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「被団協」新聞2011年 4月号(387号)

2011年4月号 主な内容
1面 被爆者も被災 救援の手を早く=東北関東大震災
田中煕巳日本被団協事務局長が談話
海外からもお見舞い
救援募金に協力を
2面 藤平代表委員 葬儀
私が求める「原爆」への償い
意見書採択
非核水夫の海上通信80
3面 原爆症認定集団訴訟中間総括
6面 原爆症認定集団訴訟のあゆみ
7面 核兵器廃絶をめざす若者たちに感銘/ドイツとスイスで青年と交流
被爆資料の保存と場所提供をよびかけ/ノーモア・ヒバクシャ記憶遺産を継承する会準備会
ヒロシマ・ナガサキをつたえる(4)
8面 相談のまど
本の紹介
声のひろば

被爆者も被災 救援の手を早く=東北関東大震災

大震災の惨状に広島・長崎を想起
原発依存のエネルギー政策転換を

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宮崎県の河北新報(3月17日付夕刊)に掲載された宮城県原爆被害者の会の木村緋紗子事務局長(写真左)の話。写真右は波多野明美さん

 3月11日午後発生した東北地方太平洋沖地震による東北関東大震災で、被爆者も大きな被害を受けています。特に大津波の被害が大きかった岩手、宮城、福島の各県被団協役員は、2週間を過ぎても多くの会員と連絡がとれない、と不安を募らせています。

 日本被団協は大震災後に、東北、関東、信越各県の被団協役員と連絡をとりました。上記3県以外では、物資不足などはあるものの、会員からの被害報告はない、とのことです。以下に3月23〜26日時点での3県被団協役員の話を紹介します。
[岩手] 宮古、大船渡、陸前高田など沿岸部の会員が心配。陸前高田の91歳女性被爆者の無事はインターネットの情報で確認できた。被爆者が亡くなった、という連絡はまだないが、連絡をとれない、というのが実情。
 ガソリンがないので動くこともできない。郵便はようやく届き始めた。
[宮城] 余震が続いている。震度4以上がこれまでに70回以上。常に体が揺れている。
 気仙沼など沿岸部3地区と連絡がとれない。そこに被爆者が60人ぐらいいるはず。民放ラジオで「被爆者は連絡を」と放送してもらったが、連絡はほとんどない。県に手帳所持者の情報を伝えてほしいと依頼した。
 石巻の会員の一人は、家が水につかり、隣家の2階に避難している、という。津波被害ばかりでなく、仙台市中心部でも家が25度傾いてもう住めない、という相談があった。自宅が無事でも、ライフラインの復旧までは水汲みでの体力消耗や、水が使えないことからくるストレスもあった。
[福島] 浜通り(沿岸部)の会員が心配だが、確かめようがない。全く電話が通じない。福島市内でも通じない人がいる。どこかに避難しているのか…。毎月県から県内手帳所持者数の報告を受けているが、震災前は94人だった。その3分の1が沿岸部にいると思う。会員全員に「連絡を」とはがきを出した。
 23日現在、県外からの郵便は1週間程度で届いている。暖房その他につかう灯油不足がきつい。
 原発は、爆発したら逃げようがない。今はとにかく静観するしかない。

田中煕巳日本被団協事務局長が談話

 日本被団協は3月22日田中事務局長名で、談話「東北関東大震災・大津波災害と福島第1原発災害にあたって」を発表しました(2面に全文)。
 談話ではまず、大津波後の惨状が、66年前の広島・長崎の原爆の惨禍を想起させることから、被爆者が心をいため、強く励ましの気持ちを持っていると伝えています。
 原発事故について、政府と東京電力がこれまで「安全神話」を振りまいてきたうえ、事故後もなお情報を隠し続けていることへの怒りを表明。原子力に依存するエネルギー政策を見直し、転換することを求めています。

