今日の本棚

 我が家の本棚は絶えず本が入れ替わります。なぜならば、ほとんどの本が図書館から借りてくるものだからです。1人が借りられるのは10冊まで。我が家のメンバーは私、娘、息子の3人。あわせて30冊!
 さて、ここではそんな我が家の
本棚から、これは面白い!という本をセレクトしてご紹介しようと思います。
(
ここでご紹介した本は、順次書庫へ移動していきます)


小学生(中学年頃)から
黒ねこサンゴロウシリーズ
作/竹下文子 絵/鈴木まもる
 我が家の息子は中一ですが、借りてくる本の99パーセントは小学校中学年向きの本です。
まだまだ幼いなぁと思いつつ、私が借りに行くとどうしてもヤングアダルト向きか絵本の両極端になってしまうため、息子の趣味は、あらゆる種類の児童書をまんべんなく読むのに大変助かっています。
さらに、息子はシリーズ物を繰り返し借りてくることが多いので「ズッコケ三人組」「なんじゃひなた丸」「黒ねこサンゴロウ」「ドルフィン・エクスプレス」「ドリトル先生」
これらのシリーズは何度読んだことか...。
今回紹介するのは、その中から今まで一度も紹介していなかった竹下文子さんの作品「黒ねこサンゴロウ」シリーズです。
主人公はサンゴロウという海の男。男気たっぷりのサンゴロウがその背後に見せる哀愁が、この本の魅力です。しかし、この説明だけでは、どうして小学生のこども達に人気があるのかわからないことと思います。種明かしは、猫です。サンゴロウが猫であるがために、この本は誰の手にも取られるのだと思います。これには感心しました。だって主人公が人間の中年男で、題名が「三五郎」だったら、どれだけの子どもがこの本を手に取ることでしょう。少年の何人かは手に取ることもあるかもしれませんが、少女にはきっと受け入れにくいものとなるに違い有りません。それなのに、主人公が猫で、名がカタカナだということで、どれほど入口が広くなることか。これにはあっぱれです。やはり、どんなに良い本であっても、手に取られなければ始まりません。
それにしても、竹下文子さんは、本当に海が好きなのでしょう。海に住んでいたこともあるのではないかと思ってしまいます。本を読んでいると、私の中に密かに存在していたのであろうちっぽけな海の記憶が、大きく広がっていきます。本を手にしながら、あの広い海の、あの肌を刺すような潮風と日差しを全身に浴び、いっぱいに心を解放することができるのです。不思議な書き手だなぁと思います。
ところで、実は先日、夕食時にサンゴロウが話題にあがりました。そこで、私の中でサンゴロウシリーズとドルフィン・エクスプレスがごちゃ混ぜになっていることが判明。どちらのシリーズも他の本と混じって同時並行に借りてこられるものだから、続き物とは意識せずにその場限りで読んでいたため、宅配便をやっている猫が記憶喪失でしょう? ...などと私が言い始めたので、娘も息子もあきれて、もう大変な大笑いになってしました。

これはもったいないことです。せっかく続き物なのですから、やっぱりきちんと続き物として読んでみたいものです。そこでこの機会に、はじめから通して読んでみました。そして、これはなかなかの大作だということに今更ながら気づかされました。

このシリーズは、きちんと1冊ずつが完結した読み物になっています。どれもがサンゴロウの出会う小さな事件を扱いますが、主人公はサンゴロウでありながら、述べられているのはサンゴロウが出会う誰か別の人の人生です。ところが、シリーズ全体を通して読んだときに浮き上がってくるのは、サンゴロウそのものの人生です。そして、シリーズ最終巻である「最後の手紙」において、サンゴロウは自らの意志により自らの影、封印された過去と対峙します。ここは、ゲド戦記を彷彿とさせられます。こうしてサンゴロウはまるごと全部の自分を引き受けて正真正銘のサンゴロウ自身となり、その生活スタイルは何も変わらないだろうけれど、輝かしい未来を想像させながら満足のうちに終止符がうたれます。
そして次の時代を担うテールが主人公となる「ドルフィン・エクスプレス」シリーズが始まるのですが、こちらにも時々元気なサンゴロウがチラッと現れるのは心憎い演出です。サンゴロウは、いえいえ、竹下文子さんは引き際、引かせ際をわきまえているなぁと思います。そして「ドルフィン・エクスプレス」のテールへと引き渡された時代は、さらにまた次の時代へと引き渡される気配があちこちに見受けられます。竹下文子さんの長編シリーズは、まだまだこれからずっと先まで、私たちを楽しませてくれるはずです。

