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「西の常識」あ〜ん 

※()内の表示はミリオン出版「GON!」初出年月

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赤まむし 

関西人が他の土地のひとよりも元気にみえるとすれば、その元気の秘密は「赤まむし」にある◆心斎橋筋の「坂本漢方」はその筋では有名な「赤まむし」の元祖として広く知れわたっている。一時流行ったまむしのドリンク剤ではなく漢方の飲み薬なのである。その効き目は店構えをみればわかる◆全国有数の繁華街、心斎橋に面した店舗の二階には店の創業者であろうか、恐ろし気な極彩色のおっちゃんが行き交う人並みを見下すように座しているのだった。これは効く◆古来より、薬屋の店先には気の弱いひとが卒倒しそうな展示が多い。いまでも水虫患部の拡大カラー写真を避けて通るひとは多いだろう◆数年前、心斎橋を深夜歩いていたら見知らぬおっさんに試供品の赤まむしをもらった。そのままカバンに入れ数カ月後、飲むべき時が訪れたのでスキをみて飲んだことがある。キキメはユンケルの比ではなかった。疲れたときには坂本の赤まむし! これでキマリ。(95/4)

 

アジアコーヒ

95年春、日本テレビ系の特番『たけし・さんまの世界偉人変人伝』に登場した「アジアコーヒ」の映像は、神戸なら被災認定が即座におりそうな店構え、アナクロな謎の飲料「ネーポン」、そして全てにこだわらないオーナーの婆さんと、関西人ならずともインパクトの強いものであった◆我々取材班はとるものもとりあえず、ディープなパワー渦巻く大阪のなかでも、最深部の海溝部といわれる鶴橋、玉造方面を目指しノー・ブレスでチャリンコを飛ばしたのであった◆「店を始めてから35年です…。元は倉庫やったんを買(こ)うて店やり始めてからたしか35年ね。わたしの生まれは阿波座(大阪市西区)や聞いてます。戦争中は福井に疎開しとってね、戦争のあと森之宮におって、ここへきたんです。何で、コーヒー屋したかいうて、商売しやすいでっしゃろ、簡単で(笑)。当時(昭和30年代)はアジアコーヒいうたらぎょうさんありましてな、さあ、大阪市内に十や二十はあったんとちゃいますか。いや全部同じ店と違(ちご)て、チェーン店いうか、同じアジアコーヒさん(コーヒー豆問屋)から豆買うてたんで同じ名前やったんです。うちは、コーヒやめてもう5、6年になりますか。いまはインドカレーとジュースのネーポンだけ。看板は、店できてからさわってしません。常連さんがそのままがええいうので。息子が今入院してまして。酒ですわ、アル中(笑)。わたしも酒は好きで、死んだおとうちゃんも好きで、両方酒が好きやとこどもがエエのんできしません(笑)。わたしもお医者さんから止められてるんですけど、飲んでます。いつも飲んでます(笑)。この前も朝から飲んでて、ひっくり返ってコケましたんです。頭の後ろ5針縫うてます。帽子(かつら?)とって見せましょか(笑)。酒はすきです、やめられしません。あのネーポンは10年(?)くらい前。うちに来てた甘酒の会社(鶴矢食品研究所)がもってきはって、それからです。地震も会社の方(神戸市兵庫区)は大丈夫なんとちがいますか、2日ほどまえに品物(ネーポン)届きましたから。あの3月の23日、テレビに出てからまたお客さん増えて一日百本ぐらい出るときあります(笑)。この店(の内・外装)はこのままでエエんです。変えたら常連さんに悪いし。ここで、昼間からこうして(酒を)飲んでるんが一番エエんです。おとうちゃんが元気なときはアレもようしよったんですけど。食前食後に。ふとん敷っぱなしやから、『しよか?』いうて。酒もアレも両方すきで。当時は他に娯楽がラジオぐらいしかなかったんです(笑)」◆『アジアコーヒ日の出通り店』のオーナー、西川ユキ子さん(81)のお話しでした●アジアコーヒ日の出通り店:天王寺区玉造元町19-2。?06-764-4574。毎日午前7時〜午後10時まで開店営業。基本的には「インドカレー」はランチタイムメニュー。JR環状線「鶴橋駅」と「玉造」のほぼ中間地点の高架内側にあります。ちなみに「ネーポン(250円)」は大阪市内ではココでだけ販売。ただしビンの持ち帰りは絶対不可。(95/5)

 

尼崎

「ダウンタウン(松本・浜田)」の出身地として全国的に知られるようになった「尼崎」である◆以前は労働者の暴動などの事件で有名である「釜が崎」と混同するひとのほうが多く、人口(40万人超)の割には知名度の低いところである◆尼崎市は行政区分は兵庫県内にありながら、電話の市外局番は大阪と同じ06、大阪か神戸かどっちかワカラン、土地である◆市内の小学校の授業では大阪の衛星都市として教育しながらも、全国高校野球大会では兵庫県の予選に出場する。こうした尼崎の曖昧さは、ことばの上で特殊な事情を持つことから来る◆元々、尼崎は、距離的に近い大阪ことばのイントネーションの影響を受けながらも、敬語などの丁寧ないいまわしを持たない漁師ことばである播磨弁(神戸弁)をはなす土地の東限でもある◆また、大阪へ集団就職した四国、九州出身者の住居も多く、沖縄県人も多数存在することで、尼崎は関西でも有数のドスの効いたことば、「おんどれら、なにかってけっかんねん」「しゃっきあげんぞ、われー」「いわしあげたろか」などの独特のパワフルな言い回しをもつに至った◆ダウンタウン浜田氏のヴァリエーション溢れるツッコミも、やはり、尼崎(特に阪神本線より南部の地域)で培われたものなのである。(95/8)

 

アメリカ村に妖怪が出没! ショートパンツに注意!94」

最先端ファッションの若者たちであふれかえるミナミのアメリカ村◆例年にない猛暑のためか、今年はダブダブの短パン・スタイルの若者が目につく。しかし、短パンで出かけるのはやめたほうがよさそうだ。若い女性のひざ下をねらう妖怪が出没するそうな。女子高生、H美(仮名)さんの体験を聞いてみよう。

「エライ暑いから、ちょっと怖いけど今日も半ズボンはいてきてん。あの時もこの三角公園でボーッとしててん。ここ木かげやからちょっと涼しいし人見るの好きやから。夕方、急に暗なってきたんで、歩きだそと思たらなんか足がもつれそうになってん。足もとに小犬がまとわりついてるみたいな感じがして、ひざの下あたりが少しあったかいねん。でも見てもなんにもないねん。そしたら体がだるーくなって、そのうち動けんようになってしもてん。歩道のガードレールにすわって何度か足組みなおしてたら、スウッと楽になってん…。こんなん、私だけなんかなあ。まわりでぜんぜん聞けへんよ…。」

これは明治時代まで岡山・広島県の山中で頻繁に出没したといわれている妖怪「すねこすり」のしわざである。アメリカ村のシンボルともいえる三角公園の(厳密には台形であるが)さし示す方向を地図上でたどると大阪厚生年金会館裏の昼でも暗い新町北公園になる。公園周辺は昔、大阪で一番のフーゾク街、新町遊郭のあった場所である。主に中国地方から人買いに集められたといういたいけな少女たちのせつない「気」が三角公園周辺にたむろする若者たちを媒体に、妖怪すねこすりを呼び寄せたのであろう。

[すねこすり] 山道などで足元にまとわりつき歩行をさまたげたり、股をくぐったりする犬のような妖怪。股を正面からくぐられると魂を抜かれて死ぬるという。足をはすかいに踏み交わしながら歩行すると去るという。

参考:「日本妖怪大全」水木しげる著、講談社アルファ文庫

 

いかやき

たこやきは炭水化物食のメッカ、大阪のシンボル的存在として、アッという間に全国を制覇し、現代大阪グルメ界の王者として君臨している◆一方、そのみなもとに於いて、同じお好みやき風味屋台食であった?いかやき?は未だローカルに留まっている◆球状の愛くるしいたこやきに比し、小麦粉をだし(水が多い)で溶きいか(ゲソが多い)を投入したものをペンチ状の器具(いかやき器)で両側からはさみ一気に加熱かつ加圧するいか焼きの製造過程は、見ていて食欲が湧くものではなく、ショーアップの余地はない◆なお、大阪グルメなどに詳しい輩のあいだでは、阪神百貨店梅田店の地下二階食料品売場「阪神スナックパーク」のいかやきが、客が列をなしていることでグルメ知名度が高い◆でも、すぐ買えるので安心●阪神百貨店のいかやきは一枚120円。デラバン(玉子入り)170円という安価さが並ぶ本当の原因とおもわれる。店内の立ち食いコーナーで食す場合、舟代(5円!)が加算される。おみやげに一人で数十枚購入するひともいる。(96/5)

 

 

生田神社96

生田神社は古くから「生田さん」と呼ばれ、神戸で一番親しまれている神社である◆狭い境内いっぱいには大量の材木、セメント袋など建築資材がおかれている。大鳥居も崩れ落ち本殿は全壊、といった震災直後の様子はみじんも感じられないが、本年度は足場だらけの工事現場を拝むかたちになった◆コワレタ物に鈍感にならざるを得ず、危険など気にしていられない経験を経た神戸ならではの神社風景である。

 

いたち

「いたち」と「いらち」は似ているが関連はない。今回は「いたち」である。大阪市内の地名で最も難読、すなわち読むのが難しいといわれているのは「立売堀」である。これで「いたちぼり」と読む。そこそこ年くった、訳知りの大阪のおっさんおばはんでも「いたちぼり」という地名が大阪市内に存在することは承知していても、まさか「立売堀」だとはおもっていない場合が多い。もっとも知らずしても何ら大阪での生活に不自由はない。さてそもそも立売堀はこの地に江戸時代の初めに掘割がほられ、材木の立ち売りがおこなわれたことから名付けられたという。しかし、何故に読みが「いたち」なのか。一説には伊達藩の屋敷跡を堀にしたので「伊達(いだて)堀」になった、というのがまことしやかに伝わっている。が、いっぽう「イタチ」に似た家族が堀割に住んでいたのではと推測する郷土史家も存在する。関西はこうしたほんの些細なことがらを契機に地名が決まらないとも限らない土地柄ではないと言い切れない。郷土史家の悩みはつきない。余談であるが、東京の秋葉原と並び、電気屋街で知られる「日本橋」も、東京では「にほんばし」であるが、大阪では「にっぽんばし」と発音するのが正しい。どーでもよいことではあるが。

 

イタイ音楽」

◆昨今、修正に修正を重ね産み出される商業音楽群は、もはや音楽の原型をとどめてはいないのではないだろうか。大阪のディープサウス、富田林で十数年前結成されたスポンジ(同名のグループがアメリカ、スコットランドに存在するが共に無関係)は、職業音楽家たちには造り得ない、無修正モロ出しの「イタイ音楽」を世に問うている。「イタイ」は芸人スラングで「脳が足らん」という意味ですが、このイタイは「神経的な痛み」である。死体写真満載の本誌読者のような、「自分が痛い」のは避けるが、「他人が痛い」のには、ヤブサカデナイという人物にこそ、ぜひこのサウンドを聞いてもらいたい。死体も裸体も音楽も無修正は良い。残酷絵師、伊藤まさや氏によるジャケットもかなりエロチック、一流です●『覚醒時における映像の生産と肉体の関係について/Sponge』通販のみ、?584 富田林市富田林町11の2 奥山佳史まで、送料込み1500円

先日、その半生をL S D 啓蒙に捧げたラリパッパ教祖というべきティモシー・リアリーが死去したが、死ぬ前に「この音」を聴かせてみたかった。以前紹介したことのある大阪のバンド? S p o n g e ?が16年のバンド活動の中で初 C D を発表した◆自らの危険さを自覚している彼らは中途半端な日本の音楽メディア状況を期待していないようで、今回もアメリカディストリビュートの方法をとったようだ◆値段は高めではあるが、それだけに内容は濃い。わざわざカナダで制作したLPサイズの見開きジャケットにピクチャーCD、しかも9人の先鋭的なコミックアーチストたちによるイメージブックレット付、と贅沢の限り。ヘッドホンでフルヴォリュームすると75分間、確実に?イケ?ます。保証します●『羽根と眼球または混血のダンス/S p o n g e 』T. E. C. T O N E S- R E C O R D.

U. S.A./定価¥3000、送料¥800(何枚でも)、申込みは現金書留か無記名小為替で、〒584 大阪府富田林市富田林町11-2 奥山佳史まで(96/8)

 

伊丹空港

「かんくう(関西国際空港の略、アクセントは『か』に強く『く』にも弱く付け、語尾は下げるのがコツ)」の開港以来、何かと影がうすい「旧大阪国際空港」がデイトコースとして再び脚光を集めている。国際という金看板が取り外されたので、本来は「大阪空港」と呼ぶべきところであろうが、国内線オンリーの「伊丹空港」という、いかにもローカルな響きをもつ名称の方が通りがよいという現状である。国際線は利用できなくなったが、駐車場などの設備はそのままなので、以前は混雑時に車を駐めるだけで2時間かかったのがウソのよう。空港から北へ15分ほどの池田市には50万ドル(注:100万ドルは六甲山)の夜景で名高い五月山の展望台もあり若いカップルにはこたえられないシチュエーションだろう。また、大事なことだから記しておくが、空港周辺は大阪府下でも有数のファッションホテル街である。昨今の利用状況は金曜の夜10時すぎでも待たずに利用できる所がおおいとも聞く。夕方、空港で旅客機をみながら軽く食事をし、五月山で夜景を見て、帰り道にホテル、という絵にかいたようなマニュアル通りのデイトが時間的負担なく可能になったのである●注:地方の方々はご存じないであろうが、もともと大阪と冠しいる大阪空港の施設のほとんどは兵庫県伊丹市に属し、大阪府に属しているのは空港ターミナルの一部分だけです。ということで地元では「大阪空港」というより「伊丹空港」と呼ぶひとが多いのです。

 

いちば

大阪を代表する市場といえば、市内最大の小売り市場である「黒門(くろもん)市場」が有名である◆日本橋1丁目交差点の南東に位置し、ミナミの盛り場一帯の飲食店の魚介類を一手に引き受けている関係上、新鮮さには定評が高い。とうぜん値段も高い◆午前中は板前さんの仕入れでにぎわい、昼過ぎには市内にお住まいの奥様方でにぎわう。一八五軒の商店には寿司やも多く、極上の寿司を求めグルメなども集まる◆一方、高級な市場なんか市場やない! という主張をもつ大阪庶民の市場といえば「庄内」にとどめをさす◆「北の庄内、南の黒門」ともいわれ、この2つの市場が大阪を代表する市場である●阪急庄内駅周辺は、ダイエー、イズミヤの2大スーパーをはじめ4つの商店街に約二百店舗がひしめき、街全体が巨大な市場である。なかでも1955年に開設された「豊南(ほうなん)市場」は庄内のシンボル、市場のなかの市場である。七十数店舗が軒を連ね、平日でも一万人のおばはんおっさんでにぎわう。

 

いらち

大阪は日本で一番歩くのが速い街である。また、歩行者の信号無視率も異常なほど高いことでも知られている。ほとんどの人は意味無く急いでおり、信号など守らない。フライングした歩行者をハネてしまい、法の犠牲になる順法運転者は後を絶たない。これは命を賭けお上(かみ)の法に拮抗してきた西の精神の現われなどともいうが、単に「いらち」なだけともいえる。「いらち」とは「苛ち」のことで、「短気」とは異なり、せかせかイラつく落ち着きのない性格を指す。大阪ではこれが街のシステムになっている。ためしに大阪の177にコール。『ピンポンパンポーン。気象ニュースをお知らせします。大阪地方の明日の天気は…』とおよそ15秒以内に明日の天気が判明するのである。他の地方で、ここまで即物的な天気予報サービスは例をみない。また全国に先駆け導入され(1970年阪急電鉄)、現在では京阪神間の私鉄、地下鉄、JRにほぼ行き渡った自動改札も「いらちシステム」の一環である●地下鉄に設置されている、5枚までのコインなら一度に投入可能な券売機なども「いらちシステム」ならではのもの。だが、通常の券売機のほうが多少(0.7秒)早いので利用者は少ない。もっとカルシウムをとりましょう

 

馬好き

◆我が国も戦後五十年を経て、生活に余裕ができたのか、あるいは、生活に潤いがなくなったのか、どちらとも知れないが、動物好きが増えている。特に近年、馬好きの数は年々増加傾向にあるという。といっても俗にいうサクラ肉(馬肉。料理人の間ではテっちゃんともいう)を食らう、精力家のことではない。さらに、金が余ってしょーがないJRA(中央競馬会)の口車に見事に乗った女子供(差別発言かな?)を伴った競馬ファンのことでもない。あれらは、バクチに於ける人間の欲というドロドロしたものを、オシャレなロマンという物語り性の風呂敷に包んだおかげで、やっと馬券買えるようになった小心者の集まりです。でもなかには、本当に馬という動物が好きで好きで競馬場に行く、という人物も存在する。道路に馬糞が落ちていた昔と違い今の都市に馬などいない。とおもうのは早合点、大阪には都心からほど近い地に、馬に乗れる公園がある●大阪キタの都心から20分、服部緑地公園々内にある「クレイン乗場センター」体験乗場コースがある。要予約。(95/11)

 

 

APEC

◆オウムやらサリンやらいうのは他国の事件で、ワシら関係あらしません、と思っていた春先、大阪市内では自転車に乗りガードマンと見紛う真新しい制服を着用した警察官を頻繁に目撃するようになった。APEC(エイペック)である◆APECとはこの秋、大阪で開催される「アジア太平洋経済協力会議」のことで、この国際会議のため、おまわりさんたちは汗ダクで大阪の町内を走り回っていたのである◆警官曰く、おタクのご近所に不審な車、たとえばトラックなどが止っていたら必ず荷台を確認してくださいねー、隣のビルの屋上に過激派のミサイル(!)が設置されてたら通報して下さいねー、といった呑気なお願いをしながら市内をしらみ潰しに調査(これがローラー作戦か)していたのであるが、じつは裏があった◆その後、市内で日常的に行なわれている駐車違反をAPECを期に、10月からはレッカーで即時撤去する方針と聞いた◆そうか、警察はこれが目的だったのか。中央区、北区、福島区、西区などで適用されますので、みなさん気を付けましょう。(95/11)

 

FM

◆田舎出身の評論家などに限ってマスコミの東京一極集中、などわけしりな発言してからにカマビスしい限りであるが、それは出版界に限ったことで、こと放送界にはあてはまらない◆つまり、在阪の放送局は各局競って大阪という際だった独特の地方色を活かしたローカル番組を制作しているからである◆低予算で内容はうすいが、そのかわり出演タレントは濃い、という地元制作の放送群に飽きれば、全国ネットのたっぷり金の掛かった洗練した番組で目や耳を消毒する、ということが簡単にできる幸せな状況に視聴者はおかれている◆ところでFMはどうなんだろう。数年前のFM大阪(現在はEAZY851)とFM802の聴視者獲得戦争が現在はウソのように静かである。FMなどだれも聞いてないのかもしれない●写真はFM802のステッカー。以前は車のうしろにステッカーを貼っておくと抽選で毎日10万円の現金が当たるというキャンペーンの効果か、市内中心部に集まるほとんどの車両にこの?802?があった。が、新しいものに飛びつくのも早いが、すぐ飽きる大阪なので、このごろは免許とりたて風の軽四輪にときたま貼られている程度になっている。やっとダサイのに気づいたようだ。(96/3)

 

えべっさん96

今宮戎神社は古くから「えべっさん」と呼ばれ大阪人に親しまれてきた神社である◆一月十日の前後三日間で行われる「十日戎(年寄りは「とぉかえべす」と訛って発音する)」には一日平均五十万人の人で賑わう◆ササに小判や米俵などのミニチュアをつける巫女は「福娘」と呼ぶ。毎年末に厳正なオーディションにより選ばれ、そのレベルはかなり高いことでも知られる◆今年は中華人民共和国の上海から選りすぐりの美人五名が福娘として来日したことも話題になった。がちょっと化粧が濃い。

 

大坂

「大坂」が「大阪」になったのは明治時代のことだが、なぜ、こうした表記をするにいたったのかは謎とされている。独自の調査によると、「坂」の字は「土に反(そ)る」と書くのでイメージ的に悪いことから変更した、という説が今のところ有識者の間では有力である。しかし無識者の間では、明治政府が府印(大阪府のハンコ)を製作したおり、大ボケをかました係りのおっさんが字を間違ったのではないか、という説が根強い。こうした楽しいミステイクは大阪の伝統芸で、全国の市町村行政担当者も見習うようにしたいものである。ちなみに、和銅7(714)年のころは「小坂(おさか)」と呼ばれていた記録があり、また『日本書記』には「烏瑳箇(おさか)」と表記されています。「大阪城」も最近の看板類は「阪」になっているが、戦前の地図などでは「坂」である。で、細かいことはさておきまあどっちゃでも読めたらエエ、というのが大阪人の主張である●写真は大阪を代表する名の喫茶店「喫茶OSAKA」であります。JR大阪駅構内の東の端にヒッソリと存在するマニア向けの店。