海外からもお見舞い

 震災後海外から日本被団協に、お見舞いと励ましのメッセージを寄せた方々を紹介します。(3月25日現在、敬称略)
 ベン・パールスティン(タフツ大学)、ジョゼフ・ガースン(米フレンズ奉仕委員会)、ダレル・ミホ、コリン・アーチャー(国際平和ビューロー)、遠山京子、乗松聡子、ミシェル・メイソン、ジョン・スタインバック(ワシントン広島・長崎委員会)、中村ゆき、レギーナ・ヘーガン

救援募金に協力を

 日本被団協は、被害に遭った被爆者の救援のため、全国の被団協と被爆者と支援者に「東北関東大震災救援募金」を呼びかけています。広範で深刻な大震災被害に対し、どうか皆さんのお心をお寄せください。
 募金は、まず各都道府県被団協に取り扱いをお問い合わせください。
 日本被団協に直接送金くださる場合は郵便振替でお願いします。口座番号=00100-9-22913 加入者名=日本被団協、通信欄に「大震災救援募金」と書いてお送りください。

藤平代表委員 葬儀

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 藤平典日本被団協代表委員(2月24日死去)の葬儀が2月27日、東京・杉並区内で行なわれました。日本被団協からは坪井直代表委員が弔辞をささげるなど、役員をはじめ多くの被爆者が参列しました。
 日本被団協と、被団協のすべてのブロックから生花が贈られ、遺影(被爆証言をしたときのもの)の掲げられた祭壇はやわらかな彩りの花で埋まりました。
 日本青年団協議会、日本生活協同組合連合会などの団体や個人から多数の弔電も寄せられ、故人を偲びました。

私が求める「原爆」への償い

他の戦争被害者と連帯し、胸を張って償いを求めよう
熊本 中山高光
 私は南米ペルーで生まれた。日本が戦争を始めたので帰国、国の政策で熊本県立工業学校を一年短縮で卒業し、三菱長崎造船所に就職して被爆した。住まいの浦上寮では多くの友人が黒焦げになって亡くなった。
 原爆被害は日本政府の開戦と米政府の原爆使用による戦争被害である。日本政府は謝罪と国家補償を行なうべきである。とくに政府が被爆者救済を一般戦争被害補償に波及しないよう、放射能被害だけ救済し、死没者、爆風や熱線の被害を排除したことは許せない。
 日本の被爆者運動に励まされて、アメリカでは退役被曝軍人補償法やネバダ風下地域住民の放射線被曝補償法がつくられ、遅い入市や爆心地から百キロも離れた風下地域住民が救済されている。
 被爆者への「償い」は一般戦争被害への補償を共に歩まなければ進めないと思う。それは原爆被害の軽視ではない。
 日本の戦争で被害を受けたアジアの人たちが今も「原爆投下で解放された」と言っている。これをそのままにして核兵器廃絶・原爆被害への国家補償は厳しいと思う。
 被爆者が、ビキニ水爆実験被害者や大空襲被害者、アジアの戦争被害者と連帯し、すべての戦争被害への償いを求め、核兵器廃絶の証しとなる原爆被害への国家補償実現の大運動を取り組むことが必要と思う。被爆者が胸を張って行動できる「償い」運動を望みたい。
* * *
原稿募集 本欄への原稿を募集しています。500〜600字にまとめてお送りください。

意見書採択

 非核三原則の法制化を求める地方議会の意見書採択、3月25日までの報告分です。
青森 =横浜町 中泊町
神奈川 =逗子市
 これまでに採択を要請して、返事をもらっていない議会には、結果の問い合わせをしましょう。さらに6月議会に向け、運動を強めましょう。

