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推理小説好きのわたしの最近のお気に入りの一つが「修道士カドフェル・シリーズ」。今回はこの作品の舞台となった街シュルーズベリの探訪記です。上のタイトルのリンクからシリーズのあらましを紹介したCommon Ground の記事も参照していただくと分りやすいかと思います。本文中の赤文字の(Map)と書かれているところをクリックすると簡単な町の地図が見られますので、番号やアルファベットでご参照ください。





「修道士カドフェルの故郷」シュルーズベリ、イングランド 〜前編〜 
(Shrewsbury, Shropshire England -"Home of Brother Cadfael"-)



the square (11k)
街の中心広場。中央左寄りの石造りの建物は街の毛織物商
(Drapers)のために1596年に建てられた旧マーケット・
ホール。右手には典型的テューダー調建築の建物が見える。
(Map - 1)
週末お世話になったバーミンガムの友人に出勤前に駅まで送ってもらい、そこから通勤客に混じってシュルーズベリ行きの列車に乗った。朝10時前に駅に着いて広場に向かうと、まだ旅行者案内所(Tourist Information)が開くまでにしばらく時間があったので、天気もそこそこいいし、とベンチに座って行き交う人々を眺めつつ、隣に座ってご主人が迎えに来るのを待っている犬を連れた年輩の婦人とお喋りなどしながら時間をつぶす。案内所に一番に入って今夜の宿を探してもらい、早速地図を持って予約したB&B(Bed & Breakfast、寝室と翌朝の朝食つきの民宿)に向かった。部屋の鍵をもらって荷物を降ろし身軽になると、早速町へ。とりあえず経営者のご主人に「この町の見どころは何ですか?」と尋ねると「ふむ、見るところはいろいろあるけどね」とちょっと考えて、やや控えめに「カドフェル修道士を知ってるかね?」。あのシリーズは大好きです、それもあってぜひここを訪れたかったんですと答えるとにこにこして、「それなら修道院とその隣にある博物館「シュルーズベリ・クエスト」は見逃せないね。謎解きもできるらしいから挑戦してみてごらん」と言う。お礼を言って宿を出ると、すでに活気づき始めた街に戻った。


最近こそ「カドフェルの故郷」として新たな観光客を呼んでいるこの町も、もともと古くから商人の町として、境を接するウェールズとのさかんな交流で複雑に混ざりあった独特の文化を受け継いで栄えてきた。町の中心部の周囲をぐるりと囲むように流れているセヴァーン河(River Severn)も発展の重要な要だったのだろう。またここは「種の起原」を著したチャールズ・ダーウィンが生まれ、教育を受けた土地でもあって、彼の名前がショッピングセンターなどにも残っている(本人が喜ぶかどうかは知らないが)。とりあえずひととおり回ってみることにして、ぶらぶらと歩き出す。月曜の午前中ということもあってまだそれほど賑わってはいないが、広場正面の本町通り(High Street)にはたくさんの店が軒を連ねていて、すでに買い物客が出入りし始めている。多くの店がテューダー朝時代の建物をそのまま残して利用しているため、英国のどこの町にもある「いつもの店」も全く違った趣に見える。実際どこを見ても新しい建物よりも古いもののほうが多いくらいなので、ついついたくさん写真を撮ってしまう。これもまだ夏休み前の平日のせいか観光客らしい人はあまり見えなくて、通りを歩いている人たちは皆地元の買い物客がほとんどのようだ。個人的には観光客が溢れてそれ目当てのマーケットなどが立ち並んでいる大きな街よりも、こういう中規模な町の「いつもの風景」の中をそぞろ歩くほうが落ち着ける。大通りを外れると結構入り組んだ小路などもあって、そこを入るとまた古い建物にぶつかったりするのが楽しくてぐるぐると歩き回っていると、聖マリア教会近くの道に出た。案内所でもらった地図を見ながらどうしよう、教会に行こうかそれとも戻って別の場所を見ようか、とちょっと立ち止まって考えていると、後ろからすたすた歩いてきてわたしを追い抜いた30半ばくらいの、短く刈り込んだあごひげにキャップを被った痩せ形の男性がやおら振り返り、「迷った?」と聞いてきた。以下、彼とのやり取り。(Map - A) tudor building (12k)
凝った装飾と白黒のコントラストが美しい建物。
中には服飾店が何件か入っていて、二階には
ローラ・アシュレイが。
(Map - 2)

わたし:「ええと...(まあそう言っておこう、期待されてるみたいだし)ええ、ちょっと」
彼:「どこに行くんだい聖マリア教会?」
「あ、ええそうですそうです(えらく早口な人...)」
「それなら簡単この小道を登ったところだからね僕もその方向だから途中まで一緒に行こうか(すたすた)観光かい?ここはたくさん見るところがあるし住むにも結構いいところだよ君の国も興味深いよね前のガールフレンドが中国人だったんでいろいろ言葉を習おうとしたけど難しくて覚えられなかったよ」
「(あ、中国人と思われてるのね)そうなんですか。中国語は日本人から見ても難しいですよ。最近はどの街に行ってもわたしのような(さりげなく)日本人観光客がたくさんいますけど、ここはあまり見かけませんね」
「ああ君は日本人か!ごめんごめんいや失礼悪気はなかったんだよ西洋人から見ると東洋の国の人たちはちょっと見分けにくいんだよ分かってもらえるかと思うけどね実際何年か住んでみたらそれぞれの違いも分るようになるんだろうねさて、ここを登ればすぐに教会だよ」
「どうもご親切にありがとうございました」
「いやいやどういたしましてお役に立てて嬉しいよ残りの滞在を楽しんで行ってくれじゃあとりあえず、サヨナラ!」
「さよならー...」
呆然と立ち尽くすわたしを残して、彼はすたすた大股に歩き去って行ったのだった。
the lion (11k)
セヴァーン河、そしてその向こうのシュルーズベリ修道院に続く坂道。(Map - 3)


