Top浮世絵文献資料館浮世絵師総覧
 
交遊編大田南畝(四方赤良・蜀山人)の詩・狂歌 〔交遊編〕大田南畝関係
(大田南畝、あるいは大田直次郎として交遊のあった人)
【し】※◯は欠字、◎は表示不能文字
交遊詞書・漢詩・狂歌出典巻・頁年月日
しおかわ
塩川
「冬夜、塩川氏に過つて洞簫を聞く 幽壑潜蛟舞何処 孤舟リ婦断誰腸 洞簫一曲吹寒月 々下恍疑楊世昌」
「同前。伯氏の韻を和す 新知真可楽 故態酔無窮 誰識双珠美 同生一蚌中」
南畝集19
漢詩番号4224-5
⑤409文化13年
1816/10/
しがらきかんそう
新楽閑叟
「新楽閑叟(しがらきかんそう)、無性箱といふものをもて来て歌をこふ
 みさかなに春はものうき蕨より夏秋冬も此無性箱」
〈「しがらき」のルビがあるものの『金曾木』⑩309には「ニヰラ」のルビあり「にいら」で収録〉
あやめ草②97文政5年
1822閏01/
しくんてい
此君亭
 此君亭 (別資料) (松下)
しげんてい
思玄亭
 思玄亭 (別資料) (菊池衡岳・関叔成)
しこう
子興
「四月十九夜、子興・月沙なる者を夢みる。二人、旧識の如し
 夢中二子共同車 一字子興一月沙 髣髴猶如旧相識 不知何歳到吾家」
南畝集20
漢詩番号4536
⑤501文政3年
1820/04/19
じせんし
示詮師
「夏晩、間島守雌の一柱館に集ひ、磯谷子相・岡順之・紀菶仲・栄広子・示詮師と同じく賦して詩字を得たり
 (詩は省略、交遊編の「交遊」参照)」
南畝集8
漢詩番号1664
④60寛政2年
1790/06/
しのざき さんとう
しょうちく
篠崎 三島
小竹
「春夜、篠崎 応道 三島父子・馬田 光升 国瑞・米山父子と同じく常元寺に集ふ。侵韻を得たり
 新松楚々蔭庭陰 秉燭閑房坐夜深 坐上乍逢三島客 滄洲不遠吏人心
「又 満堂緇素滌塵襟 讃仏因稼託賞音 (以下欠)」
「席上、篠崎 弼 承弼に和す  (詩なし)
南畝集12
漢詩番号2091-3
④199
享和2年
1802/01/
「遥かに浪華の筱 応道 三島先生の七十を寿す
 一時濂洛学前賢 復古門牆独嶷然 甘谷下流真菊後 浪華芳信早梅前 拠梧嘯咏聞吹万 講業閭閻遍且千
 伝道今春称上寿 遥思盛会集初筵」
南畝集16
漢詩番号2952
④36文化3年
1806/09/
「篠崎 弼 永弼の崎陽に之くを送る 壮遊遥指崎陽津 日観峰高瓊浦浜 西域賈胡耽利市 明珠径寸好驚人」南畝集12
漢詩番号2104
④203享和2年
1802/02/
しば よいちえもん
芝与市右衛門
「芝氏の県令となり給ふを祝して
 禄もまし位もすゝみ飛騨たくみうつ墨縄の道ぞ正しき
 こしのさき加賀白山の麓まで芝生の風になびく民草」
〈飛騨国代官、第十八代目芝与市右衛門正盛〉
六々集②240文化12年
1815/07/
「芝氏、飛騨の任にゆくを送るとて
 一寸とたち一寸とたちかへる木の鶴は飛騨のたくみし細工なるべし」
七々集②253文化12年
1815/09/
しばた
柴田
「早春、芙蓉館に先鋒柴田君に贈る 先鋒隊伍属元戎 曾領金吾数奏功 自是昇平多暇日 尋花問柳出城東」南畝集8
漢詩番号1500
④4寛政1年
1789/01/
しぶや
渋谷 (清陰亭)
「廿六日(渋谷氏清陰亭に宴)八重川がことのねにめでゝ
 琴のねにかよひくるまの牛込や峰より近き土手の松風
 あるじ、鯛のあつものに、はじかみをそへて出しければ
 はじかみをすてずにくらき夏のよも月にかげあり花さくら鯛
 花に清香あり月に陰ありといへる詩にもとづきて、清陰亭といへばなり
細推物理⑧366享和3年
1803/05/26
