MISTRAL
My Little Lover 2
「今日もいいお天気ですね〜。いつもと変わらない日常がこんなに幸せなんて。新女王即位からは平和な日々で本当にいいことです」
ルヴァは毎朝日課のように飲んでいるお茶の時間を楽しんでいた。ちなみに今朝のお茶はほうじ茶だ。
コンコン。
ルヴァの執務室のドアを叩く音がした。執務が始まる前に誰かが訪ねて来るなど珍しい。
「はい。どうぞー開いてますよ」
カチャ。
扉を開けて入って来たのは、黒髪長身の人物と…少女?
「おはようございます、クラヴィス。えーと…その女の子は…あなたの?」
『子供じゃないですよね〜?まさか…』
口では言わないが顔で言っている様だ。
「…この少女はアンジェリークだ」
深く追求される前にクラヴィスは答えた。
「あー、そうですか。同じ名前にしたんですねー。でも同じ名前だと呼ぶのに難しくないですか〜?」
納得したというように、ルヴァは両手を軽く叩く。
「あのっ、違います!私、アンジェリークです!」
「もうおしゃべりも出来るんですねー。賢い子になりますよ」
ルヴァはそう言って少女の頭を撫でた。
「ん?それにしては歳が合わないような…」
どう見ても外見4歳前後の少女と、アンジェリークと知り合って2年余りのクラヴィスの間にこんな大きな娘などいるはずが無い。
「…だから言っておるだろう。この少女はアンジェリークだ。現・女王補佐官殿」
「女王補佐官殿…って…ええーっ!アンジェリーク、貴女なのですか?」
ルヴァは派手に驚いて、少女の両肩を掴んだ。
「そうです。ルヴァ様、さっきからアンジェリークだって言っても信じて下さらないんですもの。私、何故かは判らないんですけど、朝起きたら小さくなってたんです。どうやったら元に戻れるのか判らなくて…」
翠の瞳に涙を滲ませて自分を見上げる少女は愛らしく、ルヴァは思わず抱き締めた。
「…大丈夫ですよ、アンジェリーク。きっと元に戻る方法を見つけますから」
いつものんびりした声だが、こんな時には安心感を与えてくれる。
「はい。お願いします、ルヴァ様…」
小さな手でルヴァの服を掴んで頷く。
「もしも元に戻れなかったら、クラヴィスに成長するまで待って貰うっていうのはどうですか?」
とんでもないことを言うルヴァにアンジェリークは目を丸くする。
「ルヴァ!」
クラヴィスは途端に機嫌を悪くした。
「冗談ですよ。元に戻る方法は探します。でも、最悪の場合、その可能性もあるんですから覚悟だけはしておいて下さいね」
「わかった…覚えておこう」
「で、アンジェリーク。貴女には全く覚えが無いんですか?何か変なものを拾ったとか、触ったとか、食べたとか…」
ルヴァは、アンジェリークが過去にやった事を思い出しながら一つ一つ区切って言った。
「ルヴァ様ったら昔のことを思い出しながら仰いましたね?んもうっ、意地悪なんだから。でも…今回は石も拾ってませんし、岩にも触ってません!食べた…といえば、森になってたラズベリーかな」
「ちゃんと木になってたんですか?」
「ラズベリーって、木になるんですか?」
きょとんとした顔で尋ねるアンジェリークに、ルヴァは溜息を付いた。
「…それですね、原因は。どんな実だったんですか?」
「えっと、ラズベリーみたいな野いちごみたいな実でした。そういえばラズベリーにしてはオレンジっぽい気がしましたけど…」
「それを口にしたのか…」
クラヴィスまで呆れて溜息を付く。好奇心旺盛もここまでくると困りものだ。
「その実はどこで見つけたんですか?聖地の森ですか?」
ルヴァの問いにアンジェリークは口ごもった。言ったら怒られそうだなーと眼で訴えているようだ。
「怒らないから言って下さい、アンジェリーク。ずっとこのままになりますよ?」
「…エリューシオンに新しく出来た島の森の中です。もう大陸が安定した成長をしてるので、大丈夫だと思ってたんです」
「…その実はまだ持ってますか?」
「いえ。1つしか取らなかったんです。あ、でも一緒に採った葉っぱがまだ部屋にあるかも。持って来ますね!」
アンジェリークはそう言うと、すぐにドアまで走って部屋を出て行った。
「…アンジェリークにも困りましたね〜」
ルヴァが誰に言うでもなく呟いた。
「昨日、視察で居ないって言ってたがまさかこんなことになるとはな…」
近頃平和だと思っていたのに、こうもすぐにその日常が壊されるとは。
「クラヴィス、もしもアンジェリークがあのままなら彼女が成長するまで待ちますか?」
「…そうだな。一番不安なのは彼女だろう。聖地での生活は長い。今更12、3年待っても私は一向に構わぬ」
即答するクラヴィスに、ルヴァはホッとした顔をする。
「それを聞いて安心しました。まあ貴方ならそう言ってくれると思いましたけどね。念のため確認しておこうかと思いまして。でも、どうします?今日の執務は…」
「アンジェリークが今日の仕事は休まないと言っているのだ。陛下が大変だからと…」
「あの姿のまま執務ですか…。他の守護聖みんなに知れ渡りますね…」
クラヴィスは、さっきアンジェリークを抱き締めたルヴァを思い出した。
「ルヴァ、先ほど確か…」
ガチャ。
「ルヴァ様、お待たせしました!」
クラヴィスの言葉を遮って、アンジェリークが飛び込んで来た。一生懸命走ってきたらしく、小さい肩が上下している。
「聖殿って、意外と広いんですね。走っても走ってもずっと廊下ばっかりなんだもん〜」
手には緑の葉っぱをしっかり握っている。
「ルヴァ様。これで調査は可能なんですよね?ごめんなさい、私ったら…ほんとに…」
ルヴァはアンジェリークから小さな緑の葉を受け取って微笑んだ。
「方法はきっと見付かりますよ。万が一…ってことになってもクラヴィスは待つって言ってることですし、大きくなるまで、そのー、お兄さんかお父さんのつもりで…」
アンジェリークを安心させようと思っての言葉であるが、クラヴィスにとっては有り難くない話だ。
「ルヴァ!」
クラヴィスは強い調子でルヴァを窘める。
「あーこれは失言でしたね。アンジェリーク、執務をするつもりならそろそろ陛下のところへ行かないと心配されてると思いますよ」
「え?ほんと、もうこんな時間。それじゃ、ルヴァ様、クラヴィス様、失礼します」
アンジェリークは、白いレースの裾を少し持ち上げて会釈をし、くるりと身を翻して部屋を出て行った。
「アンジェリークは、子供の姿でも可愛らしいですね。まさか子供の彼女を見ることが出来るとは思いませんでしたよ。白いドレスが天使のようで眩しいくらいですね」
「…そうだな」
小さな天使が自分の傍で成長する姿を見るのも楽しいかもしれない。
そう思いながらクラヴィスはルヴァに背を向けてドアへと向かった。
「クラヴィス?」
「あの様子ならいつ転ぶやも知れぬ。今日は一日彼女の守りでもしていよう」
パタン。
ルヴァが、クラヴィスの顔を見る間もなく扉は閉ざされた。
「…過保護ですねー、クラヴィスは。それとも…やきもち…なんでしょうか?」