web 「西の常識」総目次旧「西の常識」序章「大坂中華思想」「ことば」「観光名物」くらしと生活さいふと経済風俗トレンド人種歴史地理事件スポーツ芸能娯楽教養魔境旧「西の常識」総テキスト(あ〜ん:≒400k)新「西の常識」


9章)地理

「十三」

地名の「十三(じゅうそう)」は、淀川の十三番目の「渡し」があったことからそう呼ばれるようになったという大阪でも有数の歴史あるふるい繁華街である◆駅周辺の広い通りにはキャバレー、アルサロ、ストリップ、連れ込みホテルが軒を連ね、下半身の充血をもてあました男性がヌキにいく、大阪屈指のフーゾク地帯として知られていた◆また、阪急十三駅は大阪から神戸、宝塚、京都と扇のようにひろがる阪急沿線のかなめに位置し、神戸線の上りホームには立ち食いの「阪急そば」(95年いっぱいは改装中)があることでも知られている。駅の立ち食いそばの元祖的存在で、万博(1970年)のころ一日六千食の売上を記録したこともある、十三駅の名物でもある◆フーゾクとそば以外にも十三の名物はある。広域暴力団山口組三代目組長、故田岡一雄氏の好物であった「喜八州」の酒饅頭◆さらに、広域和食チェーン店「がんこ寿司」発祥の地としても知られる◆駅から5分のお好みやき「やまもと」はネギ(あさつき)のみじん切りがドバッと大量に混入されたのネギ焼きで大阪グルメに有名。('96/1「GON!」vol.14に掲載)

 

「尼崎」

「ダウンタウン(松本・浜田)」の出身地として全国的に知られるようになった「尼崎」である◆以前は労働者の暴動などの事件で有名である「釜が崎」と混同するひとのほうが多く、人口(40万人超)の割には知名度の低いところである◆尼崎市は行政区分は兵庫県内にありながら、電話の市外局番は大阪と同じ06、大阪か神戸かどっちかワカラン、土地である◆市内の小学校の授業では大阪の衛星都市として教育しながらも、全国高校野球大会では兵庫県の予選に出場する。こうした尼崎の曖昧さは、ことばの上で特殊な事情を持つことから来る◆元々、尼崎は、距離的に近い大阪ことばのイントネーションの影響を受けながらも、敬語などの丁寧ないいまわしを持たない漁師ことばである播磨弁(神戸弁)をはなす土地の東限でもある◆また、大阪へ集団就職した四国、九州出身者の住居も多く、沖縄県人も多数存在することで、尼崎は関西でも有数のドスの効いたことば、「おんどれら、なにかってけっかんねん」「しゃっきあげんぞ、われー」「いわしあげたろか」などの独特のパワフルな言い回しをもつに至った◆ダウンタウン浜田氏のヴァリエーション溢れるツッコミも、やはり、尼崎(特に阪神本線より南部の地域)で培われたものなのである。('95/8「GON!」vol.7に掲載)

 

「チンチン電車」

この度肝を抜くサイケな電車はピーター・マックス氏が大阪市の依頼でデザインした、というのはウソ◆現在、大阪府下で唯一(路線は二線あるから唯二)走っているチンチン電車、つまり路面電車の通常の姿である◆阪堺線(恵比須町−浜寺公園前)と上町線(天王寺−住吉公園前)があり、両路線とも経営は同じ阪堺電気軌道会社というアナクロな名前の会社である。南海電車の系列なのだが、親会社のように不動産がないので現金はない。ということで、車体表面の外装を広告主に賃貸しているわけです◆こんな電車が一般車道と同じ道路を通行するので子供は大喜び◆上町線は一区間でも全区間でも料金は一律二百円。一度乗って見ることをおすすめします。終点は今年の初詣参拝客数290万人、全国第4位だった住吉大社であります。('96/3「GON!」vol.16に掲載)

 