原爆症認定集団訴訟中間総括

原爆症認定集団訴訟の終結を迎えるにあたって
2011年3月7日

 日本被団協代表理事会は3月7日付で、「原爆症認定集団訴訟中間総括」を発表しました。全文を紹介します。

集団訴訟運動の成果
 2001年10月、原爆症認定集団訴訟を呼びかけてから9年余り。集団訴訟は東京地裁第3次(未認定原告16人)と大阪地裁第3次(未認定原告4人)の判決を残すのみで、間もなく終結することになります。この集団訴訟運動は23都道府県の被爆者が17の地裁に提訴してたたかわれました。途中の提訴取り下げもありましたが、306人の原告が最後までたたかいました。
 この集団訴訟は行政訴訟としては例を見ない数々の成果をあげました。裁判は勝訴の連続で、その中で先陣をきって9人原告全員の勝訴をかちとった大阪地裁、それに続いて41人原告全員の勝訴をかちとった広島地裁の判決が連勝への流れを作りました。さらに幾つかの全員勝訴を含め、ほとんどの原告が勝訴するという目覚ましい成果をあげました。1人原告で敗訴した岡山地裁を除く20地裁、7高裁、あわせて27裁判所で勝利判決を得ました。
 集団訴訟が連勝を重ねる中で、07年8月5日、安倍総理は被爆者代表の前で認定基準の見直しを柳澤厚生労働大臣に指示しました。この指示にしたがい見直し検討会の議を経て、08年3月「新しい審査の方針」が決定され、4月から改善された基準での審査が実施されました。さらに09年6月追加改善が決定され、2度にわたる審査の基準の改善により、判決を待たず認定される原告も少なくありませんでした。11年1月末までの認定原告数は306人中264人で、そのうち93人は判決を待たず新しい基準によって認定されました。基準改訂(08年4月)後の認定被爆者は集団訴訟前の約3倍の7千人余りに達しました。
 また、09年8月6日、麻生総理大臣・自民党総裁と日本被団協との間で、集団訴訟の終結に向かう確認書が取り交わされました。確認書の取り交わしは、この段階ですでに69人の原告が死没しており、上級審への上訴によって長期化する集団訴訟は高齢化した原告にとって過酷であり、敗訴原告の救済も含むすべての原告の一括早期解決を、政治判断として求めた成果です。この確認によって、国が控訴中の1審勝訴の原告43人が認定されました。同時に、国が一定の救済を行う基金に関する法律を制定し、約3億円の基金を支給させることに成功しました。訴訟で敗訴した原告(10年12月現在22人)のうち20人に対して12月に救済金の一部が支払われました。また、この確認書により、訴訟によらない解決のための、厚生労働大臣との定期協議も設けられることになりました。
 集団訴訟の中で、政府が原爆被害をできる限り小さく、軽く、狭く見せようとしていることが明確になりました。国は、放射線の被害を初期放射線の被害に限定し、放射性降下物による残留放射線の影響を一貫して認めていません。この過ちこそ判決の中で違法として断罪されたものです。
 集団訴訟は原爆被害の実相をより一層明らかにし、その成果を核兵器廃絶の運動にも反映させてきました。


