被団協新聞

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「被団協」新聞2011年 2月号(385号)

2011年2月号 主な内容
1面 国家補償の焦点/死者が最大の被爆者
イギリスBBCテレビが「二重被爆」を笑いの種に
2面 私が求める「原爆」への償い
英BBCの番組に対する、日本被団協代表委員の談話
原爆症訴訟/札幌地裁で勝訴
「90歳の被爆者が…」と話題に/埼玉
意見書採択
3面 被爆者の話、伝えよう
座り込みや要請の先頭に/東友会(東京都)
ヒロシマ・ナガサキをつたえる(2)
4面 相談のまど
声のひろば
本の紹介

国家補償の焦点/死者が最大の被爆者

田中熙巳現行法改正検討委員会委員長に聞く

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「基本懇」答申直後の「被団協」新聞(1981年1月6日号)

 日本被団協は09年度から、原爆被害への国家補償を求める運動を前面にかかげて取り組むため、現行法を抜本的に改正する議論をすすめてきました。法改正検討委員会と代表理事会で議論を重ね、昨年4月に8項目の要求案を提案。全国の被爆者の会に討議を呼びかけました。昨年6月の定期総会、10月の全国代表者会議、相談事業講習会、県や地域単位の学習会などで討議が行なわれました。専門家・団体との懇談会も2回開きました。

死没者への償いが土台に
 これらの議論の中で、すべての被爆者に「国としての償い」を、という要求がはっきりしてきました。また、被爆者が求める償いの土台に「死没者(奪われたかけがえのないいのち)への償い」があることが浮かび上がってきました。
 被爆者は、「あの日」から続く地獄の中で殺されていった人たちを忘れることはできません。家の下敷きなり迫る火から逃れられず死んでいった母親、勤労動員で出かけたまま遺体も見つからなかった妹、留守番をしていて家の中で骨まで焼かれた子どもたち、火傷した体にウジ虫がわきもがき苦しみながら死んでいった祖父…。肉親だけではありません。一緒に遊んでいた友達、机を並べていた学友、職場や軍隊の同僚たち…。そして見ず知らずの人も含め、あの時救うことができなかった、人としての心を閉じて接するしかなかったおびただしい死‐‐。
 被爆者の死没者への思いはとても強いのです。

「基本懇」答申への怒り
 1980年12月に出された、原爆被爆者対策基本問題懇談会の答申に、被爆者は怒りました。戦争による犠牲は、生命を含むすべてについて国民は「受忍」しなければならない、というのです。この答申への日本被団協の「見解」は次の言葉で締めくくられています。「われわれは、生きている限り問い続けるであろう。広島と長崎の死者は何のために死んだのか。被爆者の三十五年の苦しみは何だったのか」。
 現在の「被爆者に対する援護に関する法律」は原爆放射線の晩発傷害については一定の措置をしていますが、原爆被害全体に対する「国としての償い」は、基本懇にのっとって拒否しています。

死者は最大の被害者
 1984年、日本被団協は、全国の被爆者の声をもとに「原爆被害者の基本要求」をまとめました。その中でも「原爆の最大の犠牲者は死没者です。およそ被害者補償制度にして、死没者補償を含まないものはありえません」と述べています。
 この間の議論の中でも「原爆被害への国家補償は死者への償いなしにはありえない」「奪われた『生きる権利』は回復されなければならない」などの声があがりました。

生きていた証を
 死没者への償いを、どういう形で国に求めるのか。「お金をくれということではない」という意見が多く聞かれます。死者は生きていた証を残してほしいのではないか。
 具体的には、「ふたたび被爆者をつくらない」国の誓いとともに「広島・長崎であの時まで生きていた人」の名を明記する、国が反省と謝罪、弔意を示す事業を行なう、などが考えられます。
 6月の総会までに、さらに議論を深めてまとめたいと思います。多くの意見を寄せてください。

イギリスBBCテレビが「二重被爆」を笑いの種に

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動画サイト「ユーチューブ」に投稿されたBBCの番組映像

被爆者の声、もっと世界に

 イギリスのBBCテレビが昨年12月17日にクイズ番組で、広島と長崎で二重に被爆し昨年93歳で亡くなった山口彊さんについて「世界一運が悪い男」などと、ジョークまじりに紹介していたことがわかりました。
 在英日本大使館は在英邦人から指摘を受けて、1月7日にBBCと番組制作会社に対し「こういう形で取り上げるのは不適切で無神経」であるとの抗議の書簡を送り、番組プロデューサーからの謝罪文が21日に大使館に届きました。

