MISTRAL

My Little Lover 3


 コンコン。
 アンジェリークは、女王の執務室のドアをノックして扉を開けた。
「失礼します。アンジェリークです。えっと…」
 女王の執務机は奥まったところにあり、入口からは直接顔が見えないようになっている。
 前女王はヴェールを被り、守護聖とでさえ直接会話をすることを極力しなかったようだが現女王ロザリアは違った。女王補佐官アンジェリークと共に週に一度は全体会議にも出席している。ただ扉を開けてすぐに女王陛下の顔が見えるというのはセキュリティー上良くないという光の守護聖ジュリアスの進言により、一見壁のように見えるよう装飾が施されたパーテーショーンで区切られている。
「アンジェリーク?」
 迷路になっているわけではないのに、なかなか姿が見えない女王補佐官を探そうとロザリアが席を立った。
「おはようございます。女王陛下」
 やっと辿り着いたというような安堵の顔をした少女が自分を見上げていた。翠の瞳の金髪の少女…。
「あなた…アンジェリーク?」
「はい。今日はばあやさんに来て頂いて助かりました。服、ほんとにどうしようかと思って…。いくら何でもこんな小さい服なんか持って来てないし…」
 ロザリアは軽く溜息を付いた。
「…確かにアンジェリークのようね。小さくなったことに悩むんじゃなくて、着る服が無いって悩む辺りがあなたらしいというか…」
「え?ちゃんと悩んだのよ〜?でも悩んでもどうにもならないし、仕事があるから部屋を出ないといけないのに着る服が無いっていうのが一番困ってて…」
 アンジェリークは一生懸命説明しようとする。
「結構似合ってるわよ、そのドレス」
 ロザリアはアンジェリークと同じ目線にまで屈んで、にっこり笑った。
「ほんと?ロザリアって、いつもこんなドレス着てたのよね?これって、歩きにくいし走りにくいのに、尊敬しちゃう!」
 心底感動してる様子の少女に、ロザリアは一言忠告した。
「それはね、アンジェリーク。歩き回ったり走り回ったりするための服じゃなくて、マナーを学ぶ時に着てた正装なの。くれぐれも汚さないようにね」
「はっ、はい」
(なんだかロザリア怖い〜)
 もう着れなくなってるとはいえ、お気に入りの服を汚されるのはやはり嫌なようだ。
「と、こんな話をしてる場合じゃないわね。今朝、クラヴィスに迎えに行かせたんだけど、ちゃんと会えたの?」
「うん。ばあやさんが着替えを持って来てくれて、着替え終わった後くらいにね。もう、誰が来られたのかほんとドキドキだったんだから」
「…ということは、クラヴィスのことだからもうルヴァのところには相談に行ってるわね。それじゃ王立研究院にも連絡を取って調査を始めてるだろうし。とりあえずは結果待ちってことかしら」
 ロザリアが独り言のように呟く。
「ロザリア?どうしたの?」
 アンジェリークはきょとんとした顔で見上げる。
「?何でもないわ。とりあえず今日の執務を片付けないと夜中になってしまうわね」
「それは大変!私のせいで遅くなっちゃって、ごめんなさい。今日の執務は確か守護聖に頼んでおいた調査資料の整理よね。さっそく回収に行かないと…」
 姿は子供でも、口ぶりはすっかり女王補佐官。
「そうね。私が直接回収に行くわけにいかないもの。みんなきちんと提出期限覚えてるかしら。資料がまとまり次第、私の執務室に持って来てくれればいいんだけど。何故か今回みんな提出してくれてないのよね〜」
「大丈夫。任せて」
 アンジェリークが軽く胸を叩いてみせる。
「まあ、難しい仕事じゃないし。それは任せるわ。じゃあ私は…あなたの着替えでも買いに行こうかしら」
「陛下!」
「…冗談よ。でも私の服じゃ動きづらいんでしょ?いつまでそのままか判らないけど、私の子供の頃の服でこっちに持って来てるのはお気に入りのドレスだけだもの。普段着用に何か考えておくわ。オーダーメイドは時間が掛かるから既製品になると思うけど。早く戻ってらっしゃいな。カタログ用意して待ってるわ」
「有難う、ロザリア。やっぱりロザリアって優しい…」
「勘違いしないで。私のドレス、汚されたくないだけよ」
「わかってる。でも、有難う。ロザリアがいてくれてよかった」
 本当は不安なのだ。心配をかけないために笑っているアンジェリークは尊敬に値する。
「…アンジェリーク」
「それじゃ女王陛下。行って参ります!」
 不安な気持ちを見せまいとするかのように明るい笑顔でそう言い、アンジェリークはクルリと向きを変えた。
「いってらっしゃい。転ばないようにね」
「はい!」
 元気よく返事して部屋を出て行く。
「どうして子供の姿になったのかは謎だけど、調査はルヴァたちに任せておけば大丈夫でしょう。それより、どんな服を着せるかよね…」
 女王ロザリアは違う悩みを見つけたようだ…。

