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交遊編大田南畝(四方赤良・蜀山人)の詩・狂歌 〔交遊編〕大田南畝関係
(大田南畝、あるいは大田直次郎として交遊のあった人)
【こ】※◯は欠字、◎は表示不能文字 ごしゃてい
五車亭
交遊詞書・漢詩・狂歌出典巻・頁年月日
こいや
とうざえもん
鯉屋 藤左衛門
「鯉屋藤左衛門が宿にて河東ぶし松の内を聞く
 末の代に沅湘日夜ながれてもむかしにかへれ花の江戸節」
「鯉屋にて河東節松の内をきく あら玉の空青みたるあけぼのはつねきく鳥もわか水の音」
「鯉屋に鮟鱇汁を食ふ      此冬も御鮟鱇とは秋ながら吸物らわんのふたとりてしる」
「河東ぶしかぶろ万歳をきゝて にぎやかなつぶりの禿万歳は今をさかりの花の江戸ぶし」
放歌集
書簡210
②203・205
⑲264
文化9年
1812/09/29
「鯉屋聞河東曲 日本橋千尺 河東曲一声 寧為遊侠客 勝作腐儒生」南畝集18
漢詩番号3687
⑤258
こう
某侯
「早秋、某侯の荘に遊ぶ
 名園呑梓沢 別墅圧山陰 豈憶諸侯富 猶存一壑心 営丘遺紱冕 臨水洗塵襟 苔石偏成趣 松筠自作林
 諸風秋已早 余興月将臨 庭掃梧桐葉 階来鳥雀音 予遊移小隊 奇功費千金 聊寓芻蕘目 貪看感古今
南畝集1
漢詩番号0111
③37明和9年
1772/07/
こう
阿香
「暮春甲子、雷雨す 残春甲子雨滂沱 雷電驚人水転渦 阿香何処推車去 芳意全消緑満柯」南畝集20
漢詩番号4355
⑤449文化15年
1818/03/26
こういいん
河惟寅
 河惟寅 (別資料) (川口田阿・河益之)
こううんかく
江芸閣
「清人江(二字欠)芸閣の寄せらるるの韻を和す
 瓊山芸閣酒将酣 採筆堪揮韵可探 縦是各天無識面 十年清興夢中諳」
南畝集19
漢詩番号4207
⑤404文化13年
1816閏08/
こうえきし
河益之
 河益之 (別資料) (川口田阿・河惟寅)
こうきょう
高恭
「仙川の里正・高恭、字子濫の詩有り、韻を次ぐ
 白沙如玉々河隅 一雨春生石上苔 纔聴鴬児能学語 方知草沢有詞才
 同前 風吹石瀬曲流懸 橋外徐々近午天 春早峭寒門不出 疎松列立向陵辺」
玉川余波②119文化6年
1809/01/15
こうこかん
岡故完
「春日、石仲車、邀へて麹坊の鶴巣楼に飲す。赤崎彦礼・稲垣恵明・爽鳩子允・萩野求之・馬景徳・辺道壱・岡故完・原子文・井子瓊・鈴一貫・春菶仲と同じく賦して佳字を得たり」(南畝集7)
「天明八年戊申二月廿一日、鶴巣亭に集ひ、韻を分かつ」(遊娯詩草) (詩は省略、交遊編の「交遊」参照)」
南畝集7
漢詩番号1417
杏園詩集三
遊娯詩草
③491
⑥89
⑥295
天明8年
1788/02/21
こうざん
衡山禅師
「席上奉和衡山禅師 梅花世界入芳辰 苦海慈航字々新 俗吏松間行喝道 閑房逢著六朝人」
〈菅村、仙谷山寿福寺主僧〉
玉川余波②122文化6年
1809/01/23
こうざん
緱山
「春日、緱山の西遊するを送る 乍御東風去 春遊一何楽 翛然往又来 莫待緱山鶴」
〈「緱山鶴」とは緱氏山の鶴。鶴に乗る王子喬の故事を踏まえる〉
南畝集19
漢詩番号4261
⑤418文化14年
1817/03/
こうざんしおく
江山詩屋
 江山詩屋 (別資料) (大窪詩仏)
こうしじゅん
広子純
 広子純 (別資料)
こうじゅんし
岡順之
「十八夜、岡順之・安子潤・子穆・滕言卿・原子立・木徳貞・甥義方と同じく高田に遊ぶ。山字を得たり」
 但し詩無し」
南畝集4
漢詩番号0565
③199安永7年
1778/08/18
「秋日、岡順之の尾州に還るを送る
 人間許史促帰装 遥指仙郷是故郷 姑射城中氷雪色 蓬莱山上海雲長 鱸魚蓴菜何関思 火棗交梨自可嘗
 客路秋風吹欲尽 丹楓如錦映衣裳」
南畝集7
漢詩番号1374
③474天明7年
