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交遊編大田南畝(四方赤良・蜀山人)の詩・狂歌 〔交遊編〕大田南畝関係
(大田南畝、あるいは大田直次郎として交遊のあった人)
【せ】※◯は欠字、◎は表示不能文字
交遊詞書・漢詩・狂歌出典巻・頁年月日
せい
「十六夜、諸弟子と同じく井生に集ふ。五微の韻を得たり
 偶向南隣去 聊敲月下扉 何妨後良夜 猶未減清暉 桂長香生席 松高露落衣 為憐文字飲 恋賞更忘帰
 同じく「松風琴に入る」を賦す。八庚の韻を得たり
 落々蒼陰覆月明 清風吹入七絃声 傍人不識琴中趣 唯有孤松解我情」
南畝集3
漢詩番号0496・7
③172安永5年
1776/08/16
「春日、岡公修・関叔成・山士訓・大久君節及び井生・甥義方と同じく耆山上人の房に集ふ。居字を得たり
 (詩は省略、交遊編の「交遊」参照)」
南畝集5
漢詩番号0763
③265安永9年
1779/02/
せいいんてい
清陰亭
 清陰亭 (別資料) (渋谷氏)
せいがく
西嶽
「西嶽生に贈る 吏情其奈遠滄洲 潑墨閑臨泗水流 大府寧供駆使役 不将文筆易牙籌」南畝集19
漢詩番号4138
⑤386文化13年
1816/02/
せいげんり
井玄里
 井玄里 (別資料) (井上玄里)
せいこ
西湖 (浅野)
「天民・五山・西湖・雲潭諸子、熊谷に遊び、墨渓酔態有りと聞き、戯れに一絶を賦す
 邾子怒他夷射姑 墨淡余水灑西湖 燈前滴々輪廻酒 也汚羅裙血色無」
〈邾荘公、夷射姑の小便に怒りのあまりベットから炭火に落ちて死ぬ挿話は『春秋左氏伝』定公三年〉
南畝集18
漢詩番号3929
⑤325文化11年
1814/10/
せいこうりょう
井公亮
 井公亮 (別資料)
せいざんどう
青山堂
「青山堂に司馬江漢画く所の鎌倉七里が浜の図観る
 昔掲白南愛宕廟 今帰郭北青山堂 泰西画法描江島 縮得煙波七里長」
南畝集18
漢詩番号3518
⑤209文化8年
1811/05/
「近頃まで愛宕山にかけてありし絵馬をはりかへ時、青山堂これを得て裱褙して携来
 相州鎌倉七里濱図 寛政丙辰夏六月二十四日  西洋画士 東都 江漢司馬峻描写
 昔掲城南愛宕廟 今帰郭北青山堂 泰西画法画江島 縮時烟波七里長 杏花園題」〈青山堂は書肆雁金屋清吉〉
一話一言
巻36
⑭416
「ながらのはし
 長柄のはしの鉋屑、井出の蛙の陰干より、ちとあたらしき慶長のとし、ちとあたらしき慶長のとし、なにはの芦毛の馬をかへし、牛をはなせし唐人の寐ごとに、あづま錦のきれはしをかきあつめたる一帖は、青山堂の什物なるべし」
放歌集②156文化8年
1811/06/
「きさらぎ廿一日、青山堂・孫畯とともに伝通院に花 此春の命ひとつのあるゆへに無量の山の花をしもみれ」あやめ草②99文政5年
1822/02/21
「書肆青山堂に過つて酒を飲む 窓望青山郭 樽開礫水湾 芙蓉天外雪 窺我酔中顔」
「二月廿一日、孫鎌と同じく無量山に遊び、花を看る
 五年抱疾五年艱 一日看花一日歓 強起携孫何処酔 欲乗籃轝暫盤桓」
「又 偸閑力疾駕人肩 閲市探芳向礫川 無量山酒無量 酔吟双樹百花前」
南畝集20
漢詩番号4645-7
⑤531
せいしき
井子熙
「冬日、井子熙と同じく酒楼に飲す 北風携手出 遙指一青旗 濁酒雖難酔 深林未必辞」
「同前。子熙の韻を和す
 客出城東市 来尋負郭中 更耽林野趣 近指酒旗風 万壑惟黄葉 連山自碧空 小楼聊尽酔 談笑為君雄」
南畝集7
