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友人は卒業論文作成のため大学に、両親はそれぞれ仕事があるので家をあけるというある日、わたしだけ家にいるのは勿体ないので、一人で電車に乗ってフランクフルトに行ってみることにしました。今回は過去と現在、伝統と最先端が同居する街フランクフルトと、昔ながらの面影を残したマールブルクの訪問が中心です。






ドイツ訪問記・後編〜フランクフルト・マールブルク(Frankfurt am Main/Marburg, Deutschland)


友人のお母さんが仕事に行く前に最寄りのギーセン(Giessen)駅まで車で送ってくれて、切符を買うまで見届けてくれた。ここからフランクフルトまでは乗り換えなしで40分ほどなので、乗ってしまえば後は終点まで何も心配はない。フランクフルトあたりなら何とか英語で通じるだろうということだったし、最低限必要になりそうなドイツ語(駅の「出口」とか「お手洗い」とか)は友人が紙に書いて渡してくれた。
車両は明るくきれいで、揺れも少なく快適。座席は真ん中にテーブルがついた広いボックス席で、先の車両にはコンパートメントもあった。日本だと3月下旬の春休みのシーズンでもここでは特に一斉に休みというわけではないので、平日の午前中の大都市行きの列車はさほど混んでもいなくて、乗客も急いだ様子もなくのんびりした雰囲気が漂っていた。多分車両に乗っていた中で日本人、というよりアジア人はわたし一人だったと思うが、英国に住んで7ヶ月余り、この頃にはすでに自分が外見的に周りとは違うことをいちいち意識することもほとんどなくなっていて、ドイツ語を話す乗客たちの中で近くの席に座っていた英国人らしい母子にまるで同郷人のような親近感を感じている自分に気づいたときは、何だか不思議な気分になった。
無事にフランクフルト駅に到着し、帰りの電車の時間を確かめた後いざ街へ。欧州では、必ずしも駅がある場所=街の中心地、とは限らない。むしろ大きな街でも駅はどちらかというと郊外にあることが多く、繁華街に行くには2、30分歩くことも珍しくない。フランクフルトもその例に漏れず、街の中心部までおそらく20分ほどは歩いたと思う。それでもさすがに大都市だけあって、きれいに整備された広い道路の両側には切れ目なく建物や店が立ち並んでいる。写真は駅から中心街へと伸びるカイザー大通り(Keiserstrasse)。と、聞いてドイツに行かれたことのある方のなかにはにやりとされた方もおいでかも。写真を見る限り整然とした、しかも「皇帝」の名を冠するいかにも堂々としたドイツらしい通りと思われるかも知れないが、実はこの通り、少なくともドイツ人に対して「今日カイザー通りに行ったよ」などと大きな声で言ったら変な目で見られても仕方がない。そう、東京なら歌舞伎町、と言えばお分かりだろうか。ここはドイツ有数の性風俗産業の集結地なのだった。わたしも友人に前もって教えられてはいたものの、実際に駅から真直ぐに伸びるその大通りを歩くまでこれほど立派な通りだとは思ってもいなかった。そう思って見てみると(いや思わなくてもそうかも)、確かに道のこちら側もあちら側も普通の店とは違ったやたら派手な色使いの看板や、夜になると明かりが入ると思われる電飾などが至る所に...来たのが昼間でよかった、と一人ほっとしたのだった。
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古い石造りの建物をそのまま残した通りの先に
近代的な高層ビルがそびえる光景が、ある意味
でドイツらしいと言えるかも。
で、その通りが実は...というところも...


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広場の中心から見た周囲の建物。こちら側は一階にカフェや
土産物屋が入った建物、その向い側には教会などがあった。
旅行者の無邪気さ(?)でドイツのすすき野をさっさと通り過ぎ、やがて街の中心地に到着。やはり多くの欧州の街の例に漏れず、ここも中心には大きな広場があって、その周りに教会や主要な建物、土産物屋などがある。さらにその先には近代的なビル街が見えたので、今ではそちらの方が実質的には中心になっていて、ここはいわば旧市街地ということになるのかも知れないが、車や人がどんどん行き来するビジネス街より川沿いの美術館や石造りの建物などを訪ねたほうが面白そうなので、その広場を中心に行動することにした。まだまだ寒い3月の末、川沿いに植えられて申し訳程度にちらほら花を咲かせている桜を観る人も少なく、広場に出されたテーブルや椅子もまだ積み上げられたままとはいえ、初めて訪れた旅人には何でも珍しい。広場の前の教会から出てきた式を済ませたばかりのカップルと友人たちを眺めたり、狭い路地に並ぶさまざまな店を見て回ったりするだけで楽しい。