集団訴訟運動をどうたたかったか
 日本被団協は、集団訴訟運動を原告だけのたたかいにするのでなく、また被爆者は、ただ支援者にとどまるのではなく、全被爆者に係わる問題として、日本被団協が全面的に取り組むことを呼びかけました。運動を始めるにあたって、討論と意思統一の不十分さもあって、各県被爆者組織の中には、立ち上がりが遅れたり、さまざまな地域の事情により原告を立てられなかった県もありました。原告を立てた県は死力を尽くし、全力をあげてたたかいました。ほかの県でも裁判の傍聴、署名、募金などの支援に全力をあげました。この9年余にわたるたたかいの中で、日本被団協に結集する被爆者が運動の中心的な役割を担いました。
 もちろんこのような大きな運動は高齢化した被爆者だけでたたかえるわけではありません、強力な弁護団、被爆者を支援する平和運動団体や個人が力をあわせてたたかいました。様々な集団訴訟をたたかったベテラン弁護士と若手弁護士が一体となった全国弁護団、被爆者医療にあたった全日本民医連の医師団、核兵器に反対し、原爆被害、放射線被害に関心をもち、心をよせる科学者などの力量と結束が法廷での国=被告を圧倒する弁論を展開し成果を生み出しました。
 集団訴訟は、現行法での原爆症認定行政の不当性を問うもので、法律改正を直接求めるものではありませんでした。そのため、核兵器のすみやかな廃絶と原爆被害に対する国家補償の実現を求める、日本被団協の基本要求実現の運動とどう結合させるかが大きな課題でした。
 それだけに、裁判官は言うまでもなく、支援する人々にも原爆被害の実相を広く知ってもらうことに力を入れました。法廷では原告の陳述と合わせて、映像や画像を通して原爆の被害の惨状や被害の全体像を提示する努力をしました。その結果、原爆の反人間的な被害への裁判官の理解が深まり、原告の病気を原爆症と認めるべきとの心証を生み出したのは間違いありません。支援ネットワークの中でも原告の苦しみ、原爆に対する怒りとふたたび繰り返してはならないという願い、原爆の非人間性に対する理解は広がりました。原告の陳述が果たした役割は計り知れないものがあります。集団訴訟運動でのこのような取り組みの成果が核兵器廃絶運動にも反映されました。
 集団訴訟運動の前進、成功にはマスコミの力も大きく働いたといえます。提訴のとき、裁判の経過、判決の前後、集会や政府要請行動の前後など、さまざまな場面で、集団訴訟の意義と到達点を記者会見、記者説明会などをとおして丁寧に説明しました。このことでマスコミ各社がそれぞれ大きく報道しました。また、主要紙の論説でも政府の誤りが指摘されました。
 また、国会議員、政党の賛同を得ることに力を入れました。分かりやすい資料の作成、面会要請を重ねたことで、多くの国会議員の賛同と、すべての政党の賛同が得られ、各党において被爆者対策委員会や被爆者問題懇談会などがつくられました。各政党には集団訴訟の経過と成果を機会ある毎に報告し、国会でも取り上げてもらいました。これらの成果の上に、政策提言権をもつ与党プロジェクトチーム(PT)が発足し、与党PTとの協議を重ねることができたことは、新しい審査の方針の策定、大臣との面談要請、麻生総理・自民党総裁との確認書取り交わしにつながりました。


集団訴訟に残された課題と原爆症認定制度の問題点
 集団訴訟運動はさまざまな成果をあげましたが。確認書を取り交わした後に、厚生労働省は大量の認定申請却下処分を出しはじめました。
 認定基準の改善で、3・5キロメートル内の直爆や100時間以内の入市の被爆者のすべてのがんや白内障、心筋梗塞が積極認定の対象になるということを新聞報道などで知った被爆者が「新しい基準」で自分も認定されるのではないかと期待し、申請が急増しました。審査の遅滞が起こり、最高時の滞留は8千件余りになりました。私たちは、長期の審査の遅滞は高齢化した被爆者にとって人道問題だとして、認定態勢を強化して認定の促進を強く要請しました。