 

大阪球場 

旧南海ホークスのホームグラウンド球場。「ナンバ」駅から歩いて5分という立地条件をもつことからナンバ球場とも呼ばれる。しかし、ここ十数年野球の試合で球場が満員になったのは聞いたことがなく、ナイター時の外野席などは事情通のカップルがペッティングの穴場として利用していた。球団をダイエーに身売りしてからはドーム映画館、中古外車ショーなど主に展示会場として利用されている。現在のグランドは住宅展示場と駐車場になっていた。十年前、西城秀樹をクレーンで吊り上げ外野席のお客の上でふりまわすというド派手な公演の最中、おりしも私は球場横の阪神高速道を走行中であり、もうすこしでハンドル操作を誤るところだった。南海の球場職員がよくも許したものだ。そんな体質であるから後年球団を身売りすることになるのだ。つくづく、南海はバカ会社だと思う。(95/4)

 

大阪城

●大阪のシンボルともいうべき存在の大阪城は市民に親しまれている。がしかし、大阪に住むものとって、大阪城は遠くから眺めるものであって、近くに寄って見学するものではないのも事実◆ウィークデイに大阪城へ行ってみるがいい。そこで話されているのは決まって大阪以外の地方のものである。また、城内の本丸にあるたこやき店は、大阪市内のたこやきでワースト3にランキングされる味を誇っている。地元の人間が寄り付かない観光地の食い物がうまくないのは何処でも同じですが、ひどすぎる。たこやきの神さんがいたらバチかぶる◆天守閣は昭和6年に市民の寄付によって建てられた鉄筋コンクリート製ですが、近々、太閤さんが建てたときのように模様替えする計画があります。ちなみに西の丸庭園公園は木立が厚いのでデートスポットですが、天守閣からはマルミエですので注意すること●天守閣登閣/400円 9時〜5時 7月

15日から8月31日は8時30分まで。無休●西の丸庭園入園/150円 9時〜5時 

月曜休園。

 

大阪ドーム

◆阪神タイガースが大阪のプロ野球チームであるという認識は国民の大多数を占めているが、甲子園球場は兵庫県西宮市に存在し、厳密には大阪のチームとはいえない。掛布、岡田、平田と続いた、面白顔レギュラーの伝統も、ここ数年アイドル顔に近づきつつあり、娯楽に飢えた阪神ファンたちを悲しませている。その点、近鉄バファローズはディープな大阪河内の中心部、藤井寺に小さな球場を持つ根っからの大阪のローカル球団である。ところが来シーズンからはフランチャイズとして大阪ドーム球場に移転するという。イメージアップを計画しているのだろうか、心配である。余談であるが、近鉄の球団マークは先日亡くなった岡本太郎がデザインしたものである●雨に煙る大阪ドーム(西道頓堀川「汐見橋」上で撮影)。末野興産の看板がすぐ近くにありますが、撤去される予定。(96/5)

 

大阪呑気大事典

という本があるのをご存じか。あいや、あったというべきかもしれない◆この手の本のなかでは比較的、店頭に並んでいた期間は永いほうではあったが、我が国の娯楽出版物の例にもれず、知らない間に棚から消えてしまったのであった。なお、版元のJICC出版局(宝島出版)では未だ絶版にはしていないと聞くが、大阪の書店ではここ3年、姿をみることはない◆1988年9月に発売された当時、大阪の森羅万象を呑気に語る昭和の名著として話題となり、一夜にして初版を売り尽くし、全国で、いや全世界でエネルギッシュに活躍する大阪人の本棚には必ず「大阪呑気大事典」があるともいわれている。その後、何度か再版されたようなことも聞くが現在は本屋になく。共同執筆者である私にも印税の払いはない◆大阪、関西本の大ブームといわれている矢先、その元祖的存在である「大阪呑気大事典」が手に入らないのはとても残念なことである。「西の常識」を身につけるためにも、さあ書店へ走り「大阪呑気大事典」を大量注文しようではないか!出版社を動かすのは常に民衆の力である。(94/11

 

大阪名物

大阪を観光地として捉えたとき、おみやげはいったい何にすればよいのであろうか。ナンバ駅で長い行列ができている「リクローおじさんのチーズケーキ」でも「かに道楽のキーホルダー」でも間貫平の「アメマバッジ」でも何でもよいのであるが、ここは大阪みやげの定番「粟(あわ)おこし」をお薦めしたい◆ふるくは「オコシゴメ」とも呼ばれていた、モチ米を蒸し砂糖を加え固めたお菓子である。出来上がりが粟の色に似ていることから「粟おこし」と呼ばれるが原料は粟ではない。別名「岩おこし」、「雷おこし」とも呼ばれることでも理解できるようにかなり硬度の高い菓子であり、幼児のうちから歯槽膿漏を気にする現代社会においては一般に受け入れられにくくなっている◆観光と任天堂とワコールしか産業がない、といわれる京都は「八橋(やつはし)」をソフト化した「生八橋・おたべ」を開発したが、大阪の「生おこし」は製造されていない。がんこな大阪人らしいはなしではある。しかし、現在大阪市内で販売されている粟おこしは、ほとんど奈良県内で製造されているのだった。

 

大空テント

というスガスガシイ秋の空のような芸名をもつ関西芸人を知る人は少ない◆大阪府八尾市のテント商の家に生をうけたことから、師匠である上岡龍太郎により命名されたという◆その澄み切った名とはうらはらな氷点下のサム〜い芸風をもつ彼が舞台に立ったその時、観客のこころの中にはブリザードのような寒風が吹き荒れる◆ある種の精神的拷問に近い芸の形式は一応漫談になるのだが、明治時代の芸人が異常に長生きしたあげく新作漫談を演じているような風情がある◆決して下品な芸ではないのだが広く一般に受け入れられることはないと断言できる。この事実は個人的ファンであるわたしとしてもせつないが、今世紀中は無理であろう◆オリジナルな芸はある、しかし残念ながら売れそうにはない、という事なのだ。こうした芸人が10数年芸人を続けていられるのが関西なのである●テントのシングル「わらびもち」8百円也/収録曲:行き先は若者・ころは元禄わらびもち・テントのハウス/問い合わせ先:06-6243-4020.、FALL石原まで。(94/11)

 

大ダヌキ

ミナミの千日前二丁目には身長四メートル近い大ダヌキ様◆自動車修理工場の店先に何故タヌキ? 近所で聞き込んだらじつはこの地の先代は料理屋だったということが判明した◆噂によると、代が替わってもタヌキを絶対壊さないという先代の女将との約束を守った結果、現在もここ立っている由◆昭和三十年代中頃に特注され本場信楽で焼かれた陶器製なんですが風雨にさらされ、一見するとセメント造りに見えてしまうのが残念◆当時の値段で百万円!というからはんぱではない。ちなみに当時は国産大衆車(パブリカ)が三十万円ちょっとで買えた時代◆またNGK(ナンバグランド花月)が近いせいか、女子中高生たちが大きなタマをつつきつつ何やら「願かけ」していることもあるようだが、いったいタヌキの金玉になにをお願いしているのか。偏差値アップでないことだけは確実◆大通りから一本入ったところにあるので探しにくいかも。(96/11)

 

オカルトショップ

大阪にオカルトショップがある。場所はミナミのアメ(リカ)村である。◆アメ村は大阪でも選り抜きの?ヤング?が集結する若者向け?商店街?である。死語を連発してもうしわけないが、何がいま?ナウイ?のかアメ村へ行けばすぐにわかる?タウン?でもある。そのアメ村でオカルトとは解せぬ、ということで我々取材班はアメ村中心のランドマーク、三角公園から南へ二百メートルのテナントビルへと向かったのであった。◆読者情報では、とにかく怪し〜い雰囲気百%の店で、店内は真っ暗。ミイラや頭蓋骨があり、しかもイラストでは、奥には口が耳まで裂け、ツノとキバのある黒いマント姿の男がいるので呪われそうで怖い、という「学校の怪談」な証言でした。◆目的のビルの入り口には赤い看板に小さな張り紙。「本格的オカルトショップ?Territry?悪魔崇拝サタニック系オカルトショップですが一般の方もぜひのぞいて下さい」となかなか控えめな発言。オカルト者によくある暑苦しい主張がないところが好感がもてるが、逆にまた怪しい。「テリトリー=領域」という店名もコワイ◆世紀末という呼び名が史上はじめて発生した百年前、産業技術の進歩とは逆に、その対極にある、神秘主義が流行したという。妖精、幽霊、ポルスターガイストなど霊的存在への傾斜。易、星占い、カード占いなどのブーム。U F O、宇宙人、超能力。オカルト・ブームは社会の激変期には必ずといっていいほどおとずれた。ナチスがオカルトに手を染めていたことは良く知られているし、ベトナム戦争とオカルト精神世界の影響を受けた60年代後半のヒッピーなど。社会の不安がオカルト呼び覚ます、と考える社会学者は多い◆はたして、店の外観は学園祭のお化け屋敷であった。だが、3坪ほどの狭い店内は真っ暗に近い。燭台のロウソクをたよりに店内を観察するがビタミンA 欠乏症なので、急には何があるのか判別できない。噂どおり猫の死体(ミイラ)がある。加えて、生きたコウモリ、大蛇、サソリなど。ケースには上下逆(サタニック)クルス。小さなビン入りの粉や小物類。使用法不明なオドログッズで満タン。しかし、セックスをしらぬ少女が「電動こけし」をおもしろがるようにオカルトグッズの使用法はしらずとも興味は湧く。初心者用のTシャツや定番、髑髏系アクセサリーなどもかなりある◆幼いころからヒーローより悪役、悪魔的なキャラクターが自分には魅力的だったと語るオーナーのY氏(年齢不詳全身黒づくめ )にはツノもキバもなかった。ちなみに、ツノキバ付きの頭蓋骨が店にある◆一応、店の形態をとってはいるが、じつのところこの店はオーナーの部屋なのだそうです。趣味が高じてお店をするひとは多いが、オカルト趣味でオカルトショップするひとも珍しい。若いひとも気軽に来て、ここの雰囲気が気に入れば、商品知識がなくても気楽に買っていってほしい、とオーナーはいうが、並の商品ではないので、なめてかかると一生が台無しになる結果を生むかも知れない。そんな緊張感のある商品を売る店でありました◆店名の「テリトリー」は?領域?。興味のあるひとには気に入ってもらえると思うので、この?領域?に入ってみることを勧めます●オカルトショップ T e r r i t r y/テリトリー 大阪市中央区西心斎橋2-17-9ダウンタウンビル3階・水曜休さる理由で?はつけていないそうです!(96/9)

 

お好みやき

自分自身がいまどこに立脚しているかつねに把握している、ということは重要なことである◆大阪をはなれたとき、ついたその地がいかほど?大阪?なのか判断に迷うと不安である。こうした場合、大阪人は生まれながらに、いくつかの基準となるチェックポイントを用意している◆そのひとつは、そこに「やきそば定食」が存在するか否か、というものである◆やきそば定食とは、お好みやき風味の「やきそば」をおかずに「味噌汁+ごはん」を付随させた大阪独特のお昼の定食である。これが喫茶店メニューにあれば、そこは大阪以外のなにものでもない◆たこやきもそうだが?炭水化物食中心?といわれる関西食のほとんどに網をかぶせるのが「お好みやき」である。屋台の子供向けおやつから始まったものが、いまやフグとキャビアのお好みやきまで存在し貪欲なまでにそのバリエーションを増大しているのである◆ひとの?好み?がモロに反映したものが「お好みやき」なのである。「お好みやき」には人の数だけの「お好みやき」が存在する。(95/12)

 

おこめ

関西のおこめはアブナイ! 今年の米は渇水と台風のダブルパンチ、などというはなしではないので安心せよ。関西で「お」と「め」と「こ」の3つの文字の組み合わせの単語は口にだすとアブナイ。目で読んでもアブナイ。「おこめ」がそれにあてはまるのだ。なぜアブナイかははっきりとは言及しがたいが、アブナイのだから仕方がない。町内の何のへんてつもない米穀店のガラス戸に「全国おこめ券」というシールが貼ってあるだけで関西人はドキドキしてアブナイ。「お・こ・め」を組み替えた三文字単語は関西で育った人間はとても恥ずかしいことがらとしてとらえている。若いおなごなど口にできるものではない。このため関西地区に限って「おこめ」は「お米」と表記するように総理府から通達があり、それを農林水産庁が反対し、また、文部省が大阪府の農協を通じ米屋をやんわり指導したというまことしやかな話もある。しかし、有能な我がスタッフはその証拠というべき写真を入手したのでここに慎んで発表いたします。ここはJA全中のショウルーム「お米ギャラリー心斎橋」である。他の地方では通常「おこめ」と表記するところが全て「お米」になっているのがおわかりでしょうか。普段は気がつかないが関西への言語統制はここまできているのである。

 

■カ行>

外車

バブル崩壊で遊休地が発生し、以前に比べ大阪の都心にも駐車場が増えたのは喜ばしいことだ。しかし、いまだに「外車お断り!」のところが存在し、古くからある私設の駐車場などはほとんど外車禁止といっても過言ではない◆外車ということで、逆輸入車も左ハンドルなら止めてくれない。ミニのような英国製の右ハンドルの小型車でも、外車であるかぎりダメ。か、あるいは、不当な外車料金を徴収されたりする◆でも、パーキングのおっさんが知らない右ハンドルの妙な外車。たとえばイタリアのランチア・アッピア56年型、英国仕様で右ハンドル、なんていう車ならOKの時もある◆まあ我が国には過去、国産車に乗っているひとより外車に乗っているひとの方が、いくぶん人物的にヤヤコシイ系統の人種が多かった歴史、というのもあるから仕方がないところもあるが、それくらいのヤヤコシサがこなせなくて何の国際化じゃ◆何のかんのいっても、それでも大阪の駐車場係のおっさんたちはヤヤコシイことが死ぬほど嫌いなのであった。(96/2)

 

怪人21面相、グリコ犯はワシや!」

川崎ゆきおは「猟奇王」の漫画家である◆だが猟奇的な事をするアブナイ人ではない。グリコ事件の発生時はエビスヨシカズ氏が怪人21面相は川崎ゆきおであると書き、警察に取調べを受けたと聞くが、本人は否定する◆「いっつも昼ごろ起きて近所の喫茶店でアイス・コーヒー飲むねん。ほんまは水でもええねんけど少しは色ついてた方が安心するねんな。そのあと、自転車で近所にある実家でおそい朝食。食事が終わると自転車で国道ぞいの大きな本屋による。大きな本屋は立ち読みにもやさしいねんな。おもにカメラ雑誌、パソコン雑誌、バイク雑誌を中心に立ち読みで攻める。そうそうするうち本屋をでるともう夕方…。警察? グリコ犯? こんなことしてるようなもんに、あんな大それた事件が起こせるか! ケーサツに捕まったんはスピード違反だけじゃ! エベッさん(注:関西ではエビスはエベスに訛る)にはメーワクしとるわ!」●川崎ゆきお:1951年伊丹市に生まれる。1971年、「ガロ」デビュー、単行本12を上梓。マイナーの帝王として関西に君臨。近々「猟奇王大全(仮称)」が出版予定。カメラ、原付バイク、パソコンマニア。■94/10>「GON」第3号.(西の常識#1)

 

外人さん 

現在、関西も国際化の波はおしよせ、『外人さん』もアホ程いてはります◆主筆の自宅の三軒隣にはニュージーランド人の家族がすんでおり、近所にはパキスタン人親子もいます◆こおゆう風になったキッカケというのが25年前の「世界の国からコンニチハ」の合言葉(でいいのだろうか?)でおなじみ、大阪で開催された「万国博覧会」からのコトである◆それ以前は大阪で『外人さん』といえばインド人であった。インドの方々は商人として世界史でも有名な東インド会社の例を出すまでもなく、中国系の華僑と並びワールドワイドにお商売をしていたワケです。特にアジアにありながらインドの方々は偏平な我が国の民とあまりに異なった顔面を持ち、また特殊な趣味嗜を持つので大阪の本町繊維問屋街では国内ではとうていサバケないような、ブッ跳んだデザインの布地を喜んで本国へ送るインド商人を目にすることが多かったわけです◆関西がインド哲学の大きな影響を受けたヒッピー文化の先駆けとなったのも少しは関係があるかもしれません。紅茶喫茶やカレー屋も多いしね◆でも本当は大阪の外人で一番多いのは朝鮮・韓国人なのであった。外から見分けはつかないし、税金も払っているのに彼らに選挙権はないのだった。(95/7)

 

仮設住宅

◆阪神淡路大震災から五百五十日を経過し、復興へまーっしぐら、と思っている全国の方々もたくさん居られるでしょう。が現在、阪神間にある震災仮設住宅は約四万八千戸あり、そこで九万人のひとが暮らしている状況なのです。被害が大規模広範囲だった神戸、芦屋、西宮などの仮設住宅には定期的にマスコミが取材しているようですが、比較して被害が量的に軽微だった、尼崎、宝塚、伊丹、川西、豊中、西淀川(大阪)などは同じ地震による被災者であるのにワリを喰った感があります。今回は、これから大量の首つりでも出ないかぎり取材されることのないマイナーな仮設住宅を中心にまわってみました。あくまで外から見た印象だけのことで、中のことはうかがいしれないのですが、気楽な生活ではないことは容易に想像つく世界でありました◆梅雨時の取材ということもあるが、どこの仮設住宅も暗く、空気が重い。宝塚、川西などは完全な山ン中。まわりには商店などなく、ときどきハイキングの家族連れが迷いこむほど山深い。原付のエンジンが焼きつくほどの急坂を登り切っトコにある◆平地に整然と並んだ伊丹は、神戸や西宮にたくさんある仮設住宅のミニチュア版だが、土地が狭いのでそのぶん圧迫感が強い。宝塚や川西よりは街中だが、やはりヘンピな所にある。しかも前の国道は交通量が多く騒音は半端ではない。いくぶんましだったのは、大阪の西淀川の仮設。区役所のすぐ横という一等地。ここなら一月ぐらい住んでもいいような気がする。でも、ツライだろうな…。(96/8)

 

KAZUHIKO

大阪の中央環状道路を走行するドライバーで「 KAZUHIKO」を知らぬ者はまずいない◆吹田から南茨木に設置された数枚の大看板のなか、同一人物であろうKAZUHIKO氏の人相が店に近づくほど微妙に、しかも不気味に変化していく。渋滞中にこれは効く ◆大阪の看板屋は、リアル物が不得意(映画スターも誰かわからん場合が多い)なのでこうなる。大阪仕事の代表的サンプルである◆謎の「KAZUHIKO」を尋ね、取材班は、その問題の店「Mランド」に突入した。ここまできて、いったいどんな顔なのかこの目で確認しなければ意味がない。だが、軽い気持ちで店内に足をふみいれた我々は茨木をすこし甘くみていたようである。「Mランド」の店内は驚愕が渦巻いていた◆CD、AVテープ、ボウリング、レンタルビデオ、ジグソウパズル、絵はがき、10円コピー、文房具、おもちゃ、写真館、中古車屋、ゲームセンター、まんが・雑誌・文庫・新刊中心の書店、ローソン、たこやき屋台、ビリヤード場、喫茶店、讃岐うどん、ファミコンソフト、テレカ、などが無秩序に一斉に商いされている巨大なメガショップなのであった。広大な敷地内を小一時間かかってチェックしたのであるが、それぞれのショップのレベルはかなり高く立派な専門店群なのである。しかも、営業時間が朝10時〜深夜3時(金土は5時)まで、という完全コンビニ体制にも脱帽した◆残念ながら、目的の「K A Z U H I K O」氏はDJで超多忙らしく、拝見することはできなかった▲この中に二十数店の店舗が存在する●「Mランド」は大阪府茨木市美沢町、阪急「南茨木」から約1キロ、中央環状道路沿い。(96/4)

 

カーネル・サンダースの怨念 

タイガースは呪われた球団である◆85年10月16日(優勝決定日)未明、バースにそっくり(ヒゲで白人という共通点)との理由でファンの群れに胴上げされ、道頓堀に放り込まれたカーネル・サンダースに祟られているのだ。過去、タイガース・ファンはこの呪いを鎮めるため、様々な努力を試みてきた。なかでも影のオーナーと自認するタレント、上岡龍太郎は自らの番組「探偵ナイトスクープ」(大阪朝日放送テレビ)でハイテク機器なども使用し水没した人形の探索をこころみた。だが、透明度10センチ以下という水中に潜ったレポーターは目に雑菌が入り片目を腫らし体調を崩し、ついには番組をおりることになる◆一方、タイガースが優勝できないのはケンタッキーの呪いではなく、別の呪いだとの説もある。新庄、亀山などのスターが生まれ、山田、中込、田村らの活躍で呪いなど消えたようにおもえた91年9月下旬、大阪ではある噂が流れた。千日前の食堂百貨・千日堂の客寄せマスコット「スッポン太郎」が亀山にちなんで胴上げの標的になっているというものだった。しかし、スッポン太郎は元々ホークス・ファンであった。それ以来、スッポン太郎は逆恨んで現在もタイガースを呪っているという。スッポンだけにこの呪いはしつこい。これからも、タイガース・ファンの悩みはつきない●足元のシリンダー鍵に注意!■94/10>「GON」第3号.(西の常識#1)

