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8章)社会/歴史

「戦争と平和」

大阪市は第一次世界大戦後に著しく発展を遂げ、経済の実力では首都である東京と二分する中心的な都市となった◆その人口も昭和15年の国勢調査においては325万人(注・現在は215万前後から減少の傾向にある)を突破する勢いであった。しかし、第二次世界大戦の勃発により、その産業の中核であった軽工業、中小商工業は軍需産業に転換を余儀なくされ、それまでの市勢は大きく阻害されてしまうことになる◆さらに戦争末期、たび重なる空襲爆撃により市全域の27%、31万戸を超える焼失家屋をだしてしまうことになる。ついには昭和20年夏、広島、長崎に相次いで投下された原子爆弾により我が国はポツダム宣言を受諾し、無条件降伏にいたった◆終戦直後の大阪市の人口は110万を切り、たったの5年間で人口は3分の1になってしまったのである。…黙祷…●50年たち、戦没者の碑や平和祈願の像を気にとめる人は少ない。写真は昭和25年5月に建立された「平和モニュメント像」。ミナミのヒッカケ橋として有名な「戎橋(えびすばし)」のたもとにある裸体像が平和祈願であることを知るひとはすくない。('95/9「GON!」vol.10に掲載)

 

「太陽の塔」   

25才未満の坊っちゃん嬢ちゃんたちは知らんとおもいますが、1970年、大阪の千里丘陵で開催され六千数百万余の国民が入場したという「大阪万国博覧会」のことをご存じでしょうか。かくゆう私も、当時は社会に反逆をきどる小汚いロングヘアーの高校生だったので「ハンパク(万博反対)」の立場をとりナマではみてませんのでした。ま、その反動からか万博跡地を利用して開園された記念公園はせっせとデイトスポットとして利用させていただきました。あそこは、なにより「太陽の塔」がいい。去年の夏の復元工事でいっそう魅力が増したような気がしてならない。この岡本太郎の創った、ナマっ白いバカでかいハニワのオバケのような塔をみていると、こんなヘンなものは、ここにないよりあった方がいい、とおもいましたね、心から。塔までいくと三百円也で25年前に大量に造り過ぎて在庫のあまった「太陽の塔キーホルダー」がまだ買えます●大阪には「太陽の塔友の会」というものが存在し、この方がその会長さん塚村真美女史であります。('95/4「GON!」vol.6に掲載)

 

「高射砲台」

◆淡路に「高射砲台に住むひとがいる」と小耳にはさみ、見学してまいりました◆淡路というとですね、阪神間のみなさん、特に神戸に近い方々は大阪湾に浮かぶ淡路島を連想しますが、大阪の淡路は市内北部、淀川を渡った東淀川区にある淡路のことで、大阪市内をニューヨークとするとニュージャージーにあたるディープな場所になります◆阪急淡路駅をイズミヤ方面に出て商店街をぬけ、新幹線の高架をくぐった住宅密集地に、一見現代建築家の作品にも見えるコンクリ打ちっぱなしの高射砲台はありました◆最初は、まわりの家に紛れて1ケしか発見できなかったのですが、よく見ると3ケもあり。近所のじいさんに聞いたところ、戦後のドサクサで高射砲を撤去したあと、砲台と隣接していた陸軍兵舎にバラックを建て増しし住み着いたのではないか?(あくまでじじいの推測)。というわけらしいのです。現在、1ケは空き家、1ケは駐車場、あとの1ケにひとが住んでいるようです。直径約10メートル、八角形の巨大な鉄筋コンクリート製中華テーブルの下での暮らしぶりを拝見したかったのでありますが、見渡したところ、その場所は国道計画用地らしく、もしもややこしいおっさん(関西は各種ややこし系が多彩)が出てきたら、ということで帰ってきたのでした◆後の調べで、この高射砲台は旧帝国陸軍八八式高射砲、当地には合計5ケ設置してあったことが判明。1ケは壊されてマンション、1ケは近所の鉄筋工場のなかにそのままで存在しちゃんと保存(ただし隔壁は破壊)されています◆旧帝国陸軍マニアにはたまらん物件でした。('95/8「GON!」vol.9に掲載)

