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     KANAYAMA’S JAPANESE HISTORY HANDBOOK

 

 カナヤマ 日本歴史 辞典 

 日本語版 

 見出し語 『 さ 』

 No.0230

 

 

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□ 日本史 辞典 (総合)       

□          ● 事柄順。

〇 さい  西郷 隆盛 

             (さいごう たかもり)。 《人名》。

          (= 西郷 隆永 たかなが 、西郷

             吉之助 きちのすけ、西郷 南洲

             なんしゅう)。

          (1827年ー1877年)。 

          SAIGO Takamori.

          ■ 西郷 隆盛は、

          近代日本国家の基礎を築

           いた政治家、軍人である。

          ○ 西郷 隆盛は、

          明治新政府首脳である。

          ○ 西郷 隆盛は、

          薩摩藩下級武士出身であ

          る。

          ■ 西郷隆盛の主な功績。

          ● 倒幕 (江戸幕府勢力の

           打倒、幕末〜明治2年)。

          ● 廃藩置県 (1871年

          (明治4年)) の実施。

          ● 近代国家諸改革 (18

           67年(慶応3年)ー1873

           年(明治6年))の断行。

             ■ 西郷 隆盛 (さいごう たかもり、

             西郷隆永、西郷 吉之助(きちのすけ)、

             南洲 (なんしゅう)、1827年ー18

             77年) は、 近代日本国家の 基礎を

             築いた政治家、軍人である。

               西郷 隆盛は、 明治新政府(= 近

              代日本政府)の首脳の一人であり、  

             薩摩藩の下級武士の出身である。

             ■ 西郷 隆盛の主な功績は、 倒幕 

             (江戸幕府勢力の打倒、幕末〜明治2

             年)、 廃藩置県 (1871年(明治4

             年))の実施、 近代国家諸改革 (18

             67年(慶応3年)ー1873年(明治6

             年))の断行などである。

             ■ 西郷隆盛主導留守政府とは、

             旧薩摩藩出身の大久保利通、旧長州

             藩出身の木戸孝允などが欧米視察の

             ため、1871年(明治4年)から1873

             年(明治6年)まで、日本を留守にする

             間、西郷隆盛が主導した、明治新政府

             (近代日本政府)である。

             ■ 西郷隆盛主導留守政府の実施政

             策は、 1871年(明治4年)から18

             73年(明治6年)まで、 近代国家建

             設のため、 日本の、国家財政整備、

             教育、殖産興業、法治国家、国防、

             インフラ整備などのため、

             地租改正、

             徴兵制施行、

             学校教育制度制定、

             太陽暦実施、

             鉄道敷設、

             裁判所設置、

             製糸場建設、

             などを実施する。

 

〇 さい  西郷 隆盛 関連出来事

        (詳細、年代順)

             (さいごう たかもり かんれんできごと)。

          《人物関連出来事》。(19世紀)。 

 

〇 さい  西郷 隆盛 詳細年表

             (さいごう たかもり しょうさいねんぴょう)。

          《人物年表》。 (19世紀)。

          (⇒ 日本史年表) 。

 

 

□ 日本史 辞典 の「 さ 」 基本見出し語サイト

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■  『 現在は、過去の成果であり、

    未来は、現在の成果である。 

 

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◆ 日本史辞典

 

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#sa

 

#saigotakamori

 

■ 西郷 隆盛  

     (さいごう たかもり)。

     (西郷 吉之助) 

    (西郷 隆永)

 

■ 西郷 隆盛。

■ 名称 : 西郷 隆盛 (さいごう たかもり)。

● 正式名は、 西郷 隆永(たかなが、(いみ

  な))、 後に、 西郷 隆盛(たかもり、1869

  年〜)。 

● 西郷 隆盛の個人名の(いみな、個人名

  の実名)は隆永。

● 別名は、  

  個人名の、「通称(つうしょう)」 は、吉之助

  (きちのすけ)、吉之介、善兵衛 等 。

  個人名の、(ごう)」は、 西郷 南洲 (さ

  いごう なんしゅう)。

■ 生没年 : 

  1827(文政10年)〜1877年(明治10年)。

■ 日本の明治維新の大改革を成し遂げ、近代

  国家日本を生み出した、政治家。

■ 日本の封建制度を崩壊させ、日本の近代国

  家の基礎を築いた人物。

■ 西郷 隆盛は、 日本歴史史上では、 政治家

  としては珍しく、 上杉 謙信、  菅原 道真 と

  同様に、私利私欲よりも公益を優先させた人

  物である。

■ 1866年の薩長同盟(連合)、  1867年の

  王政復古の大号令、 1868年の江戸城無血

  開城、 1869年の戊辰戦争(1868〜69年)

  勝利、 1871年の廃藩置県1873年の徴

  兵令公布(国民皆兵)、 その他多数の業績

  を残す。

■ 幕末明治時代初期の政治家、軍人。 薩摩

  下級 藩士出身。

● TKKI カナヤマ著 日本史辞典。

■ 明治新政府 (近代日本政府)の首脳、要人、

  実力者、指導者の一人。

■ 策略家で、目的のためなら、手段を選ばずと

  いう面もあった。

● TKKI カナヤマ著 西郷 隆盛ガイドブック

 

□ 西郷 隆盛ガイドブック

□ 西郷 隆盛 関連出来事

   (詳細、年代順)

□ 西郷隆盛 詳細年表

□ 西郷 隆盛(吉之助) 画像NO.1

□ 西郷 隆盛 が登場する、興味深

     い、ドキュメンタリー、ドラマ、映画

 

 

■ 西郷 隆盛。

  ■ 西郷 隆盛は、 日本の明治維新の大改革を

    成し遂げ、近代国家日本を生み出した、政治 

    家である。

 

  ● 西郷 隆盛は、日本の封建制度を崩壊させ、

  日本の近代国家の基礎を築いた人物 である。 

  特に、西郷 隆盛廃藩置県の断行により、日

  本は、約800年以上続いた封建制度を捨て去り、

  近代国家に生まれ変わる。

 