漢詩番号1379
1380
③476天明7年
1787/10/
「井子熙の臨海楼に題す
 紅塵尺処湧滄溟 縹渺飛楼望窅冥 波捲房山朝気白 樹廻田島暮煙青 主人醸酒千鍾満 賈客帆檣万里停
 酔裏放歌談転劇 笑看江上一浮萍」
南畝集7
漢詩番号1385
③478天明7年
1787/11/
せいしけい
井子瓊(井上碧海)
 井子瓊(別資料) (井上碧海「井玖 字 子瓊。号 碧海。称 井上久手之介」 『月露草』⑱47)
せいしせい
井子静
 井子静(別資料)
せいしそん
井子存
「初夏、徐徳卿・大田公幹・井子存・井子瓊・鈴一貫と同じく舟を竪河に泛べて亀毛河に至るの作。柳字を得たり (詩は省略、交遊編の「交遊」参照)」
「同前。子存に和す 両岸垂楊蔭渡頭 軽舟解纜続下長流 瓢瓢自有滄洲趣 欲向鰲山把釣鈎」
南畝集8
漢詩番号1636-7
杏園詩集三
④50
⑥92
寛政2年
1790/04/05
「徐徳卿・井子存・鈴猶人と同じく不忍池の生地院に遊ぶ
 宿霧纔晴歩浅沙 度橋深院入荷花 池頭欲泛扁舟去 不忍明珠砕露華」
〈『俗耳鼓吹』⑩32「寛政二年甲戌六月七日の朝、徐徳卿、鈴一貫、井上子存(岩次郎と文右衛門同道といふ)などゝ蓮見にいき侍りしに(云々)」天竜山妙音寺生池院〉
「篠池に蓮を看て徐徳卿・鈴一貫・井子存と同じく賦す【不忍池、一に篠輪津の池と曰ふ】
 台獄紅霞散野塘 滄池何処不清涼 諸天世界全無熱 十里芙蓉自有香 酔去碧筩通酒気 吟来錦繍発詩腸
 幽期尽是逃名士 更見遊亀曳尾長」

「同前。井子存に和す 参差分緑梨 漭沆対滄池 将把新詩闘 芙蓉欲発時」
南畝集8
漢詩番号1651-5
④55寛政2年
1790/06/07
「秋日、井子存に過る北郭清秋午 東山過雨余 入門修竹在 知是主人廬」南畝集8
漢詩番号1759
④97寛政3年
1791/09/
せいせつ
誠拙禅師
「鎌倉の誠拙禅師の韻を和す 彼一時兮此一時 生涯未必費思惟 随縁自有如理 秋月春花事々宜」南畝集19
漢詩番号4273
⑤422文化14年
1817/04/
せいはくしゅう
井伯秀(酒井要蔵)
 井伯秀 (別資料)(酒井要蔵・徹源)
せいはくちょく
井伯直(中井董堂)
「夏日、井伯直に過る 暑退涼風日夕佳 清談共酔旧書斎 怪来自絶紅塵色 地是城東第二街」
〈腹唐秋人。通称中井嘉右衛門。名敬義。字伯直。号董堂。本町二丁目住。文政4年7月26日没、64歳〉
南畝集6
漢詩番号1211
③417天明4年
1784/06/
せいふうかん
清風館(山士訓)
 清風館 (別資料)(山内穆亭)
せいふうかん
清風館(山正誼)
 清風館 (別資料)(山内正誼)
せいほ
正甫
「竹庵に正甫の提琴を聞く 提琴一曲聴無窮 靡々余音細々風 已訝流鴬催鼓吹 還疑哀雁避虚弓」南畝集18
漢詩番号3929
⑤325文化11年
1814/10/
せいむけん
清夢軒(十時梅厓)
 清夢軒 (別資料)(十時梅厓)
せいりん
政隣
「円樹庵の楓のたねをうつし植おきけるが、卯月ばかりに一枝折て政隣のもとにつかはしける
 露ながら折てやみせん若楓かげまどかなるたまと思へば
 返し まどかなるたまものなれや若楓君がことばの露もそはりて」
をみなへし②25文化4年
1807/04/
せいりんけい
青隣卿
 青隣卿 (青木隣卿) 詩友 (別資料)
せいりんどう
清林堂
「(上野花見の日)清林堂といへる筆屋、花のもとに酒さかなもて来しかば
 山の花きよき林の下ふしはさゝえを筆の命毛にせん」
紅梅集②327文化15年