 

上岡龍太郎

●本書については数年まえから伝聞し密かに期待していた。というのも、その芸人たちに対する記憶力は常人の域をはるかにこえ、細部にいたるまで正確なものである、と聞いていたからである◆この10年ですっかり全国区タレント、しかもゴールデンタイムの住人となってしまった上岡龍太郎の口伝による芸談、戦後芸能史である。発刊当初、かの小林信彦氏が、良書ではあるが内容がローカルすぎて不親切、と評していたのを目にしたが、関西圏のみの読者を相手にしているようにも受け取れる内容は、関西芸人である上岡龍太郎にとって当然のことであろう◆大阪をすべての中心と考える、いわゆる大阪中華思想のスポークスマンとして、そのシンパから絶大なる人気をあつめていた、過去の上岡龍太郎の潔さをかんじる◆何をしても全国区の仕事が大前提となってしまう東京からの批判は、ローカルな感性がもはや存在しえない東京のジレンマかもしれない◆しかしそれは、現在の大阪にあっても同様である●「上岡龍太郎かく語りき」上岡龍太郎著、筑摩書房刊、定価¥1400円。(95/7)

 

関西新空港

も開港1ケ月を経過し、お祭り騒ぎもおちついたようだ。しかし、わたしの周辺には関空(かんくうと呼ぶ)にいった人がいない。ということで、開港初日に関空まで客を乗せたというタクシードライバーにお話をうかがいました。開口一番「やっぱりババ(最下級の罵倒語)ちゃうか?」と、あまり好感をもってはいない様子◆「関空でこっち(タクシー)はあんまりエエ目せえへんのとちゃう? 一回いったら、マ、1万5千円からいくから楽やけどその帰りがなァ。埋め立てた島じゅうワシらの走るとこきーっちり決まってるんでっせ、オモロイことなんかなーんもない。楽しい割り込みもできへん(笑)。そーら、建モンの内はキレイかも知れへんけどワシらに関係おまへんわ。出てくるお客さんらみーんなクタクタに疲れてまっせ。広すぎるんとちがいます? どっちにしろタクシーはあきまへん。電車は(関空列車:JR、南海とある)混んでるそうでんがな」「でも、エエ目ェしたモンもいてまっせ。2日目に神戸からの高速船止りましたやろ。あのとき港におったうちの会社のんがボロ儲けしましたわ。神戸から関空まで3万(円)楽に越えまっせ。3万いうたらアンタ、もう市内をチンタラころがしてる一日分の水揚げです。ま、タクシーもバクチみたいな商売でっさかいな。そーら当たった時は気持ちよろしでェ(笑)」◆千日前のすっぽん太郎(写真参照)も一生懸命応援してることだし、関西新空港もぜひ成功していただきたいものであります。(94/11)

 

救急車の事故

癌で死んでしまう人の数は年間六、七千人、わが国の死亡原因のトップだという◆いっぽう交通事故死は年間一万人。計算上では癌死を抜き交通事故死がぶっちぎりでトップということになる◆死亡にまで至らない交通事故はその百倍、軽い接触までふくめると数千倍にふくれあがるのが当然◆事故があったとき真っ先に駆けつけるはずの救急車が事故っても仕方はないのである。(96/11)

 

キューピット

むかしも今も大阪の夏は暑い◆現在の如く街のいたるところに自販機がなかった20年数年前の大阪では、夏の純喫茶(大阪では酒を出さない喫茶店をこう呼ぶ)で「キューピット」を注文する若者はあとを絶たなかったという◆70年代を代表する喫茶店飲料である「キューピット」とは、大きめのタンブラーにカルピスを下から2センチ程たっぷり注ぎ、それをコカコーラで割り、さらにクラッシャーアイスをぎっしり入れ、レモンの輪切りを一切れ浮かした、甘く冷たい飲みものである◆ちびちび飲むと歯のエナメル質が全部ワヤになりそうな感じがする飲料であり、大阪歯科医師会からのクレームがついたのか、90年頃までには大阪市内全域の喫茶店メニューから消滅したといわれている◆現在、「キューピット」は京都府東部、奈良県南部、滋賀全域、兵庫県北部、和歌山県南部などのマニアックな喫茶店で愛飲されておるとの情報もある◆また、寝屋川市内の某喫茶ラウンジでは、「キューピット」を「ドラゴンボール」と名づけ評判になっている、とも聞くが未確認である。(95/9)

 

近畿地方 

「近畿」というのは、律令制時代、畿内(奈良の都を中心にした地域)に近い地方、という意味からうまれた。もっとも、当時の近畿地方は現在の中部地方(三重県以東)のことで、現在のように、京都、大阪、兵庫、奈良、滋賀、三重、和歌山の2府4県を近畿地方と呼ぶようになったのは、明治の廃藩置県以降のことである。ところがここ数年、近畿地方はみずからを「近畿」と呼ぶのを避けているフシがある◆それは、急速に国際化がすすんだことで当然のように外国語研究が深まり、英語のスラングでいう「 K I N K I 」には「キチガイ、根性ワル、へそまがり」という意味があることがバレたからです。英語圏のひとにとって「近畿地方」は「気が狂った地方」という本質を見抜いたスルドイ意味が含まれてしまうのであった。余談だが、文化的にも経済圏もどう考えても中部地方としか考えられない三重県が近畿に入っていることは解せない。正式社名が「近畿日本鉄道」である近鉄の政治的陰謀説(大阪〜伊勢志摩間がドル箱)はあながち嘘とはいえない。気になりません?

 

キンキラ

大阪のネーちゃんファッションといえばヒカリモノ派手派手ボディコン水商売風イケイケファッション、ときまっていたようなもんだった。がしかし、バブル崩壊がシブチンの大阪人のサイフをしめ、全盛時の目をあけていられないほど金銀ラメちりばめたキンキラ派手なネーちゃんたちのパワーは落ちている◆とはいっても、急に大阪のネーちゃんたちがジミになったわけではなく、身につけるモノのうちのひとつにはヒカリモノがからんでいると見ていい◆目立つか否か、というのが大阪のネーちゃんたちのファッションを選ぶ基準はゆるがず、未だ洗練を指向する兆しはない。結局、たどりついたのは1点豪華主義というわけで、どこで買ってくるのか不思議なおもいにかられるようなとりわけ派手な靴をはいている娘を街でよく見かける。靴は派手だ、と認めざるを得ない◆実は、全国的にメージされる派手な大阪ファッションは、元をただせば神戸ファッションにいきつく、と大阪では信じられている。古来より、江戸の着きだおれ、浪速の喰いだおれ、というように、神戸の履きだおれ、という言葉もある。神戸のお金持ちの若奥様などは、上品なフレンチファッションに身をつつみ、イタリアンブランドのチョッとだけ派手なシューズをお召しになっていたものでした。それを、大阪南部の根っからヤンキーがしみついたネーちゃんたちが、バブルをバックに神戸の金持ち風のファッションの真似をこころみてみたのだが、一時暴走族の改造車で流行ったタケヤリ、デッパと同じようにエスカレートしていき、元の神戸ファッションのキラッと光る上品な金持ちファッションとは似ても似つかぬ、とにかく光れば派手で目立つ、というパチンコ屋のカンバンのごときグロテスクなモノになってしまったのである。(95/1)

 

金龍ラーメン

の周辺道路はつねに混雑気味でまったくもって歩きにくい◆私は決してグルメではないのだが。各種マスコミを通じてくりかえし流される、ラーメン情報は気にかかっていた。このラーメン屋の客は以前からクセが悪く、御堂筋の歩道に面した店前は人だかりがしているだけでなく、その人だかりがみんなラーメン鉢を持ち、そこらじゅうウンコ座りなどしながら、かって気ままに食べている。伝え聞く戦後闇市はかくあるべく、の思いがつのる。そこまで気になるなら食べにいけば良いのだが話はそう簡単ではない。ココの前をとおるときは必ずといっていいほどハラがくちいているのだ。今日は食うぞ、の決意で歩きだすのだが、うどん、カレー、メンチカツ、お好みやき、オムライス、くしかつ、などなど、ラーメン以外にもたくさんの「うまいモン屋」があるのでついそちらに入ってしまうのだ。うまいもんだらけの大阪にも困ったもんだ。(94/11)

 

くいだおれ

例のとんがり帽子のチンドン人形(正式名「くいだおれ太郎」)が、オーストラリアの博覧会に出展された、と聞いたので道頓堀に出かけてみた(94年)。というのも、以前、同じ道頓堀の巨大なカニの看板で全国的に有名な「かに道楽」のカニが新幹線にのって温泉へでかけるというCMがあり、その放映期間中、店では看板のカニを修理し(そのちょっと前に巨大なカニの足が何本か落ちて通行人が大ケガした事件があった)消えた壁面には、長いあいだ働いたのでちょっと温泉へつかって骨休みしてきます、とかのちょっとシャレがきいたカニの手紙があったのをおもいだしたのだ。その後、近所の「えび道楽」の巨大なくるまえび(「えび道楽」の看板)が故障したときも、えびの腹に白いおおきな玉をたくさんかかえさせ、卵がかえるまで動きません、というようなことをしていた。だから今回の「くいだおれ」も同じ町内だし今度はどんなシャレ利かすかなぁ、と期待ワクワクで見にきたら、太郎がおるやないの。聞くと人形は調子が悪いとき用にスペアが何体もあるそうで、どうもならん◆倉庫にあの人形が何体も並んでるのは不気味な光景だ。最近は観光客の記念写真アイドルとして大人気であるから、まあ、しゃあないことかも知らんが、大阪人なら、ちょっとは芸してほしかったね。思ったとおりつまらん店だ◆帰りに、御堂筋を渡り道頓堀西ヅメにある料理屋「北海丸」をみにいった。ここは建物全体が帆かけ船仕立になっている度肝をぬくスゴイ建築である。街路樹の陰になっているのがかなり残念。カニをみたあとはこっちもチェック。「かに道楽」のチェーン店です。やっぱりね。

 

グリコ

●ミナミの道頓堀に存在する巨大なバンザイしたランニングのおっさんマークのネオンで「グリコ」は大阪の顔として知られています。しかし、その社名の所以となったキャラメルをいまどきの「お子たち」は忘れてしまっている◆料金に組み込まれているとはいえ、ぼっちゃん刈りのあと貰えるグリコがあるからこそ、いやな散髪屋にもかよった経験をもつものとしては心が痛む、残念な気持ちでいっぱいである◆大正11年、佐賀出身の江崎利一によって創製された「グリコ」は有明海の牡蛎の煮汁から抽出した栄養素グリコーゲン、今でいうところのカキ肉エキス入り健康キャラメル、として人気を集め、その「おまけのオモチャ」と共に一世を風靡したのである。カロリーメイトなんぞ食すより、一粒300メートル!も走れるグリコを食べましょうね。時効になった怪人21面相さんも、おなじ意見だとおもう。※98年グリコは復帰しています

 

月刊タイガース

タイガースは弱い。ま、弱いといっても/Jリーグのパープルサンガ(現時点で全てのチームと対戦し15連敗の最下位)よりはマシ。とはいえ結果的には同じ最下位である。こうしたつらい経験を積み重ねると、ふつう人格が分裂したりするのだが、もともとどこかしら崩壊した人々によって組織されている阪神ファンの場合は自己満足へと向かうのである。すなわちオタク化するのである◆試合内容をウンヌンカンヌンできない代償行為として、選手のとるにたらない些細な情報集収に常日頃から励むのである◆肩をこわし2年間試合にでていない中込投手が西宮の鳴尾で毎夜、とあるコンビニに出没し焼き肉弁当を2人前チンしてもらっては帰る。といった野球とまったく関係にない情報を友人から集めては悦にいるのであった◆プロ野球界で最初に球団が発行した雑誌「月刊タイガース」を読んでも些細なことは載ってません。あしからず●月刊タイガース/(株)阪神タイガース発行、定価三六○円 (96/7)

 

高射砲台」

◆淡路に「高射砲台に住むひとがいる」と小耳にはさみ、見学してまいりました◆淡路というとですね、阪神間のみなさん、特に神戸に近い方々は大阪湾に浮かぶ淡路島を連想しますが、大阪の淡路は市内北部、淀川を渡った東淀川区にある淡路のことで、大阪市内をニューヨークとするとニュージャージーにあたるディープな場所になります◆阪急淡路駅をイズミヤ方面に出て商店街をぬけ、新幹線の高架をくぐった住宅密集地に、一見現代建築家の作品にも見えるコンクリ打ちっぱなしの高射砲台はありました◆最初は、まわりの家に紛れて1ケしか発見できなかったのですが、よく見ると3ケもあり。近所のじいさんに聞いたところ、戦後のドサクサで高射砲を撤去したあと、砲台と隣接していた陸軍兵舎にバラックを建て増しし住み着いたのではないか?(あくまでじじいの推測)。というわけらしいのです。現在、1ケは空き家、1ケは駐車場、あとの1ケにひとが住んでいるようです。直径約10メートル、八角形の巨大な鉄筋コンクリート製中華テーブルの下での暮らしぶりを拝見したかったのでありますが、見渡したところ、その場所は国道計画用地らしく、もしもややこしいおっさん(関西は各種ややこし系が多彩)が出てきたら、ということで帰ってきたのでした◆後の調べで、この高射砲台は旧帝国陸軍八八式高射砲、当地には合計5ケ設置してあったことが判明。1ケは壊されてマンション、1ケは近所の鉄筋工場のなかにそのままで存在しちゃんと保存(ただし隔壁は破壊)されています◆旧帝国陸軍マニアにはたまらん物件でした。(95/8)

 

公衆便所

食事中にウンコなどの話題を切り出すと常識を疑われる◆SMは好きでも、ウンコ食ったりするスカトロをいやがるひとは多い。普段はウンコの話題でもりあがったりするのに、何故だ◆また、カレーを食べたあとにすぐ下痢するひとは多いが、下痢便のあとに平気でカレーをバクバク食べるひとはデリカシーがないように思う◆さらに、小便しながらビールを飲むぐらいは出来そうでも、大便をブリブリこきながらカレーは食えそうにない◆さて、大阪の梅田地下街(ホワイティ梅田)には公衆便所にとなり合わせたカレーショップ「P」が存在する。どこに存在しようが法に触れない限り勝手なのだが、便所の横のカレー屋はあんまりだ◆いつも混んでいるので相当うまいカレーなのであろうが入店したことはない◆おとなりには数年前、汗ダクのギリギリ状況で入場したことがあるが、壁を隔てたところでカレーを食べているのを想像して、申しわけなかったことを記憶している◆どーでもいいことであるが、その便は水気の多い北部インド風であった。食事中のひとスマン。(95/10)

 

神戸

◆当初、完全復旧までには少なく見積って数年かかる、などともいわれていた神戸の各種交通機関ではあったが、最も復旧がおくれていた六甲ライナーも去る8月25日に再開し、あとは派手に落下崩壊した阪神高速神戸線の高架数キロを残すのみとなった。町並みも表通りの派手な倒壊ビルなどはほとんど撤去され、ただの空き地ないしは駐車場になっている◆しかし、まめに裏通りを歩けばマダマダこの世のものとはおもえない物件は多数残存している。見ておいて損はないので、これを機会にぜひ神戸を?経験?していただきたい。その場合、震災直後のルートで神戸入りするのをオススメしたい◆まず、JR「大阪」から福知山線で「三田」まで行き、そこで神戸電鉄に乗り換え「新三田」から「板宿」に到着。神戸入りしたあとはすべて徒歩。これが六甲北まわり迂回ルートです。もっと臨場感に凝りたいマニアには、大阪港から漁船をチャーターして海上ルート、という手もある●写真は現在の神戸市役所新館ビル。肉眼では確認不可能だが、いまも0.5度程山側に傾斜しているらしい。(95/12)

 

神戸の節分

昨年は大震災でそれどころではなかった関西の節分であったが、今年こそは「福は内」の願いをこめ、各地で豆まきがとりおこなわれた◆宝塚市の中山寺は本堂以下十数棟が被害を受けた全滅状態のなか、宝塚歌劇団のきれいどころを福娘に五千(当局発表一万)人を集めた◆また、拝殿が全壊したことで名高い神戸市の生田神社は「震災復興節分祭」と銘うち派手な節分をぶちかました。特別福娘として世界の歌姫シンディ・ローパーまでが参加するということで、ひと目見ようという参拝者で混乱をきわめた。群衆は境内に入れず周辺で騒ぐ若人らも含め一万数千(生田警察署発表では三千)人を数え、生田神社の豆まきは開始後2分で終了した。

 

神戸の本 

「大変ご心配をおかけしましたがとりあえず僕は元気です。1月28日の時点でまだ電話が通じておらず(略)。それなら「トオリヌケ・キ」をいつも通り作って(略)」◆手書きコピーのミニコミペーパー「トオリヌケ・キ」が地震から2週間目に届いた。これは私にとって神戸からの、久々の喜ぶべき便りだった◆発行者の中村よおさんは神戸に生まれ、神戸に住むシンガーソングライターである。流通業界誌の大阪支社長という肩書きを持ちながら自主レコードを制作し、エッセイ集「バー70’sで乾杯」を上梓し、最近は小説も書きはじめる、といわば「動いている」ひとです。私のようなおっさんにとっては「期待の星」なのである◆手紙が届いた夜、遠い余震に脅えながらよおさんの本を読み返し、多くの思い出深い建物は失われてしまったが、まだ神戸という街全部がなくなってしまったわけではないということを少し確信したのでした●「バー70’sで乾杯/失われた夢スポットの記録」中村よお著、ビレッジプレス刊、¥1480円(95/4)

 

五階百貨店

は謎のデパートとして知られている◆百貨店というだけあり、生もの以外はだいたいある。家庭用品、工具、スポーツ用品などが新品、中古、質流れ、分け隔てなく並べられている。問題はその年式であろう◆プラスチック製品が極端に少ないことからわかるように、ここはまだ昭和三十年代なのだ。今や日本橋は東の秋葉原と並ぶ西日本のデジタルのメッカである。疑問をもつひとは多い◆また、平屋なのに五階というのを怪しくおもうひともたくさん存在する。これは過去、近所の五階立ての展望台があったことによるに単なる地名である◆いまどき珍しい、謎めいた心ときめく大阪を代表する百貨店である。でも店番のおっさんおばはんらはちょっとコワイで。(94/11)

 

■サ行>

雑誌

大阪は雑誌不毛の地とよばれる。94年の夏、そのろくなもんが育たない不毛の地、から季刊誌「雲遊天下」が発刊され、現在で3号目になる◆不毛とよばれる根拠のひとつは、いのちより大事な現金をそんな儲からんことに使いたくはない、という大阪人の現実的な経済事情もある。また、東京へのメディア一極集中化、というのもあるかもしれない。そんな時代に、そんな大阪で創刊された雑誌だが、そんなことを意識させないアナクロな雑誌のつくりになっている◆どんな内容か知りたいひとは、すぐ06・338・8355、ビレッジプレスの村元、まで電話しなさい。やさしい大阪弁で応対してくれるでしょう。全国の書店で一応購入できるシステムにはなってはいるが、大書店か少しクセのある書店(具体的には表現しずらい)にしかおいてないので定期購読を薦めます●「雲遊天下(うんゆうてんが)」定価:700円(創刊号は680円) (95/1)

 

サンテレビ

はナカナカ根性のあるテレビ局だ。神戸というエキゾチックタウンの U H F 局でありながら、そのイメージは田舎クサイ。今年の4月26日夜、名古屋空港では中華航空の旅客機が墜落炎上し各テレビ局は特番で大騒ぎしていた。サンテレビは何と偶然にも火曜洋画劇場「墜落大空港」というそのものズバリな B 級映画を予定どおり放映していた。エライぞ、サンテレビ! 余談だが、サンテレビの野球中継は、日本で一番フライ球を追うのがうまいことでも知られている。(94/11)

