mistake 2
「今週の大陸の資料はこんなものだな」
オスカーは、エリュ−シオンとフェリシアの育成状況のデータの書類をまとめると、席を立った。
いつの間にか陽が沈み、月が出ている。
「おっと、俺とした事がもうこんな時間か。レディとの待ち合わせの時間までに、ジュリアス様に資料を届けに行かなくては…」
慌てて身支度を整えて、姿見で服装のチェックをする。
「あの方は服装の乱れに厳しいからな」
まるで風紀の先生に面会に行くみたいだ。
オスカーは鏡の前で笑って見せる。
「よし。今日もいい男だ」
オリヴィエみたいなことを言ってるのを、本人は知らない…。
ジュリアスの執務室に入ろうと扉の前に立ったオスカーは、突然開いた扉に驚いた。
「…すいません」
ぶつかりそうになったオスカーは咄嗟にそう言って見上げた。
「?クラヴィス…様?」
長い漆黒の髪の主は、気怠そうにオスカーを見る。
「ジュリアスに用か?」
「はい」
「今日は疲れているようだ。眠っているので、明日にするがよい」
オスカーの答えも聞かず、クラヴィスは自分の執務室へと戻って行く。
こんな遅い時間にジュリアスの部屋から出てきた上に、気遣うような言葉…。
「お二人に、何かあったのだろうか…」
どうしても気になったオスカーは、許可も得ずこっそりジュリアスの執務室に入ることにした。
「…失礼します」
返事が無いのを確認して、暗くされた室内を歩く。ソファに横たえられているこの部屋の主は、目を閉じており、起きる気配は全く無い。仄かに点された明りはソファから遠ざけてあり、眠っている者に対する気遣いが感じられる。
テーブルには、額のサークレットや耳飾り、指輪といった装飾品全てが綺麗に並べられていた。
「よほどお疲れだったんですね」
ジュリアスが無防備な姿を他の者に見せる訳が無い。特に相対する守護聖には…。
いつも凛と張り詰めた態度を取るジュリアスの寝顔など滅多に見れるものではない。
幼い頃から大人たちの中で暮らし、いつも主座の守護聖であることを強いられる光の守護聖は、人に頼るということを知らないのではないだろうか…。
「ご自分一人で頑張らなくても、他の守護聖がおります。ジュリアス様」
子供を見てるような優しい気持ちになり、オスカーは豊かな金髪に触れようとした。
「…触るな…クラヴィス…」
オスカーの手が止まった。
「ジュリアス様、今、なんと?」
問い掛けに答えるはずもなく、ジュリアスは沈黙する。
寝返りをうつジュリアスの胸元がはだけて、白い肌がちらりと覗く。
「!」
オスカーはさっと立ち上がり、毛布を掛け直してやると慌てて部屋を出た。
「…ジュリアス様、まさかクラヴィス様に…」
右耳のピアスは男色家の証と聞いた事がある。右耳にだけあるあの飾りの意味ももしかして…。
「クラヴィス様、俺より先に…いやいや、そうじゃない。何を言ってるんだ、俺は!とにかく真偽を確かめないと…」
結局、オスカーはその晩、眠れなかった…。
「どうだ?体の調子は…」
聖殿に上がってすぐにクラヴィスは、光の守護聖の執務室を訪れた。かなり珍しい事である。
「朝からそなたの顔を見ると、頭痛がする」
ソファに座っていたジュリアスは、波打つ金の前髪を掻き上げた。
「…そうか。それは気の毒に」
聞き慣れた皮肉には動じない。
「装飾品を外したのはそなたか?」
「…ああ、石も休ませてやらぬとな。それに身体を締め付けるのはあまり良い事とは言えぬ」
「…私と並べ方が違う」
「細かい事は気にするな。禿げるぞ」
さらっと言ってのけるクラヴィスに、ジュリアスは逆上した。
「今、なんと言った!」
いきなり立ち上がろうとして、目眩を起こし、座り込む。
「…興奮するからだ。全く…。熱が出るぞ」
冗談で言ったつもりだったのだが、本当に具合が良くなさそうだ。
熱があるのか…?
クラヴィスは自分の額のサークレットを外して、テーブルの上に並べた。
俯いていたジュリアスが、ふと見上げるとそこにはクラヴィスの長い指先があった。
「クラヴィス、何をする!」
ジュリアスは慌てて後ろへ身体を傾け、避けようと体重を掛ける。
「待て、ジュリアス。このソファは…」
「わっ…!」
背もたれの部分が簡単に後ろに倒れ、ジュリアスをしたにしてクラヴィスまで倒れ込んだ。
ジュリアスが寝ていたソファは、執務室で夜遅くまで調べものをするジュリアスの為に特別に用意されていた、ソファベッドだった。背もたれを倒すと、セミダブル位になり、広々と寝れる優れ物だ。しかし、この際そんなことはどうでも良かった。
「…自分の部屋の物の性質くらい把握しておくことだな。こんなところをまた人に見られたら…」
右手をジュリアスの額に、左手は体重を支える為にジュリアスの右肩の側についたままクラヴィスは、ゆったりとした口調で言う。
「…クラヴィス。話はいい。早くどけ」
ジュリアスは起きようにも、肩口の服も服の裾もソファにきつく押しつけられていて身動きが取れなかった。
「…ちょっと待て。私の服は重いのでな。すぐには身動きが取れぬ…」
額から手を離し、自分の服の裾を持ち上げた時、戸口でカタリと音がした。
「ジュリアス様、先週の…」
言いかけて、炎の守護聖オスカーは固まった。
(あれはどうみてもクラヴィス様がジュリアス様を押し倒している図。しかも、ジュリアス様は抵抗なさっていない!!)
