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カナヤマ 日本歴史 辞典
日本語版
見出し語 『 い 』
NO.4737。
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□ 日本史 辞典 (総合)。
□ い ● 事柄順。
〇 いん 院 (いん)。
(= 元天皇、上皇、法皇)。
○ 狭義では、上皇のみだが、
広義では、上皇と女院。
○ 法皇は、仏門にはいった
上皇である。
〇 いん 院政 (いんせい)。
○ 上皇が朝廷の政治の実権
を単に握ること。
〇 いん 院政政権 (いんせいせいけん) 。
(= 上皇政権)。
(11〜 12世紀)。
(⇒ 日本の政権・政府)。
〇 いん 院政政治 (いんせい せいじ)。
(= 上皇政治)。
(11〜12世紀)。
○ 上皇が朝廷の政治の実権を
握り、 更に日本の政治の実権を
握り日本を支配する政治形態。
(⇒ 日本の政治形態)。
〇 いん 院宣 (いんぜん)。
(= 上皇の命令、上皇(= 院)の
命令を下達する(伝える)ときに
出す文書)。
○ 奉書(ほうしょ)の1つ 。
しょ、みきょうじょ))。
皇政権)。
〇 いん 院司 (いんし)。
(= 院庁の職員)。
(⇒ 院庁)。
〇 いん 院近臣 (いんのきんしん)。
(= 上皇(= 院)の重臣)。
皇政権)。
〇 いん 院庁 (いんのちょう)。
○ 上皇(じょうこう、引退した天皇)
の事 務機関で、院政時は、政務
機関。
〇 いん 院庁下文 (いんのちょうくだしぶみ)。
○ 院庁(いんのちょう)から出される
公文書。
皇政権)。
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■ 『 現在は、過去の成果であり、
未来は、現在の成果である。 』
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◆ 日本史辞典
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■ 院庁
(いんのちょう)。
■ 院庁。
■ 名称 : 院庁 (いんのちょう)。
● 英名: the bureau of the retired emperor。
■ 上皇 (じょうこう、引退した天皇) の事務機関で、院
政時は、政務機関となる。
■ 上皇 は、 院宣(いんぜん)、 院庁下文(いんのちょ
うくだしぶみ) などによって、通達を出した。
■ 院庁の職員が、 院司(いんし)である。 院庁に
おいて、上皇の事務、政務を行った官人である。
別当(べっとう)、年預(ねんよ)、判官代、主典代、
北面の武士などがある。
■ 院庁(いんのちょう)の政所(まんどころ)の長官を、
別当(べっとう) と呼んだ。
院庁の別当(べっとう)は、院司(いんし)を代表し、
院務(院庁の事務、政務)を統括する長官である。
■ 院宣 と 院庁下文。
● 院宣 (いんぜん)は、 上皇(= 院)の命令を下達
する文書 である。 院司(いんし)が、上皇の仰せを
奉(ほう)じて出す奉書(ほうしょ)の形式をとる。
院庁下文 (いんのちょうくだしぶみ) は、院庁
(いんのちょう)から出される公文書 で、 院宣(い
んぜん)よりも公的で、 詔勅(しょうちょく)、官符と
同等の効力を有し、 重要な意味をもった。
■ 院庁 (いんのちょう)は、 宇多(うだ)上皇の時に
設置されたのが始まりで、 円融(えんゆう)上皇の
頃に整備された。 院政時は、上皇の政務機関となり、
重要度を増した。
■ 院庁 (いんのちょう) は、上皇 (じょうこう、引退
した天皇) の事務機関 である。
英名は、 the bureau of the retired emperor
である。
院庁は、 上皇 (じょうこう、引退した天皇) の事務
機関、 院政時は、政務機関となる。
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#courtcontrollingbyretiredemperors
■ 院政
(いんせい)。
■ 院政。
■ 名称 : 院政 (いんせい)。
● 英名 : The Imperial Court Controlling
by a retired Emperor.
