被団協新聞

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「被団協」新聞2011年 5月号(388号)

2011年5月号 主な内容
1面 大震災原発事故 被災者救援施策を緊急に
被爆者の経験とデータをいかしあらゆる放射線障害の可能性に万全の対策を
2面 「現行法改正第2次案」に寄せられた意見・感想
3面 原爆症認定訴訟報告集を発行
被爆65年記念誌発行 愛媛
本の紹介
非核水夫の海上通信
ヒロシマ・ナガサキをつたえる(5)
4面 相談のまど
声のひろば
原稿募集

大震災原発事故 被災者救援施策を緊急に

日本被団協 政府・東電に要請

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記者会見する(左から)岩佐事務局次長、田中事務局長、児玉事務局次長。新聞・通信社8社とテレビ局3社が取材に詰めかけた

 日本被団協は4月21日内閣総理大臣、経済産業大臣、厚生労働大臣、文部科学大臣および東京電力に対し、東日本大震災と原発事故災害の被災者対策等に関する要請を行ないました。
 内閣府と厚労省、文科省、東京電力に、田中熙巳事務局長と児玉三智子事務局次長が赴き、担当者と面接のうえ要請書を手渡しました。経産省には面接を断られたため郵送しました。
 要請書では、66年前に原爆投下によって被爆しその後の「いのち、からだ、こころ、くらしの全面にわたる惨苦を今なお抱え、被爆者援護にかかわる要求運動の実践を重ねてきたものとして」、この度の被災者に対して実施すべき施策を提案しています。
 まず「被災者、避難者に対しもれなく罹災証明・被災証明を発行すること」とし、今後行なわれるべき救済措置から外れる被害者を生まないよう求めています。また原発事故による被害者に健康管理手帳を交付し、被害者の生涯にわたる健康管理に国と東電が責任を持つことを求めています。
 さらにエネルギー政策の大転換を求めるとともに、核兵器廃絶をすすめ人類共存をめざす、外交最優先の安全政策への転換を求めています。

被爆者の経験とデータをいかしあらゆる放射線障害の可能性に万全の対策を

=聞間元医師にきく=

 3月11日の東日本大震災、大津波と、それに続く福島原発の事故・災害は、被爆者たちにも大きな不安と複雑な思いをもたらしています。医療者として、原爆症認定訴訟の支援者として、多くの被爆者とかかわってきた聞間元さん(生協きたはま診療所所長、静岡・浜松)に、今回の事故による放射線障害のおそれや必要な対策などについてうかがいました。

 今回の地震、津波災害、それに続く原発事故については、私自身、こんなことが本当に起きてしまったのかと驚いていますが、被災地だけでなく、全国の多くの人々に大きな不安や混乱をもたらしています。
 とりわけ被爆者のみなさんは、放射線被害の不安、「あの日」に連れ戻されるような思いなど、たいへん複雑な気持ちで過ごされていることと思います。私が住む静岡・浜松でも、少数ながら福島方面からの避難者がおられ、「できれば早く戻りたい」「子どもへの被曝の心配はないか」などという相談を実際にうけています。現在までのところ、20キロ圏内では比較的早い段階で避難指示が出され、退避されていますから、放射線障害の急性症状が出るような心配はないということをお話ししています。

 後発性障害は長期の調査が重要
 しかし後発性の障害については今後長期にわたり、厳格に見守っていくべきです。事故後2週間かかってようやく周辺地域の測定ポストなど観測態勢が整いましたが、放射線量の推定積算値が一定レベルを超える地域の住民に対しては、放射線障害の疑いが見られないか、国の責任のもとで少なくとも数十年、定期的な健康調査などを継続的に実施していくことが重要です。もちろん広島・長崎の入市被爆者に見られたような残留放射線による被曝の可能性についても、十分な調査を行なっていくべきでしょう。
 後発性障害のなかで最も問題になるのはさまざまながんの発生率が高まることです。放射線の人体への影響については、比較的低線量のレベルまで、原爆被爆者に関する厖大な研究やデータがあります。そうした蓄積をしっかりと活用しながら、適切に対処してほしいと思います。

