KhasyaReport Khasyabooks mini 2024-Mar-25
KhasyaBook ブルボン小劇場のヒュースケン9殉教マルチル 右の枠をタップして本を開きます。読み進めるときは右ページを、戻るときは左ページをタップします。 ◎Chromeブラウザのリーダー・モードやfirefoxのリーダービューで読むとページめくり効果の飾りが取れます。シンプルに読みたいときにはリーダービューで。
KhasyaBook miniブルボン小劇場のヒュースケン9 殉教マルチル天草の記憶 khasyaReport 2024-Mar-20 Tap me 登場人物 久助 物語を進行する中心人物。ニューヨークの教会でハリスと出会い日本行きを誘われた。5か国語を使いこなす。現代の幕末研究者は久助をヒュースケンと呼んでいる。 治平 浅草橋墨田川近くに店を持つ版元。歌舞伎錦絵、草双紙、読切、何でもありの出版通。版元にありがちだが度々名を変える。 カン 若い漢文学者。福沢諭吉が佐倉宗五郎をマルチルと呼んで絶賛したことで宗五郎事件の新たな書下ろしを治平に依頼されている。上総サクラ藩士。 ヌイ殿 サクラ藩城代。藩主文明公は老中首座で欧米諸国との通商条約折衝を統括する外国掛兼任。多忙を極めているためヌイ殿は江戸屋敷とサクラ城を繁く通って藩主を支える。縫殿重久とも。 M 長崎出島でオランダ語通訳を代々務める武家の家柄。200年前のオランダ語を操り日本語文法でオランダ語文を作ってしまうのでハリス公使は厭うが久助とは馬が合う。幕府の内情をぺろりと久助に漏らす。
登場人物 久助 物語を進行する中心人物。ニューヨークの教会でハリスと出会い日本行きを誘われた。5か国語を使いこなす。現代の幕末研究者は久助をヒュースケンと呼んでいる。 治平 浅草橋墨田川近くに店を持つ版元。歌舞伎錦絵、草双紙、読切、何でもありの出版通。版元にありがちだが度々名を変える。 カン 若い漢文学者。福沢諭吉が佐倉宗五郎をマルチルと呼んで絶賛したことで宗五郎事件の新たな書下ろしを治平に依頼されている。上総サクラ藩士。 ヌイ殿 サクラ藩城代。藩主文明公は老中首座で欧米諸国との通商条約折衝を統括する外国掛兼任。多忙を極めているためヌイ殿は江戸屋敷とサクラ城を繁く通って藩主を支える。縫殿重久とも。 M 長崎出島でオランダ語通訳を代々務める武家の家柄。200年前のオランダ語を操り日本語文法でオランダ語文を作ってしまうのでハリス公使は厭うが久助とは馬が合う。幕府の内情をぺろりと久助に漏らす。
Liberté自由、Égalité 平等、Fraternité 連帯。フランス革命に浮かび上がるスローガン。これら三語の前にUnité, indivisibilité de la République(皆まとまれ、共和国のために)があり、これら三語の後ろにou la mort(さもなくば死)があった。革命後、ou la mortはスローガンから外れる。1848年2月27日のことだった。
【今回の話の前知識】1857年12月7日の大君謁見の前日、ハリス公使とヒュースケンはアメリカ聖教会の礼拝を初めて行った。 キリシタン禁制の日本。二人のアメリカ人が日曜の午前中に声を張り上げて手にした聖書を読んだ。ヒュースケンの日本日記はその礼拝のことに何一つ触れない。ハリス公使は江戸でキリスト教の礼拝を行うことが何を意味するか、ある種の予言を含めて彼の日記に憑かれるように詳細に記している。その、初めての礼拝が行われたのは大江戸、アメリカ公使館が置かれた弘法大師開山の麻布山善福寺でのことである。 礼拝の目的は220年前に九州天草で幕府が虐殺したキリスト教信徒の鎮魂である。 殉教した二万数千のキリスト教信者を鎮魂する二人の思いは翌日のタイクン謁見を経て、7日後の堀田正睦老中の上屋敷でのハリス公使による老中、外国掛の面々への二時間に及ぶ開港、永住、信仰の自由の呼びかけへとつながる。開港地の指定と居留地での永住、キリスト信仰の自由、これらが通商条約の単なる補足という扱いで1857年3月から6月に幕府との間で協議された。 ハリス公使は大君謁見の5日後、備中守の上屋敷に集めた外交担当の政府代表に長々と演説をぶった。何を呼び掛けたか―
