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交遊編大田南畝(四方赤良・蜀山人)の詩・狂歌 〔交遊編〕大田南畝関係
(大田南畝、あるいは大田直次郎として交遊のあった人)
【な】※◯は欠字、◎は表示不能文字 「雲州の中盛彬の家翁の八十の寿詞 大社祥雲映綵衣 斑斕五色借光輝 樽前自有常珍饌 高唱南山望翠微」
交遊詞書・漢詩・狂歌出典巻・頁年月日
ないとう
内藤 (延岡)
「春夜、延岡の大夫内藤氏に宴す
 延陵季子若君稀 縞帯還慙報紵衣 此会皆如旧相識 春宵留飲未知帰」
南畝集8
漢詩番号1622
④45寛政2年
1790/03/
ないとう
内藤(小十人組)
「扈従郎内藤君(二字欠)、画院の伊川法眼栄信をして白梅、玉川義信をして紅梅を画かしめ、覃に命じて詩を作らしむ 丹青称院画 紅白闘梅花 別有荊妻老 孤山隠士家」〈木挽町八代栄信と九代養信は父子〉南畝集18
漢詩番号3900
⑤316文化11年
1814/06/
ないとう
じろざえもん
内藤 次郎左衛門
(本宿村)
「小野の宮といふところにやどりけるに、花がめに桜をいけ置たりければ
 むさし野の小野の里人こころありて初ざくら手折一枝」
「内藤氏の祖父、仏の道をたうとび、村の中ニ石橋七つ架かけわたせるときゝて
 いは橋の数も七世のかぞいろと三世の仏やかけわたすらん」
〈内藤次郎左衛門に投宿〉
玉川余波②133文化6年
1809/02/21
なおえ
直江
「酔中直江氏によみておくる 酒のんだ上杉なればはかりごとあるべき直江山城の守」七々集②273文化12年
1815/11/
なか
「仲氏の韻を和す 水仙花底素琴横 瓶裏幽香満案清 更有一枝春自早 氷塊雪魄照同明」南畝集19
漢詩番号4226
⑤409文化13年
1816/10/
ながい
永井
「冬日、高須の諸大夫と同じく下大夫永井氏の池亭に宴す。金鯽魚を詠ず
 原泉応不尽 来自玉河濆 金鯽看魚楽 霞瓢風送色 錦砕水成文 疑足濠梁上 悠然此対君」
南畝集7
漢詩番号1381
③476天明7年
1787/10/
なかい いんさい
中井 筠斎
「中井 鼎 筠斎の寄せらるるに和す
 幽居不厭世塵同 家近金竜古仏宮 墨水臨池雲欲落 筑山為架筆将工 老懐徒惜桑楡景 酔態猶思麹孽風 新載嘉魚兼美酒 喜君名刺到門通」
南畝集19
漢詩番号4217
⑤407文化13年
1816/09/
なかい ちくざん
中井 竹山
「竹山先生に謁し奉る
 書院称懐徳 春風楽育英 家為三世学 業豈一経名 咫尺違仁里 門庭遠吏情 塵纓時欲濯 江漢見君清」
南畝集12
漢詩番号2115
④206享和2年
1802/03/
なかい とうどう
中井 董堂(井伯直)
「董堂(二字欠)敬義 邀へて江東の宜雲寺に宴す。賦して贈る【宜雲寺は英一蝶の寓する所。俗に一蝶寺と称す】
 天明旧侶已無多 零落巴人下里歌 夢破春余飛一蝶 朋来墨妙換群鵝 正逢急雨随風至 欲問精藍奈晩何
 半道留飲君莫笑 深杯百罰酒如河」

〈腹唐秋人。通称中井嘉右衛門。名ハ敬義。字ハ伯直。董堂と号す。本町二丁目住。文政4年7月26日没、年64〉
南畝集18
漢詩番号3767
⑤280文化10年
1813/04/
ながい なかのり
永井 仲矩
「冬嶺孤松秀づ」を賦し得て仙台の医官永井仲矩の六十を寿す
 嶺上孤松独立高 豈生培塿老蓬蒿 後凋霜薄三冬色 偃蓋風寒万里濤 敢比画梁施大厦 唯須丹鼎助流膏
 寿杯斉捧仙台下 鶴影翩翩駐羽毛」
南畝集3
漢詩番号0368
③130安永4年
1775/05/
ながおかこう
長岡大守・牧野忠精
「長岡大守の御もとより(砂糖水あらばのまんとぞ思ふ)といふ句につけて申べきよし仰こされければ「秋ながら残る暑さの長岡に」とつけてまゐらせたり」
