福島・会津(その1) 
 福島・会津(その2) 
 ロンドン・ハロウ近辺 
 バークシャー留学記 
 ドイツ訪問記・前編〜レヒテンバッハ 
 ドイツ訪問記・後編〜フランクフルト・マールブルク 
 シュルーズベリ訪問記・前編 
 シュルーズベリ訪問記・後編 
 英国・アイルランドB&B事情 
 北イタリア訪問記(その1) 
 北イタリア訪問記(その2) 
 北イタリア訪問記(その3) 
 北イタリア訪問記(その4) 
 北イタリア訪問記(その5) 
 北イタリア訪問記(その6) 
 北イタリア訪問記(その7-a) 
 北イタリア訪問記(その7-b) 

北イタリア二人旅・その7-b キアヴァリ (Chiavari, Liguria, North Italy)

翌日もいい陽気で、かなり暑くなりそうだった。遅めの朝食の後、まずは昨日ざっと見た中心部をゆっくり歩いてみることにする。既に陽射しは強くなり始めているが、商店街は石造りの高いアーケードになっているので快適。金曜とは言え平日の午前中なので、行き交う人も年輩のおばさまくらいでそう多くはない。今日明日は友人の車を出すこともないので、一日たっぷり使って町を散策できる。ここは特に観光を主体にした町というわけではない(海水浴&日光浴に来る人は多いと思うが)ため店舗もごく普通の衣食住の店が多いが、そういうところを見て回るのもまた土地の人の生活が見えて面白い。

わたしが持っていたガイドブックには、服などの専門店には目的もなく入って陳列してある商品に勝手に触るのはマナー違反、とあったのでちょっと面倒な習慣だなと思ったが、これはどうやら高級店のことらしく、わたしたちが旅行中にちょこちょこ入って見て回った比較的カジュアルな衣料品店は大体日本と同じ感覚で、試着したい場合は店員さんに許可を得るくらいで大丈夫のようだ(あまりどんどん引っ張り出したり合わせたりは嫌がられると思うが)。あとはどういう店でもレストランでもそうだが、黙って入って黙って出るのではなく軽く挨拶すればあちらの対応もいい(と思う)。言葉が出てこなければにっこりして頷くだけでもいいと思う(そうすると大抵向こうがBuon giorno(こんにちは)とかArrivederci(さようなら)とか言ってくれる)。カジュアルにCiaoと言われたらこちらもそう返すのがいいようだ。Ciaoはこんにちはでもこんばんはでもさようならでも使えるので、便利ではある。

(16k)
目抜き通りの裏通りあたり。ひんやり。
この前のセストリだったかここだったかちょっと記憶がはっきりしないが、友人が通りかかったディスプレイのきれいな店のチーズに心引かれて買いたいと言う。車にクーラーボックスがあるのでそこに入れてドイツに持ち帰る計画(ということはセストリを車で回っていた時かな...)らしいが、やはりドイツで輸入ものを買うよりは安いそうだ。きれいなディスプレイと言っても日本風の洒落たアレンジではなく、ワインやチーズやハムがウィンドウやそう広くない店内にとにかくどどっと並べられていて、ものがものだけに実際一歩中に踏み込むとすごい匂いなのだが、カットしかけのハムやチーズがウィンドウの中に無造作に置いてある様がおいしそうだし、地味ですが見かけより味を追求してます、という専門店の雰囲気も漂ってかえって粋な感じなのだ。こういう店をエノテカというのだろうか。

しばらく迷った末に、友人はぶ厚い円盤型のチーズを購入。ペコリーノ(羊乳のチーズ)だっただろうか。わたしは丸ごとチーズいいなーと羨ましがりつつ、次の訪問先の英国の友人にリゾットのセット(米と香辛料などがきれいに袋詰めになっている)と、日本の知人のお土産用にグラッパだか何か、小さい瓶のお酒を買った(ような気がする)。キアヴァリもレモンが取れるようなので、レモンから作ったお酒だったと思う。パスタだけでも実に様々な色や形のものがあるし、他にも漬物やすぐに使えるように色々組み合わせたスパイスや乾燥食材、そして壁一面に豊富な種類の酒類が所狭しと並べてあって、食料品店は見るだけでもとても楽しい。