■ 院政 とは、 上皇 (じょうこう、元天皇) が、朝廷
の政務の実権を握る政治形態。
● TKKI カナヤマ 著 日本史 辞典。
■ 院政 とは、上皇が、 天皇を後見(こうけん)しなが
ら朝廷の政務の実権をにぎる政治形態 である。
■ 上皇 (じょうこう) とは、 譲位した(退位した)天皇
(元天皇)で、 法皇(ほうおう)とは、 仏門に入った上
皇 である。
■ 上皇 は、 院宣(いんぜん)、 院庁下文(いんのち
ょうくだしぶみ) などによって、通達を出した。
■ 院政は、上皇(退位した天皇)が天皇に代わって
朝廷の政務を行うことである。
天皇が、上皇の子、または上皇の孫などの場合、
院政を行うことができる。
● TKKI カナヤマ 著 日本史 辞典。
■ 伝統的な天皇という地位は、様々な約束事がつい
て回り、 新しい時代の流れに対応しにくい様々なこ
とが起こる。 そこで、天皇は、退位して、上皇という
自由な立場に立ち、世の中の動きに即応する政治を
行おうとした。
院庁とは、上皇 (じょうこう、引退した天皇)の事
務機関で、 院政時は、政務機関となる。
院庁の職員が、 院司(いんし)である。 院庁に
おいて、上皇の事務、政務を行った官人である。
別当(べっとう)、年預(ねんよ)、判官代、主典代、
北面の武士 などがある。
■ 院宣 と 院庁下文。
● 院宣 (いんぜん)は、 上皇(= 院)の命令を下達
する文書 である。 院司(いんし)が、上皇の仰せを
奉(ほう)じて出す奉書(ほうしょ)の形式をとる。
院庁下文 (いんのちょうくだしぶみ) は、院庁
(いんのちょう)から出される公文書 で、 院宣(い
んぜん)よりも公的で、 詔勅(しょうちょく)、官符と
同等の効力を有し、 重要な意味をもった。
■ 現代でも、過去においても、子供は、親の言うことに
従うが、成人(大人)になると、親の言うことに従わなく
なることが多い。
■ 上皇が、 朝廷の政務の実権を握りたい場合、親の
言うことに従う、幼少の天皇を擁立して、朝廷の政務
の実権を握り、 その天皇が成人になると退位させて
(操縦できる天皇にすり替えて)、 別の幼少の天皇
(上皇の別の子、上皇の孫など)を擁立して、上皇自
身が、生きている間、 これを繰り返し、 朝廷の政務
の実権を握り続ける計略をとることが多い。
白河上皇、鳥羽上皇、後白河上皇、後鳥羽上皇
などの院政では、一部(一時期)、上記のような政略
も行って、上皇が朝廷の政務の実権を握り続けた。
■ 院政を行った上皇と成人の天皇と対立の例として
は、 院政を行った白河上皇と成人の鳥羽上皇の対
立(白河上皇が勝つ)、 院政を行っ鳥羽上皇と成人
の崇徳天皇の対立(鳥羽上皇が勝つ)、 院政を行っ
た後白河上皇と成人の二条天皇の対立(二条天皇が
勝つ) などがある。
■ 院政 とは、 上皇 (じょうこう、元天皇) が、朝廷
の政務の実権を握る政治形態 である。
● TKKI カナヤマ 著 日本史 辞典。
■ 院政 では、 上皇 が、院庁(いんのちょう)で政務を
とり、 院宣(いんぜん)や院庁下文(いんのちょうくだし
ぶみ)で下達した。 上皇の重臣は、 院近臣(いんのき
んしん) と呼ばれた。
■ 院政時の天皇。
院政時期は、上皇が、朝廷の政務の実権を握(にぎ)
っているため、 院政時期の天皇は、 閑職で、 政務の
重要事項は決定できず、 天皇や天皇の臣下は、院政
の上皇の意向に従い、政治上、何もできない、何も決め
られなかった。
● TKKI カナヤマ 著 日本史 辞典。
● 実例
○ 平安時代後期の白河上皇院政時、鳥羽上皇院政
時の、崇徳(すとく)天皇とその臣下。
○ 江戸時代前期の後水尾上皇院政時の、明正(めい
しょう)天皇とその臣下。
◆ 上皇が院政を行い、さらに、日本の政治の実権を持
ち、日本の政治を支配した時期(1086年頃〜1156
年頃)があった。
■ 白河上皇が、1086年に、院政を創始し、さらに、院
政政権(上皇政権、1086年頃〜1156年頃)を樹立
する。
■ 院政政治(上皇政治) とは、 上皇(じょうこう、元天
皇)が、朝廷の実権を握り、さらに、日本の政治の実権
を持ち、日本を支配する政治形態 である。 白河上皇・
鳥羽上皇の院政政治 である。
● TKKI カナヤマ 著 日本史 辞典。
■ 院政政権(上皇政権) とは、 上皇(じょうこう、元天
皇)が、朝廷の実権を握り、さらに、日本の政治の実権を
持ち、 日本を支配した政権 である。
● 院政政権(上皇政権、1086年頃〜1156年頃)は、
皇(院政 政治期1129年〜1156年) が、朝廷の実権
を握り、さらに、日本の政治の実権を持ち、日本を実質
的に支配した政権 である。
● TKKI カナヤマ 著 日本史 辞典。
