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ドイツ人の友人の運転、日本人のわたしの助手で始まった北イタリアの車の二人旅。いよいよ「ツアー」開始、今回は最初の滞在地パルマに向かいます。




北イタリア二人旅・その2 パルマ (Parma, North Italy)


石畳の丘の街ベルガモを発って、わたしたちはハムやパルメザン・チーズで有名なパルマに向かった。友人が予約してくれた一週間の個人ツアーは今日から始まる。前にも書いたようにこれは宿と毎日の朝食、何度かの夕食、それから各地での小さな「イベント」のチケットが幾つかついていて、どこを訪れるかは全くわたしたち次第というもの。「イタリア人の運転は過激」と聞いてきてびくびくしつつひたすら運転する友人の横で、わたしはドイツ語の道路地図と旅行社からの各地の略地図/説明のコピー(これもドイツ語)を膝に広げ、道路標識と地図の地名を見比べながら「次の料金所の先を右みたい」とか「このあたりにお城があるらしい」とか色々言わねばならない。高速道路は空いている(というかがらがら)し標識も日本とそう変わらず、道路番号も割と頻繁に表示してあって確認できるのがありがたいが、初めて聞く地名ばかりの地図から必要な地名を見つけ出すのは結構ややこしい。同じ地方には似たような地名が幾つもあって(日本だって似たようなものだが)、しかも長かったりすると混同してしまう。さらに道が分かれる前後に限って道路番号の表示が忽然と消え、数キロも走ってからしまった、道を間違えたーっと慌てて戻ったり。ナビゲーター初心者、前途多難。
何とか無事にパルマにたどり着き、さてホテルは?と街の中をぐるぐる。イタリアでこれは便利、と思ったのは、街のあちこちに宿を表すベッドのマークの茶色の看板があり、ちゃんとそれぞれの名前と星の数、方角や距離を表示してあること。しばらく走るうちに目指すホテルの名前も見つけてほっとするも、これがなかなか行き着けない。なぜかというと、この後も散々同じ体験をするのだが、イタリアはとにかく一方通行の道が多いのだ。目指す場所は分かっているのに、そこに行く道が一方通行で通れない、じゃあ別の道から回って、と思うとまた一方通行...で何度も同じところをぐるぐる回ることに。散々回り道をして(一旦街を出て別方向から入ったりもした)ようやくホテルに到着。「あったあった」と、友人は両側に石造りの門柱が立っている大きな金属の門の中に車を進める。...え、ちょっちょっと待て。ここ?ここなの?見ると門柱のプレートには確かに今日のホテルのVilla Ducaleの名前と星四つ。友人は背の高い木々が立ち並ぶ駐車場の空きスペースに車を停め、わたしたちはホテルの建物に向かった。な、なんだかすごいところに来てしまったような...ときょろきょろしているわたしに引き換え、大手日本企業のドイツ支社に勤めていて仕事で四つ星や五つ星ホテルに泊まるのも珍しくない友人は「うん、いい感じ」と動じない。
建物自体は割と新しいか、古いものを改装してあるようだが、Villaという名前の通りそう派手さはない。前庭には今を盛りとばかりに花が咲き乱れていて、特に薔薇は見事。中に入るとフロントカウンターは思ったより小さく...というか、ホテルというよりどこかの会社の受付のよう。係の人に鍵をもらうと、車から荷物を出してきて部屋へ向かった。後から分かったことだがもともとこの建物は結構古く、地元の貴族の持ち物だったようだが、1980年代に有力者が買い取ってホテルとして営業を始めたらしい。全体的に新しくきれいな感じだが、天井の梁や階段の手すりなどは元のものを使っているのか、かなり年代を経た感じの暗い色の木で落ち着いた雰囲気。廊下も部屋も全体的に黄色と青で統一されている。


ホテルの部屋 (11k)
宿泊した部屋。「厩」と呼ばれているらしく
確かに天井が昔の馬小屋風で面白い。
ホテル廊下 (8k)
同じくホテルの廊下。何やら 古くて
重たそうな 家具が随所に置いてある。
元の屋敷にあったものかも。