 秋ながら残る暑さの長岡に(砂糖水あらばのまんとぞ思ふ)
紅梅集②347文政1年
1818/07/
なががみ もりたか
中神 守孝
 中神守孝 (別資料) (伴忠順)
ながくぼ くらのすけ
長久保 蔵之助
「峯村の里正家に次(ヤド)る。壁上に延年益寿の四大字を掛く。関子永書する所の也
  伐性双蛾勧腐腸 秋宵春昼不知長 三旬独宿山村裏 即是延年益寿方
 天授延年益寿方 冬春使我臥空房 眼辺不見蛾眉斧 伐木丁々響夕陽」
〈峯村の里正(名主)は長久保蔵之助〉
玉川余波②119文化6年
1809/01/13
「峯村の里正蔵之助は酒を嗜みて、一日のうちに二合ほどづゝ度々にのむ。朝より夕まで酒気のたゆる事なし。官吏をむかへて、お早う御出などゝいうふさまなれたり。しかれども、その真率なるゆへに、官吏の怒にあふ事なし。我戯れに酒仙と名付て、蜂峰をして肖像を画かしむ」
「酒仙賛 むかし大星由良之介は、生酔なれども敵をわすれず。今の長久保蔵之助は、熟酔にして御用をわすれず。あしたに二合、昼二合、ひつじの下りに又二合、あはせて六合用水の、一升でも一とでも、三斗五升も四斗樽も、たえず圦樋の大上戸。くめどもつきじ、のめどもつ
きじ 峯村のやくしの壷の酒なればのめやうたへや浄瑠璃世界
調布日記⑨328文化6年
1809/03/20
ながくぼ せきすい
長久保 赤水
「水藩赤水長先生の松月亭に題す
 松間明月出東方 清影遥臨赤水傍 風起波濤何謖謖 天披雲霧色蒼蒼 晴窓好映図書府 偃蓋斜低薛茘墻
 一自隋侯能照乗 更令林下発輝光」
【聞く、君侯游猟の次いで、其の字に憩ふと。結句、之に及ぶ】
「赤水先生に謁す 【長久保玄珠、字子宝。水藩の儒官。時に歳七十七】
 清風深欽慕 此口訪先生 館入朱門静 珠探赤水明 傾筺停午飯 餐菊去年英 四壁図書満 流歓到晩晴」
南畝集9
漢詩番号1875-6
④134寛政5年
1793/09/
なかじま
中島
「中島氏うけにいりたる祝に ことしより有卦に入江の中島や汀のいさごしける金性」巴人集②392天明3年
1783/01/
なかじま
中島
「きさらぎの比、中島氏の昇進を賀して 算盤の位ものぼる御勘定ひらく二月の梅の木の玉」巴人集甲辰②435天明4年
1784/02/
ながしま
長島老侯
 長島老侯 (別資料) (増山雪斎・河内守)
ながしま
長島 (三河)
「題を三河の長島氏の拾翠園に寄す
 碧海名園甲一州 佳人拾翠客尋幽 宛丘勝事無冬夏 豁達誰登大観楼 【園に宛丘樹・大観楼有り】
南畝集19
漢詩番号4114
⑤378文化12年
1813/11/
なかた なおみ
仲田 直躬
「早春、鈴木恭(二字欠)杉浦吉統総仲・田直躬(二字欠)井玖子瓊・鱸文猶人、草堂に過らる」
 (詩なし)
南畝集
漢詩番号1922
④152享和1年
1801/01/
なかね
中根
「中根氏にて卯月の頃、庭の木々にわたをかけて雪のけしきにつくりいでければ
 時しらぬ雪の中根の御馳走をかのこまだらにおぼへこそすれ」
巴人集②401天明3年
1783/04/
なかの
中野
「秋日、少府郎鈴木・本多君・三上君・巌本君・中野君に陪して徐君の芙蓉館に集ふ
 芙蓉高館小河浜 蘭署仙郎中貴人 更喜新知今日楽 偏将濁水接清塵」
南畝集6
漢詩番号1130
③389天明2年
1782/08/
ながふみ
長文(小林子博)
「長文がうたに、むさし野のたびねならではいかでみん月のかくるゝ山なしの花、ときこえしかば
 春雨のうるほふ枝の山なしのきのふの花はけふのありのみ
調布日記⑨275文化6年
1809/03/
なかむら かどう
中村 荷堂
「竹堂手記抄録一 壬戌七月既望舟遊一行名字 〈享和二年七月十六日、墨水舟遊「赤壁の遊び」の参加者〉
 中邨文智 亮 字子寅 号荷堂」〈翌癸亥享和三年、二十五歳〉
零砕随筆三
続日本随筆四巻
④212享和2年