1787/09/
こうちゅうかん
高仲幹
 高仲幹 (別資料) (高木芳洲)
こうちくり
高竹里
「高竹里の「九月十三夜」を和す
 与君同作客 両地転相憐 思夢風将破 残秋月欲円 筆香攀桂夕 露冷授衣天 流照千余里 名山且大川」
南畝集12
漢詩番号2055
④188享和1年
1801/09/13
「穀日、高 久平 子要の竹里館に過る。菊池 習 博甫・大沼 典 子経・榊子文と同じく賦す
 (詩は省略、交遊編の「交遊」参照)」
南畝集16
漢詩番号2990
⑤49文化4年
1807/01/08
こうのいけ
鴻池
「鴻池氏酒を贈る 十月霜威不可当 満天黄落北風涼 美人贈我鴻池酒 一転寒郷作酔郷」南畝集18
漢詩番号3817
⑤294文化10年
1813/10/
ごうはいさんぼう
鰲背山房
 鰲背山房 (別資料) (橋爪)
こうもと
河本 (丸亀藩)
「暮秋、円亀侯の邸舎の河本氏の宴集
 簷掛果羸実 圃開黄菊花 雖栖朱邸裏 如入白雲涯 畳水竜蛇蟄 辞巣燕子斜 一樽東海近 下物即魚蝦」
南畝集18
漢詩番号3561
⑤221文化8年
1811/10/
こうゆう
交友
 交友 (別資料)
こが せいり
古賀 精里 (淳風)
「正月十一日、古賀 樸 精里・尾藤 肇 二洲二学士、頼 惟完 霞厓・倉 茎 子成・辛島 憲 塩井・鈴木 恭 白藤・草加 環 循仲諸君と同じく岡田 恕 寒泉宅に集ふ。寒字を得たり (詩は省略、交遊編の「交遊」参照)
「県令岡田 恕 寒泉亭集、琴碁書画の興有り、同会者、古賀 樸 淳風・尾藤 肇 志尹・頼 寛 千秋・倉成 菫 子成・鈴木 恭 白藤・辛島 憲 才蔵・草加 環 循仲等なり (詩は省略、交遊編の「交遊」参照)」
〈『細推物理』には参会者の詩あり〉
南畝集13
漢詩番号2220
細推物理
④244
⑧343
享和3年
1803/01/11
「早春、尾藤 肇 志尹・古賀 樸 淳風・山上 定保・倉 茎 子成・頼 惟柔 千祺諸子と岡田 恕 忠卿に集ふ
 (詩は省略、交遊編の「交遊」参照)」
南畝集14
漢詩番号2409-10
④302文化1年
1804/01/
こが こくどう
古賀 穀堂
「古賀 燾 普卿の寄せらるるを和す 栄城家学自千秋 傾蓋先知抜俗流 老懶毎遭児輩撹 時々下筆不能休」南畝集19
漢詩番号4145
⑤387文化13年
1816/02/
こが
古河某
「古河のわたりにすめる人、うかれめのもとにことづけてゝ、桑の木もてつくれる飯櫃をおくりけるに
 これなくは(桑)中気やせんとまくらかの古河のおきやくの思しめし次」
七々集
万紫千紅
②248
①284
文化12年
1815/08/
こげつてい
湖月亭
「遥かに白川の大夫(二字欠)氏の湖月亭に題す 坐看湖上月 行傍月中湖 湖月亭何在 一清帰大夫」南畝集17
漢詩番号3265
⑤133文化6年
1809/09/
こざん
虎山
「虎山子の佐渡に帰るを送る あら海を虎の子をわたし恙なく帰る故郷は千々の金山」あやめ草②86文政4年
1821/06/
こしかわ
越川
「加賀の国にすめる越川氏の家に蔵る竜尾石の硯は、いさごのこりかたまりてをのずからあやある石のかたちをなせるを、人のたくみをそへて硯とはなせるなりけり。これにざれうたよみてとのもとめいなみがたく、いさゝかをろちの足を書そふるものならし【欄外。白藤子所乞】
 竜の尾のすゞりにむかひあま雲のすみすりながし筆うるほさん」
万紫千紅①274文化11年
1814/
こじま しょうえん
小島 蕉園
「病を力めて不忍池に遊び、蓮を看る。鱸猶人・山正宜・島蕉園に邂逅す
 台嶽晨光宿霧重 花開十里玉芙蓉 煙霞疾与遊仙侶 邂逅相逢酒一鍾」
南畝集20
漢詩番号4387
⑤458文政元年
1818/07/03
「小島蕉園の薬を饋るを謝す。韻を次ぐ 半歳沈痾起色通 胸中磊塊一時空 美人芍薬能相贈 国老経綸自有功」南畝集20
漢詩番号4422
