Top浮世絵文献資料館浮世絵師総覧
 
交遊編大田南畝(四方赤良・蜀山人)の詩・狂歌 〔交遊編〕大田南畝関係
(大田南畝、あるいは大田直次郎として交遊のあった人)
【ま】※◯は欠字、◎は表示不能文字
交遊詞書・漢詩・狂歌出典巻・頁年月日
まさき
正木
「正木氏の茶梅の栽【閏八月廿三日】仁田四郎野猪を刺すの図に題す
 昨雨飄風没草莱 新移一樹種茶梅 怪来猶帯紅霞色 恰自天台山北来」
南畝集19
漢詩番号4210
⑤404文化13年
1816閏08/23
ましこ
益子
「栃木にすめる益子ぬしの音曲をたゝへて 浄るりの一声二ふしさみせんのいとゞますますこのむ儀大夫」紅梅集②379文政2年
1819/11/
まじま
間島 守雌
 間島守雌 (別資料) (一柱館)
ましやま せっさい
増山雪斎 (河内守)
「三日、姫路侯の園庭の宴集。長島老侯【増山河内守殿御隠居】・烏山世子・犬塚 遜 印南・画人辺 映 玄対〈一字欠〉雪渓。坐に在り (詩は省略、交遊編の「交遊」参照)南畝集13
漢詩番号2255-6
細推物理
④254
⑧356
享和3年
1803/03/03
「初冬、高野寺の集ひ。長島老侯の瑶韻を和し奉る
 節去秋冬不読書 塵紛酒困意難舒 乗晴偶入蓮華社 詩到無声与世疎」
南畝集15
漢詩番号3694-5
⑤260文化9年
1812/10/
「新田侯の席上、長嶋老侯・滝川南谷君・河寛斎と同じく「暁に花を見る」を賦す
  蓐食行吟墨水東 村園無処不蒙籠 請看清暁千花白 纔帯明霞一片紅」
南畝集18
漢詩番号3755
⑤277文化10年
1813/02/
「長島老侯の六十の寿詞
 長島老侯号雪斎 毎将書画写襟懐 雲従落紙竜蛇走 詩入無声気韻諧 海屋添籌周甲子 薫風飛蓋満庭階
 一拳擎出盆中物 咫尺南山対夕佳
 【侯、石癖有り。一に石顛と号す】」
「文化十二乙亥年四月廿五日、長嶋老侯【増山河州隠居雪竹】六十寿筵にて珍敷杖有之、唐物にて竜虎梅竹の形を彫りたる古き杖也。尤一本にて彫申候」
南畝集19
漢詩番号4040

半日閑話 巻8
⑤359

⑪246
文化12年
1815/04/25
ます
芳村 ます
「芳村おますの女子をうめるを賀してよめる。名は米といふ。長芋問屋何がしの子也
 米の数ますにはかれどつきせじなちぎりも長きいもとせの中」
七々集②273文化12年
1815/11/
まつうら とくしょ
松浦 篤所 (上毛)
「松 則武 乃侯の上毛に帰省するを送る
 都門別酒歎帰歟 応悔遊方定省疎 莫道献親無一物 嚢中詩草腹中書」〈文化10年9月7日死去。33歳〉
南畝集18
漢詩番号3741
⑤273文化10年
1813/01/
まつざき かんかい
松崎 観海
「早春、観海先生の邸舎宴集。春字を得たり
 此日高堂宴 銜杯眺早春 神門佳気外 雉堞御溝浜 草与玄経長 花窺絳帳新 不須南郡妓 已酔問奇人」
南畝集2
漢詩番号0278
杏園詩集一
③94
⑥34
安永3年
1774/01/
「春日、山君忠・岡公修・関叔成・季成・熊阪子彦・山道甫と同じく観海先生に陪し、山士訓に宴す。廬字を得たり
 門下風流御李初 幽期卜得故人廬 中原鞭弭従詞社 負郭閭閻簇客車 開宴新花迎几杖 当歌啼鳥近階除
 由来斯道称山斗 喜列群星驟太虚」
南畝集3
漢詩番号0345
杏園詩集一
③122
⑥36
安永4年
1775/03/
「観海先生集梓成る。感有り
 梁木摧残已十年 微言長見託遺編 名山石室蔵安住 通邑都人士自伝 詞賦猶含千古意 死生空隔九重泉