「えーと、資料を効率的に回収するのには、やっぱり出来てると思われる方から訪問する方がいいわよね〜。それじゃ、やはりジュリアス様のところに始めに行った方が…」
 考え事をしながら歩くのは良くない。アンジェリークは、腰から広がったスカートで足下が見えずに前のめりになった。
「おっと、お嬢ちゃん。大丈夫か?」
 転ぶ前に抱きとめたのは、炎の守護聖オスカー。
「オスカー様!」
 思わず名前を呼んで、見上げる。
「?こんな小さなお嬢ちゃんまで俺を知っているとは光栄だな」
 アンジェリークとは気付かないオスカーは、一瞬怪訝な顔をしたがすぐにいつもの調子で微笑む。女性に対する極上の笑顔は年齢には関係なく向けられる。
「相変わらずですね。オスカー様」
 自分だと気付かないというのもなかなか面白い。アンジェリークは、にこにこしたままオスカーを見る。
「?…すまない。お嬢ちゃんとは初対面だと思うんだが…」
 オスカーは、じっと少女の顔を見つめる。
「…しかし、見た事あるような気もするな」
 年齢から考えて、直接知ってる訳では無い。ということは、この子の親戚か母親…。
 母親?
 そう考えて、オスカーは即座に頭の中にある女性のリストを検索する。金髪で翠の瞳と言えばアンジェリークだが、彼女と出会ったのは一年前だ。ということは、一体この子は…。
 悩み始めるオスカーを見て、アンジェリークはちょっと悪戯を思い付いた。いつもからかうオスカーに、ささやかな仕返し。
「初めまして。パパ」
「なっ!」
 明らかに動揺してるオスカーは、目を見開いて硬直した。
 パパということは、この子の母親とそういう関係になったということで…。過去に付き合った事のある女性の顔が走馬灯のようによぎる。そこまで深い関係になった女性の顔を忘れるはずがないのだが…
「その辺でやめておけ」
 二人の会話を聞いていたクラヴィスが、おかしそうに笑いを堪えている。
「クラヴィス様!」
 アンジェリークとオスカーは、同時にそう言って声の主を見た。
 事情を知っているクラヴィスには面白い冗談だが、オスカーには何が何だか判らない。
「オスカーが困っているぞ、アンジェリーク」
 クラヴィスはアンジェリークに歩み寄り、手を差し伸べた。少女を片手で抱き上げて、三人の目線を合わせる。
「ごめんなさい。オスカー様。私、アンジェリークです。朝起きたら、身体が小さくなってて…」
「??」
 急に信じられないことを言い出すアンジェリークに、オスカーは首を傾げる。
「ともかく部屋で話そう。お前の執務室へ案内してくれまいか?」
「はい。クラヴィス様」
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