◆ 院政の例。
■ 白河上皇は、1086年より、 堀河(ほりかわ)天皇、
鳥羽(とば)天皇、崇徳(すとく)天皇の3代にわたり、約
43年間、院政(1086年〜1129年)を行い、更に、
日本の政治の実権を全面的に握る。
崇徳(すとく)天皇、近衛(このえ)天皇、後白河(ごしら
かわ)天皇の3代にわたり、約27年間、院政(1129〜
56年)を行い、更に、日本の政治の実権を全面的に
握る。
■ 後白河上皇は、 1158年より、二条(にじょう)天皇、
六条(ろくじょう)天皇、高倉(たかくら)天皇、安徳(あ
んとく)天皇、後鳥羽(ごろば)天皇の5朝にわたり、院
政(1158〜1192年)を行う。 院政は行ったが、日
本の政治の実権は、全面的に握(にぎ)れなかった。
二条天皇時は、二条天皇が天皇親政政治を行い、
六条(ろくじょう)天皇、高倉(たかくら)天皇、安徳(あん
とく)天皇、後鳥羽(ごとば)天皇時は、 後白河上皇は、
二条天皇の親政政権、伊勢平氏の平氏政権、河内源氏
の源氏政権に阻(はば)まれて、 日本の政治の実権 を
部分的には握れたが、全面的に握れなかった。
■ 天皇の皇位継承順 は、 白河(しらかわ)天皇 ⇒
堀河(ほりかわ)天皇 ⇒ 鳥羽(とば)天皇 ⇒ 崇徳
(すとく)天皇 ⇒ 近衛(このえ)天皇 ⇒ 後白河(ご
しらかわ)天皇 ⇒ 二条(にじょう)天皇 ⇒ 六条(ろ
くじょう)天皇 ⇒ 高倉(たかくら)天皇 ⇒ 安徳(あん
とく)天皇 ⇒ 後鳥羽(ごとば)天皇 の順である。
■ 後水尾上皇は、 1629年より、明正(めいしょう)天
皇から霊元天皇までの4代にわたり、 院政(1629年〜
1680年)を行う。
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■ 院政政治
(いんせいせいじ)。
■ 院政政治。
■ 期間 : 平安時代後期の1086年頃〜1156年頃。
■ 名称 : 院政政治 (いんせいせいじ)。
● 英名 : the Japan ruling by a retired
emperor。
■ 上皇政治。
の政務の実権を握る政治形態。
■ 院政政治 とは、上皇が朝廷の政務の実権を握り、更に、
日本の政治を支配する政治形態で、 白河・鳥羽上皇の院
政政治 である。
■ 上皇 は、 院宣(いんぜん)、 院庁下文(いんのち
ょうくだしぶみ) などによって、通達を出した。
■ 院政政治 (いんせいせいじ) とは、上皇が朝廷
の政務の実権を握り、更に、日本の政治を支配する
政治形態で、 白河・鳥羽上皇の院政政治 である。
■ 院政政治(上皇政治) とは、 上皇(じょうこう、元天
皇)が、朝廷の政務の実権を握り、さらに、日本の政治
の実権を全面的に持ち、 日本の政治を支配する政治
形態。
院庁とは、上皇 (じょうこう、引退した天皇)の事
務機関で、 院政時は、政務機関となる。
院庁の職員が、 院司(いんし)である。 院庁に
おいて、上皇の事務、政務を行った官人である。
別当(べっとう)、年預(ねんよ)、判官代、主典代、
北面の武士 などがある。
■ 院宣 と 院庁下文。
● 院宣 (いんぜん)は、 上皇(= 院)の命令を下達
する文書 である。 院司(いんし)が、上皇の仰せを
奉(ほう)じて出す奉書(ほうしょ)の形式をとる。
院庁下文 (いんのちょうくだしぶみ) は、院庁
(いんのちょう)から出される公文書 で、 院宣(い
んぜん)よりも公的で、 詔勅(しょうちょく)、官符と
同等の効力を有し、 重要な意味をもった。
■ 院政政権(上皇政権) とは、 上皇(じょうこう、元天
皇)が、朝廷の政務の実権を握り、さらに日本の政治の
実権を全面的に持ち、日本 の政治を支配した政権で
ある。
● 院政政権(上皇政権、1086年頃〜1156年頃)は、
政1129年〜1156年) が、朝廷の政務の実権を握り、
さらに日本の政治の実権を全面的に持ち、日本の政治
を実質的に支配した政権 である。
● TKKI カナヤマ 著 日本史 辞典。
■ 白河上皇が、1086年に、院政を創始し、院政政権
(上皇政権、1086年頃〜1156年頃)を樹立する。
■ 藤原氏摂関家と外戚関係を持たない、後三条天皇や
その皇子の白河天皇が、天皇親政政治を始め、朝廷 の
政務の実権を握り、日本の政治を支配し、藤原氏の摂
皇)は、1086年頃より、 朝廷の政務の実権を握り、
日本の政治を全面的に支配し、院政政治を始める。
白河上皇の死去後、鳥羽上皇が院政政治を引き続き
行い、日本の政治を全面的に支配する。
鳥羽上皇の死後、院政政治は、衰える。 日本の政
治支配の実権をめぐ、 保元の乱(ほうげんのらん11
56年)、平治の乱(へいじのらん、1159年)などの朝