サンテレビ再び

地域密着地震報道という極限状態のさなかで、そのローカルに徹した放送姿勢への評価が全国的にもぐんと高まった神戸サンテレビであるが、やはり並みのテレビ局ではなかった。昼間のみ通常の番組に切り替わって間もない1月23日午後1時から放送した再放送の時代劇ドラマ「大奥」は恐るべきボーンヘッド。江戸が大地震にみまわれ、大火災になった下町を逃げまどう町民たちのアップから始まるこのドラマ、いくら時代劇とはいえ地震6日目ではまだキツイんではないかいな。直接クレームの出そうな被災中心地の方々にはライフラインがなくテレビどころではなかったのだろうが、すこしも話題にならなかったのが不思議である。また、地震2週間後からは地震以前の古いCMも放送され始め、三宮の全壊したであろうビルのカラオケスナックや、焼けてしまったのではと疑問を抱かせる長田の焼き肉屋のCMなどの連続ワザは、見ている方がヒヤヒヤするのである。(95/4)

 

じじい

◆この老人はまっ昼間、兵庫県川西市の県道(交通量はそこそこ多い)のセンターライン上にたおれた自転車と共にヘタリこんでいた。聞くと、自分でコケたという◆見通しのよい道路ではあるが明らかに危険なため自転車を脇に寄せ、腰の抜けたじいさんをガードレールまで運んだ。大阪阿部野の昭和町から奈良の生駒へ向かう途中だという。これは謎である。地方のかたは一万分の一程度の地図を見ていただきたい。いくら方向音痴でも、大阪市内から奈良へ向かうのに兵庫県内は通過しない◆ひとなつっこい笑顔とはうらはらにじじいの自我は崩壊しているようであった。さらに、衣服の各所にはかなり血が滲んでおり、数台の車に当てられたような気配もある。自転車の荷物もよくみると野宿用具一式である。どう考えても単なる自転車ツーリングとは思えない謎のじじいでした。(96/8)

 

地震

◆「地震のコト聞くの? いややなあ。うん、うち(自宅)のマンションは大丈夫やったけど、近所の10階建てのマンションの壁にアミダクジみたいなヒビ割れができとってコワイ。揺れてから2週間ほど、ほとんど避難所とマンションの往復しかしてない。だいたいは家でボーッしてる。寝ながらテレビ見てるとか…。ほとんどベッドで寝てた。妹(小学生)がときどきテレビゲームのシムシティとかしとんのがコワかったわ。建てたり壊したり。しかもそこの名前神戸にしとんねん(笑)。ゲームやけど、あんまりやわ。はじめて三宮が全部コワレとんのを自分の目で見たときはホンマにショックやった。ぜんぜん信じられへん。(自宅のある)元町まで歩いてきてホッとした。何で元町だけ大丈夫やったんやろ。救援物資? 韓国からのカンズメとか、開けたら中がトンガラシで真っ赤っ赤で、それからあのカンパンとかも、悪いけど食べられへんかった。わたし三宮の居酒屋でバイトしてたんやけど、バイト料はどうなんねやろ…、もらえるんやろか。ホンマにコワイわ。」◆地震20日後の大阪駅前で、JR元町駅北側の自宅まで帰るという19才の学生さんに、お話をうかがいました。(95/4)

 

じつわ

去年の暮れ、「関西じつわ」という冗談のようなネーミングの雑誌が発売された。「フライデー」と同じ判型、値段、と三流大衆グラフ誌を臭わすが、「実話」と名付けたアナクロなセンスにウソはなく、中身は関西ローカルな社会風俗ネタのオンパレード。手元にある第2号では、オウム逃亡犯、菊池直子の青春ショット!という卒業アルバムから思いきり拡大しすぎて判別不能になった写真が掲載されている◆ここには爆弾娘の出身地が大阪、という内容しかない。しかし、これこそが大阪なのだ。全国を騒がした大犯罪者と大阪との関わり、それが意味を持つ。スカみたいな雑誌だが、東京発のパワフル雑誌群にはない脱力感、お手軽感覚、また何より重要なローカリズムを評価すべきだ。

●関西じつわ/日本ジャーナル出版発行・発売、定価280円、毎月第2第4月曜発売。(97/2)

 

十三

地名の「十三(じゅうそう)」は、淀川の十三番目の「渡し」があったことからそう呼ばれるようになったという大阪でも有数の歴史あるふるい繁華街である◆駅周辺の広い通りにはキャバレー、アルサロ、ストリップ、連れ込みホテルが軒を連ね、下半身の充血をもてあました男性がヌキにいく、大阪屈指のフーゾク地帯として知られていた◆また、阪急十三駅は大阪から神戸、宝塚、京都と扇のようにひろがる阪急沿線のかなめに位置し、神戸線の上りホームには立ち食いの「阪急そば」(95年いっぱいは改装中)があることでも知られている。駅の立ち食いそばの元祖的存在で、万博(1970年)のころ一日六千食の売上を記録したこともある、十三駅の名物でもある◆フーゾクとそば以外にも十三の名物はある。広域暴力団山口組三代目組長、故田岡一雄氏の好物であった「喜八州」の酒饅頭◆さらに、広域和食チェーン店「がんこ寿司」発祥の地としても知られる◆駅から5分のお好みやき「やまもと」はネギ(あさつき)のみじん切りがドバッと大量に混入されたのネギ焼きで大阪グルメに有名。(96/1)

 

商店街

地方人が大阪人を理解するには商店街が一番てっとり早く、しかも喜んでいただける。おしなべて大阪の商店街というものは、さまざまなお店が連なり、ただ商品を雑にならべて販売しているだけ、というものではない場合がおおいからです◆大阪の商店街は一般のデパートやスーパーと異なり、ただ買い物だけをする場所ではなく、ひとびとが買い物をする風景を観察する空間でもあるからです。しかも、大阪人である店主の強いワガママやアク、あるいは個人的な事情が、店がまえや品揃えに圧縮状態で表現されていたりするからおもしろいのであります。

 

新梅田歩道橋

松下幸之助といえば天下の松下電器産業、世界のナショナルの創始者で、存命中は、大阪城の主、豊臣秀吉になぞらえ「今太閤」とも呼ばれていた大阪を代表するお金持ちであった◆JR「大阪駅」前から阪急、阪神の両デパートにいたる「新梅田大歩道橋」は松下さんの寄付で建設されたという話だ。大阪人はがめつく、シブチン、いわゆるケチ、で通っていますが松下さん(大阪では知らない人でも好意を持つ有名人は知り合いと考え、さん付けになる)に限ってはあてはまらないわけですな。当時の金で2千万とも2億ともいわれています(どっちや?)。JR側にはエスカレーターも付いてます。バカみたい。(95/10)

 

震災

累計死者数、6348人(96年1月16日付けの数値、以下同)。全半壊家屋、42万世帯。避難所生活者数、31万9638人(95年1月23日)。仮設住宅数、4万8千戸。仮設住宅居住者数、約9万人。疎開児童数、2万4890人(95年2月4日)。停電家屋数、約100万戸。ガス使用不可家屋数、約84万5千戸。断水家屋数:約127万戸。倒壊家屋解体処理数、113235棟(マンションも含む)。総義援金集計、約1773億円(96年11月末現在)。震災国家予算、3兆6千億円。といえば阪神淡路大震災である◆本誌発売予定日(97年1月17日)は、あの大震災からちょうど2年になる。たぶん各種マスコミでギャンギャン報道されている真っ最中だろうが、改めて読むとどのデータもすんごい数量である◆主筆は兵庫県南東部、阪神間のチベットといわれる川西市の山間部に住み、大阪市内の中央区博労町、大阪商人のメッカ船場のはずれにある築後30余年鉄骨モルタルのぼろいビルの3階へ通っている◆拙宅で震災当日も電気は使えたのだが、ガス水道の復旧には数週間かかった。しかも、自宅上空が緊急のヘリ航路になり、バババババッと昼夜問わずの地獄の黙示録状態であった。でもマシなほうだった◆地震のつぎの日、休めない仕事があったので大阪へ。キタのターミナル梅田周辺は、黒く汚れた肌と疲れた表情の家族であふれていた。特大リュックを背負い、両手に飲料水のビン1ダースを下げた老人が階段をよろけながら降りている。手を貸すと老人はいきなり泣きだした。御堂筋に面したビルでは1階の大きなガラスが割れたのか、早くも入れ替え工事をしている◆地震のつぎのつぎの日も仕事は休めない。大阪市内から車で茨木市へ向かう。交通量は普段と変わらないが心なしか周りのみんながイライラした運転である。新御堂筋を北へ、中央環状線の合流で大渋滞まったく動かない。京都、滋賀などの近県消防隊、遠く静岡の消防団車両も。救援物資を運んだ帰りなのか大型車両も多く、ほとんどのドライバーは眠りこけている。1キロ進むのに約1時間経過。目的地までは10数キロ、あきらめて市内へもどる◆5日目、落ちつくまで来るな、といわれていた神戸元町の妻の実家へ向かう。電車はないが臨時バスが運行しているはず。バス発着場所の阪急西宮北口駅周辺はさながら闇市状態。大阪ならタダで配られているテレクラのティッシュが百円、ラジオ付き懐中電灯8千円、レンタサイクル24時間で二万八千円。すべての風景が刺さる。バスの待ち時間は5時間……◆などなど、直接被害がほとんどないに等しい主筆の個人的震災実体験のあれこれ。つい昨日のようだが、もう細かいところは忘れてしまっている◆先日、全面開通(96年10月)した阪神高速道路神戸線を走行してみた。派手に倒壊した高架道路である。手抜き工事の証拠隠滅か恐るべき速さで解体され、新規に建設された橋脚は優に以前の三倍の太さがある。継ぎ足しされた道路の感想は?ひどく揺れる?道路であった。既設の部分から新設部に入ると目をつぶっていても判るほど道路が揺れる。耐震設計を取り入れた構造なので多少は揺れるようになっているのだろうが、恐ろしい道路である◆いっぽう、壊れたままの物件は数知れない。市民のこころ、行政との信頼関係方面の復興には数百年かかるといわれている。また、権利関係が複雑なのか1階のパーキングが潰れ高級外車が挟まったまんま放ったらかしというマンションがあり、崩れ落ちた岸壁を見ながら愛を語れるメリケン波止場があり、まだまだ風景としてもアブナイのはそこかしこに存在します。

 

新世界

◆いま現在、大阪で一番活気がある街は「新世界」である◆南側の「あいりん地区(旧釜ケ崎)」に住む国内最大規模の未組織労働者たち、俗にいう「あんこ(人夫)」の日当が、皮肉なことではあるが、阪神大震災の影響でうなぎのぼりに上昇し、戦後未曾有の好景気となっているのである。去年の暮れにはガラガラだった通天閣もジャンジャン横丁もひとであふれている。でも、再開発だけはやめてほしいネ。(95/8)

 

新地下街

北区のJR大阪駅前に10月12日、ダイヤモンド地下街「ディアモール大阪」がオープンした◆駅前地区は、敗戦後いちはやく闇市化し、バラックの商店が立ち並んだ場所でもある。そうした地上のゴタゴタが地下へ持ち込まれたように、梅田の地下街は悪名が高い◆一九六三年に梅田地下センター(第一期、現ホワイティうめだ)が完成し、以後中ノ島、堂島地下街と迷路のように繋がっていった地下街は、地下鉄、JR、阪急の地下連絡通路としても利用されている。ラッシュ時の人通りは大阪随一といわれ、方向オンチの旅行者など人混みに流されたら最後、目的の場所にはたどりつけない◆また、周辺のほとんどのビルがそれぞれに地下街を持ち案内板もバラバラ表示。これも迷路化をすすめる原凶にもなっている◆今回オープンした新地下街は天井も高く圧迫感は少なく、フロアーにもゆるい傾斜が設けてあり歩きやすい。しかも、地上が見える明るく大きな広場などもあるので、ショップもシャレてみえる。だが、新地下街が素晴らしい分、既存の地下街との落差が大きくなり、旧地下街のスラム化の進行は早まることになる◆これからの10年が楽しみだ。(95/12)

 

S野邸

◆住専問題で世間を騒がせているお宅です。家宅捜索があったのでニュース画面でこの千里ニュータウン内でも屈指の豪邸を見たひとも多いだろう。主筆は以前、ここのご主人に間接的にだが、てっちりをたらふく喰わしていただいたことがあり個人的には悪感情はないが、社員の所得税未納をはじめ、資産隠し、巨額な脱税容疑など社会的に罪は重い。表札の下にNHKのシールが貼付されており、少なくとも受信料を1回は支払ってるようだが、未確認。(96/7)

 

スカタン

球団創立60周年の95年シーズン。早くも盆明けで60敗してしまい、さっぱりワヤな阪神タイガースであった。さて、シーズンまっただ中の7月24日、阪神タイガースの監督を5年9ケ月にわたって務めてきた中村勝広(46)氏が辞任した。報道によると辞任の直接の原因は、7月17日、在阪各スポーツ紙を騒がせた阪神九万(くま)オーナーの「中村はスカタン!」発言であるという。関東は千葉出身の中村氏はこの発言に激怒し、球団との信頼関係をなくし、ついには辞任に至ったというわけである。「スカタン」という軽いマイナスイメージの大阪ことばを、ひどく重要に受けとめたわけですね。軽〜く「スカタン」といわれて真剣に激怒するような人物が在阪の球団の監督をしていたこと自体、根本的に無理があったともいえる。こうゆうのを大阪では「スカタン聞く」といい、軽くいなされるのである●スカタン→反対。失敗。当てのはずれたこと。「タン」はまったく意味のない接尾語。「スカ」は「透(すき)」すなわち、空虚なこと。からっぽ。当てはずれ。ヘマなどの意。

 

ストーンサークル

●テレビのニュース報道が阪神大震災からオウムに替わりだしたころ、大阪市内で頻繁に奇妙なストーンサークルが発見されるようになった◆そのストーンサークルは3月末、北区プラザホテル南側の歩道で最初に発見されたと聞く。その後、大阪市北区大淀(旧大淀区)全域まで拡がりをみせ、確認されたストーンサークルは数百にも及ぶといわれている◆ひとつひとつは、道路に設置されたコンクリート製電柱の根元に小石や砂利を数センチの幅でドーナツ状に並べたものであるが、その数の多さに圧倒される。主に電柱にあるのだが、ときたま交通標識のポールなどにも為されている。また、街路樹など植物の根元にはないことも何らかの意志を感じさせる◆ストーンサークルのある地域は南北1キロ東西0.5キロ四方にもなり、子供のいたずらにしては規模が大きく、しかもその作業が整っていることから、死ぬほどヒマなご老人たちの仕業ともおもったが、作法に統一感があることで謎を呼ぶ◆まったく気がつかないひともいるほど、それとなく存在るところから、現代芸術・ミニマルアート説もあったが、不思議は深まるばかりであった◆しかしついに、あるストーンサークルの補修をしていた中年の女性に遭遇することができた◆聞くところによると、「地震よけのまじない」で「宇宙人から世界統一のため指令が下った」ので「妨害を受けながらひとりで作業」している、とコワレタお答えでした◆残念ながら、やっぱり流行りのオカルト者の仕業であった。(95/7)

 

住吉大社

住吉大社は古くから「住吉っさん」と呼ばれ大阪で一番親しまれている神社である◆広大な境内いっぱいに数百の露天が迷路のように並ぶさまは、さながらアナーキーな仮設アミューズメント・パークである◆露店の規模では日本屈指のものであり、ディープ物マニア、見せ物小屋フリークには欠かすことのできない必見のポイントとして全国にとどろいている◆正月三が日の初詣が有名であるが、毎年7月31、8月1日の「住吉夏祭り」にも露店が出るのも見逃せない▲住吉大社の神馬。二十円でエサを授けることができる。気が荒いので噛まれたり、ぼやぼやしてると涎をベットリつけられたりするがたてがみで素早くふきましょう。吉兆です。

 

スモカ

ここ数年、西欧先進国でのタバコアレルギーはすざまじい勢いで、紙巻きタバコは今世紀中には製造も販売も中止されようという◆中途半端な外国カブレが多く存在する我が国もまた、喫煙者の全体数は減少傾向にある◆しかし、非合法とはいえドラッグやりたい放題のアチャラさんと異なり、アルコールと喫煙(ニコチン吸引)ぐらいしかお手軽な合法ドラッグのない、つまらない国なのであるからして、タバコぐらいは好きに喫わして欲しい。しかも、問題になっているのはニコチンではなく発ガン物質のタール(ヤニ)でしょ。我が国には?スモカ?があるのを知らないナ◆片岡敏郎(戦前に活躍した広告文案家)の宣伝で有名なスモカは、80年前に大阪で生まれた愛煙家用のヤニ取り専門粉歯磨き。とっくに消滅したと思ってるひとも多いが、現在も大阪市西淀川区で生産中です◆レトロモダンです。(96/8)

 

戦争

大阪市は第一次世界大戦後に著しく発展を遂げ、経済の実力では首都である東京と二分する中心的な都市となった◆その人口も昭和15年の国勢調査においては325万人(注・現在は215万前後から減少の傾向にある)を突破する勢いであった。しかし、第二次世界大戦の勃発により、その産業の中核であった軽工業、中小商工業は軍需産業に転換を余儀なくされ、それまでの市勢は大きく阻害されてしまうことになる◆さらに戦争末期、たび重なる空襲爆撃により市全域の27%、31万戸を超える焼失家屋をだしてしまうことになる。ついには昭和20年夏、広島、長崎に相次いで投下された原子爆弾により我が国はポツダム宣言を受諾し、無条件降伏にいたった◆終戦直後の大阪市の人口は110万を切り、たったの5年間で人口は3分の1になってしまったのである。…黙祷…●50年たち、戦没者の碑や平和祈願の像を気にとめる人は少ない。写真は昭和25年5月に建立された「平和モニュメント像」。ミナミのヒッカケ橋として有名な「戎橋(えびすばし)」のたもとにある裸体像が平和祈願であることを知るひとはすくない。(95/9)

 

千林(と今市)商店街

京阪「千林」駅前の「千林商店街」は、過去はどうあれ現在最強の商店街である◆「ダイエー」発祥の地でもあるこの千林は、大阪市内で一番物価がヤスイことでしられています。手元のいささか古い資料には、大阪市全体の平均物価を一○○とすると、千林は八八・六で堂々金メダルです。二位以下には、九条、上新庄、三軒家、放出とディープどころが続きます◆また、アーケードがつながっているとなりの「今市商店街」や周辺の小さな商店もあわせると総店舗数約四○○を超えるとてつもない規模の商店街です。ほとんどの店がまだ元気に現役、というのもスゴイ。また、風俗っぽい店が見あたらないのなかなかの見識◆今市商店街のたこやき屋「ふみ」は値段もヤスイ(4コで一○○円)が、その味には感動。カリッと香ばしい表面、クリーミーな中身と大ダコ。ソースなしでいただくのが通。大阪でトップクラスの店。

 

そねざきけいさつ

大阪に限ったことではなく全国規模でのことかもしれないのである◆ここ数年、豪華ホテルのよう改築されていく大阪の警察署のカンバンが「ひらがな表示」になっているのが気にかかる◆大阪の警察は過去に何度も不祥事を繰り返してきたことを深く反省し、市民に愛される警察を願い、平易な表示にしたのであろうか◆何かウラがありそうで、気になる◆誰か根性のあるひと、問い合わせてくれまへんか。(95/10)

 

■タ行>

タイガース

●例年のことではあるが、オープン戦であれだけ戦った阪神タイガースがなかなか勝てない。弱い。5月中旬の時点で、たったの11勝しかしていない。球団創立60周年を記念して地元のUHF局「サンテレビ」では、タイガースが60勝するのは何月何日?などというクイズをしているが、正解は来年のゴールデンウィークのような気がするタイガースファンは多い●写真は大阪府池田市の熱狂的タイガースファンの米屋さんの配達トラックです。トラ縞塗装は特注でン十万円也!。カラーでお見せできないのが残念!(95/7)

 

大正区沖縄村

大正区が沖縄なんです。いきなり不条理でスンマセン◆大阪市の大正区は沖縄県人、いわゆるウチナンチュが多く移り住んでいる場所なのだ、といいたいわけです◆旧淀川の河口部分のあたる土地なので、高い防潮堤に囲まれた区全体が橋でのみ、他の地域とつながっているという、大阪市の中に「沖縄本島」がポッカリ浮かんでいるようなもんなのです◆映画「ブラックレイン」のロケ地にもなった巨大なループ橋「千本松大橋」や、運河をわたる渡船、いわゆる「渡し舟」が未だに存在するのもシブイが、ここには沖縄物産、沖縄料理、民謡酒場などの店が点在し、地元の人達の社交場になっているのでした。また、血中沖縄県人濃度の高い人物には、普通の八百屋の店先にニガウリがならんでいたり、ほとんどの飲み屋に泡盛があるのもウレシイ。なかでも平尾商店街にある「マルトミ食堂」の豚のアバラ煮と大根がたっぷり入った沖縄そば「ソーキそば」は最高にウマイ。コリアタウンとして知られる生野区の国際マーケットや旧猪飼野地区のように店が集中していないので素人が「町を味わう」には難易度が高いが、ハワイだのジャマイカだのいう前に、これからは大正区ですよ、ホンマ。

 