  ■ 西郷 隆盛  (さいごう たかもり、西郷 隆

  永(たかなが)、 西郷 吉之助(きちのすけ)、

  南洲 (なんしゅう)、1827〜1877年) は、 

  近代日本国家の基礎を築いた政治家、軍人

  である。

     西郷 隆盛は、 明治新政府(= 近代日本

   政府)の首脳であり、 薩摩藩下級武士の出

   身であった。

 

  ● 西郷 隆盛の主な功績は、 倒幕 (江戸幕

  府勢力の打倒、幕末〜明治2年)、 廃藩置県 

  (1871年(明治4年))の実施、 近代国家諸

  改革 (1868(明治元年)〜1873年(明治6

  年))の断行 などである。

  ● TKKI カナヤマ著 西郷 隆盛ガイドブック

 

  ■ 西郷隆盛主導留守政府とは、

    旧薩摩藩出身の大久保利通(おおくぼとしみ

    ち)、 旧長州藩出身の木戸孝允(きどたかよ

    し、桂小五郎)などが欧米視察のため、

    1871年(明治4年)から1873年(明治6年)

    まで、日本を留守にする間、西郷隆盛が主導

    した、明治新政府(近代日本政府)である。

             

   ■ 西郷隆盛主導留守政府の実施政策は、 

     1871年(明治4年)から1873年(明治6

     年)まで、 近代国家建設のため、日本の、

     国家財政整備、教育、殖産興業、法治国家、

     国防、インフラ整備などのため、

     地租改正、

     徴兵制施行、

     学校教育制度制定、

     太陽暦実施、

     鉄道敷設、

     裁判所設置、

     製糸場建設、

     などを実施する。

 

 

■ 西郷 隆盛。

  ■ 西郷 隆盛は、 日本歴史史上では、 政治

    家としては珍しく、 上杉 謙信、  菅原 道真 

    と同様に、私利私欲より公益を優先させた人 

    である。

 

  ■ 西郷 隆盛は、 薩摩藩下級藩士出身で、 

    幕末・明治初期の政治家、軍人 である。

       西郷 隆盛 (さいごう たかもり)は、  

    生没年は 18 27(文政10年)〜1877

    (明治10年) である。

 

  ■ 西郷 隆盛は、1866年の薩長同盟(連合)、

  1867年の王政復古の大号令、1868年の江

  戸城無血開城、 1869年の戊辰戦争勝利、 

  1871年の廃藩置県、18 73年の徴兵令公布

  (国民皆兵)、 その他多数の業績を残す。

  ● TKKI カナヤマ著 西郷 隆盛ガイドブック

 

  ■ 西郷 隆盛は、明治新政府 (近代日本政府

  の首脳、要人、実力者、指導者の一人であった。

     西郷 隆盛は、策略家で、目的のためなら、

  手段を選ばずという面もあった。

     西郷 隆盛は、明治初期に、 明治新政府

  近代日本政府(1867〜1945年)) の実権

  を握った権力者の一人であった。

  ● TKKI カナヤマ著 西郷 隆盛ガイドブック

 

■ 西郷 隆盛。

  ■ 西郷 隆盛 (生没年:1827〜1877年)は、 

  幕末、明治初期の 政治家、軍人で、 明治

    新政府(近代日本政府)のリーダーの一人で、

  幕末に、武力倒幕し、 明治新政府で、 日本

  の近代化を推進した。

 

  ■ 幕末、1866年の薩長同盟成立後は、西郷

  郷隆盛 (西吉之助)は、 武力討幕運動の

  中心人物 となる。

     戊辰戦争(1868〜69年)では、 戊辰

  戦争を主導し、明治新政府軍 (日本近代政

  府の軍) を勝利に導く。 

     明治新政府(近代日本政府)の東征軍では、 

  参謀として、 旧江戸幕府を崩壊させ、 江戸城

  の無血開城に成功する。

     戊辰戦争は、 西郷隆盛の努力により、 旧

  幕府勢力との全面戦争をせず、旧幕府勢力の一

  部との部分戦争となり、 国内の大規模内乱とな

  らずにすんだ。 国内の大規模内乱による国力、

  軍事力の弱体化を防ぎ、明治期を迎え、日本の

  弱体時に植民地化をねらっていた欧米列強は日

  本の植民地化をあきらめた。

  ● TKKI カナヤマ著 西郷 隆盛ガイドブック

 

  ■ 西郷隆盛は、 明治新政府を樹立させ、戊辰

  戦争を終わらせ、一旦、 1869年(明治2年)に、 

  故郷の薩摩(鹿児島県)に戻ったが、 1871年

  (明治4年)に、 東京に戻り、 明治新政府

  代日本政府では、1871 年(明治4年)に、参

  議となり、 廃藩置県を推進する。

  ● TKKI カナヤマ著 西郷 隆盛ガイドブック

 

  ■ 幕末 (江戸時代末期)に関しては、当日本

  史典辞の『 幕末(ばくまつ)、 幕末年表 (ばく

  まつねんぴょう)、を参照して下さい。

  ■ 明治新政府 (近代日本政府)に関しては、 

  当日本史辞典の 『 近代日本政府 』  を参

  照して下さい。

 

 

 西郷 隆盛 の氏名。 

■ 正式名(本名)は、 西郷 隆永(たかなが)。 

  その後、 西郷 隆盛(1869年〜) と呼ばれる。 

 個人名の、「通称(つうしょう)」は、吉之助 (き

  ちのすけ)、吉之介、善兵衛 等 である。

 個人名の、(ごう)」は、南洲 (なんしゅう)

  である。

● 個人名の、幼名(ようみょう)は、小吉、 元服

  (成人)後の 、個人名の、 (いみな、個人

  名の実名)」 は、隆永 (たかなが)である。

● 父の、 (いみな)は、 隆盛 (たかもり)

  ある。

● TKKI カナヤマ著 西郷 隆盛ガイドブック

 

■ 西郷 隆盛は、 幕末、明治時代初期では、通

  称名は、 「西郷 吉之助」(さいごう きちのすけ)

