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交遊編大田南畝(四方赤良・蜀山人)の詩・狂歌 〔交遊編〕大田南畝関係
(大田南畝、あるいは大田直次郎として交遊のあった人)
【ふ】※◯は欠字、◎は表示不能文字
交遊詞書・漢詩・狂歌出典巻・頁年月日
ふかや
深谷
「橘千蔭のかける百足の画に賛をこふ 深谷氏 百の足千蔭の手もてうつし絵は猶よろづよをこめ多聞天」放歌集
千紅万紫
②157
①242
文化8年
1811/07/
ふくのや の うちなり
福の屋 内成
「小舟町祇園会のつくり物は大きなる山門を作りて、額に正徳五年の始之と書り。水無月十二日福の屋内成の稚室にまねかれて 新宅の格子にならび建たるは正徳五年建し山門」あやめ草②85文政4年
1821/06/12
ふくとみ
福富
「春雨、新橋の酒楼に重ねて石井仲車の肥前に還るを送る。頼千秋・萩野求之・爽鳩子允・古昔陽・真野氏・福富氏・劉子調と同じく賦して咸韻を得たり (詩は省略、交遊編の「交遊」参照)」
「新橋の酒楼に賦して席上の諸君に呈す 天連東海闊 水入上池新 羨爾仙家興 壷中度幾春
「孫のためにたてし幟兜の祝ひせんとて、諸子を呼ぶ。馬蘭亭・井上子瓊・鈴木猶人・築山氏・名和氏・柳長・かほる・福原氏・浪花の小山氏も来りつどへり。島田氏の女、柳橋の歌妓お益来、三絃を弄す
 まどゐして酔なばけふや思ふころあすのあやめの枕むすばん」
南畝集13
漢詩番号2278-7
細推物理
④260
⑧362
享和3年
1803/05/04
ふくや
福屋
「百首狂歌画の巻首に題す
 予嘗て狂歌百首を書して家に刻す。福屋穣樹子見て之を喜び、乃ち太玄斎素川翁をして其の意を画かしめ以て巻と為す。絵事の妙、気韵生動、筆の至る所意亦至る。古云ふ詩は声有る画、画は声無き詩と。豈啻に詩のみならんや。狂歌亦然り。文政庚辰孟春七十二翁蜀山人書于杏花園」
紅梅集②384文政3年
1820/01/
ぶくやまこう
福山侯
「文鳳の戯画巻に題す【福山侯の蔵する所】
 意匠経営在筆先 忽為風雨作雲煙 請看世上千般事 日夜紛々相代前」
〈年譜⑳264は金子文鳳とする。当時の福山藩の当主は阿部正清〉
南畝集17
漢詩番号3497
⑤199文化8年
1808/03/
ふくゆうほ
服右父

⑳「年譜」服部栗斎
「春日、山田宗俊・服右父・田仲馨・忠順・木子荘・滕言卿と同じく岡田忠卿に集ふ
 (詩は省略、交遊編の「交遊」参照)」
南畝集6
漢詩番号1065
③368天明2年
1782/01/29
「岡田忠卿の詩会なり。服右父・磯田子光・山田宗俊・(中神)忠順と同に詩を賦す」三春行楽記⑧34
「春日、岡田忠卿・伴忠順・石井子彭・赤松大経・磯田仲馨と同じく服右父の信古堂に集ふ
 芳洲何処訪君家 滄海晴光射白沙 席上談如鋸木屑 窓前春対玉蘭花 雨過苔蘚沾三径 日永牙籤満五車
 城北城南非不遠 坐忘帰路到昏鴉

【居る所の地を鋸匠街と曰ふ。築地】」
「同前。主人の韻を和す
 浜海離宮入望開 相逢仙侶似蓬莱 短墻近隔紅塵陌 一坐斉傾白玉盃 洲上草随春雨長 門前客逐早潮来
 新詩自似聴瑶笛 吟罷軽風送落梅」

「信古堂に同じく玉欄の花を詠ず。長字を得たり
 露滴閑庭白日長 玉蘭開尽碧窓傍 誰将一片崑山色 更奪千花楚国香」
南畝集6
漢詩番号1071
同1072
同1074
杏園詩集二
③370
⑥65
天明2年
1782/02/23
「伴忠順・岡田忠卿と同に、服右父を築地に過り、詩を賦す」三春行楽記⑧42
「九日、岡田忠卿・服右父・伴忠順と同じく木子荘の愛日楼に集ふ
 新築楼居負郭辺 偶逢佳節眺晴天 残雲点綴千山雨 寒樹霏微万戸煙 笑把茱萸懸臂上 酔看籬菊映樽前
 自今更愛登高日 此会従来度幾年」