そして何よりも、小学生の頃にサンゴロウシリーズを楽しんだたくさんのこども達が、大きくなってから再びサンゴロウシリーズを手にしたとき、その時こそが本当に楽しみだなぁと思います。(2007.1)
旅のはじまり − 黒ねこサンゴロウ 〈1〉
キララの海へ− 黒ねこサンゴロウ〈2〉
やまねこの島 − 黒ねこサンゴロウ〈3〉
黒い海賊船− 黒ねこサンゴロウ〈4〉
霧の灯台 − 黒ねこサンゴロウシリーズ〈5〉
ケンとミリ − 黒ねこサンゴロウ旅のつづき〈1〉
青いジョーカー − 黒ねこサンゴロウ旅のつづき〈2〉
ほのおをこえて―黒ねこサンゴロウ旅のつづき〈3〉
金の波 銀の風―黒ねこサンゴロウ旅のつづき〈4〉
最後の手紙―黒ねこサンゴロウ旅のつづき〈5〉

小学生(高学年)頃より
冬の龍
作/藤江じゅん 絵/GEN(福音館書店)
 児童文学ファンタジー大賞の「奨励賞」ということで、大賞ではないからあまり期待せずに読みました。
でも、面白かったです。丑三つ時、少年3人がおっかなびっくりで心霊写真を撮りに行った神社に物語は始まります。結局、幽霊の存在は否定するものの、けやきの木の化身は人間となって登場するという作者の中にある微妙なバランス感覚が魅力です。
登場人物の繋がりや設定でちょっと甘さを感じるところもあるけれど、一人一人がきちんと地に足つけて歩んでいるのはとても好感がもてます。登場人物の栗田さんや特徴のあるちょっと冴えない人々は、みんな作者の分身なのでしょう。皆がそれぞれに重たい過去を背負いながらも、なんとか自分の足で踏ん張って生きています。主人公のシゲルもしかり。しかしシゲルはこの物語の後、明日からの新しい日々をどのように歩んで行くのだろうか。他の登場人物はともかくとして、この物語でのシゲルの人生はまだ始まる以前です。物語が終わり、ようやくもうすぐ産声をあげるのだと予感させられます。
また、けやきの木の化身が、本当は化身ではなくただの人間なのではないかと、最後まで登場人物達に疑わせており、ファンタジーに入りすぎないところも作者の微妙なバランス感覚のたまものでしょう。しかしここまでギリギリにファンタジーから逃れようとするならば、いっそのことファンタジーの世界に入ることを一切せず、「竜の谷のひみつ」のように、完全なる現実の世界に立ったままでも「冬の龍」が描けたのではないか、そうした方がもしかしたらより深い物語になったのではないかという気持ちもぬぐいきれません。ファンタジーではない「冬の龍」を、読んでみたかったです。

GENの絵は、表紙は別として、挿し絵がいまひとつだったように思う。いかにも若者の絵といった軽いイメージで、年寄りや、年季の入った物の奥の深さが描けていない。ちょっと残念です。(2007.1)

中学生頃より
てのひらのほくろ村    作/スズキコージ(架空社)
 私たち大人は、子どもの頃の感性を思い出すことがなかなかできません。そんな中で、三島由紀夫と同様に産湯らしき記憶をもつスズキコージは、子どもの感性をそのままに生きているようです。

 この本は、スズキコージの幼い日を語った自伝です。自伝というからには、今、当時を振り返りながら書くのが普通ですが、彼の場合は振り返るなんて生やさしいことではなく、その当時の康司君になりきって書いているとしか思えない書き様です。だいたい小学校1年生のときの出来事、2年生のときの出来事、3年生のときの出来事、それらをきちんと区別して書くことなどできないでしょう。読んでいると、小学生の康司君の細やかな感情がダイレクトに響いて、愛おしくてなりません。

 子どもの頃のことを忘れてしまった大人や、大人の世界へ足を踏み入れ途方に暮れている思春期のこども達が、子どもの頃の豊かな感性を取り戻すために。(2007.1)

過去に紹介した本
2004年
(娘中1・息子小5)
2003年
(娘小6・息子小4)
2002年
(娘小5・息子小3)