  であり、 1869年 (明治2年)までは、正式名は、

  「西郷 隆永」(さいごう たかなが)であり、 

  18 69年(明治2年)から、正式名は、 「西郷

  隆盛」 (さいごう たかもり) となる。

 

 西郷 隆盛 (さいごう たかもり)は、 幼名は、

  小吉、 元服後の、個人名の「実名の諱(いみ

  な)」は、隆永(たかなが)、 個人名の「仮名(け

  みょう)の通称(あだ名)」吉之助 (きちのす

  け)、吉之介、善兵衛 等 であり、 また、個人

  名の「号(ごう)」は、南洲(なんしゅう) である。

     西郷 隆盛の正式名(本名) は、 西郷 隆

  永(たかなが)であり、 その後、1869年 (明治

  2年)より、 西郷 隆盛 と呼ばれた。

 

■ 西郷 隆盛 (さいごう たかもり)の隆盛は、 

  父の「諱(いみな)」(個人名の実名)から採

  (と)った諱(いみな)系の名である。

■ これは、 本人の諱(いみな、個人名の実名)

  は、ほとんど知られておらず、周囲の者が諱を

  知らなかったために、 誤記されてしまった例 

  である。

● 幕末の、西郷 隆盛は、 通称名は、「西郷 吉

  之助」(さいごう きちのすけ)であり、 諱(いみ

  な)が隆永(たかなが)である、正式名は、「西郷 

  隆永」(さいごう たかなが) であった。  

     しかし、親友の吉井友実が、 西郷 隆盛

  の「本人の諱(いみな)の隆永」を知らず、西郷

  隆盛の「父の諱(いみな)の隆盛」を彼のものと

  勘違いして、1869年(明治2年)に、 朝廷に

  奏上(そうじょう)してしまったため、 明 治新政

  府(近代日本政府)の公文書では、 西郷 隆盛

  は、「平朝臣 隆盛」(たいらのあそん たかもり) 

  と 記載され、 「戸籍令施行」(1872年(明治5

  年)1月)以 後は、 戸籍にも同様に「西郷 

  盛」と記載され、 「西郷 隆盛」 (さいごう たか

  もり)  と呼ばれるようになってしまった!!

     西郷 隆盛本人は、「それでよか」と言った

  といわれ、おおらかな人物であった。

● TKKI カナヤマ著 西郷 隆盛ガイドブック

 

■ 西郷 隆盛の婚儀。

■ 西郷 隆盛は、 3度、婚儀を結ぶ(結婚する)。 

      西郷 隆盛の婚儀の相手は、 「須賀」(す

   が)、「愛加那」(あいがな)、 「糸子」(いとこ) 

  である。

 

■ 1度目(1852年婚儀、西郷28歳)の夫人は、 

  須賀(すが)であり、 西郷が両親に勧められて

  結婚し、 後に、夫人は実家に帰り、別れた。    

 

■ 2度目(1860年婚儀、西郷35歳)の夫人(側

  室、愛妾)は、 愛加那 (あいがな)であり、 

  奄美大島の約3年間潜伏生活時に知り合った

  島娘で、 西郷との間に、2人の子供 (菊次郎、

  お菊) をもうけた。                   

● TKKI カナヤマ著 西郷 隆盛ガイドブック

 

■ 3度目(1865年婚儀、西郷39歳)の夫人(正

  室、正妻) は、 糸子(いとこ)であり、 西郷と

  の間に、3人の子供 (寅太郎、午次郎、酉三) 

  をもうけた。    

 

 (注意) 前近代日本  (1872年(明治5年)

  の壬申戸籍(じんしんこせき)の実施前) では、

  一夫多妻制、 家父長制の夫婦別姓であった。 

 

 

■ 西郷 隆盛の下野と西南戦争。

■ 1973年(明治6年)に、西郷隆盛は、 征韓論

  (せいかんろん)を唱(とな)えて、政府を辞職、 

  故郷の鹿児島に帰り、 私学校をおこす。

        1877年(明治10年)に、 西郷隆盛は、

  不平士族に擁立されて、 西南戦争を起こして、 

  敗(やぶ)れて、鹿児島の城山で、自害(自殺)

  する。 

        遺体の確認は、体の各所を調べ、医師の

  判定によった。 現場では誰も西郷の本当の顔

  を知らず (写真嫌いで本人の写真は無し、現

  在ある写真は想像写真)。 

● TKKI カナヤマ著 西郷 隆盛ガイドブック

 

 西南戦争 (せいなんせんそう) とは、 明治新

  政府(近代日本政府)に対する最大の反動的士

  族反乱で、 1877年(明治10年)の、不平士族  

  (英:disaffected samurai warrior(s)) 

  の反政府武力闘争の戦争 である。

     西南戦争後、反政府運動の中心は、自由

  民権運動 (1874〜89年) (英: The 

  Freedom and People’s Rights 

  Movement) に移った。

 

■ 西郷隆盛が鹿児島に開いた、私学校は、 不

  平士族(ふへいしぞく、明治政府近代日本政

  の改革に不 平をもつ元武士) の党派的中

  心となり、 鹿児島県県政をも支配し、鹿児島

  県は、独立国の観をなし、 日本の反政府の

  拠点となる。

     明治政府(近代日本政府)の内務卿の大

  久保利通(おおくぼとしみち)は、 1875年(明

  治8年)の大阪会議で、体制を整備し、西郷の

  孤立化を図(はか)る。

     大阪会議は、伊藤博文(ひろぶみ)、井上

  馨(かおる)の仲介で実現し、政府の分裂や政

  局の行き詰まりを打開するため開催され、立

  憲体制への漸次(ぜんじ)的移行ということで、

  大久保利通としみち)と木戸孝允(たかよし)・

  板垣退助との間に妥協が成立し、木戸・板 垣

  が、政府の参議(さんぎ)に復帰する。  

     1877年(明治10年)に、 西郷隆盛は、

  不平士族に擁立されて、挙兵し、約3万人の

  軍をもって、上京を企(くわだ)てたが、 熊本

  城攻略に失敗し、その後、鹿児島県へ退却し、

  城山で自害した。

● TKKI カナヤマ著 西郷 隆盛ガイドブック

  

 

■ 不平士族の最大の武力反乱を鎮圧

  (ちんあつ)し、明治新政府(近代日本政

  府)の基盤が確立する。

■ 明治維新は、  士族による革命 であった。

    西郷隆盛は、心情として、武士を捨てられ

  なかった。 西郷隆盛は、 西郷と共に倒幕に

  活躍し、明治期に秩禄処分・廃刀令で不遇の

  境遇となった士族(武士)達を見捨てられなか

  った。

 

■ 明治政府に反乱(西南戦争)を起こした、西郷

  隆盛は、 明治政府(近代日本政府)の基盤の

  確立の恩人、功労者!?