⑤468文政元年
1818/11/
こじま
ろくろうざえもん
小島
六郎左衛門
「稲荷新田の名主六郎左衛門が七つ目なりとて岐山のかける雨に虎のゑあり
 からかさの六郎左衛門が七つ目にあたれる雨の虎の勢ひ
「稲荷新田六郎左衛門がやどにて、つゞみの筒のかたちしたる盃台を出しければ
 酒の上の太平楽はいはずとて万歳楽とうつ舌つゞみ」
玉川余波②140
141
文化6年
1809/03/9・10
ごしゃてい
五車亭
「五車亭主人、客を百川楼に邀へて北堂の七十を寿し、亀鶴図を以て題と為す
 堂背栽萱日 旗亭献寿筵 新開亀鶴図 更接蓬莱仙 丹頂期千載 青縁曳百川 南山歌幾曲 与酒共如泉」
南畝集19
漢詩番号4264
⑤419文化14年
1817/03/
「五車亭主人、客を百川楼に邀へて北堂の七十を寿し、亀鶴図を以て題と為す
 堂背栽萱日 旗亭献寿筵 新開亀鶴図 更接蓬莱仙 丹頂期千載 青縁曳百川 南山歌幾曲 与酒共如泉」
南畝集19
漢詩番号4264
⑤419文化14年
1817/03/
「五車亭の盆梅を恵むを謝す
 愛此紅梅樹 双々一瓦盆 為君分恵賜 封植発培根」
南畝集19
漢詩番号4678
⑤540文政5年
1822/12/
ごしゅつえん
五出園
「五出園の集ひ。高倉 載 雄偉の対州に之くを送る。歌韻を得たり
 春前喜色動庭柯 脈々泉流勧酒多 馬島鶏林千万里 丈夫唯託一驪歌」
南畝集17
漢詩番号3454
⑤187文化8年
1811/01/07
こせきよう
古昔陽
「春雨、新橋の酒楼に重ねて石井仲車の肥前に還るを送る。頼千秋・萩野求之・爽鳩子允・古昔陽・真野氏・福富氏・劉子調と同じく賦して咸韻を得たり (詩は省略、交遊編の「交遊」参照)」
「新橋の酒楼に賦して席上の諸君に呈す 日本長橋外 城東一水浜 経術元称美 紛綸井大春」
南畝集7
漢詩番号1320
杏園詩集三
③457
⑥84
天明6年
1786/03/
こだま くうくう
児玉 空々
 児玉空々 (別資料) (宿谷 慎)
こちょうしん
胡兆新
 胡兆新 (別資料) (清人)
ごとう
五島
「九月十三夜、井子瓊・鱸猶人・山徳甫・五島氏及び俶子と同じく高田に遊ぶ。篠竹堂を遅(ま)つに至らず
 (詩は省略、交遊編の「交遊」参照)
南畝集13
漢詩番号2341
④277享和3年
1803/09/13
ごとうてい
梧桐亭
「梧桐亭の集ひ。感有り 梧桐亭上訪仙翁 霜雪頻飛葉々空 唯有私衣翻酒汚 今宵一洗酒盃中」南畝集18
漢詩番号3829
⑤297文化10年
1813/11/
ごとう ぬいのすけ
後藤 縫殿助
[二月初吉、後藤氏の深川の別業の集ひ
 漭沆滄池宛転橋 一枝春早雪封条 酒間頻使周郎顧 一曲三絃命二喬」
南畝集19
漢詩番号3970
⑤340文化12年
1815/02/01
「後藤縫殿助、深川の別荘にて 鴬の縫殿の名におふ花笠は門よりしるき梅のさし入」
 同人、ちよくにて酒をすゝむるとて
     子は父のためにかくせしちよくなればはては茶碗でのまんとぞ思ふ
 返し ちよくの酒のむにつけても深川の親碗蔵のをしえ忘れず」
七々集②224
こにし
小西
「小西氏八十八の賀に
 長生ときく仙人のこにしあれば八そぢ八とせはいまだ童べ
 あづさ弓八そぢ八とせを玉椿やちよの春のためしにぞひく
七々集②277文化12年
1815/11/
こはし
小橋
「弥生はつか、根岸小橋氏の山里にまかりしに、庭のさくらさかりなれば、此比うたひものせるさいのぶしのふりをまねびて
 池の中島桜がさいたさいの/\。  かかる小橋をわたる外はないし/\
 花のお江戸が上方くさいさいの/\。芝翫きらひといふ事ないしよ/\」
紅梅集②331文化15年
1818/03/20
こばやし しげたか
小林 重高
「小林重高朱文公の墨跡を贈り候返し
 伝へこそ代々の聖のみちのくの遠きむかしのしのぶ文字摺
半日閑話3⑪94天明?