 いま最も共感できるのは被爆者
 そのような長期にわたる健康調査を確実に実施していくために、行政面では、対象となる地域住民に健康管理手帳を発行することが必要でしょう。また住民の側では、将来に備えて、地震と原発事故の直後からの自分や家族の行動を、今からでも思い出して記録しておいてほしいと助言しています。
 一瞬にして多くのものを失い、これからも苦しい道のりが見込まれる、被災された方々に対して、いま最も理解と共感の気持ちがもてるのは、他人には言えないつらさを抱えて生きてきた広島、長崎の被爆者ではないかと私は思っています。例えば放射線障害への不安をどう克服していったのか、ぜひ語ってほしいのです。それは、今回の地震、津波、原発事故の被災者たちを勇気づける、大きな力になるのではないでしょうか。

「現行法改正第2次案」に寄せられた意見・感想

 3月に発表された日本被団協現行法改正検討委員会の「現行法改正要求―第2次案―原爆被爆者は国に償いを求めます」(全文を本紙3月号に掲載)への意見、感想が全国から寄せられています。本号では10人の方の声(要点)をご紹介します。

生きていた証を
 埼玉 原明範

 私は3歳の時、広島で被爆しました。爆心地から2キロのある床屋さんの中でした。河辺で遊んでいた中森君兄弟は原爆の閃光で焼かれ、兄さんは大火傷で赤むけに、弟は火傷のうえ、ガラスが全身にささり、人の顔とは思えませんでした。
3歳4歳の幼子がなぜこんな無残な死を強いられたのでしょうか。
 私は「生かされた命」。いのちある限り、彼らの生きた証を伝えなければと、被爆者運動に加わりました。
 死者は自分の要求を語ることはできません。死者は「なぜ命を奪われたのか」判らず、生き残った私たちでさえも判らない一瞬の出来事でした。
 原爆の最大の犠牲者は原爆死没者です。戦争を引き起こした国は、死没者に謝罪し、弔意を表すことは当然でしょう。あのときまで生きた証を記してほしい。記してあげたいと強く思います。

被爆者放置責任
 東京 三宅信雄

 原爆被害に対して国が償うことを求める根拠として「戦争という国の行為(開戦・遂行)によって生じたもの」を案はあげていますが、これに戦後の被爆者放置責任も加えなければならない。
 さらに、原爆被害の隠蔽で、被爆者はさまざまな差別を受けました。今日でいう風評被害です。
 占領が終わった1951年以降も日本政府は隠蔽を続け、57年の原爆医療法制定まで国からの援助はまったくなかったのです。その間のからだ、暮らし、心の被害に対しても国は償うべきです。
 今回の福島原発事故では放射線量が逐一報道され、避難指示が出ましたが、原爆の場合は情報はまったく伝えられず、大量の入市被爆者を生みました。この被害に対する償いも要求すべきです。

憲法具現する法を
 千葉 市原憲二郎

 憲法前文に明記された理念である非戦平和、反隷従を具現する法でありたい。国家の戦争行為ゆえに生まれた被害国民は等しく、その被害・犠牲に対して国へ償いを求めるべき時だと考えます。
 被爆者の人間復活を求める国家補償の要求ですが、核兵器廃絶を求めるために、国家としての決意の証として明記させ、「戦争を遂行した国の責任として、その戦争において生じた国民の被害に対しては、等しくその償いをするが、原子爆弾という特殊な兵器被害者に対して、後世にまで及ぶと思われることに配慮して…」というような、当然他の戦争被害者にも償いは及ぶべきもの、との表現ができないものか、と思えてなりません。
 千葉友愛会での議論も他の戦争被害者へもしかるべき償いがあって、核兵器の特殊な被害を主張すべきとの思いが圧倒的なのです。

「受忍」とたたかう
 長野 藤森俊希

 第2次案は被爆の実相から始まっていますが、現行法のどこが問題かをずばり指摘した方が分かりやすいのではないか。
 現行法には2つの側面があります。(1)原爆被害は放射線という特殊な被害だとして被害を軽く、狭く扱い、「援護」が他の戦争被害者に及ばないようにしている。(2)被爆者が国家補償の精神に立った援護法制定を国に求め続け、一定の援護施策が盛り込まれている。
 被爆者は「二度と被爆者をつくるな」「核兵器をなくせ」を実現するためには、国家補償の精神に立った援護法の制定が欠かせないことを強く訴える必要があります。
 私たちの運動は、核戦争の引き金となる戦争そのものを起こさせない決意を持っています。そのことを高らかにうたう必要がある。それによって多くの戦争被害者と連帯して「戦争被害受忍論」と正面からたたかうことができる。被爆者の悲願である国家補償の精神に立った援護法もかちとれるのではないか。