「同前、右父の韻に次ぐ
 憶得今年三月三 群賢共宴会稽南 風光荏苒為疇昔 世事参差負劇談 佳節新開桑落酒 幽情何譲菊花潭
 清秋更唱陽春曲 欲和巴人只自慙
南畝集6
漢詩番号1133・5
③390天明2年
1782/09/09
ふじい
藤井
「春尽前一夕、藤井氏と同じく放生寺に遊ぶ
 弥陀堂上一松山 早稲田通古廟間 祇樹林深紅躑躅 放生池瀉碧潺湲 園丁采蕨供香積 蓮社伝杯脱世寰
 日々案頭紛簿領 誰知此処送春還」
南畝集16
漢詩番号3056
⑤68文化4年
1807/03/29
ふじの きょう
藤野 恭
「己亥季秋念七日、護国寺に遊びて一男子の楓樹の下に坐し詩を吟ずるを見る。就いて之を叩けば、則ち曰く、僕、姓は藤野、名は恭、字は敬甫、称は左市、平安の人、落魄して東都に遊ぎ、紀の大夫の家 安藤帯刀 に仕へて軽卒と為ると 余、其の著はす所を詩を閲るに、已に体を具へたり 因りて一詩を賦して以て束帛の贈に代ふ 会々岡田忠卿も亦至る。益々奇遇を嘆ずと云ふ
 散歩空山裏 丹楓満地時 偶因傾蓋語 不辨夕陽移」
南畝集4
漢詩番号0740
③254安永8年
1779/09/27
ふじもり さへえ
藤森 左兵衛
「信濃の国松本の里、藤森左兵衛といふ人のもとより根葱一籠をおくるとて、みすゞかるしなぬの国のせんざいを千代のためしに君に捧ん、といひおこせしかば
 さんざいの根ぶかをみれば藤のもりいなりのきつねしろきたまもの」
「しなのの国松本といふ所に住める藤森氏のもとより根ぶか一籠贈られけるに 蜀山
 前栽のねぶかをみれば藤の森稲荷の狐しろき玉もの」
紅梅集
一簾春雨
②360
⑩502
文政2年
1819/01/
ふじわら の とよすえ
藤原 豊季
「讃岐意戒君より【参議従三位兼右兵衛権中将藤原豊季卿。字伯明、一字元腆、号楽志堂】短冊たまはりけるをみれば  戯に蜀山道人ぇよせ侍る  元腆  みやこまでその名の高き不二の山ゆき見ることのならぬしむきさ
 御返し みやこまで蜀山兀(ごつ)と安房(あほう)なる名さへ高田の不二もはづかし
 又さぬきの意戒君のもとへ 玉藻よき讃岐円座をたまはりてうれしき嶋の道の面目」
六々集②236文化11年
1814/04/
ふせ
布施 胤致
 布施胤致 (別資料) (山手白人)
ふせ
布施
「上巳後一日、布施・伊藤諸子過らる
 昨日流觴終曲水 今宵秉燭酔貧家 主人已入華胥去 佳客吹簫鳥弄花」〈華胥は昼寝〉
南畝集16
漢詩番号3047
⑤65文化4年
1807/03/04
ふせ
布施
「布施氏の母、七十賀に春祝といふ事を よつの時いづれはあれど花鳥のいろねにあかぬ春ぞめでたき」六々集②228文化12年
1815/03/
ふぞくあん
不俗庵(犬塚印南)
「冢 遜 印南の不俗庵に題す 山為仕途求捷径 波揚濁水混清塵 一庵浄几明窓外 誰是標奇抜俗人
「其の二 神農七十二鞭揚 扁鵲見人垣一方 起死回生皆薬物 難医気持入膏肓
「其の三 逸議誰伝経史笥 緒言曾著昌平志 人間野馬与塵埃 不到隠居方寸地」
南畝集17
漢詩番号3409
10-11
⑤174文化7年
1810/09/09
ふようかん
芙蓉館
 芙蓉館 (別資料) (鈴木芙蓉・徐徳卿)
ふるやま しぶん
古山子文
「瀕海即事。古山子文に示す
 城南瀕海殿 臨眺古松前 潮退千帆遠 風来一雨懸 澹雲凝佃畠 積霧辨芝鄽 直訝三山上 褰裳接列仙」
南畝集7
漢詩番号1478
杏園詩集三
③509
⑥93
天明8年
1778/08/
「春日、古山 礼 子文・井上 玖 子瓊・素観禅師・児俶と同じく菊池 禎 叔戊の思玄亭に集ふ。花字を得たり
 (詩は省略、交遊編の「交遊」参照)」
南畝集13
漢詩番号2240
細推物理
④250
⑧353
享和3年
1803/02/07
「秋日、新たに晴る。古山 礼 子文の秋陽堂に集ふ。四支を得たり
 大府帰来過午時 麹坊新築近菅祠 翛然杯酒傾江漢 心似秋陽以暴之」
南畝集17
漢詩番号3395
⑤171文化7年
1810/08/
ぶんがどう
文雅堂
 文雅堂 (別資料) (岸慎斎 岸綽、字汝祐、号曲江、苞矣館)
Top浮世絵師総覧交遊編大田南畝関係