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今回はツアー最後の訪問先、ちょっとリッチな雰囲気の保養地ポルトフィノです。


北イタリア二人旅・その6 ポルトフィノ (Portofino, Liguria, North Italy)

友人に予約してもらった一週間の個人ツアーも最終日の今日、わたしたちはポルトフィノという保養地に行くことになっていた。例の豪華な朝食にまたもお大喜びしつつ(当然昨日とは違うパンやケーキを選んでくる)準備を整えて一路目的地へ。が、やはりそう遠くはないのでまた面白そうなところに立ち寄りつつのんびり行くことにする。友人もわたしも葉書を出したかったので、途中の小さな村に車を停める。走って来た道自体が山道と呼んでいいようなところが多いので、低い場所にあるこの村はまるですり鉢の底のよう。車で下って行くと村の入口にずらりと車が停めてある。小さい村の割にやたらと車が多い。よく見るとそれぞれのスペースに「住人専用」と注意書きがあるではないか。外部訪問者用は?と探してもそれらしい駐車スペースは見当たらない。...ここの住人達は皆家の周辺ではなく村の入口に自家用車やオートバイを停める習慣なのだろうか。というか平日の午前中なら普通皆車で仕事に出かけてもっと台数は減っているはずでは?この村は村内だけで住人全員の就職が賄えるのか?などと疑問は尽きないが、考えても駐車スペースが増える訳ではない。この頃には駐車場問題にもそろそろイタリア的対応に慣れてきたわたしたち、結局その辺に適当に停めることにする。

車が多い割には、村内はなぜかと言うかやはりと言うか閑散とした様子。小さいがきれいな郵便局を見つけて、まだ書き終えていなかった葉書を外のベンチで仕上げてから窓口に出しに行く。二人とも何かと言うと葉書葉書と呟いていたので、ここでようやくまとめて出せて一安心...しかしイタリアを離れた後英国とアイルランドを回るわたしはともかく、後2,3日でドイツに戻る友人は「わたしはいま○○にいます」とかいう絵葉書が相手に届く頃には既に本人と会っているのでは。広場の向こうを「東京」と書かれたTシャツを着てうろうろするおじさんなどを遠目に眺めつつ(「あまり近付かない方がいいかも」ということで意見が一致した)しばらく付近を散策して、車が心配なので早めに戻る。

ポルトフィノへはサンタ・マルゲリータ(Santa Margherita)というところからフェリーに乗るのだが、出港時間まで結構まだ余裕があったので、ちょっと海の近くまで歩いてみようと言うことでもう一ケ所ちらっと立ち寄る。ここは有料の(がら空きの)駐車場があったが、無人の駐車券販売機の扱い方がこれまた分からない。それぞれの駐車スペースのところに立っている棒(?)のようなものから出ている券を取って中央にある販売機に入れるか何かするらしいのだが、本当にそれでいいのか?おつりなんかは帰ってくるのか??と迷っている間に、後から来て駐車した人などは停めただけでさっさと去っていく。...さすがにそこまでイタリア人になれないわたしたちは、正直に券を買って(とりあえず器械はちゃんと動いた)その場を離れる。

ここは別に村と言う訳でもなく単に「海辺」という感じ。今日は少し薄曇りなので人が少ないが、晴天の日は結構賑わっているのかも知れない。岩がちょっと面白い形をしていて、海側に傾斜している岩陰の間に収まって本を読んだり絵を描いたり昼寝をしたり(まだ午前中だが)している人達がちらほら。その前の道を行き止まりまでぶらぶら歩きつつ海の空気をたっぷり吸って、また駐車場まで戻る。


計画的なのかたまたまこうなったのか、どちらにしてもお見事。
寄り道しつつサンタ・マルゲリータの街に着いて車を停めると、丁度フェリーの出港にいい頃。街は結構大きいようだがフェリーの発着するところは港というより船着き場という感じで、建物があるわけでもなくごくあっさりしている。乗船の時も桟橋の手前でチケットをちらっと確認するだけ。船もフェリーよりはボートと呼んだ方が近く、乗客は皆船の真ん中の大きな船室(?)に入る他に行くところがない。いわゆる渡し船のちょっと大きいようなものである。乗務員も船室の一番前にいるいかにも若い感じの青年とその先輩っぽいやはり若い女性の他は、多分操縦士とあと一人くらいしかいなさそうな雰囲気。一応緊急事態のための説明などはするが、全体的に呑気な感じである。ポルトフィノは島などではなく、単に地形的にちょっと外からは隠れたようになっているだけの陸続きの土地で、陸から山や谷を越えて行くよりは海の方が速いと言うことらしい。船に乗って15分ほどでポルトフィノの小さな港に到着。

