被団協新聞

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「被団協」新聞2011年 10月号(393号)

2011年10月号 主な内容
1面 ヒバクシャをつくらない 時間をかけた努力を
原発の停止・廃炉を東電本社などに申し入れ ―― 日本被団協
大地震募金1000万円余
2面 現行法改正運動 国会請願署名1000万を目標に
裁判での政府側主張をくりかえす厚生労働省 原爆症認定制度の在り方検討会
非核水夫の海上通信 86
3面 「メッセージを胸に…」 国連原爆展パネル(2010年日本被団協制作) 各地の展示で好評
ヒロシマ・ナガサキをつたえる(7)
4面 相談のまど

ヒバクシャをつくらない 時間をかけた努力を
福島県被曝協事務局長 星埜惇さんに聞く


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ほしの・あつし 1928年広島県出身。広島原爆翌日の8月7日、旧制広島高校1年17歳のとき入市被爆。東京大学農学部卒。福島大学教授、学長、現名誉教授。1985年から福島県原爆被害者協議会事務局長。

 3月11日の東日本大震災は東京電力福島原子力発電所の深刻な事故を引き起こし、被害は拡大中です。その渦中で活動している福島県原爆被害者協議会(福島県被爆協)事務局長・星埜惇(ほしの・あつし)さんに聞きました。

懸命の安否確認
 あのとき(3月11日)で時間が止まった感じです。日本被団協の「現行法改正案」に意見を募る県被団協の会報を作っていたのですがすべてストップ。午後2時46分にはこの書斎にいました。かつて経験したことのない大きな地震で、机の上のパソコンと書棚を押さえて立っていました。今考えれば無謀ですが…。
 本もかなり落ち、2階はタンスが倒れ、家はひびが入りましたが、何とか倒れずにすみました。テレビ、ラジオ、電気、水道も止まりました。
 被爆者のことが何より心配でした。当時は県内の被爆者94人で浜通り(太平洋沿岸部)に29人。うち14〜15人が津波に遭ったのでは、と心配したのですが、数日間は電話が通じませんでした。
 安否確認に努めた結果みんな無事だと分かりました。一時避難所にいた方や県外への避難者もいましたが…。

「怖がらず、甘く見ず」
 休眠状態にあった福島県原爆被害者協議会を1985年に再建しましたが、浜通りの被爆者には原発関係者も多く、会としては原発に中立の立場をとってきました。
 事故後、福島県も「脱原発」をはっきりさせました。県被爆協では「原発の危険性」を訴え始めています。浜通りは自然エネルギーの豊富な地域です。電力会社自体が自然エネルギーの開発に進むべきだと思います。
 東日本大震災ではかつてない規模の地震・津波が襲い、原発事故が起こって放射能を放出し続けています。
 広島・長崎の原爆では放射能の危険性は何も知らされず、私も放射能の中を歩きまわりました。
 今は放射能情報があふれていますが、正確な知識が与えられないまま、疑心暗鬼になっているように思います。政府は正確な情報をきちんと伝えることが必要です。
 被爆者は「ふたたびヒバクシャをつくるな」と訴えてきました。福島の現状を広島・長崎と重ねて「ヒバクシャがつくられた」と見るのでなく、「つくらない」ために長い時間をかけて努力していくべきだと思います。内部被曝の問題を重視すること。「怖がらず、騒がず、甘く見ず」です。

国民に運動する責任
 日本被団協は原爆被害に対する国家補償を要求しています。「ふたたびヒバクシャをつくらない」ためには、国に責任をとらせなければいけません。それを実現させるのが被爆者、国民の責任です。原爆、空襲、沖縄など戦争被害への補償を求め、国民の力を糾合した運動をすることは、被害を受けた人と国民が果たすべき、後世に対する責任でもあると思います。

原発の停止・廃炉を東電本社などに申し入れ ―― 日本被団協

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(上から)東京電力、日本原子力発電、日本原子力研究開発機構への要請