その他にも絵葉書を買ったり(誰かに出すと言うより自分の記念用)しながらちょこちょこ店を見て回るうちに昼の時間帯になり、小腹が空いてきたので通りすがりの店でピザを買って包んでもらい、アーケードの端にちょこちょこ置いてある石のベンチに座って食べる。少し冷めていてもお店で温めてくれるので、できたての熱々のような感じで食べられる。日本で言えばコンビニエンス・ストアで「お弁当は温めますか?」というようなものだろうか。ちなみに毎日すっかり真夏の陽気なので常に水分は欠かせないため、二人ともそれぞれミネラル・ウォーターを携帯しているが、こういうスナックのお店でも水とコーラなどの缶入り清涼飲料は普通に買える。ただし必ずしも冷たく冷えてはいなかったりする。

午後の時間帯に入って陽射しも更に強くなってきたので、これはやはり海辺に行かねば、と郊外に向かう。当たり前と言えば当たり前だが商店街ではない普通の住宅街の通りなどに屋根はないので、さすがに陽射しが暑い。というか熱い。...午前中にこっちに来れば良かったかも。一応友人が持ってきていた日焼け止めクリームを少しもらって塗っていたりはしたが、イタリア滞在の最初の2、3日ですでにどっと焼けてしまったので、この頃にはもう二人とも半ば諦めていたような気もする。暑いよー暑いよーと言いつつてくてく歩いて行くと、海沿いの車道の向こうがきれいに鋪装された散歩道のようになっていて木も植えてあり、海を眺めながらベンチで休めるようになっている。木陰のベンチの涼を求めてしばしここで休憩。この日も前日同様空は薄雲がかかっている感じだったので、浜辺も人が少なく静か。下の左の写真のおじさんがビーチ・パラソルも閉じてのんびりしていた。...が、見ているうちにまたもや雲が晴れて青空が。わらわらわらわらわら、で右に。そうですか、やっぱり皆さん待ち構えてらしたんですね。イタリア人って...

車道の町側の方には、カフェやカジュアルなレストランの緑や青や赤の日よけが連なっている。町に戻るまでに一服していこう、とそのうちの一件へ。昼食時も過ぎたし今外に出ているのは日光浴の人くらいなので、店内も人が少なくのんびり状態。暇そうに奥でTVを見ていた小柄で元気そうなおじさんと言うかおじいさんが写真付きのメニューを持ってきてくれた。何だかにこにこして話し掛ければお喋りする気満々な雰囲気だが、友人はどう見てもドイツ人だしわたしは謎のアジア人なので、とりあえず「こんにちは」と笑顔でコミュニケーションをはかる。こういう時、やはり少しでも現地の言葉を憶えて行くと楽しさも倍増だろうな、と思う。次はもう少しイタリア語を勉強して行こう。
メニューを見ると、まあ何ともおいしそうで豪華なパフェ類の写真がてんこ盛り。日本でもファミリーレストランなどで食事とデザート類のメニューが別々になっていることは多いが、イタリアのこういう軽食カフェのメニューは三つ折りくらいのデザート・メニューが全面パフェで埋め尽くされていたりする。二人とも一瞬にしてパフェ以外は目に入らなくなり、真剣な顔で注文の検討に入る。友人は確かレモンか何かのさっぱり系のもの、わたしはチョコレートやキャラメルの掛かったこってり系のものを頼んだような記憶がある。結構安いけど本当にあの写真のようなのが来るのかなーなどと話していると、...来ましたねでかいのが。おじさんも何か嬉しそうに「お待たせ〜」みたいなことを言いながら持ってきてくれる。大好きだイタリア。

