在外被爆者

在外被爆者訴訟

(1)孫訴訟

 1972年3月、韓国人被爆者孫振斗さんが、被爆者健康手帳の交付を求めて福岡県知事を提訴した裁判。1、2審とも勝訴し、1978年3月、最高裁は福岡県の上告を棄却。判決は、「原爆医療法は、特殊の戦争被害について戦争遂行主体であった国が自らの責任によりその救済をはかるという一面をも有するものであり、その一点では実質的に国家補償的配慮が制度の根幹にあることは、これを否定することができないのである」と、孫さんの主張を認め、被爆者健康手帳を交付すべきであるとした。
 以降、外国に居住している外国人被爆者でも、来日すれば被爆者健康手帳が交付されることになった。

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 在外被爆者は、日本に来て被爆者健康手帳の交付を受けた場合に、健康診断、病気治療の医療費の給付、健康管理手当等の諸手当の支給が受けられることになっていた。これに対して、在外被爆者が「被爆者はどこにいても被爆者」と訴えて、厚生労働省に帰国後も手当を支給すべきだと要求していた。しかし、厚生省(当時)は、昭和49年7月に公衆衛生局長402号通知で、「日本国の領域を超えて居住地を移した被爆者には、法律の適用がない」として、在外被爆者は法律を活用できなかった。
 帰国後の手当支給打ち切りに対して、在韓被爆者が大阪地裁に提訴したことにはじまって、アメリカ、ブラジルの被爆者が、次々と提訴した。

(2)郭貴勳(クァククィフン)裁判

 1998年10月大阪府と国に「402号通達は違法であり、韓国への帰国後も手帳は有効であり、手当を支給すべきだ」と大阪地裁に提訴。2001年6月大阪地裁は、「帰国後の健康管理手当打ち切り処分を取り消し、賠償金を支払へと命じる判決。国は控訴。2002年12月大阪高裁は「被爆者援護法は国家補償的性格と人道的目的から、被爆者はどこにいても被爆者という事実を直視せざるを得ない」と判決。国は控訴を断念して確定した。

(3)李在錫(イジェソク)裁判

 韓国に住む李さんが、原爆症認定被爆者で、認定疾病が「治癒」したので、特別手当を申請した。しかし、日本に居住していないことを理由に申請を却下した処分をめぐって大阪地裁に提訴。2003年大阪地裁で李さんの訴えを全面的に認める判決。大阪府が控訴を断念して確定した。

(4)崔季K(チェゲチョル)裁判

(1)崔さんが韓国から健康管理手当の支給を申請したことに対し、長崎市長が却下した処分の取り消しを求め、2004年2月提訴。2004年9月長崎地裁、2005年9月福岡高裁とも崔さんの訴えを認める。
(2)2004年5月帰国によって打ち切られた過去の健康管理手当支給を求める提訴。2005年12月「時効は成立しない」として勝訴。長崎市が控訴。2007年1月福岡高裁は「消滅時効が成立する」とされ上告。最高裁で審理中。
(3)2004年7崔さんは死去。

これに伴って韓国から奥さんが葬祭料を申請。これも却下されたため提訴。2005年3月長崎地裁崔さんの訴えを認める。長崎市が控訴。2005年9月先の健康管理手当支給裁判とあわせて、支給を認めるべきとの判決。国は上告を断念。

(5)在アメリカ被爆者裁判

 2003年12月に、アメリカ在住の被爆者と遺族4人が、居住地から健康管理手当、保健手当と葬祭料を広島市に申請したが、居住地が広島市でないことを理由に、却下された処分の取消しを求めて提訴した裁判。2005年5月広島地方裁判所は、4人の訴えをみとめた。広島市は控訴したが、2005年11月から在外公館で各種手当の申請ができることになったため、取り下げて原告勝訴の判決が確定した。

(6)在ブラジル被爆者裁判

(1)2002年3月ブラジル在住の被爆者が、ブラジルに帰国したことで健康管理手当の支給を打ち切った、広島県の処分を不服として提訴した裁判。
 2004年10月広島地裁は、5年以前のものは消滅時効が成立していると判決。提訴後2003年3月に、「402号通達」が廃止されたため提訴前五年までの健康管理手当は支給されていた。2006年2月広島高裁は、「時効の適用は権利濫用となる」と広島地裁判決を取り消す判決。2007年2月最高裁は、広島高裁判決を是認する判決。

(2)在ブラジル手帳裁判
 諸手当の申請は、居住国から申請できるようになったが、被爆者健康手帳と原爆症認定申請は、いまだに日本にいないとできないまま。
ブラジルからの被爆者健康手帳申請を却下した処分の取消しをもとめた裁判。2007年7月広島地方裁判所に提訴。

(7)三菱広島・元徴用工損害賠償裁判

 1995年三菱広島の元徴用工(在韓被爆者)が、原爆三法の不適用などによる損害賠償を請求して広島地方裁判所に提訴。2005年1月広島高等裁判所は、原爆三法不適用による損害の発生を認め、国と三菱重工業に賠償を命じる判決。国が上告し、最高裁は2007年11月、原告の主張を認め、上告を棄却した。

 

(8)三菱元徴用工手帳・手当裁判

 韓国に居住したまま被爆者健康手帳、健康管理手当を申請したが却下され、2005年6月に広島地方裁判所に提訴した裁判。2006年9月被爆者健康手帳は渡日して取得したため。訴えの利益なしと却下判決。手当の処分取消し請求は、居住地から手当申請ができることになったため、取下げた。

(9)李康寧(イカンニョン)裁判

 李裁判は、2001年12月に長崎地裁で全面勝利した。2003年2月の福岡高裁判決でも、手当の継続支給については勝利した。しかし、手当の支給義務者が自治体にあるとする国側の主張を認めた判決に抗議し、国の責任を求めて最高裁に上告した。2006年6月、最高裁は、支給義務は自治体にあると判決した。

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 2008年6月11日、在外被爆者の手帳申請が現地で行なえるようにする、原子爆弾被爆者の援護に関する法律の改正案が参議院本会議で可決成立しました。