第4幕 マルチル殉教 Martyrs 第1場 ヒュースケンの独白1 私は夢を見る。善福寺で礼拝をささげた日の夜はこんな夢を見た。 古びた板壁の牢獄に投げこまれた切支丹が自らの血を指で拭い、その指を壁にこすりつけて文字を書かされていた。評議所の役人は引きつる笑顔で、さあ書け、と口をとがらせ促した。寛永十八年と書け。髷を切られ残バラの髪を振り乱し、下帯姿で数字を、切り刻まれた自らの腕から流れる血を指に取り数字を壁に並べるのは天草の年老いた漁民だった。文字がかすれると役人は、赤墨が足りぬか、ほれ、と老人の腿を小刀で切り裂き鮮血を噴出させ、さあ、壁に書けと迫る。老人は血を指にぬぐい取り壁に赤い文字をふるえる指で書いた。 ---キリシタンご禁制たり 切支丹を弾圧する幕府の圧政は島原キリシタンの殉教者37000人を数えてなお民を圧迫した。不審のものあらば申し出よ 御ほうびは銀五百枚の高札。これが幕府のやり方だ。1637年の12月11日の島原蜂起は220年前。今日は1857年12月6日。ハリス氏は主の教えに従いマルチル、殉教の死を苦渋の中で選んだ日本人に手を合わせ今日を主の救いの日に選んだ。明日7日は将軍謁見、12日には備中守の上屋敷でキリスト教信仰の自由をハリス氏が老中と外国掛の武士たちに訴える。条約に信仰の自由を入れるためだ。私はその行動を恐れた。国外追放にならないか。いや、斬首されるのでは。だが、ハリス氏は驚くほど冷静で果敢だった。
12月6日。礼拝。公使館の障子で仕切る部屋で私はハリス氏に従いイザヤ書第5章を読んだ。キリシタン禁制を破った。アメリカ聖公会の礼拝が私たち二人によって初めて行われた。闇を光に変えるために。 闇を光にと読んだ時、自由を叫ぶ者が現れた。 声は遠くから近づいてくる。 自由を、自由を、自由を。 その声に促され島原の殉教者たちが賛美歌に包まれて現れた。 良心の自由を。信仰の自由を。 なだらかで悲しい讃美歌がその旋律を強めたときその歌は自由を求める戦いの歌に変わり、フランス語でうたわれるブラバント勝利の歌が聞こえた。
我らが魂と我らが心を汝に捧げよう 我らの強さと我らが血を受け給え 汝の威光と栄華よ共に在れ 破られることなき団結の下で 汝の信義は永遠に実を結び 汝の信義が高らかに響き渡る 王 法 自由のために 汝の信義が高らかに響き渡る 王 法 自由のために 王 法 自由のために 王 法 自由のために!
声を張り上げ歌う。貧しい農民、漁民、手工業者、産業の大規模経営者、皆が高らかに声を張り上げるとプツンと声が切れた。 一瞬の静寂。闇が幕になって降りる。そして、暗闇の中にインドのタブラの音がかすかに響く。
第2場 ヒュースケンの独白2 虐殺の悪夢から覚めようとしている。タブラの音が人の言葉に変わってゆく。やわらかな、そして張りのある声が明瞭になって来る。板壁の血糊の文字が溶けて消えてゆく。私は悪い夢から覚めるのか。 評議所の役人が砂煙になって一陣の風で消えた。老人の腿をえぐった小刀はやわらかな聖女の手指となって血の吹き出る傷にあてがわれ、傷は癒え消えた。 声が大きくなる。ハリス氏の声だ。 ------------------- ハリス氏が声を張り上げて歌うように語っている。昨日の礼拝の時読み上げていた聖書の抜き書きノートを手にしている。サムライの正装に身を固め身じろぎしない聴衆の前で伝道者ハリス氏が太い声で読み上げる。
わたしは歌おう、わたしの愛する者のために そのぶどう畑の愛の歌を。 わたしの愛する者は、肥沃な丘にぶどう畑を持っていた。 さあ、エルサレムに住む人、ユダの人よ。 わたしとわたしのぶどう畑の間を裁いてみよ。 わたしがぶどう畑のためになすべきことで 何か、しなかったことがまだあるというのか。 地は裂け、甚だしく裂け 地は砕け、甚だしく砕け 地は揺れ、甚だしく揺れる。
伝道の歌に陶酔したハリス氏は今、頭を寄せて集まった"半文明国"の指導者たちの耳に論を吹き込んでいる。ニューヨークのアピスケポル教会で集まった信徒を前に神の道を語りかけていた昔のように。自由貿易は利益を生み出す。私たちの国の商人が日本に来てもうけを得るのですから、あなたたちもアメリカへ乗り込んで莫大な利益を手にしなさい。この国を支えてきたあなたたちにはできる。 老中の集団指導者たちはここで互いを見合わせ賛同の声を上げた。そうだ、開港は日本にも利があるのだと一人が言う。 アメリカが日本の海でクジラを取りその油を売って巨大な利を上げるのだから、我々もアメリカへ行って利を上げその利益を日本へ持ち帰るのだと又一人が高揚して言う。 アメリカへ海をまたいで出かけ大いに通商を広げよう。日本をもっと豊かにするのだ。 陶酔したハリス氏は声を高めた。 そうです、貿易はあなたの国に利を生む。早く港を開きましょう。アメリカの総領事としてこれから日本の各港に居を構えるアメリカ領事たちに公平で自由な交易を広げるように告げます。 こうも告げた。 長崎には上海から来たアメリカ領事がすでに領事館を開いている。長崎の領事は私が上海で任命した貿易商です。