窓の外はすっかり夏の強い陽射しで相当暑そうだが、隣の店で修理か何かをしているらしく(わたしたちが店に入る時は昼休みでいなかったのだろうか)、現場監督のようなおじさんや作業員のお兄さん達数人が周辺で作業をしている。こういう屋外作業をする人達は大抵上半身裸なので、この陽気ならさぞ盛大に焼けるだろう(上半分だけ)。日なたで一番暑い時間帯に作業していれば脱ぎたくなるのは分かるが、仕事中でもついでに日光浴するイタリア人。通行人でも上半身裸の人は(年齢問わず)普通にいるのだが、場所のせいか特に気にはならない。一方窓のこちら側の席、わたし達から少し離れたテーブルでは、ジーンズにジャンパーとか黒Tシャツとかアメリカンな格好のお兄ちゃん達が音楽雑誌らしきものを熱心に読みながら、これまたアメリカンな特大ハンバーガーと山盛りのポテトフライをビールでお召し上がりになっている。日本や他の場所ならそれこそどこにでもいそうなのだが、イタリアの夏にはかえってこの方が異質に映る。やはりTPOというのは色々な意味で大切なのかも知れない。あの人達なんかイタリアの人にしては野暮ったいね、とか好き放題言いながらパフェをつついてだらだら涼む怪しいドイツ人とアジア人。

その後一度ホテルに戻ってひと休みした後、夕食は外で食べようとまた町に出る。実は海岸から戻ってくる時に友人が目敏く「あっ中華だ!」と中華料理店を発見していて、彼女はどうもそこが気になっている様子。なぜイタリアで中華料理を食べたいのかよく分からないが、しばらく歩いて他の店も検討した結果、結局彼女の「中華食べたい」熱意が勝った。入りにくいような高級店ではないが、内装にはなかなか金ぴかな中華世界が展開されている。家族連れや友人同士などですでに賑わっているが、イタリア人だらけである。イタリアでも結構中華は人気なのかななどと妙に感心しつつも、アジア人の客は自分一人だけという事実に多少不安を覚える。欧州ではまだ中国だか日本だかよく区別がつかないないような店も多いし、中国系のお客がいないということは本当の中華ではなく「イタリア風にアレンジされた中華」を出す店なのでは、という心配があったのだ。

注文を取りに出てきたウェイトレスさんは、少なくとも中国系の人だ。メニューを開いてみると日本でも定番の中華メニューが並んでいて、値段も手頃。とりあえずちょっと安心。炒めものや蒸し物、ご飯ものなどを頼む。メニューに英語が並記してあったので英語で話してみたところ(もともとイタリア語で碌な会話ができるわけもないのだが)通じたので更に安心。食後にはやっぱり茉莉花茶が飲みたいなーと思ったが、お茶はChinese Teaというのしかない。「ジャスミン・ティーはないですか?」と聞くと、ウェイトレスさんは怪訝な顔をする。そんなものは聞いたこともないらしい。普段は従業員同士でも普通にイタリア語を話しているし、中国系イタリア人ということで中国のことは余り知らなかったりするのかも。ちょっと不安が戻ってきたが、仕方なく烏龍茶か何かだろうとその「中国茶」を頼む。運ばれてきた料理はどれも無難においしかったので、友人も満足したらしい。住んでいるデュッセルドルフに帰れば中華でも日本食でも気軽に食べられると思うのだが、イタリアの小都市で冒険する彼女はある意味すごいと思う。食後に運ばれてきたお茶は飲んでみるとジャスミンティーで、嬉しかったが大きな陶器のポットに入ってきたのでえらく沢山あった。イタリアでは中国茶と言えば茉莉花茶なのだろうか。