 

「ピラミッド」

◆戦前の神道学者として名高い荒深道斎によると、兵庫県の六甲東部に多く見られる異形巨石群は有史以前の人口百万を越える巨石都市、メガロスの遺跡であるという。その巨石文化の中心とされているのは、現在、ピクニックコースとして市民に親しまれている仁川の「甲山」である。ここは古くは「神山(こうのやま)」とも呼ばれ、梺には「神呪寺(しんのうじ)」というオドロしい名の寺を有する。道斎は甲山をピラミッドと見たて、その説を唱えているのであるが、素人目にもピラミッドには見えない。ただの土マンジュウ(本当は溶岩円頂丘)である。ピラミッドは他に存在する●写真は六甲山頂から北へ15ワ、兵庫県三田市の「有馬富士」である。標高374メートル、面積46ヘクタールの独立峰。山影は別名「角山」と呼ばれるように明らかなピラミッド状の形態を持つ。周辺には巨石古墳も多く、ヒエログラフ(石に描かれた絵文字)も多数発見されている。※巨石群の一例として/西宮市の「甑(こしき)岩神社」のご神体だった巨石が95年1月17日の地震により部分崩落。('95/11「GON!」vol.19に掲載)

 

「砲台」

◆「西の常識」では近々、震災一年半を記念し、「神戸大特集」を計画しています。刮目して待て! ということで、阪神間をうろつくことが多いわけです。とある日曜日、西宮(にしのみや)浜にあるという知人の仮設住宅へ向かう主筆の視界に奇妙な建造物が映ったので、寄り道取材を敢行。これは「旧西宮砲台」と呼ばれ、徳川幕府が外国の侵略から我が国を守るため建設した軍事施設で、勝海舟が砲台の位置を決定したという歴史的建造物だそうです。地盤が砂地であることから多数の杭を打ち込み、その上に花崗岩を積み、4年もかかった難工事であったそうな。完成後、大砲で試射をしたら煙が内部に充満、まったく使いモノにならなかったという。その後長い間ほったらかしで、やっと20年前に鉄骨で修復、現在は国指定史跡になっている。ま、ありていにいえば徳川幕府のバカさかげんを証明する残骸ということでした。('96/7「GON!」vol.20に掲載)

 

「大阪万博」

大阪の吹田(すいた)は「吹く」という漢字を「吸う」と読む謎の土地で大阪地名七不思議のひとつでもあります◆この大阪府吹田市の千里丘陵で、今を去ること二六年前の一九七○年、「人類の進歩と調和」という一般の日本人には一番理解不能とおもわれるテーマのもと、「日本万国博覧会」が開催されたのであります◆一八三日の期間中、全国からの入場者数は延べ六○○○万人、という当時としては未曾有のお祭り騒ぎになりました。大成功したのです◆ひと昔もふた昔も前の出来事なのですが、何百年ものあいだ負け癖のついていた大阪にとっては久しぶりのdイイ思いeだったようで、いまも万博パビリオン(展示館)の影響下にあるチャチな建造物は市内のそこかしこに存在します◆なにはともあれ万博以降大阪は、世間を勘違いしdなめてeしまったのです◆会場は会期終了とともに一部のぞきほとんど解体され、約三三○万平方メートルの広大な「日本万国博覧会記念公園」という跡地になりました。有名な「太陽の塔」は数少ない万博当時のモノですが、その他の遺品は公園中央口南の「生活誕生館/DELIPA」にあつめられています◆入場無料の館内には「万博記念館」が併設され、いま見ればスカみたいな、当時の珍品奇品など思い出の品々がさびしく展示されています。ただし、入館は夕方5時時までなので地方のかたは早めのご予定を('96/10「GON!」vol.23に掲載)

 


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