 新しい審査の方針の積極認定の枠の中に盛り込ませた白内障や心筋梗塞、また、09年6月に加わった甲状腺機能低下症、慢性肝炎・肝硬変などには「放射性白内障」あるいは「放射線起因性が認められる…」という要件がつけられていました。これらの疾病は集団訴訟でほとんど勝訴した疾病なので、積極認定の枠に入れることを強く要請してきた疾病だったのです。
 そこで、私たちは「放射線起因性が認められる」という要件を削除することをさまざまな交渉の場で強く求め続けながら、この要件の判断基準の提示や、第1回の大臣協議で約束された認定審査データの公開を求めつづけました。しかし、厚労省はデータの公開を意識的に引き延ばし。大量滞留の早期解決の要請に対して大量却下で応えてきたのです。
 7月に公開を約束した10年度の4月から6月までの審査結果のデータが9月に初めて公開されました。引きつづいて7月から9月までのデータが公開されました。この公開データによって、「放射線起因性が認められる」という要件は、近距離の直爆(甲状腺機能低下症は2キロメートル内、白内障、心筋梗塞、肝硬変・慢性肝炎は1・5キロメートル内)でないと認定しておらず、入市被爆は一人も認定していないことが明らかになりました。結局、一定の被曝線量以上でないと放射線の影響は全くないとする旧来の非がん疾病に対する、しきい値論から一歩も出ておらず、結果的には全く改善されていないと等しいことが明らかになりました。また、総合審査したと思われる認定も皆無に等しく、放射性降下物による残留放射線の影響は全く認めていません。司法の判断と真っ向から対立するものです。
 原爆被害に対する国家補償を求めてきた日本被団協は、原爆傷害に対する認定制度を抜本的に改善するには、放射線起因性を厳しく問う根拠になっている法律10条、11条を改める以外にないとの考えから、06年9月に「原子爆弾被害者対策の抜本的改善を求める当面の要求書」を策定したとき、その中で、現行法を改正した新しい原爆症認定制度の提案も行ってきました。一方で、第1回の厚生労働大臣との協議で民主党政権での長妻大臣自身も法律の改善によらざるを得ないことを明言しました。
 このような状況の中で、厚生労働省が下した大量却下にたいして、日本被団協は、新たに集団訴訟を呼びかける方針を採るのでなく、国家補償を求める運動の中で、法律改正による抜本的な制度改善の実現に全力をあげることを選ぶことにしました。しかし、却下処分の取り消しを個別に求める訴訟を否定するものではなく、訴訟の支援もありうると表明してきました。
 原爆症認定制度の抜本的改善に残されている課題は、10年8月の菅総理の「制度見直し」の発言を受けて、12月に発足した「原爆症認定制度の在り方に関する検討会」の議論をふまえ、すみやかな改善の実現をはかることです。現在、日本被団協が要求のとりまとめ討議を行っている、国家補償の実現のための全面的な法律改正要求の一環として検討されるべきものです。
 しかし、法律改正に至るまでは、現在の基準で認定審査が行われます。したがって、法律改正をただ待つのではなく、残っている二つの裁判に勝訴し、あわせて、確認書にそっての厚生労働大臣との定期協議やそれ以外の場でも、さまざまな運動と交渉を通して、集団訴訟の成果が十分に反映される基準の改善を要求し実現させなければなりません。その一つは、すでに積極的認定の枠の中に入っている疾病の「放射線起因性が認められる」という要件を取り除くこと、もう一つは、司法が原爆症と認定すべきとした判断と行政上は認定できないとする判断との乖離を解決する基準を作らせることです。
 原爆症認定問題の抜本的改善にあたって、原爆の被害の実態を一層明らかにし、非人道的な原爆被害を償う国の責任を明確にさせることが、解決への鍵になっています。集団訴訟運動がかちとった成果を国家補償の実現と核兵器のない世界を求める国民的運動に発展させるために、日本被団協に結集する被爆者が一層結束し、高い志をもってたたかいつづけることを訴えます。