信仰の自由を求めたハリス氏は上海から赴任する聖公会の牧師と長崎に教会を建てる計画をすでに立てている。 すべてがハリス氏の計画のまま動いている。アメリカの利のために尽くす。それが日本の利にもなる。これが貿易です。ハリス氏はそう大声で語っている。今日の演説の席を設けた外国掛老中備中守はその鼓舞する言葉に大いに賛同している。 だが私は昨日の礼拝でハリス氏と共に読み上げたイザヤ書の顛末を知っている。つまり、その先には暗黒の黙示録が待っていると。 地は裂け、甚だしく裂け 地は砕け、甚だしく砕け 地は揺れ、甚だしく揺れる 地は、酔いどれのようによろめき 見張り小屋のようにゆらゆらと動かされる 地の罪は、地の上に重く 倒れて、二度と起き上がることはない それゆえ主は御自分の民に向かって激しく怒り 御手を伸ばして、彼らを撃たれた 山々は震え 民のしかばねは芥のように巷に散った。 しかしなお、主の怒りはやまず 御手は伸ばされたままだ。 見よ、闇が地を閉ざし 光も黒雲に遮られて闇となる
第3場 ヒュースケンの独白3 Mは主語のないオランダ文を作って我々の謁見に対するタイクンの言葉を伝えた。タイクンは偉大なので人称代名詞で表してはいけない。だから大統領の親書に対する返礼であってもタイクンの言葉に主語はない。もちろんオランダ語訳でもタイクンが語ったとは決して言っていない。 めまいを覚える記憶が現れる。目の前のタイクンの先祖はキリスト教の一切を虐殺によって日本から消し去った。天草のキリスト教徒はマルチルとなった。数万の信徒が最後の一人まで殺された。でも、新来の宗教に行なったその残虐をもって哀れな日本人を非難するのは止めよう。我々のヨーロッパの歴史こそが異端宗教を火あぶりの刑に服す狂気を平然と行ってきたじゃないか。 目の前のタイクンはキリスト教徒への敵意に溢れたイエヤス一族の末裔だ。キリスト教徒の我々をタイクンの前に案内する信濃守は跪いて前に進む。私たちは靴を履いて立ったままタイクンの前に進み出る。これが今この時のありのままの姿だ。ハリス氏も私も自由であり平等である。 ハリス氏も私も神の救いを待ち望んでいる。通商条約に補足を付けるとき何より重要視して日本側に要求した項目は私の1857年3月1日の日記に記した通り次の三点だ。ロシアに開いている長崎港をアメリカにも開く、アメリカ市民に治外法権を与える、1ドル銀貨は1分銀3枚に同等とする。
日記にそう書いてから10か月が過ぎ、タイクンとの謁見を迎え、その5日後の備中守上屋敷でのハリス氏の演説をもって治外法権に重ねて信仰の自由があっさりと認められた。 「やったね。大成功だ」 私の『日本日記』はオランダ女王に捧げる。喜びのあまりそうペンを走らせたが、女王相手には失礼な表現だろうか。条約策定までの紆余曲折がまるでモリエールの喜劇脚本のように見えてくる。そうだ、この夜はモリエールの「女学者」をベッドで読もう。フフフ、笑みをこぼれた。 -----------------------------
なんとも不思議な具合だが、ヒュースケンの「やったね、大成功だ」という日記の記述は日本側担当者の気持ちでもあったようだ。維新史料綱要データベースに日米通商友好条約に関して次の事務作業経過記録が残されている。モリエール戯曲のお決まりの所作「大団円」をこちらもなぞっている。 仮の批准書は文久元年羊酉正月16日1861/02/25江戸善福寺借公使館に於いてハリルス氏より村垣淡路守に返却す。淡路の守収領携帰て閣老久世大和守に返上せしを以って条約の一件は於子此大團圓に至れり 安政6年4月22日
幕府の体たらくを装う再三の条約批准引き延ばし策とヒュースケン殺害によって西欧が連合して黒船群の大砲を江戸城天守閣に向ける脅しが交戦の現実味を帯びて向き合った。互いに条約締結の真意は通じなかったにしても紆余曲折に労した条約は大団円、見事に成立した。ハリスが主張した宗教の自由も居住権の平等も。 そうさ、 やったね、久助。
【参考資料】
Japan journal1857-Dec-12) 1855-1861 Henry Heusken January 1, 1964 by Rutgers University Press Complete Journal of Townsent Harris (1857-dec-6) by Mario Emilio Cosenza https://libsysdigi.library.illinois.edu/OCA/Books2012-12/completejournal0harr/completejournal0harr.pdf イザヤ書5 新共同訳 www.bible.com イザヤ書24 (イザヤの黙示録) 新共同訳 www.bible.com ブルボン劇場のヒュースケン ブルボン小劇場のヒュースケン2 ブルボン小劇場のヒュースケン1 ヒュースケン、夜半に「女学者」を読む ヒュースケンの予見 タウンゼント・ハリス、コロンボでハルワを食す ヒュースケンが、ゴールで記したこと