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これまではほとんど一人でイングランドやスコットランド、ウェールズ、アイルランドなどを回ってきましたが、ふとしたことからドイツ人の友人と車でイタリアを回ろう、という計画が持ち上がりました。今回から数回に分けて、2001年5月末から6月初めまでのこの10日間ほどの二人旅を思い出すまま綴ってみたいと思います。





北イタリア二人旅・その1 ベルガモ - パルマ (Bergamo - Parma, North Italy)


彼の国は学生時代の大所帯ヨーロッパ研修旅行(20日間6ヶ国)でローマとミラノ、フィレンツェを嵐のように回ったきりだったのでいつかもっとゆっくり訪ねたいと思っていたのだが、今回は友人がドイツの旅行社でホテルとそれぞれの土地での幾つかのイベントのチケットがセットになった個人ツアーを予約してくれ、車も自分のものを持ってきてくれることになった。各地の風光明美なところや面白そうな場所を簡単に紹介しているパンフレット、というか何枚かのモノクロコピーがあるとはいえ、どこを訪ねるかは全くわたしたち次第。危うく飛行機に乗り遅れそうになりながらも(本当に危なかった...)初めての車での旅行にわくわくしつつ、まずは雨の成田空港を飛び立った。ヴァージン・アトランティックの皆さん、お世話になりました。もう二度と遅れません。努力します。
イタリアのあと一人で英国とアイルランドを回る予定だったこともあって、行きもロンドン・ヒースロー経由の便だった(格安航空券の「ロンドン+ヨーロッパ○都市」というタイプ)ため、一度ここで降りてヴァージン・アトランティック機からブリティッシュ・ミッドランド機に乗り換え。乗り換え時間の間に成田で時間がなくて諦めた旅行保険にここで入れないものか、とあちこちで聞きまくって空港中の案内所や保険会社のカウンター、果ては薬屋さん(保険も扱っているのを初めて知った)まで巡ったが、あいにくというか当然というか英国外居住者のための保険を扱っているところはなく、これまで海外でトラブルにあったことのない自分の強運を固く信じることにして搭乗ゲートに戻る。ところがここで何かトラブルがあったらしく、機体点検か何かの間わたしたち乗客は待ち合い室でじっと待つことに。ミラノの空港に迎えに来てくれることになっている友人に電話したほうがいいかな?と思ったが、待ち合い室の電話はなぜかわたしのクレジットカードを受け付けてくれないため、仕方なく腹を決めて、近くに座って携帯電話などかけているビジネスマンらしいおじさんをこっそりスケッチなどしながら時間を過ごす。幸い初めは2時間位などと伝えられていた遅れは、どういうわけか40分ほどに縮まって飛行機は無事離陸。

2時間ほどの飛行の後、ミラノ郊外のマルペンサ空港に到着。日本出発からばたばたごたごたしたため、もしやここでも友人が迎えに来ていなかったりして、などとちょっと(ほんのちょっと)心配したが、ロビーに出るとすぐに友人の姿を見つけて一安心。普段頻繁に、特に出発前は毎日のように電子メイルをやり取りしていたとはいえ、実際会うのは前年の秋に彼女が仕事で日本に来たとき以来。何となく不思議な感じがする。早速駐車場に、と歩き出したところロビーの真ん中にでんと飾られている巨大なサッカーボールに遭遇。ちょうどヨーロッパ選手権?か何かが開催中だったこともあるかも知れないが、さすがイタリア、と妙に納得。暗くなりはじめている(ヨーロッパは夏時間なので、この時期でも夜9時過ぎくらいまではまだ明るい)駐車場に出た途端、どこからともなく音楽と朗々とした歌声が...と思うと、シャトルバスの運転手さんがバスをせっせと磨きつつ、ラジオから流れる音楽に合わせて「帰れソレントへ」など歌っているのだった。ああイタリアに来たんだなあ、としみじみ。「ツアー」は翌日からなので、今宵の宿は友人が別個に予約しておいてくれたミラノ郊外ベルガモのホテル。彼女は既に前日から入っていて、昼間は北部の湖のあるほうまで足を伸ばしたらしい。今夜がちょうどミラノ・チームの試合だったため、ホテルのあるあたりは前夜はファンが遅くまでうるさかったそうだが、今夜はそんなこともなく静か。荷物と友人が車に積んできてくれた食料などを運び込み、成田出発時に既に汗だくだったのでとりわけ嬉しかったシャワーを浴びて、テレビで終わったばかりのミラノ対ドイツ(どこのチームだったか忘れた)チームの試合の結果など見つつ床につく。試合は友人も驚いたことにドイツ・チームの勝利。だからミラノ市民も静まりかえっていたのかも。
ベルガモのホテル (14k)
一泊目のホテルで、翌朝窓から中庭を
見下ろして撮った写真。だいぶ古い建物
らしくあちこち修理中だった。