1818/03/
「七月廿日、清林堂邀へて篠輪池に遊ぶ。蓮を観れば則ち花已に謝す
 清晨白露冷蓮房 不見芙蓉十里香 唯有霏紅兼墜粉 赤城霞彩散池塘」
南畝集20
漢詩番号4488
⑤488文政2年
1819/07/20
せきぐち
関口(越後)
「北越の関口氏の太夫人を寿す 雪消萓草北堂陰 相映階庭玉樹林 十日街中千日酒 寿筵乗酔興愈深
【十日街北越地名】」
南畝集6
漢詩番号1144
③395天明3年
1783/03/
せきね
関根
「関根氏、美濃尾張の川々のつゝみを修理すべき仰せ事うけ給はれるに、虎のゑにうたをこひければ
 千里ゆき千里かへれるいきほひは虎の尾張や美濃の川々」
「同じく毘沙門天をゑがきし扇に 来年は子のとしなれどうしとらの関根もまもらさせたもん天」
七々集②274文化12年
1815/11/
せきやどこう
関宿侯
 関宿侯 (別資料)(久世広誉・大和守)
せっけい
雪渓
「三日、姫路侯の園庭の宴集。長島老侯【増山河内守殿御隠居】・烏山世子【大久保佐渡守殿】・犬塚 遜 印南(唯助)・画人辺 映 玄対〈一字欠〉雪渓。坐に在り
 (詩は省略、交遊編の「交遊」参照)」
南畝集13
漢詩番号2255-6
細推物理
④254
⑧356
享和3年
1803/03/03
せつざん
雪山(甘露門)
 雪山 (別資料)
せつせん
雪仙
「駿台の春望。雪仙師の韻を和す
 小楼春日午 推戸試回眸 孤塔竜山外 長橋墨水頭 梅遅慵曳杖 雪少未呼舟 時得慧休句 碧雲何処浮」
南畝集19
漢詩番号4132
⑤384文化13年
1816/01/
「四月二日、鈴木白藤・鱸 文 猶人・小野(三字欠)・雪仙師と同じく山内 正誼(二字欠)の清風館に集ふ。寒韻を得たり 四十年前罄此歓 看来天地尽波瀾 箕裘自有良弓子 爛酔猶為昔日看
【安永二年癸巳四月二日、正誼の先人士訓、予及び山道甫・河田阿を邀へて此の館に宴す。今に至つて四十余年なり。故に起句之に及ぶ】
南畝集19
漢詩番号4160
⑤391文化13年
1806/04/02
せつもん
摂門
「摂門師のいせのくにヽまかれるを送るとて
 いすゞ川水と波とを神垣の中外のへだてあらじとぞ思ふ
 いせの海のきよき渚の神かけて衣の袖に月やどさまし
 髪長と神もなひとぞこれも又人の国なる人ならなくに」
あやめ草②90文政4年
1821/08/
「摂門師の勢州に之くを送る 緑嶽三千一字班 飄然飛錫出塵寰 行過勢海山田去 駅路秋風鈴鹿関」南畝集20
漢詩番号1643
⑤523
「摂門上人の西遊するを送る 西遊何処至 京洛与神宮 来去皆真意 飄然一錫中」南畝集20
漢詩番号4552
⑤505文政3年
1820/07/
「摂門師の勢州に之くを送る
 緑嶽三千一字班 飄然飛錫出塵寰 行過勢海山田去 駅路秋風鈴鹿関」
南畝集20
漢詩番号4613
⑤522文政4年
1821/08/
せな さだお
瀬名 貞雄
「夏日、瀬貞雄宅に学士岡田忠卿と同じく賦す
 相逢長史亭 昼静雨冥冥 雲映杯光白 庭含樹色青 一時称掌故 重席説明経 半日聞清話 陶然酔玉缾」
南畝集9
漢詩番号1881
④135寛政4年
1791/05/
せんいきつ
銭位吉(清人)
 銭位吉 (別資料) (丑四番船財副)
せんかくえん
仙鶴園
「閏六月朔、朝白園の約有り。会々芙蓉館主人と同じく仙鶴園に過り、溜飲して約を失す。此を賦して謝し奉り、兼ねて万彦・印南二子に寄す
 礫水違茶水 白園為鶴園 留連金谷酒 辜負玉崑崙 刻燭催聯句 臨風想永言 荳棚花底坐 重共二君諭」
