MISTRAL
Angel Night 3
クラヴィスの私邸は、不思議の国”pays de merveilles(ペイ・ド・メルヴェイユ)”から歩いて十五分くらいの所にある。
当初は、静かな場所というイメージが強いクラヴィスの私邸の近くにテーマパークを建築するというので、抗議があるかと危惧されていた。それが、ドーム状の天井が開いている時でも余り外に声が漏れることがなかった。周りとの調和を考えて、防音設備は完璧になされているらしい。
「あの…クラヴィス様。まだ、流れ星見るの辛いですか?」
アンジェリークは、プラネタリウム”星月夜”で見た流れ星を思い出していた。
作り物の流れ星なら消えゆく星の悲しみは感じないのだろう。だから彼は…。
「…ああ。女王が交替されてからは少し楽になったようだ。星が見たい時にはプラネタリウムに行けばよい。もっとも、私の力でも見ることは出来るのだがな」
闇の守護聖は夜も司る。当然昼間でも星を見せることは可能だ。私用でサクリアを揮うなというのは、前女王の言葉だったか…。
アンジェリークはクラヴィスを見上げた。前ほど辛そうな顔をしていないことにホッとする。やはり新女王の力は偉大なのかもしれない。
ポツリ。
見上げた少女の頬に一滴の水が落ちてきた。
「え?雨?今日って雨って言ったっけ」
隣りを歩くクラヴィスに思わず寄り掛かる。
空は薄曇りで、ポツリポツリと落ちてくる雨粒が金の髪を濡らす。
「もうすぐだ。暫く我慢するといい」
クラヴィスは自分が着ている黒いコートを半分少女の肩に掛けた。フワリと薫る男性の香りを初めて意識して、ドキドキする。さりげなく肩に置かれた手が温かい。
小降りの雨に一粒二粒と大粒の雨が混ざり始めた。本降りになる前に二人は大きな門の前に辿り着いた。
「…着いたぞ」
守護聖の私邸といえば、かなり広い。門を潜って玄関までに少し距離がある。幸い乗り物に乗らないと行けない程の距離ではないようだ。
「濡れちゃいましたね、クラヴィス様…」
玄関で、バサッとコートの裾を翻して水滴を払うクラヴィスに少女は申し訳なさそうに言った。
「私は平気だ。それより気温が下がってきたようだ。早く部屋に入った方がよい」
「はい。有り難うございます」
クラヴィスの部屋…。
前に入ったことがある。朝までソファに座って、流星を見ていた。
彼が決して見せることのないプライベートの顔。辛いことや悲しいことがあっても言葉にせず、ただ目を細めて事の成り行きを見守る。
辛い気持ちを少しでも和らげられればいいのに…。そう思って側に居た夜…。
ただ彼は優しく抱き締めてくれていた。
「…どうした?」
アンジェリークの気持ちを察したかの様にクラヴィスは後ろから少女を抱き締めた。
黒く艶やかな髪が濡れて、仄かに雨の香りがする。いつもはサラサラの髪が、少しずつ束になって頬にかかる。
「髪、乾かさないと風邪引きますよ」
少女は恥ずかしさを隠そうとわざと明るい声を出した。
「…そうだな」
クラヴィスは、煩わしい前髪をゆったりとした仕草で掻き上げた。
「お前も寒かったのではないか?湯浴みでもしてきてはどうだ?世話係に着替えを用意させるが…」
余りにも自然に出てくる台詞に、アンジェリークは困惑する。
「…それとも、私と共に入るか?」
美しい微笑みで問う。
「え?あっ、あの…」
びっくりして目を丸くする少女を見て、クラヴィスは低い笑い声を立てた。少女の反応を楽しんでいるのは明白だ。
「…冗談だ。風呂は一つではない。共に温まったところで、コーヒーでも飲むとしよう」
そう言って、部屋のテーブルにある呼び鈴を軽く振った。
チリンチリンという鈴の音がして、世話係の女性がドアの側に立った。
「お呼びでしょうか」
「…ああ。済まぬが彼女に湯浴みの支度と着替えを用意してくれぬか」
「かしこまりました。さあ、こちらへどうぞ」
世話係の美しい女性に連れられて、アンジェリークはバスルームへ向かった。
幾つもあるというバスルーム。通されたのは、大理石をふんだんに使われた白いバスルームだった。白い大理石に白い斑点の、ごく普通のものだ。しかしかなり広い。
「すごく広い…。クラヴィス様、いつもこんなお風呂に入っていらっしゃるのかしら…」
思わず想像して…赤面した。