     「雨降って、地(じ)固まる。」

  反明治政府(反近代日本政府)の武力打倒派の

  不平士族を、「一身に引き受けてくれた」、

  西郷隆盛。

 

■ 明治政府(近代日本政府)に反乱(西南戦争)を

  起こした、西郷隆盛は、 結果的に、明治新政

  府(近代日本政府)にとって、西南戦争で 明

  治新政府を武力で倒そうとする過激な不平士

  族をまとめて集め抹殺させる機会を与えてくれ、 

  西南戦争の敗北で、それ以後、不平士族に武

  力蜂起(ほうき)を諦(あきら)めさせてくれた人

  物である。 

     西南戦争の敗北後、 不平士族は、武力

  によ明治新政府打倒を諦(あきら)め、自由

  民権運動(1874 年〜1889年)など言論によ

  り、明治新政府に改革を要求して いく(対抗し

  ていく)。

● TKKI カナヤマ著 西郷 隆盛ガイドブック

 

■ 1877年(明治10年)に、 西南戦争では、 

  明治新政府(近代日本政府)に対し、約1万

  2000人の薩摩の武士(士族)が蜂起(ほう

  き)し、 その軍に、九州各地を中心に全国

  から約1万8000人の武士(士族)が加わ

  り、 計約3万人の武士(士族)が、 反乱を

  起こしたが、 明治新政府(近代日本政府)

  の政府軍により鎮圧(ちんあつ)された。

     反乱鎮圧の政府軍は、 皮肉にも、西

  郷隆盛が明治新政府在職中、西郷隆盛が

  決めた1873年(明治6年)の徴兵令によっ

  て、全国から集められた平民、士族の軍隊で

  あった。

 

■ 西南戦争での明治新政府(近代日本政府

  側の勝利 により、 明治新政府(近代日本

  政府)の基盤は、ここに、確立した。  

     西南戦争後(1877年以後)、 不平士

  族は、武力ではなく、言論により、 明治新政

  府(近代日本政府)の政策を変えようとする。 

  そして、自由民権運動(1874年〜1889年)

  が 、本格的に行われる。

● TKKI カナヤマ著 西郷 隆盛ガイドブック

 

 

■ 西郷隆盛の銅像。

■ 西南戦争後、 明治政府(近代日本政府)は、 

  不平士族の不満を抑えるため、 不平士族に非

  常に人気のあった、西郷隆盛の銅像 (兎(うさ 

  ぎ)狩りの姿) を、上野 (現・東京都台東区

  上野) に建造し、 その偉業を称(たた)えた。

  

● 正装の銅像も検討されたが、 上野の西郷像

  の建造当時、 西郷は明治政府(近代日本政

  府)に反乱を起こし朝敵(ちょうてき)となった

  人物であり、 西郷への反感を持つ政治家も

  多かったので、 西郷の普段着姿の銅像を、

  建造することにした。

● 上野の西郷隆盛像の兎(うさぎ)狩りの姿は、 

  大山巌 (おおやまいわお、西郷隆盛の従弟

  (いとこ)、薩摩藩士出身、明治政府の陸軍

  大将・元帥) の発案である。

     上野の西郷隆盛像の、人の銅像は高村

  光雲作、 愛犬の銅像は、 後藤貞行作であ

  る。

● 西郷隆盛像を見た、隆盛の正妻、西郷 糸子は、

  その像を見て、不満をもった と言われている。

     西郷隆盛像の銅像が、 本人と似ていなか

  ったか、 または、正装(軍服)でなく、私服(普

  段着姿)であったからと言われている。

● TKKI カナヤマ著 西郷 隆盛ガイドブック

 

 

#saigotakamori-appearingscenes

 

♪♪ 西郷 隆盛(吉之助)が登場する、

    興味深い、ドキュメンタリー、ドラ

       マ、 映画。

 

★ 西郷 隆盛 (吉之助) が登場する、

  興味深い、ドキュメンタリー。

 

■ 歴史秘話ヒストリア 

  『 のんびり犬と暮らしたい〜

    上野のシンボル西郷さん 

    西南戦争への道〜 』。  

    (NHKテレビの2012年(平成24年)

   9月5日・本放送ドキュメンタリー番組)。

 

■ BS歴史館 

  『 今いてほしい!?日本を

    えたリーダー 西郷隆盛 』。

   (NHKテレビの2012年(H24)4月 ・

   本放送ドキュメンタリー番組)。

 

■ その時歴史が動いた 『 さらば

  殿様〜廃藩置県 激動の内幕〜』。 

   (NHKテレビ・2006年(H18)3月・本放

   送 ドキュメンタリー番組、第246回)。

● 西郷 隆盛、 大久保 利通(としみち)、 木

  戸 孝允(たかよし)、 島津久光( しまづひさ

  みつ) が登場する。

 

■ 歴史秘話ヒストリア 『 のほほん

  と大胆にいきましょう〜西郷隆盛

  のマイペース人生〜 』 。 

   (NHKテレビ・2010年(H22)8月25日 ・

   本放送ドキュメンタリー番組)。

 

■ 歴史秘話ヒストリア 『 ‘‘相棒’’

    はお前だけ〜西郷隆盛と山岡鉄

   舟 明治をつくった熱い絆〜 』 

   (NHKテレビ・2012年(H24)2月1日・

    本放送ドキュメンタリー番組)。

 