国家補償は当然
 福岡 西山進

 原爆被害は、戦争という国の行為によって生み出されたものです。広島・長崎で二十三万人を超す被爆者が命を落としました。その死にざまは到底人間の死とは縁遠いものでした。国の補償を求めるのは当然でしょう。
 原爆は天災ではありません。人災です。私の被爆体験を聞いたある大学生は「原爆投下後のアメリカの対応を聞いて、本当に怒りがこみあげてきた」「被爆者が原爆症認定や国家補償を求めてたたかっているわけがよく分かりました」「日本政府の“我慢しなさい”いという論には被爆者でない自分でも強い憤りを覚えます」と感想を寄せています。「『原爆被害者の基本要求』はどこで売っているんですか」と質問した学生もいます。
 「核兵器なくせ」と「国家補償」は被爆者の基本的要求です。

世間の目厳しい
 三重 本坊哲郎

 すべての国民が「国家補償の援護法」を理解し納得できる第2次案で、十分な説明責任を果たすことが肝要です。
 すべての被爆者が、国家補償にかかわる各種手当を納得し理解したうえで取得できるようにすること。そうでないと世間の目も厳しいのではないでしょうか。
 冒頭に原爆被害への国の償いに触れたこと、むすびの説明は、かなり理解が得られるように思います。わかりやすく解説してほしい。

国民の理解を
 島根 原美男

 改正案の機軸は、被団協結成以来、一貫して求め続けてきた国家補償であり、6項目の具体的要求にわかりやすくまとめられている。この度の法改正討議の中で、自らの不明を何度恥じ入ったことか。とにかく大いに啓発された。ありがたいことである。賛成である。
 しかし、心配や不安、危惧もある。このたびの東日本大震災はまさに国難である。こうした中で、国家補償は国民の理解と支持が得られるだろうか。被爆者の老齢化は深刻さを増している。間に合うだろうか、等々、課題も多い。すべてはこれからである。

原爆孤児の問題
 広島 箕牧智之

 先の戦争は国民合意のもとで始められたのなら受忍論も成り立つかもしれないが、軍の一部と政治家によって引き起こされた戦争でした。
 中でも原爆は、歴史上はじめて国民に使われた核爆弾で、国民は大きな犠牲を強いられました。
〔具体的要求について〕
(1)死没者に対して弔慰金あるいは特別給付金。特に疎開児童は原爆で両親を失い、戦災孤児となってどれだけ苦労して成長してきたことか。今の時代では考えられない苦労がありました。
(2)希望する被爆二世に対して「被爆二世手帳」を交付する。全国共通の手帳を交付することによって二世の健康管理と平和に対する認識を向上させることに役立ちます。
(3)被爆者の「がん」はすべて原爆症と認定を。

他の戦争犠牲者も
 秋田 佐藤力美

 第2次案が国の戦争責任を求め、最大の被害者である原爆死没者を償いの土台にしていることに賛同します。
 そのためには国民の理解、賛同が必要です。他の戦争犠牲者との連帯も付け加えてはどうでしょう。被団協だけの運動では実現がむずかしい質的内容が含まれています。
 このたびの原発事故にかかわる内部被曝の恐ろしさも、被爆者は体験しています。被爆者が苦しみ続けている事実からも訴えることが重要です。
 第2次案が真の被爆者援護法の大きな論理的土台となって「戦争被害受忍論」が否定され、ふたたび被爆者、戦争犠牲者をつくらない平和な日本への道につながることを願い、運動を続けたい。

死没者名の問題
 鹿児島 今村鉄夫

 「具体的要求」の1(法の目的)は同感。
 死没者補償は「弔意を表す」で良いのでは。
 「原爆死没者名を碑に刻む」。どこの碑に、氏名の判明しない者をどうして刻めるのですか。
 「すべての被爆者に被爆者手当を」。健康管理手当など受給していない会員に受給を推進する。
 「被爆二世・三世への援護施策」。早急に全国各県で実施することを強く推進する。

