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1章)名物/観光

「大阪名物」

大阪を観光地として捉えたとき、おみやげはいったい何にすればよいのであろうか。ナンバ駅で長い行列ができている「リクローおじさんのチーズケーキ」でも「かに道楽のキーホルダー」でも間貫平の「アメマバッジ」でも何でもよいのであるが、ここは大阪みやげの定番「粟(あわ)おこし」をお薦めしたい◆ふるくは「オコシゴメ」とも呼ばれていた、モチ米を蒸し砂糖を加え固めたお菓子である。出来上がりが粟の色に似ていることから「粟おこし」と呼ばれるが原料は粟ではない。別名「岩おこし」、「雷おこし」とも呼ばれることでも理解できるようにかなり硬度の高い菓子であり、幼児のうちから歯槽膿漏を気にする現代社会においては一般に受け入れられにくくなっている◆観光と任天堂とワコールしか産業がない、といわれる京都は「八橋(やつはし)」をソフト化した「生八橋・おたべ」を開発したが、大阪の「生おこし」は製造されていない。がんこな大阪人らしいはなしではある。しかし、現在大阪市内で販売されている粟おこしは、ほとんど奈良県内で製造されているのだった。('95/8「GON!」vol.7に掲載)

 

「通天閣」

最も大阪らしいイメージを持つ大阪のシンボルタワーである。が、私のまわりで聞いてみたところでは、その高さ103メートルの展望台に上がった経験をもつ大阪人は意外に少ない◆ためしに商都大阪の中心部、本町のとあるキッサ店内にたまたまいた、仕事をさぼっているらしきサラリーマン11人に聞きましたところ、通天閣の存在は全員知っていた。ま、学校で習わなくともこれは大阪人として当然といえばあたりまえの常識だ。しかし、通天閣のあの円形エレベーターで上まで昇ったことのある者はたった1人しかいなかったのである。機能的に考えると通天閣は単なる観光用展望塔であり、大阪に在住するものにとっては身近な存在ではあるが、ことさら展望台を利用するというものではない。東京タワーに上がったことのない生粋の東京人が多いのと同じことであろう。ちなみに私は生粋の大阪人ではないので年に1度は上からみる下界の天王寺動物園を楽しみ、誰でも幸せになれるというアメリカの神様、「ビリケンさん」という手垢で黒光りした奇妙な木彫りの置物に、何度もお祈りをしています。が、未だ幸せの自覚はありません◆また、余談ですが、大淀区には「大阪タワー」というのがあり、こっちは朝日放送の純然たる電波塔で毎朝「おはよう朝日です」というマニアックな朝の番組をてっぺんにあるスタジオからテレビ生放送している。昼間は予約すればタワーの展望台までいけるそうだがそこまでする大阪人はいない。都会人は高い所に興味がないのかも知れない◆で、また通天閣にもどりますが、塔のある天王寺公園西の新世界(ここは浪速区)周辺は大正以後、春を売る女性が三千人以上いる巨大な色町(いろまち)であった。すなわち新世界は周りの大フーゾク地帯と共にして発展をとげた新しい繁華街だったわけです。ジャンジャン横丁、飛田新地などには今でも「男の遊び場」という雰囲気、情緒が濃ゆーく存在する。こうした大人の歓楽街がそのまま残っているのは全国でも数少ないことであろう。その反面、大人びた情緒など必要ない戦後生まれのナウなヤングたちからは「コワイ、キタイ、フルクサイ」と敬遠されてしまい、新世界を楽しんでいたのはすぐ近所にある西成のドヤに住む日雇いのおっさんたちであった。高度成長の基盤を素手で積み上げてきたおっさんたちも老けた。世代交代の時期になったのだ。10年前までは新世界で40前の女性をさがすのは至難のワザであったが、現在は深夜でも10代の女性をみかけることもある。聞くところによるとジャンジャン横丁も幅広く改装し新世界全体も再開発された。となると、通天閣をふくめ、その周辺の映画のセットのような町並みはアナクロな私たちにとって急にだいじなものにみえてくる◆通天閣の入場料は500円、安い!入場は10時半〜6時まで、日祭日は10時から受付開始●通天閣はイルミネーションがよく似合う。下から見上げるのなら夜にかぎる、大阪中の夜景でも一等賞モノ。たったの103メートルの高さでも近くでみるとさすがに大阪のシンボル。新世界にはウマくて安いもんも多い。新今宮駅で降り、ジャンジャン横丁から通天閣に向かうのがセオリー。('94/10「GON!」vol.4に掲載)