「十六夜、渋谷君の清陰亭の集ひ 阮琴何譲玉人簫 二八清光猶自嬌 月似鏡台花似面 千金一刻勝春宵」南畝集16
漢詩番号2938
⑤33文化3年
1808/08/16
しまだ さない
島田 左内(島子諒)
「市谷の里長島子諒を哭す【天明四年甲辰五月死す】
 十年杯酒結交情 一夕音塵隔死生 堪憶当時里中舎 酔来分肉笑陳平」
〈五月二十日没(五月十九日逝去の説あり)漢の陳平、祭肉を公平に分かつの故事〉
南畝集6
漢詩番号1206
③416天明4年
1784/05/20
しまだ みよ
島田 (美璵)
「島田氏の女の印譜に題す 誰知織素年 能擅彫虫技 好自将瓊琚 還応報木李」南畝集5
漢詩番号0809
③278安永9年
1780/06/
「島田氏美璵の一周の忌辰。感有り 七月己迎朔 三秋猶未来 去年長夜夢 明鏡掩泉台」南畝集13
漢詩番号2151
④223享和2年
1802/07/01
「七年さきにうせにし美與子の、ゆめのうちに、かたへにある刀かけといふものをうつすとみて
 つるぎ太刀みにそふ影も今は世にかけはなれたる夢の浮橋」
〈島田美與女史は享和1年7月1日没、22才。南畝門人。狂歌の前後の位置から文化四年としたが、七年前とあるから文化五年かもしれない〉
をみなへし②24文化4年?
1807/04/
「島田氏の女璵、没して十三年。七月朔を忌辰と為す
 一別銷魂去浪華 三秋訃問到天涯 十三年後萎猶早 籬落朝開黒丑花」
〈璵の訃報は大坂出張中。黒丑花は朝顔〉
南畝集18
漢詩番号3798
⑤289文化10年
1813/07/01
「文月一日美與子の二十一めぐりの忌に 難波江のあしきたよりの文月もはたとせあまり一つへにけり」あやめ草②87文政4年
1821/07/01
しまだ
島田
「病中、島田氏菊を贈る 誰折東籬菊一叢 深情寄我臥牀中 病夫久不窺園圃 細看霜花白帯紅」南畝集20
漢詩番号4416
⑤466文政1年
1818/10/
「島田氏より菊を折りて贈りけるに はつものゝ七十五日七百の数とりにせんこの菊慈童」紅梅集②354
しまだ
じんごえもん
島田甚五右衛門
「きさらぎ十二日拝島村にやどりしに、あるじの早蕨をすゝめければ
 むらさきの塵ひとつだにみる事はかた山かげにおれる早蕨
「里正島田甚五右衛門が家に宿す。むつき三日四日にやどりし家なり。四日は甲子なりしかば、甲子の狂詩など書て贈りしに、とく裱褙して床にかけ置たりき」〈里正は名主〉
玉川余波
調布日記
②129
⑨180
文化6年
1809/02/12
しまばらこう
島原侯(松平主殿守)
「夏日、島原侯の山林の寓目
 肩舁相迎至一庭 天公那惜半空青 黄雲麦熟行人坂 白水畦通野老亭 窺見林泉筵藉草 移来厨餞酒盈缾
 驪山似浴温湯裏 面受和風酔未醒」
南畝集18
漢詩番号3627
⑤240文化9年
1812/04/24
「島原の城主の山荘を千代が崎といふ。さいつ比長崎にてみし人にあひて
 はからずも千代が崎にてめぐりあふ事ぞうれしき玉々の浦」
「四月廿四日、目黒行人坂前松平主殿頭殿別荘一見」
放歌集
壬申掌記
②188
⑨550
文化9年
1812/04/24
しまや
島屋
「島屋のもとより淀川の水をおくりけるに ひがき船へだてぬ淀の水車くるくるまはりくるぞうれしき」
〈瀬戸物町飛脚屋番頭、島屋次兵衛。狂名、荷造早文〉
紅梅集②352文政1年
1818/08/
しみず はまおみ
清水 浜臣
