被団協新聞

非核水夫の海上通信【2011年】

このコラムは、川崎哲氏(ピースボート地球大学)によるもので、
「被団協」新聞に2004年6月から掲載されています☆☆

2011年12月 被団協新聞12月号

放射線規制 IAEAでいいのか

 福島の事故後、原子力安全保安院が経産省の下にあることが問題視され、新しい原子力安全庁は環境庁の下に置かれることになった。IAEA閣僚会合では国内規制当局の独立性がない日本は批判の的となった。推進者が規制者も兼ねるというのは矛盾しており、当然のことである。
 ならば、IAEA自身はどうなのか。IAEA憲章によれば、その目的は第1に原子力の平和的利用の促進であり、第2に軍事利用の防止である。原子力推進をうたう機関が、安全性に基づく規制を本当にできるのか。
 IAEAは世界保健機関(WHO)との間に協定を結んでおり、WHOは放射線の健康基準などを定める際にIAEAと協議しなければならない。事実上、WHOに対しIAEAが拒否権を持っているに等しい状況だ。これでは規制はできない。
 原子力産業のためにではなく、人間の健康と環境のために規制を行う国際制度が必要だ。
川崎哲(ピースボート)

2011年11月 被団協新聞11月号

福島原発事故の検証こそ

日本の責任
 福島の事故を受けて9月、潘国連事務総長の呼びかけで原子力安全に関する会合がニューヨークで開かれた。
 だが議論の実質は乏しかった。そもそも原発の安全性確保は各国の責任とされている。核兵器への転用防止措置は、国際的な監視の下、違反があれば国連による制裁まで発動される。これに比べて原発の安全性基準には強制力がない。
 日本の玄葉外相はこの会合で、安全性強化の実質論は語らず「風評被害の防止」を強調した。野田首相に至っては「日本は、原子力利用を模索する国々の関心に応えます」と、原発輸出を継続するというアピールをしたのである。
 日本の本来の責任とは、福島の事故を検証し、今後起こりうる人体および環境への被害を防止し、二度とこうした事故が世界のどこでも起きないような策を率先して講ずることだ。しかし首相らの演説を聴く限り、まったくの不作為か逆行である。
川崎哲(ピースボート)

2011年10月 被団協新聞10月号

核兵器禁止条約を議論 軍縮松本会議

 7月の国連軍縮松本会議で、核兵器禁止条約に関するセッションがもたれた。国連軍縮会議は毎夏日本で開催されており今年が23回目だが、核兵器禁止条約が正式な議題になるのは初めてである。潘国連事務総長が核兵器禁止条約を提唱していることが背景にある。約3時間にわたるセッションではニュージーランド、米国、インドネシアのパネリストと並んで私も発言した。米国やドイツを含む各国の大使が率直にフロアから意見を述べた。
 核兵器禁止条約を実現する場合に直面する問題が具体的に議論された。たとえば、核兵器がないことをどう検証するのか。条約の発効要件をどうするか。
 一方でそもそも核兵器禁止条約が必要か疑問視する声も少なくなかった。核不拡散条約(NPT)に則って軍縮と不拡散を両立させるのが大事だという。だが、それだけでは廃絶は展望できない。
 道のりは遠い。だが議論ができたことはまずは一歩前進だ。
川崎哲(ピースボート)

2011年9月 被団協新聞9月号

憲法九条 チュニジアで議論

 チュニジアでは1月に市民が独裁政権を打倒し、中東市民革命のさきがけとなった。5月、その首都チュニスに被爆者2人を乗せた船が入港した。
 現地で民主化に取り組むNGOを訪ねた。被爆者の証言に対しては「原子力問題も議論したい」という。さらに「日本の憲法九条について聞かせてくれ」と言われ驚いた。同国は新政権と新憲法を作っていく過程にある。その中で日本の憲法に学びたいという。
 九条の話をしたところ、いくつかのコメントが出た。日本の憲法は国家間の戦争を防ぐという意味で重要なのだろうが、チュニジアで深刻なのはむしろ内政問題だ、とか。チュニジア新憲法に向けていま議論されているのは環境権だ、とか。
 コスタリカなど、日本とは別の文脈で平和憲法を持っている国の人も交えて議論できればいいのにと思った。言語の壁があり議論を深められなかったが、今後につながる出会いであった。
川崎哲(ピースボート)

