E-イブ(13歳) & R-リック(10歳) & S-say-umi

10月の本棚

本棚を移動した。まだ慣れないこの場所には、こども達がなかなか本を取りに来ない。取りやすい場所へ、再び移動を考えています。

狼とくらした少女ジュリー E
作/ジーン・クレイグヘッド・ジョージ・訳/西郷容子 絵/ジョン・ショ−エンヘ−ル(徳間書店)
 その時代、すでに希少となっていたイヌイットの伝統的生活を好む父と共に暮らしていた少女ジュリーが、その伝統的生活の闇と光を体験するなかで、大人へと成長していく長編の第一巻(だと思う)。
 伝統的生活の闇とは、許嫁との望まぬ結婚であり、対局の光とは、ツンドラの厳しい自然に生きる智恵である。少女は許嫁の元を逃げて迷子となり、狼と暮らすことによってイヌイットである誇りを取り戻しつつも、アメリカの生活に憧れを持ち、まぶしく感じている。そんな少女の微妙な感覚が、特殊なこととしてではなく、ごく自然に伝わってくる。
 この本の終わりで、人間の世界へと戻った少女を待っていたのは、同じであるが同じではない、すでに伝統を忘れた父の姿であった。
 実は、物語が終わりに近づくにつれて、少女がこのまま生きることはかなわないだろう、少女は伝統的生活の象徴である狼とともに命を終えるのではないだろうかと不安がつのった。しかし、現実はそれ以上に過酷だった。「死ぬ」こと、それは安易な道だ。伝統は目に見えなくなり、時代は変わり、しかしそれでも少女は生きなければならない。それこそが人生であり、それができるのが人間である、と作者は言いたかったに違いない。私も、あなたも、人間。生きましょうね。
 絵は『月夜のみみずく』を描いた
ショーエンヘールです。

クラバート S
作/オトフリート・プロイスラー 絵/ヘルベルト・ホルツィング
訳/中村浩三(偕成社)
 数年前に初めて『クラバート』を読んだときのことは未だに忘れられない。体調の優れない中、病院の待合室で開いたこの本の世界には、湿気による暗く重たい空気と、体の芯まで痛むほどの冷たさが充満していた。何もかもが灰色で光のないその世界に気分が滅入り、もうこれ以上は読み進めたくないと、途中何度か本を置きそうになった。意識して呼吸をしないと息が詰まってしまいそうだった。そして、なんとか最後まで読み切った後も、その滅入った気持ちはしばらく晴れることがなかった。
 クラバートはこの物語の中で、子供から大人へと移行するだけではなく、その時代の持つ闇をも乗り越えなくてはならなかった。しかし、人はその時代に生きる限りその時代を乗り越えるのではなく、その上に立たざるを得ない。たぶんクラバートは、この本の結末で乗り越えたと感じたこと、得たと思った自由、通じたと思った彼女の心、それらのすべてを、次の瞬間にはあっけなく失うに違いないと私には感じられる。
 まさに今の時代の闇に生きる思春期のこども達に、この物語はどう作用するのだろうか。少なくとも今の私にとって、この物語が語る暗い世界の出口に見える灯りは、あまりにも弱々しい。現実の世界では難しいからこそ、せめて物語の中では、まやかしでもいいから輝かしい闇の出口が見たいと考えるのは、すでに思春期を終えた者の甘えだろうか。
 今回読み返すにあたり、心して「これは日の光を浴びた世界の、普通の物語だ」と自分に言い聞かせた。そうでないと読めないと思った。そして、それは少し成功した。なによりもよかったのは、プロイスラーが、あの『大どろぼうホッツェンプロッツ』を書いたプロイスラーと同一人物であると知ったことである。クラバートを開く前に、ホッツェンプロッツを読んで、ホッツェンプロッツ色に染まったドイツの空気の中にクラバートを立たせたところ、私の企てはどうやらうまくいきました。しかし、またしばらくは読み返したくないのが本音です。