 日本被団協は原子力発電からの撤退を求める運動方針に基づき、8月下旬から電力各社への要請を行なっています。
 東京電力株式会社(福島・柏崎刈羽原発)に8月30日、独立行政法人日本原子力研究開発機構(もんじゅ)に9月7日、日本原子力発電株式会社(東海・敦賀原発)に同8日、電源開発株式会社(大間原発)に同9日、岩佐幹三代表委員、田中熙巳事務局長、児玉三智子、中村雄子両事務局次長が訪問し、担当者に面接要請しました。
 東京電力へは、東友会との共同要請となりました。要請に対し東京電力は、4月に行なった日本被団協の要請への返事として、8月に決定した原子力損害賠償紛争審査会による「原子力損害の範囲判定等に関する中間指針」に基づいて補償を早期に開始すること、「事故の収束に向けた道筋、進捗状況のポイント」などを説明しました。
 日本原子力発電は、原子力発電のみを行なっているため撤退を選ぶことは難しい、と回答。電源開発は、大間に建設中の原発は、地元の要望もあり、中止の予定はない。天然資源利用の研究・開発も行なっていると説明しました。
 日本原子力研究開発機構は、要請に際し被団協代表を事務所に入れず、要請書受け渡しも、「ビルの所有者に写真撮影の許可を取っていないので外で」として路上で受け取りました。その後もビルのロビーでの立ち話で「国の方針に従っている」と述べるのみでした。
 このほかの電力9社に対しては、日本被団協の各ブロックが担当し、各本社に要請することにしています。

大地震募金1000万円余

 日本被団協が3月に呼びかけた東日本大震災救援募金は、9月16日までに1000万円余が寄せられました。ご協力ありがとうございました。
 このうち、252万円は見舞金第1次分として5月初めに被災6県の被爆者の会に届けました。また東友会が独自に310万円を、被災5県の被爆者の会にすでに届けています。

見舞金第2次分被災各県に送金
 日本被団協は見舞金第2次分を、9月27日被災各県に送金しました。青森県被団協に43万円、岩手県被団協に65万円、宮城県はぎの会に170万円、福島県被爆協に107万円、茨城県被団協に22万円、千葉県友愛会に22万円です。

現行法改正運動 国会請願署名1000万を目標に
日本被団協代表理事会

 日本被団協の第359回代表理事会が9月14〜15日に開催されました。
 現行法改正運動を具体的にどうすすめるか、「原爆症認定制度の在り方に関する検討会」の経過と日本被団協の取り組み、原発の段階的廃炉要求に基づく取り組み、非核三原則法制化を求める地方議会意見書採択の運動、「ノーモア・ヒバクシャ記憶遺産を継承する会」の設立に向けて、などが討議されました。
 現行法改正運動については、中央・地方で被爆者が先頭に立った国民運動としてすすめること、改正要求を被爆者一人ひとりの要求・国民の要求とする討議を展開すること、そのための資料をつくること、国会請願署名、地方議会決議の採択、国会議員の賛同署名運動を一体にして取り組むことを確認しました。それぞれの目標は、国会請願署名は1000万人、地方議会決議は全議会の3分の2、賛同署名は全国会議員の3分の2とすることも確認されました。
 当面の行動として、(1)国会請願署名の第一次集約を1月末とし、その目標を被爆者一人当たり署名用紙1枚(5人)の100万人とする (2)10月20日の中央行動で国会議員要請に力を注ぐ (3)12月6〜9日に全国一斉行動を行なう (4)地方議会への要請は来年3月議会からすすめることを決めました。
 原発に関する取り組みは、全電力会社本社に、原発の段階的廃炉に向けた要請を各ブロックで行なうことになりました。
 非核三原則法制化を求める運動は、議会での意見書採択に十分取り組めていない府県で運動をすすめることが強く求められました。
 ノーモア・ヒバクシャ記憶遺産を継承する会については、同会設立の趣旨が紹介され、準備会から各県被団協に対し協力要請が行なわれることが説明、確認されました。