「…失礼しました。また改めて参ります」
一人で誤解して勝手に事情を理解したオスカーは、速やかに退室した。
後に残された二人は、オスカーの出て行った扉をただ見つめていた、
「また…か」
「よくよく誤解される仲らしいな…」
ようやく持ち上げた服を移動させ、身を起こしたクラヴィスはそう呟いた。
「そなたが私に構うからだ。もう私に近寄るな。その方がいい…」
ジュリアスは、疲れた様に額を押さえた。
「…分かった。女王候補にお前と仲良くして欲しいと懇願されていたのだが、仕方がない。またの機会にしよう」
「そうしてくれ」
今度はオスカーか…。
ジュリアスの頭痛は増すばかりだった。
「ねえ、ロザリア。やっぱりクラヴィス様って、ジュリアス様のことお好きなのかな?私とのお話よりも、ジュリアス様を取るなんて…。すごくショックなんだけど」
先日、体調の悪いジュリアスを気遣い、アンジェリークとの話を中断してまで執務室に運んでいた事をまだ気にしているようだ。
「知らないわよ。でも仲が悪いと困るから、クラヴィス様が占いの館にいらっしゃった時にお願いはしてみたけど…」
「あっ、それ、私もした。ね、ね、いつ?」
詰め寄るように身を乗り出すアンジェリークに、ロザリアは記憶を辿るように視線をずらした。
「おととい、かしら」
「同じ日、私、サラさんにおまじないまでしてもらった…」
「そのせいかしら…?」
「…だと思いたくないけど…」
二人は顔を見合わせて黙り込んだ。
「もう一度、ルヴァ様に相談してみる?」
「その方がいいかもしれないわね」
意見が一致した二人の少女は、再びルヴァの部屋に赴いた。
「昨夜のことにしても今のことにしても、一体あのお二人はどうされたんだ。仲がよくなられたのか?いやそれにしては、密着し過ぎだ。女性に免疫のないジュリアス様がまさかクラヴィス様に?…むやみに疑うのはよくない。こんなこと誰に相談すればよいのか…」
一人でぐるぐると思考を巡らしていたオスカーは、背後から呼ぶ声に気付かなかった、
「あのー、オスカーどうしました?」
「わっ!」
大きな声を出して驚きを表し、振り向く。
「ルヴァか…、脅かすな」
大きく息をつき、立ち止まる。
「ちょっと考え事をしていた。何か用か?」
「いえ、何か真剣に考え事をしていたので気になりましてね。私でよければ相談に乗ろうかと…」
「そうか!」
ポンと手を打ち、ルヴァの耳に顔を近付ける。
「それじゃ少し相談なんだが…ここじゃちょっと都合が悪い。部屋に入れてくれないか?」
「分かりました。美味しいお茶をご馳走しますよ」
緑茶と芋羊かんを用意したルヴァは、オスカーの前の席に着いた。
じっと湯飲みを見つめたままのオスカーの様子を伺いながら、緑茶を啜る。
「ルヴァ、ジュリアス様は、いや、クラヴィス様は、男色家なのだろうか…」
ポツリと呟くような質問にルヴァは目を丸くする。
「は?あの、どういう意味ですか?」
「お前なら二人との付き合いが長いから知っているかと思ってな…」
どうやら本気で悩んでいるようだ。
『どうしたんでしょうね。ここ何日か、こういう誤解が多いんですが…』
ルヴァは、どうやって説明しようかと思いながら、羊かんに楊枝を立てた。
「…クラヴィスは女性が好きですよ。何故そんなことを聞くのか、私には判りませんが」
「そうか」
オスカーは、ホッとして湯飲みに口を付けた。
ではあれは一体…。
悩み始めたところで、ドアを叩く音がした。
「ルヴァ様、ちょっとご相談したい事があるんですが…」
女王候補の一人、ロザリアの声だ。
「はい。オスカー、ちょっとすみませんね」
ルヴァは席を立ち、ドアを開けてやった。そこには二人の少女が心配そうな顔で立っている。
「どうしました?」
「あの、昨日ご相談した件なのですが…」
「言い忘れた事があるんです…」
交互に言うところが可愛らしい。
「実は、先日クラヴィス様に、”ジュリアス様と仲良くして下さい”ってお願いしたんです。私もロザリアも…。おまけにサラさんに二人の相性がよくなるようにおまじないまでしてもらって…」
「お二人が急接近されたのなら、その辺りが原因ではないかと思いまして、こうしてご相談に…」
「そうですか!」
ルヴァは、納得したように大きめの声を出した。
「???」
