神淵神社は、天王山(てんのうやま)の山頂近くに社があります。天王山は以前、御佩山(みはぎやま)と呼ばれていました。寺洞から葛屋へ抜ける峠の途中に、神渕神社へ上る道があります。神社まではずーっと1本道の坂(標高差140mほど)ですから、自転車だと登りは大変です。歩きでだいたい30分くらい、自動車で10分というところでしょうか。実際、歩きで上る時は、別の山道を使います。 道路は舗装されていて、車でも上れますが、枯れ葉が落ちていたりすると滑りますし、片方がガケのところもあります。車1台分の道幅ですが、ところどころに車のすれ違いのための場所が用意されています。山の上にはどえらいこと大きい駐車場があります。
◇旧参道があります
実は、今の道は林道としてできたもので、旧参道があります。ハズへ行く道の途中から上がり、途中、林道に出て、少し上がったところから左に入ると林道に平行した細い道があります。
◇道祖神
入り口から神渕神社までには、1丁ごと(約109m)に道祖神があります。昔数えたら確か16丁だったと思うのですが、入って最初の道祖神に十八丁と書かれていたから、18あるはずですよね? 数え間違いだったかもしれません。
茶屋のばば様の碑というのもありますが、それは旧参道の方です。
◇磨崖文字
神淵神社へ向かう旧参道の崖には、磨崖文字(まがいもじ)があります。左の看板があったら、見上げてみてください。一文字が2m四方もあるとか、大正初期に彫られたものだそうです。下から見ると小さいですが、上って見るとなかなかのものです。 この地は、御佩郷と呼ばれていたため、この文字が刻まれたとか・・・しかし御佩郷とはなかなか読めません!
坂道も終盤、四丁を過ぎると森が開け、眼下には葛屋の集落が一望できます。このあたりは、落石も多いところだし、片方がガケなので要注意の場所です。数楽側かr風邪が吹き上げて来て、お休みできるところです。以前は舗装もされてなかったのですが、今はアスファルトになり、味気なくなってしまいました。それに加え、中部電力の鉄塔、さらにはNTTドコモの七宗笹尾無線局が建ってしまい、神秘的な雰囲気はなくなってしまいました。
◇ご神体は鏡と剣
神淵神社は、スサノオノミコトと十拳剣(トツカツルギ)神霊を祀っています。天武天皇が壬申の乱の時に祀られたと記録されています。皇紀元年とも言われています。
◇スサノオノミコト
古事記と日本書紀でおなじみ、天照大神(アマテラスオオミカミ)の弟神です。スサノオノミコトは乱暴な神として伝えられているのですが、どういうわけか天照大神よりスサノオノミコト(須佐之男命)を奉る神社の方がはるかに多いらしいですね。神淵神社に奉られているのもスサノオノミコトです。
◇十拳剣(トツカノツルギ)
握り十個分の長さを持つ剣で、この剣は数々の日本神話に顔を出しているため、どうやら1本だけではないとのことです。天照大御神とスサノオノミコトは、この剣と勾玉によって神々を誕生させ、またスサノオノミコトはこの剣で八俣之大蛇(ヤマタノオロチ)を退治したとされています。
◇奥の院
さらに裏山へ上がると「奥の院」があります。ここには「天の岩戸」の伝説が残っています。入ったことはありませんし、スサノオノミコトの御霊が宿るという鏡も、トツカノツルギも実物を目にしたことはありません・・・ご神体ですから、そうそう見られるものではありません。
■昭和5年2月28日に文部大臣により天然記念物に指定 ■海抜457m ■神渕神社の境内
◇神淵のシンボル、大杉
天王山の神淵神社には、七宗町のシンボルとも言える国指定天然記念物の大杉があります。 ずーっと前から樹齢800年と言われているので、もう850年にはなったかもしれません。樹高は47.6m、目通り周囲10mという御神木の名にふさわしい立派なものです。
子供の頃からよく来た場所であり、信仰の対象でもあったので思い出深いところです。 神淵の人にとって、これは神の降臨を仰ぐための、いわゆる「神の宿り場」です。神聖な木、神の依代として、めなわをかけて奉祈しています。 takuが生まれ、最初に神淵に里帰りした時は、健やかな成長を願って、真っ先にご神木にお参りに行きました。
地名が葛屋(くずや)だからというわけではありませんが、クズ神さまを祀っている神社です。 実は、ここの神社裏手から天王山の神淵神社へと続く道があって、歩きで登る地元の人が使う道です。
クズ神さまとは、九頭竜(九頭一尾の竜)のことです。ヤマタノオロチが大蛇であるのに対し、こちらは竜を想念したもので、水の神様さまです。水神さまは、時に雷や稲妻をもって豪雨をもたらす怪神でもありますから、ご機嫌をそこねないよう、また農耕に必要な水をもたらしてもらえるように祀っているというわけです。