ドイツにはいわゆる工芸品やハンドクラフトの店が特に多いようだ。その街特有の焼物やレースなどの店や、凝った手作りのろうそくや個性的なアクセサリー、さまざまな手作り品のための材料や部品などを売っている店など。特にこの手作り素材を扱っている店は、単体でもオブジェとして飾っておけそうなものから一体何なのかよく分らないけれどなんだかきれい、かわいい、面白いものが所狭しと並べてあって、まるでびっくり箱のようでいつまでいても飽きない。こういう店に弱いわたしはついつい道草をして、何の役に立つでもない奇妙なものを買ってしまったりするのだが、こういうものほど訪れてから何年も経った今でも、それを見るだけで店や街の様子とか、その空気まで鮮やかに思い出すことができるのがまた楽しい。というわけでいくつかの店を回って英国の友人と自分のためのちょっとしたクラフト品、それにあまりポスターになっているのは見たことがなかったミュシャの絵を一枚購入。このあたりでお昼になったので、広場の中心のベンチに座って友人が作ってくれたお弁当を広げてひと休み。鳩にもおすそ分け。


お腹も落ちついたところで、午後は河の向こう岸の美術館を訪問することにした。フランクフルトはライン河の支流マイン河沿いにあるのだが、橋を渡った対岸には美術館や博物館がずらりと軒を連ねているので、複数の博物館を訪れるときにも地図を見ながらあちこち探し歩くこともなくて極めて便利。半日ではそう欲張って観ても疲れてしまうので、美術館一つと博物館を一つ回ることにする。美術館では荷物を預かってくれたので、かなりの数に登る絵画をゆっくり観て回ることができた。地元作家のドイツ国内や人々を描いたものに混じって、なぜか英国の小説家ブロンテ姉妹の肖像画があったのが妙に印象に残っている。
もう一ケ所の博物館は「郵便博物館(postmuseum)」。これは前の日に友人のお母さんに聞いたところ、「博物館を見るならここは絶対お薦めよ!とっても面白いから」と言われて決めたのだった。確かに面白かった。館内には郵便だけでなく通信(電報などの)の歴史やしくみも展示されていて、説明がドイツ語でも(大体)どういうものなのか分るようになっている。歴代の郵便車に使われた鮮やかな色の車(ドイツでは青や黄色)や世界中の郵便ポストが展示されているセクションもあって、今では珍しくなったあの懐かしい円筒形の赤い日本のポストもあった。が、「面白い」のはこれだけではない。全体的に見てそれぞれの展示物の展示方法が、どこか違うのだ。少なくとも日本の博物館の展示方法とはかなり違う。うまく言えないが、見やすさとか分りやすさと言うよりもインパクトを重視していると言うか、郵便の歴史と発達というものとその証拠品をある種の芸術的コンセプトに基づいて配置して、何とも言えない独特の空間を作り上げているといった感じ。それが企画展示ではなく常設展示なところがまた不思議。もっとも、博物館の正面入口に建っている摩訶不思議な銅像(写真)を見たときに何かしら悟っているべきだったのかも知れないが。
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問題の銅像。しばしその前に佇んでみるも、
その意味するところはわたしにはちょっと...

たった二つの博物館を回っただけなのではっきりしたことは言えないが、ひとつ気づいたこと。英国では小さな町の「町民博物館」のようなところでも大抵付属の売店があって、大きなところならもちろん博物館や美術館のロゴ入りの絵葉書からパンフレット、展示品のレプリカなどさまざまな商品が売られているのだが、ドイツではそれがない。城や大きな教会(大聖堂)を見学しても英国なら必ず出口に「お土産」の店があってふらふらと入ってしまうのだが、ドイツの城には見当たらなかった。当然入口などでもらえる館内案内書や各国語の説明ガイドなどもない。むろん館内撮影は禁止。訪問客はドイツ人であれ外国人であれ押し黙って展示品を眺め、自分の記憶だけをお土産に静かに出てゆく。というわけで、何年も経った今「行った」という記憶意外に何の頼りになる資料も手元にないため、何とか思い出してここに書いたわずかなことがらも正直なところはなはだ怪しいので、もし実際にこれらの博物館を訪れて「全然違う」と思われた方は、どうかこっそりお教え下さい。ともあれ、半日間をたっぷり使ってフランクフルトの街を歩き回った後、再びカイザー通りを戻って(ここが一番広くて真直ぐで初心者には分りやすいのだ)駅に行き、帰途に着く。