hotel staircase (8k)
翌日の土曜日はイタリア滞在最終日。午前中は朝食後にまた海辺の方に出て少し歩いたりした後、ようやく仕事の時間が空いた友人R(土曜日も働くイタリア人...)と昼過ぎに待ち合わせ。以前観光ガイドをしていたことがあるという彼女の友人M君にも同行してもらって、ジェノヴァの街を案内してもらうことになっていた。彼女の車でホテルまで迎えに来てもらい、途中でM君を拾う。M君は元気で冗談好きそうな青年で、わたしより2歳ほど下の友人Rよりさらに4歳ほど下なのでちょっと弟のような感じだ。ジェノバ市街に入ると、さすがに道路も広々として車がかなり多くなってきた。しかし土曜の午後にしてもずいぶん車が多いが、普段もこうなのだろうか。と思っていると友人Rがおかしい、何だかずいぶん道路が混んでいると言う。中心部に近付くに連れて混雑はますますひどくなり、しかもあちこち通行止めで何度も回れ右しなくてはならない。

そこでM君があっそうか、G7だ!と叫ぶ。そう、この年の7月にジェノヴァで先進7カ国首脳会議が開かれ、6月初めのこの頃は2ヶ月足らず先に迫った会議に備えて街中の美観と道路整備を向上させるため大わらわの時期だったのだ。友人RもM君もジェノヴァ市街から離れた場所に住んでいて、ここのところ街には来ていなかったのですっかり忘れていたらしい。しかし原因が分かったからといって道路状況が改善されるわけでもなく、普段は広々しているはずの道が工事で狭まっていたり他が通行止めで回ってきた車でごったがえしていたりで、駐車場に行き着くのも困難を極める。あっちも駄目こっちも駄目でぶつぶつ言いながらハンドルを切る友人R。彼女は運転の際は必ずシート・ベルトを締め、信号標識を守り、駐車場に車を停める稀な(失礼)イタリア人である。後部座席から顔を出していいからこの辺にてきとーに停めちゃおうよ、大丈夫だって、と(多分そんなようなことをイタリア語で)しきりに言うM君、「お黙りっ、今考えてるんだからっっ」と一喝する友人R。本人は真剣なのだがかなり漫才な二人だ。結局M君が一度降りてタワー・レコードか何かの裏の駐車場に車を誘導し、何とか駐車することに成功。お疲れ様です。あ、いやわたし達のために苦労して下さって非常に感謝しております。

さて、身軽になったわたし達は二人について表通りへ。考えてみれば夜に到着してさっさと通り抜けたミラノを除いて今回初めて入った大都市、通りも建物も人の多さも半端ではなくて圧倒されてしまう。欧州の大きな街は規模的には東京など日本の都市と同じくらいだとしても、とにかく空間的な広がりが感じられる気がする。建物が石造りで重々しく大きなものが多いのと、それと多分ごちゃごちゃした看板などが少なく注意が散漫にならないため、視線が上へ上へ、遠くへ遠くへと引っ張られるのかも知れないと思う。
学生の頃か何かにガイドのアルバイトをしたことがあるというM君は歴史や政治に興味があるらしく、自国の政治家などについてなかなか辛口の意見を言っていた。精力的に案内してくれる観光スポットも市庁舎とか貿易で栄えた頃の商工会議所とかで、「この建物は当時の商人が荒稼ぎしたお金で建てられた」「あれは元々中世の繁栄期に建てられたものだけどその後経済が下り坂になって云々、今は政府の管理になってるけど税金の無駄遣いだね」とか彼の解釈付きでなかなか楽しい。でも「これは歴史的に重要な建物だから写真に撮っとくといいよ」と言われて撮った建物も、今ではどれが何だったか分からなくなってしまった。ごめんM君。