山を回り込むようにして入って行く港は小さいが、到着した途端上の写真のような偉く豪華な船が視界に入る。写真ではそれほど大きく見えないかも知れないが、近くに立っている人と比較すると分かるようにかなりの大きさ、そして贅沢さである。余りに立派なのでこの辺りをクルーズする豪華客船かなと思ったり、友人もどこかで予約して乗るのかななどと言っていたが、あとで聞いた話によるとどうやらこれら(この規模の船が一艘ではなく幾つか停泊している)は個人の持ち船らしい。港を囲む商店街を歩いても、これまで訪れた町とはどこか雰囲気が違って土産物や小物、アートショップに混じって一流ブランドの店鋪が目に付く。陸からも海からも隠れたようなこの土地を誰が最初に見つけたのかははっきりしていないらしいが、外界から隔絶された地形と豊かな自然のためかなり早い時期から国内の貴族や有力聖職者たちの会合や保養のための地として利用されていたらしく、元は小さな漁村だったのが自然の美しさを残したまま、「隠れた贅沢」の土地として珍重されてきたそうだ。当時のイタリアの富裕階級、特に聖職者と言えば半端ではない規模の富と権力を謳歌した階級である。同じ頃に栄えたジェノヴァからも船なら近いポルトフィノには国内でも選り抜きの大富豪や貴族、聖職者とその賓客達が集い、恐らく秘密の話し合いや取り引きも行われ、とんでもない額のリラが動いたり...したのかも知れない。それを考えると現代の豪華クルーザーくらい大したことない?

まずちょっと辺りを見回してみると、行き交う人々も今までと少し違う。明らかに外国からの保養客が圧倒的に多く、フランス語やらドイツ語やら一体どこの言語だか見当も付かない言葉が飛び交う中で、特に英国人と米国人の割合が高いようだ。それも雰囲気から察して結構裕福そうな人が目につく。これまで近隣の欧州諸国からの観光客に混じって英国人はちらほら見たが、米国人は恐らく初めてではなかろうか。友人もわたしも全く何の予備知識もなく各地を回っていたためどこがどう有名なのかさえ知らなかったが、どうやらかつての貴族の「隠れた愉しみ」の地は遠くの大陸のドル富豪階級の間にも名を轟かせているらしい。

一方これまでの海岸沿いの村々に勝るとも劣らないたたずまいのこの土地はやはり芸術家達も見逃さないらしく、あちこちに画架を立ててスケッチしている人や洒落た雰囲気の店も多い。ここの主な収入が観光なのは間違いないだろうがもちろん観光関係の商売の人の他にも地元の人達はたくさんいるわけで、港の周囲や山の上の方にずらりと並んでいる縦に細い家々がこの土地の特徴らしい。ぐるりと見渡しただけでも(というか商店にしてもほとんどの家にしても見渡せる範囲にしかないのだが)楽しそうなのだが、帰りの船の時間もあるし(3,4時間は余裕があったと思う)まずは元気なうちに少しばかり足を使って、麓の散策は後に回そうということで意見が一致する。

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先にも書いたようにこの時点では二人とも何の予備知識もないため、ここでは何が有名なのか何を見るべきかさえも分からない状態だが、せっかく起伏に富んだ地形だし、ということで取り敢えず上方に見えるやたらと目立つ建物に向かって登ってみることにする。写真からも分かるように南国気分満点、見晴しの良い高台の一等地!という雰囲気なのでもしかして誰かの別荘かも、とも思ったが、どうやら教会らしい。

