(大田南畝、あるいは大田直次郎として交遊のあった人) |
交遊 | 詞書・漢詩・狂歌 | 出典 | 巻・頁 | 年月日 |
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や 野 | 「野(三字欠)宅の霊芝 | 南畝集18 漢詩番号3894 | ⑤315 | 文化11年 1814/04/ |
やいみん 野維民 (野子則) | 「玉川に遊ぶの記 府中駅に宿して野子則に贈る 野維民、字子則【四人部屋、野村六郎右衛門】」 | 三餐余興 | ⑧9 | 明和4年 1767/閏09/04 |
やくしじ きゅうざえもん 薬師寺 久左衛門 | 「薬師寺氏、寄生螺を携ふ 「夏夜、薬師寺氏過らる | 南畝集15 漢詩番号2679 2680 | ④384 | 文化2年 1805/05/ |
やくしじ とうせい? 薬東井 (長崎) | 「薬 種茂 東井、盆栽の百合の花を寄す | 南畝集15 漢詩番号2689 | ④387 | 文化2年 1805/06/ |
やしせん 野子賤 | 「野子賤の湖中に還るを送る 送君転作千秋思 不是尋常動別願」 | 南畝集3 漢詩番号0503 杏園詩集二 | ③161 ⑥50 | 安永5年 1776/09/ |
やしそく 野子則 (野維民) | | |||
やしゅうふ 野周夫 | | |||
やしょうざん 野湘山 | 「野湘山、諸子を邀へて両国橋の大斗楼に宴す | 南畝集20 漢詩番号4376 | ⑤455 | 文政1年 1818/05/ |
やしりゅう 野子竜 | 「席上、野子竜の「織婦」を和す 妾身何厭多辛苦 願及良人尚未婦」 | 南畝集6 漢詩番号1210 | ③416 | 天明4年 1784/06/ |
やしろ こうけん 屋代 弘賢 称太郎・号輪池 名詮虎・諱詮賢・詮丈 | 「予、嘗て松陰日記四巻を抄す。其の第三・第四巻、天明乙巳、人に借して之を亡ふ。屋代詮賢、諸を獲て遺らる。実に寛政癸丑四月朔なり。落花枝に上り、返璧復た完し。卒かに一律を賦して、以て詮賢に謝す 千秋逸事松陰記 此日因君得復全」 | 南畝集9 漢詩番号1847 | ④124 | 寛政5年 1793/04/ |
「ヒ夕前一日、屋代 弘賢 忍池と同じく近藤 守重 正斎の池亭に宴す | 南畝集16 漢詩番号2915 | ⑤25 | 文化3年 1806/07/06 | |
「嵐はげしき夜伊藤氏のもとに、屋代弘賢のすみだ川花見の記をみて、ひそかにたづさへかへりて、うつしてかへしける時 | をみなへし | ②25 | 文化4年 1807/04/ | |
やすい のぶとみ 安井 信富 | 「熱田駅に安井信富に和す 無那相逢即相別 僕夫催駕已歌驪」 | 小春紀行附録 南畝集15 漢詩番号2820 | ⑨97 ④426 | 文化2年 1805/11/08 |
やすま へいじろう 安間 平二郎(見附) | 「見付駅に宿して安間氏【平二郎】の含翠亭に過る。是れ駅舎の南隣なり。園を養老と曰ふ。庭に神君手植の松有りと云ふ | 南畝集14 漢詩番号2488 | ④325 | 文化1年 1804/08/01 |
やすとみ 安富 | 「白獅上人洞簫を好む。一洞簫有り。放下着と名づく。蓋し逸品なり。上人逝きて茲に二十五年。門人安富氏一曲を吹く。髣髴として其の人を睹るが若し。因りて賦す | 南畝集9 漢詩番号1816 | ④115 | 寛政4年 1792/09/ |
やそじま 八十島 | 「八十島氏の娘嘉、年七歳にして書を善くす | 南畝集19 漢詩番号4030 | ⑤356 | 文化12年 1815/03/ |
やたぼり 矢田堀 | 「矢田堀氏のうまご岩太郎を祝して 誕生のとき、門前の敷石のすきまよりひとつの草生ひいでしを祝ひて岩太郎と名づけし也」 | 紅梅集 | ②313 | 文化14年 1817/09/ |
やながわこう 柳河侯 | 「蒼松篇。柳河侯の六十初度を寿し奉る 枝葉蒼蒼不改色 色無冬夏無古今 維昔紫陽道雪公 声名洋溢九州中 元亀天正従百戦 山陰山陽共望風 英雄子孫不忝祖 于今食邑封万戸 大国清風満柳河 東都朱邸授茅土 朱邸高門列若雲 中有君侯雅好文 太平時節有文事 還如武備立功勲 太微宮中奎星化 不与尋常衆木群 今歳新開初度宴 共賦蒼松祝栄芬」 | 南畝集7 漢詩番号1393 | ③480 | 天明7年 1787/11/ |
