治(1086〜1156年)が開始

 され、 白河上皇や鳥羽上皇の、上皇が、朝廷の実権

 を握り、 更(さら)に、日本の政治の実権を持ち、日本

 を全面的に支配した。

   しかし、平治の乱(1159年)以後、 上皇の政治権

 力は衰えたが (上皇は日本の政治を全面的に支配す

 る実権は持たなかったが)、 その後、断続的に、上皇

 が朝廷の政務の実権を握る、院政は、 江戸時代末期

 の1840年まで、行われた。

 

■ 院政 とは、上皇が、 天皇を後見(こうけん)しながら

 朝廷の実権をにぎる政治形態 である。

■ 上皇 (じょうこう) とは、 譲位した(退位した)天皇

 (元天皇)で、 法皇(ほうおう)とは、 仏門に入った上

 皇 である。

 

■ 白河上皇は、1086年より、 堀河(ほりかわ)天皇、

 鳥羽(とば)天皇、崇徳(すとく)天皇の3代にわたり、約

 43年間、院政(1086年〜1129年)を行い、日本の

 政治の実権を全面的に持ち、 日本の政治を支配した。

 

■ 鳥羽上皇は、 白河上皇しらかわじょうこう)の死後、

 1129年より、 崇徳(すとく)天皇、近衛(このえ)天皇、

 後白河(ごしらかわ)天皇の3代にわたり、約27年間、

 院政(1129年〜1156年)を行い、 日本の政治の実

 権を全面的に持ち、 日本の政治を支配した。

 

■ 天皇の皇位継承順 は、 白河(しらかわ)天皇 ⇒

 堀河(ほりかわ)天皇 ⇒ 鳥羽(とば)天皇 ⇒ 崇徳

 (すとく)天皇 ⇒ 近衛(このえ)天皇 ⇒ 後白河(ご

 しらかわ)天皇 ⇒ 二条(にじょう)天皇 ⇒ 六条(ろ

 くじょう)天皇 ⇒ 高倉(たかくら)天皇 ⇒ 安徳(あ

 んとく)天皇 ⇒ 後鳥羽(ごとば)天皇 の順である。

 

■ 白河・鳥羽上皇とも、崇仏の念(ねん)が厚く(仏教を

 厚く信仰し)、造寺造仏を行う。 また、京(都)の郊外に

 離宮(りきゅう)を造営する。 これらの費用を調達する

 ため、 成功(じょうごう、売位、売官など)がさかんにな

 り、政治が乱れた。

 

 

■ 上皇は、 国司(受領(ずりょう))たちを支持勢力にと

 りこみ、上皇(=院(いん))の御所(ごしょ)に北面の武士

 (ほくめんのぶし)を組織したり、 源平の武士を側近に

 するなど、上皇(=院)の政治権力を強化した。

 

■ 院政政治 は、法や慣例にこだわらずに、上皇が、日

 本の政治の実権を専制的に行使した。  

    院政では、院庁(いんのちょう)を置き、上皇の命令

 を伝える院宣(いんぜん)及び、 院庁から下(くだ)され

 る文書の院庁下文(いんのちょうくだしぶみ)が、国政一

 般に次第(しだい)に効力を持つようになった。

    藤原氏摂関家は、勢力の衰退を、上皇(院)と結び

 つくことで盛りかえそうと努めた。

 

■ 院政 では、 上皇 が、院庁(いんのちょう)で政務を

 とり、 院宣(いんぜん)や院庁下文(いんのちょうくだし

 ぶみ)で下達した。 院近臣(いんのきんしん)には、受領

 (ずりょう、国司)が、多く参加し、政務は院庁で行った。 

   院庁で政務をとる、上皇と院近臣は、 天皇や摂関家

 と対立した。

● TKKI カナヤマ 著 日本史 辞典。

 

■ 院政で上皇(=院(いん))の軍事力として設けられた、

 北面(ほくめん)の武士は、 武士階級成長の一因とな

 った。

● TKKI カナヤマ 著 日本史 辞典。

 

