◇総門にある龍の彫刻
龍門寺の総門に施されている見事な龍の彫刻は、飛騨工・左甚五郎の作と伝えられています。この龍には伝承があって、夜になるとこの龍が暴れ回るため村人が鉄砲で撃ったという伝説が残されています。小学校の時、秋の写生大会では龍門寺近辺を訪ねると、きまって和尚さんの説法の中に出てきます。穴のように見えるところが鉄砲のタマの跡だそうです。ダルマ庭園や境内の東南に位置する鐘楼の周辺は、見事な紅葉を楽しむことができましたし、甘茶をごちそうになったりもしました。
◇龍の間、虎の間、竹の間
庫裡には客間が三間あり、それぞれ龍の間、虎の間、竹の間と呼ばれていました。虎の間は、八方にらみの虎が見事に描かれていてなかなかの迫力、そして、竹の間は昔から幽霊の間とも呼ばれ、夜な夜な幽霊が出るという噂がありました。小学校の時、子供会で龍門寺での今で言うところのお泊まり会があったと思うのですが、そんな話しを聞いてビビッて眠れなかった記憶があります。もちろん、竹の間は怖くて眠れませんから、泊まったのは別の部屋です。 昨年、建て直しが行われ、襖はとりはずされ軽装を待っています。もひとつの龍の絵(龍のついたて)は、改装も終わり、壁に雄姿を見ることができます。本堂は、150年を越え、今も昔の姿をたたえています。
秋の紅葉時には、とくに龍門寺はあでやかに染まります。美しい庭園のほか、いたるところにモミジやナナカマドが真っ赤に色づいて、写生には本当に絵になるところです。庭のまんなかにもお堂があり、観音様がまつられています。その右には鐘付き堂があり、除夜の鐘は生で聞くことができます。
◇花まつり:灌仏会(かんぷつえ)
5月8日は、お釈迦様に甘茶をかけてお祝いをする日です。年に1度しか小さなお堂は飾られませんから、拝むことができるのはこの時だけです。下が器(浴盆)になっていて、甘茶がそそがれています。小さなひしゃく(柄杓)が用意されていて、年の数だけ甘茶を小さな釈尊に注ぎます。さすが、この年になると年の数だけ注ぐには時間がかかりますから4杯にしておきました。 お釈迦様が誕生された4月8日というのが本当でしょうが、神淵はもろもろの催事が1ヶ月後れていて、5月8日です。ただしこれも多くの人に来てもらうため、近年、もよりの休日に変更されます。ちなみに神淵では、お雛さまは4月3日、七夕さまも8月7日なんです。
灌仏会のほか、日射病予防にもなため、写生大開の時はよくいただいたものです。アマチャの葉を乾かしたものを煮出したものです。葉を乾かすとフィロズルチンが生成されるため甘くなるそうです(実際は、灰汁抜きやら発酵やらかなり手間らしい)。夏に紫色の花をつけ、見た目はアジサイとかわりません(ヤマアジサイの変種でユキノシタ科)。お茶に砂糖を入れたものではありません。ほんのり甘い感じで、むしろ渋みや苦みの方が強いと言えます。
位牌堂
本堂のさらに奥には、位牌堂があり、我が家のご先祖様も祀られています。壇家でないと通常は入れません。守り観音様に見守っていただいています。
◇保存されている宝物
絹本着色釈迦善神図(県指定重要文化財) 彩箋墨書妙法蓮華経寿量品第十六(県指定重要文化財) 絹本着色涅槃図(県指定重要文化財) などがあったと思います。
神渕稲荷神社の鳥居の左手には、甚五郎桜があります。龍門寺の左甚五郎作と言われている木彫龍が名前の由来に関係しているのでしょうか? さすがゴールデンウィーク時期では、とうにサクラの花は終わっていました。桜が咲く頃には、観桜会が毎年行われていたりします。
右の写真は2009年4月14日 天王山祭りの時です。
◇神淵・寺洞地区の播隆碑
文政5年(1822年)の建立です。播隆上人の書だそうです。かなりわかりにくところにあって、地元でもどこにあるのかはあまり知られていません。流れるような書体が特徴です。近くにある公民館で場所を聞けば教えてもらえます。