しばらく街を巡った後、ちょっとコーヒーでも飲もうかと近くのカフェに入り、店のカウンタで友人Rとわたしが英国のカレッジで会った頃の話などをしながらエスプレッソを頼む。友人はわたしと同じように2学期間寮に住んでカレッジに通った後一度イタリアに戻り、少し後にまた数カ月間ロンドンでオゥ・ペア(au pair、一般家庭に住み込みで家事手伝いをしながら英語の勉強をする)をしていたが、今回前もってメイルや電話で連絡を取っていた時、あれ以来全くと言っていいほど英語を使っていないのできっと全然話せなくなっていると思う、と心配していた。しかし短時間でみるみる昔の勘が戻ってきたらしく、この頃には留学時代と変わらず全く問題なくすらすら英語を話していて、自分より英語が上手いよと言っていたM君に比べてはっきり言って格段に流暢だ。
彼女とわたしは二人ともカレッジの新学期が始まる前々日くらいに寮に入っていて、まだ他の学生がほとんど着いていなくて学内も閑散としていた時に会ったので、実際ちゃんと話した他の学生は彼女が初めてだったのだが、当初は英語は片言で「なかなか上達しない」と言っていた。が、色々話しているうちに実は語彙や文法はかなりしっかりしていて英語のペーパーバックなども読める力があるが、原語を話す/聞く機会がなかったため苦手意識を持っていたことがわかった。日本人の英語学習者に典型的なパターンである。彼女も途中から段々度胸がついてきて多少間違ってもとにかく話すよう努力したので、一学期の後半あたりからめきめき上達して全く臆せず英語で話せるようになったのだった。それぞれの言語が語彙や文法的に共通点が多いこともあるとは思うが、多分語学的な勘が掴めたのだろうと思う。

わたし達が留学していたのは米国発祥の「多少」風変わりな新興プロテスタント系大学で、もちろんその教会の信者でもごく普通の人の方が多いし、いい友人や理解のある先生方にも恵まれたとは言え、「一応カトリック」な友人と「一応仏教徒」なわたしは大学側と言うか生徒の管理方スタッフのやり方や一部の偏狭な考え方の生徒に色々と疑問を持つことも多く、そういう面でも互いに共感することが多かったのだが、英国の気候や食べ物(大学のカフェテリアはお世辞にもおいしいとは言えなかったが、特に新鮮でバリエーション豊かな食事に普通に慣れているイタリア人にはかなり苦痛だったと思う)のこともあって落ち込むこともよくあった友人は、当時英国にあまりいい印象を持っていなかった。ところが留学の後半言葉も問題なくなり、その後ロンドンでホストをしてくれた人達がとてもよくしてくれたこともあってか、今回会った時にはまた英国に行きたい、できれば住みたいとまで言っていた。彼女はお祖父さんがドイツ人のせいかイタリア人らしくない(失礼)堅実控えめな性格で、ともするとわたしより日本人のようだなどと留学時代も冗談を言っていたくらいなので、英国人の中で暮らす方が実は合っているのかも知れない。英国人が皆堅実で真面目と言うわけではもちろんないが。

ところで、前にも書いたようにイタリアでコーヒーと言えばエスプレッソ。手持ちのガイドブックには「入れ立てのものを2、3口で飲み干すのが粋な飲み方」と書かれていてふーんと思っていたのだが、運ばれて来たカップを友人Rはお喋りをしながらまさにかぱかぱっと2口くらいで飲み干すではないか。おお、あなたは粋なジェノヴェーゼなのね!ガイドブックに書いてあったイタリア人のマナー関係で初めて当たっていたことかも知れない(だから何に役立つという訳でもないが)。しかし猫舌のわたしは到底真似できないので、冷ましつつ地味にちびちびいただく。

ここで友人Rがちょっとお手洗いに立った。彼女の姿が奥に消えた途端、M君が小声で「彼女が戻ってきたら『○×%#\@/*;?』(何と言ったかきれいさっぱり忘れた)と聞いてご覧」と言う。むむ。どういう意味?と聞くと「大丈夫?」みたいな意味だよと言うが、彼の表情から察するに明らかにもっとよろしくない質問と思われる。しかしM君は思いきり期待しているらしいし、こういう時に「変な質問なんでしょ〜」とかしつこく問い詰めたり渋ったりするとジョークの分からないつまらん奴だなあと思われてしまうので、ここは無邪気な振りをして言われた通り彼女が戻ってきた時「ねえねえR、○×%#\@/*;?」と聞くと、彼女は一瞬絶句したがすぐさまM君のいたずらと気付いた。あんた何てこと言わせるのよーっと怒る彼女に一体わたしは何と言ったのかと尋ねると、「すること全部済ませてきた?」というような意味の言葉だったそうだ。...彼女の狼狽の仕方からして、多分少し柔らかい英訳だったのではないかと思う。しかしM君が大喜びしているのでまあよしとしよう。ごめんR。