■ 保元の乱(1156年)・平治の乱(1159年)後、武士

 が台頭し、院政政権(上皇政権、1086年頃〜1156

 年頃)が衰えて、 代わって、 武士政治平氏政権 

 (1160年頃〜1185年頃) が, 日本を支配する。

 院政政権 (いんせいせいけん) は、 1086年 頃

 から1156年頃までで、 1086年に、白河天皇が堀

 河天皇に譲位し、 白河上皇となり、 院政を開始し、

 院庁を置き、院政政権(上皇政権)を樹立し、それを鳥

 羽上皇が引き継いだが、1156年の鳥羽上皇の死去

 とともに、院政政権(上皇政権)は、消滅し、1156年

 の保元の乱が起こり、 更(さら)に、1159年の平治

 の乱が起こり、伊勢平氏の平清盛(たいらの もきより)

 が、河内源氏の源義朝 (みなもとのよしとも)に勝ち、

 1160年に、清盛は、 正三位に叙(じょ)せられ公

 卿(くぎょう)に列し、1167年に従一位太政大臣に叙

 任され、日本の政治の実権を握り、 平氏政権が出現す

 る。

● TKKI カナヤマ 著 日本史 辞典。

 

■ 院政 とは、 上皇 (じょうこう、元天皇) が、 朝廷

 の実権を握る政治形態 である。

■ 院政政治(上皇政治) とは、 上皇(じょうこう、元天 

 皇)が、朝廷の実権を握り、さらに、日本の政治の実権

 を持ち、 日本を支配した政治形態 である。

■ 院政政権(上皇政権) とは、 上皇(じょうこう、元天 

 皇)が、朝廷の実権を握り、さらに、日本の政治の実権

 を持ち、日本を支配した政権 である。

● 院政政権(上皇政権、1086年頃〜1156年頃)は、

 白河上皇(院政1086年〜1129年)、鳥羽上皇(院政

 1129年〜1156年) が、朝廷の実権を握り、さらに、

 日本の政治の実権を持ち、日本を実質的に支配した政

 権。

● TKKI カナヤマ 著 日本史 辞典。

■ 白河上皇が、1086年に、院政を創始し、さらに院政

 政権(上皇政権、1086年頃〜1156年頃)を樹立する。 

 

#japanrulingbyretiredemperors-politicalpowerofthelateheianperiod

 

■ 平安時代末期の、政権(日本の政治の

  実権)の変遷。

■ 白河上皇・院政政治(政権)期

  (1086〜1129年)。

 1086年に、白河上皇が、日本の政治の実権を握

  り、院政政治を始める。

 

■ 鳥羽上皇・院政政治(政権)期

  (1129〜1156年)。

 1129年に、鳥羽上皇が、日本の政治の実権を握

  り、院政政治を始める。

 

■ 後白河天皇・親政政治(政権)期

  (1156〜1158年)。

 1156年に、後白河天皇が、日本の政治の実権を

  握り、天皇親政政治を始める。

 

■ 後白河上皇・二条天皇・二頭政治(政権)期

  (1158〜1161年)。

● 1158年に、後白河上皇と二条天皇が、日本の政

  治の実権を握り、二頭政治を始める。

 

■ 二条天皇・親政政治(政権)期

  (1161〜1165年)。

 1161年に、二条天皇が、日本の政治の実権を握

  り、天皇親政政治を始める。

 

■ 伊勢平氏・武家政治(政権)期

  (1165〜1180年)が始まる。

● 1165年に、伊勢平氏が、日本の政治の実権を握

  り、武家政治を始める。

 

■ 伊勢平氏・河内源氏・武家二頭政治(政権)期

  (1180〜1185年)。

 1180年に、伊勢平氏と河内源氏が、日本の政治

 の実権を握り、武家二頭政治を始める。

 

■ 河内源氏・武家政治(政権)期

  (1185〜1219年)。

● 1185年に、河内源氏が、武家政治を始める。 

  河内源氏3代(源頼朝、源頼家、源実朝)まで続く。

 

#japanrulingbyretiredemperors-emperorsofthelateheianperiod

 