被団協に届いた声
 この問題が日本のマスコミで1月21〜22日に報道された直後から、日本被団協に多くの人から電子メールや電話でメッセージが寄せられました。
 「心を痛めている」「許せない」「このような不快なとりあげ方をされて悔しくてならない」など怒りの気持ちを表わす言葉とともに、「長崎として、広島として、被爆者団体としてではなく、被爆国日本として抗議してほしい」「心ある英国人もいる。『これは人間の尊厳に対する冒涜である』という内容の声明文をつくるべき」「BBCであのような報道が認可されるということは、事象が風化していることだと強く感じる。しかし原爆による苦しみは、今もなお家族を苦しめている。もっともっと伝えて、もっともっと現実を発信し続けなければ、このようなことは何度もおこるように思えてならない」など、さまざまな思いや提言が寄せられました。
 この番組は、イギリスBBCテレビで金曜夜に放送されている人気番組「Q1」。インタネットの動画サイト「ユーチューブ」で、放送された番組映像を見ることができます。

私が求める「原爆」への償い

原爆によって奪われたいのち
残されたものの死者への思い
神奈川 田栗末太


水を遣れず逝かしし父母に持ちゆかむわが逝く時にナガサキの水
 戦争そして原爆は私から両親を奪い、殺した。そして親しかった幼友達も‐。
 日本は世界で唯一の被爆国である。また国際司法裁判所が、核兵器は国際法違反であると述べているにもかかわらず、日本は米国に対し、戦争中ただ一回の抗議を行なったのみで、戦後は全く抗議することもなく、米国も謝罪をしていない。
 これは誠に不条理なことである。
 1984年11月、日本被団協は「原爆被害者の基本要求」において、非核三原則の法制化と共にアジア・太平洋非核地帯の実現と、国家補償の原爆被害者援護法の制定を求めた。
 94年12月に成立した法律では「国の責任において被爆者に対する保健、医療および福祉にわたる援護対策を講」ずることとなっている。私たち被爆者が求めてきた「国家補償」による援護対策と「国の責任」による援護対策との間には隔たりがある。特に、現行の法律では、原爆による死者への償いは全く行なわれておらず、被爆者の死者への思いは、国からは無視されたままである。
 最近日本被団協と厚生労働省の間に定期的に協議の場が設けられていると聞いている。その場における十分な話し合いにより、国家補償の援護対策が実行されることを期待して止まない。
  *  *  *
原稿募集 『私が求める「原爆」の償い』欄への原稿を募集しています。テーマは「私」がどんな被害に対しどんな償いを求めるのか。500〜600字で、お名前、連絡先を必ず記入してお送りください。

英BBCの番組に対する、日本被団協代表委員の談話

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坪井直代表委員

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谷口稜嘩代表委員

 原爆被害の恐ろしさについて、あまりに無知なことに驚く。番組の背景に写真を掲げていたというあのきのこ雲の下で、人間がどんな目に遭い、殺され、残ったものがどんな思いで生きてきたのか。それを笑いにするとは、怒りでいっぱいだ。
 被爆者の声をさらに世界に広め、浸透させなければいけないと、思いを新たにした。我々はもっと頑張らねばならない。ネバー ギブ アップ!


 核兵器の被害を笑いの種にするとは、被爆者の痛みを理解しようとしない、核保有国の姿勢の表れだ。原爆によって傷つけられた被爆者が、今度は核抑止論によって踏みつけられた思いだ。決して許すことはできない。
 しかし今世界は、数多くの非核国や心ある人たちの力で、核兵器廃絶に向けて動き始めている。被爆者の声を聞き、その痛みを理解しようとする人々を、私たちの力でもっともっと多数にしていかなければならない。

原爆症訴訟/札幌地裁で勝訴

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記者会見で話す原告の浜田元治さん

 原爆症認定集団訴訟北海道第2次訴訟の判決が札幌地裁で昨年12月22日にあり、原告の浜田元治さん(2キロ長崎被爆)の心筋梗塞を原爆症と認める勝訴判決でした。
 判決について北海道訴訟弁護団などは「声明」で、「今まで厚生労働大臣は、心筋梗塞に関して1・4キロ以遠の被爆者の申請をすべて却下している点から見て画期的な内容」と評価。また「放射線感受性が強いといわれる若年時の被爆が原告の急性心筋梗塞の発症あるいはその進行の促進に寄与していることを考慮することが合理的であるとして」いることも「特筆すべきである」としています。さらに、本判決が原告の高血圧・糖尿病などの他疾患や喫煙をもって放射線起因性を否定することは相当でないと判断したことも、高く評価しています。