裁判での政府側主張をくりかえす厚生労働省
原爆症認定制度の在り方検討会

 原爆症認定制度の在り方に関する検討会は9月20日第6回が行われ、厚生労働省の報告に対する厳しい質問、委員相互の質疑が活発に行なわれました。第5回につづき、集団訴訟の最大の問題点である司法と行政の判断の乖離をめぐる問題の討議にさしかかりました。
 乖離の問題は、第4回で宮原哲朗弁護士や斎藤紀医師が明快な回答を示しましたが、この意見を全く無視した報告を厚労省側が第5回で行ないました。それは、裁判での政府側主張の焼き直しに過ぎませんでした。そこで、検討会委員でもある日本被団協の田中熙巳事務局長と、宮原哲郎弁護士、内藤雅義弁護士が批判的意見書を第6回検討会に提出しました。
 田中意見書の要旨は以下のとおり。宮原、内藤弁護士の報告書とあわせて、意見書の全文は厚生労働省のホームページから見ることができます。


【 田中意見書(要旨)】

1 はじめに
 第5回検討会での厚労省報告「原爆症認定審査の現状」「原爆症認定に係わる司法判断」には大変失望した。裁判で連敗を重ねた被告側の反省が全く見られない。そこで、私の疑問と意見を簡単にまとめた。

2 原爆被害の過小評価の典型、残留放射線の無視や軽視について
 第5回検討会で、厚労省の(旧)原爆症認定審査方針による認定の仕組み説明に対し、私が「DS86には残留放射線が考慮されていない」と質問した。草間委員が「考慮されている、しかし、結果にはほとんど影響しない」と述べた。私は、疫学調査に用いた対象者の被曝線量の推定には放射性降下物による残留放射線が考慮されていないことを質したのだ。疫学調査の比較対象者に放射性降下物による被曝者を含めてしまったことによる疫学調査上の不十分さを指摘したい。科学者は謙虚であるべきだ。絶対化する厚労省とそれを無批判に受け入れる専門家の反省を求める。
 最近追加更新された厚労省のホームページでは「原爆における残留放射線は無視できる程度の線量である」としている。福島第一原発事故による放射能被害のことを省み、原爆炸裂による放射性降下物の残留放射線が健康に及ぼす影響を改めて配慮・検討することを含め謙虚であるべきだ。
 残留放射線の無視や過小評価は政府の核政策、原子力利用政策に通底する。

3 松谷訴訟の最高裁判決の趣旨を意識的に曲解
 厚労省は(旧)原爆症認定に関する審査の方針策定の際、2000年の最高裁判決「高度な蓋然性(がいぜんせい)」を意識的に曲解した。「原子爆弾被爆者に対する援護に関する法律」は被爆者の救済を目的としており、最高裁は厳密な裏付けではなく「高度な蓋然性」を必要要件とした。厚労省は「科学的厳密性」を要求しているとして、疫学調査の結果の寄与リスクを「原因確率」として採用し、数字で示されなければ科学的でないという誤った姿勢をとり続けている。「科学的知見」は数値で表すことと理解しているとしたら、科学に対する無知を示す。認定の中で科学的知見をどう活かすかは社会的、政治的であり、数値の機械的適用で認定を行なった誤りは裁判で厳しく判示されている。

4 その他の問題点
 新しい審査方針後「最新の科学的知見に基づき客観的に認定している」という説明は、現実の認定基準の策定や運用実態ともかけ離れている。被爆者の個別事情を無視ないし軽視している。認定の実態や医療分科会委員の認識と全くかけ離れている。原爆症認定集団訴訟の判決相互の違いの意味を取り違えている。