「(三月六日、東叡山にて大窪天民・高田与清(松屋)・岸本由豆流・清水浜臣らと花見せし折)浜臣、松の屋は和歌の事につきて近来不快なるよし、けふは花の本にゆくりなく相見へしかば、中直りせんにはおの/\をのはじめをくらべて、大なる方を勝と定んと興じければ、うたひめに糸ひかせ◯園を角力の行司だつものにして扇をひらきて左右をあはせしに、浜臣のものふとくたくましきにいきほひを添て出しければ、人々の目ををどろかせり。松の屋もをさ/\おとるまじきが、いきほひなくなへ/\として出せしかばおとりて見ゆ。人々めでくつがへりてとよむ事になん。鳥羽僧正などの書る絵巻物みるこゝちして古代なる戯れ、今の代にはありがたうなん覚へし
 松の屋の松たけよりもさゞなみや志賀の浜町ふとくたくまし
 と心のうちにおもひ侍り。(中略)杏花園主人」〈◯は「木+在」(ヤマブキ)〉
半日閑話3⑪237文化12年
1815/03/06
しゃおう
車応
「崎陽の車応生、東遊して酒令を善するを以て世に鳴る。今や則ち亡し。詩を以て之を悼む
 一場歓已矣 十指令厳乎 憶昨戦其拇 酣歌敲玉壺」
南畝集18
漢詩番号3599
⑤232文化9年
1812/02/
じゃくちゅう
若沖 (護国寺)
「(秋夕、大聖院に過り、月を看る)席上、若沖師の韻を和す
 鬱々深林待月遅 微風清影在希夷 此仲自愛忘言意 莫道幽情不尽詞
 附詩 若沖 東方君子見何遅 相覯我心已欲夷 今夕俱耽明月色 高歌叵和郢中詞」
南畝集18
漢詩番号3542
⑤215文化8年
1811/08/13
しゅうおんあん
酬恩庵
「雪中、椿井氏の席上に京師酬恩庵主禅師に贈る
 高堂風雪満牛門 籃挙相迎此晤言 更謁薪園諸法侶 不知何日去酬恩」
南畝集7
漢詩番号1385
③478天明7年
1787/11/
じゆうけん
自由軒
 自由軒 (別資料)(甘露門参照)
しゅうちくえん
修竹園
 修竹園 (別資料) (青山備前守)
しゅうめい
襲明師
「秋夜、襲明師に過ぎらる 偶坐聴秋雨 粛々倚北窓 迷心兼浄理 同照一青釭」三餐余興⑧14明和?年
177?/
しゅうようどう
秋陽堂
 秋陽堂 (別資料) (古山子文)
しゅくあみ
祝阿弥
「食厨喰日  祝阿弥
 三月四日望汰台 少年多興客を迎る盃
 人情共に酔中の旬を願ふ 乞ふ何卒午の時より来れ
 升亭に至る
 四日遠方赤良を求む 今春三度高堂に会す
 独り憐む京国の人難義せられて 鴻の池の水髻(ハケ)の長きに似ず

 祝阿弥唐詩選七絶第一章に擬へて贈らる、予第二章に擬へて以て和韵に代ふ」
〈祝阿弥は洲崎の料亭「望汰蘭」の主人〉
壇那山人藝舎集①458天明2年
1782/03/03
しゅせんてい
酒泉亭
 酒泉亭 (別資料) (柳屋長二郎・柳長)
じゅっせんてい
十千亭
 十千亭 (別資料)
しゅゆう
酒友 (新橋)
「早春、新橋の酒伴来たりて飲す 牛日為牛飲 三○百鳥鳴 年々諸酒伴 携妓此尋盟」南畝集19
漢詩番号4242
⑤413文化14年
1817/01/05
しゅまんし
守満師
 守満師 (別資料) (加藤昌蔵・英妙・滕童子・滕伯慶)
しゅんこう
舜厚道人
「麻谷舜厚道人の尊堂の百一歳を賀す
 誰道曾無百歳人 君家眉寿有尊親 北堂萱草長含露 上界天花別送春 衣裏繋珠同戯綵 盤中献菓飽常珍
 麻姑書信称難得 咫尺重看東海浜」
南畝集2
漢詩番号0272
③94安永3年
1774/03/
じゅんしょうにん
淳上人
「早春、豆州の淳上人に寄す
 曾飛錫杖託深山 幾見年華往又還 雪満士峰天突兀 春生君沢水潺湲 牀頭一巻経無恙 石上三衣坐自閑
 身在樊籠猶未脱 何時躡屐試躋攀」
南畝集4
漢詩番号0519
杏園詩集二
③183
⑥54
安永7年
1778/01/
「夏日、憶ひを豆州の淳上人に寄す
 千山草木鎖巌扃 法雨晴来天地青 長夏閑房何所見 牀頭一巻蓮花経」