◆ 平安時代末期の歴代天皇一覧。

■ 天皇の皇位継承順 は、次の通りである。

@ 白河(しらかわ)天皇    (貞仁(さだひと)親王) ⇒

  (天皇在位、1072年〜1086年)

A 堀河(ほりかわ)天皇    (善仁(たるひと)親王) ⇒ 

  (天皇在位、1086年〜1107年)

B 鳥羽(とば)天皇       (宗仁(むねひと)親王) ⇒ 

  (天皇在位、1107年〜1123年)

  ● TKKI カナヤマ 著 日本史 辞典。

C 崇徳(すとく)天皇      (顕仁(あきひと)親王)  ⇒

  (天皇在位、1123年〜1141年)

D 近衛(このえ)天皇     (体仁(なりひと)親王) ⇒ 

  (天皇在位、1141年〜1155年)

E 後白河(ごしらかわ)天皇 (雅仁(まさひと)親王) ⇒ 

  (天皇在位、1155年〜1158年)

F 二条(にじょう)天皇     (守仁(もりひと)親王) ⇒ 

  (天皇在位、1158年〜1165年)

G 六条(ろくじょう)天皇    (順仁(のぶひと)親王) ⇒ 

  (天皇在位、1165年〜1168年)

  ● TKKI カナヤマ 著 日本史 辞典。

H 高倉(たかくら)天皇    (憲仁(のりひと)親王)  ⇒ 

  (天皇在位、1168年〜1180年)

I 安徳(あんとく)天皇      (言仁(ときひと)親王) ⇒ 

  (天皇在位、1180年〜1185年)

J 後鳥羽(ごとば)天皇    (尊成(たかひら)親王)

  (天皇在位、1183年〜1198年)

 

 

◆ (S) 日本の政治形態。

■ (S) 日本の政治形態。

 (S1d) 小国首長政治 (前1世紀〜紀元後5世紀)

 (S1g) 豪族連合政治 (5〜7世紀) ⇒ (S2) 律令

 政治 (7〜10世紀) ⇒ (S3) 摂関政治 (10〜11

 世紀) ⇒ (S4) 院政政治 (11〜12世紀) ⇒(S5)

 武家政治 (12〜19世紀) ⇒ (S6) 近代天皇親政

 政治 (近代天皇絶対主義政治) (19〜20世紀) ⇒

 (S7) 現代国民主権政治 (現代主権在民政治) (20

 〜21世紀の現在)。

● TKKI カナヤマ 著 日本史 辞典。

● 上記項目の詳細に関しては、 当日本語辞典の各項目

 を参照して下さい。

 

■ (S3) ⇒ (S4) 摂政・関白に代わって、上皇が、政

 治の実権を握ったため、 (S3) 摂関政治 (10〜11世 

 紀)は、 (S4) 院政 政治 (11〜12世紀) に移行す

 る(へ変わる)。  

 

■ (S4) 院政 政治 とは、 上皇 (じょうこう、元天皇)

 が、朝廷の実権を握り、日本の政治の実権を持ち、日本

 を支配した政治形態 である。

● 白河上皇(院政1086年〜1129年)や鳥羽上皇(院

 政1129年〜1156年) が、朝廷の実権を握り、さらに、

 日本の政治の実権を持ち、日本を実質的に支配した政

 治形態 である。

 

■ (S4) ⇒ (S5) 1159年(平治元年)の平治の乱

 で武士の武力の力で政治の争いが決着後、 (S4) 院

 政 (11〜12世紀) は、(S5) 武家政治 (12〜19

 世紀) に移行する(へ変わる)。  

● 保元の乱(1156年)・平治の乱(1159年)後、 武士

 が台頭し、院政政権(上皇政権、1086年頃〜1156年

 頃)が衰えて、代わって、 武 家政治平氏政権 (116

 0年頃〜1185年頃) が,日本を支配する。

 

 

 平安時代後期の院政政治(1086年頃

 〜1156年頃)。

■ 日本では、 摂関政治 (10世紀後半〜11世紀後

 半)が、衰えて、 院政政治 (11世紀後半〜12世紀

 後半) が、 始まる。

■ 1086年より、院政政治(1086年頃〜1156年頃)