やなぎや しんべえ 柳屋 新兵衛 (唐通事) | 「二月二日、清館に福徳正神の前庭に双貴図の戯を演ずるを見る。清の水陳国・胡振兆新・訳司柳屋生、坐に在り。卒かに賦して柳屋生に示す | 南畝集15 漢詩番号2637 瓊浦雑綴中 | ④371 ⑧514 | 文化2年 1805/02/02 |
やなぎや 柳屋 (伝六?安五郎?) | 「小田原町柳屋のもとに沢村訥子・尾上三朝来りければ、此ほどの狂言を思ひいでゝ 同じ夜、酔ふして | 放歌集 | ②167 | 文化8年 1811/08/ |
やなぎやちょうじろう 柳屋 長二郎 | 「酒泉亭を悼む【名柳長、舗号柳屋】 「十二月八日、柳長をいたみて | 南畝集16 漢詩番号3114 をみなへし | ⑤86 ②30 | 文化4年 1807/12/08 |
やなぎや やすごろう 柳屋 安五郎 | 「柳屋安五郎が掌中の珠を得しよろこびに | 放歌集 | ②184 | 文化9年 1812/03/ |
「沢村宗十郎が角力鳴神のわざおぎを張子の人形につくりて、柳屋の初幟の祝につかはすとて | 放歌集 | ②188 | 文化9年 1812/04/ | |
やびけい 野美卿 | | |||
やぶ 藪 | 「秋日、公修・叔成・士訓・君節・美卿・菶仲と薮氏の別業に遊ぶ | 南畝集5 漢詩番号0853 | ③293 | 安永9年 1780/09/ |
やまうち ちゅうざえもん 山内 忠左衛門 | 「山内忠左衛門のもとより四方の赤味噌を贈りければ | 玉川余波 | ②109 | 文化5年 1808/12/16 |
やまうち ぼくてい 山内 穆亭 | | |||
やまうち まさよし 山内 正誼 | | |||
やまき 山木 | 「山木氏の稑田の別業。十二詠 「稲雲園 「臨池館 「松筠径 「芳洲 「閲耕亭 「花塢 「古藤橋 「天女島 「鳳尾渚 「調馬場 「山翠廬 「浴鳧池 | 南畝集7 漢詩番号1420-31 | ③491 | 天明8年 1788/02/25 |
やまおか まつあけ 山岡 浚明 | 「山岡明阿の西遊を送る。時に余、病に臥す。二首 一臥蓬蒿悲鎩翮 羨君鵬翼搏図南 遠游身似白雲孤 有客飄然独処徂 匹馬朝駆玉笥嶺 扁舟夕度琵琶湖 千秋文物余芳草 百世衣冠拱紫枢 到日寧無懐旧念 徘徊抽筆賦西都 | 南畝集3 漢詩番号0435-6 | ③150 | 安永4年 1775/10/ |
「山岡俊明〔傍注初名浚明〕隠居して明阿弥陀仏と呼ぶ、狂名を大蔵千文と称す、安永九年庚子微行して京都に遊び病死す。時に十月十五日也。江州三井寺は山岡氏の祖道阿弥の墳寺なり。よりて道阿弥の墓の側に葬るといふ。明阿博学にして尤和文をよくす。所著多し。(中略) 寺ハ麻布藪下竜沢寺。梅橋院子亮俊明居士。安永九年庚子冬十月十九日」 | 一話一言巻5 | ⑫209 | 安永9年 1780/10/19 | |
「辛丑仲冬、長夜漫々、明発して寐ねず。偶々亡友平賀鳩渓・山岡明阿の人と為りを追念す。吾、夫の二子の才高く名重きも、大器成らず、徒に草莽の中に廃死するを悼む、二君の詠を作つて以て焉を伝ふ。後の此の詩を読む者、以て其の人を知るに足らん 牙籖細挟三千巻 篇什曾諳十五風 淡海浮遊萍未定 可憐明月没長空 【翁、西京に微行し、病を得て逝く。江州三井寺に葬る】」 | 南畝集5 漢詩番号1057 | ③361 | 天明1年 1781/11/ | |
「二月二十九日夜、山岡明阿翁を夢みる。翁没して此に七年。音容目に在り。言笑故の如し。覚めて感有り。慨然として詠を為す | 南畝集7 漢詩番号1308 杏園詩集三 | ③150 ⑥83 | 天明6年 1786/02/ | |
やまぐち 山口侯 | 「夏日、桐隠君・臥雲師と同じく山口侯の池亭に宴る。文鳳・玉梅二女史、坐に在り | 南畝集19 漢詩番号4276 | ⑤423 | 文化14年 1817/04/ |
やまざき 山崎 | 「霊亀楼に山崎翁の八十一を寿す 更看火棗交梨美 不羨常珍満食前」 | 南畝集7 漢詩番号1341 | ③464 | 天明7年 1787/02/ |
やまだ 山田 | 「小野氏の宅にて戯場番付を観る。山田氏春日部氏坐に有り | 壇那山人藝舎集 | ①463 | 天明4年刊 1784/03/ |
やまだ 山田 (尾張藩) | 「山田生の尾州に還るを送る | 南畝集8 漢詩番号1678 | ④64 | 寛政2年 1790/08/ |
やまだ しょうさい 山田 松斎 | | |||