1802/07/16
「雨夜、篠 廉 竹堂・鱸 文 猶人・山 隣 徳甫・中村 亮 文智と同じく鈴 恭 白藤の宅に集ふ。蕭韻を得たり
 (詩は省略、交遊編の「交遊」参照)」
南畝集13
漢詩番号2175
④230享和2年
1802/09/
「十二月十九夜、篠 廉 竹堂・鈴 恭 白藤・井 玖 子瓊・鱸 文 猶人・山 隣 徳甫・村 亮 文智及び楽地生と同じく舟を墨水に泛べて月を看る。是れ蘇東坡の生日にして、三たび赤壁に遊びし時なり
 (詩は省略、交遊編の「交遊」参照)
南畝集13
漢詩番号2200-02
④237享和2年
1802/12/19
「小集。中村 亮 子寅を遅つに至らず。戯れに寄す
 左席徒虚弟与兄 良期何処送還迎 米花坊底看神会 慧日山東少社盟」〈慧日山は金剛寺〉
南畝集16
漢詩番号2906
⑤23文化3年
1806/06/
「己巳中秋、大草 公弼 篤夫・花禅翁 万彦・鈴木 恭 士敬・犬冢 遜 印南・井上 玖 子瓊・鈴木 文 猶人・中邨 亮 子寅・植木(三字欠)諸子と同じく建部君の朝白園に集ふ (詩は省略、交遊編の「交遊」参照)」南畝集17
漢詩番号3257
⑤129文化6年
1809/08/15
「十四夜、新たに晴る。花禅老人 万彦・池 桐孫 五山・鈴木 恭 白藤・井 玖 子瓊・鱸 文 猶人・中村 亮 子寅過らる
 (詩は省略、交遊編の「交遊」参照)」
南畝集17
漢詩番号3389
⑤169文化7年
1810/08/14
「田安府の中村子寅、歴代名公画譜を恵む。云ふ、是れ君の賜なりと
 歴代名公各擅場 千秋画手有余光 密分恩賜佳公子 七十侯生仰大梁」
〈『歴代名公画譜』は谷文晁が明代の『顧氏画譜』を模写したもの。寛政10年刊。候生は戦国時代の魏の隠者候嬴、大梁の門番をしていたが七十にして魏の公子より迎えられる〉
南畝集20
漢詩番号4332
⑤442文化15年
1818/01/14
なかむら なかてる
中村 仲照 (長崎)
「寿星の図に題して遙かに長崎の中村生 仲照 の六十初度を寿す
 西天瓊浦水 南極寿星光 耳順円輪転 籌添海屋長」
南畝集19
漢詩番号4296
⑤428文化14年
1817/08/
なか もりあき
中 盛彬
南畝集20
漢詩番号4320
⑤439文化14年
1817/11/
なかやま
中山
「七月六日、野美卿・川伯温・春菶仲・甥義方・中山生と同じく金剛庵に集ふ【庵に庚申塚有り。三尸の神を崇む。西に□神の穴有り】 (詩は省略、交遊編の「交遊」参照)」南畝集3
漢詩番号0981-85
③336天明1年
1781/07/06
なからい けいうん
半井 慶雲
「大医院半井 慶雲 君人、赤鬃魚を恵む
 上池霜露近何如 忽接揮毫尺素書 新増赤鬃供晩飯 貧家平日食無魚」
〈大医院は典薬頭(官医の最高位)。赤鬃魚は黄鯛〉
南畝集17
漢詩番号3439
⑤183文化7年
1810/11/
「夏日、典薬頭半井 慶雲 君人の宅
 医国薫風薬味盃 片時閑話避塵埃 払林矮狗看生客 怪入桃源洞裏来」
南畝集19
漢詩番号4184
⑤397文化13年
1816/06/
ならはら しきん
楢原 士欽
「楢原士欽の濃及び勢に之くを送る
 滄水君為使 青雲路自通 輶軒何日到 筆硯幾年同 雪没濃山下 春生勢海中
 明珠行可拾 慎莫(欠字)清風」
〈原士欽参照〉
南畝集4
漢詩番号0601
③209安永7年
1778/10/
なるせ いなばのかみ
成瀬 因幡守
「鎮台成瀬君二巻を蔵す。一は則ち明人八仙の画、一は則ち文衡山の列仙詩なり。併せて一詩を賦して以て其の函に題す 雲煙軽逐八仙遊 更灑衡山墨水流 借問驂螭朝絳節 何如騎鶴在揚州」
〈長崎奉行。この時はロシア使節来航のため肥田豊後守と二名長崎にあり〉
南畝集15
漢詩番号2642
④373文化2年
1805/02/