太陽の塔   

25才未満の坊っちゃん嬢ちゃんたちは知らんとおもいますが、1970年、大阪の千里丘陵で開催され六千数百万余の国民が入場したという「大阪万国博覧会」のことをご存じでしょうか。かくゆう私も、当時は社会に反逆をきどる小汚いロングヘアーの高校生だったので「ハンパク(万博反対)」の立場をとりナマではみてませんのでした。ま、その反動からか万博跡地を利用して開園された記念公園はせっせとデイトスポットとして利用させていただきました。あそこは、なにより「太陽の塔」がいい。去年の夏の復元工事でいっそう魅力が増したような気がしてならない。この岡本太郎の創った、ナマっ白いバカでかいハニワのオバケのような塔をみていると、こんなヘンなものは、ここにないよりあった方がいい、とおもいましたね、心から。塔までいくと三百円也で25年前に大量に造り過ぎて在庫のあまった「太陽の塔キーホルダー」がまだ買えます●大阪には「太陽の塔友の会」というものが存在し、この方がその会長さん塚村真美女史であります。(95/4)

 

駄菓子屋

かって駄菓子屋は、塾に通う必要のなかった今より自由な子供たちが放課後集まるサロンであった◆オカンのガマグチからチョロまかした小銭を手に、自分で欲しいものを選ぶ、それが楽しみであった◆昨今の、女子大で食品衛生など専攻した若い母親など、卒倒し泡を吹きそうな毒々しい着色料に彩られた訳のわからない軟体の菓子群。原材料表示などないアジア丸出しの駄菓子を目当てに子供たちは集まっていた。子供なりの射幸心をも満足させるクジ引きもあった◆時代は変わり、近年はそうした駄菓子屋の姿を大阪都心で見ることは少ない●地価の上がった都市から撤退した駄菓子屋のほとんどは現在都市近郊、郊外のニュータウン内の場所を移している。子供好きの老人たちの老後の小遣い稼ぎになっているのだが、これも時間の問題であろう◆写真はとあるニュータウンの駄菓子屋。奥のばあちゃんの健康にこの店の存続がかかっている。(96/6)

 

たこやき

中島らも氏の文章に、関西人に追いかけられた男がフトコロからたこやきを大量にバラまき、追手がそれに気をとられれているスキに九死に一生を得逃げのびることができる、本当の関西人なら焼きたてのたこやきを素足で踏むことなど不可能である、というのがあった。それほどたこやきは関西で愛されている◆しかし、ここ数年の関西ブームとやらで全国どこでも食べられるようになったのはいいが、関西以外のたこやきがウマかったためしがない。やはり、たこやきは関西で食するもんです。土地の力がちがいます。さて、今回ご紹介する「たこやき」という本はたこやきのおいしい作り方、の本ではなく、たこやきについて勉強する本です。とはいっても学術用語がバンバン出てくるのとはちがってたこやきのさまざまな謎を解き明かしていくミステリーとしても読める楽しい本です。たこやきもウマイが、この「たこやき本」もウマイです●「たこやき」熊谷真菜著、リブロポート刊、定価1545円。(95/5)

 

祟り

北区野崎町の車道上に妙な木がある◆状況をみるに「お上」が公道上でこんな事を簡単に許すワケはないので、これはやはり「祟り障り(たたりさわり)」の類であろう◆いわくありげなそのそぶりは、たぶん撤去しようとしたら多数の死人などがでたので奉っているのだろう◆取材班は「たたり」が怖いのと「ずぼら」なので深く調査するには至らなかったが、衝突防止の反射板がなんかコワイ。

 

チャイ

エスニックブームとやらで我が国の食生活にもアジアの風が吹いて数年たつが、戦後ずーっとアジア丸出しであった大阪ではチャイなど当たり前の飲みものになっている◆大阪では一般の喫茶店のメニューにチャイがあることがそれほどめずらしいことではない。これは他の地方にはあまりみうけられない現象である◆もともとチャイはインド半島を中心に、東南アジア、西アフリカ、チベットなどで広く飲まれている大衆飲料である。ダスト茶と呼ばれる粉末紅茶と香辛料を牛乳と水で炊き込み、砂糖を入れれば出来上がり◆大阪のチャイは、戦前から堂島にあった紅茶専門店「ムジカ」の「シナモンティー」に発する説もあるが、それは現在広く飲まれているインド風の「炊き込みミルク茶」とはルーツが明らかに異なる英国式のものである。大阪のチャイの普及は大阪のひとびとがもつ根強いアジア憧憬の現われではないかとも考えられるが、じつは大阪には存外に根っからヒッピーのひとが多いのかも知れない。(95/4)

 

ちゃう

「ちやう」とも発する場合もあるが、大阪では物事の否定、あるいは疑問を投げかける意の「違いますか」を「ちゃう」というのが一般的である。強く否定する場合は「ちゃうちゃう」と重ねて使用する。さらに強い否定のときには「ちゃうちゃうちゃうちゃう」など数を重ねることにより否定の度合いを深めることになる。あるいは「ちゃうちゃう、ちゃうねん」など、リズムを付け、語尾+音便の「ねん」で弾ますとダメ押す感じがでる。また、語尾に「ちゃうのん」など「の〜」がつけば疑問の「ちゃう」になる。「ちゃいまへん」という「ちゃう」の否定(二重否定であるから強い肯定の意)などもあるが、ヤングな大阪人は口にしない。同様の「ちゃえへん」は幼児語●一般用例;「この犬、ちゃうちゃうとちゃう?」「ちゃうちゃう、ちゃうちゃうとちゃうねんて、この犬雑種がちょっと肥えた(太った)だけやねん、ちゃうちゃうと全然ちゃうねん」「そうなん、ちゃうちゃうとちゃうのん。わたし、てっきりちゃうちゃうやと思てたわ」

 

中央図書館」

◆雨の日の中央図書館は恐ろしい。現在、旧大阪市立電気科学館の一、二階を市立中央図書館として仮設開館しているのだが、高架道路のすぐ横という場所がら、知識欲あふれるホームレス諸氏のサロンとなっており、雨の日には利用者の半数近くがホームレスのおっちゃんたちになる◆皆さん大人しく読書などしていらっしゃるのでありますが、いかんせんチョット香りが強烈なエスニックなのである。特に、1階奥の新聞カウンターは横にトイレがあり、そのミックスされた香りは鼻孔を通じ脳髄を直撃する。長時間の調べものがあるときには、カウンターでガスマスクのサービスを心から要求したい●写真は小雨にけむる大阪中央図書館。戦災にも焼け残った昭和初期のバウハウス風モダン建築。その内部が恐ろしい状況にあるのを知るひとは少ない。(95/8)

 

ちんこ

写真は大阪市内某所、文化住宅(棟続きの長屋風アパート)の密集するいわゆる下町とよばれる、あまり上品ではない雰囲気がただよう街角で発見した、水性ペンキによるものとおもわれるカリグラフィである。文字部分の下半分がかなりかすれて読みとりにくくはなっているのだが細心の注意をはかり解読してみると「小便するな チンコがハレルヨ」とあることが理解できる。大阪では平均的な男性の性器、特に玉袋を除いたサオの部、医学的にいうところの陰茎を「ちんぽ」とよぶことがおおい。使用時に直径五センチ、長さ一六センチ以上で片手で容易にはあつかえない、いわゆる巨根である場合は「ちんぼ」と語尾が濁ることもあるが、だいたいにおいては「ぽ」であろう。余談であるが、関西の玉袋方面、医学用語で陰嚢部は全国でも一般的な「きんたま」と呼ぶ。巨大なそれになると「おおぎんたま」と「き」の部分が「ぎ」のように濁りを生じることが特徴であろう。また、男性の第二次性徴発現以前の男児性器の場合は二種の言い回しが使用され、第一の「ちんちん」は全国標準語の場合と表記上は同音となるが、大阪での発音は第三音「ち」に強いアクセントをもつことが特筆すべき点であろう。今回発見の「ちんこはれるよ」の注意書きはもう一つの小児語「ちんこ」が使用されていることに注意していただきたい。ということでこの注意書きは大阪のお子たちに向けたものであると判断できるのである。

 

珍獣」

◆昭和30年代、世界中の動物園が客寄せのため、競って大型ネコ科の珍獣を人工的に創作しようと試みていた時期がある。こうしたゲテモノは関西人の得意とするところであったのか、ついに昭和34年、阪神パークは世界初の世紀の珍獣レオポン(ライオンとヒョウの子)を誕生させることに成功した。因みに、現在ではレオポンを始め、ライガー(トラとライオン)、タイポン(トラとヒョウ)などの異種掛け合わせはワシントン条約により禁止されている。エコとしてそれも一理あるが、珍しいイキモノを見るのは楽しい。ところで現在の関西の珍獣といえば、宝塚ファミリーランドのホワイトタイガーである。ただ白いだけのトラだが、ノーマルのトラがアルビノ(色素欠落)化した突然変異種ではなく、もともと白い体毛をもつトラで、国内動物園ではここにしかいないらしい。飼育係が毎日必死でトラの体毛を脱色しているという噂もあるにはあるが、なかなかの珍獣である?「宝塚ファミリーランド」宝塚市栄町1-1-57、?0797(84)0321、水休み(96/1)

 

チンチン電車

この度肝を抜くサイケな電車はピーター・マックス氏が大阪市の依頼でデザインした、というのはウソ◆現在、大阪府下で唯一(路線は二線あるから唯二)走っているチンチン電車、つまり路面電車の通常の姿である◆阪堺線(恵比須町−浜寺公園前)と上町線(天王寺−住吉公園前)があり、両路線とも経営は同じ阪堺電気軌道会社というアナクロな名前の会社である。南海電車の系列なのだが、親会社のように不動産がないので現金はない。ということで、車体表面の外装を広告主に賃貸しているわけです◆こんな電車が一般車道と同じ道路を通行するので子供は大喜び◆上町線は一区間でも全区間でも料金は一律二百円。一度乗って見ることをおすすめします。終点は今年の初詣参拝客数290万人、全国第4位だった住吉大社であります。(96/3)

 

ちんぼ 

このノレンは大阪の道頓堀にある老舗の洋食屋さんのものです。大阪は何でもアリか、と思ってはいけません。このノレンは左から普通に読んではいけないのであった。戦前から続いたお店であるからして旧仮名遣いで右から読むのが正式なのであります。「ぼんち」というのは大阪では、お坊っちゃん、すなわち他人の息子のことです。兄弟が多いときには「兄(あに)ぼん」「中(なか)ぼん」「小(こ)ぼん」と呼び分けていたそうです。ついでに左の「正弁丹吾亭」という関東煮(かんとだき:おでん)屋さんも大阪グルメとしては有名な店です。「正弁(しょうべん:小便)」と「丹吾(たんご:便つぼ)」だなんて、昔の大阪人は食い物商売に無茶なネーミングをしたもんです。

 

通天閣

最も大阪らしいイメージを持つ、大阪のシンボルタワーである。が、私のまわりで聞いてみたところでは、その高さ103メートルの展望台に上がった経験をもつ大阪人は意外に少ない◆ためしに商都大阪の中心部、本町のとあるキッサ店内にたまたまいた、仕事をさぼっているらしきサラリーマン11人に聞きましたところ、通天閣の存在は全員知っていた。ま、学校で習わなくともこれは大阪人として当然といえばあたりまえの常識だ。しかし、通天閣のあの円形エレベーターで上まで昇ったことのある者はたった1人しかいなかったのである。機能的に考えると通天閣は単なる観光用展望塔であり、大阪に在住するものにとっては身近な存在ではあるが、ことさら展望台を利用するというものではない。東京タワーに上がったことのない生粋の東京人が多いのと同じことであろう。ちなみに私は生粋の大阪人ではないので年に1度は上からみる下界の天王寺動物園を楽しみ、誰でも幸せになれるというアメリカの神様、「ビリケンさん」という手垢で黒光りした奇妙な木彫りの置物に、何度もお祈りをしています。が、未だ幸せの自覚はありません◆また、余談ですが、大淀区には「大阪タワー」というのがあり、こっちは朝日放送の純然たる電波塔で毎朝「おはよう朝日です」というマニアックな朝の番組をてっぺんにあるスタジオからテレビ生放送している。昼間は予約すればタワーの展望台までいけるそうだがそこまでする大阪人はいない。都会人は高い所に興味がないのかも知れない◆で、また通天閣にもどりますが、塔のある天王寺公園西の新世界(ここは浪速区)周辺は大正以後、春を売る女性が三千人以上いる巨大な色町(いろまち)であった。すなわち新世界は周りの大フーゾク地帯と共にして発展をとげた新しい繁華街だったわけです。ジャンジャン横丁、飛田新地などには今でも「男の遊び場」という雰囲気、情緒が濃ゆーく存在する。こうした大人の歓楽街がそのまま残っているのは全国でも数少ないことであろう。その反面、大人びた情緒など必要ない戦後生まれのナウなヤングたちからは「コワイ、キタイ、フルクサイ」と敬遠されてしまい、新世界を楽しんでいたのはすぐ近所にある西成のドヤに住む日雇いのおっさんたちであった。高度成長の基盤を素手で積み上げてきたおっさんたちも老けた。世代交代の時期になったのだ。10年前までは新世界で40前の女性をさがすのは至難のワザであったが、現在は深夜でも10代の女性をみかけることもある。聞くところによるとジャンジャン横丁も幅広く改装し新世界全体も再開発された。となると、通天閣をふくめ、その周辺の映画のセットのような町並みはアナクロな私たちにとって急にだいじなものにみえてくる◆通天閣の入場料は500円、安い!入場は10時半〜6時まで、日祭日は10時から受付開始●通天閣はイルミネーションがよく似合う。下から見上げるのなら夜にかぎる、大阪中の夜景でも一等賞モノ。たったの103メートルの高さでも近くでみるとさすがに大阪のシンボル。新世界にはウマくて安いもんも多い。新今宮駅で降り、ジャンジャン横丁から通天閣に向かうのがセオリー。

 

でんがな

関西弁としてひとくくりで語られることの多い関西圏言語であるが、そこに居住するものたちにとって、ことばは日々の生活でそうそう意識してすごすものではなく、また川を越えればそのことばは微妙に変化するのが自明の理である。特に、それは語尾変化に於いて顕著に現われ、あらゆる関西弁の語尾変化により出身地がわかる、とも過去にはいわれていた。しかし、近年来関西発のマスコミによってなされた「統一関西弁」というべき妙な標準言語の普及により、こうしたローカルな趣が失われつつある。さらに、ひどく誇張された関西弁を使用することでお金持ちになっていった落語家出身の数人の関西タレントのおかげで、全国に流行の兆しもあるといわれる「〜でんがな」「〜まんがな」「〜でおます」「〜でやす」などは、一般ではほとんど使用されていないのが現状である。高級住宅地として全国にも知られる芦屋近辺でも過去には、漁師ことばである播州弁の影響である「〜でいかいや」などという意味不明の語尾を付着させていたという話なども聞くが、今やむかし話になりつつある。ことばがイキモノである限りは仕方ないことではあるが、統一されたことばにより文化が平均化するのも事実である。

 

毒グモ

◆去年の11月、大阪府高石市で「セアカゴケグモ」が発見され、日本蜘蛛学会はこの平成の大発見に狂喜乱舞した。ひとつ、残念だったのは、そのクモが「ラロトキシン」という神経性の猛毒をもつことであった◆マスコミによる毒グモパニックは、オウム以降派手な事件を渇望していた一般大衆にとり、被害者(死亡者)が居ない楽しいニュースであった。もっとも、マスコミが大挙静かな住宅地に押し掛けたのだから、ご当地は迷惑な話なのだ◆その後の詳しい調査で、当初、刺されれば即死の毒グモは実はガセネタということが判明し、ニュースの風船はシュルシュルとしぼんでしまうことになる◆「大阪に毒グモ!」というのはなかなか派手な見出しだ。どんなことでも、どちらかといえば後味の悪い事件でも大阪で起こったことなら妙に喜び自慢する大阪人は、これで少し残念な気分で正月を迎えることになったのである◆毒グモにあんまり毒がないことが判明したので現地取材を敢行しました。が、報道が落ち着いてからの取材なので、?生きてる ?のは発見できず。残念◆現地の人に話を聞いたところ、数年前から毒グモの被害らしきものは数件あり、なかには老人が原因不明の刺し傷がもとで太股をかなり切除した例やペットが突然死した例もあるにはあるという▲毒グモを20数匹発見、テレビニュースに出演し、一躍ヒーローになった、高石小6年の岡室弘毅君(左から2番目)と毒グモ仲間。現在、素手での毒グモ捕獲は現地教育委員会から禁止令がでている▲これがニュースで有名なった毒グモ墓地▲墓地は焼き場に隣接している関係上、供物目当ての猫だらけ。猫には毒が効かなかったようである▲これが「毒グモポスター」。大量に殺虫剤を撒いたので現在はアリンコ一匹発見できない。春まで待つべし!(96/2)

 

■ナ行>

納豆

納豆は古くから「東の食べもの」の代表的チャンピオンであり、ここ関西においてはクサレ外道食品の代表とされ昭和30年代までは市場で販売もしていなかったという◆当時、大阪の下町で早朝、関東出身者の家族がどこで入手したのか納豆を、窓を開け放しねちねちかきまぜていたところ、となりのおっさんから「クサイ!」と包丁片手に怒鳴り込まれ、ついには一家6人惨殺という悲惨な事件もあったという(これは「文化住宅納豆事件」として大阪では広く知られている)◆しかし、その後の関東人の関西への流入で納豆食も拡大し、いまや関西食文化のシンボル「たこやき」の具として評判になるほど一般化している◆最近のデータによると、京都・滋賀では57%、和歌山50%、兵庫・大阪36%の子供が家庭で納豆を食べた経験をもち、納豆を習慣的に食べている人間は全関西人の48%にも達するといわれている。商品や情報、人の交流が全国化し「食」においても地方性がうすれていくのは仕方のないことではあるが一抹の寂しさがともなう◆いっぽう、関西独自の食作法をいまだに残している食物にトコロテンがある。個人的には何がうまいのかわからんのだが、現在関西ではトコロテンには黒蜜(くろみつ)をかけ、関東のように酢醤油で食べる習慣はみうけられないようだ◆余談であるが、握り寿司にはわさびというのが全国の常識とおもわれているが、瀬戸内のある地方ではハマチの握り寿司にからし醤油で食する地域もある。常識といえどもローカルな文化のひとつであり、普遍性はないのである。

 

ナビオ95

先日、テレビで「ナビオ族」のレポートがあった。土曜の深夜、大阪梅田のファッションビル「ナビオ」周辺道路で暴走行為をする反社会的若者グループで、騒音や事故で近所の住民も手を焼いているとのこと。2年前、同じ場所に深夜の取材をしたことがある。当時の「ナビオ族」は暴走ゾクというより「カーチーム」といったほうが似合うグループだった。完成直前の阪急インターナショナルホテル前の道路に自慢のクルマを並べ、仲間が通るたびに歓声をあげる、いわばアメリカングラフィティ・タイプのグループだった。ナビオを低速で周回する程度で、暴走は見られなかった。ところが、現在の状況はかなりヒドい。グループ化されていない20台ほどのクルマがシンナーの臭いをふりまきながら気ままに暴走してはガードレールに衝突する、馬鹿らしくも非常に危険な状況だった。突貫取材を試みたが、有機溶剤酩酊状態のあんちゃんに木刀で殴られそうになり残念ながら諦めざるをえなかったた。カメラも一台壊されたし。ということで写真は昼間のナビオ。

 

鍋物

どちらさんもお寒ぅございます。こういうときにはあたたかい鍋ものがごちそう界の一等賞です◆さて、食い道楽の大阪で鍋といえば、うどんのすき鍋(「うどんすき」は料亭「美々卯」の登録商標で簡単にはつかえまへん)、湯どうふ、かにちり、てっちり、水炊き、しゃぶしゃぶ、数々あれど、それら総てのおともになるタレといえば、八尾の「旭ポンズ」しかない◆鍋だけでなく、たたき、酢の物、焼き肉、餃子のタレとしてもグー。四季を通じて台所の必需品なのであります。残念なのはいつどこでも簡単に買える商品ではない、という点である◆広告みたいになってしまったが、宣伝をほとんどしないことでも有名な「旭ポンズ」であるからかんべんしてね◆ちなみに関西グルメのバイプレーヤー「旭ポンズ」は?完全味付け旭ポンズ?が正式名称●「旭ポンズ」は基本的には八尾市内か近辺でしか販売されていない商品であるが、たまに郊外の肉屋なんかで少数販売していることもある。360?入、¥650円。製造元・?旭食品、八尾市南太子堂6・3・49。(96/3)

 