 寒宵起読青燈下 澟々音容在目前」
南畝集6
漢詩番号1160
③400天明3年
1783/10/
まつざわ
松沢
「夏日、桐隠君・雲室上人と同じく舟を泛べて、松沢氏の荘を過る
 城東万戸隔三叉 一水分流戞浅沙 稚子候門芦荻裏 岸頭初見紫陽花」
南畝集18
漢詩番号3794
⑤288文化10年
1813/06/
まつした
松下 (此君亭)
「小日向壁付番所といふ処に此君亭あり。中ノ橋普請にてまはり道せし時
 江戸川をへだつる中の橋ばしらたつた一重の壁付番所」
あやめ草②71文化7年
1810/03/
「初秋の夜、松下氏の此君亭に飲す 鑿池栽竹引涓泉 梢払青霄葉媚漣 一榻下時風正起 盃行如矢月如絃」南畝集17
漢詩番号3373
⑤164文化7年
1810/07/
「松下氏に寄す 君絶荒年穀 我毀豊年玉 彼此共鍾情 涙珠千万斛」南畝集17
漢詩番号3507
⑤202文化8年
1811/04/
「竹を詠ず【此君亭の為に作る】 松栄柏悦友共紛々 一个清風有此君 我入主人亭上望 千竿秀色緑凌雲」南畝集18
漢詩番号3578
⑤226文化8年
1811/12/
まつしたちゅうべえ
松下 忠兵衛
「梅川といへる酒家のもと舟さしよせて肴もとむに、伴ふ人に松下忠兵衛といふ人あれば
 梅川は松下ならぬ柳橋相方の名はちつと差合」
あやめ草②78文化7年
1810/07/
まつだいら さだのぶ
松平定信(白河侯)
「白川侯の五十初度を寿す 二十年前旧相公 夙知天命題天工 南山豈啻三朋寿 東海長清百世風」
〈南山之寿は長寿の祝い。東海は日本〉
南畝集16
漢詩番号3194
⑤108文化5年
1808/07/
「漁漘【白川少将の園景の一】 霜楓紅染緑 葉々水之漘 乱点漁梁下 清漣簇錦鱗」
〈築地の浴恩園〉
南畝集19
漢詩番号4170
⑤394文化13年
1816/04/
まつだいら ぬい
松平 縫殿頭
池田冠山
「五日前一夕、蜷川君・伴君度と同じく松平君【縫殿頭】の閣に集ふ
 滄海帆檣列若林 飛楼縹緲坐蒼陰 人間五日当明月 老大徒生競渡心」
〈鳥取藩の支藩・若桜藩の第五代藩主、松平縫殿頭定常、池田冠山〉
南畝集18
漢詩番号3631
⑤241文化9年
1812/05/04
「鉄砲洲松平縫殿頭のたかどのにて 鉄砲洲うちいでてみれば山の手のかくもはづれしたまたまの海」放歌集②189
まつだいら ひょうご
松平 兵庫頭
「春日、大司農松平君【兵庫頭】の園池
 訟庭垂晩吏人稀 漭沆滄池忘世機 奇石疎松梅発色 枝々紅白映林霏」 〈勘定奉行・松平信行〉
南畝集14
漢詩番号2424
④307文化1年
1804/02/
まつだいら さど
松平 佐渡守
「冬日、曽我伊州・松平作州二騎将に陪して海禅寺の鰲輩亭に集ふ
 海禅蘭若出塵埃 自有元戎小隊来 咿軋肩輿迎我去 似乗鰲背入蓬莱」
南畝集18
漢詩番号3841
⑤300文化10年
1813ウ11/
まつだいらへいきゅう
松平 平丘
「夏日、松平 法善 平丘の新元興精舎に過る
 園池莱勿剪 好是引薫風 袖払新蒲入 肩摩古柳通 奇人不好内 侍女還疑童 永日恣歓謔 頻傾郫県筒」
「又 寧楽元興寺 君言即我家 投閑忘世諦 講法及瑜伽 族重三河望 庭荒両部蛙 棲遅太平節 剣履絶紛華」
南畝集16
漢詩番号3166・7
⑤100文化5年
1808/05/
まなか
真中
「飯田町二十六夜の会に、真中ぬし、扇にさゝやかなる夕がほの花をのせ来りけるに
 夕がほも火けしやしきのしるしとてさする扇のつるこがしたり」