廷の内部抗争が起き、 武士の武力で解決したため、
伊勢(いせ)平氏や河内(かわち)源氏の武士が台頭し、
武士が、日本の政治の実権を握り、 武士政権を樹立
したため。
後白河上皇 (ごしらかわじょうこう、天皇在位11
55〜58年、上皇1158年〜1192年)は、日本の政
治を全面的に支配する院政政治を復活させようとした
が、 二条天皇、伊勢平氏、河内源氏に阻(はば) まれ
て、成功しなかった。
◆ 平安時代後期の院政政治(1086年頃
〜1156年頃)。
■ 日本では、 摂関政治 (10世紀後半〜11世紀後
半)が、衰えて、 院政政治 (11世紀後半〜12世紀
後半) が、 始まる。
■ 1086年より、院政政治(1086〜1156年)が開始
され、 白河上皇や鳥羽上皇の、上皇が、朝廷の実権
を握り、 更(さら)に、日本の政治の実権を持ち、日本
を全面的に支配した。
しかし、平治の乱(1159年)以後、 上皇の政治権
力は衰えたが (上皇は日本の政治を全面的に支配す
る実権は持たなかったが)、 その後、断続的に、上皇
が朝廷の政務の実権を握る、院政は、 江戸時代末期
の1840年まで、行われた。
■ 院政 とは、上皇が、 天皇を後見(こうけん)しながら
朝廷の実権をにぎる政治形態 である。
■ 上皇 (じょうこう) とは、 譲位した(退位した)天皇
(元天皇)で、 法皇(ほうおう)とは、 仏門に入った上
皇 である。
■ 白河上皇は、1086年より、 堀河(ほりかわ)天皇、
鳥羽(とば)天皇、崇徳(すとく)天皇の3代にわたり、約
43年間、院政(1086年〜1129年)を行い、日本の
政治の実権を全面的に持ち、 日本の政治を支配した。
1129年より、 崇徳(すとく)天皇、近衛(このえ)天皇、
後白河(ごしらかわ)天皇の3代にわたり、約27年間、
院政(1129年〜1156年)を行い、 日本の政治の実
権を全面的に持ち、 日本の政治を支配した。
■ 天皇の皇位継承順 は、 白河(しらかわ)天皇 ⇒
堀河(ほりかわ)天皇 ⇒ 鳥羽(とば)天皇 ⇒ 崇徳
(すとく)天皇 ⇒ 近衛(このえ)天皇 ⇒ 後白河(ご
しらかわ)天皇 ⇒ 二条(にじょう)天皇 ⇒ 六条(ろ
くじょう)天皇 ⇒ 高倉(たかくら)天皇 ⇒ 安徳(あ
んとく)天皇 ⇒ 後鳥羽(ごとば)天皇 の順である。
■ 白河・鳥羽上皇とも、崇仏の念(ねん)が厚く(仏教を
厚く信仰し)、造寺造仏を行う。 また、京(都)の郊外に
離宮(りきゅう)を造営する。 これらの費用を調達する
ため、 成功(じょうごう、売位、売官など)がさかんにな
り、政治が乱れた。
■ 上皇は、 国司(受領(ずりょう))たちを支持勢力にと
りこみ、上皇(=院(いん))の御所(ごしょ)に北面の武士
(ほくめんのぶし)を組織したり、 源平の武士を側近に
するなど、上皇(=院)の政治権力を強化した。
■ 院政政治 は、法や慣例にこだわらずに、上皇が、日
本の政治の実権を専制的に行使した。
院政では、院庁(いんのちょう)を置き、上皇の命令
を伝える院宣(いんぜん)及び、 院庁から下(くだ)され
る文書の院庁下文(いんのちょうくだしぶみ)が、国政一
般に次第(しだい)に効力を持つようになった。
藤原氏摂関家は、勢力の衰退を、上皇(院)と結び
つくことで盛りかえそうと努めた。
■ 院政 では、 上皇 が、院庁(いんのちょう)で政務を
とり、 院宣(いんぜん)や院庁下文(いんのちょうくだし
ぶみ)で下達した。 院近臣(いんのきんしん)には、受領
(ずりょう、国司)が、多く参加し、政務は院庁で行った。
院庁で政務をとる、上皇と院近臣は、 天皇や摂関家
と対立した。
● TKKI カナヤマ 著 日本史 辞典。
■ 院政で上皇(=院(いん))の軍事力として設けられた、
北面(ほくめん)の武士は、 武士階級成長の一因とな
った。
● TKKI カナヤマ 著 日本史 辞典。
が台頭し、院政政権(上皇政権、1086年頃〜1156
(1160年頃〜1185年頃) が, 日本を支配する。
● 院政政権 (いんせいせいけん) は、 1086年 頃
から1156年頃までで、 1086年に、白河天皇が堀
河天皇に譲位し、 白河上皇となり、 院政を開始し、
院庁を置き、院政政権(上皇政権)を樹立し、それを鳥
羽上皇が引き継いだが、1156年の鳥羽上皇の死去
とともに、院政政権(上皇政権)は、消滅し、1156年
の保元の乱が起こり、 更(さら)に、1159年の平治
の乱が起こり、伊勢平氏の平清盛(たいらの もきより)
が、河内源氏の源義朝 (みなもとのよしとも)に勝ち、
1160年に、平清盛は、 正三位に叙(じょ)せられ公
卿(くぎょう)に列し、1167年に従一位太政大臣に叙