 が開始され、 上皇(白河上皇や鳥羽上皇)が、朝廷の

 実権を握り、 さらに、日本の政治の実権を持ち、日本

 を実質的に支配した。

   しかし、平治の乱(1159年)以後、 権力(日本を

 支配する実権)は衰えたが (日本の政治の実権は持

 たなかったが)、 その後、断続的に、上皇が朝廷の実

 権を握る、院政は、 江戸末期の1840年まで、行われ

 た。

 

■ 上皇は、 国司(受領(ずりょう))たちを支持勢力にと

 りこみ、上皇(=院(いん))の御所(ごしょ)に北面の武士

 (ほくめんのぶし)を組織したり、 源平の武士を側近に

 するなど、上皇(=院)の権力を強化した。

 

■ 院政は、法や慣例にこだわらずに、上皇が、政治の実

 権を専制的に行使した。  

    院政では、院庁(いんのちょう、院の事務機関)を置

 き、上皇の命令を伝える院宣(いんぜん)及び、 院庁か

 ら下(くだ)される文書の院庁下文(いんのちょうくだしぶ

 み)が、国政一般に次第(しだい)に効力を持つようになっ

 た。

    摂関家は、勢力の衰退を、上皇(院)と結びつくこと

 で盛りかえそうと努めた。

 

■ 院政 では、 上皇 が、院庁(いんのちょう)で政務を

 とり、 院宣(いんぜん)や院庁下文(いんのちょうくだし

 ぶみ)で下達した。 院近臣には、受領(ずりょう、国司)

 が、多く参加し、政務は院庁で行った。 

   院庁で政務をとる、上皇と院近臣は、 天皇や摂関家

 と対立した。

 

■ 院政で上皇(=院(いん))の軍事力として設けられた、

 北面(ほくめん)の武士は、 武士階級成長の一因とな

 った。

● TKKI カナヤマ 著 日本史 辞典。

 

■ 保元の乱(1156年)・平治の乱(1159年)後、 武士

 が台頭し、院政政権(上皇政権、1086年頃〜1156年

 頃)が衰えて、 代わって、武家政治平氏政権 (116

 0年頃〜1185年頃) が, 日本を支配する。

 院政政権 (いんせいせいけん) は、 1086年 頃

 から1156年頃までで、 1086年に、白河天皇が堀

 河天皇に譲位し、 白河上皇となり、 院政を開始し、

 院庁を置き、院政政権(上皇政権)を樹立し、それを鳥

 羽上皇が引き継いだが、1156年の鳥羽上皇の死去

 とともに、院政政権(上皇政権)は、消滅し、1156年

 の保元の乱が起こり、 更(さら)に、1159年の平治

 の乱が起こり、伊勢平氏の平清盛(たいらの もきより)

 が、河内源氏の源義朝 (みなもとのよしとも)に勝ち、

 1160年に、清盛は、 正三位に叙(じょ)せられ公

 卿(くぎょう)に列し、日本の政治の実権を握り、 平氏

 政権が出現する。

● TKKI カナヤマ 著 日本史 辞典。

 

 

◆ (S) 日本の政治形態。

■ (S) 日本の政治形態。

 (S1d) 小国首長政治 (前1世紀〜紀元後5世紀)

 (S1g) 豪族連合政治 (5〜7世紀) ⇒ (S2) 律令

 政治 (7〜10世紀) ⇒ (S3) 摂関政治 (10〜11

 世紀) ⇒ (S4) 院政政治 (11〜12世紀) ⇒(S5)

 武家政治 (12〜19世紀) ⇒ (S6) 近代天皇親政

 政治 (近代天皇絶対主義政治) (19〜20世紀) ⇒

 (S7) 現代国民主権政治 (現代主権在民政治) (20

 〜21世紀の現在)。

● 上記項目の詳細に関しては、 当日本語辞典の各項

 目を参照して下さい。

□ 日本史 辞典 の先頭ページへ 。       

 