幸いこの日は夕食つきだったので、午前中はベルガモの街を歩き回り、土地勘のない地域を運転してきて結構疲れていたわたしたちは食事までしばらく部屋で休息。ちょっと窓を開けようか...と思ったら、げげ。蚊がいる。わたしは特に刺されやすいので過敏に反応するのだが、友人もこれを聞いて二人でいきなり蚊撲滅作戦(非情な殺戮)を展開し、幸いそう手こずらずに作戦終了。英国やアイルランドでは夏でもまず蚊に刺された経験はないので、まさかここで遭うとは思わず油断していた。ふと見ると、書物机の隅に何か置いてある。VAPE FUMAKILLA。そう、昔日本でもよく使われていた蚊取りマットとそれをセットする装置である。うわあ懐かしい、え、でもするとこれって日本製品じゃなかったの?と一人騒いだが、友人はよく分からないらしい。そんなこんなでベッドの上でごろごろしたり荷物の整理をしたりしてしばらく過ごして、あんまりお腹空かないねえ、と言いながら(何しろお昼が...)少し遅めに一階に降りる。

レストランに入ると、入口から少し入った厨房寄りの席に案内された。天井が高く、眩しいくらいに明るい広い空間だが、これもどちらかというと解放感のある会議室のような感じ。不思議なホテルだわ...と友人と話しながら周りを見ると、わたしたちの他には2、3組しかお客がいない。もっと早い時間には賑やかだったのかも。すぐ近くにはフランスかスイス人らしい夫婦と、まだほとんど赤ちゃんと言っていいブロンドの巻き毛の女の子。ときどき片言で何やら喋りかけて、スタッフの人たちにも愛嬌を振りまいている。少し離れた席には東洋人の男女3人。背広やドレスで商用かな?と思ったが、日本人ではないらしい。離れた奥の席に年齢もさまざまなイタリア人男女4、5人のグループがいる。
さて、わたしたちの席の給仕を担当してくれる人がウェイターと言うより普通のスーツ姿なのでふと見ると、...あら、さっきフロントで受付をしてくれた人?気がつけば他にもフロントでPCのキーを叩いていた女性などがやはりそのままの服装で立ち働いている。しかも奥のイタリア人グループはどうもこのホテルのスタッフか関係者らしく、給仕の人も時々混ざって乾杯したりしている。家族ではなさそうだが、少数のスタッフでそのときに応じて複数の仕事をしているようで、お客が少なくなったので手の空いた人からお食事タイム、ということだろうか。ちょっと貫禄のある年輩の男性はここのオーナーかも知れない。


テーブルに運ばれてきた前菜は野菜のラヴィオリ(パスタを伸ばして四角にカットしたものに野菜や肉を詰めてある)、クリームソース。これがまた、日本の場合なら「ラヴィオリ、特盛りでお願いします」とでも言えばこれくらい出てくるかと思うほどたっぷりの量。断わっておくがこれは「前菜」であってメインではない。全部食べてしまったら次が入らないのでは、と思いつつ気づけばお皿はきれいに空に。メインは肉料理だった(本当は魚のほうが軽いかと思ったが、肉料理に確か「パルマ風」とか書かれていて好奇心に負けた)がこれもしっかり片付けて、さすがにちょっと苦しいかも、とデザートは果物にしてもらった...が、給仕の人がにこにこして持ってきてくれたお皿(メインディッシュの皿と変わらない大きさ)にはごろごろカットされた何種類もの果物が美しくてんこ盛りに。チョコレートケーキを頼んだ友人のほうが賢かった...一方後ろの厨房では、丸いガラス窓を通して盛大に炎を上げて調理しているところなどが見えてなかなか楽しい。給仕の人が出入りするときに調理台のあたりが見えたが、お決まりのように恰幅がいい調理人のおじさんはどうやら赤ワインをちびちびやりながらお仕事の様子。彼も時々出てきて奥のスタッフたちのテーブルに混ざったりして、何だか呑気で楽しそう。しばらく本当に体が重くて動きたくない状態だったので、コーヒーを飲みながらわたしたちものんびりおしゃべりして、のんびり部屋に戻る。スタッフの人たちの席はまだまだ宴たけなわのようだった。
旅行中のわたしの楽しみの一つはテレビ。日本でも海外でも、宿に入るとすぐテレビをつける癖がある。普段はあまり見ないので変と言えば変かも知れないが、言葉が分からなくてもその国や地方の番組を見るのが楽しい。特にCMの作り方や撮り方はそれぞれ特徴があって面白い。というわけで寝る前に部屋でテレビをつけると、何やらコンサートのようなものをやっている。司会はイタリア人だが英語を話しているので何のコンサートだろう?と見ていたら、数人のイタリアや他のヨーロッパの歌手が歌った後にルチアノ・パヴァロッティが出てきた。そう、彼が主催するチャリティコンサート、"Pavarotti and Friends"を生中継していたらしい。演奏の合間に何度も寄付を呼び掛けている。やがて大詰めになってきたらしく再び御大が登場したが、何と一緒にトム・ジョーンズ(ウェールズ出身の超ベテラン歌手)が出てくるではないか。二人は実に楽しそうにトムの持ち歌を大熱唱。思ったよりいい感じ。でも「○○大決戦」とかいう構図を思い浮かべてしまった...続いて出てきたのは、これまた何と英国ロックの大御所ディープ・パープル。こ、これはいくらなんでも...一体何を歌うんだ、と見ているとまさかというかやっぱりというか"Smoke on the Water"。うわああ。とりあえずパヴァロッティと交互に歌うのだが、面白かったのが彼はやはりオペラ風の歌い方になるのは当然でも、ディープ・パープル側がそれに引きずられるようにいつもとは微妙に違う歌い方をしていること。それともわざとだろうか。ともあれコンサートは大盛り上がり状態で盛大に幕を閉じた。これはかなり大規模な催しだったらしく、後でニュースでも放送されていた。「期待していたよりずっとうまくいった」とご機嫌でインタビューに答えるトム・ジョーンズなども。