■ その時歴史が動いた 『 幕末最

  後の60日! 新政府誕生への道

  〜小松・大久保・西郷、奔走す〜 』 

   (NHKテレビ・2008年(H20)11 月・

   本放送ドキュメンタリー番組、第343回)。

 

 

★ 西郷 隆盛 (吉之助) が登場する、

  興味深い、ドラマ、映画。

● (注意) ドラマ、映画は、 フィクションです。 

     歴史のドラマ、映画は、 史実(歴史上

  の事実)と 架空の出来事が、混じって、描か

  れています。 また、現代風にアレンジしてあ

  ります。

 

■ 『 西郷(せご)どん 』 。 

   (NHKテレビ・2018年(H30年)

   大河ドラマ)。

■ 日本の幕末、明治時代初期、明治維新

  の時代状況やその時代に活躍した人々

  を描く。

■ 西郷隆盛の生涯と活躍を描く。

       西郷隆盛(さいごうたかもり、西郷吉

  之助(さいごうきちのすけ))は、幕末 、

  摩薩藩士で、 明治初期、明治政府(近

  代日本政府)の指導者の1人であった。

 

● 西郷隆盛(西郷吉之助)を演じる俳優 :   

   鈴木 亮平 (すずき りょうへい)。

 

■ 『 花燃ゆ (はなもゆ) 』 。 

   (NHKテレビ・2015年大河ドラマ)。

■ 日本の幕末、明治時代前期、明治維新

  の時代状況やその時代に活躍した人々

  を描く。

■ 西郷隆盛を描く。

 

● 西郷隆盛(西郷吉之助)を演じた俳優 :   

   宅間 孝行 (たくま たかゆき)。

 

■ 『 龍馬伝 (りょうまでん) 』 。 

   (NHKテレビ・2010年大河ドラマ)。 

■ 日本の幕末、明治維新の時代状況や

  その時代に活躍した人々を描く。

■ 西郷隆盛を描く。

● 西郷 隆盛 (吉之助)を演じた俳優名 : 

   高橋 克実 (たかはし かつみ)。

 

■ 『 篤姫 (あつひめ) 』 。 

   (NHKテレビ・2008年大河ドラマ)。

■ 日本の幕末、明治時代前期、明治維新

  の時代状況やその時代に活躍した人々

  を描く。

■ 西郷隆盛を描く。

● 西郷 隆盛 (吉之助)を演じた俳優名 : 

   小澤 征悦。

 

■ 『 ラスト・サムライ 』。 

   (2003年米映画、トム・クルーズ主演)。  

■ 日本の明治時代初期、明治維新の時代

  状況やその時代に活躍した人々を描く。

■ 西郷隆盛を描く。

★ 素晴らしい関連写真。 

  武士道を描いた映画。 

  □ ラスト・サムライ  画像アルバム NO.1

  (映画会社のPRフォト。 2003年アメリカ

  映画 「ラスト・サムライ」 より)。

 

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□ 日本史 辞典 の 「 さ 」 基本見出し語サイト

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#saigotakamoridetailedchronology

 

■ 西郷隆盛 詳細年表 

      (さいごうたかもり しょうさいねんぴょう)。

 

■ 西郷隆盛 詳細年表。

 

□ 西郷隆盛 年表  1818年〜1854年

□ 西郷隆盛 年表  1854年〜1864年

□ 西郷隆盛 年表  1864年〜1868年

□ 西郷隆盛 年表  1868年〜1877年

 

■ 当年表は、 西郷隆盛(1827年〜1877年)が生き

 た時代の詳細年表である。

■ 江戸時代については、『 近世日本歴史詳細年表 』

 を、 明治時代については、  『 近代日本歴史詳細 年

  』 を参照して下さい。

■ より理解を深めるために、当年表と近い時期の日本

 史辞典の年表の、 『 篤姫 年表、 西郷隆盛 年表、 

 明治維新 年表、 幕末 年表本龍馬 年表、 大奥

 年表 』 も参照して下さい。

 当年表は、 西暦を先に、 その後ろの( )内に和暦

 を記載している。

■ 当年表の日付は、 1872年(明治5年)以前は旧暦

 太陰太陽暦)を、 1873年(明治6年)以後は新暦(

 陽暦) を記載している。

● 当年表の日付(年月日)は、一般的な歴史書籍で使

 用されているのと同じように、 1872年(明治5年)12

 月2日までは、 旧暦(太陰太陽暦)を用い、 1873年

 (明治6年)1月1日以後は、 新暦(現在の太陽暦、グ

 レゴリオ暦)を用いている。

 

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◆ 西郷隆盛 詳細年表。

● では、 西郷隆盛に関係する出来事を、年代順に、見て

 みましょう。

 

#saigotakamoridetailedchronology-1818

 