原爆症認定集団訴訟 地裁別状況
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原爆症認定集団訴訟のあゆみ


2003年4月〜2010年12月

 原爆症認定集団訴訟は、あと2地裁の判決を残すのみとなりました。
 日本被団協は、2000年7月の長崎原爆松谷訴訟の最高裁での勝訴後も全く改められない原爆症認定行政に対し、その抜本的改善を勝ち取ろうと、01年10月、全国都道府県代表者会議で集団訴訟運動を提起しました。
 02年7月から大量一斉申請を開始、03年4月に提訴が始まりました。以後07年末までに、22都道府県に住む被爆者が、17の地裁に提訴しました。
 06年5月の大阪地裁全員勝訴から勝利を重ね、地裁・高裁あわせて27裁判所で勝利しました。
 判決の連敗と世論に押され、国は08年3月に「新しい審査の方針」を決定。09年6月に一部改定(被団協はさらなる改定を要求)。8月6日の「確認書」交換で終結へ向うことになりました。12月には集団訴訟解決基金法が成立。11年12月敗訴原告に対して救済金の一部が支払われました。
 日本被団協代表理事会は3月7日付で集団訴訟運動の中間総括を発表しました。

一斉申請
2002年 7月9日 第1次全国一斉認定申請
9月6日 第2次全国一斉認定申請
12月6日 第3次全国一斉認定申請
2003年 3月6日 4次全国一斉認定申請
提訴
2003年 4月17日 札幌、名古屋、長崎地裁に7人が提訴し、集団訴訟始まる
*この年9地裁lこ111人が提訴
2004年 57人提訴…累計168人
2005年 8人提訴…累計176人
2006年 60人提訴…累計236人
2007年 81人提訴…累計317人
*提訴取り下げがあり、2009年4月の新基準策定前の提訴者は306人
判決
2006.5.12 大阪地裁 (第1次) 勝訴 9人全員 控訴
8.4 広島地裁 (第1次) 勝訴 41人全員 控訴
  (2009.8国側取り下げ 2009.9.16原告取り下げ確定)
2007.1.31 名古屋地裁   勝訴 2人勝訴2人却下 控訴
3.20 仙台地裁   勝訴 2人全員 控訴
3.22 東京地裁 (第1次) 勝訴 21人勝訴9人却下 控訴
7.30 熊本地裁 (第1次) 勝訴 19人勝訴2人却下 控訴
2008.5.28 仙台高裁   勝訴 2人全員 確定
5.30 大阪高裁 (大阪第1次) 勝訴 9人全員 確定
6.23 長崎地裁 (第1次) 勝訴 20人勝訴7人却下 控訴
7.18 大阪地裁 (第2次) 勝訴 4人勝訴1人却下、
認定6人は棄却
控訴
9.22 札幌地裁 (第1次) 勝訴 4人勝訴、
認定3人は棄却
控訴
(2009.8国側取り下げ 2009.9.30原告取り下げ確定)
10.14 千葉地裁 (第1次) 勝訴 2人勝訴、
認定2人は棄却
控訴
2009.1.23 鹿児島地裁   勝訴 2人勝訴、
認定4人は棄却
確定
3.12 東京高裁 (千葉第1次) 勝訴 2人勝訴、
認定2人は棄却
上告
(2009.8国側取り下げ確定)
3.18 広島地裁 (第2次) 勝訴 5人勝訴2人却下、
認定16人は棄却
控訴
(2009.8国側取り下げ原告取り下げ確定)
3.27 高知地裁   勝訴 1人全員 控訴
(2009.8国側取り下げ 2009.10.29原告取り下げ確定)
5.15 大阪高裁 (大阪第2次) 勝訴 4人勝訴1人却下、
認定6人は棄却
確定
(未認定1人について原告側が上告も、取り下げ)
5.28 東京高裁 (東京第1次) 勝訴 10人勝訴1人却下、
認定19人は棄却
確定
(未認定1人について原告側が上告)
8.3 熊本地裁 (第2次) 勝訴 10人勝訴、
認定3人は棄却
確定
10.2 静岡地裁 3人全員認定済み、判決を待たず原告取り下げ 確定
10.21 さいたま地裁 1人全員認定済み、判決を待たず原告取り下げ 確定
10.30 松山地裁 1人全員認定済み、判決を待たず原告取り下げ 確定
11.30 横浜地裁   勝訴 4人勝訴1人却下、
認定8人は棄却
確定
11.30 福岡高裁 (熊本第1次) 勝訴 1人逆転勝訴、
1人敗訴
確定
2010.2.19 最高裁 (東京第1次) 敗訴 1人上告棄却 確定
3.11 名古屋高裁   勝訴 1人逆転勝訴、
1人敗訴
確定
3.29 高松地裁   勝訴 1人全員 確定
3.30 東京地裁 (第2次) 勝訴 10人勝訴2人却下、
認定16人は棄却
確定
5.25 千葉地裁 (第2次) 勝訴 1人勝訴1人却下、
認定2人は棄却
確定
6.16 岡山地裁   敗訴 1人全員
控訴し、集団訴訟を抜ける
原告控訴
7.20 長崎地裁 (第2次) 勝訴 2人勝訴4人却下、
認定12人は棄却
確定
12.22 札幌地裁 (第2次) 勝訴 1人勝訴、
認定1人は棄却
確定


核兵器廃絶をめざす若者たちに感銘

ドイツとスイスで青年と交流
東京 山田玲子さん

 2月25日にスイスのジュネーブで開催された青年核軍縮会議に日本被団協の代表として出席してきました。
 会議に先立つ24日、ドイツのハンブルク大学で被爆者の話を聞く会があり、DVD「母たちの祈り」の上映に続いて私の被爆体験を話しました。60人余りの物理学専攻の学生たちは、「日本政府の被爆者への援護施策について」「携帯電話を持つように、核があるのは当たり前と思っている人が多いが…」など熱心に質問してきました。
 通訳のミュラー・柴・励子さんが、「将来、世界的な学術研究者として活躍するかもしれない若い人が『核兵器廃絶』の実現に向けて活動していることは、何と希望的なことか」と語られ、私も同じ喜びを味わいました。