■ (S3) ⇒ (S4) 摂政・関白に代わって、上皇が、

 政治の実権を握ったため、 (S3) 摂関政治 (10〜

 11世紀)は、 (S4) 院政政治 (11〜12世紀) に

 移行する(へ変わる)。  

 

■ (S4) 院政政治 とは、 上皇 (じょうこう、元天皇)

 が、朝廷の実権を握り、さらに、日本の政治の実権を持

 ち、日本を支配した政治形態 である。

● 白河上皇(院政1086年〜1129年)や鳥羽上皇(院

 政1129年〜1156年) が、朝廷の実権を握り、日本

 の政治の実権を持ち、日本を実質的に支配した政治形

 態 である。

 

■ (S4) ⇒ (S5) 1159年(平治元年)の平治の乱

 で武士の武力の力で政治の争いが決着後、 (S4) 院

 政 (11〜12世紀) は、(S5) 武家政治 (12〜19

 世紀) に移行する(へ変わる)。  

● 保元の乱(1156年)・平治の乱(1159年)後、 武士

 が台頭し、院政政権(上皇政権、1086年頃〜1156年

 頃)が衰えて、代わって、 武家政治平氏政権 (116

 0年頃〜1185年頃) が,日本を支配する。

 

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□ 日本史 辞典 の 「い」 基本見出し語

  の先頭ページへ 。

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#governmentofretiredemperors

 

■ 院政政権  

     (いんせいせいけん)。

 

■ 院政政権。 

■ 名称 : 院政政権 (いんせいせいけん)。

● 別名 : 上皇政権 (じょうこうせいけん)。 院政権

 (いんせいけん)。

● 英名 : the Government of a retired 

 emperor。

■ 時期 : 平安時代後期の1086年頃〜1156年頃。 

■ 院政 とは、 上皇 (じょうこう、元天皇) が、 朝廷

 の実権を握る政治形態。

■ 院政政治(上皇政治) とは、 上皇(じょうこう、元天 

 皇)が、朝廷の実権を握り、さらに、日本の政治の実権 

 を持ち、日本を支配する政治形態。

■ 院政政権(上皇政権) とは、 上皇(じょうこう、元天 

 皇)が、朝廷の実権を握り、さらに、日本の政治の実権

 を持ち、日本を支配した政権。

● 院政政権(上皇政権、1086年頃〜1156年頃)は、

 白河上皇(院政1086年〜1129年)、鳥羽上皇(院政

 1129年〜1156年) が、朝廷の実権を握り、さらに、

 日本の政治の実権を持ち、日本を実質的に支配した政

 権。

● TKKI カナヤマ 著 日本史 辞典。

■ 白河上皇が、1086年に、院政を創始し、さらに、院

 政政権(上皇政権、1086年頃〜1156年頃)を樹立す

 る。 

■ 上皇 (じょうこう、引退した天皇)は、 院庁を使って、

  院政院政政治を行った。

■ 上皇 は、 院宣(いんぜん)、 院庁下文(いんのち

 ょうくだしぶみ) などによって、通達を出した。

 

 

 

■ 院政 とは、上皇が、 天皇を後見(こうけん)しながら

 朝廷の実権をにぎる政治形態 である。

■ 上皇 (じょうこう) とは、 譲位した(退位した)天皇

 (元天皇)で、 法皇(ほうおう)とは、 仏門に入った上

 皇 である。

 

◆ 平安時代後期の院政政権(1086年頃

 〜1156年頃)。

■ 日本では、 摂関政治 (10世紀後半〜11世紀後

 半)が、衰えて、 院政政治 (11世紀後半〜12世紀

 後半) が、 始まる。

■ 1086年より、院政政治(1086〜1156年)が開

 始され、 上皇(白河上皇や鳥羽上皇)が、朝廷の実

 権を握り、さらに、日本の政治の実権を持ち、日本を

 実質的に支配した。

   しかし、平治の乱(1159年)以後、 上皇の権力

 (日本を支配する実権)は衰えたが (上皇は日本の

 政治の実権は持たなかったが)、 その後、断続的に、

 上皇が朝廷の実権を握る、院政は、 江戸末期の18

 40年まで、行われた。

● TKKI カナヤマ 著 日本史 辞典。

 