「もうっ、私ったら何を考えてるのかしら」
アンジェリークは熱めのシャワーを顔に当てて、頭を振った。
「…それより、クラヴィス様が私のことをちゃんと女性として見て下さってるかが問題なのよねー」
浴槽に入って、湯が顎の下辺りにくるまで浸かる。
面白がって黙って見てたりとか、思わせ振りなこと言ったりとか…。
「…告白して貰って、もう一年近いのになんかあんまり進展してないような気がする…」
いつも素敵なキスはくれるけど…。
考え出すときりがない。
アンジェリークは、ラベンダーの香りのシャンプーで気分をリフレッシュさせた。
「…聞いてみようかな…」
シャワーを浴びたクラヴィスは、暖炉の前のソファに座って本を広げていた。黒いシルクのローブに身を包み、静かにページをめくる。どうやら他星系の古代史らしい。
暖炉で薪がパチパチと音を立てる。
コンコン。
ノックの音で顔を上げた。部屋の入り口に、真っ白なタオル地のバスローブを着た少女が立っている。
「お風呂有り難うございました。髪の毛乾かしてて、寝ちゃいそうでした」
少し舌を出して肩を竦めて見せる。無垢な天使の笑顔が眩しい。
「暖炉の側へ来るといい。冷え込んできた。先程の雨が雪に変わったようだ」
「雪が降ってるんですか?」
アンジェリークは瞳を輝かせて小走りに窓に駆け寄り、重厚な遮光カーテンを半分ほど開けた。
「わぁ、今年初めて見る雪…。クラヴィス様のお部屋で見られるなんて…嬉しいです」
クラヴィスは少女の笑顔に目を細めた。
素直に感情を言葉にする少女を心から愛しいと思う。眩しくて、手を触れると消えそうで…。
「何か温かいものでも飲むか?」
アンジェリークは、俯いて首を振った。金の髪が揺れるとラベンダーの香りがふわりと舞う。
「あの…私、子供っぽいですか?女性としての魅力、ありません?」
クラヴィスは驚いたように少女を見つめる。
「…いつもクラヴィス様の声や仕草にドキドキしてしまうような私じゃ…」
そんなことを考えていたのか…。
パタンと本を閉じて、静かに立ち上がった。俯いている少女の頬にかかる髪を梳くようにして自分の方を向かせる。
「…そう思わせてしまっていたのなら、私の責任だ。お前は触れると消えてしまう淡雪のようで、手を触れることにためらいを感じていた」
深い紫の瞳に少女が映る。
「クラヴィス様…」
「それがお前を不安にさせていたとはな…」
クラヴィスは憂いを含んだ瞳でアンジェリークを見つめ…いきなり両腕で抱き抱えた。
「…どうも私は言葉が足りぬようだ。私がどれ程お前を思っているか…今夜お前に伝えよう」
そう言って寝室へ続く部屋のドアを潜る。
室内は、カーテンが開け放されていてわずかに明るい。雪明かりなのだろう。
ゆっくり優しく下ろされたベッドがギシリと軋む。クラヴィスの手がアンジェリークの頬にかかり、少し上を向かせた。触れるだけのキス。少し長めのキス。それから甘い…。
「…これが大人のキスだ」
少女は口許を押さえてぼんやりとクラヴィスを見た。今までと全然違う感覚…。優しいけど、どこか激しくて…。
「…怖くはないか?」
少女を気遣う瞳は、吸い込まれそうな程に美しい。サラサラと流れる髪がアンジェリークの手に触れる。低く穏やかな声が、不安な気持ちを温かく包み込んでいく…。
「はい」
アンジェリークは真っ赤になりながら頷いた。
雪がはらはらと舞い落ちる。
ナイトテーブルのランプと雪明かりの仄かな明かりだけが寝室の照明だ。
「アンジェリーク…」
ベッドの上から差し出される手に、恥じらいながら手を乗せる。決心はしても、バスローブを取るのは勇気がいる。クラヴィスはただ微笑んで毛布を捲った。
「緊張するなというのは…無理かもしれぬな」
半身を起こしたクラヴィスの横にアンジェリークが恥ずかしそうに上がって…正座した。
初めての経験に緊張してしまっている少女の髪にそっと触れる。金の髪が柔らかく指先に絡む。ラベンダーの香りが少女の緊張を少し和らげた。
「…目を閉じて…ただ…私に身を委ねればいい」
耳許で囁く甘い声…。
アンジェリークは言われるままに目を閉じた。長い指先が頬の輪郭をなぞって顎に辿り着く。吐息を間近に感じて、胸が高鳴った。
クラヴィスの唇がアンジェリークの唇に触れる。左手を少女の細い腰に回し、自分の方に引き寄せるようにしてゆっくりと横たえた。