南畝集5
漢詩番号0791
③274安永9年
1780/06/
しゅんすい
春翠女史
「春日、春翠女史諸賢を邀へて水楼に宴す
 柳塘春草翠如糸 花下成蹊桃李枝 両国橋間煙水澹 好将彤管擬臨池」〈女流詩人、野村春翠〉
南畝集19
漢詩番号4255
⑤416文化14年
1817/02/
じゅんせん
順宣 (常元寺僧)
「順宣師の芦花を寄するを謝す 手折江村芦荻花 贈来橋外吏人家 西風一夕吹涼雨 如在孤篷浅水涯」南畝集12
漢詩番号2021
④179享和1年
1801/06/
「歳暮、馬国瑞・順宜師と同じく広教寺に遊ぶ
 梵宮高侍薩溝西 長者黄金布地斉 九仞山成基古塁 一枝春早占新題 人随世諦有真俗 坐照摩尼無町畦
 啜茗銜杯皆得意 不同塵事日栖々
 【庭に阿波の古累有り】」
南畝集12
漢詩番号2074
蘆の若葉
④193
⑧257
享和1年
1801/12/23
「元日、馬国瑞・順宣師と同じく墨江に遊ぶ
 万里帆来破碧空 三元日静聴松風 墨江南望眉山黛 遠在煙波縹渺中」
南畝集12
漢詩番号2080
④196享和2年
1802/01/01
「上元夜、佐臼山・慮橘庵過らる。会々酒饌を饋る者有り。乃ち馬国瑞を邀へて共に飲す。順宜師の亦至る
 元宵華月影朧々 幸有壺飧酒不空 此地聊為真率会 明春回首各西東」
南畝集12
漢詩番号2086
④198享和2年
1802/01/15
「春分節、馬田国瑞・順宣師と同じく円珠庵に集ふ。伊川生酒饌を携ふ【庵に契沖阿闍梨の墓あり】
 客舎辞塵境 円珠訪草庵 桃花連郭外 苔逕入城南 景美春分節 心清酔後談 沖公碑自古 欽慕望煙嵐」
南畝集12
漢詩番号2105
④203享和2年
1802/02/20
しゅんほうちゅう
春菶仲
 春日部錦江 (別資料) (春日部錦江「春丁逖 字 菶仲。号 錦江。称 春日部自在門」 『月露草』⑱47)
しゅんりょうし
俊亮師
「俊亮師を懐ふ 依旧同遊会法堂 平安一望夏雲長 長亭未尽岐嶒路 濁酒寧称般若湯」南畝集9
漢詩番号1849
④125寛政5年
1793/04/
「俊亮師を哭す 師兄旧是浪華人 錫杖飛来東海浜 忽向西方尋楽国 七重羅網隔風塵
 其の二 西天大法向東流 生死従来得自由 唯有人間離別苦 花晨月夕謾回頭」
南畝集13
漢詩番号2233・4
④248享和3年
1803ウ01/
じょうえい
浄栄海公
「春日、浄栄海公・雪山師・春菶仲・佐輻卿と同じく林松館に遊ぶ
 歩従幽径入 深院訪佳期 共伴諸禅侶 聊飛一酒巵 移山栽曲樹 鑿地象方池 夕麗含林浄 春雲抱石垂
 余花紅点綴 慈竹緑参差 別有長松在 清風無尽時」
南畝集8
漢詩番号1624
④46寛政2年
1790/03/
しょうかい
性海上人
「性海上人の京に之くを送る
 南浦離歌餞海浜 荏原朝気転鮮新 前期日歴天涯臓 大獄煙随雪外人 千里重関通甸服 六条官刹望光塵
 丹楓自映袈裟色 五十三亭正小春」
南畝集8
漢詩番号1710
④75寛政1年
1790/10/
しょうきんろう
松琴楼
 松琴楼 (別資料) (馬景徳)
しょうげつあん
松月庵 (大坂)
 松月庵 (別資料) (寺田)
しょうげつてい
松月亭
 松月亭 (別資料) (長久保赤水)
しょうげんし
沼元之 (門人)
「天明丙午春三月尽、暁の夢に江島に遊ぶ。越えて四月朔、会々門人沼元之来たりて云ふ。将に江島に遊んで天女祠に謁せんとす。我が為に一詩を題せよ。則ち諸を祠に掲げんと。予以て奇と為し、賦して之に与ふ
 一夜真遊積水隅 飄々飛出塵埃 看燃楚竹乗舟去 疑遇湘妃解佩来 天外数峰青点綴 江中孤嶼鬱盤回