難波駅

春は、木の芽時。マチガイが続出する季節である◆若い友人が、JR「難波」駅がどうたらこうたらいうのを小耳にはさんだ。私の記憶が正しければ、確かJRに「難波」など存在しないはずである。地方出身者による無知をやんわり指摘してあげるつもりが、マチガイはこちらだった◆旧「湊町」駅をリニューアルした大規模ターミナル駅「難波」が、こちらの知らんうちにできていたのである。以前のJR「湊町」は奈良への関西本線(大和路線)の始発駅、あるいは湊町貨物駅として知られる、暗くさびれた駅であった◆関空の開港以来、大阪南部の玄関口としてナンバのターミナルは拡大化されており、ついに湊町をも飲み込んだのである。関係ないけど、ミナミからタクシーでワンメーターの駅周辺は知るひとぞ知る、オトナの風俗地帯でもある。(96/5)

 

西大阪

江戸時代初期、徳川家康が摂津国佃村(現在の西淀川区佃)の漁民に石川島に近い島を居留地として与え、故郷にちなみ「佃島」と名付けたのはよく知られている事実である◆彼らはまだ汚されていなかったであろう遠浅の東京湾で白魚(しらうお)漁などをしながら、江戸城内の台所をまかなうことで漁業権を与えられていたのである◆かって、佃島の老人たちは対岸へ渡るのを「江戸までいってくる」とか「東京へ行く」などとしゃれた言い回しを使ったそうであり、仲間うちで交わす?佃ことば?には大阪のなまりが強く残っていたらしい◆佃島はいわば東京の大阪出島、大阪コロニーだったわけだ。江戸前(東京湾)のサカナは大阪の漁師が水揚げしていたのだから大笑いである。あの東京みやげとして名高い「佃煮」も、元をただせば大阪人のものだったわけです◆また、大阪の「佃」から神崎川の河口をはさんだ対岸の兵庫県尼崎市には「築地」「向島」という、これまた東京の下町情緒あふれる地名がある。東京での「佃島」「築地」と位置関係もほぼ同一であるところが?みそ?。うそのような話であるが事実です◆ひとつつけ加えるなら大阪の漁師ももとはといえば和歌山や四国からの人々だったそうです◆くどいようですが大阪に「東大阪」はありますが「西大阪」という土地は存在しません。この先大阪湾をどんどん埋め立て、西にひとが住めそうな土地がひろがれば、新しい西大阪が誕生するかも知んないのですが。いまのところはそういうことです◆ところが、兵庫県の尼崎市のハマ側(南部)を散策してるとここは大阪ではないか? という錯覚に陥るのである。たとえば阪神「尼崎」駅南の寺町周辺、三和市場、出屋敷なんかは大阪ディープとなんら変わらない?濃い味?を持っている。前にもダウンタウン(吉本興業所属)の出身地である尼崎に少し触れたことがありますが、ここは行政区分は兵庫県内なのに電話番号の市外局番は06と大阪市内に準じ、車は神戸ナンバーというややこしの土地である。南部はほとんど大阪、北部は神戸文化の影響が大きいと。そういうことで、ここに私は尼崎市(ただし阪神沿線あたりから南)を「西大阪」と認定することにします。(96/11)

 

ノーパン 

ノーパン喫茶をたずね、我が国ノーパン発祥の地とされる「阿倍野」へとでかけたのであった◆「あべのスキャンダル」は牛丼喰い放題のノーパン牛丼「ちち乃屋」を数年前に開店し、ノーパンお好み焼き、ノーパンしゃぶしゃぶ、という90年代ノーパンのトレンドを創生した老舗である。また、昨年(94年)にTバックハンバーガー店「オイド(大阪弁でシリ)バーガー」を桜川に開店し話題になっている◆「オイドバーガー」は当初「チチドナルド」と名付けられる予定であったが「マクドナルド」からの強い抗議で店名変更をよぎなくされたらしい◆伝聞で詳しくはわからないのだがTバック水着のピチピチギャルの熱血サービスが売り物らしい。しかし触るのはダメというのが「あべのスキャンダル」らしくていい◆80年の12月に開店し現在も営業を続けているはずの「あべのスキャンダル」は日本ノーパン界の本家(注:元祖は京都のノーパン喫茶らしい)としてひろく知られており、ノーパンがサムイ商売になってからも独自のアイデアで乗り切った伝説上のノーパンである◆ボディペインティング、野球拳、パンティオークション、ボクシング、腕相撲、土手相撲、なめくじ、吹き矢、ピンポン玉、ハトポッポなど、それぞれの新(珍)企画には、触らずに見るだけのエロ、すなわち我が国伝来の「花電車(見るだけで乗れない)」を追及してきた潔さがある◆しかし、久しぶりの阿倍野は再開発の真最中で街の風景は一変していた。「あべのスキャンダル」のあった辺りも金網で囲まれた空き地になっていた。見るだけでもよかったのになあ。(95/1)

 

■ハ行>

パチモン

ブランドコピー商品、あるいは偽商品を『パチモン』と呼ぶ◆パチモンは情けない、負け犬的なイメージがあり、便乗商品、類似商品がもつ小ずるい商売、という軽いひびきもある◆どんなことをしても儲かったもん勝ち!というイメージをもたれがちな関西はまた、パチモンの本場でもあるようにとられているが、日本一「見栄」より「実」をとるのが関西人なのである◆むかしのパチモンというのは偽物、コピー商品などという意味ではなく、八分の力でつくられた普及品としての意味が大きいのである。どこをみても、根っからパチモンの我が国ではパチモン商品がちょうどいいのである。だから楽しい、とおもいませんか●「パチモン」転じて「パッチモン」と弾む場合もある。パッチ(ももひき)を穿かすと中味が良くみえることからこう呼ばれるようになったと考えられる。「上げ底」と同意◆島田紳助氏などはテレビで同じ意として「バッタモン」を連発しているが、そちらは、本来正規のルートを通さずに現金で商売する「バッタ屋」の商品を指す。バッタの様に商品が飛び跳ね、消えてゆくことからそう呼ばれる◆写真はクレヨンけんちゃんとRALEXの腕時計。情けない風情がまたよろし。(95/7)

 

パチンコ

◆戦後、庶民のヒマツブシ娯楽として生を受けたパチンコ産業が、いまや18兆円産業といわれている。ここまで巨大になれば、パチンコは我が国の立派な根幹産業のひとつでもある◆異端の芸人、故トニー谷は、日本という国家を皮肉にも?パチンコ・カントリー?と名付けたというが、奇しくも現代を予言していたわけだ◆最近では、その現金本位的な業界をにらみ、スーパーや私鉄などの大手企業だけでなく、銀行までがその経営にのりだしている。パチンコのイメージを?裏?から?表?へ転換しようとしているのだ◆しかし、ふるくから白昼堂々、勝ち玉換金を非合法ではあるが慣例認定してきた関西圏には、パチンコは現実的に庶民のバクチとして位置づけられてきた歴史がある。カフェバー風の内装をもち、デパートのような景品引替所があろうとも、ほとんどは店の?裏?の景品引替(換金)所へまわってしまうのである?地下鉄中央線緑橋の「ローズガーデン」は最近開店した新世代の?表?なパチンコ店。女性客をターゲットにしたソフトなイメージで話題になっている。(95/12)

 

ババ

尼崎市出身の女性タレントであり、主に努力のいらないクイズ番組や露天風呂殺人事件などのこころざしの低そうなドラマなどに出演し、その貴重な天然ボケを全国に拡散している「千堂あきほ」であるが、その本名が「馬場晃穂」という事実を知るひとは少ない。関西では馬場という名字に対するいわれなき差別がある。いくら美人でカシコイ女子であっても馬場はババなのだ。彼女もその名字のため、小学校時代には男子からはやしたてられた悲しい思い出を持つであろうと容易に想像できる。この地では「糞・大便」のことをババといい、世の中で最低な事柄を表現する罵倒形容詞の一つでもある。とうぜん、あまり上品なことばではない。しかし、口には出さずとも大便のことをババと呼ぶのは関西一円で通用する。余談だが、出席順(ハ行)がぐうぜんにも「馬場、広田、堀田」となってしまったクラスは、「ウンコを拾って投げた」という連続技が発生し、教師が出席をとるたびに大爆笑をさそう。また関西人にとっては、偉大なレスラー「ジャイアント馬場」も二重の意味(ダブルミーニング)でなかなか深いモノが存在するわけです。

 

浜村淳

ネバる関西弁といえば浜村純にトドメをさす◆その押しつけがましい語り口は関西のおばちゃんたちから圧倒的支持を受け、大阪毎日放送ラジオ(MBS)の朝番組「ありがとう浜村淳です」は放送開始から20数年も経つ長寿番組である◆映画ファンにとって「ハマムラジュン」といえば、日本戦後映画史に残るバイプレーヤー、浜村純の方が全国的には知名度があるが、こちらの浜村淳も無名のころ映画出演している◆映画「続・新悪名(62)」では、劇中ステージ司会者として20代後半の姿を晒している。当時の司会姿を見て、高校生だった上岡龍太郎が弟子入り志願し断られた、という話もある。また、浜村淳は大阪ミナミの中華料理店「ハマムラ」のCM、でもオナジミです?中華の「ハマムラ」は料理もウマイのであるが、ここはお運びのおばちゃんをチェックすべき。たぶん、日本で一番、客の注文を記憶する能力に長けている。十人が好き勝手に注文した料理をメモも取らず即座に運んでくる(ので文句をいえない)、というのはすごい。(95/11)

 

ハリボテ

大阪という都市のイメージを強く印象づけているもののひとつに派手な広告看板がある◆道頓堀の「かに(かに道楽)」新世界の「ふぐ(づぼらや)」などは、初めて見る者の中枢神経を直撃し、その後の強烈な大阪のイメージの核となる◆しかし、これら飲食業以外でも、商(あきな)うモノ(商品)をそのまま大型なハリボテ看板にすることはワールドワイドに営まれてきた看板世界の常識であり、大阪だけのことではない◆大阪の看板の特殊性は、ただでも暑苦しい町中に巨大なハリボテオブジェを持ち込んだことにある。本来のスケール(規模)を逸脱し、あらぬ方向「とにかく目立てば儲かる」と信仰ともいえる概念にに向かったことにある◆ところがここにきてバブル崩壊があり、都市内の飲食業界の景気にかげりがさしはじめ、都市近郊のパチンコ屋や大規模商店にそのコンセプトを奪われるかたちに現在はなっている◆エッフェル塔(パチンコ/淀川区三国本町)、自由の女神(パチンコ/淀川区東三国)、弁慶(パチンコ/松原市丹南)、ティラノザウルス(衣料品/吹田市豊津町)、ブタ(カットハウス/生野区北巽)など、見る者に感動を呼ぶレベルの高い作品が多い◆扱う商品(ウリモノ)とハリボテには全く関連がない場合も多く、オーナーあるいは看板屋が作りたいから作ったというやむにやまれぬ何かが感じられる。これらはやはり?芸術?なのです。(96/7)

 

ハリハリ鍋

阪神高速11号池田線(通称空港線)は旧大阪国際空港(現大阪空港)へのアクセス道路である。94年の関空開港によりその影響力も多少かげりをみせはじめているとはいえ沿線は広告効果が高く、大がかりなネオン広告塔が数多く存在することでもしられている。忠実にスケールアップされたチチヤスヨーグルトなど大阪名物といわれるものも多い。また、巨大な潮を吹くクジラのネオンに近年は人気が集中している◆ここ十数年の世界的な捕鯨禁止の風潮に真っ向から反発する大阪ミナミ千日前のハリハリ鍋「徳家」の広告である◆おかみの大西睦子さん(55)はアイスランドで開催されたIWC(国際捕鯨委員会)総会に単身乗り込み、ロビーでクジラの刺身を試食させたという、何を考えているかわからん筋金いりの捕鯨推進運動家◆当の看板は英文表示もある親切さが関係各省を刺激し続けている●「ハリハリ鍋」はクジラと水菜を土鍋でさっと炊いた、大阪の庶民料理。しかし、現在は材料の入手難から「てっちり(ふぐ鍋)」と競る高級料理である。(96/4)

 

パレード

◆御堂筋は、大阪のキタとミナミをむすぶメインストリートである。3.5キロに及ぶ銀杏並木は市民のシンボルとなっている。通常は、南行き一方通行7車線の国道25号としての機能が優先されているので、いくら命しらずの大阪人であろうとも、御堂筋を大勢でねり歩くことなど、タイガースが優勝でもしない限り不可能に近い◆毎年10月に開催される「御堂筋パレード」は、それが可能になる特別な日である。当日の御堂筋は、全面通行止めとなり、市民一万人が参加するパレード会場と化す。沿道は見物客でごった返し動きがとれない、はずだったが今年のパレードは天気が悪く、本町あたりにはひと気も少なく絶好のパレード日和だった。途中小雨まで降ってきた。雨のなかずぶぬれで日本酒の匂いをまき散らし、狂ったように太鼓をたたき、とり憑かれたように笛を吹く郷土芸能のグループは圧感だった。やはり祭りは荒天にかぎる。オープンカーの幌に腰掛けた平服の若い白人男女2人(珍しくも何ともない)が手を振るだけの、「カナダ・若人の賛歌」というプログラムもかなり不条理でよかった。観客はなすすべもなく、道路敷かれた青いシートにへたりこむばかりなのであった。

 

はん

近代の大阪ことばは、主に商用として発展してきたので、その敬語にも多彩なバリエーションを持つ。敬称の「さん」は「はん」に転訛する場合が多い。糸川はん、冨岡はん、由美子はん、おばはん、などである。しかし、全ての「さん」が「はん」になるとは限らず、親しい間柄では、京やん、武やん、アバやん、など「やん」も使用される。また、久内つぁん、山口つぁん、松つぁん、など「つぁん」と音便化する場合もある。ところが、村上さん、金森さん、竹下さん、などの場合は決して「はん」「やん」「つぁん」は使わない。おじさんも「おっさん」とはいうが「おじはん」とはあまりいわない(希に、いうひとも存在する)。さらに「おじやん」の場合は「おじいさん」の意にもなる。村元さん、林さん、住吉さん、なども、むらもっさん、はやっさん、すみよっさん、と促音便化することも特徴のひとつである。すべてをまとめると以下のようになる。それぞれの敬称のすぐ前の音が「い段、う段、ん」の場合は「さん」。「あ段、え段、お段」ならば「はん」。ただしその場合、すぐ前の音が「し、す、ち、つ、と」ならば「つぁん」となる。関係がより親しく、あるいは目下の場合は「やん」。しかもこれらすべては慣用法であり、一般の成人大阪人ならば自由自在に操っている。これら大阪ことばにおける、名前のていねい表現を完全にマスターし、自然に違和感なく使い分けるには最低でも20年かかるといわれている。(参考『大阪ことば事典』牧村史陽編、講談社刊)

 

阪神間

大阪、神戸という二大都市にはさまれた兵庫県南東部は、関西一円では一般に「阪神間」と呼ばれ、それぞれに特長をもつ衛生都市群を形成している◆大阪平野の西部を占める尼崎、西宮、六甲山東麓の芦屋を経て神戸。さらに大阪から丹波、中国地方への街道筋であった伊丹、川西、宝塚なども含まれている◆神戸市街の背後(北)には東西30キロにわたる断層山地である六甲山系が大阪湾の間近までせまっているので、平野部は南北に狭く東西に細長い土地になっている◆阪神間には「阪神」、「JR」、「阪急」(海に近い順番。阪神間では海側を浜手、山側を山手と称す)がほぼ平行して運行している。この関西有数の交通至便の地であることが逆に大阪人のプレッシャーになることもある◆大阪のミナミ、たとえばナンバから神戸に行こうとする場合、ある悩みが発生する。大阪湾にそり逆時計まわりで数十キロ移動すれば神戸に着くことは小学生でもわかる◆ということで、まずミナミのターミナル「なんば」からキタのターミナル「梅田」へ向かうわけです。地下鉄御堂筋線でナンバから梅田までは15分、ここまではたやすいこと。しかし、梅田駅を降りる時にひとつの問題が生まれる◆ここからややこしいですが、しっかりついてきてくださいね。まず地下鉄梅田駅ホームの進行方向にむかって前(北)の方で降りたなら、神戸に行くには「阪急」の駅が近く、真ん中あたりなら「JR」、後ろからなら「阪神」がそれぞれ乗り換えに便利になる。地方の方なら、別にどれに乗っても神戸に着きゃ同じなんだからイイじゃん、で済むでしょうが、もし、どの電車に乗っても着いた所が同じだったらどうする?◆この三線とも目的地は神戸の中心駅である「三宮(さんのみや)」。それぞれの駅はドエライ近所にあるのです。もし、直撃すればに半径百メートルの大穴が空く米軍の二五○ポンド爆弾が「JR・三ノ宮(ここの駅だけノが付く)」駅ホームの西側に落下すると、「阪急・三宮」駅も地下にある「阪神・三宮」駅も同時に破壊されるぐらい近い(たとえが悪いが)◆大阪と神戸は互いの距離が近く、中途半端に情報量も多い。こうした瑣末なことがらで悩みこだわってしまうのである。

 

万博

大阪の吹田(すいた)は「吹く」という漢字を「吸う」と読む謎の土地で大阪地名七不思議のひとつでもあります◆この大阪府吹田市の千里丘陵で、今を去ること二六年前の一九七○年、「人類の進歩と調和」という一般の日本人には一番理解不能とおもわれるテーマのもと、「日本万国博覧会」が開催されたのであります◆一八三日の期間中、全国からの入場者数は延べ六○○○万人、という当時としては未曾有のお祭り騒ぎになりました。大成功したのです◆ひと昔もふた昔も前の出来事なのですが、何百年ものあいだ負け癖のついていた大阪にとっては久しぶりの?イイ思い?だったようで、いまも万博パビリオン(展示館)の影響下にあるチャチな建造物は市内のそこかしこに存在します◆なにはともあれ万博以降大阪は、世間を勘違いし?なめて?しまったのです◆会場は会期終了とともに一部のぞきほとんど解体され、約三三○万平方メートルの広大な「日本万国博覧会記念公園」という跡地になりました。有名な「太陽の塔」は数少ない万博当時のモノですが、その他の遺品は公園中央口南の「生活誕生館/DELIPA」にあつめられています◆入場無料の館内には「万博記念館」が併設され、いま見ればスカみたいな、当時の珍品奇品など思い出の品々がさびしく展示されています。ただし、入館は夕方5時時までなので地方のかたは早めのご予定を(96/10)

 

東大阪

東大阪にはなーんにもない◆大阪の「東」に「東大阪」という場所があるかもしれないということは「東西南北」を学校でならう小学3年生でもわかる。これは大阪人でなくとも常識であろう。じっさい、大阪府下に「東大阪市」は存在する◆しかし、主筆を含めほとんどの大阪人はその東大阪に「何」があるのか知らない◆主筆は仕事がら図書館を利用することが多い。図書館についてはちとうるさい。で、いきなり写真になりましたがこれが「府立中央図書館」ですこのたび大阪市民に親しまれている歴史的建造物でもある中之島図書館(正しくは大阪府立中央図書館というらしい)の業務(一般用の貸し出しなど)を東大阪にできた新府立中央図書館に移転したというのでさっそく行って来たのです◆ところが東大阪の新しい府立図書館は異常に殺風景な場所にあった。高層マンション(府営住宅?)、近畿自動車道や阪神高速があるにはあるが、まわりに商店や飲食店がまったく見あたらない。図書館利用以外のひと気はない状態であった◆で、写真です。東大阪第一の町「布施」駅前の風景です。いい町でしょ。布施は駅前商店街も充実してるし、いまどき映画館が3ヶもある商店街ってない。布施駅はいい、問題はない。しかし「東大阪」は何なのだ◆東大阪ほどイメージが湧かない土地は大阪ではちょっと考えられない。印象がウスイ。アクの強いことで全国にしられる大阪らしからぬ不思議な?無個性な町?なのである◆東大阪に住み「小阪─大阪」という通学定期を自慢していた友人がいる。東大阪に生まれ、成人し、結婚しすぐ離婚、という楽しい四十数年間の人生を東大阪とともに過ごしてきた彼です。で、また写真。近鉄奈良線「八戸ノ里」駅前、アメリカ資本の大型玩具チェーン店「トイザらス」近所にすむ彼によるとこれが「東大阪には一番そぐわない店」という。理由は「ビンボー人が多いから(本人談)」らしい◆市内から東大阪まではどの道でもどの電車でも西へ向かへばすぐつく、便利なトコである。その便利が災いした◆知名度のワリに府民の認知度が低い、かわいそうな東大阪は府内第三位、大阪、堺市に次ぐ人口を持つ大都市である◆一九六七年、布施(ふせ)、河内(かわち)、枚岡(ひらおか)の三市が合併し誕生した比較的新しい市でもあります。近鉄奈良線沿いを生駒山に向かって並ぶ旧三市は人口が急激に増え、し尿、ゴミ、道路などの行政需要が一挙に膨らんでいったわけです。合併すれば、それぞれの共通問題が解決でき、府も積極的に後押しした、いわば祝福され、合意の上の合併だったそうです。がその結果は住民にとり一番大事な地域性という町のプライドが失われてしまうことにつながったようです◆で、写真は八戸ノ里公園の「市民スポーツホールかがやき」。いま東大阪で一番ナウな新しいハイテクホールで、温水50メートルプールや柔剣道場まであります◆?何もない東大阪?でしたが、赤井英和や朝潮出身で有名な「近畿大学」、正月の高校ラグビーで有名な「花園ラグビー場」、東急ハンズみたいなショッピングセンター「近鉄ハート」などもありました。でも、残念ながらそれらはみな、どっかに似た様ななものがあったり、しかもそちらの方が良かったりする、ツメのあまいパチモンばかり。ということで東大阪には「故司馬遼太郎氏のご自宅」しかないという結論になる。しかし、これも近所のひと以外、東大阪市民のほとんどが知らなかったことなので東大阪市に存在する必然性はまったくないのであった。(96/11)