また別の日、友人がマールブルクという街に行こうかと誘ってくれた。当時彼女は大学卒業後さらに別の大学で日本語の勉強を続けることも考えていて、ギーセンからさらに車で一時間ばかり南のその街にある大きな大学の日本語コースの資料をもらってきたいので、そのついでに街を見て歩こうということだった。もちろん二つ返事で賛成。彼女の車でマールブルクに向けて出発した。
ドイツでもうひとつ忘れられないことの一つは、車のことだ。速い。とにかく速い。よく話に聞いていた高速道路、アウトバーン(Autobahn)なら広くてよく整備されているのだろうから結構スピードも出すのかな、くらいには思っていたが、そんなものではなかった。アウトバーンだろうが曲がりくねった田舎の細道だろうが、ほとんどスピードは落ちていない(とわたしには思えた)。わたし自身車を運転するわけではないので確たることは言えないが、おそらく遅いときでも時速80キロは出ているのではないだろうか。とにかく、助手席に乗っていて対向車が視界に入ってきた、と思った次の瞬間には目の前に来ているのだ。わたしはもともと車酔いしやすい方で、英国でも車で移動する際はちょっと覚悟しなければならなかったのだが、ドイツに滞在した一週間というもの何度車に乗っても酔った記憶がない。友人や友人のお母さんの運転がスムースで快適だというのもあるかも知れない(英国の友人達の運転が下手なわけでは決してない)。ドイツだけあって車の性能もいいのかも知れない(英国産の車が低性能というわけではもちろんない)。だが何よりもまるでレースカーに乗っているようなスピード感とスリルのおかげで、酔っている暇がなかったのではないかというのが個人的な結論。だが始終緊張していたのかと言うとそうではなくて、実はわたしはのほほんとしている割にスピード好きな傾向があるらしく、これが普通なのだと理解してからは車に乗るたび速い速い、と喜んでいたのだった。

マールブルクの街。フランクフルトほど大きくはないが
全体的に統一感があって、落ちついた雰囲気。



街の郊外の方向にあるマールブルク大学は建物自体は新しく、内部も日本の大学とそう変わらない感じだった。ここで友人が欲しかった資料を手に入れた後、まずお城を見学することにした。やはり資料がないのでどれくらい前の時代のものか覚えていないのだが、昔のまま保存された部屋の木の床を傷つけないための配慮か、何やらもこもこしたわらスリッパのようなものを靴の上から履かされた記憶がある。ただ滑りやすいし脱げやすいためみんな半ばスケートをするようにして歩いている状態だったので、床の保存が目的だとしたらこれはこれで木がこすれて擦り減らないだろうか?とちょっと考えたりもした。博物館のような建物も隣接していて、さまざまな時代の武器や甲冑などのコレクション、各時代の特徴をあらわした地元や周辺地域の焼物なども展示されていた。

k 一通り観た後、今度は街を散策(これがメイン)。マールブルクは昔のドイツの面影が残っているといった風情の、友人が言うには「とてもかわいい」街。山の地形に沿って階段のように建物が建てられていて、活気はあるが落ちついた雰囲気だ。ドイツらしい複雑に組み合わされた木と白壁の建物にはさまれた狭い古い石段などを降りていると、一瞬何世紀か昔の時代に滑り込んだような気分になる。伝統的な民族衣装にショールをかけたおばあさんが歩いていても特に違和感は感じなかった。ここにもやはり伝統工芸品やクラフトの店があちこちにあって、通りすがりにアイスクリームなど買い求めつつ、当然のようにわたしたちは店から店へふらふらと渡り歩くことに。前にも書いたようにイースターの季節だったためどこの店にも色とりどりの卵のオブジェが陳列されていたが、ただ単に色をつけるだけでなく複雑な文様が描かれたものも多く、これは焼物と同じように土地土地で特徴があるのだそうだ。全く同じ模様のものは二度とないし西暦の年号が入っているものもあるので、毎年必ず買っている人もいるとか。わたしも記念に気に入った柄のものを買ったが、手に持って振ってみるとかすかにことこというのが伝わってくるので、ちょうど本物の卵と同じくらいの重さになるよう何か入れているのだと思うが、大きさも表面の手触りも本物の卵にそっくり。友人にも聞いてみたがどうやって作られているのかはよく分らなかった。いずれにしてもかなり精巧な技術なのだろうと思う。余談だが、この時期は飾りだけでなく本物の卵にも色をつけるらしい。もちろん普通の卵も売られているが、スーパーマーケット(これがまた巨大)の卵売り場にパックに入って並んでいる虹色の卵を見たときにはさすがに後ずさった。中身は普通の生卵だということだが...
写真は今となっては何の建物なのかよく分らないが、煉瓦と時計の色合いがきれいだったのと屋根の作りがドイツらしいと思って撮ったもの。マールブルクの街中だろうと思う。