馬の蹄鉄のような形に町をぐるりと囲んで流れているセヴァーン河は、国内情勢が不安定な時代にも外部からの侵入を防いで町を守る役割を果たしてきたということだが、同時に人々の生活に密着し欠かすことのできない「命の河」でもあったのだろう。「カドフェル」の物語の中で、町の人々はこの河の水で毎日の食事を作り、主婦たちは川岸で洗濯をしながらお喋りをし、子供たちは歩くより早くここで泳ぎを覚える。旅や物資の輸送には河は陸路と同じくらい重要だっただろう。シリーズにもしばしば登場する、寡黙だが自らの仕事に静かな誇りと自信を持っている、カドフェルの友人であり同じウェールズ人でもある「死人舟のマドッグ*(Madog of the Dead Boat)」はセヴァーンの流れを「自分の手のひらのように」知り尽くしていて、一度ならず友人の探偵仕事の手助けをする。宿に向かう途中の道沿いをゆったりと流れる(...ように見えて実は意外に速い流れ、と物語の記述にはあるが)河の向こう岸には建物も見えず、微妙に異なる色合いの6月の木々の緑が陽の光を反射していて、いま残っている町の多くの建物が建てられたテューダー朝時代、そしてさらにそれより数百年前の「カドフェル」の時代にも、おそらくここの風景はいまわたしが見ているものとそう変わらなかったのだろうな、と思うと不思議な気がする。初夏の陽射しの下器用に櫂を操って舟を進めるおじさんも風景にしっくり溶け込んでいて、これでホームスパン(手織りの粗い生地)のフードつきの服でも着ていたら一気に時間が12世紀に逆戻りしそうな雰囲気。
boatman (10k)  english bridge (7k)(Map - 4)

* 「カドフェル」の物語の中でマドッグは普段は舟で町の内外へ人や荷物を運ぶ仕事を請け負っているが、その知識を利用して水の事故に遭って流された人の遺体などを的確に探し出すこともしていたため、町の人にこのあだ名で呼ばれている。カドフェルに依頼されて彼はしばしば遺体だけでなく事件の重要な手がかりとなるものが流れ着いている場所を言い当てたり、遺体に付着した水草などが河のどのあたりに生えているものかを証言したりする。孤独を愛する寡黙な人物だが、同じウェールズ人であることもあってカドフェルとは互いを認め合う良い関係。


本町通りを中心に行ったり来たりして大方の位置関係が飲み込めたあたりで、そろそろお腹が空いてきたのでお昼にすることにした。歩いている間に眼に留まったいくつかの店(こういうことは忘れない)のどれにしようかな、とちょっと考えて、結構しっかり食べたい気分だったのでしゃれたカフェやコーヒーショップはやめて「ランチプレート£4.29、午後のクリームティーとスコーンのセット£2.69」とかいう看板の出ているいかにも「食堂」という感じの店に入った。昼食時も結構過ぎていたので店内にはほとんど客もなくて、中年と20代前半くらいの二人のウェイトレスが、厨房のコックと地元の人らしい中年の男性客と世間話をしている。オーダーを取りに来てくれた年かさのほうに今日のランチプレートは何ですか、と聞くと煮込んだ豚肉と茹で野菜、と言うのでそれを注文。しばらく後に大きなお皿を持ってきた年若いウェイトレスがりんごソースはいる?お肉に添えるとおいしいわよ、と言うのでください、と言ったらスフレ型のような容器にたっぷり入れてきてくれた。お皿には肉汁のかかった豚肉の大きな切り身に茹でたキャベツ、にんじん、じゃがいも、グリーンピースなどがどかっと載っている。はっきり言って色彩的にもいわゆる「おいしそう」なものではないし、おそらく英国人が聞いたらなぜ好き好んでそんなものを、と言われそうなメニューだけれども、わたしは結構こういうのが好き。英国人にとっては学校の給食(school lunch)は「まずい食事」の代名詞らしくよく冗談のねたにもなって、特に「どろどろになるまで茹でた腐ったようなにおいのするキャベツ」は子供時代の恐怖の思い出として語られたりするが、もともとキャベツ大好きなわたしには全く問題なし(どろどろでもなかったし)。りんごが崩れるまで煮込んだ少し甘いソースはやわらかく煮た豚肉によく合っておいしくて、せっかくたっぷりもらったので全部きれいに平らげた(あとであのアジア人小さい割によく食べたわねーとか言われていたかも)。ウェイトレスたちはまたさっきと同じように奥の厨房のカウンターの前で地元の噂話。化粧もそこそこで髪も邪魔にならない程度にざっとまとめて、応対もややぞんざいのようだけれども、注文をしたり料理について質問するとすらすら答えてにこっとしたりする。店も余分な安っぽい飾りはなくて、ごく質素だけれどもこざっぱりしている。こういう店の「昔ながらの何の変哲もない、つまらない英国料理」は、たとえ当の英国人が何と言おうともおいしい...と、わたしは思うのだが。 cat on a mat (10k)
宿に行く途中の住宅街で出会った"cat on a mat"。
実にフォトジェニック。


〜シュルーズベリ・後編に続く〜


3.7.2000








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