登って行ってみると教会の周りには結構人がいる。入口に近付くとなぜか扉ではなくカーテンのような布が二重くらいになっている。平日なので中は人もまばらだが、こんな小規模な土地の割には天井も高くかなり立派。今はやはり観光の収入が多いのでそのせいもあるかとは思うし、教会自体どれくらい古いかも分からないが、高位聖職者たちが頻繁に訪れた土地なら教会もそれなりのものにしておく必要があっただろう。英国などだと教会は古めかしいのに点してある蝋燭が電気だったりして(安全重視なのは分かるが...)興醒めしてしまうこともあるのだが、イタリアでは大抵本物の蝋燭が立ててあった記憶がある。教会の静かな空間でしばし一息ついて、再び外界へ。

今度はもう少し登って、さらに上に見えるお城らしい建物まで行ってみることにする。ここは帰ってきてからポルトフィノのウェブサイトなどで見ても写真はあってもどうもあまり説明されていないので、特に重要な城ではなくそれこそここを訪れる貴族の別荘か何かだったのかも知れない。

城へ続く道は細いが綺麗に整備された石畳で、緑も多く歩いていても(結構傾斜もあるのだが)気持ちがいい。到着した城自体も緑に囲まれた感じ。入口に女性が立っていて入場(入城?)料を渡す。後から思い返してみると、この女性を除いては城の中でも周辺でも係員らしき人を見た憶えがないのだが、もしかして一人しかいないのだろうか...中はかなり修理が入っているらしいのと当時の家具などはほぼ取り払われているのとでがらんとした感じだが、やはりもともとは結構古いものらしい。英国だとこういう地方の城などでもできるだけ当時のままに再現する努力を払うものだが、イタリアの場合壊れているところを修繕はしても「今のそのままの状態」を見せているところが多いのがかえって面白い。英国では民間の財団などが文化財保存に努力していることもあると思うが、これもある意味で国民性の違いかも知れない。

途中で遭遇した中年の男女のグループの話声を聞いて友人が小声で「ぎゃー」というので何かと思えば、彼らのドイツ語は南部のかなり強い訛りがあるらしい。彼女は元々南部のフランクフルト近郊の出身なのでよく分かるらしく、おじさんたちが何かぼそぼそ言う度に「うわーすごいすごい」(日本語で言っているのでおじさんたちには分からない...はず)と小さくなる友人。わたしで言えば遠い異国の地で福島弁訛りの団体さんに遭ってしまって何となく決まりが悪い、というようなものなのだろうか。国同士が陸続きなのでドイツ人に会う確率は当然高いとは言え、サッカーファンやら南部人やら色々忙しい友人ではある。

城に続く道。

城の入口。

それにしても、どうも行く先々に米国人が多い。これまで見かけなかっただけに余計に目に(耳に)つくのもあるとは思うが、バルコニーに出ても修理中で立ち入り禁止の部屋を覗いてもお手洗いに行っても米国人である。別にわたしが西洋人の顔を見ただけで国を言い当てられる特技を持っているわけではなく、本人達が必ずと言っていいほど何らかの方法で国籍を主張するのだ。大抵は母親が先に行った子供に向かって他人の頭越しに何か叫ぶとか今見ているものとは全く関係ないことをいきなり話し出すとかして驚かされるのだが、明らかにかなり古いと思われる木製の長持の上に腰掛けていたりしてぎょっとさせられたりもする(お手洗いの前に置かれていたものなので座ってもいい、という論理なのだろうか)。 城から出て庭園に入ろうとすると、さっきの入口のお姉さんが誰かと何やら揉めている。後ろを通りながら聞くともなく会話を聞くと、これまた米国人の女性が城に入る入らないで押し問答をしているらしい。どうやらこの女性は城の見学よりもお手洗いに行きたいのだ。城に入ればお手洗いはある。しかし入るには入場料を払わなければならない。問題は彼女が米ドルしか持っていないということである。係のお姉さんは頑なに「リラ以外は使えません」とつっぱねる。もっともな話である。しばらく食い下がった努力も空しく女性は仕方なく引き返して行った。友人と二人、同情はしてもこんなところまで来てなぜドルしかないのだろう...と顔を見合わせる。
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城のバルコニーから見たポルトフィノの港。