驚いて目を丸くしている二人を、ルヴァは部屋の中へと招き入れた。
「今の話を、オスカーにも聞かせてあげて下さい」
「え?オスカー様?」
二人が身を乗り出して部屋を覗くと、赤い髪の守護聖が座っていた。
「やあ、お嬢ちゃんたち。今日も可愛いな」
悩み事があっても、いつもの挨拶は変わらない。
「あの、ジュリアス様とクラヴィス様の事で何か…?」
アンジェリークは心配そうな顔で尋ねる。
「…たいしたことじゃないんだが…な」
まさか、クラヴィスがジュリアスの上に乗っていたなどとは言えない…。
「クラヴィス様に、”ジュリアス様と仲良くして下さい”ってお願いした事が関係あるんでしょうか?それともお二人の相性がよくなるようにおまじないをお願いしたから…」
ロザリアもやはり心配顔だ。
「そういうこと…か。判った。有り難う。お嬢ちゃんたち」
オスカーは緑茶を飲み干すと立ち上がった。茶菓子はいつの間にか食べていたようだ。
「ルヴァ、参考になった。美味しいお茶と茶菓子を有り難う」
オスカーは心持ちすっきりした顔で、ルヴァの執務室を後にした。
「あの、ルヴァ様?サラさんのおまじないで相性が上がったら、男の方同士でも恋愛ってあるんでしょうか…」
今一番不安な事をアンジェリークは訊いてみた。
「無い…と思うんですが…。こればかりは、判らないですね。世の中不思議な事が多いですから…」
「クラヴィス様は女性がお好きだという事は判った。あの状況が何だったのかはよく判らないが…。やはりここは、直接ジュリアス様に訊いてみる必要がある。何もなかった可能性が高い」
オスカーは何とか自分なりに考えをまとめて、落ち着いた。
ジュリアスの執務室に足を向けると、通り道にある自分の執務室の前に、人がいるのが見えた。長身で自分より細身の光の守護聖…。
「ジュリアス様…」
オスカーの声で振り返ったジュリアスは、窓から差し込む陽光を浴びて眩しい程だ。
しかし昨日の今日の為か、若干疲れが見える。
「オスカーか。少し話がある」
「はい。では、私の執務室へお出で下さい」
オスカーは、さっと扉を開けて中へと通す。
「オスカー。先程のことだが、私とアレは、何でもない。まさか他言などしていないだろうな?」
「はい。勿論です。ジュリアス様」
即座に答えるオスカーに、ジュリアスはホッと息をつく。
「…少し体調が優れなくてな。不覚にも倒れてしまったのだ。とんだ醜態だな」
自嘲気味に笑うジュリアスの様子が、あまりに痛ましい。
「ジュリアス様、今日は日の曜日です。ゆっくり休まれてはいかがですか?私邸に戻られるとか…お送り致しましょうか?ここでは、休まる間がないかと思われますが…」
「そうだな。馬車を呼んでくれ」
「はい。ただいま」
カタカタカタ…
心地好い振動を感じながらオスカーは、横に座るジュリアスをちらりと見た。
窓の外を見ているらしく、顔は見えない。
『やっぱり尋いてみるべきだろうか。でも、何でもないとおっしゃっているのにもう一度尋ねるというのは疑っている証拠…』
一体どうすればいいのだろうか…
二人きりの室内。沈黙がオスカーの緊張を高める。
「ジュリアス様。ここ最近ご多忙だったと思います。全部を処理なさろうとせずに私にお任せ下されば、少しは仕事が軽減されるはず。倒れるまで働かれなくても、補佐する者はおります。逆にいえば、寝込まれた方が、他の守護聖の仕事にも影響が出るというもの。仕事の量が多い時はどうか一言私に声を掛けて…」
前を向いたまま一気に言うオスカーの肩に、ジュリアスが寄り掛かった。
「!」
オスカーは、一瞬ドキリとして、前を見たまま固まった。
「ジュリアス様…」
もしかして…。
内心ドキドキしながら、ジュリアスを見た。
「……」
長い睫が伏せられ、波打つ金髪が美しい青年の顔を半分隠していた。窓から差し込む陽光が金の髪に透けて僅かに影を落とす。
その美しさは並の女性の比ではない。
「眠ってしまわれたのですね…」
結局、ジュリアスが何故クラヴィスとあんな体勢でソファに転がっていたのか、尋けずじまいだった。
「まあ、いいか…」
安心したような顔で眠られるのはきっと自分の前でだけだろう…。
オスカーは起こさぬようにと、私邸に着くまで同じ姿勢を保った。
敬愛する光の守護聖の為に…。
1999.8.22発行”mistake”より