基本文書

トップ >> 日本被団協について >> 基本文書 >> 21世紀 被爆者宣言 核兵器も戦争もない世界を

21世紀 被爆者宣言
核兵器も戦争もない世界を

日本被団協は第46回定期総会で「21世紀被爆者宣言」を採択しました

 「ふたたび被爆者をつくるな」−私たち被爆者は、こう訴えつづけて、21世紀を迎えました。

 あの日、1945年8月6日、9日。アメリカが投下した二発の原爆は、広島・長崎を一瞬にして死の街に変えました。生きたまま焼かれ、肉親を助けることもできず、いったんは死の淵から逃れた者も、放射線に冒されて次々に倒れていきました。人の世とは思えない惨状でした。 ”原爆地獄”から生き残った私たちも今なお心と体の苦しみにさいなまれつづけています。原爆の放射能被害は世代を越えていつまで及ぶのでしょうか。

 原爆は人間として死ぬことも、人間らしく生きることも許さない、絶滅だけを目的とした絶対悪の兵器です。被爆者が人間として生きるには、原爆を否定するほかに道はありません。

被爆者はこの半世紀、苦しみをのりこえ、世界に原爆被害の実相を語り、「ふたたび被爆者をつくるな」と訴えてきました。被爆者の訴えは「核兵器廃絶」の世論と運動となって広がり、世界の大きな流れとなっています。広島・長崎以後、核兵器の実戦使用は阻まれてきました。世界の世論と運動こそが、核戦争の抑止力になっているのです。

1日も早く核兵器廃絶を

 地球上には三万発ともいわれる核兵器が21世紀に持ちこまれました。アメリカをはじめとする核保有国は、依然として核兵器に固執し、「核抑止」政策をとりつづけています。アメリカは、先制使用も辞さないと公言しています。

 アメリカの原爆投下は、人類に対する重大な犯罪です。核戦争の悲劇を繰り返してはなりません。アメリカは、人道に反し、国際法に違反する原爆投下の罪を認め、謝罪すること。それが、核兵器廃絶への出発点であり、21世紀に対する責任だと考えます。

 今日、核保有国のすべてが、核兵器の開発、製造から実験のすべての段階で、環境を破壊し、世界の各地に無数のヒバクシャをつくりだし、すべての人を「核の恐怖」にさらしています。これもまた原爆投下に並ぶ重大な犯罪として責任を問われなければなりません。

 ヒバクシャの多くは、きわめて劣悪な環境のもとで、耐え難い苦痛のうちに放置され、救済と補償を切実に求めています。

 アメリカは、核抑止政策をただちに止め、核兵器廃絶への道に踏み出すべきです。すべての核保有国に呼びかけて、核兵器廃絶への先導役を果たすこと。それが原爆投下の罪を償う、アメリカの唯一の道なのです。

 日本政府はアメリカの原爆投下の責任を追及せず、アメリカに追随し、核兵器廃絶の実現を先延ばししようとしています。アメリカの核政策に協力し、「核の傘」を支えていることも私たちは許すことができません。日本は事実上、核武装しているのと同じです。被爆国日本が、核加害国になろうとしているのです。この危険な現状に目をつぶることはできません。

 私たちは日本が「核の傘」から抜け出すことを求めます。日米核密約を破棄し、非核三原則を遵守・法制化すること。それが日本国憲法を活かし、被爆国、そして「非核の国」として世界の平和に貢献する道でもあるのです。

 「核兵器なくせ」の被爆者の叫びは大きな世論となり、核保有国を追い詰め,孤立させ、20世紀の終わりに近く、「自国の核兵器の完全な廃絶を達成するという明確な約束」に同意させました。この「約束」を実行させるために、私たちは、核兵器廃絶にむけての国際交渉を直ちに開始するよう求めます。

原爆被害に国家補償を

 日本政府は、戦争による被害を国民はがまん(受忍)するのが当然、という政策をとってきました。原爆被害さえも「受忍」させようとしています。これに対して、私たちは、「原爆被害者の基本要求」(1984年)を掲げて、「ふたたび被爆者をつくらない」ために、「核兵器廃絶」と「原爆被害への国家補償」を求めてきました。被爆者の訴えは国民の共感を呼び、平和を願い、国の補償を要求する運動が大きく広がり、国の被爆者対策を大きく前進させました。

 しかし、政府は、国民の声に押されて制定した「原子爆弾被爆者に対する援護に関する法律」(1994年)においても、国家補償を拒否し、最大の犠牲者である死没者の補償をも拒否しました。

 原爆被害は、国が戦争を開始し、その終結を引きのばしたことによってもたらされたものです。国がその被害を償うのは当然のことです。 原爆の最大の犠牲者である死者たちは、核兵器がこの世からなくなったときはじめて、「平和の礎」として安らかに眠ることができるでしょう。

 戦争への反省から生まれた日本国憲法は、「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起ることのないようにすることを決意」しています。戦争被害を受忍させる政策は憲法の平和の願いを踏みにじるものです。

 国が戦争責任を認めて、原爆被害への補償を行うことは、核戦争被害を「受忍」させない制度を築き、国民の「核戦争を拒否する権利」を打ち立てるものです。この権利は、核時代に「平和に生きる権利」を保障する根幹であり、アジアの人々の犠牲を含め、すべての戦争被害に対する補償制度へ道を開くことになるものだと考えます。

 憲法が生きる日本、核兵器も戦争もない21世紀を―。私たちは、生あるうちにその「平和のとびら」を開きたい、と願っています。

 日本国政府が戦争責任を認めて原爆被害への国家補償を行い、非核の国・不戦の国として輝くこと。アメリカが原爆投下を謝罪し、核兵器廃絶への道に進むこと―。

 そのとびらを開くまで、私たち被爆者は、生き、語り、訴え、たたかいつづけます。

2001年6月5日
日本原水爆被害者団体協議会