E-イブ(12歳) & R-リック(9歳) & S-say-umi

2月の本棚

早く図書館に行きたい!

わらいねこ E
作/今江祥智・絵/和田誠 (理論社)
 今回イブが借りてきた今江作品中、我が家の一番人気がこの本でした。懐かしいことに、この本は私が幼い日に読んだものでした。私がこの本で覚えていたのは、小さなお姫様がお城の中をはだかで走り回る情景です。昔、お姫様はお風呂の後に、布でからだを拭くのではなく、浴衣を次々に何枚も着替えました。小さなお姫様はその浴衣の一枚がお気に入りで、おつきのおばさんに脱がされまいと、はんぶんはだかのまま、浴衣をはおってお城の中をぱたぱた走って逃げまわるのです。逃げるお姫様と、額に汗して追いかけるおばさん、私が覚えていたのはその情景です。
 いったいどこで読んだことやらすっかり忘れていましたが、この情景は度々私の中で蘇り、昔のお姫様はお風呂の後、そうやって浴衣を何枚も着替えるものだったのだと信じきっていて、いつだったかこども達に話して聞かせたりもしました。今、和田誠さんの描いた小さなお姫様の無邪気な笑顔と久しぶりに対面したら、そのお姫様はまぎれもない、幼い日の私そのものに見えるのです。無邪気な私、忘れていた自分自身の姿、慈しむべき子どもの私に出会うその瞬間を、私はゆっくりとかみしめます。大人になると、おざなりにしがちな自分だけれど、自分は、あのときの自分と何も変わっていないのです。本来ならば、大切に、慈しんであげていいのですよね。
 以前にもどこかで書いたように、私は、こうした幼い日に読んだ記憶のある本を読み返すことに、とても大きな安らぎを感じます。なぜなら、そういった本を読み返すとき、幼い無邪気な日の自分が紛れもない今いる自分自身であることを実感できるからです。幼い無邪気な日の自分を慈しむ思いとともに、今そのままの自分をも愛して良いのだと、自分自身の存在をただありのままに認めてあげていいのだと、自分で自分を心から納得させることのできる貴重な体験をすることができるのです。だから、幼い日に絵本を繰り返し読んでいたことは、とっても意味のあることだったと、今、ようやく心の奥底から喜びを感じています。
 どうかすべてのこども達が幼い日に本と出会い、自分にしかわからない幼い日の無邪気な心の栞を、本のページにそっとはさんでおいてくれますように。

ぽけっとにいっぱい E
作/今江祥智 絵/長新太 (理論社)
 まるでぽけっとにいっぱいに詰め込まれた宝物のように、この本にはたくさんの短編が詰め込まれています。
 ぽけっとに詰め込まれているものは、曲がった釘や虫の食った木の実など、大人の私から見たらどれも意味のないがらくたに思えるのですが、子どもにしてみたら、素敵な物語を語る大いに意味のあるものなのでしょう。私はきっと多くの今江作品を、子どもの頃に読んでいたはずです。果たしてポケットをがらくたでふくらませていたであろうその頃の私は、この短編を楽しんで読んでいたのでしょうか。今、私にはがらくたががらくたにしか見えなくなりました。何も入っていない私の服のスリムでお洒落なポケットが、ちょっとさみしく感じられます。
 尚、作者の今江さんは翻訳家として、ガブリエル・バンサンの『ナビル』やアンゲラーの『すてきな三にんぐみ』、マイク・セイラーの『ぼちぼちいこか』など、多くの名作を手がけていらっしゃいます。

日なたぼっこねこ E
作/今江祥智 絵/荒井良二 (理論社)
 これも今江作品です。今江さんはきっととっても猫が好きなのでしょう。「すごく面白いわけじゃないから、面白かったって言うのもへんだけど、でも悪いわけでもないし、よかったよ。それより、この猫の絵、なんだか見たことあるような気がするんだよね。(書いた人の)名前は見覚えないんだけど。(イブ談)」

白狐魔記(しらこまき) 源平の風 E
作/斉藤洋・絵/高畠純(偕成社)
 斉藤さんは、ありとあらゆるタイプの作品を書き分けることのできる作家です。我が家ではありとあらゆる斉藤作品が読まれていますが、中でも人気の『なんじゃひなた丸』シリーズが小学校の中学年前後に受ける作品なのに対して、この『源平』の風は、思春期に入った大人と子どもの狭間にあるこども達に向けた長編ファンタジーといえそうです。もちろん、どの作品も大人が読んで十分に楽しいものであり、シュールな星新一を彷彿させる『日曜日の朝ぼくは』などは、まさに大人向けの作品だとも思えます。亜細亜大学の助教授だという斉藤さんは、公開講座など開いたりしないのかなぁ。きっと魅力的な方に違いないと、一度お会いしてみたい作家の一人です。