もう少し市内の店などを見て回った後、夕食は海辺に人気のレストランがあるのでそこに行こうということになる。本当にすぐそこが海岸のレストランに入るとこれがとんでもなくだだっ広く、天井もとても高い。欧州の人達は食事中にあまり大声で話したりはしないが(イタリアはフランスなどに比べるとちょっと賑やかかも)、さすがに全く仕切りがなくこれだけの人々が(既にかなり混んでいた)一同に会していると相当な賑やかさ。その間を給仕の人達が飛ぶように動き回っていて非常に活気がある感じだ。席に案内されてメニューを開くと、友人達がここはかなり量が多くてうっかり普通に注文すると食べ切れない人もいるから、ちょっと注意して頼んだ方がいいと言う。イタリア人が多いと言うなら相当多いに違いない。ということでとりあえず皆でサラダを分けることにして、わたしは何かスパゲティを頼むことにする。イタリア語のメニューを睨みつつ友人達に色々聞きながら選んでいると、どうやら海老のスパゲティらしいものがある。M君に一応確認すると、多分小海老が入ったトマトソースだろうと言うので、シーフードがおいしいと評判の店だと言うことだし外れはないだろう、とそれに決める。
(8k)

やがてそれぞれのオーダーが運ばれてきて、わたしの海老のスパゲティも...何ですかこれは。小海老って言いませんでしたか。眼の前にどかんと置かれたそれは、山のように盛られたトマト・スパゲティの上に皿からはみ出しそうな特大ロブスターがどどんと鎮座ましましている代物だった。一瞬皆呆然。いやあすごいねえ、と陽気に言うM君にどこが小海老だっと心の中で突っ込みつつ、腹を括ってロブスター・スパゲティに挑む。しかしたまたまそれほど空腹ではなかったため、結局スパゲティは半分強ほど食べて諦めた。一度身をほぐしてから詰め直してあるロブスターは甘くておいしくてしっかり全部食べたとは言え、デザートはレモン・シャーベットを頼んでこれもおいしかったとは言え、旅行中唯一出てきたものを残してしまったわたしの屈辱は大きかった。ごめんよスパゲティ...

ところで、わたしがスパゲティを食べているのを見て友人Rが上手だねえ、と言うので何かと思ったら、フォークに少しずつスパゲティを巻き付ける食べ方が上手いと言うのだ。えっまさかイタリアの人はやらないの?と聞くと、本当はそれが正しいがイタリア人でも皆がきれいにできるわけではないのだと言う。他の欧州諸国の人達もあまり得意ではないらしい。スパゲティは昔から人気のある日本ではくるくる巻き付けて食べるのは子供でも当たり前なので、ちょっと意外だった。そう言えば留学当時も、大学のカフェテリアでご飯ものか何かをフォークで食べていたら、フィンランド人の友人に「日本人は器用だ」と言われた。彼女自身や他の生徒はそういう細かいものを片手だけで食べる時は迷わずスプーンを使うが、わたしを含めた数人の日本人学生は皆フォークを使ってこぼさないばかりか、非常にシステマティックに端から着々と皿の上を綺麗にしていくと言うのだ。