5 早期の検討と結論について
 菅直人前首相は、今年の広島、長崎の平和記念式典で、「原爆症の認定を待っておられる方々を1日でも早く認定できるよう最善を尽くす。昨年12月から有識者や被爆者団体等の関係者で、検討会を開催している。高齢化する被爆者の声にしっかりと耳を傾け、被爆者援護に誠心誠意取り組む」と述べた。1日も早く結論を出すことを願う。

「メッセージを胸に…」 国連原爆展パネル(2010年日本被団協制作)
各地の展示で好評

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(上から)神奈川、足立区、多摩市、岐阜の各地で展示された国連原爆展パネル

 昨年5〜6月ニューヨーク国連本部で展示された日本被団協制作の原爆展パネル「ヒロシマ・ナガサキから世界へのメッセージ」が、国内各地で展示され、好評です。
 昨年11月に東友会、今年2月にパルシステム東京、7月に多摩市、八王子市職員組合、8月に武蔵野けやき会、足立区原爆被害者の会、東都生協、神奈川県原爆被災者の会、岐阜県原爆被爆者の会に貸し出されました。
 主催者からは「大きいので展示作業が大変だったが、迫力があり好評」などの報告が、また参観者からは「真実が強烈なメッセージとして胸に突き刺さりました」などの声が寄せられています。
 貸し出しなどの問い合わせは日本被団協まで。

ヒロシマ・ナガサキをつたえる(7)
憲法9条堅持を訴え 梅岡昭生(岐阜)

 18年前、岐阜県原爆被爆者の会(岐朋会)が開いた第1回目の慰霊祭に参加して、私は岐朋会とであいました。このとき、参加者がみな、ひと言ずつ自分の被爆体験を話すことになり、私は初めて体験を語りました。
 旧制中学4年の16歳のときに、広島の爆心地から3キロメートルの地点で被爆し、吹き飛ばされました。硝子の破片が突き刺さり、全身血だらけで逃げまどいました。背中の硝子約20個は母が抜き取ってくれましたが、後頭部に入った2つは今もそのままです。
 同じ隣組で、家屋疎開に行ったまま帰らない親友を捜しに、未だ火の燻る8月8日、市内を歩き回りました。川に浮かぶたくさんの焼死体、道端に折り重なった屍を横目に1日中探して、やっと彼をみつけましたが亡くなっていました。その後、終戦までの約1週間は、遺体処理の作業にあたりました。小学校の校庭に穴を掘って、毎日毎日焼いた遺体は、女性と子どもばかりでした。
 被爆証言をするときは、当時自分の見たままを、広島の地図を示しながら話します。
 そして必ず「永劫にこの惨禍を繰り返してはならない。憲法九条を堅持し、戦争を起こしても、また巻き込まれてもならない」と訴えています。

相談のまど
「医療特別手当」は病気が治ると受給できなくなる?

 【問】私は5年前に乳がんで原爆症の認定を受け、現在「医療特別手当」を受給しています。この手当は、認定された病気が治ると受給できなくなると聞きましたが、本当ですか。

*  *  *

 【答】原爆症と認定されるのは、申請した疾病が放射線に起因して発症したことに加え、現在その疾病の治療が必要であることとされています。
 原爆症と認定されると「医療特別手当」が支給されます。「医療特別手当」の受給者は、3年毎の5月に「医療特別手当健康状況届」に指定医療機関の診断書を添えて、都道府県知事に届出することになっています。
 診断書で認定疾病が治っていると診断されたときは、「特別手当」の支給に切り替わります。なお3年に限らず、認定された疾病が治ったときは「特別手当」に切り替える手続きをします。
 認定疾病が治ったとして「特別手当」を受給していて、その病気が再発してしまった、ということもあります。この場合は、自動的に「医療特別手当」に切り替わることはなく、改めて原爆症認定の申請をする必要があります。
 主治医の指示に従い、病気が完治するまで、管理をしっかりすることが大事です。