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交遊編 【し】大田南畝(四方赤良・蜀山人)の詩・狂歌 〔交遊編〕大田南畝関係
【十千亭】(じゅっせんてい)(万屋助次郎) 【交遊】(文人サロン) ※◯は欠字、◎は表示不能文字
詞書・詩歌出典巻・頁年月日
「春日、十千亭主人と同じく将に墨水に遊んで桃花を看んとす。口占
 陽春仮我好風光 気暖晴煙白日長 将向墨河源上去 桃花深処訪漁郎」
南畝集8
漢詩番号1529
④14寛政1年
1789/03/
「春日、十千亭主人と同じく江東に遊んで宴す。臥竜梅下に美人を見る
 梅竜花発白鱗鱗 幾歳蟠根臥水浜 髣髴暗香疎影色 徘徊素服淡粧人」
南畝集8
漢詩番号1578
杏園詩集三
④30
⑥91
寛政2年
1790/02/
「春日、十千亭主人と同じく御殿山に遊んで花を看る。山、一に袖岡と名づく
 袖払春風上袖丘 丘中花気袖中流 携帰満目芳菲色 欲贈幽人不自由」
南畝集8
漢詩番号1602
④39寛政2年
1790/03/
「暮春、十千亭主人と同じく金輪寺に遊んで花を看る
 熊野峰前王子宮 飛来一託百花叢 丹青剥落空堦色 紅白霏微満地風」
南畝集8
漢詩番号1609
④42寛政2年
1790/03/
「暮春、十千亭主人と同じく西原に遊んで牡丹を看る
 行経駒谷入西原 日慕園丁欲掩門 中有名花如処女 天香国色露華繁」
南畝集8
漢詩番号1625
④46寛政2年
1790/03/
「初秋、十千亭主人と同じく舟を墨水に泛べて綾瀬に至るの作
 綾瀬清如練 乗潮遡墨田 玄蝉鳴岸樹 白鷺破村煙 暑退新秋気 風生浅水辺 芦中人不見 停棹酔将眠」
南畝集9
漢詩番号1740
④91寛政3年
1791/07/
「冬日、十千亭に集ふ 緑萼梅花照殿紅 春光早已満湘筒 十干亭上十干酒 忘却流年一酔中」南畝集9
漢詩番号1773
④101寛政3年
1791/11/
「十千亭の花信風の巻に題す 年々桃李芳相似 処々園林種不同 二十四番春信外 大東須補此花風」南畝集9
漢詩番号1837
④121寛政5年
1793/02/
「十千亭主人、二帖を寄す。一は則ち北村季吟翁の冠服図考、一は則ち西川祐信の秘戯図なり。戯れに賦して謝と為す
 北叟衣冠象 西川秘戯図 併投南畝子 東壁供遊娯」
南畝集13
漢詩番号2192
④235享和2年
1802/10/
「夏晩、十千亭と同じく酒楼に飲す 手携歌妓逐涼風 散歩長橋二水東 従少慣看煙火戯 等閑蹝履避人叢」
「其の二 小楼高処挿青旗 肴満円方酒満巵 艶曲新歌五大力 更疑菩薩蛮中詞」
「其の三 黄菊楼頭倒王缾 緑楊橋外伴娉婷 銀河倒潟涼棚上 指点牽牛織女星」
「廿二日、十千亭とともに、暮がたより両国に涼とらんと出ゆく(中略、料亭菊屋の物干しにて納涼)三すぢの糸心ゆくばかり酒くみかはし、あまのかはの流ちかき七夕の星のきらめくを指さし、をしへなどし、夜ふかしてかへりれり」
〈菩薩蛮は宮廷歌謡の替え歌(填詞)という。芸妓お益の三味線で聞く艶曲「五大力」を擬えたもの。娉婷は美女、芸者のお益〉
南畝集13
漢詩番号2301-3
細推物理
④266
⑧375
享和3年
1803/06/22
「早春、十千亭と同じく心光院の元石師を訪ふ 赤羽橋頭院 青春午後天 二十年前事 心光照一筵」南畝集16
漢詩番号2866
⑤11文化3年
1806/01/13
「葉月十日の朝、十千亭のあるじみまかりしときヽて
 思ひきや野分の後の音信に露の玉の緒たゑんものとは
 かぞへみんはたとせあまり二とせのむかしの夢を今のうつヽと」

「同じ夜夢にみえければ なき魂のありかはきのふきその夜のゆめのたゞちにみへし面影」
をみなへし②44文化6年
1809/08/10