ベルガモの鐘 (13k)
こんな鐘が街中にいくつもある。
 (15k)
色使いがいかにもイタリア。

翌朝、部屋の窓のすぐ向こうに見える塔を皮切りに街のあちこちで競うように鳴り響く鐘の音で目が覚めた。ああそうか、イタリアに来たんだったと思い出しならがもそもそ起き、二人でもそもそ朝ごはんを食べる。友人がイタリアに入ってから買っておいてくれたクロワッサンと果物だが、クロワッサンはなぜかアンズか何かのジャム入り。面白いねーと言いつつ身支度を整え、今日から宿泊予定のパルマのホテルには午後チェックインすればいいので、午前中はベルガモの街を散策することにした。前夜空港に着いたときも24度くらいでちょっと湿度が高かったが、この日も朝から天気がよく、気温も上がりそうだった。


ホテルに車を置いて街に出ると、ゆうべは暗くてよく分からなかったがこの街はかなり起伏に富んでいる、というか丘の地形に沿って街ができているのが判明した。ホテルのあたりはバッサ(Citta Bassa)と呼ばれるいわば麓附近なので、当然上まで上って行こうということになる。少し行くとケーブルカーの乗り場があったが、二人とも歩くのは苦にならない方なので、せっかくだし歩いてみようということに。
商店が立ち並ぶあたりは坂がかなり急で、オートバイなどは古い石畳の道をまるで転がるように下りてくるのでちょっと怖い。どうやら細い路地が多い街ではこの方が小回りがきいて便利なのか、Tシャツにショートパンツの若者からスーツ姿のビジネスマンまで、至る所でオートバイ(いわゆるお買い物バイクのようなタイプ)がちょろちょろ走り回っている。このあたりは比較的裕福な人たちが多いらしく、通りかかる家々も大きくて外観や庭も凝ったものが多い。五月末なので庭や壁も色とりどりの花が咲き乱れて、周りの木々の濃い緑に映えてとてもきれい。太陽が高くなるにつれ気温もどんどん上がってきて、せいぜい春の終わり程度の服装のわたしたちはかなり暑くなってくる。両側を高い石塀に挟まれた石畳の階段は木や蔦で日陰が作られていて、涼しくて気持ちがいい。
丘を上る階段 (16k)