 

「くいだおれ」

例のとんがり帽子のチンドン人形(正式名「くいだおれ太郎」)が、オーストラリアの博覧会に出展された、と聞いたので道頓堀に出かけてみた(94年)。というのも、以前、同じ道頓堀の巨大なカニの看板で全国的に有名な「かに道楽」のカニが新幹線にのって温泉へでかけるというCMがあり、その放映期間中、店では看板のカニを修理し(そのちょっと前に巨大なカニの足が何本か落ちて通行人が大ケガした事件があった)消えた壁面には、長いあいだ働いたのでちょっと温泉へつかって骨休みしてきます、とかのちょっとシャレがきいたカニの手紙があったのをおもいだしたのだ。その後、近所の「えび道楽」の巨大なくるまえび(「えび道楽」の看板)が故障したときも、えびの腹に白いおおきな玉をたくさんかかえさせ、卵がかえるまで動きません、というようなことをしていた。だから今回の「くいだおれ」も同じ町内だし今度はどんなシャレ利かすかなぁ、と期待ワクワクで見にきたら、太郎がおるやないの。聞くと人形は調子が悪いとき用にスペアが何体もあるそうで、どうもならん◆倉庫にあの人形が何体も並んでるのは不気味な光景だ。最近は観光客の記念写真アイドルとして大人気であるから、まあ、しゃあないことかも知らんが、大阪人なら、ちょっとは芸してほしかったね。思ったとおりつまらん店だ◆帰りに、御堂筋を渡り道頓堀西ヅメにある料理屋「北海丸」をみにいった。ここは建物全体が帆かけ船仕立になっている度肝をぬくスゴイ建築である。街路樹の陰になっているのがかなり残念。カニをみたあとはこっちもチェック。「かに道楽」のチェーン店です。やっぱりね。('94/10「GON!」vol.4に掲載)

 

「グリコ」

●ミナミの道頓堀に存在する巨大なバンザイしたランニングのおっさんマークのネオンで「グリコ」は大阪の顔として知られています。しかし、その社名の所以となったキャラメルをいまどきの「お子たち」は忘れてしまっている◆料金に組み込まれているとはいえ、ぼっちゃん刈りのあと貰えるグリコがあるからこそ、いやな散髪屋にもかよった経験をもつものとしては心が痛む、残念な気持ちでいっぱいである◆大正11年、佐賀出身の江崎利一によって創製された「グリコ」は有明海の牡蛎の煮汁から抽出した栄養素グリコーゲン、今でいうところのカキ肉エキス入り健康キャラメル、として人気を集め、その「おまけのオモチャ」と共に一世を風靡したのである。カロリーメイトなんぞ食すより、一粒300メートル!も走れるグリコを食べましょうね。時効になった怪人21面相さんも、おなじ意見だとおもう。('95/6「GON!」vol.8に掲載)

 

「大阪城」

●大阪のシンボルともいうべき存在の大阪城は市民に親しまれている。がしかし、大阪に住むものとって、大阪城は遠くから眺めるものであって、近くに寄って見学するものではないのも事実◆ウィークデイに大阪城へ行ってみるがいい。そこで話されているのは決まって大阪以外の地方のものである。また、城内の本丸にあるたこやき店は、大阪市内のたこやきでワースト3にランキングされる味を誇っている。地元の人間が寄り付かない観光地の食い物がうまくないのは何処でも同じですが、ひどすぎる。たこやきの神さんがいたらバチかぶる◆天守閣は昭和6年に市民の寄付によって建てられた鉄筋コンクリート製ですが、近々、太閤さんが建てたときのように模様替えする計画があります。ちなみに西の丸庭園公園は木立が厚いのでデートスポットですが、天守閣からはマルミエですので注意すること●天守閣登閣/400円 9時〜5時 7月15日から8月31日は8時30分まで。無休●西の丸庭園入園/150円 9時〜5時 月曜休園。('95/6「GON!」vol.10に掲載)

 