任され、日本の政治の実権を握り、 平氏政権が出現す
る。
● TKKI カナヤマ 著 日本史 辞典。
の実権を握る政治形態 である。
■ 院政政治(上皇政治) とは、 上皇(じょうこう、元天
皇)が、朝廷の実権を握り、さらに、日本の政治の実権
を持ち、 日本を支配した政治形態 である。
■ 院政政権(上皇政権) とは、 上皇(じょうこう、元天
皇)が、朝廷の実権を握り、さらに、日本の政治の実権
を持ち、日本を支配した政権 である。
● 院政政権(上皇政権、1086年頃〜1156年頃)は、
1129年〜1156年) が、朝廷の実権を握り、さらに、
日本の政治の実権を持ち、日本を実質的に支配した政
権。
● TKKI カナヤマ 著 日本史 辞典。
■ 白河上皇が、1086年に、院政を創始し、さらに院政
政権(上皇政権、1086年頃〜1156年頃)を樹立する。
#japanrulingbyretiredemperors-politicalpowerofthelateheianperiod
■ 平安時代末期の、政権(日本の政治の
実権)の変遷。
■ 白河上皇・院政政治(政権)期
(1086〜1129年)。
● 1086年に、白河上皇が、日本の政治の実権を握
り、院政政治を始める。
■ 鳥羽上皇・院政政治(政権)期
(1129〜1156年)。
● 1129年に、鳥羽上皇が、日本の政治の実権を握
り、院政政治を始める。
■ 後白河天皇・親政政治(政権)期
(1156〜1158年)。
● 1156年に、後白河天皇が、日本の政治の実権を
握り、天皇親政政治を始める。
■ 後白河上皇・二条天皇・二頭政治(政権)期
(1158〜1161年)。
● 1158年に、後白河上皇と二条天皇が、日本の政
治の実権を握り、二頭政治を始める。
■ 二条天皇・親政政治(政権)期
(1161〜1165年)。
● 1161年に、二条天皇が、日本の政治の実権を握
り、天皇親政政治を始める。
■ 伊勢平氏・武家政治(政権)期
(1165〜1180年)が始まる。
● 1165年に、伊勢平氏が、日本の政治の実権を握
り、武家政治を始める。
■ 伊勢平氏・河内源氏・武家二頭政治(政権)期
(1180〜1185年)。
● 1180年に、伊勢平氏と河内源氏が、日本の政治
の実権を握り、武家二頭政治を始める。
■ 河内源氏・武家政治(政権)期
(1185〜1219年)。
● 1185年に、河内源氏が、武家政治を始める。
河内源氏3代(源頼朝、源頼家、源実朝)まで続く。
#japanrulingbyretiredemperors-emperorsofthelateheianperiod
◆ 平安時代末期の歴代天皇一覧。
■ 天皇の皇位継承順 は、次の通りである。
@ 白河(しらかわ)天皇 (貞仁(さだひと)親王) ⇒
(天皇在位、1072年〜1086年)
A 堀河(ほりかわ)天皇 (善仁(たるひと)親王) ⇒
(天皇在位、1086年〜1107年)
B 鳥羽(とば)天皇 (宗仁(むねひと)親王) ⇒
(天皇在位、1107年〜1123年)
● TKKI カナヤマ 著 日本史 辞典。
C 崇徳(すとく)天皇 (顕仁(あきひと)親王) ⇒
(天皇在位、1123年〜1141年)
D 近衛(このえ)天皇 (体仁(なりひと)親王) ⇒
(天皇在位、1141年〜1155年)
E 後白河(ごしらかわ)天皇 (雅仁(まさひと)親王) ⇒
(天皇在位、1155年〜1158年)
F 二条(にじょう)天皇 (守仁(もりひと)親王) ⇒
(天皇在位、1158年〜1165年)
G 六条(ろくじょう)天皇 (順仁(のぶひと)親王) ⇒
(天皇在位、1165年〜1168年)
● TKKI カナヤマ 著 日本史 辞典。
H 高倉(たかくら)天皇 (憲仁(のりひと)親王) ⇒
(天皇在位、1168年〜1180年)
I 安徳(あんとく)天皇 (言仁(ときひと)親王) ⇒
(天皇在位、1180年〜1185年)
J 後鳥羽(ごとば)天皇 (尊成(たかひら)親王)。
(天皇在位、1183年〜1198年)
◆ (S) 日本の政治形態。
■ (S) 日本の政治形態。
(S1d) 小国首長政治 (前1世紀〜紀元後5世紀)⇒
(S1g) 豪族連合政治 (5〜7世紀) ⇒ (S2) 律令
政治 (7〜10世紀) ⇒ (S3) 摂関政治 (10〜11
世紀) ⇒ (S4) 院政政治 (11〜12世紀) ⇒(S5)
政治 (近代天皇絶対主義政治) (19〜20世紀) ⇒
(S7) 現代国民主権政治 (現代主権在民政治) (20
〜21世紀の現在)。
● TKKI カナヤマ 著 日本史 辞典。
● 上記項目の詳細に関しては、 当日本語辞典の各項目
を参照して下さい。