(8k)
日本人の場合スプーンはすくうことしかできずかえって扱い辛いので、小回り(?)がきくフォークの方が使いやすいという判断をするのだと思うが、この辺り発想の違いもあるのだろうか。日本人は他国人より器用なので箸が使えるという論理は馬鹿馬鹿しいが、道具を効果的に扱う勘のようなものは発達している国民なのかも知れない。よくマナーの本にあるナイフやフォークの扱い方にしても、多少極端に走る(バナナや葡萄の皮まで全てナイフとフォークで切って食べる、とか)こともあるとは言え基本的にはもちろん正しいので、昔憶えた通りにしているとかえって現地の人よりきちんと見えるらしく、日本の人はマナーがいい!と言われたりすることも結構あるのだ。イタリアではスパゲティの場合、日本でよくあるようにソースが飛び散るのを避けるため左手に持つスプーンはついてこないが、逆にこの方法を紹介したらいいアイディアだと言われるかも知れない(麺を巻き付ける時にフォークの先でスプーンをこすって音を立てるのはまずいと思うが)。

食事をしている間に陽が沈み始めた空も店を出る頃にはほぼ暮れて、わたしたちは再び友人Rの車に乗った。ジェノヴァ郊外でM君を下ろしてキアヴァリに向かう途中、ちょっと立ち寄ったドライヴ・インの壁にヒット・チャート上位のCDが並べてある。昼間もちょっとCD店に立ち寄ったのだが、せっかくイタリアに来たのだし何か地元のCDを買いたいなと思ったので友人に色々聞いてみた結果、彼女によれば「昔は反体制的なやや過激な音楽をやっていたが、今は年を取ってうらぶれた雰囲気になった」という、その時1位になっていたらしいVasco Rossiという男性シンガーのCDを買った。試聴できなかったので一か八かのちょっとした冒険だったが、なかなか渋くて結構気に入ったので今でも時々出して聴いている。

友人Rが腹ごなしにちょっと散歩しようと言うので、真直ぐホテルに戻らずキアヴァリのちょっと手前の海岸に立ち寄る。既にすっかり夜だが、駐車場(というか埠頭?)には結構人がいて子供がラジコンカーを走らせたりしている。日が暮れているということは10時はとっくに過ぎているのだが、イタリアの人はあまり子供に「早く寝なさい」などと言わないのだろうか。昼間はあれほど暑かった外も、この時間になると少し肌寒いくらいになっていて気持がいい。しばらく海辺をぶらぶらして写真を撮ったりしながら涼んで、その後友人Rがホテルまで送ってくれた。明日は朝早くホテルを出てミラノの空港に向かわなければならないので、彼女とは今夜が最後。ホテルのロビーで今度は日本にもおいで、などと言って別れる。

あらかじめフロントの人に言っておいたので、翌朝は6時過ぎにチェックアウトして出発した。最後まで高速道路の出口を見落として戻ったりしつつ、何とかミラノのマルペンサ空港に間に合って到着。友人はそのままドイツに向かった。わたしは後は英国行きの飛行機に乗るだけ...と思いきや、何かの事情でわたしの便は市内のマルペンサではなく、普段は国内便の発着が多い市外のリナーテ空港発に振り替えになっていた。案内所に行くとタクシーが迎えに来てくれると言うので、その前の長椅子に座って20分ほど待っていると、小型のバスが来て運転手のおじさんがリナーテリナーテと叫ぶ。これに乗ってさらに3、40分ほどでリナーテに到着。最後まで飛行機関係がスムースに行かなかったなあなどと思いながら、ようやく機上の人となったのだった。

5.6.2004


ずいぶん間が開いてしまったイタリア旅行記、おつき合いありがとうございました。またもや写真が溢れてしまったため、
おまけの写真頁も作ってみましたのでよろしければどうぞ。
カモウリやキアヴァリについて興味をもたれた方は、それぞれ現地のサイトがあるので覗いてみて下さい。

Camogli on line(イタリア語)
Chiavari on line(イタリア語)
Regione Liguria - チンクェ・テッレ、ポルトフィノ、カモウリ、キアヴァリ、ジェノヴァを含むリグリア州の公式サイト。イタリア語、英語(一部日本語、スペイン語、フランス語、ロシア語)

フロントページへ戻る