2011年8月 被団協新聞8月号

ギリシャの田舎町で 地域社会の力

 5月、長野の藤森さん、愛媛の松浦さんと共にギリシャのキパリシアという町で証言会を行った。アテネから車で3時間、ペロポネソス半島西岸のオリーブ畑が広がる小さな町で、人口八千人のうち三百人が集まった。
 主催したのはキパリシア文化協会という住民の自治組織だ。以前ピースボートがアテネで行った証言会が新聞に載り、それをみて「我が町でも」と連絡してきた。フクシマ以降、やはり関心は高い。
 協会の役員は住民の選挙で選ぶ。会長・副会長ともに主婦だ。事務所やスタッフはない。
 「政府が地方のことを何もしないから、自分たちでやるのよ」と中心メンバー。前回は乳ガン問題を扱い、次は貧困問題に取り組みたいという。毎年、各国の団体と音楽・舞踊の交流もする。すべて自前の財政でだ。
 日本の新聞でギリシャといえば財政破綻の国だ。しかしその地域社会には底力があった。日本でも参考にしたいモデルだ。
川崎哲(ピースボート)

2011年7月 被団協新聞7月号

核のリスク NPTを越えるとき

 核不拡散条約(NPT)は、世界で核を規制する唯一の多国間条約だ。核兵器を持たないとの誓約と引き換えに核の平和利用は認める、というのが原則だ。
 NPTができた68年に日本は核の基本政策を発表し、非核三原則と並んで平和利用推進をうたった。以来日本は、国際的査察をきっちりと受けながら原発を進める、いわばNPTの模範生となった。
 国際社会では核兵器反対と平和利用促進をセットで語ることが常識となり、日本では、国策としての原発推進を背景に、核兵器反対論には原発論議を持ち込まないのが主流となった。そして、核兵器廃絶をNPT会議で訴える運動が恒例化した。
 福島の事態を目の前にして、私たちは、こうしたNPTの枠組みでの反核運動から卒業すべきではないか。今後は核兵器と原発を横に並べ、核のリスクとしてとらえる姿勢が必要になる。ヒバクシャには、核被害の本当の姿を伝えるという大切な役割がある。
川崎哲(ピースボート)

2011年6月 被団協新聞6月号

安全保障 政府と市民が地球規模で

 東日本大震災は「国の防衛や安全保障とは何か」という根本を私たちに問うている。
 これまでは外国の侵略から国を防衛することが安全保障だとされてきた。しかし戦後最大の国家危機を生み出したのは、自然災害であり、また経済・平和目的とされた核技術であった。脅威は外にではなく、内にあった。
 自衛隊を最大動員しても人手が足りない。民間ボランティアは被災者救援の中心的存在だ。この機に乗じて日本を攻める国などなく、むしろ多くの国は救援のオファーをするが、日本側に受け入れ能力がなく断っている。
 放射能漏れについて日本政府の情報公開が遅いので、人々はインターネットで欧州各国の予測データをよみ避難や防護を考えた。
 核抑止力と強大な軍隊による国家間の恐怖の均衡を安全保障と呼ぶのはもう止めよう。社会に内在する脅威を、政府と市民が地球規模で協力し取り除いていく、人間の安全の保障の時代を築こう。
川崎哲(ピースボート)

2011年5月 被団協新聞5月号

被爆者の役割は大きい

 大震災の報に接したのは「ヒバクシャ証言の航海」で欧州にいたときだった。以来「ヒバクシャはフクシマをどう見ているのか」とくり返し聞かれたし「広島・長崎でそれほどの被害を受けた日本はなぜ50基以上もの原発をつくったのか」とも言われた。
 ノーモア・ヒバクシャを訴える旅が一転、日本は、大気や海に放射能をまき散らし世界から懸念される国になってしまった。
 タヒチでは「核の惨事を防ぎこれからのヒバクシャを出さないことが課題」だったと、この欄で2カ月前に紹介したばかりだ。その1カ月後に、惨事が起きてしまった。
 人々が放射線の脅威に直面した今、広島・長崎のヒバクシャの役割は大きい。学者はテレビで「何ミリ以下なら安全」とか言っている。しかしヒバクシャの皆さんには、放射線が無差別に人を傷つけ長く苦しみをもたらす現実を、自らの経験から語ってほしい。
川崎哲(ピースボート)