■ (S3) ⇒ (S4) 摂政・関白に代わって、上皇が、政
治の実権を握ったため、 (S3) 摂関政治 (10〜11世
紀)は、 (S4) 院政 政治 (11〜12世紀) に移行す
る(へ変わる)。
■ (S4) 院政 政治 とは、 上皇 (じょうこう、元天皇)
が、朝廷の実権を握り、日本の政治の実権を持ち、日本
を支配した政治形態 である。
政1129年〜1156年) が、朝廷の実権を握り、さらに、
日本の政治の実権を持ち、日本を実質的に支配した政
治形態 である。
■ (S4) ⇒ (S5) 1159年(平治元年)の平治の乱
で武士の武力の力で政治の争いが決着後、 (S4) 院
政 (11〜12世紀) は、(S5) 武家政治 (12〜19
世紀) に移行する(へ変わる)。
● 保元の乱(1156年)・平治の乱(1159年)後、 武士
が台頭し、院政政権(上皇政権、1086年頃〜1156年
0年頃〜1185年頃) が,日本を支配する。
■ 平安時代後期の院政政治(1086年頃
〜1156年頃)。
■ 日本では、 摂関政治 (10世紀後半〜11世紀後
半)が、衰えて、 院政政治 (11世紀後半〜12世紀
後半) が、 始まる。
■ 1086年より、院政政治(1086年頃〜1156年頃)
が開始され、 上皇(白河上皇や鳥羽上皇)が、朝廷の
実権を握り、 さらに、日本の政治の実権を持ち、日本
を実質的に支配した。
しかし、平治の乱(1159年)以後、 権力(日本を
支配する実権)は衰えたが (日本の政治の実権は持
たなかったが)、 その後、断続的に、上皇が朝廷の実
権を握る、院政は、 江戸末期の1840年まで、行われ
た。
■ 上皇は、 国司(受領(ずりょう))たちを支持勢力にと
りこみ、上皇(=院(いん))の御所(ごしょ)に北面の武士
(ほくめんのぶし)を組織したり、 源平の武士を側近に
するなど、上皇(=院)の権力を強化した。
■ 院政は、法や慣例にこだわらずに、上皇が、政治の実
権を専制的に行使した。
院政では、院庁(いんのちょう、院の事務機関)を置
き、上皇の命令を伝える院宣(いんぜん)及び、 院庁か
ら下(くだ)される文書の院庁下文(いんのちょうくだしぶ
み)が、国政一般に次第(しだい)に効力を持つようになっ
た。
摂関家は、勢力の衰退を、上皇(院)と結びつくこと
で盛りかえそうと努めた。
■ 院政 では、 上皇 が、院庁(いんのちょう)で政務を
とり、 院宣(いんぜん)や院庁下文(いんのちょうくだし
ぶみ)で下達した。 院近臣には、受領(ずりょう、国司)
が、多く参加し、政務は院庁で行った。
院庁で政務をとる、上皇と院近臣は、 天皇や摂関家
と対立した。
■ 院政で上皇(=院(いん))の軍事力として設けられた、
北面(ほくめん)の武士は、 武士階級成長の一因とな
った。
● TKKI カナヤマ 著 日本史 辞典。
■ 保元の乱(1156年)・平治の乱(1159年)後、 武士
が台頭し、院政政権(上皇政権、1086年頃〜1156年
0年頃〜1185年頃) が, 日本を支配する。
● 院政政権 (いんせいせいけん) は、 1086年 頃
から1156年頃までで、 1086年に、白河天皇が堀
河天皇に譲位し、 白河上皇となり、 院政を開始し、
院庁を置き、院政政権(上皇政権)を樹立し、それを鳥
羽上皇が引き継いだが、1156年の鳥羽上皇の死去
とともに、院政政権(上皇政権)は、消滅し、1156年
の保元の乱が起こり、 更(さら)に、1159年の平治
の乱が起こり、伊勢平氏の平清盛(たいらの もきより)
が、河内源氏の源義朝 (みなもとのよしとも)に勝ち、
1160年に、平清盛は、 正三位に叙(じょ)せられ公
卿(くぎょう)に列し、日本の政治の実権を握り、 平氏
政権が出現する。
● TKKI カナヤマ 著 日本史 辞典。
◆ (S) 日本の政治形態。
■ (S) 日本の政治形態。
(S1d) 小国首長政治 (前1世紀〜紀元後5世紀)⇒
(S1g) 豪族連合政治 (5〜7世紀) ⇒ (S2) 律令
政治 (7〜10世紀) ⇒ (S3) 摂関政治 (10〜11
世紀) ⇒ (S4) 院政政治 (11〜12世紀) ⇒(S5)
政治 (近代天皇絶対主義政治) (19〜20世紀) ⇒
(S7) 現代国民主権政治 (現代主権在民政治) (20
〜21世紀の現在)。
● 上記項目の詳細に関しては、 当日本語辞典の各項
目を参照して下さい。
□ 日本史 辞典 の先頭ページへ 。
■ (S3) ⇒ (S4) 摂政・関白に代わって、上皇が、
政治の実権を握ったため、 (S3) 摂関政治 (10〜
11世紀)は、 (S4) 院政政治 (11〜12世紀) に
移行する(へ変わる)。
■ (S4) 院政政治 とは、 上皇 (じょうこう、元天皇)