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イタリアの庭園と言うとトピアリー(植木を動物や幾何学形など色々な形に刈り込む造園法)や生け垣の迷路といった人工的なものが思い浮かぶが、比較的田舎の小規模な街を巡っていたせいもあってか今回の旅行で見た庭はそういうタイプではなく、ほとんど自然のままに生い茂った庭や植木ばかりだったような気がする。ここの庭園もかなり野趣に富んだ勢いのある庭で、緑も花々もまさに思い切り茂り夏を謳歌しているという感じである(そう頻繁に手入れをしないというのもあるかも知れないが)。左の階段を登った中庭のようなところにはかがり火というのだろうか、火を点して庭を照らすためのスタンド(?)が置かれていたり、確か目立たないように電球などもあった気がするのでもしかすると夜にも公開しているのかも知れない。その昔には着飾った貴族や僧がここで豪華な夏の食卓を囲んだり踊ったりしたのかも。

右の写真に写っているのは「いいわねぇ」「そうだねぇ」とか言いつつなかなか立ち去ってくれなかった英国人の中年カップルを一緒に撮ってしまったもの。英国の庭もバラやハーブなどの草花をある程度自由に茂らせて「咲き乱れる」感じにしたものが好まれるようなので、庭好きの人、特にイタリアに比べて雨が多く日照時間も少ない英国から来た人達には、この緑に圧倒されるような庭園は羨ましさもあってかなり魅力的なのかも知れない。
hotel staircase (8k)

麓に降りてきて、今度は港周辺の散策。まず土産物店などの店先を眺めてすぐ気付いたのが、商品の値段がリラと米ドルで表示してあること。なるほど、これだけ米国人が多いだけに店鋪でもドルが使えるようになっているのだ。するとさっき城で見た米国人女性も下では何の問題もなくドルが使えたので、当然城でも問題なしだと思ったのだろうか。しかしわたしたちにしてみればイタリアに来てからドルで価格表示されているのを見たのはほとんど初めて。少なくとも観光客ならここに来る手段はほぼ確実に船の筈なので、そうすると船のチケットもドルで買えるのかな?全部カードで切り抜ければ大丈夫なのかな?などと件の女性が「いかにして全くリラを持たないままここまで来たのか」を推測したりしつつ、お腹も空いてきたので近くでピザを買ってベンチで食べる。ここでも近辺に座っている人々の中に米国人が目立つ。こっちに座っている人があっちに立っている人にミネラルウォーターのボトルを回してくれの何のと賑やか。ミネラルウォーターはドルやカードでは買えない...だろうなあ。

またしばらくあちこちの土産物店や絵の店を冷やかして歩き回ってちょっと喉が乾いたかな、と思ったあたりで友人がタイミングよく「ジェラートはどう?」と言う。デザートもまだだったし、食べましょう食べましょう。イタリアのジェラートはかなりやわらかくて溶けやすい(そして量が多い)のであまりのんびり食べているとてろてろ流れてしまうのだが、甘ったるくなくて舌触りがいいので結構ぺろりと食べられてしまう。船着き場近くに座って寝そべる猫など眺めながらジェラートを食べる。至福の時。

右の写真は港の片隅にあった不思議な販売機。コインを入れて「袋」を買える仕組みである。何の袋かは絵を見れば一目瞭然(にやりと笑う犬が何とも素敵)。ペットにも優しい美しいポルトフィノ作りに協力しましょう。

存分に観光(とドライヴ)を堪能したその日の夜は、ホテルの近くで夕食を取ることにする。夜の街はまだまだ賑やかで人通りも多い。表通り沿いに外にテーブルを出しているレストランがあったので、行き交う人達を眺めながらここで食べることに。友人はピザ、わたしは迷った末結局またシーフードのスパゲティにする。普段わたしは大抵水を頼んでいたが、この時は友人がデカンタで頼んだワインもちょっとご相伴させてもらう。ちなみに日本ではレストランなどで席に座れば当たり前のように水が出てくるが、ヨーロッパではそうではない。水を下さい、と言えばミネラルウォーターが出てくるのが普通なので、当然その分の料金を取られる。国や地域によっては水道の水がそのまま飲むには適していない(衛生上の問題と言うより石灰分が多かったり硬質だったりという水質の問題。日本の水は軟質なので慣れない水をたくさん飲むと人によってはお腹具合がおかしくなったりする)ことも理由の一つのようだ。
マナーを守りましょう (8k)