「WHAT IS 東大阪?」

東大阪にはなーんにもない◆大阪の「東」に「東大阪」という場所があるかもしれないということは「東西南北」を学校でならう小学3年生でもわかる。これは大阪人でなくとも常識であろう。じっさい、大阪府下に「東大阪市」は存在する◆しかし、主筆を含めほとんどの大阪人はその東大阪に「何」があるのか知らない◆主筆は仕事がら図書館を利用することが多い。図書館についてはちとうるさい。で、いきなり写真になりましたがこれが「府立中央図書館」ですこのたび大阪市民に親しまれている歴史的建造物でもある中之島図書館(正しくは大阪府立中央図書館というらしい)の業務(一般用の貸し出しなど)を東大阪にできた新府立中央図書館に移転したというのでさっそく行って来たのです◆ところが東大阪の新しい府立図書館は異常に殺風景な場所にあった。高層マンション(府営住宅?)、近畿自動車道や阪神高速があるにはあるが、まわりに商店や飲食店がまったく見あたらない。図書館利用以外のひと気はない状態であった◆で、写真です。東大阪第一の町「布施」駅前の風景です。いい町でしょ。布施は駅前商店街も充実してるし、いまどき映画館が3ヶもある商店街ってない。布施駅はいい、問題はない。しかし「東大阪」は何なのだ◆東大阪ほどイメージが湧かない土地は大阪ではちょっと考えられない。印象がウスイ。アクの強いことで全国にしられる大阪らしからぬ不思議なd無個性な町eなのである◆東大阪に住み「小阪─大阪」という通学定期を自慢していた友人がいる。東大阪に生まれ、成人し、結婚しすぐ離婚、という楽しい四十数年間の人生を東大阪とともに過ごしてきた彼です。で、また写真。近鉄奈良線「八戸ノ里」駅前、アメリカ資本の大型玩具チェーン店「トイザらス」近所にすむ彼によるとこれが「東大阪には一番そぐわない店」という。理由は「ビンボー人が多いから(本人談)」らしい◆市内から東大阪まではどの道でもどの電車でも西へ向かへばすぐつく、便利なトコである。その便利が災いした◆知名度のワリに府民の認知度が低い、かわいそうな東大阪は府内第三位、大阪、堺市に次ぐ人口を持つ大都市である◆一九六七年、布施(ふせ)、河内(かわち)、枚岡(ひらおか)の三市が合併し誕生した比較的新しい市でもあります。近鉄奈良線沿いを生駒山に向かって並ぶ旧三市は人口が急激に増え、し尿、ゴミ、道路などの行政需要が一挙に膨らんでいったわけです。合併すれば、それぞれの共通問題が解決でき、府も積極的に後押しした、いわば祝福され、合意の上の合併だったそうです。がその結果は住民にとり一番大事な地域性という町のプライドが失われてしまうことにつながったようです◆で、写真は八戸ノ里公園の「市民スポーツホールかがやき」。いま東大阪で一番ナウな新しいハイテクホールで、温水50メートルプールや柔剣道場まであります◆d何もない東大阪eでしたが、赤井英和や朝潮出身で有名な「近畿大学」、正月の高校ラグビーで有名な「花園ラグビー場」、東急ハンズみたいなショッピングセンター「近鉄ハート」などもありました。でも、残念ながらそれらはみな、どっかに似た様ななものがあったり、しかもそちらの方が良かったりする、ツメのあまいパチモンばかり。ということで東大阪には「故司馬遼太郎氏のご自宅」しかないという結論になる。しかし、これも近所のひと以外、東大阪市民のほとんどが知らなかったことなので東大阪市に存在する必然性はまったくないのであった。('96/11「GON!」vol.24に掲載)

 

「WHAT'S西大阪」

江戸時代初期、徳川家康が摂津国佃村(現在の西淀川区佃)の漁民に石川島に近い島を居留地として与え、故郷にちなみ「佃島」と名付けたのはよく知られている事実である◆彼らはまだ汚されていなかったであろう遠浅の東京湾で白魚(しらうお)漁などをしながら、江戸城内の台所をまかなうことで漁業権を与えられていたのである◆かって、佃島の老人たちは対岸へ渡るのを「江戸までいってくる」とか「東京へ行く」などとしゃれた言い回しを使ったそうであり、仲間うちで交わすd佃ことばeには大阪のなまりが強く残っていたらしい◆佃島はいわば東京の大阪出島、大阪コロニーだったわけだ。江戸前(東京湾)のサカナは大阪の漁師が水揚げしていたのだから大笑いである。あの東京みやげとして名高い「佃煮」も、元をただせば大阪人のものだったわけです◆また、大阪の「佃」から神崎川の河口をはさんだ対岸の兵庫県尼崎市には「築地」「向島」という、これまた東京の下町情緒あふれる地名がある。東京での「佃島」「築地」と位置関係もほぼ同一であるところがdみそe。うそのような話であるが事実です◆ひとつつけ加えるなら大阪の漁師ももとはといえば和歌山や四国からの人々だったそうです◆くどいようですが大阪に「東大阪」はありますが「西大阪」という土地は存在しません。この先大阪湾をどんどん埋め立て、西にひとが住めそうな土地がひろがれば、新しい西大阪が誕生するかも知んないのですが。いまのところはそういうことです◆ところが、兵庫県の尼崎市のハマ側(南部)を散策してるとここは大阪ではないか? という錯覚に陥るのである。たとえば阪神「尼崎」駅南の寺町周辺、三和市場、出屋敷なんかは大阪ディープとなんら変わらないd濃い味eを持っている。前にもダウンタウン(吉本興業所属)の出身地である尼崎に少し触れたことがありますが、ここは行政区分は兵庫県内なのに電話番号の市外局番は06と大阪市内に準じ、車は神戸ナンバーというややこしの土地である。南部はほとんど大阪、北部は神戸文化の影響が大きいと。そういうことで、ここに私は尼崎市(ただし阪神沿線あたりから南)を「西大阪」と認定することにします。('96/11「GON!」vol.24に掲載)