が、朝廷の実権を握り、さらに、日本の政治の実権を持
ち、日本を支配した政治形態 である。
政1129年〜1156年) が、朝廷の実権を握り、日本
の政治の実権を持ち、日本を実質的に支配した政治形
態 である。
■ (S4) ⇒ (S5) 1159年(平治元年)の平治の乱
で武士の武力の力で政治の争いが決着後、 (S4) 院
政 (11〜12世紀) は、(S5) 武家政治 (12〜19
世紀) に移行する(へ変わる)。
● 保元の乱(1156年)・平治の乱(1159年)後、 武士
が台頭し、院政政権(上皇政権、1086年頃〜1156年
0年頃〜1185年頃) が,日本を支配する。
の先頭ページへ 。
□ 日本史 辞典 の先頭ページへ 。
■ 院政政権
(いんせいせいけん)。
■ 院政政権。
■ 名称 : 院政政権 (いんせいせいけん)。
● 別名 : 上皇政権 (じょうこうせいけん)。 院政権
(いんせいけん)。
● 英名 : the Government of a retired
emperor。
■ 時期 : 平安時代後期の1086年頃〜1156年頃。
の実権を握る政治形態。
■ 院政政治(上皇政治) とは、 上皇(じょうこう、元天
皇)が、朝廷の実権を握り、さらに、日本の政治の実権
を持ち、日本を支配する政治形態。
■ 院政政権(上皇政権) とは、 上皇(じょうこう、元天
皇)が、朝廷の実権を握り、さらに、日本の政治の実権
を持ち、日本を支配した政権。
● 院政政権(上皇政権、1086年頃〜1156年頃)は、
1129年〜1156年) が、朝廷の実権を握り、さらに、
日本の政治の実権を持ち、日本を実質的に支配した政
権。
● TKKI カナヤマ 著 日本史 辞典。
■ 白河上皇が、1086年に、院政を創始し、さらに、院
政政権(上皇政権、1086年頃〜1156年頃)を樹立す
る。
■ 上皇 は、 院宣(いんぜん)、 院庁下文(いんのち
ょうくだしぶみ) などによって、通達を出した。
■ 院政 とは、上皇が、 天皇を後見(こうけん)しながら
朝廷の実権をにぎる政治形態 である。
■ 上皇 (じょうこう) とは、 譲位した(退位した)天皇
(元天皇)で、 法皇(ほうおう)とは、 仏門に入った上
皇 である。
◆ 平安時代後期の院政政権(1086年頃
〜1156年頃)。
■ 日本では、 摂関政治 (10世紀後半〜11世紀後
半)が、衰えて、 院政政治 (11世紀後半〜12世紀
後半) が、 始まる。
■ 1086年より、院政政治(1086〜1156年)が開
始され、 上皇(白河上皇や鳥羽上皇)が、朝廷の実
権を握り、さらに、日本の政治の実権を持ち、日本を
実質的に支配した。
しかし、平治の乱(1159年)以後、 上皇の権力
(日本を支配する実権)は衰えたが (上皇は日本の
政治の実権は持たなかったが)、 その後、断続的に、
上皇が朝廷の実権を握る、院政は、 江戸末期の18
40年まで、行われた。
● TKKI カナヤマ 著 日本史 辞典。
■ 白河上皇は、1086年より、 堀河(ほりかわ)天皇、
鳥羽(とば)天皇、崇徳(すとく)天皇の3代にわたり、約
43年間、院政を行い、さらに、日本の政治の実権を握
り、院政政治(院政政治期、1086年〜1129年)を行
った。
崇徳(すとく)天皇、近衛(このえ)天皇、後白河(ごしら
かわ)天皇の3代にわたり、約27年間、院政を行い、さ
らに、日本の政治の実権を握り、院政政治(院政政治
期、1129〜56年))を行った。
● TKKI カナヤマ 著 日本史 辞典。
■ 天皇の皇位継承順 は、 白河(しらかわ)天皇 ⇒
堀河(ほりかわ)天皇 ⇒ 鳥羽(とば)天皇 ⇒ 崇徳
(すとく)天皇 ⇒ 近衛(このえ)天皇 ⇒ 後白河(ご
しらかわ)天皇 ⇒ 二条(にじょう)天皇 ⇒ 六条(ろ
くじょう)天皇 ⇒ 高倉(たかくら)天皇 ⇒ 安徳(あ
んとく)天皇 ⇒ 後鳥羽(ごとば)天皇 の順である。
■ 白河・鳥羽上皇とも、崇仏の念(ねん)が厚く(仏教を
厚く信仰し)、造寺造仏を行う。 また、京(都)の郊外に
離宮(りきゅう)を造営する。 これらの費用を調達する
ため、 成功(じょうごう、売位、売官など)がさかんにな
り、政治が乱れた。
● TKKI カナヤマ 著 日本史 辞典。
■ 上皇は、 国司(受領(ずりょう))たちを支持勢力にと
りこみ、上皇(=院(いん))の御所(ごしょ)に北面の武士
(ほくめんのぶし)を組織したり、 源平の武士を側近に
するなど、上皇(=院)の権力を強化した。
■ 院政政治(上皇政治)は、法や慣例にこだわらずに、
上皇が、政治の実権を専制的に行使した。
院政政治(上皇政治)では、院庁(いんのちょう)を