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会議主催者のシオバス氏と山田さん

 25日、ジュネーブでの会議では、冒頭に放映されたDVD「母たちの祈り」に続き、基調講演として「私の被爆体験、日本被団協とその運動、核兵器を決して許すことができない被爆者の思い」を話しました。
 会議は「核兵器の非合法化と国際人道法」など3つの議題についての討論と、報告「各国の青年の行動について」がなされました。様々な国の百人余の青年達が、大変熱心に学び、討議したことに感銘を受けました。
 26日には、ジュネーブ大学で証言をした後、留学生としてスイスで学ぶ日本人大学生との交流会があり、皆さんからメルシーカードをもらいました。感謝の言葉とともに書かれた、「次の語り手になります」「いつか核兵器をなくせると確信しています」などの言葉に感激しました。

被爆資料の保存と場所提供をよびかけ

ノーモア・ヒバクシャ記憶遺産を継承する会準備会

 ノーモア・ヒバクシャ記憶遺産を継承する会準備会が、被爆者運動資料の保存と場所提供を呼びかけています。
* * *
 原爆が人間に何をしたのか、その全体像に迫る膨大な資料・データは、いまだ集約・整理されないままです。「核兵器のない世界」が切実に求められている今日、それらの資料を人類の遺産として継承し、普及・活用していくことは、今を生きる私たちの歴史に対する責務と考えます。私たちは「ノーモア・ヒバクシャ記憶遺産を継承する会」を立ち上げ、原爆被害者の記憶遺産、とりわけ世界に唯一の被爆者運動の継承という壮大な構想の実現に向け、取り組む準備を開始しました。
 そのために、被爆者の皆さんにお願いです。
(1)これまで取り組んでこられた証言活動や被爆者の会の運動の記録など被爆者運動にかかわる資料を手元に保存していただくこと
(2)集約した資料・データを保管し、整理していく作業スペースの場所、あるいは場所についての情報の提供〈当面の連絡は日本被団協事務局まで〉
 (準備会事務局長・伊藤和久)

ヒロシマ・ナガサキをつたえる(4)

両親の被爆体験語る
清水文雄さん(広島)


 今回NPT再検討会議代表団に参加して感じたことの一つ目は、前回よりも多くの被爆者の皆さんが無理を押して参加されており、被爆者の方々の決意というか、核兵器廃絶に向けた強い思いに元気づけられたことです。
 二つ目には、被爆者の方がいらっしゃらなくなったらどうすればよいのかという危機感です。より多くの被爆二世の皆さんに、無理を押して参加された被爆者の決意をどう広げられるか、働き盛りということもあり、決意だけでは如何ともしがたい環境はどうしたらいいか…。今後の被爆者運動の継承にも思いを寄せました。
 三つ目には、被爆体験継承の努力の重要性です。被爆者の皆さんは、様々な場面で被爆体験を語られました。私も両親の被爆体験を話す機会を得ました。自分に限らず、被爆者の話がどのように受け止められるのか不安があったのも事実です。しかし誰もが真剣に話を聞いてくださいました。被爆体験は被爆者の数ほどあり、様々な体験がある中で、被爆二世として両親の話をすることもできるのだと思いましたし、自分にできる方法で被爆体験を引き継いでいかなければならないと思うことができました。
(『NPT再検討会議日本被団協代表団報告集』より)

相談のまど

家で義母(被爆者)を介護中です
家族介護手当の申請は?