「90歳の被爆者が…」と話題に/埼玉

非核三原則法制化求める地方議会意見書採択運動

 非核三原則の法制化を求める地方議会の意見書採択を求める運動で、埼玉県では8市3町で採択されています。
 鴻巣市在住の被爆者堀田シズヱさん(90歳)は昨年、地元の鴻巣市をはじめ北本市、上尾市、桶川市の4市の意見書採択に貢献しました。
 堀田さんは、埼玉県原爆被害者協議会(しらさぎ会)事務局に請願書類(各市様式が異なる)、請願のお願い文、すでに採択した他市の意見書コピーの作成を依頼し、各会派のトップに書類一式を送付。各市議会事務局には、各議員の連絡先を確認し、書類到着を見計らって、議員に電話でお願いしました。「90歳の被爆者です。足腰が悪くて直接お願いには行けませんが、核兵器廃絶は被爆者の願いです」。電話で通じない場合は、議会事務局に議員の予定を聞き、議会まで出向いて議員を待ち、直接訴えることもありました。
 「90歳の被爆者のおばあちゃんが来た」と各会派で話題となり、全会賛成の議会もありました。
 堀田さんは、「今年は熊谷市、羽生市、行田市、本庄市などに働きかける」と張り切っています。

意見書採択

 非核三原則の法制化を求める地方議会の意見書採択、11月22日以降1月25日までの報告分です。
 北海道=剣淵町 安平町 愛別町 和寒町 津別町 日高町 赤井川村 青森=つがる市 平内町 外ヶ浜町 鰺ヶ沢町 大間町 三戸町 五戸町 東通村 風間浦村 佐井村 新郷村 埼玉=桶川市 上尾市 福岡=朝倉市  3月議会に向け、運動を強めましょう。

被爆者の話、伝えよう

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交代で被爆者と写真をとる学生ら


アメリカ、タフツ大学の学生ら来日

 アメリカ・ボストンにあるタフツ大学で世界の諸問題を扱うプログラムに参加する学生・高校生とスタッフ31人が来日し、1月6日東京で被爆者の証言を聞きました。
 日本被団協の田中事務局長、岩佐、児玉両事務局次長の3人が証言、通訳をミッシェル・メイソンさん(メリーランド大学助教授、日本で研究中)にお願いしました。
 教師の一人は「今回の旅で一番大切な体験になった。皆さんが人類のために運動されていることをありがたく思う」と感想を述べました。
 学生から「被爆からどのくらいかかって、復讐でなく人類のために核兵器を無くさなければという気持ちになったのか」と問われ、田中事務局長は「運動を始めた頃、これからは二度と核兵器を使わせないことに力を尽くすのだと自覚し、生きる目標になった」とこたえました。
 旅を企画した学生のベンさんが参加者に「今日の話を決して忘れないように。私たちは被爆者から直接話を聞くことができる最後の世代。歴史の中に生きる者として、原爆投下について考え続け次の世代に伝えていく義務がある。被爆者との出会いを心にしっかり受けとめ、忘れないうちに感想を書き、アメリカに戻ったら周りの人たちに伝えよう」と話しました。

座り込みや要請の先頭に/東友会(東京都)

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 東友会(東京被団協)は、1968年に結成。参加する43の地区の会の協議体です。月刊「東友」を東京在住被爆者の過半数4千人近くに送り好評。都庁展望室で毎年原爆展を開き、慰霊祭と「追悼のつどい」も毎年開催。東京都援護条例をかちとり、被爆二世への施策をすすめています。
 社団法人東友会が東京都から40年間委託されている相談事業は、現在5人の職員が年間1万数千件の相談を受けます。
 原爆症認定集団訴訟運動では、厚労省前座り込みや裁判所への要請をつづけ、全国的な勝利への道を固めました。

ヒロシマ・ナガサキをつたえる(2)

傷痕に触れてもらう
斉藤政一さん(岩手)