置き、上皇の命令を伝える院宣(いんぜん)及び、 院庁
から下(くだ)される文書の院庁下文(いんのちょうくだし
ぶみ)が、国政一般に次第(しだい)に効力を持つように
なった。
摂関家は、勢力の衰退を、上皇(院)と結びつくこと
で盛りかえそうと努めた。
■ 院政政治(上皇政治)では、 上皇 が、院庁(いんの
ちょう)で政務をとり、 院宣(いんぜん)や院庁下文(い
んのちょうくだしぶみ)で下達した。 院近臣には、受領
(ずりょう、国司)が、多く参加し、政務は院庁で行った。
院庁で政務をとる、上皇と院近臣は、 天皇や摂関
家と対立した。
● TKKI カナヤマ 著 日本史 辞典。
■ 院政政治(上皇政治)で 上皇(=院(いん))の軍事
力として設けられた、北面(ほくめん)の武士は、 武
士階級成長の一因となった。
● TKKI カナヤマ 著 日本史 辞典。
士が台頭し、院政政権(上皇政権、1086年頃〜11
権 (1160年頃〜1185年頃)が,日本を支配する。
● 院政政権 (いんせいせいけん) 即ち、上皇政権
は、 1086年 頃から1156年頃までで、 1086年
に、白河天皇が堀河天皇に譲位し、白河上皇となり、
院政政治を開始 する。
白河上皇は、院庁を置き、院政政権(上皇政権)
を樹立し、それを鳥羽上皇が引き継いだが、1156年
の鳥羽上皇の死去とともに、院政政権(上皇政権)は、
消滅し、1156年の保元の乱が起こり、 更(さら)に、
1159年の平治の乱が起こり、伊勢平氏の平清盛(た
いらのもきより)が、河内源氏の源義朝 (みなもとの
よしとも)に勝ち、 1160年に、平清盛は、 正三位に
叙(じょ)せられ公卿(くぎょう)に列し、日本の政治の
実権を握り、 平氏政権が出現する。
● TKKI カナヤマ 著 日本史 辞典。
■ 院政政権 (いんせいせいけん) は、時期は、平安時
代後期の1086年頃〜1156年頃 で、 上皇政権 (じ
ょうこうせいけん)、 院政権 (いんせいけん) とも言う。
英名は、 the Government of a retired
emperor である。
の実権を握る政治形態 である。
■ 院 政政治(上皇政治) とは、 上皇(じょうこう、元天
皇)が、朝廷の実権を握り、さらに、日本の政治の実権
を持ち、 日本を支配した政治形態 である。
■ 院政政権(上皇政権) とは、 上皇(じょうこう、元天
皇)が、朝廷の実権を握り、さらに、日本の政治の実権
を持ち、日本を支配した政権 である。
● 院政政権(上皇政権、1086年頃〜1156年頃)は、
1129年〜1156年) が、朝廷の実権を握り、さらに、
日本の政治の実権を持ち、日本を実質的に支配した政
権 である。
● TKKI カナヤマ 著 日本史 辞典。
■ 白河上皇が、1086年に、院政を創始し、さらに、院
政政権(上皇政権、1086年頃〜1156年頃)を樹立
する。
◆ (S) 日本の政治形態。
■ (S) 日本の政治形態。
(S1d) 小国首長政治 (前1世紀〜紀元後5世紀)⇒
(S1g) 豪族連合政治 (5〜7世紀) ⇒ (S2) 律令
政治 (7〜10世紀) ⇒ (S3) 摂関政治 (10〜11
世紀) ⇒ (S4) 院政政治 (11〜12世紀) ⇒(S5)
政治 (近代天皇絶対主義政治) (19〜20世紀) ⇒
(S7) 現代国民主権政治 (現代主権在民政治) (20
〜21世紀の現在)。
● TKKI カナヤマ 著 日本史 辞典。
● 上記項目の詳細に関しては、 当日本語辞典の各項目
を参照して下さい。
■ (S3) ⇒ (S4) 摂政・関白に代わって、上皇が、政
治の実権を握ったため、 (S3) 摂関政治 (10〜11世
紀)は、 (S4) 院政 政治 (11〜12世紀) に移行す
る(へ変わる)。
■ (S4) 院政政治 とは、 上皇 (じょうこう、元天皇)が、
朝廷の実権を握り、さらに、日本の政治の実権を持ち、日
本を支配した政治形態 である。
羽上皇(院政生時期、1129年〜1156年) が、朝廷
の実権を握り、さらに、日本の政治の実権を持ち、日本
を実質的に支配した期間の政治形態 である。
■ (S4) ⇒ (S5) 1159年(平治元年)の平治の乱
で武士の武力の力で政治の争いが決着後、 (S4) 院
政政治 (11〜12世紀) は、(S5) 武家政治 (12
〜19世紀) に移行する(へ変わる)。
● 保元の乱(1156年)・平治の乱(1159年)後、 武士
が台頭し、院政政権(上皇政権、1086年頃〜1156年
0年頃〜1185年頃) が,日本を支配する。
の先頭ページへ 。
□ 日本史 辞典 の先頭ページへ 。
『 あなたのハートには 何が残りましたか? 』
以 上