 分明記得神仙境 直到金銀十二台」

「首夏、沼元之の湘中に遊ぶを送る
 清和風色送征衣 遙見煙波映翠微 白鶴岡頭探勝去 金亀山上賽神帰」
南畝集7
漢詩番号1327-8
杏園詩集三
③459
⑥85
天明6年
1786/04/01
「春日、沼元之の太翁の七十を寿す。分ちて七体を賦し、五言古を得たり
 旧邦春令新 徳沢布八区 明時尚文武 才俊鬱東都 翩々青衿子 挟策過吾廬 大人年七十 安坐日歓娯
 願欲請吾言 上寿慰桑楡 一言吾豈敢 内省愧空虚 古人称杖国 大夫期懸車 従容不愉矩 自従心所如
 莫言為小吏 寸禄足斗儲 徒羨浮雲富 不如仁智居 日用三牲養 寧焚一枯魚 三寿朋魯頌 五福載周書
 諷誦時不倦 覧揆祝共初 出当府中走 入必庭上趨 夙夜能努力 千載揚美誉」
南畝集7
杏園詩集
③485
⑥88
天明8年
1788/01/
しょうさい
松斎
〈山田松斎か〉
「松斎主人に二柳樹を寄する歌
 自移楊柳六七年 枝葉双々太可憐 陶家五株還不羨 金城十囲亦復然 飄揚落絮白於雪 流乱軽糸翠似煙
 松斎主人何豪爽 気干青雲将直上
 草屋新営八九間 願乞此樹供幽賞 不惜為君長転移 高歌一曲綰一枝 風前風色従茲去 夢裏生肘未可知
 依々能樊主人圃 主人幽賞無尽時」

「冬日、松斎に飲す(南畝、松斎の新宅に招かれ、歌妓を交えた宴席にて即席の一詩)
 満庭霜雪映如花 内集団欒似謝家 千丈疎松参古柏 数椽飛閣弄朝霞 豪華自砕珊瑚樹 妙妓斉歌絳帖紗
 更有山公池上趣 酔帰何笑接◎斜」

〈『蜀山文稿』「移柳記」にもあり〉
南畝集2
漢詩番号0256
0258
蜀山文稿
③88
⑥168
安永2年
1773/11/
しょうしおん
篠子温
「秋日、篠子温に邂逅す。時に将に浪華の行有らんとす
 行役悠悠向浪華 到来秋興満蒹葭 十年一別如風雨 相遇離筵日又斜」
「席上重ねて子温の前韻に和せらるるを和す
 雨歇高楼転月華 恍看玉樹倚蒹葭 厭厭夜飲情無尽 檻外闌干北斗斜」
南畝集4
漢詩番号0678-79
③235安永8年
1779/07/
しょうしちょう
松子長
(松村梅岡)
「冬日、松子長・六如上人及び東叡の諸尊者と同じく東漸院の後山に遊ぶ
 東山古院絶塵氛 路転閑園木葉分 霜露已荒三径菊 煙霞忽散二陵雲 池辺満酌移床坐 巌下清談隔竹聞
 一酔相忘賓主態 徘徊不覚有陽曛」

〈「玉壷楼詩集。梅岡先生松村延年手書也、数年前得之書肆 文化戊辰中秋後日」「識語集」⑲709〉
南畝集5
漢詩番号1045
杏園詩集二
③357
⑥65
天明1年
1781/10/
「松子長の寄せらるるを和す
 分手東山十載余 帰田賦就斂声誉 官如倣吏終違世 名擬潜夫好著書 酔去一筵離未合 飛来尺素巻還舒
 縦令刀禰埋竜剣 紫気猶衝牛斗墟」
【子長、刀禰河上幸手村に隠る】
南畝集8
漢詩番号1644
④53
⑥92
寛政2年
1790/04/05
しょうしょうろう
勝賞楼
 勝賞楼 (別資料) (内山賀邸)(滕文卿)
しょうせいみん
松世民
「夏日、関叔成・樺世儀・松世民及び諸子と同じく角筈の里に遊んで、熊野祠前の知足庵に集ふ
 三山風色勝堪探 徐福祠前鎖翠嵐 路自旛渓通箭筈 天経梅雨湿茅庵 清陰露滴千章木 激水寒生百尺潭
 今日幸逢仙侶会 飽傾沆瀣漱余酣」

「同前。松世民に和す
 熊山松柏望崢嶸 長夏寥寥鳥雀鳴 苔蘚自侵芒履跡 藤蘿不隔暮鐘声 揮毫石上詩応就 洗盞池辺酒復清
 此日真遊兼采薬 杳然疑是到蓬瀛」
南畝集6
漢詩番号1269-70
③436天明5年
1785/05/
しょうぞう
小三
「牛門の酒肆。主人小三に贈る
 伊昔少年場 一時皆側目 老来吹洞簫 不譲漸離筑」