南畝集16
漢詩番号3190
⑤107文化5年
1808閏06/01
「流観百図」 巻一「府中奈良橋村雷槌」「文化庚午賜氷節得仙鶴園蔵写之」識語集⑲694文化7年
1810/06/01
せんかくしょ
仙鶴墅(蜷川大和)
 仙鶴墅 (別資料) (中奥御小姓・蜷川大和守親常、白山の別荘)
せんが はくねい
千賀伯寧(官医)
「小川文庵・吉田仲禎・千賀伯寧。崎陽に遊んで医業を清人胡振兆新に問ふ。伯寧先づ帰る。此を賦して送り奉る
 知君七剤旧称良 更叩蘇門問禁方 命駕他山磨作礪 渉波仙客葦為杭 行逢淑気生華洛 帰去春風遍柳塘
 二友同来斉講業 先鳴応是解青嚢」
南畝集14
漢詩番号2609
④359文化1年
1804/12/10
ぜんげつあん
喘月庵(岡部公修)
「酔李白図に題す【喘月庵の席上】
 人生大夢幾時醒 一謫仙人此託霊 唯在長安市上睡 不知身在沈香亭」
「菊池叔成・井伯秀と同じく素観師の喘月庵に過る
 当年有四友 今日余三人 共会牛門静 偏驚駒隙頻 交無忘故旧 境不絶比隣 用舎雄云異 同心各自真」
【素観師。俗に在りし時、岡公修、名は正懋と曰ふ。叔成、本姓関口。覃、十七八の時、岡公修・関叔成・平君叙と牛門の四友と号す。著はす所、牛門四友集有り。君叙、名は彜倫。安永年間、先だつて死す】
南畝集
漢詩番号2346-7
④278享和3年
1803/09/
せんこうしつ
占恒室
「占恒室の集ひ。侍児の戯れに胡服して三絃を弾ずるを聞く
 宛転歌喉已了然 慧心未及破爪年 昭君侍女穿胡服 手抱三絃換四絃」
南畝集18
漢詩番号3720
⑤266文化9年
1812/12/17
「占恒室の集ひ。同じく花朝を賦す 峭寒時自入春裘 山屐難穿上一丘 莫道花朝花未発 中秋無月亦中秋」南畝集18
漢詩番号3748
⑤275文化10年
1813/02/15
せんこく
泉谷上人(小机村)
「泉谷上人の寄せらるるを和す 曾侍青山耆上人 早知泉谷勝情新 昨年一奉河堤使 花雨従沾小机春」
「其の二 昨日祇林隠几人 山中指贈碧雲新 杏園徒酔無明酒 不及竜華会上春」
南畝集17
漢詩番号3359
3360
⑤160文化7年
1810/05/
せんさんじん
川山人
「川山人の遺画に題す 一丘一壑白雲深 写出千秋隠士心 便欲更令山水響 人琴共是絶知音」南畝集3
漢詩番号0421
③147安永4年
1775/09/
せんしけい
川子敬
「江城、雪に対して寮友川子敬を憶ふ
 江城風雪正霏霏 積素凝華自満衣 若得山陰乗興去 門前不擬子猷帰」〈子猷尋戴〉
南畝集7
漢詩番号1389
③479天明7年
1787/11/
せんしゅくげん
川叔元
「春日、諸子に寄す
 君家兄弟見才豪 小謝風流調又高 遥識池塘春章句 時時唱和弄揮毫 右 川叔元」
南畝集5
漢詩番号0933
③321安永10年
1781/03/
せんしゅんこう
擅春侯
 擅春侯 (別資料) (市橋長昭・近江仁正寺藩主・下総守)
せんしょう
泉松上人
「春雪。泉松上人の寄せらるるに和す
 春雪新晴倚小楼 宛看尺素上寒流 朝将躡屐趨官府 偏似山陰興尽舟」
南畝集17
漢詩番号3465
⑤190文化8年
1811/01/
せんちゅうゆう
川仲裕
「川仲裕・高仲幹・岡公脩と同に武野に遊ぶ
 秋風吹百卉 千里絶人烟 野曠無行客 都遥眺遠天 征途空翠裏 高樹夕陽前 為是幽情切 転堪懐旧年」
三餐余興
遊玉川記
⑧8明和4年
1767閏09/04
せんはくおん
川伯温
 川伯温 (別資料)
Top浮世絵師総覧交遊編大田南畝関係