■ 1818年   ● 文政改元。    

 (文政 元年)    1818年4月22日に、和暦の「文化」(ぶ

            んか) が、 「文政」 ( ぶんせい、文政元年・

            1818年・4月22日〜文政13年・ 1830年

            ・12月10日) に改元される。 

■ 1827年   ● 西郷隆盛が、薩摩国(さつまのくの、鹿児

 (文政10年)   島県)で、誕生する。

■ 1830年   ● 天保(てんぽう)改元。   

 (天保 元年)     1830年12月10日に、和暦の「文政」 

            (ぶんせい) が、 「 天保」(てんぽう、天保

            元年・1830年・12月10日〜天保15年・

            1844年・12月2日) に改元される。 

■ 1844年   ● 弘化(こうか)改元。    

 (弘化 元年)    1844年12月2日に、和暦の「天保」

            (てんぽう) が、 「 弘化」 (こうか、弘化元

            年・1844年・12月2日〜弘化5年・ 1848

            年・2月28日) に改元される。 

■ 1848年   ● 嘉永(かえい)改元。    

 (嘉永 元年)    1848年2月28日に、和暦の「弘化」 

            (こうか)が、 「嘉永」(かえい、嘉永元年・

            1848年・2月28日〜嘉永7年・1854年・

            11月27日) に改元される。 

■ 1851年   ● 1851年2月、島津 斉彬 (しまず なり

 (嘉永 4年)   あきら) が、 11代薩摩藩主となる。

■ 1853年   ● 篤姫( あつひめ、於一(おかつ))が、薩

 (嘉永 6年)   摩藩主・島津家本家の養女となる。  篤姫

            は、島津篤子 (しまづ あつこ)、篤姫(あつ

            ひめ) と称す。 篤姫(於一) は、島津斉彬

            (なりあきら)の養女となる。 

■ 1853年   ● 徳川 家定 (いえさだ、将軍在任1853 

 (嘉永 6年)   〜58年、家慶の四男)が、 江戸幕府・第

            13代将軍となる。 

           ● これ以後、 家定は体が弱かったため、 

            次期14代将軍継嗣(けいし)問題が起こり、

            雄藩連合政治を望み次期14代将軍に一橋

            慶喜(ひとつばし よしのぶ、水戸藩出身一

            橋家当主)を擁(よう)する、一橋派 と、徳

            川独裁政治を望み次期14代将軍に徳川

            慶福(よしとみ、紀伊藩藩主)を擁する、紀

            州派(南紀派) とが、対立する (1853年

            〜1859年頃)。

■ 1853年   ● 1853年6月、アメリカのペリー艦隊が

 (嘉永 6年)   日本来航。 開国を要求。

■ 1853年   ● 江戸幕府の老中首座・阿部正弘 が、挙 

 (嘉永 6年)   国的な対策を立てようと、 開国について、

            諸大名や色々な人物に、意見を求めたため、 

            これ以後、日本各地で、 外国勢力を武力

            で追い払うことを主張する、尊皇(王)攘夷派

            (じょいは) と、 開国し外国勢力と協力して、

            進の西洋文化を採り入れて国を発展させ

            ることを主張する、開国派(かいこくは) とが

            対立する (1853年〜1867年頃)。

■ 1853年   ● 1853年8月、江戸幕府の老中首座・阿

 (嘉永 6年)   部 正弘(まさひろ) と 島津 斉彬(なりあ

             きら)の話し合いで、 篤姫(あつひめ)の

            輿入(こしい)れが決まる (内定する)。 

             ● 篤姫(島津篤子)は、 鹿児島の薩摩藩・

            鶴松城より移動し、薩摩藩・江戸藩邸へ移

            る。 

■ 1854年   ● 1854年3月に、日米和親条約締結。 

 (嘉永 7年)   日本開国。   

            ● 1854〜55年に、幕府・老中首座・阿部

            正弘は、 欧米列 強の米英露蘭と和親条約

            を締結する。

 

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#saigotakamoridetailedchronology-1854

 

■ 1854年   ● 1854年4月、西郷隆盛は、 島津藩主・

 (嘉永 7年)    島津斉彬(しまづなりあきら)の庭方役(に

            わかたやく、秘書) となる。

■ 1854年   ● 西郷隆盛が、 島津斉彬に抜擢されて

 (嘉永 7年)   江戸に赴(おもむ)き、篤姫(あつひめ、島

            津篤子、近衛敬子) の、輿入れの支度係

            (1854〜1856年)、 篤姫(島津篤子、

            近衛敬子)との連絡係 (1854〜1859年)

            となる。  

■ 1854年   ● 安政(あんせい)改元。   

 (安政 元年)     1854年11月27日に、和暦の「嘉永」

            (かえい)が、 「安政」  (あせんい、安政

            元年・1854年・11月27日〜安政7年・

            1860年・3月18日) に改元される。 

■ 1856年   ● 1856年11月、篤姫 (あつひめ、近衛

 (安政 3年)   敬子(このえすみこ )、一橋派)、江戸城・大

            奥に入る。 

■ 1856年   ● 1856年12月、薩摩藩出身の篤姫(

 (安政 3年)   衛敬子) が、 家定(いえさだ)と婚礼の式

            を挙げ、 13代将軍・徳川家定(いえさだ)

            の正室・夫人 となる。 

■ 1857年   ● 1857年6月、老中・阿部正弘 (まさひろ、

 (安政 4年)   一橋派の中心人物、篤姫(子)の輿 入れ

            を求め、バックアップした) が、 急死する。

■ 1857年   ● 徳川 斉昭(なりあき、一橋派) が、 幕政

 (安政 4年)   参与を辞する。

■ 1858年   ● 1858年4月、13代将軍・徳川家定が、

 (安政 5年)   井伊直弼(なおすけ、南紀派) を大老に任

            命する。 

                       ● 井伊 直弼 (いい なおすけ、南紀派) が

            幕府・大老に就任する。

                       ● TKKI カナヤマ 著 日本史 辞典。

■ 1858年   ● 1858年5月、次期14代将軍が、 紀州

 (安政 5年)   藩主・徳川 慶福 (よしとみ、後の徳川家茂

            (いえもち))に決定する。 

■ 1858年   ● 1858年6月に、日米修好通商条約締結。 

 (安政 5年)  ●  安政の5カ国条約締結。 1858年6月〜

            9月に、 幕府・大老・井伊直弼(なおすけ)