 

「大阪のわたし(渡し)百景」

◆とある昼さがり、大阪の臨海部は大正区で、この後ろ姿のおばちゃん三人組はいったい何処へ行こうとしているのだろうか。階段の向こうは木津川運河なのである。いったい全体、運河には何が◆運河にはこの船町渡船が在るのでした。大阪人でも知るひとは少ないのですが、現在市内にはこのような渡船が運行している場所が八カ所もあります◆渡船というのは、つれて〜♪ にげてよ〜♪ のdわたしぶねeのことですが、そうした観光用のではなく、大阪の渡しは一般市民御用達でありd橋eの代わりなのです◆八カ所のうちの七ヶまでが大正区にあるここは大阪渡船のメッカなのです。上で紹介した船町渡船のほか、甚兵衛渡船、千歳渡船、木津川渡船、落合下渡船、落合上渡船、千本松渡船、とこれだけある◆ほんじゃ、映画「ブラックレイン」にも出てくる千本松大橋の真下の渡し、千本松渡船を見てもらいましょか、うーん、ワイドスペースがあんまし効果なかったようですな。興味のある方は迫力十分の外人の見た大阪映画の方を見るといい◆さて、渡し船は橋として扱われている、とはいえほとんどの渡しは各渡船場に一艇しかないので一定時間ごとに往復するシステムになっています。だいたい15分待って乗船時間は川幅のあるところで数十秒、対岸まで50メートルもない短いところだと10秒そこそこ◆ディズニーランドに同様な乗り物があるが、あちらはよそいき(外出着)を身にまとい多少興奮して乗船するのに比べ、普段着の一般人が普通に乗っているところに大きな違いがある。が、こちらは橋だからいくら乗っても無料。タダは得だ◆大正区は人口が約八万人。その面積に対して人口が少なく感じるのは四方を高い防潮堤で囲んだ海抜ゼロメートルという不安感があるからか。どこの臨海工業地帯もそうなんでしょうがここも元々は埋立地◆ここでちょいと余談、じつのところ大阪の土地は一部(上町台地)をのぞきほとんどが埋め立て地なのです。キタのターミナルの中心として知られる「梅田」も「埋めた」土地であるからそう呼ばれているのです。これホンマ◆わが国の大都市のなかでも大阪ほど河川が経済上重要な働きをした都市はなく、大阪は自他ともに認める河川とともに歩んできた町です。市内には網のように物資輸送の運河や掘割がひかれ、またそれぞれには幾多の橋がかけられ、その数は俗にいう「八百八橋」を優にオーバーするほどだった…、時もありました。◆が、ドライな大阪人はその役目がすむとその川をいきなり埋め道路にしたのでした。市内のほぼ七割の旧河川はいま船の代わりに車が走っているのです。ま、日本中どこでもそうですが◆ところで、川(運河)を渡るには「橋」や「渡し船」しか方法がないわけではありません。第三の方法は「川底トンネル」です。旧淀川(大川)の河口支流のひとつ安治川の下をくぐる「安治川トンネル」のできたのは昭和19年。完成した当初は大阪名所として数えられていたともいう◆此花区の西九条と西区の九条を結ぶ安治川トンネルのエレベーターを降りる(階段だと80段分)とせまく暗い地下道にでる。ここでは、葬式の出棺時であろうともだれか絶対に関係のないギャグをかましているといわれているしゃべりな大阪人も、上が川底という不安は隠せず無言のまま約70メーターを渡りきります。降りて押すのであれば自転車も通行可。五十数年前、全国民が「すすめ!一億火の玉!」という時に大阪ではこんな変なトンネル掘ってたわけです◆渡船も運河トンネルも現代社会の基準的便利さからするとほど遠い、かなりややこしい都市交通手段ですが、こうしたややこしいモノばかりが大阪にあるのは何故なのでしょうか。それがわたしは分からないのである。('976/12「GON!」vol.25に掲載)