紅梅集②348文政1年
1818/07/26
「真中、弥生三日に身まかりしときゝて 極楽の図の真中に大まといたてゝうき世をさけやのむらん」紅梅集②361文政2年
1819/03/03
まの
真野
「春雨、新橋の酒楼に重ねて石井仲車の肥前に還るを送る。頼千秋・萩野求之・爽鳩子允・古昔陽・真野氏・福富氏・劉子調と同じく賦して咸韻を得たり (詩は省略、交遊編の「交遊」参照)」
「新橋の酒楼に賦して席上の諸君に呈す 豈知瓊浦客 千里此相逢 海内諸名勝 何如日観峰 右真野氏」
南畝集7
漢詩番号1324
杏園詩集三
③458
⑥85
天明6年
1786/03/
まの
真野
「真野氏菊を贈る。云ふ、是先人の種う所と 餐落将盈把 寒花歳々芳 先人遺愛種 可以比羮墻」南畝集20
漢詩番号4419
⑤467文政1年
1818/10/
まみや
間宮
「首夏、岸汝裕と同じく間宮氏の別業を尋ぬ。亀田 興 鵬斎も亦至る。壁上、月泉の詩を掲ぐ。因りて其の韻を和す
 歩過時雨岡 遥見夏雲起 紅薬殿三春 緑陰連数里 風和舜楽薫 境静秦余似 清話酔還醒 総非都下比」
「岸 綽 慎斎と同じく、根岸の間宮氏の別業に遊ぶ。亀田鵬斎来話。庭に仮山水有り、芍薬階に当る、清興亦佳し」
南畝集13
漢詩番号2263
細推物理
④256
⑧361
享和3年
1803/04/01
まるや
丸屋
「丸屋より藤花をおこせしに 亀井戸の藤と思へばふしながら身をそばきりになしてこそみれ」
〈このところ二十日ほど病床にて起居かなわぬ状態〉
あやめ草②100文政5年
1822/03/
まるや たえもん
丸屋 太右衛門
「八王子千人町丸屋太兵衛(ママ)の庭に一拳石あり。そのさま不二の八葉に似たり
 国つ神富士をつくねし雛形はありけるものを此庭の石
「丸屋太右衛門が家にいこひて昼餉す。これは六樹園の門人にして狂歌を好み、去年の春わが家にも来りしもの也」
玉川余波
調布日記
②131
⑨185
文化6年
1809/02/16
まんしゃみ
満沙弥
「満沙弥の東叡真覚院に遊ぶの作を観、賦して寄す
 天台霞色満香堂 緇素風流藻翰揚 借問一時霊隠寺 何人知有駱賓王」
南畝集6
漢詩番号1113
③384天明2年
1782/06/
「首夏、満沙弥の南総に之くを送る
 朝出天台向海辺 憐君白業属青年 煙花変作桑蚕月 到処清陰満福田」
南畝集6
漢詩番号1185
③384天明4年
1784/04/
まんとう
万藤
「銀台の臥雲上人、肩輿を以て迎へらる。檀越万藤生、河 世寧 寛斎・辺玄対諸君を邀へて之を酌み、
 壑亭に移る
 三月看過小尽前 已逢初夏緑含煙 宿酲酒醒開双眼 隠坐輿軽駕両肩 金馬門辺沈陸吏 銀台林下臥雲禅
 由来長者称須達 能転香厨飽一莚」
南畝集17
漢詩番号3502
⑤201文化8年
1811/03/28
まんねん
万年
「冬日、万年君・文竿子・祝阿弥と同く三百坂に宴す。河東を聞く
 河東の一曲弦歌に合す  文句文竿祝阿を感ぜしむ  賓主の礼儀三百坂  万年の歓楽此中多」
〈『蜀山人判取帖』に「山手白人。住三百坂」とあり。通称布施弥二郎、幕府勘定留役。
 万年は「留役方」万年市十郎か(『よしの冊子』天明九年一月記事参照)文竿は地口有武、『蜀山人判取帖』に「星野瀬兵衛号文竿駿河台ぬひ女同人妻」とあり。祝阿弥は洲崎料亭望汰蘭の主人升屋惣助)この日のことは『俗耳鼓吹』⑩52に見える〉
壇那山人
藝舎集
①472天明1年
1781/10/17
Top浮世絵師総覧交遊編大田南畝関係