原爆症認定訴訟報告集を発行

かながわ支援の会・支援する千葉の会

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 原爆症認定集団訴訟が終結した県組織が、裁判資料などを収録した報告集を発行しました。支援組織をつくり、提訴し、勝利・終結するまでの運動の記録です。
 原爆症かながわ支援の会は「原爆症の苦しみをのりこえて〜神奈川原爆症認定訴訟のあゆみ〜2001年‐2010年」を発行しました。支援の会の代表世話人である関係諸団体代表者のあいさつ、担当弁護士と原告全員の手記ほかが収録されています。
 原爆症認定集団訴訟を支援する千葉の会は「命をかけてたたかった8年―千葉原爆症裁判―」を発行。裁判を振り返った原告全員の手記と支援者からのメッセージほかが収録されています。

聞き書きチーム編成、初めて語った人も

被爆65年記念誌発行 愛媛

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愛媛の会 被爆65年記念誌

 愛媛県原爆被害者の会が、被爆65年記念誌「被爆―この命尽きるとも」を発行しました。記念誌発行は被爆50年、60年につづいて3回目。
 巻頭のグラビアは、前回記念誌発行以降の活動記録となっています。
 本書の中心をなす被爆体験記は、胎内被爆者、被爆2世、遺族1人ずつを含む39人分を収録。同会によれば、初めて体験を語った被爆者も複数あったとのこと。「今残さなければ」という強い思いが読み取れます。
 高齢で「書けないけれど話はする」という被爆者のために、県生協連を通じて聞き書きボランティアを募ったところ、31人もの協力者がチームを結成。被爆者の自宅に何度も足を運び、電話するなどして原稿を仕上げました。収録されている「聞き書き参加者の感想」からは、次世代への継承が力強く感じられます。

本の紹介

『ヒバクシャPEACE TOUR 原水協アメリカ遊説の旅』吉崎幸恵
 福岡市在住の被爆者、吉崎幸恵さんが、1986年の著書を復刊しました。吉崎さんは85年、日本原水協の核兵器禁止・被爆者国際遊説団の一員としてアメリカ南西部を訪問。約3週間にわたって証言活動を展開しました。その詳細できめこまかな報告から、出会った人々との交流の熱い体温が感じられる一冊です。
 1200円。著者=電話・FAX092‐431‐0755

『広島に聞く 広島を聞く〈日英対照〉』浅井基文
 今年3月まで広島市立大学広島平和研究所所長を務めた著者が、在任中に、中沢啓治氏や鎌田七男氏など、広島各界の16人にインタビューしたものをまとめた一冊。日本語の文章に並べて、英訳文も収録されています。
 2940円。かもがわ出版=075‐432‐2868

ヒロシマ・ナガサキをつたえる(5)

「憎むべきは戦争」と…
 中田喜重さん(石川)

 私はこれまで、友人や知人の集まりなどで体験を話すことがあっても、教室で大勢の学生や生徒を前に証言したことはなかった。
 9歳のときに長崎駅近くで被爆し、被爆後は山中に避難、3日目には長崎を離れるべく爆心の廃墟を通り抜けて道ノ尾まで歩いたが、既に夜で、その光景の記憶も部分的であったことや、幸い私自身の身体の不調も、取り立てて如何と言うほどのものでなかったせいもある。大変な苦労を背負ってきた被爆者が多く証言されているので、私など出ることはないと逃げてきた。
 しかし、今回の日本被団協の代表団派遣に思いきって参加を決め、3つの高校で証言した。どの学校からも暖かく迎えられ、証言は非常にスムーズにいった。証言後の質問も多く、それに対し自分の思いを話した。
 終了後、1人の男の先生が、「私の身内にかつて原爆の製造に関わったものが居る、その事が非常に恥ずかしい…」と私の肩に手を置いて語られた。彼は涙ぐんでいた。私は「悪いのは人ではなく憎むべきは戦争そのものだ。戦争をなくすようお互い努力しよう」と返し、彼と硬い握手を交わした。私も目頭に熱いものを感じた。 (『2010年NPT再検討会議日本被団協代表団報告集』より)

相談のまど

私は「胎内被爆者」ですか

 【問】私は昭和21年5月25日に生まれました。母親が広島で被爆して、被爆者健康手帳を持っていましたが、5年前に死亡しました。
 私は「胎内被爆者」なのでしょうか。「胎内被爆者」であれば、今から被爆者健康手帳の申請はできますか。
 母親が死亡したとき、被爆者健康手帳は県に返却してしまったのですが、大丈夫でしょうか。