■ 白河上皇は、1086年より、 堀河(ほりかわ)天皇、

 鳥羽(とば)天皇、崇徳(すとく)天皇の3代にわたり、約

 43年間、院政を行い、さらに、日本の政治の実権を握

 り、院政政治(院政政治期、1086年〜1129年)を行

 った。

 

■ 鳥羽上皇は、 白河上皇しらかわじょうこう)の死後、

 崇徳(すとく)天皇、近衛(このえ)天皇、後白河(ごしら

 かわ)天皇の3代にわたり、約27年間、院政を行い、さ

 らに、日本の政治の実権を握り、院政政治(院政政治

 期、1129〜56年))を行った。

● TKKI カナヤマ 著 日本史 辞典。

 

■ 天皇の皇位継承順 は、 白河(しらかわ)天皇 ⇒

 堀河(ほりかわ)天皇 ⇒ 鳥羽(とば)天皇 ⇒ 崇徳

 (すとく)天皇 ⇒ 近衛(このえ)天皇 ⇒ 後白河(ご

 しらかわ)天皇 ⇒ 二条(にじょう)天皇 ⇒ 六条(ろ

 くじょう)天皇 ⇒ 高倉(たかくら)天皇 ⇒ 安徳(あ

 んとく)天皇 ⇒ 後鳥羽(ごとば)天皇 の順である。

 

■ 白河・鳥羽上皇とも、崇仏の念(ねん)が厚く(仏教を

 厚く信仰し)、造寺造仏を行う。 また、京(都)の郊外に

 離宮(りきゅう)を造営する。 これらの費用を調達する

 ため、 成功(じょうごう、売位、売官など)がさかんにな

 り、政治が乱れた。

● TKKI カナヤマ 著 日本史 辞典。

 

 

■ 上皇は、 国司(受領(ずりょう))たちを支持勢力にと

 りこみ、上皇(=院(いん))の御所(ごしょ)に北面の武士

 (ほくめんのぶし)を組織したり、 源平の武士を側近に

 するなど、上皇(=院)の権力を強化した。

 

■ 院政政治(上皇政治)は、法や慣例にこだわらずに、

 上皇が、政治の実権を専制的に行使した。  

    院政政治(上皇政治)では、院庁(いんのちょう)を

 置き、上皇の命令を伝える院宣(いんぜん)及び、 院庁

 から下(くだ)される文書の院庁下文(いんのちょうくだし

 ぶみ)が、国政一般に次第(しだい)に効力を持つように

 なった。

    摂関家は、勢力の衰退を、上皇(院)と結びつくこと

 で盛りかえそうと努めた。

 

■ 院政政治(上皇政治)では、 上皇 が、院庁(いんの

 ちょう)で政務をとり、 院宣(いんぜん)や院庁下文(い

 んのちょうくだしぶみ)で下達した。 院近臣には、受領

 (ずりょう、国司)が、多く参加し、政務は院庁で行った。 

   院庁で政務をとる、上皇と院近臣は、 天皇や摂関

 家と対立した。

● TKKI カナヤマ 著 日本史 辞典。

 

■ 院政政治(上皇政治)で 上皇(=院(いん))の軍事

 力として設けられた、北面(ほくめん)の武士は、 武

 士階級成長の一因となった。

● TKKI カナヤマ 著 日本史 辞典。

 

■ 保元の乱(1156年)・平治の乱(1159年)後、 武

 が台頭し、院政政権(上皇政権、1086年頃〜11

 56年頃)が衰えて、 代わって、武 家政治平氏政

  (1160年頃〜1185年頃)が,日本を支配する。

 院政政権 (いんせいせいけん) 即ち、上皇政権

 は、 1086年 頃から1156年頃までで、 1086年

 に、白河天皇が堀河天皇に譲位し、白河上皇となり、

 院政政治を開始 する。

    白河上皇は、院庁を置き、院政政権(上皇政権)

