E-イブ(11歳) & R-息子(8歳) & S-say-umi(ママ)

1月の本棚
 今月、一番人気はジプシーのむかしばなしでした。まず最初に読み終えた私が、これはぜひ声で聞かせてあげたい! と思い、夜、布団に入ってから読んであげました。今までは、途中まで読んで「続きは今度ね」と言っても、続きが知りたくて読んでもらうまで我慢できずに翌日早々自分で読んでしまうことばかりでした。ところがこの本、目論み通りでした。翌日、あのこらえ性のない息子までが「これは今晩読んでもらうから読まないんだ!」と自分に言い聞かせて我慢しました。久々に、最後まで楽しく読んであげることができ、またこども達もそれを心から楽しんでくれた本です。
 また、おかしなことに、読んでいる間の私は男になりきっていました。こども達も、落ち着いた声の男の人に読んでもらえたら、もっと楽しめるように思います。
 それにしても、絵を見るだけで、この本はきっと楽しいぞ、とわかり、はずれることがないのはなぜでしょう。子どもの頃から多くの絵本に触れてきた中で、面白い本の絵には自然と反応するようになっています。また、本の作者を気にし始めたのは自分が母親になったごく最近からですが、そうしてみると、面白いと感じる本の作者・訳者・絵はもうだいたいが知った名ばかり並んでいるのです。最近は作者・訳者・画家の名を見ただけで、「あ、この本なら間違いない」と安心して借りて来られるので助かります。ええ、もちろん知らない作者の本も、こども達がどんどん借りてくるので楽しく読んでいます。自分で選んでばかりだと幅が広がらないので、今の環境は本好きの私にとって最高です!


太陽の木の枝 ジプシーのむかしばなし=1 ES
再話/フィツォフスキ訳/内田莉莎子 絵/堀内誠一(福音館書店)
 「太陽の木の枝」、題名を聞くだけで、心のどこかが刺激されて、もう半分むかしばなしの不思議な世界へ連れ込まれたようにウキウキしてきませんか? また、この本の一番最初にあるおはなしは「おはなしのまえのおはなし」と言うのです。ここでまた心のどこかが小さな音を立てませんでしたか? 「太陽の木の枝」という題名だけでうきうきしてこない人でも、この「おはなしのまえのおはなし」を読めば、誰でもすっかりジプシーの世界へと吸い込まれてしまうでしょう。
 むかしばなしを話し始めるまでの導入を自分の技でできない大人でも、この筆力をもってしては確実に子ども達をむかしばなしの世界へ放り込むことが可能です。


シャーロットのおくりもの ES
作/E.B.ホワイト 絵/ガース・ウィリアムズ 訳/さくまゆみこ(あすなろ書房)
 「ねぇ、シャーロットって誰?」読み始めてしばらくすると、本から顔をあげもせず、息子が家中にひびく声で聞きました。そう、娘も私も先に読んでいるからシャーロットが誰だかはすでに知っているんですよね。大声で聞けばきっと誰かが答えてくれると思ったのでしょう。でも、宿題をしていた娘も、長ネギをきざんでいた私も、答えるまでに一瞬間をおいてしまいました。そして、私が「ウーム」とうなると同時に娘が「教えなーい!」と叫びました。本に夢中になっている息子は字を追いながら「教えてよ」と反発。娘は「教えちゃったら面白くなくなっちゃうよ。いいの? 本当にいいの?」と反撃。「いい」と息子。しかし結局誰も教えてくれず、それでもどんどん読み進めた息子、すぐにシャーロットが登場して一件落着。しかしその後、さらに息子は「この本の主人公ってシャーロットだよね」と来た。娘は「ウィルバーだよ」。私は「誰だろうねぇ、最初の方読んでるときは女の子じゃないかなぁ? と思ったけれど、途中からはウィルバーみたいだよねぇ。でもやっぱり女の子かな。」答えがママと異なった娘は少々不満顔で「だいたいさぁ、私、主人公が誰かなんてまったく考えないよ」と息子の質問自体を非難。言い出しっぺの息子はすでに本に夢中で答えはどうでもよいらしい。楽しみ方は三人三様、さらに食事時などたびたび話題に出て、読んだ後まで楽しめました。
追記:2月になって再び息子が1人でつぶやいていました。「やっぱり主人公はウィルバーだよ。だってシャーロットは死んじゃうもの。主人公は普通死なないもの。」主人公は死なない。主人公が死んだら、その時点で主人公ではなくなる。残されたもの、生きているものしか主人公になり得ない、なるほどそれはこの世の法則かもしれませんね。「シャーロットのおくりものってこども達だったんだね。あと命。ウィルバーの命。」なんてことでしょう。私は題名の意味まできちんと考えていませんでした。


まほうのスープ ES
文/ミヒャエル・エンデ 絵/ティーノ 訳/ささきたづこ(岩波書店)
 朝、目覚めた息子が布団の中で突然一言。「あれってさぁ、戦いのところ、どっちがどっちだったかわからなくなっちゃって、何度も戻って読んだよ。」対する娘は「あたし、そんなのいちいち考えないで読んだよ。どっちだっていいじゃん。」朝からこれまた二人の意見は合いません。同じ本を読んでも、心の中にとりこむものは全く異なるのでしょう。娘はそれなりに面白かったとのことですが、息子はあんまり....、と無反応でした。そんな様子を見ている私はとても面白いのですがね。