アルタの注意書き (13k)
アルタの見晴らし塔(?)にあった注意書き。
「サッカー禁止」というところがイタリアかも。
丘を上り切ると、アルタ(Citta Alta)と呼ばれる旧市街に出る。バッサが19世紀に整備された新市街なのに対してここは中世からルネサンス期にかけて栄えた地域だそうで、観光の見所はほとんどここに集中しているようだ。平日であまり人通りのなかったバッサに比べて、ここはさすがに観光客やどこかの小学校の郊外学習か何からしい子供達などでにぎやか。リュックサックを背負ってはしゃぐ子供たちを一生懸命集めて列に戻す先生たちは、どこでも同じらしい。携帯電話を持っている子供がいたのにちょっとびっくり。広場に向かう途中の角を曲がったレストランの前で急に友人が「うわ〜」と顔を臥せるので何かと見ると、テラス席に陣取っているひときわ派手なおじさんグループが目に入る。どうやら前日のミラノ - ドイツ戦の応援に来たドイツ側のサポーターで、いまだチームのシャツを着たり顔にペイントしたりのままで祝杯を上げているらしい。もともとドイツやスイス、フランスからも近い北イタリアは普段でもドイツ人観光客は多いようだが、この日はこの後も何度か明らかにサッカー関係の陽気なグループをちらほら見かけて、その度に友人は恥ずかしいよーと顔をそむけていた。わたしも海外で「ちょっと何か違う」同国人を見ると思わず同じ仲間だと思われませんようにと願ってしまうが、どこでも同じらしい。
広場は噴水や展望台、それに凝った外観が美しいコッレオーニ礼拝堂などの歴史的な建物に囲まれている。礼拝堂はミサか何かの最中だったため外から眺めるだけにして、ちょうど時間もいい頃なのでお昼にすることに。いくつか見て回って、半屋外?のようになっている広いレストランに入った。せっかくパルマの近くにいるのだしオードヴルでも取ろうか、ということで、ハムの盛り合わせとそれぞれピザを頼む。待っている間に、すでにテーブルのグラスに入って出してある袋入りの太いプレッツェルのようなもの(グリッシーニ、だったと思う)を開けてぽりぽり。バジルやローズマリーなどそれぞれ風味が違って面白い。と、調子に乗ってぽりぽりやっているところにオードヴル到着。大きなお皿に、4、5種類のプロシュート(prociuto、日本で言う生ハム)がたんと載っかっている。日本で頼んだらこれだけでお昼の予算終わりになっちゃう、とか話しながら口に運ぶと、さすがにおいしい。種類に詳しくないのでどれが何やらよく分からないが、サラミのようなのもとろんとした舌触りで風味もいい。頼んでよかったね、でもこれだけで結構お腹が落ちついちゃうかも、などと言っているところにピザ到着。...大きい。生地は日本で言うところのクリスピータイプ(イタリアはピザ生地はこれが普通)だが、とにかくサイズが大きい。二人とも空腹のあまりここがイタリアだと言うことを忘れかけていたらしいことにここで気づくが、まだまだお腹は空いているし何と言ってもおいしい。そんなに色々入っているわけではないのになぜこんなにおいしいのだろう。日本でもイタリア料理店はどんどん増えているし、多分本国にも負けないくらいのところも沢山できてきていると思うのだが。日本の「おいしいお店」ほど値段も態度も気取らないのと、笑顔の効果も大きいかも...などと思ったりもする。もともと友人たちには「底なし」と言われているわたし、結局途中で挫折した友人のピザの残りも平らげる。初日からこれでこの先どうなるのか(色々な意味で)ちょっと不安。でもおいしかった...
 restaurant(14k)
すみません、何やら猫のしっぽのような物体が真ん中に...



お腹も一杯になったので、そろそろ次の宿のあるパルマへ向かおうか、ということでまたあちこち覗きつつ宿に戻る。チェックアウトしていると夕べは会わなかった宿のご主人らしい初老の男性が出てきたので、唯一分かる「ありがとう」だけイタリア語で言うと「いやいやいいんだよ、また来なさい」とか(多分)言いながら親しげに肩を抱かれて送り出される。言葉が通じないとき(場合にもよるが)笑顔ほど便利なものはない。
すでに運び出した荷物を中庭の駐車場に停めてある車のトランクに入れ、友人が出発の準備を整えるのを待ちながら高い足場の上で音楽を聴き、というか思いきり鳴り響かせつつつつ建物の修理をしている男性を何となく眺める。と、こちらに気づいてにこにこして手を振るのでそれを返していると、友人に「また仲良くなってる」と冷やかされる。車に乗り込み出発させてふと振り返ると、また彼が手を振っていた。さて、これから一路パルマへ。車の運転もしないわたしが地図を片手にナビゲーターを務めねばならない。しかも手元の地図はイタリア語かドイツ語しかない。...先行き不安。


cappella colleoni (13k)
アルタのコッレオーニ礼拝堂。
cappella colleoni (10k)
礼拝堂近景。








27.6.2002






イタリアでは初めて車を運転する友人とどこを走っているやらよく分からぬまま助手を務めるわたしの10日間あまりの北イタリアの旅、次回はハムで有名なパルマに入ります。のんびり更新ですがおつき合いいただければ嬉しいです。

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