 を樹立し、それを鳥羽上皇が引き継いだが、1156年

 の鳥羽上皇の死去とともに、院政政権(上皇政権)は、

 消滅し、1156年の保元の乱が起こり、 更(さら)に、

 1159年の平治の乱が起こり、伊勢平氏の平清盛(た

 いらのもきより)が、河内源氏の源義朝 (みなもとの

 よしとも)に勝ち、 1160年に、清盛は、 正三位に

 叙(じょ)せられ公卿(くぎょう)に列し、日本の政治の

 実権を握り、 平氏政権が出現する。

● TKKI カナヤマ 著 日本史 辞典。

 

 

■ 院政政権 (いんせいせいけん) は、時期は、平安時

 代後期の1086年頃〜1156年頃 で、 上皇政権 (じ

 ょうこうせいけん)、 院政権 (いんせいけん) とも言う。  

 英名は、 the Government of a retired 

 emperor である。

■ 院政 とは、 上皇 (じょうこう、元天皇) が、 朝廷

 の実権を握る政治形態 である。

■ 院 政政治(上皇政治) とは、 上皇(じょうこう、元天 

 皇)が、朝廷の実権を握り、さらに、日本の政治の実権

 を持ち、 日本を支配した政治形態 である。

■ 院政政権(上皇政権) とは、 上皇(じょうこう、元天 

 皇)が、朝廷の実権を握り、さらに、日本の政治の実権

 を持ち、日本を支配した政権 である。

● 院政政権(上皇政権、1086年頃〜1156年頃)は、

 白河上皇(院政1086年〜1129年)、鳥羽上皇(院政

 1129年〜1156年) が、朝廷の実権を握り、さらに、

 日本の政治の実権を持ち、日本を実質的に支配した政

 権 である。

● TKKI カナヤマ 著 日本史 辞典。

■ 白河上皇が、1086年に、院政を創始し、さらに、院

 政政権(上皇政権、1086年頃〜1156年頃)を樹立

 する。 

 

 

◆ (S) 日本の政治形態。

■ (S) 日本の政治形態。

 (S1d) 小国首長政治 (前1世紀〜紀元後5世紀)

 (S1g) 豪族連合政治 (5〜7世紀) ⇒ (S2) 律令

 政治 (7〜10世紀) ⇒ (S3) 摂関政治 (10〜11

 世紀) ⇒ (S4) 院政政治 (11〜12世紀) ⇒(S5)

 武家政治 (12〜19世紀) ⇒ (S6) 近代天皇親政

 政治 (近代天皇絶対主義政治) (19〜20世紀) ⇒

 (S7) 現代国民主権政治 (現代主権在民政治) (20

 〜21世紀の現在)。

● TKKI カナヤマ 著 日本史 辞典。

● 上記項目の詳細に関しては、 当日本語辞典の各項目

 を参照して下さい。

 

■ (S3) ⇒ (S4) 摂政・関白に代わって、上皇が、政

 治の実権を握ったため、 (S3) 摂関政治 (10〜11世 

 紀)は、 (S4) 院政 政治 (11〜12世紀) に移行す

 る(へ変わる)。  

 

■ (S4) 院政政治 とは、 上皇 (じょうこう、元天皇)が、

 朝廷の実権を握り、さらに、日本の政治の実権を持ち、日

 本を支配した政治形態 である。

● 白河上皇(院政 政治期、1086年〜1129年) や

 羽上皇(院政生時期、1129年〜1156年) が、朝廷

 の実権を握り、さらに、日本の政治の実権を持ち、日本

 を実質的に支配した期間の政治形態 である。

 

■ (S4) ⇒ (S5) 1159年(平治元年)の平治の乱

 で武士の武力の力で政治の争いが決着後、 (S4) 院

 政政治 (11〜12世紀) は、(S5) 武家政治 (12

 〜19世紀) に移行する(へ変わる)。  

● 保元の乱(1156年)・平治の乱(1159年)後、 武士

 が台頭し、院政政権(上皇政権、1086年頃〜1156年

 頃)が衰えて、代わって、 武家政治平氏政権 (116

 0年頃〜1185年頃) が,日本を支配する。

 

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  の先頭ページへ 。

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『 あなたのハートには 何が残りましたか? 』

 

 

以  上