【問】 現在、家で義母の介護をしています。
 義母は要介護4で、訪問看護、訪問リハビリ、訪問入浴、ショートステイの介護保険サービスを受けています。
 しかし、介護保険サービスだけでは十分ではなく、家族としてしなければならない介護は相当なものがあります。
 家族介護手当の申請はできますか。できるとしたら、手続きはどうしたらよいでしょうか。
* * *
【答】 原爆被爆者対策としての介護手当には、介護人に費用を払って介護を受けている場合の介護手当と、家族が行なう介護に対する家族介護手当があります。
 家族介護手当は「重度障害」を対象とし、費用を出さずに自宅で家族が身のまわりの世話をしたときに支払われます。
 「重度障害」の程度は、現行法の施行規則では左の表のように定められています。個人によって、様々な障害をかかえていると思いますが、例えば両方の手か足の機能に著しい障害がある、ほとんど寝たきりの状態であるなどです。また、精神障害については、認知症も対象になります。
 申請にあたって診断書が必要になりますが、診断書が次の表の「重度障害」のいずれかを認めていることが必要です。
 手続きは、介護手当支給申請書に介護手当用診断書を添付して、都道府県の担当課に提出します。
 家族介護手当は、月額21、500円です。
 中央相談所では、介護手当用診断書作成のための、医師宛の紹介状を用意しています。ご希望の方は返信用封筒に80円切手をはって、中央相談所に申し込んでください。

    重度障害
     
  • 1、両眼の視力の和が0.02以下のもの
  •  
  • 2、両耳の聴力が補聴器を用いても音声を識別することができない程度のもの
  •  
  • 3、両上肢の機能に著しい障害を有するもの
  •  
  • 4、両上肢のすべての指を欠くもの
  •  
  • 5、両下肢の用を全く廃したもの
  •  
  • 6、両太腿を2分の1以上失ったもの
  •  
  • 7、体幹の機能に座っていることができない程度の障害を有するもの
  •  
  • 8、前各号に掲げるもののほか、身体の機能の障害または長期にわたる安静を必要とする病状が前各号と同程度以上と認められる状態であって、日常生活の用を弁ずることを不能ならしめる程度のもの
  •  
  • 9、精神の障害であって、前各号と同程度以上と認められる程度のもの
  •  
  • 10、身体の機能の障害もしくは病状または精神の障害が重複する場合であって、その状態が前各号と同程度以上と認められる程度のもの

 備考:視力の測定は、万国式試視力表によるものとし、屈折異常があるものについては、矯正視力によって測定する。

本の紹介

『七十路の修羅』中澤正夫

 著書に『ヒバクシャの心を追って』もある精神科医、中澤さんの最新エッセイ集。七十路(ななそじ)にかかった中澤さんは昨年4月、旅先で心筋梗塞に襲われました。分秒を争う「死との遭遇」の中で、その経過を詳細に記録し続けます。患者として、医師の目で。
 〈「好奇心」がある間は生きている〉と言う著者の好奇心に励まされます。1470円。萌文社=03-3221-9008

『原爆被爆者三世代の証言』澤田愛子

 筆者はナチス・ドイツによるユダヤ人大量虐殺(ホロコースト)の生還者の研究でも知られる、元県立長崎シーボルト大学教授で、日本赤十字北海道看護大学教授。長崎と広島の被爆者とその子、孫にインタビューし、被爆体験や心の傷などが、世代を越えてどう継承されていくか分析・考察されています。3990円。創元社=06-6231-9010

声のひろば

 ◆3月11日にマグニチュード9・0の超大地震が発生。連続して起こる地震、津波のほかに、原発での事故。原子力発電は安全だと言い続け、開発を拡大する電力会社に、不審の念を抱いていましたが、今回、その懸念が現実のものになってしまいました。安易に便利さを求めるよりも、寒暑には衣類の調節で対応する昔の生活に戻るべきだと思います。原発での事故は、原爆の恐怖と同じだということを、世界の人々に知ってほしい。(広島・77歳・男)
 ◆3月号の投稿「生きているうちに認定を」を読んで。医師2人が「原爆の疑い濃厚」と診断していたものを、なぜもっと早く認定できなかったのかと残念でなりません。心よりご冥福をお祈りします。(広島・81歳・女)
 ◆3月号の記事でコンセプション・ピショットさんのことを知り、その取り組みについてもっと知りたくなりました。(東京・57歳・男)