parma(2k)



翌朝、少しのんびりめに起きて朝食を取りに階下に降りる。前日あれほど食べたにもかかわらず朝になるとすっきりお腹が空いているのだから不思議。もともと外に面した部分が全面ガラス張りになっている食堂はテラスの戸を開け放ってあって気持ちがよく、せっかく天気もいいので外のテーブルを選ぶ。他の宿泊客たちも室内よりテラスのほうに多く座っていて、陽の光の下の朝食を楽しんでいる。朝食はいわゆるバイキング形式で、自分で好きなものを好きなだけ取ってテーブルに持ってくるようになっている。まず数種類のジュース、紅茶やコーヒー、コーンフレークやらオートミールやら様々なシリアル類、ここまでなら英国などのホテルやB&Bとそう変わらないが、パン類の種類がかなり多い。クロワッサンがやたらと多いのでよく見ると、それぞれのケース(乾燥しないよう蓋付きの棚のようなものに入れてあったと思う)で中身が違うらしい。そう、最初の日に珍しいと思ったジャム入りのクロワッサンは、イタリアの朝食ではごく当たり前のものだったのだ。本場フランスの人や慣れない人には不評なのか何も入っていないものあったので、わたしはそれを一つと桃か何かのジャム入りのを一つ選んだ。甘くない種類のパンも何種類かあって、友人はそれを取ってきた。パンにつけて食べるということか、柔らかいチーズも何種類かある。氷の入ったボウルには様々な種類のヨーグルト。桃好きのわたしは滞在中桃ヨーグルトをよく食べたので、おかげで桃はイタリア語でpescaというのを覚えた。あまり実用性ないかも。
朝からまたたんと食べてお腹を満足させ、ぼんやり日光浴していると、給仕の人がやってきて「コーヒーはいかがですか」と言う。もともとあまりコーヒーを飲まない友人は断わったが、コーヒー大好きのわたしはわーい、とばかりに"Un caffe, per favore.(コーヒー下さい)"。すると出てきたのはエスプレッソ。そういえば昨夜の夕食の時もそうだったが、なるほどイタリアではコーヒーと言えばエスプレッソを指すらしい。わたしたちが普段思い浮かべる「コーヒー」が欲しい場合はcaffe Americano(American coffeeで通じると思うが)とかなんとか言わねばならないらしい。しかしわたし自身はエスプレッソ大歓迎、なので朝からおいしいコーヒーで幸せ。
パルマの小路 (8k)