 

お宅拝見「番外編」

「芦屋六麓荘」

阪神間有数の高級住宅地ブランドとして全国にも知られている芦屋。なかでも「六麓荘(ろくろくそう)」は芦屋でも別格の超々々々々(くどい!)高級住宅地なのです。見学してまいりました◆大阪市内でも芦屋ブランドは強く、国道2号線沿いの「芦屋ドライブショップ」のロゴステッカーを後部ウインドウに貼っている泉ナンバーのワゴン車を発見するたびに不思議におもう。そこは何の変哲もない自動車用品店なんだけど。芦屋イメージが先行するのかな◆さて、六麓荘でありますがはっきりいって今回のロケは失敗。すまん。目もくらむようなゴージャス極まりない豪邸の数々をフィルムに収めようと意気込んでご当地に到着したのではありましたが、ここは豪華とか高級とかハイソとかのレベルを優に逸脱している。六麓荘の全貌を明かにしようとおもえばヘリが必要なのだ。道路からはお宅の一部しか確認できず、空撮するしかないのである。が、それでは予算が合わない。このページは主筆のお仕事、いわばゼニ儲けである。たとえライフワークといえども家では妻と娘と老犬が腹を空かして待っている。で、全部歩きました◆まずは写真(1)。立派な石垣に高い垣根、ゆるくカーブした遊歩道が見えますが、この道を百メートルほど入った地点に巨大な鉄扉が存在します。ということはこの道は私有道、単なるお宅のエントランスなのです。こんな規模のお宅ばっかなんよ、ほんま◆いまから約70年ほど前、大正9年に阪神間ではもっとも新しい鉄道として阪急神戸線が山手に通じたことで、それまでは手付かずだった六甲の麗の住宅開発が振興し、各地に住宅地ブームが生まれた。昭和に入り、関西最後の高級豪邸専用住宅地として開発され、それまで関西財界、著名人が多く住んでいた大阪住吉の帝塚山界隈に限界がきていたこともあり、多くの文化人、各界名士が六麓荘に移り住んだ。関東大震災で関西に避難してきた根性なしの文化人なども多かったという◆写真(2)。ここで一番広大な土地を有するお宅。の住宅地なら一区画まるまる、数十世帯以上のお宅が幸せに暮らせる土地全部が個人の住宅として存在しています。六甲山麓丘のゆるい南斜面を利用した日本庭園にはテニスコートが4面あり、室内から飛び込める25メートルプールが有るという噂です◆写真(3)。普通の豪邸、しかも売り物。敷地約二五○坪、大型外車が4台は駐車可能なシャッター付きガレージの上を利用した広大な芝生の庭。鉄筋コンクリートの上モノ(建物)は観察したところ7LDKぐらいか。十億をちょっと切るお値段だそうです◆半日ここをうろうろ取材してたら何かムカムカしてきた。しかし、庭のプールでカバを飼育しているとか、総金箔張りのフェラーリを特注した、などというバブリーな住民はここにはいない。が、建て売り住宅のような巨大な鳥かごに孔雀が20羽いるお宅は在りそう。どちらにしろ、単なる成金的な金持ちは住むことはできないといわれていたこの町にも変化があらわれていることは確かである。我が国の現在の相続税制では三代も経つと税務署にすっからかんに吸い取られてしまうので、そのうち普通の豪邸地帯になるのも仕方ないことか◆東西五百メートル南北一キロほどの町内に百世帯弱の住民しか住んでいないので人影はまばら。町内を行き交うのは「芦屋大学」の生徒、関係者のみと推測する。当校は関西トップクラスの親がお金持ちの多い学園で、取材時には生徒さん(大学)通学用の立体駐車場を父兄の寄付により建設中とか。完成のあかつきには関西中の高級車が見られることになる。('97/1「GON!」vol.26に掲載)

 


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