なるみ
成水
「題を臼杵の成水氏の園中の臥竜梅に寄す
 不須労駅使 千里動芳名 樹屈竜蛇勢 枝横臼杵城 月疑弓有影 風恐笛同声 縦学袁安態 誰知臥雪情」
南畝集7
漢詩番号1438
③496天明8年
1788/03/
ならばやし
こうきょく
楢林 公極
「猶林 建 公極見寄せらるるの韻を和す
 旧識軒岐有此郎 猶将外治事隣郷 扶揺一撃南溟翼 来往時観大国光 不啻刀圭奏効速 応須藻翰乗秋揚
 吏情無那瓜期近近 別後相思天一方」

「楢林公極の七夕の韻を畳和して却つて寄す
 金石余音郷地新 明窓掃几浄無塵 徒分博望支機彩 不見緱山駕鶴人 方外応違流俗楽 樽前自笑苦吟身
 幽期己失過牛女 咫尺盈々一水浜」

〈詩の配列からは七月だが、南畝の詩は八月のものか〉
南畝集15
漢詩番号2703・4
④391文化2年
1805/07/
「早春、瓊浦の楢林 建 公極の「中秋」詩を得て韻を歩す
 一別三年両地秋 君居西海我東陬 縅情且寄瓊山月 漸逐帰鴻到小楼」
南畝集16
漢詩番号3132
⑤91文化5年
1808/02/
「山領氏の邸舎に集ひ。崎陽の楢林公極に邂逅す
 鶴山一賦鶴南飛 流水高山隔世微 猶有前年瓊浦客 姫門邸舎酔忘帰 【鶴山石井仲車、先に没す】」
南畝集18
漢詩番号3572
⑤224文化8年
1811/12/
「楢林 建 公極の贈らるるを和す 紫霞関外分君手 碧柳堤辺訪我家 両地風光千里月 一枝春色五年花」南畝集19
漢詩番号4146
⑤387文化13年
1816/02/
なわ
名和
「午日前一夕、馬蘭亭・高茂貫・井子瓊・鱸猶人・名和氏・福原潤夫・吉伯教・山臥雲諸子過集す
 (詩は省略、交遊編の「交遊」参照)
「孫のためにたてし幟兜の祝ひせんとて、諸子を呼ぶ。馬蘭亭・井上子瓊・鈴木猶人・築山氏・名和氏・柳長・かほる・福原氏・浪花の小山氏も来りつどへり。島田氏の女、柳橋の歌妓お益来、三絃を弄す
 まどゐして酔なばけふや思ふころあすのあやめの枕むすばん」
南畝集13
漢詩番号2278-7
細推物理
④260
⑧362
享和3年
1803/05/04
「午日、馬蘭亭・名和氏・雪山師・糟丘生及び諸子と同じく舟を墨水に泛ぶ
 (詩は省略、交遊編の「交遊」参照)」
南畝集13
漢詩番号2280-2
細推物理
④263
⑧362
享和3年
1803/05/05
「九月朔 名和氏ちかきうちに、甲斐の国にまかるといふ。餞別のうた
 黒こまのかいがねさしてゆく人もあしなみはやくたちかへりませ」
細推物理④263
⑧362
享和3年
1803/09/01
なんがく
南岳
「南岳生を哭す 昔年奉使崎陽還 護送同舟淀水間 県吏過書為昨夢 唯余図画写江山」南畝集18
漢詩番号3750
⑤275文化10年
1813/02/
なんぐう
南宮
「題浪華南宮子衣 南宮适与米南宮 君自一家親類中 南畝南々情不浅 与天誓問菊慈童」紅梅集
巴人集拾遺
②315
②494
文化14年
1817/10/
「即席 南宮平見浪花人 加茂季鷹京土神 両国橋辺今日会 神人和合喜同塵」巴人集拾遺②498文政3年
1820/
なんざん
南山禅師
「夏晩、慈雲山竜興寺に過りて、仙台の南山禅師【瑞鳳寺】に謁す。謙堂禅師【済松寺】座に有り
 方外神交旧又新 相逢目撃転相親 鳳飛北海雲千里 兎上東林月一輪」
南畝集17
漢詩番号3244
⑤126文化6年
1809/06/
なんじょうさんじん
南条山人
 南条山人 (別資料) (川名林助)
なんぺいげんし
南屏源子
「遥かに甲陽の南屏源子に寄す
 万墾群峰満甲陽 為鍾神秀出賢良 富山雪背塩山近 釜水流通笛水長 雨霽秋蛍応照巻 寒遅候雁未成行
 旧聞経術多新著 晤語難期天一方」
南畝集9
漢詩番号1808
④112寛政4年
1792/08/02
Top浮世絵師総覧交遊編大田南畝関係