 

ひったくり

大阪府下でのひったくり被害件数は六○八六件(1995年度)、堂々の全国一位である。一日平均で約一七件も発生し、全国では20年間も連続ワーストナンバー1、という記録を保持する不動の「ひったくりチャンピオン」である◆被害者の九割は女性、犯人のうち七割は未成年の男子。大阪では、女性は生まれながらにひったくられる運命を持ち、また男性はひったくるためにこの世に生を受けるのである◆現在、「ひったくり」という犯罪方法の呼称は全国的に使用されてはいるが、もともとは大阪のことば。大阪で生みだされた犯罪なのであろう◆ひったくる、という動詞は「引手繰る、引奪る」の転訛したもので、強引にうばいとる行為をあらわす。「〜たくる」という補助動詞は行為自体の意味をつよめる機能がおおきく、「〜まくる」と同様の意味をもつ。「やらずぼったくり(ぶったくり)」「やったくり」。「〜たくる」というのが意を強める。「塗りたくる」「書きたくる」「喰いたくる」「飲みたくる」「し(やり)たくる」◆夜半過ぎ、歩道と車道の区別のないようなローカルな暗い道路で。おばちゃんがチャリンコ(自転車)の前カゴに無造作に入れたハンドバッグを、パクってきた無燈火の原付で後からきた髪の毛が真っ茶々のヤンキーのニイちゃんが追い抜きざま奪い取っていく、という絵づらは大阪ならではのひったくりの風景です。ひったくりは、女性やお年寄りが特に狙われやすいので気をつけましょう。

 

ひらパー

◆この春、在阪のテレビでは、「ひらパー」、「パチャンガ」という聞き慣れない言葉を連呼する奇怪なCMが繰り返し流れされた。リニューアルされた遊園地「ひらかたパーク」のCMである。「ひらかたパーク」は、毎年NHKの大河ドラマなどを「大菊人形展」に仕立てるという、時代錯誤な見せ物を開催することのみで知られたローカル遊園地である。大阪では地名などの略すことが多く、上本町六丁目を上六、梅田新道を梅新、などというが「ひらかたパーク」を「ひらパー」、というのはかなり力が必要で違和感がのこる。何をしても東京ディズニーランドと勝負にはならず、都市全体が巨大な若年層の遊園地化している現状を無視した、かなり居直ったCMであった。だがその効果は絶大で、現在「ひらパー」は大人気、絶叫川下り「パチャンガ」も長蛇の列と聞く。これが、熱しやすく冷めやすい大阪人のいつものパターンなのである●ひらかたパーク/京阪電鉄「枚方公園」下車、枚方市枚方公園町一・一、大人・一三○○円、子供(三歳〜小学生)・七○○円(96/7)

 

ピラミッド

◆戦前の神道学者として名高い荒深道斎によると、兵庫県の六甲東部に多く見られる異形巨石群は有史以前の人口百万を越える巨石都市、メガロスの遺跡であるという。その巨石文化の中心とされているのは、現在、ピクニックコースとして市民に親しまれている仁川の「甲山」である。ここは古くは「神山(こうのやま)」とも呼ばれ、梺には「神呪寺(しんのうじ)」というオドロしい名の寺を有する。道斎は甲山をピラミッドと見たて、その説を唱えているのであるが、素人目にもピラミッドには見えない。ただの土マンジュウ(本当は溶岩円頂丘)である。ピラミッドは他に存在する●写真は六甲山頂から北へ15?、兵庫県三田市の「有馬富士」である。標高374メートル、面積46ヘクタールの独立峰。山影は別名「角山」と呼ばれるように明らかなピラミッド状の形態を持つ。周辺には巨石古墳も多く、ヒエログラフ(石に描かれた絵文字)も多数発見されている。※巨石群の一例として/西宮市の「甑(こしき)岩神社」のご神体だった巨石が95年1月17日の地震により部分崩落。(95/11)

 

昼寝屋

「ストレス解消スペース『昼寝屋』1月30日オープン!」なる呑気なチラシを御堂会館(南御堂)前の歩道で拾った◆そこには、「30分、200円(ソファ)300円(テント)」という謎のデータもあり、また「当分の間、最初の30分無料」というかなりええかげんな商売を匂わすことばもあった◆昼寝屋というから疲れたサラリーマンに昼寝のスペースを提供する新商売であろう、ワシには関係ナイわい、と判断しかけたのだが、マジックフリーハンドのチラシのゾンザイさなど少し惹かれるものがあり、疲れたサラリーマンではないがいってみた◆南船場の農林会館の5階にある薄暗い部屋には1人用のテントが9張と、デッキチェアが5つ。テントのなかにはキャンプ用シートとまくら、それぞれ小さな照明もつく。喜多郎風のマインドミュージックと鳥の声が交ざったBGMが流れている。最初の30分はタダなので黄色いテントを選び横になる。25分ぐらいで出ようとおもっていたのだが、環境が良すぎて本気で寝てしまった◆気が付いたら2時間もたっていた。なかなかこれはイイ商売だとおもう。(95/5)

 

百円

一目で勤め人ではないと判断できる風体のおっさん数人が、地下街のゴミ箱を漁り雑誌類を収集している◆おっさんたちはJRや私鉄から地下鉄と、かなりの広範囲でターミナルのゴミ箱漁りをなさっているのでした。彼らの行動は素早く、ゴミ箱チェックからの体重移動には全く無駄がなくプロフェッショナルを感じる。明らかに業者なのであった◆ゴミ箱の人を尾行したところ、地下鉄の梅田駅、JRの大阪駅、地下鉄の西梅田の3駅を構内までムダなくチェックし、デパートの大袋4ケ分の雑誌を収集すると東梅田方面へ汗くさい風と共に去っていったのでした。そんなに集めてどうする◆梅田で路上にシート敷いて雑誌を100円で売っているのを発見し、ギ問は解消したというわけです。聞いたら、自分で集めて自分で売っているらしい。売り場は現在取り壊し中の「梅田コマ劇場」南側の道です。ナンバの千日前にも仲間がいる、との話でした。当日発売のすべての雑誌がオール100円。キレイなのばっかりなので安心。(95/1)

 

封印

オウム横山弁護士は来たのに、肝心のクリントンが来なかった「APEC会議」である◆大阪は25年前「万国博覧会」というイベントで、考えてもみなかったボロい儲けを経験し、その甘い記憶の後遺症でこの手の派手なイベントを数年おきにやらかすのである◆本気でテロ阻止など考えていない今回の警備体制はすでにお伝えしましたが、続報◆特にバカバカしいと感じたのは、地下鉄構内にベタベタ貼られたシールである。フタというフタ、ドアというドア、あらゆる開口部に大阪市のマークが印刷された封印が貼られたのだ◆シールでテロリズムが防げると思っているのだろうか。誰が何処で決めたのかは知らないが所詮は公務員である。やることが全て、見せるための仕事のような気がしてならない。キョンシーの護符ではないのだからシールなど子供でもその気になれば剥がせる◆住民が辛抱するだけのバカなイベント招致もそろそろヤメにしていただきたいのだが、いっぽうそのころ大阪は、本気で2010年のオリンピック誘致を計画している最中なのだった▼散水栓にも封印▼時計も封印▼何かワカランのも封印▼APEC会議中、新御堂筋を北上中、見よこの交通量。ガンラガラ。(96/1)

 

プラネタリウム

◆秋の夜長、オナニーにふけるのもよいが、ここはひとつ夜空の星を眺めてはいかがなもんか。といっても町中ではそれもせんなかるまい。ということで人工的星空、プラネタリウムの出番である。戦前はプラネタリウムといえば光学の粋を集めたタイヘンな機械で、大阪の「旧電気科学館」に昭和10年設置されたドイツカールツァイス社(ライカカメラで有名)製のものは当時の金で四七万円也もした。これは世界でも24台目になり、当然わが国では初の快挙であった。戦後の少年たちに科学の心を啓蒙した漫画家手塚治虫も、幼小のみぎりこのプラネタリウムに感動し、その後「鉄腕アトム」を産み出すに至ったのである。「アトム」の原点はプラネタリウムだったのだ。ま、「どろろ」の原点でもあるのだが。現在は我が国の光学機器の進歩と共に、プラネタリウムの世界ではミノルタ製品が世界的にもハバをきかしている。ミノルタの故郷でもある関西にはプラネタリウムも数多く、工場がある兵庫県伊丹市、大阪府大阪狭山市には市民会館にまでプラネタリウムがあり、いまでは値打ちがない。でも、プラネタリウムには独特の人工的な科学の心があり捨てがたいのも事実だ●関西の主なプラネタリウム:「大阪市立科学館」中ノ島、「神戸市青少年科学館」ポートアイランド、「明石天文台」など、沢山あります。お薦めは、生駒山上遊園地内にある「宇宙科学館」。懐かしくアナクロな万博パビリオン風の建物も目を引く。カップルの名所でもある。(95/11)

 

プール

夏本番! 真っ赤に燃えあがったヤングたちは、海だ山だとセックスなどを目的にした男女交際に命を賭けるのであった。でも都市近郊の海はよほどの理由がないかぎり遊泳するにはやぶさかでないので、やっぱり都会の夏はプールだす。東京に比して一人暮らしの若い男女の人口がすくなく、経済原理より男女交際専用の施設にとぼしい大阪のプール状況は遊園地と同じく、投下した資本に対し回収できる水揚げ、すなわち成功(性交?)に至るコストパフォーマンスが低いことで知られる。ここは発想を転換し、水着のクイコミが激しい女性が多いであろうホテル関係の派手なプールはあきらめて、郊外の地味な公営プールの暇をもてあました若妻と、年々成熟度を増す小学生にターゲットを絞ってはいかがなもんか。派手なプールでのウォータースライダーのチラリポロリ事故も捨てがたいが、見るのが目的なら最初からストリップに行こう?大阪に「プール学院」という大阪で一、二を争うというお嬢さん学校がありますが、水泳の学校ではないので注意するように。男性の場合、海パン姿で校門前に5分間たたずむと確実に逮捕されます。また関東では見かけない「モータープール」というのも大阪の街中では頻繁に目撃されますが、これは単なる有料駐車場のことなので、水着を持って行っても残念ながら無駄です、泳げません。

 

ぶたまん

大阪ローカルのTVコマーシャルに「551(ゴーゴーイチ)のブタマン!」というのがある。「ブタマン」というのは関東でいうところの「肉マン」のことで、関西は「肉」といえば「牛肉」に限定し、関東のように「肉じゃが」に豚肉を入れるのは外道だ、と感じる関西人が多いことに関連するネーミングである。関西には安くてうまい牛肉があり、関東にはうまくて安い豚肉がある。どちらもうまかったらいいのだ。で、「551」であるが、これはナンバに本店がある中華料理チェーン店『蓬莱(ほうらい)』のCMである。私は『蓬莱』さんに個人的な恨みはないが、ちょっと言いたい事がある。その中華饅頭をテレビで大々的に広告するのはかまわぬ、しかし、551のアイスキャンデーを大阪ナンバの古くからの名物のように宣伝するのはどうかとおもう。そもそも、大阪ナンバの名物であるアイスキャンデーといえばペンギンマークで戦前からの歴史を持つ甘党専科店『北極』のことなのだ。後発の中華料理店「蓬莱」が畑ちがいのアイスキャンデーで儲ける、というのは明らかに『北極』のイメージを剽窃しており許せない部分がある。特に、ここ数年のメディアを利用した大衆操作にはいきどおりに近いものを感じる。深い反省を促したい。参考までに『北極』は『蓬莱』から南へ1ブロック(50m)しか離れていないのです。(95/9)

 

閉店セール

このセールの本来の姿は、何らかの理由で店を手放すことになり、商品をこの際、利益を度外視して現金化してしまおう、という潔さをもつ半面、売れなかったら一家心中、オーナーの「買うて! 助けて!」という叫び声が聞こえる無茶なセールである◆客は概ね善人なので、こうした場合の商品はケタはずれに安い、というイメージを持ち閉店セールに群がる。すると予想外に利益が生まれ、閉店セールをした商店は新たに店を、こんどは開店することになる◆善意の客にウソをつくことになるのだが、しかしこれはサギには当たらない。ただのセールの一種である。大阪の「道具屋筋」には、ちゃんと「閉店セール」用の各種グッズ、ノボリ、旗、看板が販売されていることをみても、このセールにハマる客がアホなのである◆写真の店は西天満交差点西にある靴屋で、閉店セールを開始して今年でかれこれ13年にもなる、いわば「閉店セールの老舗」である。大阪で一番大嘘つきの靴屋ではありますが、ここまでくるかえって親しまれてしまうのだ。(95/5)

 

帽子

大阪の地下鉄の駅員さんはラフな格好で仕事をするので有名であった◆制服はあるのだろうが、着こなしは各々の勝手。ひどいのになると、シャツの前ボタンを全てオープン、中のサンスプラッシュTシャツを自慢げに解放しながらホームを離れる車両を指さし確認、というレゲエな若い駅員までいた(実話)◆また、陽の射さない地下で帽子など必要ないじゃまくさいだけ、との組合決定事項があるのか、つねに帽子を被っているのは運転手と駅長ぐらいで、交通局のマークと名札が無ければタクシー運転手と見分けがつかない状態であった◆だが、こうした公務員として幸せな状況は続くわけはなく、ワイルドでアナーキーな状況はあっという間に消えてしまった。厳しい通達があったのか、いまでは真新しい帽子を駅員全員がかぶっている。しかもヘンな形(東京都営地下鉄と同型)なので誰一人似合っていないのだ●東京では見慣れているはずの小判型帽子(正式にはエピ帽)だけが目立つが、4月1日より制服すべてがおニュー。これで運賃値上げは確実。(96/7)

 

本場

西が本場、といわれているモノは数多い。特に、自らの欲望に対し貪欲な関西の風土ら生み出された「性風俗文化」には本場といわれるモノは多い。各種男性専門誌の広告どでおなじみのホンバン裏ビデオの世界において関西モノの評価は高いという。また、アルサロ、昼サロ、ノーパン発祥の地としても名高い関西は、さらにSMの世界でも発祥の地として歴史その名を残している。わが国初の本格的SM誌「奇譚クラブ」は昭和25年堺市で創刊され、大長編SM小説「花と蛇」を成した団鬼六氏も青春時代は神崎川ですごしたという。ストリップも一般的には、昭和22年の新宿「帝都座」が日本初演とされているが、その前年、戎橋のたもとで「島田サーカス」がストリップ的興業をしたという資料もないではない●はなしは変わって、たこやきの本場が大阪である、との主張に異を唱えるひとはいない。だが、たこ焼きはわざわざ電車賃をつかって街中へくりだして食するものではない。たこ焼きはご近所の商店街のが一番ウマイ。大阪では、たこ焼きがまずい町内に住んでいたら引っ越しをします。これが常識です。

 

■ま行>

まいど、さよか

大阪での商売人のあいさつは、「もーかりまっか?」と問い掛け、「さっぱりですわ」と応える、ということになってますが、いまでは船場のあきんどでも本気でそんな挨拶をする大阪人はいません。いまは「まいど!」の一言で済ましています。「まいど」はていねいにいうと、「毎度、常々、いつもお世話になっております、ありがとうございます」の簡略形で、短くしてもべつに失礼にはあたりません。しかし、その「まいど」にも大阪弁独特の抑揚があり、ある程度使いこなすには数年かかるといわれています。また「まいど」というあいさつには「まいど」で答えるわけですが、受けの「まいど」にはあいさつの「まいど」とまた異なるニュアンスがふくまれています。などというクドイ説明を大阪人から受けた時には、歯切れよく「さよか!」と答えます。「さようか、そうですか」、にあたる軽いうっちゃりことばである。

 

御堂筋美術散歩

◆関空、A P E C の連続技で、日本のタンツボあるいはコエダメと呼ばれていた大阪にも、最近は表を多少コギレイにする風潮が芽生えはじめている。都心では歩道整備がさかんに行われ、なかでも御堂筋には美術彫刻作品が数多く設置されている、そうなので確認のため梅田からナンバまで散歩してみた◆歩きはじめて5分、曾根崎付近に最初の作品(写真参照)に遭遇した。段ボールの押し車の表面全体に自らの主張を綿々と、かつ丁寧に書き(描き)綴ったレディメイド・オブジェである。こうした芸術をことばで要約するのは無意味ではあろうが試みると、これは「不可解暗転」をテーマに脳電気盗信超長期陽性被害者(作者は電波系と推測される)の I さんが 、生命維持装置として制作した法的ヒナン権にかかわる重要な箱(と書いてある)、ということになろうか。この作品は市内各所をホームレスの作者と共に巡回しているので、容易に一般鑑賞できない貴重な作品である▼作品「主張の箱(仮称)」匿名希望(一九九六制作)

◆正式にはキタの阪急梅田駅からミナミの南海なんば駅までの間、四千五十メートルを指す御堂筋は、一九二六(昭和元)年に着工され一九三七(昭和一二)年五月に完成した、まもなく60年をむかえようとする大阪のメインストリートである◆歩道に小さな彫刻が設置され始めたのは数年前からで、各ビルのアプローチではなく歩道、ということ行政がからんでいるとピンときた私は散歩の途中、淀屋橋の大阪市役所へお伺いをたててみた。案の定「御堂筋アートマップ」という無料の小冊子を役所は用意して待っていたのであった◆それによると「文化のかおる楽しく歩ける空間」へと、沿道の企業から寄付されたオリジナル彫刻22点を設置した、ということでした。地図でみると淀屋橋から長堀通りまでのオフィス街がメインなのでいままで気付かなかったのかもしれんね。その後、4キロを3時間かけ全ての彫刻を鑑賞して歩いたのであるが、ほとんどが室内用のミニ彫刻ばかりで、最初の「主張の箱」の印象が強烈すぎてあとの作品はどれもこれも普通でつまらなかった◆ただ以下の2点の絵描きさん制作の作品はチョット夜中に持って帰りたくなった▼作品「ヘクテルとアンドロマケ」G・キリコ(一九七三制作)▼作品「踊り子」F・ボテロ(一九八一制作)

 

 

宮地社長 

テレビでおなじみだった城南電気、宮地社長の関西弁です。関西であればどこでも町内に一人は存在するカラ元気なジジイである。ま、あれだけ現金が手元にあれば誰でも元気にもなるではあろうが。会話の中で特徴的なのは、強引とも思えるほどに「やはり」「いわゆる」「いうたら」を多用していることです。また、語尾にはかならず「…わけダ」をつけることも肝心です。自信のない事柄でも自分のふところの財布には常に300万円が存在するつもりで強気になり、すべていいきってしまうことも大事なことです。上級者を目指す方なら彼の細かい和歌山県山間部訛り(濁音の転訛)なども取り入れることも一考の余地がある。会話例:「やはり、世の中で、いわゆる一番大事なものは、いうたらお金です。やはり、何事も、じぇーったい(絶対)にぎぇんきん(現金)をたむる(貯める)ことが、大事なわけダ」というわけで今日から宮地社長になれるわけダ。※宮地社長は98年死去、「城南電気」は倒産したと聞く。

 

御幸通り商店街

同じ日本人から、言葉の通じるのが不思議だ、などいわれなき差別をうけるわが街大阪。洗練をキワメ、かつまた哀愁もあわせもつこの大都会のどこが異文化や、といいながら本心は地方から見れば外国というのは、まんざらでもないことなのです◆生野区にある「御幸通り商店街」は素人なら判別できない、一見普通に映る商店街ですが、大阪でも最高峰の外国な商店街である。これには説明が必要。現在、わが国で生活している韓国・朝鮮籍のひとは四○万とも五○万ともいわれていますが、周辺にはその約6分の1、八万人前後が住んでいるのです。いまは元の地名「猪飼野(いかいの)」も73年の住居表示の変更で消え、ここ数年の女性雑誌などの韓国ブームで日本人の買い物客も増え、ハングル表示の看板もめっきり減ってしまっているが、以前は肉屋のショーケースにカラフルなホルモン(放るもんが語源という)類がドーン、の解剖学的世界でした。スーパーでパックされて販売されているのでワカリニクイが、よくみるといまでも充分スゴイもん売ってたりするのでした。よーく見ないとワカリマセンが、ここは異国の商店街なのです。

 

ミンチ

新聞チラシでツブれかけたクリーニング店が、「今週だけのビックリ価格! カッター50円?」などという崖っぷちな商売をにおわす表示をすると、朝から市場には大きなふくろを下げたおばはんの人だかりができる。ふくろの中にはお父んのドド汚れた古いワイシャツがギッシリと詰められているわけだ。関西では、俗にワイシャツを「カッター」と称するのが一般的である。聞くところによると、他の地域ではあまり使用されていないようなので、大阪の繊維問屋が集まる、船場センタービルへいってみた。しかし、数店のワイシャツ専門店で調査したにもかかわらず、はっきりした理由は判別しなかった。で、あくまで仮説ではあるが、英語の「CUT」には「仕立てる」という意味もあるので、ツルシ(既製品)のワイシャツに高級感をもたせる意味で「カッター」。たぶんそんなところであろう。特筆すべきは、この言い回しは戦後に定着したことばで、画鋲を「押しピン」、ひき肉を「ミンチ」と呼ぶのと同様、新参の関西ことばである。しかるに、ケンカの時「バラバラにしてミンチにしたろか!」の方が「ひき肉にしたろか!」に比べ、よりインパクトがある。ところで、他府県では「ミンチカツ」は「挽肉カツ」なんでしょうか?