こばやし ながふみ
小林 長文
(小林子博)
「拝島村。林長文子博の春雨に寄せらるに和す
 烟雨霏微灑草廬 梅香麦○発生初 新開版牐溝渠上 莫使春流浸客車
 畳和
 簷霤微々遶寓廬 回風不転雨如初 荊榛炉上烟篭突 碡碌渓辺水転車
 つちくれをうるふばかりに雨はれよ明日は川辺をめぐる小車
玉川余波②130文化6年
1809/02/12
「きさらぎ十四日のあした、長文〔欄外。小村長文 称源三郎〕
 よべより雨はれぬればむら鳥のたちいづべくもおもほゆる哉
 といひおこしければ、返し
 われも又雨はれぬればむら鳥の羽村あたりゆかんとぞ思ふ」
調布日記②120文化6年
1809/02/14
「小林子博の寄せらるに和す 
 云是黄金堰上来 笑煩郵使報花開 明朝一逐芳菲去 南斗酒槳誰作魁〈小金井の桜〉
玉川余波②136文化6年
1809/02/29
「長文がうたに、むさし野のたびねならではいかでみん月のかくるゝ山なしの花、ときこえしかば
 春雨のうるほふ枝の山なしのきのふの花はけふのありのみ
調布日記⑨275
こやま どりゅう
小山 土竜
「浪華の人、鎌孫に贈るに二木偶を以てす。此を賦して謝と為す
 侲童戯馬玉為顔 不弄牽糸尽日閑 擎蓋掉頭揮掲扇 磬控縦送一機関
 其の二 舞木如聞舞踏声 金鈴彩扇共軽盈 分明一曲三番叟 日照巌頭瀑水鳴」
〈『細推物理』10月23日記事に「浪花の小山土竜」とあり。この人がこの機関人形を孫の鎌太郎の土産としたか〉
南畝集13
漢詩番号2368-9
細推物理
④286
⑧395
享和3年
1803/10/23
こんごうあん
金剛庵
「八月朔、金剛庵に集ふ。壁上の一聯に「八月秋風木犀開く」の句を題するを見る。主人に問へば則ち曰く、西肥の大痴禅師の偈なりと。余、山僧の雅致有るを嘆じ、因りて以て咏を成す
 八月秋風木犀開 秋香満院絶塵埃 閑庭寂寂無人跡 試携同友歩緑苔 壁上更見竜蛇勢 鉢底風雲起崔嵬
  酔臥転憐雲臥冷 山中蓮漏莫漫催」

「金剛庵小集。安小穆の酒饌を携ふるを謝す
 風流不譲晋時賢 旧社同遊入白蓮 為是王弘携酒饌 更令彭沢酔留連」
「金剛庵四時詠
 春 高田一路接幽居 花木欣欣宿雨余 野老山僧相対説 西疇春事定何如
 夏 詩なし   秋 詩なし   冬 詩なし」
南畝集4
漢詩番号0685
0686
0687-0690
③238安永8年
1779/08/01
こんどう
近藤
「清水の少傅近藤氏の六十を賀す
 華裾幾歳曳朱門 此日朝回命酒樽 魯国応歌三寿頌 淮南自列八公尊 家園楽飲迎初度 雨露春風入旧恩
 聞道本技伝百世 長将楨幹鎮雄藩」
南畝集3
漢詩番号0329
③118安永4年
1775/01/
こんどう
近藤
「小松川のほとりに、おほやけにてみかりありし時、みかり場の事にかゝづらふ近藤某何がし、けふなん靏の三つばかりもみてにいるべきいはひ歌つかふまつるべきよし、みかり場のほとりにてせちにせめ給ひければ
 春またでしめつる野辺の小松川三千年も手のうちにあり
  あまりに名歌ゆへにや、そのしるしさらになかりき」
巴人集②425天明3年
1783/12/13
こんどう しこう
近藤 子厚
「近藤 篤 子厚に示す 名利士風論得失 浮華世態伝虚実 非常未必用非常 直道何人不三黜」南畝集16
漢詩番号3127
⑤90文化5年
1808/02/01
こんどう せいさい
近藤 正斎(重蔵)
 近藤正斎 (重蔵) (別資料)
こんにちあん
今日庵
「遥かに飛弾高山の今日庵に題す【主人の名、長等】
 一室称今日 窓前日日情 牛山多彩翠 猪谷変陰 興共詩材足 心随酒気清 飛州千万古 大匠好伝名」
【飛州高山、臥牛山・猪谷有り】
南畝集9
漢詩番号1892
④139寛政5年
1793/09/
Top浮世絵師総覧交遊編大田南畝関係