通りと直角にこういう小路?がいくつも。
天井には古いものらしい絵が描いてある。
立札は「バイク、自転車、犬通り抜け禁止」。


(16k)
ここは門が閉じていたが、奥には
いい感じの庭園が。
さて、パルマと言えば先にも触れたようにハムが名物の一つ。今日はそのパルマハムの工場見学に行くことになっていたが、特に時間の指定はないようだったので、午前中は市内をちょっと歩いてみようということになった。ここはベルガモとは違って平地で、規模的にも大きな街のようだ。特に行き先も定めずにホテルを出て、ぶらぶらと歩道を歩き出した。幾分空が霞んでいる感じとはいえ今日もいい天気で、気温もすでに上がり始めている。街路樹の日陰を選んで歩いて、車を避けて店などが立ち並ぶ通りに入る。ヨーロッパの街は大抵そうだが、イタリアでも日本のように一軒ずつそれぞれに建っているのではなく、同じ並びには高さもサイズも揃った三階建てくらいの建物が続いている。詳しくは知らないが国か自治体の決まりで、新しい建物を建てるときも全体の調和を損なわないよう昔風の外観にしなければならないらしい。一階に様々な店が入っているが看板やネオンなどが通りにはみ出すということもないので、すっきり落ち着いた印象がある。その代わりそれぞれの建物はレモンイエローに緑とかサーモンピンクに白とか壁や窓枠が思い思いの色に塗られていて、階上が住居らしいところは窓に花も飾られていたりしていかにもイタリアらしい。建物自体かなり古そうなところは古いままの窓をそのままショウ・ウィンドウにしていたり、大きなノッカー付きの重そうな木の扉を残してあったりするので、歩きながら色々眺めるだけでも面白い。強い夏の日射しにとりどりの家壁や鮮やかな花々、古めかしい木の扉の色などが不思議に調和している。

石造りで正面にはいくつもの店が軒を列ねた造りになっているところは、店同士の間に奥まで突き抜ける通路のようなものがあちこちにあって、入ってみるとその通路沿いにさらに奥にも店があるときもあれば、通路を抜けるといきなり裏庭になっていて、普通の住居らしい建物の窓に洗濯物が干してあることもある。たまたま通りかかったこういう建物の一つで、通路のところに何か看板が出ていたので見てみるとどうやら「ヴェルディ博物館」。オペラで有名な作曲家ジュゼッペ・ヴェルディがこのあたりの出身らしく、その功績を称えた博物館のようだ。面白いので入ってみると中は結構広く、かなりの数の展示品があるのだが、これがヴェルディ本人にまつわるものというよりはオペラのポスター、当時発売になったヴェルディのキャラクター・カード(?)、何かのおまけのようなバッジ、「漫画ヴェルディ物語」に地元の子供か何かが描いたと思しき絵まで、とにかくヴェルディと名のつくものを一同に集めた地元密着型博物館といった趣。これはこれでなかなか面白いので結構写真も撮ったのだが、最後の方の部屋に(初めて)いた係員の人に「写真はダメよ」と言われたので(今さら...)、残念ながら掲載できません。
ゆうべゆっくり休んだのでまた色々見て歩く元気一杯、ということで、今日はお昼も通りかかったお店で何か買うことに。ショウ・ウィンドウにはケーキやお菓子が並んでいるが、中にはピザも何種類か並んでいる。丸型ではなくて、大きな四角に焼いたものをひとり分ずつ切って紙袋に包んで渡してくれるのだ。奥で焼いているのでまだ温かいが、頼めば温め直しもしてくれるらしい。まだちょっと慣れないリラを何とか払って店を出る。ここで食べたピザはクリスピータイプではなくてディープ・パンと呼ばれる厚みのあるものだったような記憶がある。長方形に切ってもらったピザは17X12cmくらいの大きさはあるので結構お腹にたまるし、チーズもトッピングもたっぷり載っていておいしい。