2011年4月 被団協新聞4月号

核問題、教育が課題

 2月5日にピースボートはタヒチに入港し、一行はテマル前大統領らとの面会や被爆証言・交流などをこなした。タヒチからは20〜30代の若者4人が日本に行き広島・長崎を訪問して帰国したので、彼らはインタビューぜめにあった。地元紙は、核実験被害者の運動が「若い世代へバトンタッチ」と報じた。
 だが現実は厳しい。当初現地の公立中学校を訪問する予定だったが、直前に中止された。学校が許可しなかったという。急きょ私立中学校を訪問した。ほとんどの学生にとって核の話は初めてだったようだ。15歳の学生は、タヒチ周辺で核実験をしたのは米国だと思っていた。仏による最後の核実験の頃に生まれた子どもだ。
 学校では核問題はほとんど教えられていない。地元ではマンガで若者に伝えようとしている。タヒチの若者は一緒に旅した日本の高校生平和大使と意気投合し、今後の協力を約束しあった。まずは教育が課題だ。
川崎哲(ピースボート)

2011年3月 被団協新聞3月号

核実験被害/環礁崩壊で津波のおそれ

 1月下旬から2週間横浜・タヒチ間のピースボート船上で、日本、タヒチ(仏領ポリネシア)、豪州の3国市民による「グローバル・ヒバクシャ・フォーラム」を開催した。日本の原爆投下、タヒチの核実験、豪州のウラン採掘の被害者と若者らが集った。現象は異なるが「核の連鎖」でつながる同じ放射線の被害者である。差別や認定をめぐる闘いなど、共通の課題は多い。
 洋上会議中の1月27日、仏国防省は、核実験が行われたモルロア環礁などでは環礁が崩壊し大規模な津波が周辺の島を襲うおそれがあると発表した。現地団体「モルロアと私たち」によれば、200回近い核実験の結果周辺の地層は「チーズのように穴だらけ」でプルトニウムも蓄積されている。だがいまだに環礁はフランスの軍事所有地であって地元民にアクセス権はない。
 核の惨事を防ぎこれからのヒバクシャを出さないということが、タヒチでは目の前の課題になっている。
川崎哲(ピースボート)

2011年2月 被団協新聞2月号

原則なき原発輸出

 昨年は、核兵器禁止条約という目標がくり返し確認された1年だった。NPT再検討会議、潘国連事務総長来日、ノーベル平和賞サミットと続いた。今年は、それを行動に移せるかが問われる。
 だが日本政府の腰は重い。昨秋の国連総会では、核兵器禁止条約への交渉開始を求める決議案にまたもや棄権した。政府の説明は、今は「核兵器国を関与させた現実的な措置」をすべきというものだ。政権は変わったのに昔から同じ言い訳だ。
 NPT会議の中でも、核兵器国は核兵器禁止条約という文言に猛烈に抵抗した。核兵器国が受け入れることだけをやっていては、目標への道は開かれない。
 国連決議に賛成したスウェーデンは「特定の条約案にとらわれずさまざまな可能性を話し合うべきだ」と述べている。それでよい。まずは準備作業を始めるべきだ。それすら無理というのなら、それはやる気がないということだ。
川崎哲(ピースボート)

2011年1月 被団協新聞1月号

核兵器廃絶へ準備作業を

 昨年は、核兵器禁止条約という目標がくり返し確認された1年だった。NPT再検討会議、潘国連事務総長来日、ノーベル平和賞サミットと続いた。今年は、それを行動に移せるかが問われる。
 だが日本政府の腰は重い。昨秋の国連総会では、核兵器禁止条約への交渉開始を求める決議案にまたもや棄権した。政府の説明は、今は「核兵器国を関与させた現実的な措置」をすべきというものだ。政権は変わったのに昔から同じ言い訳だ。
 NPT会議の中でも、核兵器国は核兵器禁止条約という文言に猛烈に抵抗した。核兵器国が受け入れることだけをやっていては、目標への道は開かれない。
 国連決議に賛成したスウェーデンは「特定の条約案にとらわれずさまざまな可能性を話し合うべきだ」と述べている。それでよい。まずは準備作業を始めるべきだ。それすら無理というのなら、それはやる気がないということだ。
川崎哲(ピースボート)