やまがみ さだやす 山上 定保 山桐原 | 「七月既望、井子瓊・鱸猶人・楽地堂及び児俶と同じく舟を泛ぶ。会々山桐原・鈴白藤至る 「今年享和二年壬戊にあたれり。予、井上子瓊、鈴木 文 猶人、書肆楽地堂、男 俶 子載とゝもに柳堤より舟を泛て墨田川にいたりて詩を賦せり。児玉 慎 空々、篠本 廉 竹堂も又諸子を携へて舟出せしが、三又のほとりに逍遥せしゆへ、南北のたがひにて逢はざりき。竹堂「三又に遊ぶの記」三編をつくりてくはしく事景を記せり。山上桐原学士、鈴木 恭 白藤もをくれて至りて、予が舟に加はゝれり。十月の望にも必と約せしが、予風病にて約に違へり。篠本竹堂、鈴木白藤、鈴木猶人、山本文智、吉見 義方 伯教が輩は舟をうかべて聯句せしとぞ」 | 南畝集12 漢詩番号2157-8 杏園間筆二 | ④224 ⑩218 | 享和2年 1802/07/16 |
「早春、尾藤 肇 志尹・古賀 樸 淳風・山上 定保・倉 茎 子成・頼 惟柔 千祺諸子と岡田 恕 忠卿に集ふ | 南畝集14 漢詩番号2409 2410 | ④302 | 文化1年 1804/01/ | |
「早春、山上 保 桐原学士の集ひ。麻韻を得たり | 南畝集16 漢詩番号3001 | ⑤52 | 文化4年 1807/01/ | |
やまぐち しょくざん 山口 触山 | 「山口触山のもとより青木先生のはじめて植しといふ所の甘藷を贈りければ | 紅梅集 | ②373 | 文政2年 1819/07/29 |
やましろや 山城屋 | 「馬喰町山城屋何がしをとひ侍りて | 巴人集 | ②398 | 天明3年 1783/04/04 |
やまだ かげとみ 山田 景富 | 「しのばずの池のほとりなる山田景富のやどりをとひ侍りしに風景いはんかたなければ 風景に富は此屋をうるほして池の心もひろくしのばず」 | 巴人集 徳和歌後万載 | ②423 ①31 | 天明3年 1783/12/ |
やまだ そうしゅん 山田 宗俊 | 「春日、山田宗俊・服右父・田仲馨・忠順・木子荘・滕言卿と同じく岡田忠卿に集ふ | 南畝集6 漢詩番号1065 | ③368 | 天明2年 1782/01/29 |
「岡田忠卿の詩会なり。服右父・磯田子光・山田宗俊・(中神)忠順と同に詩を賦す」 | 三春行楽記 | ⑧34 | ||
やまな けいえもん 山名 啓右衛門 (備中・矢掛) | 「矢掛駅驟遠楼。逆旅の主人に贈る | 南畝集15 漢詩番号2798 小春紀行附録 | ④419 ⑨90 | 文化2年 1805/10/25 |
やまなか 山中 | 「山中君に過りて盆梅を賞す | 南畝集5 漢詩番号0914 | ③314 | 安永10年 1781/02/ |
やまのうち ちゅうざえもん 山内 忠左衛門 | 「山内忠左衛門のもとより四方の赤味噌を贈りければ | 玉川余波 | ②109 | 文化5年 1808/12/ |
やまもと ほくざん 山本 北山 | 「冬夜、高橋梁山の席上、賦して山本 信有 北山に示す、時に梁山蝦夷還【十二月七日】 坐中諸子皆醒世 潦倒深慙独酔顔」 | 南畝集13 漢詩番号2386 | ④290 | 享和3年 1803/12/07 |
「北山先生を哭す【山本信有、字は(二字欠)喜六と称す】 | 南畝集18 漢詩番号3640 | ⑤243 | 文化9年 1812/05/18 | |
「北山先生身まかりしときくに、その墓わが寺と同じければ | 放歌集 | ②194 | ||
「無題 邑大姓無文不識 何須鑿壁借余燈」 | 南畝集20 漢詩番号4524 | ⑤498 | 文政3年 1820/02/ | |
やまもと すいおう 山本 睡翁 | 「竹堂手記抄録一 壬戌七月既望舟遊一行名字 山本政五郎 隣 字徳甫 号睡翁 館名就賢」 | 零砕随筆三 続日本随筆四巻 | ④212 | 享和2年 1802/07/16 |
やまもと とうげん 山本 桐原 | 「竹堂手記抄録一 壬戌七月既望舟遊一行名字 山本藤一郎 定保 字(空白)号桐原」 | 零砕随筆三 続日本随筆四巻 | ④212 | 享和2年 1802/07/16 |
やまもと とくほ 山本 徳甫 | | |||
やまりょう 山領 | 「山領氏の邸舎に集ひ。崎陽の楢林公極に邂逅す | 南畝集18 漢詩番号3572 | ⑤224 | 文化8年 1811/12/ |
「遙かに山領氏の梅◎楼に題す【楼は肥前栄城に在り】 | 南畝集18 漢詩番号3574 | ⑤225 | 文化8年 1811/12/ |