そろそろハム工場の見学に向かうことにして、わたしたちは車で出発した。が途中にもいくつかお城などがあるらしく、街から離れて緩やかな緑の丘を両側に見ながら走っているとちょっと寄り道もしてみたくなるので、そのうちの一つトレッキアラ城に立ち寄ることにした。平日の昼間と言うのもあってか普段から訪れる人が少ないのか、見学者はほとんどわたしたちだけ。15世紀半ばに建てられたという城の外観は英国やドイツなどのものがどっしりと重々しいのに比べて、石の色合いなどもあるだろうが明るくて空間が広くとられているような感じ。結構厳しい歴史を経験した城のようで、一度相当荒廃したのを最近になって残っていた部分と資料を元に復元したらしい。内装も代々の持ち主が次々と替わり、財政難で家具などを売り払ったりしたせいで中はほぼがらんどう。それでも壁に描かれた壁画などもできるだけ復元してあって面白い。上の方からはのどかな郊外の風景が見渡せて、なかなかいい気分。
torrechiara (7k)
パルマの南14km付近にあるトレッキアラ城...入口。
絵葉書を買ったので全体の写真を撮り忘れ。
cappella colleoni (6k)
城から見渡した緑のエミリア・ロマーニャ。



こんな具合にドライブを楽しみつつ、のんびりとハム工場へ向かう。が、いよいよ近くに来たらしいというのに目印も何も一向に見当たらない。おかしいおかしいといいながら進んでいくと、次の街に入ってしまう。引き返してもう一度探す。何度か行ったり来たりして、ようやく道端に出ている小さい看板の絵が旅行社からもらったパンフレットだかバウチャーだかのものと一致しているのを見つけて横道に入っていくと、どう見ても壁をピンクに塗った普通の家。そこに居合わせた男性にとにかくバウチャーを見せると、うんうんとか言いながら誰かを呼んでくれた。どうやら家の後ろに工場があるらしい。にこにこして出てきたのは「ハム工場」にいるとはちょっと想像できない(ごめん)垢抜けた若い女性。出てくるなり「あら、遅かったのね」と言うので??と思っていると、「午前中に来ると思っていたのよ。もうひと組は来たんだけど。11時だったでしょ?」慌ててバウチャーを見直すと、...確かに11時。しまった...イタリア語だったのもあって二人とも見逃したらしい。すみません、見落としてましたというとそれには特に気を悪くしてはいないらしく、「でも朝だと焼き立てのパンがあったからハムを試食してもらえたんだけど、もうなくなっちゃったから工場の案内だけしかできないの。それでもよければ」と言うので、案内をしてもらうことに。どうやら彼女は外部からの見学者のガイド専門らしい。英語があまりうまくなくてごめんなさいね、と言いながらパルマハム作りの行程を案内してくれた。 parma ham1 (13k)
薫製室に並んだハムハムハム。
parma ham2 (7k)
見えますか、宝冠の焼き印?
at work (11k)
働くお兄さん。邪魔してごめんね。
工場の中は、当たり前だがとにかくハムだらけ。最初の塩を染ませる段階から出荷直前まで、温度や湿度の調節も慎重にされているらしい。市場に出されるものもどれも同じ期間置いたものだけではなく、いわゆる若いものからより熟成したものまであるらしいが、輸出されるものは少なくとも400日の熟成期間を経たものだそうだ。仕上がりも間近のハムになると、かなり匂いもきつい。それだけ味も熟成されているということだろう。ああ、午前中に来ていれば試食できたのだった。いやしくもProciutto di Parma、パルマハムと呼ばれるものはここエミリオ・ロマーニャのパルマで豚の飼育段階から厳しく監視され承認されたものだけだそうで、基準に合格したものにはPARMAと書かれた5つの先端を持つパルマ公爵の宝冠の焼き印が押される。日本に輸入されるものもこの宝冠マークを探せば、品質は間違いないとのこと。室(というのだろうか)を抜けると、台所のようなところで既に熟成を終えたハムを検査している男性がいた。チーズのように何か細い棒を数カ所にぷすぷす突き刺しては匂いを確かめているのだが、とにかく速い。これも職人技なのだろうか。 試食ができなかったのはちょっと残念ではあったが、ガイドさんに色々資料をもらったりウェブサイトを教えてもらったりして、わたしたちは工場を後にした。








1.8.2002






次回はパルマを離れ、山あいの町ヴァレゼ・リグレに入ります。景色も食べ物も人々も素敵な場所です。どうぞお楽しみに。

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