ろばの皮 ES
原作/シャルル・ペロー 絵/エリック・バトゥー 文/ジャン=ピエール・ケルロック 訳/石津ちひろ (講談社)
 フランスの民話で、ペロー没後300年を記念して発売されたという本です。この民話自体はそれ以前からずっと語り継がれてきたのでしょうから、実際にはどれほど前から人々に語られてきたのでしょう。そして、いつから人は民話を伝えなくなったのでしょう。私が語れる民話は、たぶんないと思います。桃太郎やさるかにでさえ、心許なく、どうしたって創作が入ってしまいます。ただ、よく考えたら、口承民話なんてそんなものかもしれません。きちんと一言一句違えずに伝えられるわけもなく、少しずつ変化していく生き物のようなものですね。ある時点での民話を字に書き取ったペローの役割は大きく、おかげで今でも当時の民話を読むことができるのですが、一方で、民話がそこで固定され、変化しなくなったのも事実でしょう。少々さびしい気がします。
 「なんでろばの皮なんだろう。意味ないじゃない。別にろばの皮じゃなくてもいいのに」読んだ後、不満げに娘はつぶやいていました。娘はきっと、瞬時にろばに感情移入してしまったのでしょう。だから、その後のお話の内容は体を素通りし、最後までろばのことだけが気になっていたようです。まったく、娘らしい反応です。一方息子は字がいっぱいだね、と言っただけで本を閉じ、読みませんでした。これまた息子らしい反応です。実際の字の数でいったらドリトル先生航海記の方がよっぽど多いのですが、ま、言ってみればこの本は彼の好みではないのです。


クラバート S
作/プロイスラー カット/ヘルウェルト=ホルツィング 訳/中村浩三(偕成社)
 偶然にも、重たい空気に包まれた精神科の待合室で読むというなんともすさまじい読み方をしてしまった本です。これはドイツとポーランドにまたがる地方に伝わるクラバート伝説をもとにした小説だとのことですが、ここまで重たい話が伝えられたというからには、暗くて寒い冬の長い生活に厳しい地域なのでしょう。娘はなんだか怖そうと、手に取っただけで本を置きました。
 これは児童書コーナーにあったので児童向けとして書かれたのでしょうが、何歳ぐらいを対称にしているのでしょう。私が子どもだったなら、娘と同様、これを手にとることはないでしょう。私にとっては、やはり今読むのがちょうどよかったのだと思います。
 ふと考えると、この本の対称となるであろう思春期以降には私が本と触れなかった時期がぽっかりとあるのです。恋・クラブ活動、友達とのおつきあい、そういった現実の生活の方がよっぽど刺激的でしたし、机にむかうとすれば受験勉強で精一杯でしたものね。


わたしたちのトビアス ES
編/セシリア=スベドベリ 絵・文/トビアスの兄弟 訳/山内清子 (偕成社)
 障害をもった人が周囲にいないと障害について何もわかりません。わからないとこわい。でもこわがらないで、知り合おう。そう、マザー・テレサの言葉を思い出しました。愛はお互いに知り合おうとすることから始まると・・・。
 続編まで全部図書館で読んでしまってから、一冊目のこの本だけを借りてきました。この本の編者であるトビアスのお母さんは、本を出してすぐに亡くなってしまうのですが、続編では新しいお母さんがむかえられ、トビアスは兄弟とともにたくましい青年へと成長していきます。
 本の内容が興味深いのはもちろんでしょうが、たくさんの問題?をかかえる2児の母である私としては、母の死、新しい母、そういった背景の方に意識がいってしまいました。私自身の限りある生と死、子ども達とともに今、何を大切と考え、生きるか。 


モモタロウが生まれた! ES
著/黒鳥英俊 (フレーベル館)
 絶滅の危機にあるニシローランドゴリラ飼育の記録。愛情豊かな著者の喜怒哀楽が直接伝わってきて、臨場感にあふれています。個性豊かな様子を知らなければただのゴリラだけれど、個体ごとの性格を知れば深い親しみを感じられます。上野動物園に行くならば、ぜひこの本を読んで登場人(ゴリラ)物たちに親しんでからをお勧めします。
 以前、娘が上野動物園の動物園教室に参加した際、たまたま「ゴリラ」がその日のテーマでした。だから娘は、モモタロウをはじめとしてこの本に登場するゴリラたちに会い、よく知っていたのです。ちょっとうらやましい。私はまだモモタロウと会っていないので、今度機会をつくって上野動物園に会いに行こうと思います。モモタロウがでていなかったらどうしよう...。動物園に、電話で確認できないかしら。「もしもし。今日はモモタロウ、でていますか?」


グリムの昔話 (1)野の道編 ES
訳/矢崎源九郎 植田敏郎 乾侑美子 (童話館出版)
 昔話ってなんか全部同じみたい。(娘談)
 けっこう面白い。なんかさ、こういうお話にはよく仕立屋さんがでてくるよね。仕立屋さんって何?(息子談)


モモ 
作/ミヒャエル・エンデ 訳/大島かおり (岩波書店)
 風邪のため家で一人留守番をしていた息子のために、我が家の書庫(?)から引っぱり出されてきました。十数年前に買ったもので、未だ売られずにいる希有な本です。娘は数年前にすでに読了。
 フージーさんって、すごくいい生活だよねー、最高に幸せだよねー。もったいない! と娘が発言。その通りだよ! うらやましいくらいいい生活! と夕飯時に3人で盛り上がりました。息子は、頭に毛のない灰色の男に「どういたしましょうか?」と聞いてしまった床屋フージーさんの動転ぶりが面白かったようで、度々フージーさんのセリフを繰り返し、一人でお腹をよじって大笑いしていました。