*  *  *

 【答】原爆が投下されたときに母親の胎内にいた人は、「胎内被爆者」として被爆者健康手帳が交付されることになっています。
 誕生日がいつまでかなど法律の定めはありませんが、広島市、長崎市が内規として定めているものが適用されています。
 それによると、広島の場合は昭和21年5月31日まで、長崎の場合は6月3日までとなっています。
 医学的には、胎児の期間は280日と言われていますので、内規は妥当なものと思われます。
 お母さんがすでに亡くなり、被爆者健康手帳も返却されたとのことですが、手帳を交付した都道府県の担当課に問い合わせをすれば、お母さんが被爆者健康手帳を交付されていた事実は確認できます。
 手続きは、被爆者健康手帳交付申請書に戸籍抄本、お母さんが被爆者健康手帳を交付されていた事実を証明するものを添付して、都道府県知事に申請してください。

声のひろば

 ◆福岡市原爆被害者の会博多区支部は、3月27日、28人が参加して区内の山王公園で恒例の「花見」を行いました。今年で連続17回目です。
 東日本大震災の直後でもあり、自粛を考えつつも、会員の中には、毎年楽しみにしていて今年94歳になる参加者もおり開催の運びとなりました。
 会場には募金箱を置くこととし、最終的には家庭訪問も含めて、2日間で3万1481円が寄せられました。「水と火の違いこそあれ、生きながら津波に飲み込まれ、原爆では生きながら猛火に包まれ、がれきと化した惨劇は『あの日』に重なる。原発事故の被ばく者も痛々しい。花見はしていても、心はあなた方の方を向いている、連帯していますよという気持ちを、募金で伝えたい。ご協力を」と訴えたのでした。(福岡・吉崎幸恵)
 ◆今回の原発事故の被害者の皆様に、私は被爆者の一人として、心からお見舞い申上げます。またこの先の見定めがつかない為に、関係されている方々は大いに心を痛めていられるものと推察申し上げ、何卒くじけることなく頑張ってくださるようお祈りしています。
 被爆者運動の目的は、再び私どものような被爆者を出さないこと。そして、絶対戦争はしないということの実現に、生命ある限り取り組むことです。それなのに、私どもの力不足から今度の大惨事を起こしまして、衷心より深くお詫びを申し上げます。
 現在被爆者も平均年齢76歳、被爆に対する認識が薄れつつありますが、それでも80歳前後の者たちは忘れていません。原爆投下の直後に、水、水と蚊のなくような声で、悲しそうな目をして訴えていられた、全身大火傷の多くの市民の方々…。所々で「お母さん」と叫ぶ声が聞こえ、声の主に近づいて「お母さんだよ」と手を握ってあげますと、しっかりと握り返して、聞こえぬような小声で「お母さん」と一言を残し、悲しい別れとなりました。
 私も今までに4百数十回被爆体験の語り部をしておりますが、その折にも必ず、原発廃止の必要性をお願いしています。それ故、核の怖さを身をもって体験された方は、私と同様に、今度の事故を聞かれて、核・原発絶対反対を心の底から叫んでおられると確信しています。
 この事故は、津波による出来事として簡単に片付けてはなりません。仮にこれが津波でなく、一発の爆弾が原発に落とされたとしますと、現在でさえこの惨状、考えれば考えるほど、怖ろしい事態を引き起こすものと思います。そしてそれは、既に間近に迫っているとも考えられます。
 それでは私どもは今、直ちに何をなすべきか。欧州のある国では、国中の原発を全廃したとも聞いています。
 今こそ勇気を出して、叡智を集めて、一日も早く安全な明るい日本を作ろうではありませんか。私どもの手で必ず作らねばなりません。私ども被爆者も、今回を機に改めて、戦争放棄、原爆反対の目標達成のため、生命のある限り頑張ることを誓います。(兵庫・西川亨)
 ◆「直ちに身体に影響はない」「汚染されたホウレン草を一年食べ続けても大丈夫」等の不誠実な発言。どんな深刻な事態、危険な事実でも、真実を知らせてほしい。そして一日も早く復興することを願い祈っています。(広島・82歳・男)

原稿募集

 身のまわりで起こったことや、日頃考えていること、「被団協」新聞の感想などを気軽に書いてお送りください。俳句や短歌、証言活動の報告などもお待ちしています。投稿の際は住所、氏名、年齢、電話番号と、匿名希望の場合はその旨明記してください。
 送付先=〒105‐0012 東京都港区芝大門1‐3‐5ゲイブルビル9階 日本被団協