アンジェリークは静かに目を開けた。クラヴィスの漆黒の髪がアンジェリークの首筋に降りかかる。ナイトローブの胸元が少しはだけて、真っ白な肌が覗いていた。雪明かりに浮かぶクラヴィスの姿は、例えようがない程幽玄的で美しい。
「…クラヴィス様」
手を伸ばして漆黒の髪に触れた。思っていたよりずっとしなやかで、指の間からサラサラと零れる。髪の中へ手を埋めて彼の体温を感じる。そのまま後頭部まで手を回して、自然に頭を抱き寄せた。
クラヴィスの唇が頬に触れ、触れたまま首筋まで移動するのを肌で感じる。
吐息が肌をくすぐり、整った指先がバスローブの胸元へと延ばされた。
ドクンッ。
触れたクラヴィスにも分かる程の鼓動…。滑らかな肌に指を滑らすと、恥じらうように俯く。少女の左肩からバスローブを外し、腕を辿って指先を探り当てた。袖口から手首を抜いて、握ったままの手に口付ける。
「…愛している」
深く響く声…。真剣な彼の瞳が、アンジェリークの心を幸せで満たしていく。
「…私も…愛してます」
アンジェリークの言葉に微笑みを返し、握っていた手を自分の首へと誘った。露わになった柔らかな膨らみに唇を寄せると、首に回された手が反応を返す。左手でゆっくりともう一方の肩からバスローブを脱がせた。
ナイトテーブルのランプに照らされた少女の肌は、温かな色で美しい。
クラヴィスは、アンジェリークの右手に長い指先を絡ませた。
「…朝まで、私を感じて欲しい…」
ドキリとするほど艶のある声…。
優しく滑る指先…。
熱い吐息…。
そして…。
雪明かりに浮かぶ二つのシルエットが、ゆっくりと一つに重なった…。
翌早朝、金の髪の少女アンジェリークは、誰かに頭を撫でられてるのに気が付いて目が覚めた。
「?」
一瞬どこにいるのか忘れて、目を丸くする。
「目が覚めたか?」
愛しい人の声を側で聞き、慌てて振り向く。そこにはガウンを羽織ったクラヴィスが優しい目で微笑んでいた。
顔を見た瞬間、昨夜のことがあれこれ思い出されて段々顔が熱くなる。
「…雪が止んだようだ」
クラヴィスはわずかに開いていたカーテンから外を見た。まだ夜明けには時間があるらしく、月明かりに輝く雪景色が幻想的な世界を作り出していた。
「雪景色ですか?」
アンジェリークは布団から出ようとして…毛布を引き寄せた。何も着ていないのに気付き、戸惑いを見せる。そんな少女が愛しくて、クラヴィスはグイッと抱き寄せた。
「んもうっ、何も着てないのに、寒いじゃないですかっ」
少女の可愛らしい抗議に、溜め息のような笑いを零す。
「…望むなら、熱くしてやれるが…?」
その一言で一気に体温が上がり、真っ赤になる。そんな台詞を平然と言ってのけるのだから、対応に困る。
「…意地悪」
そうつぶやくアンジェリークの髪にそっと口付ける。
本当に見ていて飽きない少女だ。
このまま、ずっと変わらないでいて欲しい。
希望の光として…。
「…お前に受け取って欲しい物がある。いつ渡そうかと思っていたのだが…」
クラヴィスはナイトテーブルの引き出しから一つの小箱を取り出した。
「??」
何をくれるというのか見当が付かない。紺色の小箱を開けたアンジェリークは、言葉を失った。余りにも美しくて。
指輪だった。銀色の繊細な造りで、リボンのようなデザインが施されている。その中央に宝石が嵌め込まれていた。光を受けて紫にもブルーにも見える不思議な宝石…。
「ブルーダイヤというそうだ。その中でもこれ程に色の濃いのは稀だとか。いつだったか、指輪を欲しがっていたようだからな」
ダイヤモンドは無色透明なものが宝石としての価値がある。通常は不純物が混ざり、黄色がかったりピンクがかったりしているのだ。しかし、ブルーとなると話は別だ。ブルーダイヤモンドは産出量が少なく、希少価値が高い。
アンジェリークも、ブルーダイヤが高いことくらいは知っていた。
「有り難うございます。でも。すごく高そう…」
クラヴィスは少女の手の中にある箱から指輪を取り出した。
「私からの…エンゲージリングだ。守護聖の座を降りてからでないと結婚は出来ぬらしいが、婚約なら出来るであろう」
少女の左手の薬指にゆっくりと填める。
「…この先もずっと、私の隣りで輝いていてほしい。死が二人を分かつまで…」