 21歳の時、広島で被爆しました。証言を始めたのは、プレスコードがしかれていた1949年です。ペンネームを使わざるをえず、警察の尾行に耐えながらの活動でした。
 兵舎の窓辺で被爆した私は、上半身に大やけどを負い、ガラスの破片が全身に刺さって、倒壊した兵舎の下敷きになりました。頭が割れ肋骨も折れて失神し、死体焼却場に運ばれましたが、焼かれる寸前に息を吹き返しました。
 被爆証言をする時、聞く人に直接傷痕やケロイドを触ってもらいます。今でも体からガラス片が出てくることも話します。自作の紙芝居を見せながら、建物疎開の作業中に被爆した女学生のことをはじめ、かつて広島で見たことを話します。
 昨年NPT再検討会議でニューヨークに行った際は、国連で開かれた原爆展での説明に力を注ぎました。そして核だけでなく、生物・化学兵器もなくして平和な世界をつくろうと訴えました。国や世代が違っても「お互いの力をあわせて、核のない世界・緑の地球を子孫に残そう」という祈りを込めて話をすると、深い共感が得られました。
 核兵器廃絶に導く最高の薬は、被爆の体験を伝えることです。語り部のご用命があれば喜んで参上します。

相談のまど

◇健康管理手当の「更新」は必要ない?

 【問】 現在、白内障で健康管理手当を受給しています。4月には「更新」手続きをするようにとの連絡がありました。知人の被爆者は「更新」の必要はないと言っています。これはどういうことでしょうか。私はどうしたらよいでしょうか。
  *  *  *
 【答】 健康管理手当にはもともと、それぞれの疾病について、3年または5年という最高支給期間がありました。2003年8月から、ほとんどの疾病についての支給期間が撤廃され、現在は鉄欠乏性貧血、潰瘍による消化器機能障害が3年、白内障、甲状腺機能亢進症が5年という支給期間があるだけです。これらの疾病は、治る可能性があるため期限が設けられていて、「更新」の手続きが必要です。
 白内障は、「水晶体混濁による視機能障害」となっています。白内障を手術すると、混濁した水晶体が摘出されて白内障が治った、ということになります。したがって手術後一定期間過ぎると、健康管理手当は受給できなくなります。
 4月に「更新」するときは、白内障ではなく、今後「更新」する必要のない疾病で申請をすることを検討してください。
 健康管理手当用の診断書には、医師の意見として、疾病が「1.固定している」、「2.固定していない」を示す欄があります。申請疾病を「更新」の必要のないものにしたうえで、「固定している」を選択してもらえば、今後「更新」する必要がなくなります。
 そのための「紹介状」が必要であれば、お送りします。返信用封筒を同封して、日本被団協に申し込んでください。

声のひろば

 ◆新年号の記事を読んで考えさせられました。政府が主張する「受忍論」は、多数の被害者を出した戦争の責任をはっきりさせず、国が責任を取らない根拠になっていると思います。この暴論を否定することは、これからは戦争を起こさせないという決意につながるはずです。被爆者をはじめ、空襲の被害者や、補償の対象になっていない多くの被害者、その家族が声を上げ続けることの大切さを思いました。(兵庫・56歳・男)
 ◆昨年末、「黒い雨」指定地域見直しを求める声に押されて開かれた厚生労働省の検討会を傍聴しました。厚労省の局長は冒頭の挨拶で「科学的・合理的根拠」を強調しました。「黒い雨」の降雨地域は広範囲に及び、雨をあびた人の中には、被爆者手帳を取得した人と同じように、原爆放射線の影響だと思われる病気になった人がたくさんいます。しかし、これまでは放射線の影響はないとされてきました。厚労省は「科学的根拠」と言いながら、いまだに住民の健康調査を行なっていません。核兵器が広範囲の人類を苦しめることを知らせるためにも、「黒い雨」に降られた住民の実体を知らせ、広めなければ…。(広島・男)
 ◆新聞、楽しみに読んでいます。被爆者手帳取得のための「証人探し」は知った人だったら力になってあげたいと思い、手帳を取得されたと載っていると、よかったなあと嬉しくなります。(広島・81歳・女)

本の紹介

『社史で読む長崎原爆』
社史で読む長崎原爆編集委員会編


 長崎にある会社の社史が原爆をどう記述しているか、それを編集した本です。三菱重工(兵器製作所を含む)、三菱電機、三菱製鋼など三菱各社、九州電力、西部ガス、国鉄、銀行、百貨店、商店会、長崎新聞、NHKなど17編を採録。社史によって原爆関係の記述に濃淡はありますが、まとめたこの本は貴重な原爆証言記録です。(電話095‐849‐5733 定価600円)
 類書に「しんぶん赤旗」中国四国総局編の『社史が語る原爆・ヒロシマ』(新日本出版社・1300円)。
 「社史版太平洋戦争」である井上ひさし編『欲シガリマセン欲しがります』(新潮社・1000円)には、毎日新聞「原子爆弾はどう報道されたか」、東洋工業(マツダ)「原爆の打撃」が入っています。