「近畿地方」 

◆「近畿」というのは、律令制時代、畿内(奈良の都を中心にした地域)に近い地方、という意味からうまれた。もっとも、当時の近畿地方は現在の中部地方(三重県以東)のことで、現在のように、京都、大阪、兵庫、奈良、滋賀、三重、和歌山の2府4県を近畿地方と呼ぶようになったのは、明治の廃藩置県以降のことである。ところがここ数年、近畿地方はみずからを「近畿」と呼ぶのを避けているフシがある◆それは、急速に国際化がすすんだことで当然のように外国語研究が深まり、英語のスラングでいう「 K I N K I 」には「キチガイ、根性ワル、へそまがり」という意味があることがバレたからです。英語圏のひとにとって「近畿地方」は「気が狂った地方」という本質を見抜いたスルドイ意味が含まれてしまうのであった。余談だが、文化的にも経済圏もどう考えても中部地方としか考えられない三重県が近畿に入っていることは解せない。正式社名が「近畿日本鉄道」である近鉄の政治的陰謀説(大阪〜伊勢志摩間がドル箱)はあながち嘘とはいえない。気になりません? ('95/8「GON!」vol.9に掲載)

 

「パレード」

◆御堂筋は、大阪のキタとミナミをむすぶメインストリートである。3.5キロに及ぶ銀杏並木は市民のシンボルとなっている。通常は、南行き一方通行7車線の国道25号としての機能が優先されているので、いくら命しらずの大阪人であろうとも、御堂筋を大勢でねり歩くことなど、タイガースが優勝でもしない限り不可能に近い◆毎年10月に開催される「御堂筋パレード」は、それが可能になる特別な日である。当日の御堂筋は、全面通行止めとなり、市民一万人が参加するパレード会場と化す。沿道は見物客でごった返し動きがとれない、はずだったが今年のパレードは天気が悪く、本町あたりにはひと気も少なく絶好のパレード日和だった。途中小雨まで降ってきた。雨のなかずぶぬれで日本酒の匂いをまき散らし、狂ったように太鼓をたたき、とり憑かれたように笛を吹く郷土芸能のグループは圧感だった。やはり祭りは荒天にかぎる。オープンカーの幌に腰掛けた平服の若い白人男女2人(珍しくも何ともない)が手を振るだけの、「カナダ・若人の賛歌」というプログラムもかなり不条理でよかった。観客はなすすべもなく、道路敷かれた青いシートにへたりこむばかりなのであった。('95/12「GON!」vol.13に掲載)

 

散歩でポン「御堂筋美術散歩」

◆関空、A P E C の連続技で、日本のタンツボあるいはコエダメと呼ばれていた大阪にも、最近は表を多少コギレイにする風潮が芽生えはじめている。都心では歩道整備がさかんに行われ、なかでも御堂筋には美術彫刻作品が数多く設置されている、そうなので確認のため梅田からナンバまで散歩してみた◆歩きはじめて5分、曾根崎付近に最初の作品(写真参照)に遭遇した。段ボールの押し車の表面全体に自らの主張を綿々と、かつ丁寧に書き(描き)綴ったレディメイド・オブジェである。こうした芸術をことばで要約するのは無意味ではあろうが試みると、これは「不可解暗転」をテーマに脳電気盗信超長期陽性被害者(作者は電波系と推測される)の I さんが 、生命維持装置として制作した法的ヒナン権にかかわる重要な箱(と書いてある)、ということになろうか。この作品は市内各所をホームレスの作者と共に巡回しているので、容易に一般鑑賞できない貴重な作品である▼作品「主張の箱(仮称)」匿名希望(一九九六制作)

◆正式にはキタの阪急梅田駅からミナミの南海なんば駅までの間、四千五十メートルを指す御堂筋は、一九二六(昭和元)年に着工され一九三七(昭和一二)年五月に完成した、まもなく60年をむかえようとする大阪のメインストリートである◆歩道に小さな彫刻が設置され始めたのは数年前からで、各ビルのアプローチではなく歩道、ということ行政がからんでいるとピンときた私は散歩の途中、淀屋橋の大阪市役所へお伺いをたててみた。案の定「御堂筋アートマップ」という無料の小冊子を役所は用意して待っていたのであった◆それによると「文化のかおる楽しく歩ける空間」へと、沿道の企業から寄付されたオリジナル彫刻22点を設置した、ということでした。地図でみると淀屋橋から長堀通りまでのオフィス街がメインなのでいままで気付かなかったのかもしれんね。その後、4キロを3時間かけ全ての彫刻を鑑賞して歩いたのであるが、ほとんどが室内用のミニ彫刻ばかりで、最初の「主張の箱」の印象が強烈すぎてあとの作品はどれもこれも普通でつまらなかった◆ただ以下の2点の絵描きさん制作の作品はチョット夜中に持って帰りたくなった▼作品「ヘクテルとアンドロマケ」G・キリコ(一九七三制作)▼作品「踊り子」F・ボテロ(一九八一制作)('96/5「GON!」vol.18に掲載)

 


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