特に大陸では水と言っても大抵二種類あって、一つはいわゆる普通の水、もう一つはガスが入っているもの。これはお酒を飲む人ならご存知かと思うが、つまり何の味も付いていない炭酸水である。日本の温泉水などにもあるように元々自然にガスが入っているものと、後から入れたものがあるらしい。あちらの人はこのガス入りのものを好むことが多いのもあって、うっかり確認せずにただ水を下さい、と言うとガス入りのが出てきて慣れない場合はびっくりすることもあるので、ガスなしのものが欲しい場合はイタリア語なら「acqua senza gas(アクア・センツァ・ガス)」と確認すれば大丈夫。ちなみに「ガス入りの水」はacqua gassata(アクア・ガッサータ)。時々ガス入りのものしか置いていない店もあって、ガスなしの場合は水道水になります(その場合は当然料金は取られない、はず)と言われたりするが、コップ一杯くらいなら硬質水を飲んでも大丈夫だと思う(個人差はあるかも...)。味はむしろおいしいような気もする。イタリアでは土地土地で地元産のミネラルウォーターが売られているらしく、行く先々で様々な名前やデザインのボトル(大抵はプラスティックではなくガラスのボトルだった)が出てきてなかなか面白かった。これもちなみに、水を飲み残したけど後で飲みたくなるかも、という場合は勿論持ち帰って構わない。
運ばれてきたピザとスパゲティ、量は相変わらずだがこの頃になると既に胃が慣れている。一応ピザが大きいねぇ(完全に皿が隠れている)、などと言いはするものの二人とも着々と目の前の料理を平らげる。しかしこの時は友人が意外に早く満腹になったらしく、「ピザいらない?」と聞いてくる。結局自分のスパゲティと友人のピザ1/3近くを片付けることになってしまった。ごちそうさま。またまたちなみに、例えばピザの残りを持って帰りたいというときはこれも包んでくれたりするようだ(少なくともロンドンのイタリアン・レストランではちゃんとお持ち帰り用包装があった)。せっかく作ったものを残されるより持ち帰ってくれた方が料理人も嬉しかろう、と思う。

夜になって風も涼しくなってきたので、お腹を落ち着かせるためにも店を出て近くを少し散歩する。賑やかな音楽が聞こえてくる方へ行ってみると、小さな広場のようになっているところにステージが設置され、何やらサーカスのようなパフォーマンスが行われている。どうやらこれも例のアンデルセン祭りの一環らしい。サーカス...というほどアクロバティックでもなく、かといって芸術的パフォーマンスにしてはとにかく演技者がほとんど天井の方にへばりついていて下に降りて来ないので、何を見せたいのか今一つよく分からない。色とりどりの照明などは当たるので練習しているわけではなく今が本番らしいのだが、しばらく見ていてもあまり状況が変わらないのでこれがアートなのであろうと勝手に納得することにしてその場を離れる。潮風が涼しくて気持ちがいい海沿いの道を、まだまだ元気に笑ったり喋ったりしている家族連れやカップルや若者達を眺めながらのんびり歩く。

さて、一週間の北イタリア個人ツアーは明日の朝で「お開き」になるのだが、実はまだちょっと続きがある。英国に語学留学していた時分に寮で一番親しかったイタリア人の友人がジェノヴァの近くに住んでいて、ちょこちょこ手紙やメイルで連絡はしていたのだが、今回の旅行先を北イタリアにしたこともあって留学時以来初めて会うことになったのだ。明日から数日間この友人が予約してくれた地元のホテルに移ってジェノヴァなどを見て回ることになっている。8年振りに会う友人がどんな感じになっているか楽しみ。この日の夜のうちに彼女に連絡し、とりあえず明日の夜に会うという約束をして床に着く。

2.12.2002


ポルトフィノのことをもっと知りたい!と思われた方は前回のチンクェ・テッレのサイトにポルトフィノの情報や写真も載っていますのでご覧になってみて下さい。左側メニューのTigullio and Portofinoをクリック。(イタリア語/英語)

次回は北イタリア編最終回、ジェノヴァの近くの街キアヴァリで友人と8年振りに再会です。


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