深い色の瞳で真っ直ぐに見つめる。
その真剣なまなざしに、彼の深い愛を感じた。 クラヴィスは、握ったままの左手にそっと口付けた。
誓いの証…。
アンジェリークは幸福感で胸が一杯になった。
「…はい。一生お側にいます」
少女の頬を涙が伝う。
真っ白な雪の積もる朝のプロポーズ。
神秘的な景色の中で誓われる愛は、美しく神聖で、心に深く刻まれる。
クラヴィスは、少女の涙を唇で受けた。
「…私は、お前を泣かせてばかりのようだ」
細い肩を抱き寄せて、金の髪を撫でる。
アンジェリークは小さく首を振った。
「違います。クラヴィス様の言葉が嬉しくて。余り言葉にするのお好きじゃないのに…」
「…そうだな。思ってもいないことを言う程器用ではないな」
「…それって、凄い口説き文句ですよね」
上目遣いで甘えた声を出す。
「…そうか」
フッと微笑んで…
「…まだ朝まで時間がある」
クラヴィスの白い指先が唇にそっと触れた。
「もう一度、夢ではなかったことを…教えてほしい。その愛らしい唇で。その柔らかな肌で…」
静かな…優しい声が再び夢のような世界へと誘う。
アンジェリークは彼の声に耳を傾け、目を閉じた…。
部屋の中を漂う甘い香り…。これは…ココアの香り?
再びアンジェリークが目覚めたのは、太陽が昇ってからだった。
布団の上で寝返りを打つアンジェリークに、クラヴィスはココアの入ったカップを持ってきた。
「…もっと寝顔を見ていたい気もするのだが、日が昇ってしまうのでな」
アンジェリークは半身を起こして、毛布を胸の前まで引き上げた。
「…おはようございます」
何だか恥ずかしくて、顔を合わせづらい。
「眠れたか?」
カップを渡しながら顔を覗き込むクラヴィスと目が合って、真っ赤になった。
「…眠らせてくれなかったじゃないですか」
俯いてカップに口を付ける。
ココアの温かさが喉に心地好い。
「…それはすまぬことをした。では今夜、お前が眠る時に私の安らぎのサクリアを送ろう。…陛下には内緒でな」
内緒にしても、サクリアが送られると分かるのに…。
アンジェリークはクスリと笑った。
「…ウソ。大丈夫です。クラヴィス様が朝まで手を握ってて下さったから。…睡眠時間は少ないけど」
いつもの微笑みを見せる少女に、クラヴィスはホッと息を吐く。内心、怖かったのだ。闇の守護聖でさえ…。
「…雪がまだ少し残っているようだが…また兎でも作るのか?」
「まだ雪、あるんですか?じゃ、クラヴィス様も一緒に作りましょ」
「…私はよい。食事の用意をさせて待っていよう」
考えてみると、雪遊びをするクラヴィスはとても違和感がありそうだ。
でも、結婚して、子供でも出来たら雪合戦とか雪だるまに付き合って下さるかしら…。
アンジェリークは先の楽しみは取っておこうと思った。
「はい。それじゃ、雪ウサギ作って持って行きます!」
Fin
コメント
皆さん、如何でしたか?このお話は、二人が両思いになって初めて結ばれたお話です。
書いた時期が冬だったこともあって、HPにアップする季節と違うのですが、そこはご了承ください。
両思いになったものの、二人の年齢差というものもあって。クラヴィス様はずっと我慢していたんですね(笑)彼女の方から頑張って誘わなければ、きっとアンジェリークが20歳過ぎるまでは手を出さなかったでしょう。大切に思ってるからこそ、彼女が成長するのを待って…。私の理想ですね〜きっと。このくらい大人の余裕を持っていそうですよね、クラヴィス様は。
それから、このお話の中にテーマパークがあります。これはよく言っておかなければいけないなって思うのですが。ウチのテーマパークは聖地に作りました。で、オフィシャルの方は去年の2003年に作ったようですが、ウチのは2001年に作ったものです。だから、真似ではありません。ウチの読者さんはよくご存知と思いますけどね。CDドラマとかに、私と同じ設定だーって思うことが本を発行した後に何度かありましたが、まさかテーマパークまで似るとは…(^^;ま、私の方のテーマパークの方がきっと複雑でしょうけど(笑)ショッピングモールとかもあるのよね…。
何にせよ、作ったものは仕方ない。あちらに負けないようなテーマパークにしないとです。ちなみに未だにエトワールは未プレイです。