            は、勅許(ちょっきょ、天皇の許可)を得ず、

                         欧米列強の米蘭露英仏と不平等な「安政の

            5カ国条約」(修好通商条約)を締結する。 

■ 1858年   ● 1858年7月、幕府13代将軍・徳川家定

 (安政 5年)   (いえさだ) が、 急死する。

■ 1858年   ● 1858年9月、安政の大獄(1858〜59

 (安政 5年)   年、反井伊勢力や一橋派の一掃)が、始まる。

■ 1858年   ● 1858年12月、徳川 家茂(いえもち、慶

 (安政 5年)   福) が、幕府14代将軍 となる。

■ 1858年   ● 1858年12月、島津藩の実権を持つ、

 (安政 5年)   島津 斉興(なりおき) は、 幕府の目を逃

            れるため、一橋派の活動家、西郷隆盛を、

            死んだことにし、潜居させる(潜伏生活をさ

            せる)こととした。 西郷 は、鹿児島を出帆

            する。

            ● TKKI カナヤマ 著 日本史 辞典。

■ 1859年   ● 1859年1月、西郷 は、死んだこととされ、 

 (安政 6年)   奄美大島に潜居(潜伏生活)する (1859年

            1月〜1862年1月)。

■ 1860年   ● 万延(まんえん)改元。    

 (万延 元年)     1860年3月18日に、和暦の「安政」(あ

            んせい)が、 「万延」(まんえん、万延元年・

            1860年・3月18日〜万延2年・1861年・2

            月19日) に改元される。 

■ 1860年   ● 1860年 3月、桜田門外の変。 

 (万延 元年)   大老・井伊直弼が、暗殺される。 

             ● これ以後、 江戸幕府は 、公武合体政策を

             すすめ、 尊皇攘夷派・急進派 と 公武合体

             派・佐幕派 とが対立する (1960年〜186

             4年頃)。

■ 1861年   ● 文久改元。    

 (文久 元年)    1861年2月19日に、和暦の「万延」(ま

            んえん)が、 「文久」(ぶんきゅう、文久元年

            ・1861年・2月19日〜文久4年・1864年

            ・2月20日) に改元される。 

■ 1861年   ● 1861年10月、島津藩の実権を持つ、島

 (文久 元年)   津久光(ひさみつ)が、西郷隆盛に召喚状を

            出す。

■ 1862年   ● 1862年 1月西郷 は、奄美大島を1月

 (文久 2年)   に出帆する。

■ 1862年   ● 1862年2月、西郷は、 奄美大島から船

 (文久 2年)   で着き、 鹿児島に戻り、 薩摩藩の任務に就

            (つ)く。

■ 1862年   ● 1862年2月、江戸幕府将軍・徳川家茂 

 (文久 2年)    と 孝明天皇の妹・皇女・和宮の婚儀が為

             (な)される (公武合体の政策のため)。

■ 1862年   ● 1862年6月、島津藩の実権を持つ、島

 (文久 2年)    津久光は、西郷が自分の命(めい)に背

             (そむ)いたため、 西郷を遠島処分とした。 

             西郷は、鹿児島を出帆する。

■ 1862年   ● 1862年7月、西郷隆盛 は、遠島となり、

 (文久 2年)   徳之島や沖永良部島で、生活をする 

            (1862年7月〜1864年2月)。

           ● TKKI カナヤマ 著 日本史 辞典。

■ 1863年   ● 1863年3月、幕府将軍・徳川家茂(い

 (文久 3年)   えもち)上洛 (将軍上洛230年ぶり)。

■ 1863年   ● 1863年8月八月十八日の政変。

 (文久 3年) 

■ 1864年   ● 元治(げんじ)改元。    

 (元治 元年)     1864年2月20日に、和暦の「文久」 

             (ぶんきゅう)が、 「元治」 (げんじ、元治

             元年・1864年・2月20日〜元治2年・

             1865年・4月7日) に改元される。 

 

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#saigotakamoridetailedchronology-1864

 

■ 1864年   ● 1864年2月、島津藩の実権を持つ、島

 (元治 元年)   津久光が、西郷隆盛を赦免召還し、遠島を

            解く。

           ● 西郷は、沖永良部島を出帆し、 鹿児島

            へ戻り、薩摩藩の任務に就(つ)く。

■ 1864年   ● 1864年7月、禁門(きんもん)の変 (蛤

 (元治 元年)   御門(はまぐりごもん)の変)で、 西郷が活

            躍する。

■ 1864年   ● 1864年8月、幕府、第1次長州征討 

 (元治 元年)    (1864年8月〜12月) 開始。

■ 1864年   ● 1864年11月、長州藩は、幕府に屈服

 (元治 元年)   し、幕府に対し恭順(きょうじゅん)の態度

            をとった。 1864年12月に、幕府軍は、引

            き揚げる。

■ 1864年   ● 1864年12月15日に、長州藩で、高杉

 (元治 元年)   晋作(たかすぎしんさく)が、奇兵隊を率い

            て挙兵する (功山寺(こうざんじ)挙兵)。 

               その後、高杉晋作は、幕府に恭順した

            長州藩の保守派(俗論派)を退(しりぞ)け、

            州藩の藩論を、討幕へ転換させた。

           ● これ以後、日本各地で、 尊皇(王)討幕派 

            と 公武合体派・佐幕派 とが対立する (18

            64年〜1866年頃) 。

■ 1865年   ● 慶応(けいおう)改元。  

 (慶応 元年)     1865年4月7日に、和暦の「元治」(げ

            んじ)が、「慶応」  (けいおう、慶応元年・18

            65年・4月7日〜慶応4年・1868年・9月8

            日) に改元される。 

■ 1865年   ● 1865年10月、幕府は、 安政の諸条約

 (慶応 元年)   の勅許(ちょっきょ、天皇の許可)を得る。

■ 1866年   ● 1866年1月、薩長同盟成立。 薩長の

 (慶応 2年)   反幕府政治・軍事同盟の密約。     

             ● 坂本龍馬の斡旋で、京都で、長州の桂小

            五郎(木戸孝允(きどたかよし))と薩摩の西

            郷隆盛が会見し、薩長同盟が結ばれた。

            ● これ以後、日本各地で、 尊皇(王)討幕 

            派と 公議政体派・佐幕派 とが対立する 

            (1866〜1867年頃)。

■ 1866年   ● 1866年5月、幕府は、改税約書(かい

 (慶応 2年)   ぜいやくしょ)に調印。

■ 1866年   ● 1866年6月、幕府は、長州に対し、第2

 (慶応 2年)   次長州征討(1866年6〜7月)を開始。  

            ● 第2次長州征討で、坂本龍馬は、長州藩

            海軍を支援する。

■ 1866年   ● 1866年7月、幕府将軍・徳川家茂死去

 (慶応 2年)   (病死)。 第2次長州征討、中止となる。 

             ● TKKI カナヤマ 著 日本史辞典。

■ 1866年   ● 1866年(慶応2年)12月5日、徳川慶喜

 (慶応 2年)   (よしのぶ)、幕府15代将軍 (在任、1866.