※その後の調査で「カッターシャツ」はある衣料品メーカー(たぶん「フクスケ」)の登録商標であることが判明しました。

 

めばちこ

昨今は、関西弁もよほど高度なものでないかぎり、全国的にコミュニケートできることばとして認識されるようになった。電車のドアに貼られた「ゆびづめ注意?」のシールから「さすがヤクザの本場!」など、関西が誤解を受ける原凶となった悲しい歴史も、現在は「ドアにご注意」とアッサリとまとめられている。ところで、さまざまな揶揄を生みだしてきた関西弁であるが、名詞などにはまだまだ難易度の高いものが存在する。たとえば「めばちこ」である。これはまつげの毛根が炎症をおこし膿みはれあがる、平たくいえば「ものもらい」である。「めェ」が「バチコーン?」となる、その患部の痛みを表現したオノマトペア(擬態語)の一種である。また、「めはじけ」の転訛という説もある。さらに関西のなかには「めいぼ」と呼ぶ土地もある。また、ビタミン A、C 欠乏時に爪の根元に発生する皮膚の裂けを大阪では「さかむけ」と呼ぶのだが、一般的な「ささくれ」に比べ、より痛そうな、指が「ずるむけ」になりそうな疾患名がついている。同種に、「肉離れ」をあらわす「こむらがえり(こぶらがえり)」という意味不明なものもある。

 

モノレール

東には、オリンピックを期に開業された跨座(またがり)式モノレールが存在し、また、懸垂(ぶらさがり)式の湘南モノレールなども営業しているのに比べ、大阪ではなじみのない交通機関である◆そのため、大阪人のモノレールの印象は、絵本でみる未来の都市交通あるいは遊園地の乗り物、という昭和30年代的イメージで脳停止する人が多い。その代表が私◆大阪にモノレールなど、という主張を胸に秘め、弱点をボロクソにけなすつもりが意に反し、1区間ではモノ足らず2往復も乗車してしまったのだった。ええがなコレ。遊園地感覚たっぷり。はるか下の中環(中央環状道路)などを走行する神経が理解できないほど心地よい。当然渋滞はない。乗り心地もグー。問題があるとすれば、いまのルートでは乗ってどうこうするという意味が全くないところかも知れない◆ま、はっきりいって、大阪モノレールは現在のままでは?娯楽?以外の機能がウスく、都市交通機関として認められないからであろう。でも、楽しいからいまのままでも好き●「大阪モノレール」は大阪空港から、阪急宝塚線「蛍池」、北大阪急行「千里中央」、阪急千里線「山田」、阪急京都線「南茨木」、地下鉄谷町線「大日」などを経て、京阪「門真市」まで総23キロ余りを跨座式モノレールで結ぶ。

 

■や〜ん

ヤンキー・ファミリー大集合!『さやま遊園』探訪!」 

隠れたヤンキーファミリーの穴場として「さやま遊園」が知られている◆夏のプール期間中は水着のまま園内を自由に行動できるシステムをとる(入園者のほぼ全員が水着になる)ことから、長大な望遠レンズ付きカメラを持ったマニアが関西一円から集まる。また、アナクロな低年令むけの乗り物も多いことから休日には若い家族連れでにぎわいをみせる◆南河内という土地がら、ヤンママ、ヤンパパに連れられたヤンガキという、いわゆるヤンキーファミリー三点セットが入園者全体の60%を越える◆運が良ければケバいハイレグ姿の若い母親が茶色の髪を振り乱しながら、むずがる子供をコブシでブチ回す姿も見受けられる。その父親のファッションも筋金いりのモノホンがおおく、女物のサンダルにジャージー姿といったヤンキー初心者はあたりまえ、ダボシャツ、ステテコ、パンチパーマ、トルコブルーの腹巻という難易度の高い上級者もいる◆また近所の河内長野山中にある、滝畑ダムキャンプ場にはシャコタンからバニングへ転向したアウトドア・ヤンキーが集合しており、大阪南部はヤンキー・ファンには見逃せないエリアになっている。■94/10>「GON」第3号.(西の常識#1)

 

遊園地」

◆大阪の高校生常識のひとつに、神戸の「ポートピアランド」にカップルで行くと別れる、というのがある◆東京のように大規模なアミューズメントパークが近場にない関西では、電車で行ける派手な遊園地は「ポートピアランド」しかない。で、出かけてはみたが、サイフがカラになり別れた、という事ではないだろうか。そうしたふところの軽い高校生カップルにお薦めなのが、大阪府柏原市にある「玉手山遊園」である。「玉手山遊園」は、明治41(1908)年開園された西日本最古の遊園地、という歴史をもちます。問題があるとすれば、その開園時からほとんど進化していないところかも知れません。スクール水着のかなり内側に日焼けのアトがクッキリついているようなススンだ女子高校生にはウケないとおもうが、「ゴン」を読んでオモシロがれる女の子なら大丈夫。園内はディープな謎が充満してます。しかも、予算は一人2000円で十分●「玉手山遊園地」柏原市玉手山 9時30分〜5時 水曜休 大人400円/子供200円。にこにこパス(入園料+乗り物のり放題)1000円。?欄外に参考記事あり●玉手山遊園地に行くならお得な「にこにこパス」で。高さ15メートルの「観覧車」、3人乗りのブランコが回る「チェーンタワー」、デパートの屋上によくあるような「アストロファイター」、1周50メートルほどの「こども電車」、12人で満席の「メリーゴーランド」、「おばけ屋敷」、の6つが乗り放題。「ボールプール」、「ミニ S L 」、「ふわふわマリオ」が1回200円。「バッテリーカー」、「ミニカー」が100円。ふっふっふっ、以上で園内の乗り物はおしまい。すごいでしょ。あとは、全国の郷土玩具が展示してある「おもちゃ館」を見て、団地の公園のような「こども冒険ランド」で汗を流して、心底さみしい気持ちにさせてくれる壊れた昆虫標本のある「昆虫館」を見学。つらくなったあなたには「慈母観音像」もあるので手をあわせてみるのもよいでしょう。歴史ファンには「後藤叉兵衛の碑」、小林一茶が立ち寄った記念の「一茶句碑」というのもある。古代史ファンには「玉手山古墳」もおすすめ。忘れてならないのが「すべり台」、50メートルが一台、30メートルのが二台あります。売店でダンボールをもらって敷くと死ぬほど恐ろしい目にあえる。春と秋のシーズン、しかも土日以外の曜日は、入園者がたぶん極端に少ないので寂しがりやのひとは、グループで行かないと心細い。近鉄「道妙寺」から10分。※玉手山遊園地は98年閉園しました(95/8)

 

横山ノック

山田勇こと横山ノックが大阪府知事に選出されてしまった◆地方ではノック氏は、ハゲた政治的ポリシーをもたないタレント議員、として捉えられているだろうが、地元大阪では、ハゲた議員もしていた関西芸人、として認識されている◆政治家だからといって尊敬しているひとなどいない。庶民の娯楽の対象、おもちゃなのである。もっとも、関西芸人としての尊敬は十二分に集め、広く人気があるからこそ百数十万票余りを集め、当選したのであろう◆また、そのトレードマークであったピンカールを懐しがるひとも多く、ピンカール付きのカツラがハゲマニアの間で流行の兆しをみせている。(95/7)

 

淀川

「大阪」を上空からみてもらいましょう◆そうすっと何が見えてくるかというと、まあその高度にもよりますが、いちばんに「淀川」が目につくはずです。琵琶湖から河口まで約70キロというから短い川ですが、大阪のシンボルともいえる川です。何千年もかかって大阪平野をつくった、いわば大阪の母なる川ですね。しかし、母ひとりで大阪ができたわけではなく、当然、ちょっと手伝った父もいます。父の名は「大和川」と申します◆だからというわけではないのですが、いまでは「淀川」と「大和川」に挾まれた土地を何となく「大阪」と認定する人がおおいのです。ま、いいかたをかえればこれが「西の常識」なのでしょう◆淀川と大和川、ともに市民に親しまれている数少ない大阪の自然ではありますが、実は両方共、明治時代に造られた人工の巨大な運河なのです。

 

ラブホテル散歩 96

健康な男性にとり、性交可能な若い婦女子と街を歩くことほど至福の時はない。しかし、獣ではないので街中で性交を成功させるには秘めたる場所、ラブホテルが必要である◆大阪のホテル街といえば桜ノ宮が全国的にも知名度が高い。が、キタの繁華街から気軽に歩いて行ける距離ではなく、四百メートル余りの桜ノ宮橋を二十数件のホテル街を正面に見ながら渡り切らないとたどりつけない。しかも橋のたもとには有名な生ニンニクたーっぷりの即効精力食品「薩摩っ子ラーメン」がオールナイトで営業している。これは出来すぎである。セックスぐらいはお散歩感覚でこなしたいものです。また、盛り場からあまり近いホテル街もミエミエで気恥ずかしい◆その点、生国魂(いくたま)神社界隈はベストロケーションといえる。ナンバから徒歩で十数分の距離だが、なにより上町台地の縁(フチ)に位置することから、汗だくで坂道を重い荷車を引く思いで女性を引っ張り上げると後は天国、という心理解放のバランスが大阪人の情緒を満足させてくれるはずです▼取材当日、生国魂神社境内で公演中の唐十郎。リハーサル中のスナップ。生国魂さんではこういうこともしている。

 

六麓荘

阪神間有数の高級住宅地ブランドとして全国にも知られている芦屋。なかでも「六麓荘(ろくろくそう)」は芦屋でも別格の超々々々々(くどい!)高級住宅地なのです。見学してまいりました◆大阪市内でも芦屋ブランドは強く、国道2号線沿いの「芦屋ドライブショップ」のロゴステッカーを後部ウインドウに貼っている泉ナンバーのワゴン車を発見するたびに不思議におもう。そこは何の変哲もない自動車用品店なんだけど。芦屋イメージが先行するのかな◆さて、六麓荘でありますがはっきりいって今回のロケは失敗。すまん。目もくらむようなゴージャス極まりない豪邸の数々をフィルムに収めようと意気込んでご当地に到着したのではありましたが、ここは豪華とか高級とかハイソとかのレベルを優に逸脱している。六麓荘の全貌を明かにしようとおもえばヘリが必要なのだ。道路からはお宅の一部しか確認できず、空撮するしかないのである。が、それでは予算が合わない。このページは主筆のお仕事、いわばゼニ儲けである。たとえライフワークといえども家では妻と娘と老犬が腹を空かして待っている。で、全部歩きました◆まずは写真(1)。立派な石垣に高い垣根、ゆるくカーブした遊歩道が見えますが、この道を百メートルほど入った地点に巨大な鉄扉が存在します。ということはこの道は私有道、単なるお宅のエントランスなのです。こんな規模のお宅ばっかなんよ、ほんま◆いまから約70年ほど前、大正9年に阪神間ではもっとも新しい鉄道として阪急神戸線が山手に通じたことで、それまでは手付かずだった六甲の麗の住宅開発が振興し、各地に住宅地ブームが生まれた。昭和に入り、関西最後の高級豪邸専用住宅地として開発され、それまで関西財界、著名人が多く住んでいた大阪住吉の帝塚山界隈に限界がきていたこともあり、多くの文化人、各界名士が六麓荘に移り住んだ。関東大震災で関西に避難してきた根性なしの文化人なども多かったという◆写真(2)。ここで一番広大な土地を有するお宅。の住宅地なら一区画まるまる、数十世帯以上のお宅が幸せに暮らせる土地全部が個人の住宅として存在しています。六甲山麓丘のゆるい南斜面を利用した日本庭園にはテニスコートが4面あり、室内から飛び込める25メートルプールが有るという噂です◆写真(3)。普通の豪邸、しかも売り物。敷地約二五○坪、大型外車が4台は駐車可能なシャッター付きガレージの上を利用した広大な芝生の庭。鉄筋コンクリートの上モノ(建物)は観察したところ7LDKぐらいか。十億をちょっと切るお値段だそうです◆半日ここをうろうろ取材してたら何かムカムカしてきた。しかし、庭のプールでカバを飼育しているとか、総金箔張りのフェラーリを特注した、などというバブリーな住民はここにはいない。が、建て売り住宅のような巨大な鳥かごに孔雀が20羽いるお宅は在りそう。どちらにしろ、単なる成金的な金持ちは住むことはできないといわれていたこの町にも変化があらわれていることは確か。我が国の現在の相続税制では三代も経つと税務署にすっからかんに吸い取られてしまうので普通の豪邸地帯になるのも仕方ない◆東西五百メートル南北一キロほどの町内に百世帯弱の住民しか住んでいないので人影はまばら。町内を行き交うのは「芦屋大学」の生徒、関係者のみ。入試がなく、父兄の入学金オークションにより入学が決定されると噂の(あくまでウワサである)。関西トップクラスの親が金持ちの学校。現在生徒通学用の立体駐車場を父兄の寄付により建設中。完成のあかつきには関西中のスーパーカーが見られることになる。(97/1)

 

和歌山

大阪から和歌山は電車で1時間以内というかなりのご近所なのだが、大阪人にとり和歌山の印象は希薄である◆和歌山県行政当局もそれをうすうす感じているのか、「もっと和歌山!」などという訳のわからないマスコミキャンペーンを展開してはいるが、効果はないようだ◆しかし、和歌山には独自の食文化がある◆県内のラーメン屋で定食を求めると決まって「ラーメン」に「バッテラ(さばズシ)」が付いてくるのだ◆自炊下宿学生がパチンコに勝った日の夕食のようだが、この組み合わせがなかなかウマイ◆しかし、べつにわざわざ和歌山まで食べにいくようなもんでもない。(95/5)

 

わたし(渡し)百景」

◆とある昼さがり、大阪の臨海部は大正区で、この後ろ姿のおばちゃん三人組はいったい何処へ行こうとしているのだろうか。階段の向こうは木津川運河なのである。いったい全体、運河には何が◆運河にはこの船町渡船が在るのでした。大阪人でも知るひとは少ないのですが、現在市内にはこのような渡船が運行している場所が八カ所もあります◆渡船というのは、つれて〜♪ にげてよ〜♪ の?わたしぶね?のことですが、そうした観光用のではなく、大阪の渡しは一般市民御用達であり?橋?の代わりなのです◆八カ所のうちの七ヶまでが大正区にあるここは大阪渡船のメッカなのです。上で紹介した船町渡船のほか、甚兵衛渡船、千歳渡船、木津川渡船、落合下渡船、落合上渡船、千本松渡船、とこれだけある◆ほんじゃ、映画「ブラックレイン」にも出てくる千本松大橋の真下の渡し、千本松渡船を見てもらいましょか、うーん、ワイドスペースがあんまし効果なかったようですな。興味のある方は迫力十分の外人の見た大阪映画の方を見るといい◆さて、渡し船は橋として扱われている、とはいえほとんどの渡しは各渡船場に一艇しかないので一定時間ごとに往復するシステムになっています。だいたい15分待って乗船時間は川幅のあるところで数十秒、対岸まで50メートルもない短いところだと10秒そこそこ◆ディズニーランドに同様な乗り物があるが、あちらはよそいき(外出着)を身にまとい多少興奮して乗船するのに比べ、普段着の一般人が普通に乗っているところに大きな違いがある。が、こちらは橋だからいくら乗っても無料。タダは得だ◆大正区は人口が約八万人。その面積に対して人口が少なく感じるのは四方を高い防潮堤で囲んだ海抜ゼロメートルという不安感があるからか。どこの臨海工業地帯もそうなんでしょうがここも元々は埋立地◆ここでちょいと余談、じつのところ大阪の土地は一部(上町台地)をのぞきほとんどが埋め立て地なのです。キタのターミナルの中心として知られる「梅田」も「埋めた」土地であるからそう呼ばれているのです。これホンマ◆わが国の大都市のなかでも大阪ほど河川が経済上重要な働きをした都市はなく、大阪は自他ともに認める河川とともに歩んできた町です。市内には網のように物資輸送の運河や掘割がひかれ、またそれぞれには幾多の橋がかけられ、その数は俗にいう「八百八橋」を優にオーバーするほどだった…、時もありました。◆が、ドライな大阪人はその役目がすむとその川をいきなり埋め道路にしたのでした。市内のほぼ七割の旧河川はいま船の代わりに車が走っているのです。ま、日本中どこでもそうですが◆ところで、川(運河)を渡るには「橋」や「渡し船」しか方法がないわけではありません。第三の方法は「川底トンネル」です。旧淀川(大川)の河口支流のひとつ安治川の下をくぐる「安治川トンネル」のできたのは昭和19年。完成した当初は大阪名所として数えられていたともいう◆此花区の西九条と西区の九条を結ぶ安治川トンネルのエレベーターを降りる(階段だと80段分)とせまく暗い地下道にでる。ここでは、葬式の出棺時であろうともだれか絶対に関係のないギャグをかましているといわれているしゃべりな大阪人も、上が川底という不安は隠せず無言のまま約70メーターを渡りきります。降りて押すのであれば自転車も通行可。五十数年前、全国民が「すすめ!一億火の玉!」という時に大阪ではこんな変なトンネル掘ってたわけです◆渡船も運河トンネルも現代社会の基準的便利さからするとほど遠い、かなりややこしい都市交通手段ですが、こうしたややこしいモノばかりが大阪にあるのは何故なのでしょうか。それがわたしは分からないのである。(96/12)

 

ワレ

大阪のことばはケンカことばだ、と東のひとにいわれることがある。じっさい、ケンカになれば関東人など口ではまず勝ち目はない。人口の約7割はヤクザ気質をもち、残りの3割が漫才師気質といわれる大阪の所以である。特に恐れられているのが「お前」の意の「ワレ」である。「ワレー(少し伸ばす)ドツキマワシタロカァ(ドを強く語尾を上げるのがビビらすコツ)」、「ワレ(歯切れよく)ナニサラシトンノンジャ(サラシに力をこめるのがコツ)」程度は地方のひとでも覚えておいて損はない。一般人(男女共)がワレを多用することで知られているのが河内地方である。大阪府の地形を左を向いたアントニオ猪木の顔に見立てると、こめかみからアゴにかけてピクピク動く筋肉のアタリが河内で、真の大阪の中心という説もあるほど文化的には特殊な地域である。20年ほど前のヒット曲「河内のおっさんの歌」やどおくまんの漫画「花の応援団」などで全国的な大誤解をうんだが、あれほど「ワレ」を連発する河内のひとなど存在しない●ところで、大阪には「カワチ」という大きな画材屋さんがありますが、店員全員が河内のおっさん、というわけではないので気の弱い美術方面の人でもOK。

 

わんだ〜らんど 

大阪のまんがファンでこの「わ」マークを知らんひとはモグリといわれても反論はできない◆「わんだ〜らんど」は大阪が誇る漫画専門店のホームラン王と呼ばれて19年になる。関西のオタクのメッカ日本橋周辺では当店の未使用マーク付きビニール袋が高値で取引されている情報もある◆またそのまんが書棚は日本で一番高いことでも知られており、店員は20センチ以上のハイヒール着用が義務となっている。「深井店」「MlC店」「ナンバ店」の3店舗あったのだが、この2月、過去に坪当たり売り上げ日本一を記録したこともあるという、たった5坪の小さな大書店「わんだ〜らんど深井店」は閉店することになった。だが「GON!」の発売日3月17日に併せてか「わんだ〜らんど・なかもず店」を新規開店するそうです。ところで「わんだ〜らんど」で「GON!」は買えるのでしょうか?(95/4)


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