南畝集3
漢詩番号0362
③128安永4年
1775/05/
しょうはくきょ
尚白居
 尚白居 (別資料) (菊池博甫)(菊池泰忠・衡岳の男)
しょうゆうし
松有子
「松有子のもとに沢村曙山来る約束ありしが、伝法院の僧来るきゝて来らず
 でんぼうといふ名をきいて芝居ものおそれをなして来ぬもことわり
 芝居の放言、あたへなくしてたゞ見に来るものをでんぼうとはいふとなん。ふるくは油むしといひしなり」
放歌集②153文化8年
1811/04/
しょうようかん
逍遙館
 逍遙館 (別資料) (広子純)
しょうようてい
逍遙亭
 逍遙亭 (別資料)
しょうりゅうせん
松竜川
「早夏、井玄里・関之輿・山士訓・島子諒・(三字欠) 松竜川と同じく染井の西原に遊び、休円の山荘に過りて牡丹を賞す
 (詩は省略、交遊編の「交遊」参照)」
南畝集2
漢詩番号0275
③95安永3年
1774/04/
じょ とくけい
徐 徳卿
 徐徳卿 (別資料) (鈴木芙蓉)
しらかわこう
白河侯
 白河侯 (別資料) (白川少将・松平定信)
しらかわ
白川大夫
「遥かに白川の大夫(二字欠)氏の湖月亭に題す 坐看湖上月 行傍月中湖 湖月亭何在 一清帰大夫」南畝集17
漢詩番号3265
⑤133文化6年
1809/09/
しろき
白木
「白木氏の荘に題す 外史溝通白氏渠 疎松怪石下舟初 似尋獅子林中景 更入黿鼉窟裏居」南畝集19
漢詩番号4304
⑤430文化14年
1817/08/
しんげんいん
真玄院慈光修言
「水無月の十九日、真玄院慈光修言の墓にて
 ちちのみの茂れる寺の木の下にたちよりてまづぬるゝ朝露」
あやめ草②75文化7年
1810/06/19
しんこどう
信古堂
 信古堂 (別資料) (服右父)
しんしこう
森子厚
 森子厚 (別資料)
しんしゅうふ
森周夫
 森周夫 (別資料) 〈野周夫と森周夫は同人か〉
しんひゃくろ
真百魯
「真 直道 百魯の「十四夜の月」の韻を和す
 二七中秋近 家々各倚床 晴来五里霧 照出連城光 未入吟懐細 先牽酔夢長 忽聞金石響 起坐一相望」
南畝集19
漢詩番号4197
⑤401文化13年
1816/08/14
しんぼ じゅんほ
神保 純父
「春日、神保 貞 純父の桜田門の邸舎の集ひ。諸君と同じく賦して窓字を得たり
 城門相対読書窓 昨雨春雲覆大江 不為池魚愁嘻々 只憐檐燕語双々 霞関桜木花生筆 賓主東西酒満缸
 莫笑老来衰颯甚 毎逢良会気先降」

「同前。同じく「春江、酒に対す」を賦す
 晴江春入泊船門 日谷転為金谷園 一自国初新賜邸 青蘋風起幾開樽 【桜田外門、古く泊船門と名づく】
「神保純父の席上、亀井 昱 元鳳に贈る
 満堂樽酒開青眼 蓋世家風識白眉 鵬翼南冥攀不得 逍遥東海見鯤鮞 【元鳳は筑前の南冥先生の子】」
南畝集16
漢詩番号3006-8
⑤53文化4年
1807/01/
「春日、神保純父の米沢に還るを送る
 暫寓東都憐邂逅 還随北雁度嶙峋 今宵樽酒花前客 明日関山雪外人」
〈漢詩番号3020に拠ると、神保が南畝に上杉謙信ゆかりの「春日山」という古盃を贈呈したとある〉
南畝集16
漢詩番号3019
⑤56文化4年
1807/02/
しんでんこう 新田侯「新田侯の席上、長嶋老侯・滝川南谷君・河寛斎と同じく「暁に花を見る」を賦す
  蓐食行吟墨水東 村園無処不蒙籠 請看清暁千花白 纔帯明霞一片紅」
南畝集18
漢詩番号3755
⑤277文化10年
1813/02/
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