前にも書いたように、友人の家は建て替えたばかりでどこもかしこも新しくきれいだったのだが、中でも印象に残ったのが台所。ガス台などはどこにもなくて、ただつるんとしたところに円が3つか4つ描いてあるだけで、鍋を置けばすぐに熱くなる。今でこそ日本でも紹介されはじめたが、当時はあんな立派な電磁調理機を見たのは初めてだった。調理台の下には大きな引き出し、と思うとそれが自動食器洗い機。汚れた食器類を並べてスイッチを入れれば勝手に洗って、勝手に乾燥してくれる。これも当時の日本ではまだまだ珍しいものだった。英国でもよく感じたことだが、日本にはさまざまな最先端の技術があってこういうことができる、と紹介はされてはいても、それが実際に商品になって店頭に並ぶまでには何年もかかるし、そうなったとしてもとんでもない値段なので、結局ごく一部の物好きな人が買うくらいでそれ以上広まらないということが多いが、 欧州では新しい技術が開発されるとかなり早い段階で実用化され、しかもすぐに一般の人が求めやすいような値段で出回るように思う。企業側の努力なのか、消費者が新しく便利なものに対して積極的なのか、その両方なのかはよく分らないが、その後も旅行で訪れるたびに、特に電化製品の発展には驚かされる。だがあちらの人たちは日本こそまさに先端テクノロジーの黄金境、人々はまるで近未来映画のような生活をしていると思っているらしく、「日本ではこんなもの手に入らない」とか「あっても高くて手が出ない」とか言うと、「またまた〜」と冗談を言ったと思われてしまうのだが。

最先端の技術や製品を積極的に取り入れる反面、ドイツの人たちは古いものもまた大切にする。ある晩友人がかなり古いランプを見せてくれた。亡くなったおばあさんから彼女が受け継いだもので、美術的にも価値は高いらしい。ちょっと近すぎてぼけてしまっているが、右の写真がそれ。彼女はいつもよく磨いて大事に手入れしているらしい。新しい家を建てるときも、以前から使っていた家具などで使えるものはできるだけ捨てずに残して、布を張り替えたり色を塗り直したりしたようだ。
捨てるといえば、ドイツ滞在で最も印象に残ったのはゴミの分類のこと。とにかく細かい。ガラス瓶は色分けされてリサイクルされるのはもちろんのこと、台所の片隅にはゴミ箱が5つくらい並んでいて、生ゴミ、紙、プラスティック、金属などという分類がさらに細分されていて、例えば紙でもプラスティックでもその質によって2、3種類に分けられる。何かを捨てるときにはいちいち材質を確認して、ひとつ以上の材料からできている場合はきちんと別々にしてから捨てる。雑誌は紙だが、それを止めているホチキスは金属。スーパーの食品を包装しているラップはプラスティックだが、それについているラベルは紙。当たり前のことのようだが、捨てようとするもの全てについてこの分類を徹底させるには相当な忍耐がいる。だがドイツの人たちはこれを当たり前のように黙々とやるのだ。当時は日本でもリサイクルという意識がようやく高まってきたころだっただけに、この徹底ぶりには思わず拍手したいほど感心した。後で聞いたところによるとドイツでも実際にこのような分類が義務付けられたのは10年とちょっと前くらいからのことだということで、わたしが訪問したのが今から6、7年前だから、実施されてからまだ3、4年くらいだったのだと思う。それにしては数年であそこまで完璧に習慣化させてしまうドイツと、何年経ってもいまだに統一された法律もなく違法ゴミが山積み状態の日本と、この差は一体どこからくるのだろうか。だがその反面、これほどゴミや環境問題に徹底して取り組んでいるドイツでもいまだにものすごい数の車がびゅんびゅん走り回っているのも不思議ではある。

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ドイツを離れる前日の夜、寝室で荷物をまとめていると突然大音量で音楽が聞こえてきた。びっくりして部屋から出ると友人のお母さんが階下から上がってきて、近所の家で村のブラスバンドが演奏しているのだと教えてくれた。ベランダに出てみると、50mほど離れた向いがわの家の前庭が明るくライトアップされ、人で賑わっている。欧州では21歳になると法的にも成人と認められるところが多いようだが、その家の娘さんが21歳になるのでそのお祝いだろうということだった。時間的に夜の10時を回っていたのでちょっと近隣には迷惑だろうと思ったが(普通はそんな時間に演奏したりはしないそうなので、何かの理由で遅れたのだろう)、次々に演奏されるダンス音楽に合わせて家族や友人らしい人たちが踊っているのが見えた。バンドのメンバーは全てアマチュアの村人達で、地域内で何かお祭りや祝い事があると頼まれて演奏するのだという。どこの地域にもこうしたアマチュア・バンドがあるようだ。お母さんはダンスが好きらしく、最近忙しいしダンスをする機会もあまりなかったわねえ、と言いながら音楽に体を揺らしていた。演奏は20分ほども続いたかと思うが、その間隣近所から苦情があった様子は見られなかったので、ほかの家でもまあお祝いだから仕方ないか、と大目に見ていたのか、それともお母さんのように久しぶりにダンスもいいな、としばしいい気分に浸っていたのかも知れない。



24.4.'00








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