            12.5〜1867.12.9) となる。 

■ 1866年   ● 1866年12月25日、倒幕を好まず、公

 (慶応 2年)   武合体論の立場をとる、孝明(こうめい)天

            皇が、急死する。 

■ 1867年   ● 1867年1月9日、睦仁(むつひと)天皇  

 (慶応 3年)   (= 明治天皇) が、践祚(せんそ)の儀を行う 

            (事実上、即位する)。  

■ 1867年   ● 1867年5月、薩摩藩主導で、四侯会議

 (慶応 3年)    が設置されたが、短期間で崩壊した。

■ 1867年   ● 1867年5月、京(都)で、中岡慎太郎の

 (慶応 3年)   仲介で、薩摩の西郷吉之助(隆盛)と土佐の

            討幕派の乾(いぬい、板垣)退助との間 で、

            「薩土(さつど)討幕同盟」(武力討幕の薩土

             密約)が、結ばれる。

■ 1867年   ● 1867年6月、大政奉還の行方がわかる

 (慶応 3年)   までは、 武力倒幕は見送るという「薩土 (さ

            つど)盟約」が、土佐藩と薩摩藩との間で、

            ばれた。

              龍馬は、既にある、薩摩の西郷隆盛と土

            佐の討幕派の乾(いぬい、板垣)退助との間で

            1867年5月に交わされた 「薩土討幕同盟」

            (武力討幕の薩土 (さつど)密約)を思いとど

            まらせるため、 1867年6月22日に、京(都)

            の三本木の料亭で、 坂本龍馬・中岡慎太郎の

             仲介により、 土佐の後藤象二郎 と 薩摩の

            西郷隆盛、小松帯刀、大久保利通 が、 会談

            した。

■ 1867年   ● 1867年10月、幕府は、大政奉還 (政権を

 (慶応 3年)   朝廷へ返上)を行う。

■ 1867年   ● 1867年11月、坂本龍馬が暗殺される。 

 (慶応 3年)

■ 1867年   ● 1867年12月9日、王政復古のクーデター。

 (慶応 3年)  ● 1867年12月9日 に、王政復古の大号令

             と小御所会議。 

               王政復古の大号令と小御所会議により、

             近代日本政府 (明治新政府、天皇親政政

             府)樹立 と、 幕府 (徳川宗家)排除 の王

             政復古となる。

■ 1868年   ● 1868年(慶応4年)1月3日、鳥羽伏見の

 (慶応 4年)   戦い(1868.1.3〜1.8)が起こる。 戊辰

            戦争((ぼしんせんそう、1868.1.3〜18

            69.5.18) が 始まる。 西郷隆盛が、戊

            辰戦争で、明治新政府軍を主導する。

                      

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#saigotakamoridetailedchronology-1868

 

■ 1868年   ● 1868年4月、江戸城無血開城。 討幕

 (慶応 4年)   軍、江戸入場。

■ 1868年   ● 明治改元。   

 (明治 元年)    1868年9月8日に、和暦の「慶応」(け

            いおう) が、 「明治」 (めいじ、明治元年・

            1868年・9月8日〜明治45年・1912年・

            7月30日) に改元される。 

■ 1869年   ● 1869年5月、戊辰(ぼしん)戦争が

 (明治 2年)   (1868〜69年) が終わる。

■ 1869年   ● 1869年6月、西郷隆盛は、明治新政府

 (明治 2年)   の職(軍)を辞し、鹿児島へ戻る。

■ 1869年   ● 1869年6月、明治新政府が、版籍奉

 (明治 2年)   還を実施する。

■ 1869年   ● 1869年7月、 西郷は、西郷隆盛 と

 (明治 2年)   呼ばれる。

■ 1871年   ● 1871年2月、明治新政府が、薩長土

 (明治 4年)   3藩より、親兵を徴集する。

            ● TKKI カナヤマ 著 日本史 辞典。

■ 1871年   ● 1871年6月、西郷隆盛が、鹿児島より

 (明治 4年)   東京へ出て、参議として、明治新政府に復

            職する。 

■ 1871年   ● 1871年7月、明治新政府が、廃藩置

 (明治 4年)   県を実施する。

■ 1871年   ● 1871年11月、大久保、木戸ら岩倉使

 (明治 4年)   節団(1871〜73年)が、外遊のため、日

            本を出発する。

■ 1871年   ● 1871年11月、西郷隆盛 が、大久保、

 (明治 4年)   木戸ら岩倉使節団外遊中の留守政府(18

            71年11月〜1873年9月)を指導する。

■ 1872年   ● 1872年12月、太陽暦の採用(太陽暦

 (明治 5年)   へ の切り替え)。 旧暦(太陰太陽暦)の明

            治5年(1872年)12月3日を、 新暦(太陽

            )の明治6年(1873 年)1月1日とする。

■ 1873年   ● 1873年9月、大久保、木戸ら岩倉使節

 (明治 6年)   団が外遊から戻る。

            ● TKKI カナヤマ 著 日本史 辞典。

■ 1873年   ● 1873年10月、「明治6年の政変」が起

 (明治 6年)   こる。 西郷隆盛、下野する(政府の役職を

            辞職する)。 西郷は、鹿児島へ戻り、これ

            以後、鹿児島の私学校で教育に専念する。

■ 1877年   ● 1877年2月、西南戦争(1877年2〜

 (明治10年)   9月)が、起こる。 

               鹿児島の私学校生徒が、暴動を起こす。 

            西郷隆盛は、不平士族に擁立されて、明治

            新政府(近代日本政府)に反乱(西南戦争)

            起こす。

■ 1877年   ● 1877年9月、西郷隆盛が、51歳で、西

 (明治10年)   南戦争で、死去(敗死、自害)する。

 

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『 あなたのハートには 何が残りましたか? 』

 

 

以  上